映画(タイトル「ナ」「ハ」「マ」行)

2022年4月17日 (日)

「フリー・ガイ」:黒メガネの目覚め

監督:ショーン・レヴィ
出演:ライアン・レイノルズ
米国2020年
*TV視聴

正直あまり期待していなかったので、ロードショー時には見ないでWOWOWかツ●ヤに出てくるまで待つことにしていた一作。
ゲームネタの話らしいが、そもそも私はゲームをやらん人間だしなー。

そんなわけで期待値ゼロで見始めたのだが……

なんだよ、面白いじゃねえか~っ(>O<)

オンライン・ゲーム内で銀行員という平凡なキャラクターの男、いつも簡単に殺される日常を繰り返していたが、ひょんなことから自分がゲームのキャラクターだと自覚する。そして虚構と現実の双方で「危機」が起こりつつあることも知るのだった。

ゲームをやってる人なら色々と小ネタが分かるんだろうけど、全くゲームしない人間でも単純に楽しめた。
粗暴で巨悪なキャラクターを現実で操っている人間が全くかけ離れているのが笑える。特にチャニング・テイタム扮する強面傭兵集団ボスの実像が情けなさ過ぎ(;・∀・)

そもそもなぜ男が真実に目覚めたのかという謎解きがなるほどと納得し、発生した「恋」の行く末をどうするんだと思ったら、そういう風に解決するのかと感心した。アクションとドタバタ展開だけじゃなくて、隠しメッセージもあって鑑賞後感はスッキリ&ポジティヴだった。
終盤の目まぐるしいゲーム世界の映像も鮮やか。
平凡さを出したレイノルズは好感度高い主人公。ジョディ・カマーはゲームキャラとリアル人間の差をよく表していた。

原作のないオリジナル作品で大ヒットになるのは最近では珍しいそうである。よく出来ている。
ところで疑問が一つあり。ゲーム内の展開は毎日クリアされるが主人公の記憶だけ残っているという展開だよね。
ということは、彼は毎朝誰かをぶん殴って黒メガネを入手しているのかな(^^?
それからジョン・カーペンターの回顧上映の予告を見ててふと思ったのだが、「黒メガネをかけると真実が見える👀」というのは『ゼイリブ』が元ネタなのだろうか。

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2022年4月 5日 (火)

「ダ・ヴィンチは誰に微笑む」「皮膚を売った男」:アート界の一寸先は金

220405a「ダ・ヴィンチは誰に微笑む」
監督:アントワーヌ・ヴィトキーヌ
フランス2021年

「皮膚を売った男」
監督:カウテール・ベン・ハニア
出演:ヤヤ・マヘイニ
チュニジア・フランス・ベルギー・スウェーデン・ドイツ・カタール・サウジアラビア2020年

『ダ・ヴィンチは誰に微笑む』はカネにまみれた美術市場を題材にした仰天のドキュメンタリーである。

突如、出現したレオナルド・ダ・ヴィンチの絵画「サルバトール・ムンディ」。
なぜか米国の民家の廊下に飾られていたのが「発見」され、2005年にニューヨークの美術商が13万円で購入。「修復」して鑑定を行ったものの結果は曖昧なまま真作として公に英国の「ダヴィンチ展」で展示される。

そのまま様々な国の色んな人物が絡んで値段がどんどん上がっていく。
怪しいと判断してサザビーズが扱わなかったものを、クリスティーズが現代アート路線のような派手な宣伝をして競売にかける。
裏付けもなく確実ではないものに大金を出す。最後の落札額はなんと510億円💴
証言するのは、美術商、研究者、ジャーナリスト、オークション会社、学芸員、匿名の(モザイク入り)フランス政府関係者などなど。もはや虚像でしかない価値に振り回される様相を、ドキュメンタリーとして確実に洗い出していくのであった。

うさん臭い人物が次から次へと登場するのがたまらない( ̄▽ ̄)
『テネット』にそっくりなロシアの実業家(まさにこれが「オリガルヒ」というヤツであろう💥)も一時の所有者となる。自由港を所有してそこの倉庫に美術の収集品を保管してあるって、そのまんまじゃないですか。モデルにしたのかしらん。

結局、今あの絵がどこにあるのかは判然としないそうだ。
名作も一寸先は闇。アートの世界は奇々怪々⚡転がる絵画に苔は付かない……けどマネーは増える。もうバカバカしくて面白い。

ところで、過去に紹介した『アートのお値段』というドキュメンタリーで最後に登場するのが実はこの「サルバトール・ムンディ」だった。
これを見た時に投機の対象となる現代作品をなぎ倒して最高額を得たのがこの「古典」作品だったというオチで驚いたのだが、実は現代アート売買の手法を取っていたというのならさもあらん、である。

220405b
さて同じ現代アートつながりの『皮膚を売った男』、こちらは劇映画だ。

シリアで迫害を受け難民となってレバノンに逃亡した男が、なんとか恋人のいるベルギーに行こうとする。その時、アーティストから奇抜な申し出を受ける。背中にアート作品としてのタトゥーをして、自ら「美術品」となってビザを取得するというのである。
もちろん、美術展で「展示」される義務など負わなければならない。

人間ならダメだけど芸術作品なら移動できるとはどういうことだろうか。現代アートと難民と自由の問題に鋭く迫る着想だ。

……ではあるが、発端は辛辣でもその後の展開はなんだかパンチに欠けている。見てて消化不良な気分になった。コメディタッチで世界の矛盾を皮肉る作品と解釈すればいいのかね。

実際に存在する(人間の背中にタトゥー)作品によって着想したらしい。その作者自身も端役で出演している。従って、現代アートの在り方にかなり親和的である。
アーティストの大半は詐欺師同然などと思っている人間にとってはやや肩透かしな内容だ。

ただ美術館のシーンなどは撮影の工夫が凝らされ非常に美しい。モニカ・ベルッチが特出。
アートの未来を躊躇なく信じられる人向け。

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2022年3月26日 (土)

「パワー・オブ・ザ・ドッグ」:大いなる西部で叫ぶ

220325 監督:ジェーン・カンピオン
出演:ベネディクト・カンバーバッチ
米国・イギリス・ニュージーランド・カナダ・オーストラリア2021年

本来ネトフリ配信作品であるが、開始前の映画館特別上映で見た。
1920年代のモンタナで牧場を営む兄弟。威圧的で容赦がない兄に対し従順で大人しい弟--正反対の二人であったが、長年共に過ごしてきたらしい。

驚くのはいい歳した兄弟なのに同じ一つのベッドに寝ていることである(狭苦しい💨)。部屋がないわけではなく、住んでいるのは立派な大邸宅なのだ。しかし、弟が近隣に住む未亡人と結婚したことから関係が揺らぐ。
前半は突然に変化した生活に、兄フィルに扮するカンバーバッチの悶々としたアップが続く。同時に再婚相手のローズにとっても同じ屋根の下に暮らすのは大きな圧力だった。

そして彼女の連れ子の少年が牧場に現れたことでさらに変化が生じ、後半は何やらサイコホラーかサスペンスか、みたいな雰囲気になってくる。『2001』のリゲティを思わせるJ・グリーンウッドの音楽が煽ってさらに拍車をかける。
そして、中心の4人の誰もが最初に見た通りの人物ではないことが徐々に明らかになるのだった。

その中でも特に浮かび上がってくるのは一人の孤独な男の肖像である。宣伝の段階で過去の別の映画が引き合いに出されていて「こりゃネタバレだっ(!o!)」問題が生じたけど、それよりも連想するのは『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』だろう。

傲慢で粗野と見えて実は大学出で教養があり手先も器用、何一つ表面には見せないという矛盾に満ちた人物像をカンバーバッチは的確に演じている。
対するキルステン・ダンストのローズは、幸福を願いながら細いヒールの足元みたいに不安定。弟(ジェシー・プレモンス)の優しさと穏やかさは無神経と紙一重、そして軟弱な息子役のコディ・スミット=マクフィーもジワジワと来る。
彼ら4人の演技は全くもってケチが付けようがない。

こんな内容ではネットフリックスでしか資金を出してくれないなーと思う。一方、モンタナの広大な風景(実際のロケ地はニュージーランドだが💦)の美しさは大スクリーンで見なけりゃソンソン👀のレベルだろう。
案の定、サム・エリオットがこんなのはカウボーイじゃない<(`^´)>とケチをつけて話題になった。同じくモンタナの牧場とカウボーイたちを描く(と言っても、現代のだが)TVシリーズ『イエローストーン』を作っているテイラー・シェリダン監督ならなんと言うだろうか。聞いてみたいところだ。

問題は、兄弟のバックグラウンドが仄めかされるだけでよく分からない部分があること。両親との関係も不明である。
それと前半のテンポがゆったり過ぎなのが難点だ。

今年のアカデミー賞では最多11部門ノミネートとなった。はてどのくらい取れるだろうか。俳優部門は4人とも入っているけど難しいようだ。カンバーバッチは主演男優賞確実と思ったものの、ウィル・スミスの方に行くのかな……(?_?)
スミット=マクフィーは、まるで金子國義描く若者みたいで思わずスクリーンをガン見してしまった。


さてその後、物語の背景を詳しく知りたくなって原作小説を読んだ。
版権の関係なのか、なぜか角川文庫と早川書房のハードカバー版が数か月の差で出版された。しかも書名が、冒頭に「ザ」があるかないかという微妙な差をつけている。
値段を考えれば文庫版一択だ……が、本屋で散々迷って見比べた挙句(スイマセン)早川の『ザ・パワー・オブ・ザ・ドッグ』(山中朝晶訳)を選んだ。説明的な部分の訳文が丁寧な印象を受けたからである。値段は3倍だけどな(;^_^A

原作小説はトマス・サヴェージが1967年に出したものだ。読んでみて映画はかなり原作に忠実だったことに驚いた。
ローズの食堂でのトラブルや、終盤のフィルと少年が関わる過程はわりとあっさり短めの記述である。映画の方が長く膨らませている。

原作に詳しく描かれているのは、ローズと先夫のなれそめと結婚生活だ。夫がどのように死に至ったのかはかなり重要だろう。
それから兄弟の若い頃のエピソード。特に面白かったのはフィルが西海岸の名門大学に入学した時の「事件」だ。資産家の子弟ということで、数多ある友愛会から勧誘がひきも切らず招待された。しかし、入会決定最終日に彼は学生たちに小バカにした態度を見せて全てを否定して立ち去ったのである。
そのとばっちりで二年後に弟が入学した時には、期待して待ち構えていたのに誰も誘ってくれなかったという……(^O^;)

とにかく彼は「俗物」が嫌いなのだ。その代表は自分の両親であり、結局牧場から追い出してしまう。そして今や「俗物」の最たるものがローズなのである。
彼女の未熟なピアノも我慢ならない(元々は映画館で無声映画の伴奏をやっていた)。映画内でも描かれていたが、芸術の才能にも秀でた彼はバンジョーで楽譜なしで彼女より遥かに正確に同じ曲を弾ける(ちなみに、バンジョーは非常に演奏が難しい楽器らしい)。
またフィルは年にニ、三回しか床屋に行かない(弟が車に乗せて町へ出かける)とあるが、そうなると行く直前は手入れなしのロン毛にモジャモジャ髭という恐ろしい外見になってたはず⚡

というようにフィルとローズの心理状態はかなり詳細に描写している。ローズが大邸宅の中で孤独に追い詰められていく様子はまるで『レベッカ』のようである。
あと先住民の父子について二章をさいて描いているが、映画では一瞬しか登場しない。

全体としては異なる人物の異なる時期の各エピソードのつなげ方がやや乱暴に投げ出されているような気がした。そのせいか読後は映画よりアッサリ感がある。
もっとも「衝撃のラスト」を事前に知って読んだせいかもしれないが。
発表当時、舞台となっている1920年代は既に古めかしい過去の時代となっていただろう。しかし懐古するのではなく、突き放した極めて現代的な物語となっている。

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2022年3月14日 (月)

「ほんとうのピノッキオ」「ホフマニアダ ホフマンの物語」:よい子には見せられねえ~!古典名作映画化作品

「ほんとうのピノッキオ」
監督:マッテオ・ガローネ
出演:ロベルト・ベニーニ
イタリア2019年

「ホフマニアダ ホフマンの物語」
監督:スタニスラフ・ソコロフ
ロシア2018年
*TV録画視聴

よい子は絶対鑑賞禁止💥 悪い大人にだけ推奨の2作を紹介したい。

まず、最初は『ゴモラ』『ドッグマン』などのマッテオ・ガローネ監督が、自国の超有名童話を実写映画化した『ほんとうのピノッキオ』である。
「ピノキオ」といやあ誰でも知っているよ(^O^)bと言いたいが、実際に原作をちゃんと読んだ人は少ないのではないか。私も小さい頃に絵本で読んだ気がするが、ほとんど覚えてない。かろうじて記憶しているのは鼻がのびるところぐらいだ。

原作が出たのは19世紀末、その当時の社会をあくまでもリアルに小汚く描き、背景として奇想天外な教訓話が進行していく。
木片の時から暴れん坊(^^?なピノッキオは、作り主のジェペット爺さんが質入れして買ってくれた教科書を持って学校へ向かうはずが人形芝居小屋へ行ってしまう。
こりゃ、悪い子というよりは欲望と好奇心に素直に従って気まぐれに動いているような感じだ。おかげで波乱万丈な物語は紆余曲折して続くのであった。

その世界は醜悪で精緻、グロテスクと華麗さ、卑俗と潔癖が同居している。
子どもたちを集めて売り払う人さらい、厳しく代償を要求する雑貨屋、虐待と紙一重な体罰の学校などが登場するが、実際に当時存在したものだろう。
そんな写実の中にカタツムリの侍女(かなり不気味)、忠告・説教するコオロギ、サルの裁判官などどれも違和感なく溶け込んでいる。人形芝居の操り人形たちはあくまでも糸が付いたまま動くのだった(^▽^;)
最後はメデタシメデタシで終わるが、なんとなく湧き上がる「これでいいのか」感も含めて、まさにそのままの映画化といえる。

ただ、ワルモノのネコとキツネだけは人間っぽい外見なのはなぜなのだろうか。しかも、彼らの食い意地の迫力と終盤のヨレヨレと哀れな姿の描写は全くもって容赦がない。
なおピノッキオたちを海で助けるマグロ(?)には久しぶりに「人面魚」という言葉を思い出した(^^;;;コワイヨ~

ジェペット爺さん役は『ピノッキオ』にこだわりを持つロベルト・ベニーニ。なに、今年70歳だって? 若い💡

もうこの「ピノキオ」が本場もんで本命、これ以上のものはないっ❗……と断言したいところなのだが、ロバート・ゼメキス監督、爺さん役トム・ハンクスで映画化進行中らしい。(ただし、ディズニーなんで過激な描写は期待できず)
それどころか、ギレルモ・デル・トロもストップモーション・アニメ製作中だとか。
今なぜピノキオなのか? その謎を解くためにはさらにオタクの密林奥深く探検隊が進まねばなるまいよ。


ドイツの作家E・T・A・ホフマンというとオペラ『ホフマン物語』バレエや『くるみ割り人形』『コッペリア』で知られるのだが、そのどちらの世界にも疎いのでこれまで名前を聞いたぐらいだった。
『ホフマニアダ』は彼が夢想した物語群を、作者自身の境遇と共に映像化したロシア製ストップモーション・アニメである。
この手法は『ホフマン物語』と同じものらしいが、取り上げられている小説は異なるようだ。

しがない官吏生活に汲々とするホフマンは、歌劇場に就職を目指しつつ幻想的かつ悪夢的な物語を綴る--。
それらは彼自身を取り込んで、陰鬱な生活の周囲に万華鏡のように断片として散りばめられ、観る者を幻惑する。
その映像の印象はコワい・キモい・エロいの三拍子~🎵 こりゃ圧倒された。

特に「砂男」の部分はドロドロした悪夢のよう。映画館の大画面で観たら恐怖で震え上がりそうだ。良い子にはとても見せられねえ。夜中にうなされちゃう。
木の枝に絡んだヘビ娘の色気たっぷりの妖しい動きよ。見ていいのは悪い大人だけ!
渾身の力を込めて描かれたいかがわしさに感動するのは間違いない。

作ったのは老舗アニメスタジオだそうだけど、これからもプーチンの横暴に負けずエロくてコワい作品を出してほしい。

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2022年2月15日 (火)

「MONOS 猿と呼ばれし者たち」:進撃の小人

220215 監督:アレハンドロ・ランデス
出演:ジュリアンヌ・ニコルソン
コロンビア・アルゼンチン・オランダ・ドイツ・スウェーデン・ウルグアイ・スイス・デンマーク2019年

いずこの国かは不明だが、南米とおぼしき山岳地帯。8人の少年兵が米国人女性の人質を監視しつつ暮らしている様子が描かれる。詳しい説明は何もない。
たまに監視役が来るぐらいなので部活みたい。一同、遊び半分で訓練やったりして「ごっこ」っぽくもある。このように最初はのんびりした雰囲気だったのが、ある出来事をきっかけに段々と混沌と狂気へと転がっていくのだった。

指令が出て今度はジャングルへ移動すると、完全暴走してすっかり『地獄の黙示録』状態へと変わる。
緊張感が空気に常に充満し、不穏過ぎる劇伴音楽が拍車をかける。
高山の風景は壮絶だったが、その分美し過ぎて不吉だ。ジャングルの方は湿気がビッチョリして不快指数200%は間違いない。

ただ、緊張がダラーンと長く続くので観客のこちらも精神的に耐えられなくなって、見てて疲労困憊した。「一体どうなるんだろう」と思って見てたけど、結局どうにもならなかったとゆう……(*_*;
描かれる膠着状態はある種の「退屈」の連続でもあるのだが、それが作品として描かれた「退屈」なのか、作品自体が退屈なのか区別が付かないのだ。
こんな気分になるために金払ったのかなあ((+_+))と自問自答してしまった。

ランボー役やってるのは女の子だったと後で知ってビックリだ❗
監督はブラジル人とのことだが『進撃の巨人』見たことがあるのだろうか。なんとなく連想した。見たとしたらアニメだろうけど。
河の中の水泡のシーンは、以前に埼玉近代美術館の展覧会で見た映像作品を思い出した。

 

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2022年2月11日 (金)

「ハウス・オブ・グッチ」:見出しは東スポ、記事の中身は……

監督:リドリー・スコット
出演:レディー・ガガ、アダム・ドライヴァー
米国2021年

恥ずかしながら、三度のご飯よりもゴシップやスキャンダルの類いが好きな性格だ。この映画、予告を見るとモロにその路線ぽいではないか。有名ブランド一族の化かし合いらしいぞ!? 期待に胸が高鳴っちゃう。
事前の予想は、もうラーメン食べに行ったら、スープの脂とダシが濃くてコ~ッテリ、太麺がドンと投入されてるし、こりゃもう食いきれねえー。これ以上食ったら血圧とコレステロール値が爆上がりだーっ⚡と白旗を上げたくなるようなドロドロの映画に違いない。
そしたら結果は

予告が一番面白かったかな……(・o・)

なんかすごーく軽い塩味で薄いスープを通してドンブリの底の模様が見える。間にヒョロい麺が数本見え隠れして泳いでる、みたいな感じなのだ。
個性のあり過ぎな人物を演技力のある役者にやらせて様々な具を投じてもケレン味はなし、スープ自体がおいしくなるわけでもなかった。

中心人物たるグッチ家のマウリツィオが「アダム・ドライバーの外見をしている」以外の個性がないのは大問題だろう。弁護士志望の青白いインテリかと思えば、妻の実家の労働者たちと仲良く付き合えるし、妻に押されてマクベスよろしく共犯関係を結んだはずが、突然イヤになって別の女に乗り換え--って、このくだりは突然の展開で前触れも伏線もなく心境の変化も不明である。

レディー・ガガ扮する妻も同様で、見た目「ガガっぽい」で全てを押し切ろうとしているかのようだ。彼女がマウリツィオに積極的にアタックしたのは欲に眼がくらんだだけではなく愛情があったに違いない--というのは、ガガのファンならそう考えたくなるかもしれないが、作品内に何一つ描かれてない以上その推測は牽強付会だと言われても仕方ない。

『パワー・オブ・ザ・ドッグ』では登場人物全員が見た通りの人間ではないことが明らかになるわけだが、逆にこちらの映画では全員見た通りの人間である。
というか、見た目以外の特性はない。ジャレッド・レトに至っては全身やり過ぎ感横溢している。

それと、一体何を描きたかったのか分からないのも困ったもんだ。成り上がり女の「毒婦伝」なのか、男社会の中で抑圧された「女性の自立と逆襲」か、またはセレブとなった一族の「お家騒動」、はたまた有名企業の「同族経営の弊害と危機」、あるいはファッション産業史における「老舗ブランドの栄枯盛衰」--そのいずれでもなさそうだ。
あと、ファッションを扱っているのに全くファッショナブルではないのが意外だった。

結局「こういう事件があった」という以上のものがなくて残念無念である。どうせなら、東スポ記事ぐらいにやってほしかったのにさ……。
見出しにつられて記事を読み始めたら途中で、ん(?_?)なんかおかしいなと思ってよくよく見てみたら隅に「広告記事」の文字を見つけた、てな調子だ。
やはり私は監督のリドリー・スコットとは相性が悪いようである。

そういや、グッチ家の遺族はこの映画を批判しているそうな。でも、一家がもう経営に携わっていない(と、ラストに説明字幕が入る)企業としてのグッチはいい宣伝だと考えているのではないかね。
「グッチ銀座は劇中に登場するバッグや服など、ブランドの歴史を象徴するアーカイブを店内に展示している」と新聞記事にあった。ついでに銀座の地下道の柱に映画の広告やってた(数十本の柱のモニターにずらっと同じ宣伝が流れる)のも費用出したんじゃないの。←疑り深い奴(^ω^;)

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2022年1月 3日 (月)

「モーリタニアン 黒塗りの記録」:正義のための不正義

監督:ケヴィン・マクドナルド
出演:ジョディ・フォスター、タハール・ラヒム、ベネディクト・カンバーバッチ
イギリス・米国2021年

あるモーリタニア人男性が家族の目の前で突然連行され、911事件の首謀者として逮捕された実話--と書いたところで疑問に思ったのが、はてモーリタニアってどこら辺なのよ(爆)。今さらながらであるが、アフリカ北西部で西サハラ、アルジェリア、セネガルなどに隣接し、土地の9割が砂漠とのことである。

彼はグアンタナモ米軍基地に移送され尋問を受ける。
数年後、裁判が行われることになり男とその弁護士、米軍側の起訴を担当する中佐の三者から経緯が描かれていく。

弁護士たちはわざわざ飛行機に乗ってキューバまで行かねばならず、男に面会しても警戒され不信感露わな態度を示される。さらに資料を請求すれば「ノリ弁」状態だ(黒塗りって日本だけじゃないんですね💥)。
将校の方も資料請求しても機密情報として却下される。これでは起訴できない。
ということで双方にとって迷宮状態になるのだった。

そもそもは裁判前の調査という地味な作業が中心の話である。最終的には役者の演技合戦が中心となる。
困惑・狂乱を熱演のタハール・ラヒム、あくまで筋を通す実直を絵に描いたような中佐役カンバーバッチ。とはいえさすがに年季の差か、信念を持つベテラン弁護士というより頑固ばーさんに見えるジョディ・フォスターには二人とも勝てなかったようである。彼女がエンドロールに登場する実物とはかなり異なった印象の外見にしたのもわざとかな。

判決後の後日譚もなかなかにひどい。もはや正義のためには正義を逸脱しても構わないとしか思えない。そんなことは許されるのだろうか。
マクドナルド監督の手腕は着実な描写の積み重ねで十分に発揮されていた。
ただ、見てて拷問前と「現在」の区別が付けにくいのが難点だった。

グァンタナモでの拘束の様子はなかなかに辛い。
拷問場面が必ず出てくるだろう、いつ出てくるのかとドキドキしていたけど(なら最初から見るなって話だが)、フラッシュが炸裂するので要注意だろう。冒頭に注意書きを出すべきレベルではないか⚡
なお同じ問題を別方向から取り上げたのが『ザ・レポート』である。

ついでだけど、カンバーバッチのシュッとした背筋の軍人姿勢は、日本の役者さんが兵士を演じる時にはぜひ参考にしてもらいたいですね(^◇^)

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2021年11月17日 (水)

「ミス・マルクス」:父の娘の夫の妻

211117 監督:スザンナ・ニッキャレッリ
出演:ロモーラ・ガライ
イタリア・ベルギー2020年

この映画を見るまで「マルクスの娘」のことは知らなかった!
彼には4人の娘と2人の息子がいたそうだが、他の子は幼い頃に亡くなったそうで映画内に登場するのは娘3人である。主人公は末っ子のエリノアだ。
彼女は政治・文学の才能があり、死後に父の跡を継ぐ存在となる……はずなのが、浪費家&プレイボーイのダメ男に引っ掛かったのが不幸の始まりであった。
そもそも妻帯者である上に浮気し放題、借金しまくりのためあきれてエリノアの友人たちも徐々に離れていくという次第。

彼女の社会活動家・フェミニストとしての面も描かれているが、映画の中心として描かれているのはこの疫病神っぽい夫(内縁の)との関係と葛藤だった。
なぜそんな関係を続けたのかというと、偉大な父親の影を相手の男に求めてしまうためのようだ。典型的な「父の娘」である。
夫をかばって彼なしには暮らしていけない姿は、一種の共依存のように見える。
ただ、作品内では彼はどうにも冴えない男にしか見えず、主人公を含めて複数の女を垂らし込んだほどの魅力があるとはとても思えないのが難である。

パンクロックをバックに流して威勢良さげに見せても、その真実は旧弊な「父の娘」から抜け出せなかったというのが結論とあっては、甚だしく落ち込む。「旧弊さ」に反抗しても、結局それに吸い取られていくのが女の宿命だと語っているようだ。

党の集会で演壇に上がっているのは男だらけで、女はエリノア一人--という場面が出て来て、今も昔も女の立場は変化がない(`´メ)と思わせる。
しかし一方で「親の七光り」と書いている映画評を目にした。確かに彼女がマルクスの娘でなかったら一顧だにされなかったろう。
そういう意味では「父の娘」であることは有効なのかもしれない。

それにしても伝記映画で、その人の業績よりも男女間や家庭のイザコザに比重を置いて描かれるのが多いのはどうなのよ💢 例えばジミ・ヘンドリックスを主人公にした『JIMI:栄光への軌跡』なんかその最たるものだろう。
逆に人生で波乱がほとんどなかった人物(例:バッハ)はどんな業績があろうと映画にはなりにくいのだ。

教訓:男の不実さに主義主張は関係なし
付記:エンゲルス、善い人過ぎ~💨

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2021年10月29日 (金)

「戦火の馬」と「計画」なき家父長

211029 ナショナル・シアター・ライヴの『戦火の馬』(2014年)を見た。

原作はマイケル・モーパーゴの児童文学(1982年)で、過去にスピルバーグが映画化している(未見)。
舞台版では馬が3人がかりで操る巨大なパペットとして登場し、その動きと戦闘場面の大仕掛けが見ものとなっていた。

見ていて気になったのが主人公である若者の父親の存在だ。その父は自分の兄と非常に仲が悪く、馬の競売で買う予定もないのに一頭の馬を兄と競り合いを始めて、意地で最後に競り落としてしまう。そして借金を返すために持っていた大金を全て費やす。
しかもその馬は競走馬で、自分の農場では役に立たないのだ。

馬を連れて帰ると母が罵る。結局、父は息子に競走馬として調教することを押し付けてその場から去ってしまう。

馬が競走馬として立派に育った頃、父はまた自分の兄と無謀な賭けをする。競走馬なのに農耕機をつけて畑を耕すというのだ。彼は自分で馬に機具を付けようとして失敗する。そしてまたしても息子がその役目を負うのだ

やがて第一次大戦の影響が英国の田舎町にまで迫って来た時には、なんと父は勝手に馬を軍用馬として政府に売ってしまう。馬が金になったと喜んで帰宅すると、自分の分身のように思っていた息子は衝撃を受け、その年齢に達していないのに馬を追って軍に志願するのだった。

いくらなんでもいい加減すぎる父親である。しかし、どうも見ていて「こういう父親どこかにいたような(^^?」と既視感を抑えられなかった。
と、見終わってしばらくして思い出した。『ハニーランド』だっ(ポンと手を打つ)⚡

こちらはドキュメンタリーだが、女性養蜂家の隣に越してくる大家族の父親がよく似た感じなのである。
そもそもは家畜を飼っていたのだが、主人公の見よう見まねで養蜂を始める。ド素人にもかかわらず彼女に教えを乞うたりはせず、いきなりハチを自宅の庭に持ってきて子どもたち(幼児もいる)は刺され放題となり大騒動だ。
その後も強引なやり方で息子と衝突したり、主人公に迷惑かけたり、周辺のハチの生態をぶち壊したりする。

このように父親の無謀な思い付きで無計画にことを行ない、妻や子どもを巻き込んだ挙句に自分だけは無傷に終わる(しかも妻子は従い続ける)--というのが共通しているではないか。

そこでもう一つ思い出したのが『パラサイト』である。
これを見た時に今一つ分からなかったのが「計画」という言葉である。セリフに何度も登場するが、これは何を指すのだろうか? はて、文字通りの意味なのか、それとも韓国では特別な意味を持つのか。感想や批評を幾つも読んだがこの「計画」について触れたものはなかった。

『パラサイト』の父親は、先に挙げた二作品のような父権を振り回す強引な人物ではない。しかし、家族から「計画はあるの?」と聞かれれば「計画はある」と力強く頷いて見せざるを得ない。でもその後で息子にだけ「実は計画はない」ともらすのだ。
この「無計画」の結果どうなったか。やはり妻子や周囲を巻き込んで取り返しのつかない事態になる。さらにここでも父親だけは無傷なのである💢

これら三作品に共通なのは、計画を持たない父親の決定や行為がいかに家族を翻弄し混乱させて苦痛を与えるか、その弊害を描いていることだろう。
『戦火の馬』では母の「あの人も昔、家を背負って苦労した」という言葉で家族の絆に回帰する。
『ハニーランド』では家族自体が主人公と観客の目の前から突然消えてしまう。(恐らく父親はあのままだろう)
『パラサイト』となると、もはや父親が家長として復活するのはありえない事が最後に明示される。息子がそれを継ぐのも不可能だ。
「父」や「夫」の価値が称揚されることなく沈没していく。『パラサイト』はそんなシビアな社会状況を提出している。


さて、私はこれまでコロナ禍への日本政府の対策の混迷ぶりを見て「ああ『パラサイト』の〈計画がない〉というのはこういうことだったのか」としみじみ思った。
このような「無計画」の極みを成し混乱と苦痛を生んだ当事者の行く末は、果たしてどうなるのだろうか……。

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2021年10月 7日 (木)

「ホロコーストの罪人」:善き隣人の犯罪

監督:アイリク・スヴェンソン
出演:ヤーコブ・オフテブロ
ノルウェー2020年

ノルウェーでユダヤ人家族に起こった実話を映画化。辛い話で、見てて涙でマスクの内側が濡れてしまったほど(T^T)クーッ

主人公は若いボクサーで、親の意向に反して宗教熱心ではない。ノルウェーの国旗を背負って試合をし、結婚相手もユダヤ人ではない女性を選んだぐらいだ。
しかし、いくら自分ではノルウェー人だと思っていてもナチスドイツが侵攻して占領下に入ると、見逃してはもらえない。

劇的なことが起こるわけでもなく、静かに調査・確認・峻別・隔離が進んでいくところが怖い。市民がユダヤ人に対してを面と向かって罵倒するわけではないが、粛々とお上の意向に従って排斥に協力する。

収容所への移送計画を立てる警察副本部長は立派な集合住宅に住んでいて、隣室はユダヤ人の弁護士一家である。恐らくは、日常は善き隣人として付き合いをしているのだろうがいざとなれば平然と迫害を行うのだ。
そんな描写がとても恐ろしい(>y<;)
そしてラストの突然の無音シーンがさらに恐怖と衝撃を与えるのだった💥

ノルウェー政府が「強制連行」(直接虐殺したわけではないからだろう)の罪を認めたのは、なんと今から10年前だそうだ。それを考えるとよくぞここまで厳しく描いたという印象だ。推測するに、占領下で命令されて仕方なくアウシュヴィッツに送ったんだから罪はない--というような理屈があったのだろうか。
原題は訳すと「最大の犯罪」だそうで、邦題は似て非なるものだと言いたい。

主人公が国内の収容所で将校からボクシングの相手をしろと言われる場面がある。
それで思い出したのは、『生きるために』(1989年)という映画だ。ギリシャが舞台でウィレム・デフォーが実在したユダヤ人のボクサーを演じていた。
そちらではナチスの将校たちの前で試合をやらされるのだが、ボクサーのどちらか片方が死ぬまで終わらないという恐怖の試合だったですよ……👊

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