映画(タイトル「ナ」「ハ」「マ」行)

2019年10月10日 (木)

「未来を乗り換えた男」:終着の港

191010 監督:クリスティアン・ペッツォルト
出演:フランツ・ロゴフスキ
ドイツ・フランス2018年
*DVDにて鑑賞

久方ぶりに「映画館で見ておけばよかったと大後悔」案件に出会ってしまった。思えばハネケの『ピアニスト』以来である。
どうしてロードショー時に見なかったかというと、同じ監督の作品『東ベルリンから来た女』『あの日のように抱きしめて』は見ていた。しかし「面白いけど今ひとつ」な感じだったのである(特に『あの日』の方)。それで今回はどうしようかと迷っているうちに公開終了……と見送ることに。
とっころが(!o!)そういう場合に限って面白かったりするのだ。

冒頭、カフェで二人の男がドイツ語で会話している。その内容からどうもドイツからパリに逃げてきているらしく、ドイツ軍が迫りつつあるので新たな逃走先を探している様子だ。
となればこれは時代は大戦中、パリのユダヤ人の話かと思うが、人々の服装も街中を頻繁に疾走するパトカーも現代のものにしか見えない。

主人公の男はたまたま自殺した作家の遺品を手に入れ、その身分証や旅客船の切符を利用しようとする。そしてマルセイユに向かうのだった(これも命がけ)。
港町では国外脱出を図る人々であふれ、米国の領事館ではビザを得ようと長い行列が待っている。時間だけが経つ。残された時間は少ないというのに。
そこで、別れた夫を探して街中をさまよい歩く女に出会うのだった。

原作はユダヤ人作家によって1942年に書かれたにも関わらず、背景である街並は現在のものである。従って過去の話ではなく、新たにこれから発生する難民問題を近未来的に描いているようにも見える。

さらに不思議なのは、語り手のナレーションと映像の描写が異なることだ。
全てを観察しているとある登場人物が語り手で、「その日はすごく寒かった」と語っているのに映像では初夏の日差しで人は袖を腕まくりして歩いている。「二人は熱烈なキスを繰り返し」とあるが、彼らは喋っているだけだ。あるいは既に知り合いである親子について、初めて会ったような説明が入る。
そのような矛盾した語りが幾度も挿入されるのだ。これは恐らく原作の文章から取っているのだろうが、映像との齟齬が強烈な違和感を生む。ほとんどめまいに近い感覚である。

明るい陽光の下、大きなトランクを転がす観光客たちが闊歩する。窓から臨む輝く青い海と高層ビルそして客船、バルの外の舗道を行き交う乗用車--ここに何かが起こっているとは到底思えない。
しかし明るい港町は同時に暗い迷宮であり、主人公はその地を亡霊のようにさまよう。彼が隠れるホテルは沈鬱で、国外へ逃れようとする人々が絶望と共に息を潜めて待つ。何を待つ?--破滅なのか。この落差は大きい。
不穏、不穏、いずこにも不穏さが充満している。そこから逃れようはないのだ。

遂に町へ侵攻してきたドイツ軍は、同時にテロリストを捜索する警官のようにも、また反政府デモを鎮圧に向かう機動隊のようにも見える。もはや区別は付かない。
だが、それらの全ては明晰で影一つない風景の下で起こるのである。

それにしても終盤の展開には意表を突かれた。ええーっ(>O<)と驚いてしまった。加えて、断ち切られたようなラストがまた衝撃。その後のクレジットにかかるトーキング・ヘッズが明るい曲調にも関わらず(歌詞の訳が付いててよかった)ますます不安をかき立てる。
とにかく全編緊張感に満ちていて目が離せなかった。

さて、船旅で脱出がダメならピレネー山脈を越えるルートがあるというセリフが出てくるが、ベンヤミンは実際に米国へ渡航しようとするもビザが下りず、徒歩でスペインに向かうが国境で拒否されて山中で自殺したそうである。

主演のフランツ・ロゴフスキは見ただけでは思い出せなかったけど、ハネケの『ハッピーエンド』でプッツン息子をやってた人。あのカラオケ(?)場面には笑った。
『希望の灯り』では内向的で地味でサエない若者だったが、本作ではもっとアクティヴで外見もスッキリしていて別人のようだ(同じ顔なのに)。ただ、双方とも人妻を追いかけるという点では似ている。
出演作まだ4本? 今度は全く違う役柄で見てみたい。今後の注目株だろう。
相手役のパウラ・ベーアは、同じ監督の過去作に出ていたニーナ・ホスに似ているような。

思えばデュラス原作の『あなたはまだ帰ってこない』と、この映画は表裏を成しているようだ。『あなたは~』ではパリが舞台で女が捕らえられた夫を探してさまようが、こちらはマルセイユで夫を捜し回る女を、さらに主人公が追い求める。
ただ前者はフォーカスをぼかしたり鏡を使うなど凝った映像で幻惑する女の心理を表していたのに対し、こちらは明るい陽光の下、鮮明な光景の中で全てが繰り広げられる。
いずれも戦争の混乱の中で現実が溶解していく。両者を見比べてみるのもいいかもしれない。

最初に書いたように、大きなスクリーンで見たかった--特に明るく迷宮的な町並の映像を。
一方でDVDなら不明に思った所を何度も後戻りして見られるから、このような謎めいた構造の作品を見るには向いているとも言える。
よく映画館でリアルタイムで見てて分からない部分があったりすると「TV放映かDVDでまた見直すぞー」と思うんだけど、実際に見直すことはほとんどないからね(+_+)

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2019年8月30日 (金)

「ホワイト・クロウ 伝説のダンサー」:壁の西側へ跳躍せよ

190829 監督:レイフ・ファインズ
出演:オレグ・イヴェンコ
イギリス・フランス2018年

冷戦時代、ヌレエフ亡命の顛末を描く。単なる「事件」ではなく、貧しい少年時代、バレエ学校、パリ公演の3つの時代を並行しつつ彼の内面に迫っていく構成だ。注意深く見てないと学校時代と公演直前がゴッチャになる可能性がある。

彼の強烈な自負心と背中合わせの劣等感に驚かされる。ただ、実際のヌレエフは憎めない「人たらし」だったようで、そこら辺の描写はあまりない。
それと、セクシュアリティの描写は妙に曖昧なのはどうしたことよ。ホモセクシュアルだったのは公然の事実のはずだが、ぼかした表現しか出てこない(下着姿で友人と二人でいる、など)。
それなのに師匠の家(狭い)に居候させて貰ってるうちに、奥さんと……のくだりはやけにハッキリ描いている。
師匠役のレイフ・ファインズが心なしか嬉しそうに「寝取られ亭主」役を演じているように見えるんだけど(^0^;)

華やかな舞台と裏返しとなる反復する練習と脚にきしむ床の描写が頻繁に入り、「ダンサーはつらいよ」な側面も忘れていない。
絵画を連想させる映像も印象が強い。実際にルーヴルに展示されている絵画もそうだが、明らかにハンマースホイ(ハマスホイ?)を意識した部屋の光景も登場する。映像に関してもファインズは監督としての力量を示したといえるだろう。

主役を演じているのはダンサーから抜擢された若者とのことだが、目ヂカラがすごい。
子ども時代の少年は顔立ちが似てるので選んだのかと思ってたら、最後にちゃんと踊った(カワイイ)のでこれまたビックリよ。
あのポルーニンも役柄自体は端役だけど登場する。単独で踊る場面があり、またサービスショット(!o!)も登場するので、ファンは要チェックであろう。ポルーニンも役者志望らしいが、彼が主役ではなかったのは目ヂカラ💥が足りなかったせいだろうか。
あと、女友達役のアデルも魅力大(*^^*)

それにしても花の都パリ✨である。ハイカルチャーからアンダーグラウンド、聖と俗(クレイジー・ホースも登場)入り交じり混在する都市、なるほど親も祖国も捨ててもいいと思うかもしれない。地下酒場の歌の場面など音楽の使い方もうまい。
レイフ・ファインズにはこれからも役者と監督の両刀で活躍して欲しい。

芸術満載の世界から終盤は、亡命騒動でいきなりハラドキのサスペンスに。KGBのおぢさんはあの後、責任を取らされてシベリア送りになったりしてのだろうか(汗) 宮仕えもつらいよ。一方、空港警察のおぢさんたちはノンビリしてるようで小粋。お国柄ってヤツですかね。
ヌレエフの亡命についてよく知らなかったのだが、『アラベスク』の第2部はこの事件をふまえてこそ描かれたのだなあと、今更ながらに実感した。

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2019年8月26日 (月)

「マルリナの明日」:首なき暴走

190826 監督:モーリー・スルヤ
出演:マーシャ・ティモシー
インドネシア・フランス・マレーシア・タイ2017年

予告を見てなんじゃこれは?と仰天して見に行ってしまった映画である。
舞台はインドネシアのとある島。荒野の一軒家で細々暮らす未亡人がいる。これが、この島の風習らしいのだが、なんと亡くなったダンナはミイラになって同じ家の中にいるのであった(~o~)
それに目を付けたならず者の一団、乱暴狼藉を働き大事な家畜を奪ってしまう。しかし、彼女はレイプ野郎のボスの首をナタでぶった切って反撃、証拠として警察に持って行こうとするのである。

予告ではてっきり「ガルシアの首」のパロディなのかと思ったが、実際見たらそういうわけではなかった。(邦題は意識してるよね)
女性監督による「インドネシアで女主人公でナタでウェスタンやって何が悪い」みたいな堂々たる開き直りだった。まこと天晴れな監督根性である。

バスも霞んで見える延々と続く広野、家に鎮座するミイラ、やる気ゼロの警察(これは日本も同じか)。馬の代わりにロバにまたがり、首を傍らにぶら下げて道を進む。
また途中で女の子(父親に酷使されているらしい)と水浴びをするつかの間の美しい叙情的光景もあり。

そしてラストは……うわ~(>O<) 果たして快作か怪作なのか。もう分かりません!
いやしかし、最後に女は勝つ! 女にとっては力づけられる映画に違いない(多分)。
それにしても出てくる男がどれもロクデナシばかり。唯一バスの運転手はワリを食ってかわいそうだった。

ただ、客席は女はほとんどいなくて中高年のオヤジさんばかり。なんでだ(^^?
キャプテン・マーベル』と並べて遜色ない「闘う女」映画に違いなし!

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2019年8月11日 (日)

「バイス」「記者たち 衝撃と畏怖の真実」:表裏なき戦い

190811 「バイス」
監督:アダム・マッケイ
出演:クリスチャン・ベール
米国2018年

「記者たち 衝撃と畏怖の真実」
監督:ロブ・ライナー
出演:ウディ・ハレルソン、ジェームズ・マースデン
米国2017年

イラク戦争を扱った二作が同時期に日本公開された。内容は一つの事象の表面と裏面を描いている。さて、どちらが表でどちらが裏かというと……。

先に見た方がいいのは『バイス』だろう。
ブッシュ政権下で副大統領を務めたチェイニーが主人公である。副大統領というとお飾り的ポジションかと思っていたら、彼については違ったらしい。「お飾り」のなのはブッシュ(息子)大統領の方だったのだ(!o!)

元々はチェイニーもどうしようもないダメダメ男であった。だが、しっかり者で優秀な妻に叱咤激励され尻をたたかれ真っ当な(「正しい」という意味ではない)政治家に。で……美談になるはずが、そこからまだ続きがあった。その道は地獄へ(当人ではなく国民が)。その行き着く先は戦争。911に乗じて石油利権獲得のためにイラク攻撃したのである。

有名な役者連が実在かつ健在の政治家を演じるというと、思い出すのはオリバー・ストーンの『ブッシュ』だ。全く同じ時期を描いているが、短期間で撮ったためかなんとなくワイドショーの再現ビデオ風だった。
一方こちらは「語り」が面白い。語り手の正体が謎で最後まで引っ張っていく。かと思えば寝室でシェイクスピアの台詞が出てきたり、エンドクレジットでひっかけがあったり。脚本でオスカー候補になったのは伊達ではない。おちょくりとシリアスが絶妙な配分具合となっている。

主演のクリスチャン・ベールもまたノミネートされた価値はある熱演だ。しかし、例のごとく体重大幅増強(20kgとか💥)で、一部に「C・ベールが実物に合わせて太ったり痩せたりするよりも、元から似ている人をキャスティングすればいいのでは?」という意見があるのも頷ける。(『ブッシュ』ではリチャード・ドレイファスだった)
妻のエイミー・アダムスやサム・ロックウェルの大統領も評判だったが、私が一番すごいと思ったのはラムズフェルドを演じたスティーヴ・カレルだ。物置みたいな場所で泣く場面にほとほと感心した。

なお臓器移植の話は『ハウス・オブ・カード』にも出てくるのだが、あの元ネタはチェイニーなのだろうか? だとしたら恐ろし過ぎである( ̄。 ̄;) そういや夫と妻の共謀関係という点も……。

エンド・クレジット始まったら帰ってしまった客が数人いた。まだオマケがあるので帰ってはモッタイナ~イ。最近の映画はうかつに帰れませんな。


『記者たち 衝撃と畏怖の真実』は『バイス』で政治家たちが暗躍していた時に、市民やメディアはどんな様子だったのかが分かる。
大手メディアが愛国心をあおり国民は熱狂--という中で、中堅新聞社の記者たちが地道な調査報道を続けて事実を暴く、というこれまた実話である。

監督のロブ・ライナーが怒りの自作自演(演出&出演)しているだけあって、不正告発はストレートに伝わってくるが、91分で伝えるイラク戦争の真実、みたいな調子で旨味に欠ける。しかも、ある程度予備知識が無いと何が起こっているのか見ててよく分からないというトホホ(+_+)な状態になるのであった。日本人だと予習が必要だ。従って『バイス』の後に見た方がわかりやすいということになる。
こちらも豪華出演陣なんだけどねえ。

そもそも政治ネタの調査報道なんて地味なものだからあまり映画向きの題材ではない。それを考えると『大統領の陰謀』はよくできていたなと思う。
ジャーナリズムや米国現代史に興味ある人、あるいは主役二人のファンにはオススメか。
音楽がどこかで聞いたような気がすると思ったら、『ハウス・オブ・カード』のジェフ・ビール担当だった。

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2019年6月29日 (土)

ルース・ベイダー・ギンズバーグ祭り「ビリーブ 未来への大逆転」&「RBG 最強の85才」

190629a「ビリーブ 未来への大逆転」
監督:ミミ・レダー
出演:フェリシティ・ジョーンズ
米国2018年

85歳にして米国の現役最高裁判事、女性では史上二人目だというルース・ベイダー・ギンズバーグ。その人生をたどる。
法律家を志し名門ハーバード大学院に入学するも、なんと当時の女性の割合は0.1パーセント以下。しかし、家事が彼女より得意な夫と共に家庭を築きつつ首席で卒業。
だが、どこの法律事務所も女を雇ってはくれなかったのである……。仕方なく大学の教員業に。

伝記ものの問題は、大きな功績を成し遂げた人物が波乱万丈な人生を送っているかというとそうとは限らないことだ。
画期的な裁判を勝ち抜いてきたとはいえ、殺人事件のような犯罪ではなく行政訴訟の類いだから、衝撃の事実が今明らかに(!o!)なんてことはなく、あくまで弁論で進行する。しかもすこし気が緩むと「あれっ、今なんて言ってた?」てな字幕見逃しが頻発するのだった。

娘との世代対立など盛り込むも、監督の演出は一本調子でメリハリに欠ける。内容からして客は女性が多いのかと思ったら、意外にも中高年男性がほとんど。どうも社会派映画だと受け取られたらしい。後ろの席ではイビキが聞こえ、近くの高年男性は途中で帰っちゃった。
主役のフェリシティ・ジョーンズは「よくやってる」感はあるけど、実際のご本人はもっと興味深い人物なんじゃないの💨などと思ってしまった。むしろ家事でも仕事でも妻を支える優れものの夫役アーミー・ハマーの方が、好感ポイントが上だったのは仕方ないだろう。

個人的には、大学の授業で取り上げられた事件の判例の一つが少し前に日本で起こったのと似ていて(ひどいDVを夫から受けていた妻が逆襲したのを、罪を問われる)、性差別案件は米国の50年遅れなのが分かってガックリきた。

既に今年の最凶邦題賞に決定確実なタイトルであるが、「ドリーム」「ビリーブ」と来て……次は「トラスト」かな。長音入るなら「スピーク」「ウォーク」あたりか。


190629b「RBG 最強の85才」
監督:ベッツィ・ウェスト、ジュリー・コーエン
出演:ルース・ベイダー・ギンズバーグ
米国2018年

さて、そのRBGご本人を取材したドキュメンタリーである。
アカデミー賞では長編ドキュメンタリーと歌曲の2部門でノミネート。さらにMTV映画賞ではリアルライフ・ヒーロー賞に加え、格闘シーン賞「ルース・ベイダー・ギンズバーグ対不平等」👊でも候補になるという評判ぶりだ。

冒頭彼女の大衆的な人気の高さが描かれる。若い女性を中心に支持され、グッズが作られ、SNLでもネタになるというぐらいキャラクター化しているのだった。これはトランプ以後に最高裁判事(大統領が任命する)のリベラル×保守の比率を彼女の存在が握っているという理由もあるだろう。とにかく日本では想像も出来ない人気なのだ。(その分、毀誉褒貶が様々にあって大変そう)

その半生は『ビリーブ』で描かれたのと大体重なる。そして肝心の本人は、小柄で特徴ある華奢な声で穏やかに喋る。予想より遙かに静かでチンマリとした外見。ただし、弁舌を振るう時を除いて、だ。
彼女の人物像を語る人々としてビル・クリントンやグロリア・スタイネムも登場するとは知らなかった。

しかし、さらに予想を裏切ったのは夫マーティンであろう。映画で好評だったアーミー・ハマー版よりももっとユーモアあって楽しい好人物だった(料理得意なのは事実)。こういう人が共にいたから先駆的な活動が出来たのだなあとヒシ感じた。
というわけで、やはりフィクションより実物の方が面白かったのだった。

マスコミやTVで騒がれていることについて、娘と息子が「母は家のTVの付け方知らないはず」と言っているのには笑ってしまった(*^O^*)

なお、取り上げられている裁判例の一つに、妻を早く亡くした夫が子育てをしているのに男は育児手当を貰えないのはおかしいと行政を訴えたものがあった(映画だと介護手当になっていた)。その夫は「男性差別」だとG・スタイネムに文句を言っていたけど、それはお門違いであろう。
そもそも男女の伝統的な性別役割分業に基づいて、当時は「介護や保育は女の本能であり、男のやることではない」「男であればそんなことはしない」「そんなことをする者は男ではない」という観点から手当は女にしか支給しないと決められたのである(それを決めたのも男であろう)。そしてそのトバッチリを受けたわけで、根源は男女の格差なのだ。

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2019年4月10日 (水)

「バハールの涙」:ノー・ウェイ・トゥ・ヘヴン 男子無用の戦場

190410
監督:エヴァ・ユッソン
出演:ゴルシフテ・ファラハニ、エマニュエル・ベルコ
フランス・ベルギー・ジョージア・スイス2018年

2014年、フランス人女性ジャーナリストがシリアでクルド人の女性兵士たちを取材する。彼女はそこでバハールという女性部隊の隊長と知り合い、戦闘地域へと赴く。
バハールの語る回想と現在の戦闘が交互に描かれる。

回想部分は過酷な場面が続く。バハールは自らも職業を持ち夫と息子と暮らしていたが、ISの襲撃によって成人男性は全て殺され、女は奴隷として売られることになる。
これが捕虜とかではなく、文字通り「奴隷」制度でありIS勢力の個人の家に売られていく。しかも奴隷市場で最も値段が高いのは彼女のような大人ではなく、少女だというのだ。ええーっ(>O<) どこの国でもお下劣野郎が考えることは同じだぜ💢

そして臨月の妊婦を連れての逃走劇。そこでの「人生で最も重要な30メートルよ!」は心を刺すセリフだと誰もが思うだろう。

戦闘場面もまたかなりの迫力である。イスラム教徒は「女に殺されると天国に行けない」と信じているとのことで、女性部隊が先頭に立って突進する。
興味深かったのは、戦闘で死んだばかりの敵兵士が持っていたスマホに電話がかかってきて、その男の兄と会話するくだりである。いかにもネット時代の殺伐とした状況だ。

バハールの瞳は常に悲しみに満ちているが、一旦戦闘となれば鬼神の如く容赦がない。演じているゴルシフテ・ファラハニは『彼女が消えた浜辺』で奥さん役やってた人だよね。心打たれる好演です。

一方で、女子の部活合宿を思わせるような女性兵士たちの日常あり、また夜間の爆撃シーンの壮絶な美しさ、湧き上がる噴煙の不思議な造形など引き付けられる描写も多い。
物語は壮絶だが、全て淡々としている。無機的な音楽も良い。

ただ、映画の宣伝でジャーナリストの存在についてほとんど触れられていないのはなぜだったのか。取材中に片目を失い、地雷で同じくジャーナリストの夫を亡くしたというやはり壮絶な人物(複数のモデルがいるとのこと)なんだけど(?_?)
ノーベル平和賞のナディア・ムラドに関連させてさかんに宣伝してたから、そちらは言及しなくてよいと判断したのだろうか。
彼女の役柄については桜井一樹が、「敵」と同時にさらに別の第三者の存在が物語を強靭にしていると書いていたのが、大いに頷けた。まさに彼女は不必要ではなく、いなくてはいけない存在だったのである。

なお、逆ベクデル・テストはパスしない(多分)。男性だけで会話する場面がほとんどないからである。

見てて疑問だったのは、主人公はイスラムではなくヤズディ教徒なのだが、戦闘中で敵から同じ部隊の兵士が「異教徒め」と罵られると、その兵士は「ばか、私はイスラム教徒だ」と答えたこと。
ISに奴隷にされていた女性を集めた部隊だから、宗教混合部隊とかあるのかね? ちょっと考えられない。
それとクルド語で自爆兵のことを「カミカゼ」と言っていたのは驚いた。日本スゴイ……のか💧

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2019年2月20日 (水)

「ホイットニー オールウェイズ・ラヴ・ユー」:成功と醜聞は表裏一体

190220a
監督:ケヴィン・マクドナルド
イギリス2018年

ホイットニー・ヒューストンといっても、活躍してた当時は歌手としてはあまり関心がなく、ラジオやMTVでよくかかっていたのを漠然と聞き流していた程度だった。
個人的には音楽面より映画『ボディガード』の出演がハマリ役で印象が強い。ただ、ケビン・コスナーの方が株の上昇度は大きかったかも(人気が決定的となった)。
従って、その後のスキャンダル(夫のB・ブラウンがらみ)や2000年代に入ってからの凋落ぶり、さらには突然の死についてもあまりよく知らない。風の噂に聞く程度であった。

そんな彼女の生涯についてのドキュメンタリーである。監督のケヴィン・マクドナルドは『ラストキング・オブ・スコットランド』で知られるようになったが、過去にドキュメンタリーもよく撮っている。実は見たのも忘れていたのだが、『敵こそ、我が友 戦犯クラウス・バルビーの3つの人生』が、今回の作品に一番近いかも知れない。

ホイットニーと言えば、モデルやっていたというぐらいの容姿で、周囲に母親や親戚のディオンヌ・ワーウィックなど歌手として活躍してる者も多いということから、てっきり音楽ファミリーのサラブレッドのような印象を持っていた。しかし実際は全く違っていた。
母親はバック・ヴォーカリストとして巡業の日々で不在、子どもの頃は兄弟と共に他の家へ預けられていたというツラいものである。

ようやくレコードデビューを果たすも、回りは猛母、金に細かい父(マネージャーをやっていたが決別)、ダメ兄とドラッグ兄に囲まれ、結婚したボビ夫はDV野郎であった。
そんな身近な人物のエピソードをインタビューによって容赦なくほじくりかえしていく。ナレーションもなく後は過去映像をかぶせるぐらい。まことドキュメンタリーのお手本のようで、その容赦ない手腕に感心する。これで遺族公認とは驚いてしまう。

いくら稼いでも周囲に金がジャブジャブと流れ出していき、父親とは訴訟騒ぎ、無二の親友とは結婚後疎遠に、タバコにドラッグ、一人娘は不安定、歌唱力も低下--と全てが悪い方向に転がっていくのであった。

2時間強の長さだが途中でだれることもなく、最後に衝撃の事実に至る。これは米国で出ている伝記本にも書かれたことがない話らしい。見終わった後なんともいえない気分になった。

『ボディガード』で彼女には輝かしい華があったのは確か。日本でも大ヒットして満員のロードショー館で見た。あのイメージが残っている。
考えてみると、ミュージカル出身以外の歌手で当時映画に出て大成功した数少ない例かも知れない。プリンスもマドンナもうまく行かなかった。音楽と映画の両方で活躍する人はいるが、どちらか片方にギャップがある。最近ではレディー・ガガくらいだろうか。
なお、あの大ヒット曲「オールウェイズ・ラヴ・ユー」は実はカントリー・ソングで、最初に作曲して歌ったのはドリー・パートンだったそうだ。小林克也の番組でD・フォスターが話しててビックリ。知らなかった

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こうして見ると、彼女の生涯はほとんど「山岸凉子」案件だと気付いた。山岸マンガの登場人物に彼女はピッタリと重なる。猛母、強権父、家庭の不和、DV、児童虐待、離婚などなど、短編でもよく取り上げられた要素がテンコ盛りである。そのまま山岸凉子が彼女の伝記を描いてもおかしくないほどだ。

多くの山岸作品では、特別な能力を持つ天才や異才が共同体の中で自らの力を発揮しようとして成功する、あるいは挫折するという構造が中心となっている。その行く手を阻むのは共同体内の軋轢であり、決して同等の才能を持つライバルではない。
かつて、橋本治はそれを「主人公とその従者」という観点で分析したが、後の作品からは「従者」がいなくなってしまった。
今連載中の『レベレーション』でも主人公のジャンヌ・ダルクを支える従者はいない。これから火刑に向かって暗い坂を転がり落ちていくだけのジャンヌの姿に、ホイットニーが重なるのである。

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2019年2月 8日 (金)

「メアリーの総て」:美女と怪物 天才と俗物

190208
監督:ハイファ・アル=マンスール
出演:エル・ファニング
イギリス・ルクセンブルク・米国2017年

言わずと知れた「フランケンシュタイン」の作者メアリー・シェリーが、作品を生み出すまでの物語。といっても執筆したのは18歳(これでホラーとSFの元祖な小説を書くとは大したもん)という若さなので、その描かれている年数自体は短い。

ここでの若きメアリーはヒラヒラした長い金髪で、墓地で墓石に寄りかかって夢見るように文章をノートに綴る--と、これぞ文系女子の憧れを凝縮させた姿で登場(#^.^#)
父親は堅実な文化人ながら義理の母親とはうまく行かず。悶々とする彼女の前に現われたのが今を時めく詩人のシェリー--なのだが、どう贔屓目に見ても「ちょっと、そこのお嬢さん、そいつ絶対ボンクラ男だからやめとき」とオバサンモードになって小一時間は説教したくなるようなヤツなのだった。

従って、見ててメアリーが一体彼のどこに惹かれたのかよく分からない。「シェリーはシェリーだからいい」としか描かれていない。極端に言えば、家から連れ出してくれるなら誰でもよかったんじゃないのと思っちゃう。
彼に付いて行ったはいいが金が尽きるし、悪い友人が出入りするしで散々である。

一緒に家出した義理の妹クレアの縁で、バイロンの別荘へ。この状況に集う三人の男を紹介すると--
*バイロン:軽薄でムラ気、何も考えていない。
*シェリー:言葉だけで実(じつ)がない。
*ポリドリ:真摯だが面白みがない。
となる。
点数付けると、外見・性格を共にポリドリが一番になっちゃうのが困ったもんだ。
伝説化したあの「ディオダディ荘の怪奇談義」もなんだかよく分からないうちに、バイロンにまとめられちゃって終了である。
全体的に直球過ぎてひねりなし、盛り上がりに欠けたままだった。かなりの長さのはずの『フランケンシュタイン』もあっという間に薄いノートに書いちゃうし、夫のシェリーも改心しましたよ\(^o^)/で終了--ではなんとも面白味に欠ける。

ロクでもない男たちに邪魔されつつも、なんとか『フランケンシュタイン』出版にこぎつける彼女の才能と努力を称揚し、女性パワーを描くのはいいけど、その割にはクレアの描き方はひどくないか? メアリーにくっ付いてるだけの、まるっきり粗忽で愚かなミーハー娘扱いである。

監督はサウジアラビア映画『少女は自転車にのって』のハイファ・アル=マンスールである。
えー、母国出てこういう作品を撮ったんだ。男に行動を妨害されても頑張る女を描くという点では一致しているかもしれないけど……。

エル・ファニングは18歳の閨秀作家(←死語)という年齢的にもピッタリな役であった。美少女だし ポリドリ役はただ今『ボヘミアン・ラプソディ』でも評判のベン・ハーディ、好感です。

なお、この映画を見た人は是非ケン・ラッセルの『ゴシック』も見ていただきたい。何せ、こちらはバイロンがガブリエル・バーン、シェリーがジュリアン・サンズだっ ポリドリ役のティモシー・スポールは残念無念だけどな。
『ゴシック』は一度目は恐怖におののき、二度目以降は笑えるという一粒で二度おいしい作品であるよ。ただソフト出ているか不明……(ーー;)

なお「『フランケンシュタイン』は過去の名作をつなぎ合わせただけの小説だ」というような意見を見かけたが、過去の映画をパクリまくってつなげたような作品で評価を得た映画監督もいるんだから、いいんじゃね=^_^=

190208b

←やはりビデオ再生専用機、買うべきか。

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2019年1月17日 (木)

「バーバラと心の巨人」:ウサ耳付けても心はホラー

190117
監督:アンダース・ウォルター
出演:マディソン・ウルフ
米国・ベルギー・イギリス・中国2017年

原作はグラフィック・ノベルとのこと。
海辺の町に住む孤独な少女が、迫りくる巨人とたった一人で戦う。ただし、その巨人は彼女にしか見えないらしいのだが……。

これってモロに『怪物はささやく』ではないですか(!o!) 映画は見てないが原作を読んだ。
『怪物』の方は主人公の少年は小学生高学年ぐらい?だったと記憶しているが、そのあたりの年齢なら巨人を信じていても納得できるが、こちらは高校生ぐらいだからちょっと無理がある。
そのせいもあってか、現実と幻想の境界が曖昧としていく恐ろしさの描写がうまく行っているようには見えなかった。本当ならゾクゾクするような迫力があっていいと思うのだが。
主人公の観点からホラーファンタジーのように描くか、友人から見たリアル視点そのままにするかどちらかに寄った方がよかった。
また、邦題がネタバレではないかという意見もあり。(原題は「私は巨人をぶっ殺す」)

保護者代わりのお姉ちゃんは働くのに忙し過ぎて構ってもらえない。兄は自分勝手。そういう寂しい境遇の女の子に共感する人には向いているかも。
あと、主人公はウサギの耳を付けた不思議女子。何やら風変わりでカワイイ小物を防壁のように自らの世界の周囲に置いている。その手のスタイルに憧れる女子も多いだろう。

学校カウンセラー役のゾーイ・サルダナと、くたびれた姉役のイモージェン・プーツが手堅く好演であった。

ところで一つ疑問なんだけど、最初の方に兄が友人とゲームして騒いでいる場面があった。でも、あの状況でやりますかね?……(@_@;)


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2019年1月 5日 (土)

「2001年宇宙の旅」IMAX版鑑賞記

190105
国立映画アーカイブでの70mm版は見事チケットを取り損ねたので、代わりにIMAX版を見に行った。大きなスクリーンで見られるのもこれで最後かもと思ったのである。以前に行ったのは多分10年ぐらい前の新宿プラザでの最終上映だった。

実はIMAX自体、見るのが初めて。確かにスクリーン巨大だし、本編前にかかった予告の映像を見ると、鮮明だし立体感もかなりのもんだ。
事前にスクリーンに対して画面の比率はどうなるのか、などという論議があったが(設定によって端が欠けてしまう)、タテヨコ比はほぼ70mm版と同じ。色彩は記憶の中のオリジナルに近いものだった(と思う)。

行ったのは平日の昼間だったが、年寄りだけでなく各年齢層の人が来ていた。レディースデイのせいか若い女性も多かった。
昔は(今も?)「女は2001に興味を持たない」言説が横行していたが、これが間違いであることは明らかだろう。

上映手順はキューブリック指定通りに行われた。予告の後に黒画面でオープニングの音楽が流れ、休憩は15分。終了はやはり真っ暗画面で追い出し音楽が流れる。そこまで残って最後の白黒ロゴまで見ていた客は、さすがに十数人だった。
なお、私の記憶ではこの上映手順を守るようになったのは2000年代に入ってからではないかと思う。それまでは休憩もなかったし、オープニングとラストの音楽の時は客電が付いていて、私はてっきり劇場側がサントラを流しているのだとばかり思っていたのだ。

さて、映像が鮮明になることで却ってあらが見えるのではないかという噂があったが、確かにこれまで気にならなかったスクリーンプロセスとそうでない部分の差が分かるし、地球の映像も平坦気味に見えた。
でもロープとかワイヤとか余計なものはもちろん見えなかった。あ、当時からZ級SFだと見えてましたよね(^◇^)
一方でラストの寝台上の胎児の眼がかすかに動くのをようやく確認。もっとも、これは今まで私が注意不足で気付かなかっただけかもしれない。

残念ながらシネラマに比べて奥行や立体感に欠けていたように思う。これは多分、いま製作されるIMAX用の映画なら効果を発揮するのだろうと思うが、「2001」にはあまり効かなかったようだ。

音響は高音も低音もクリアで、そもそも音量が大きく設定されていた。意外にも音楽の弦の音が潰れて聞こえて、ノイズも感じられた。これはそもそも使われている音源が古いのだから仕方ないのか。それとも昔の映画館はそんなデカい音を出さなかったから、気にならなかったのかね。

字幕では問題の「ハルも木から落ちる」がやはり使われていた。オリジナル公開時とは異なっていて、なんでも2001年記念興行の際に新訳になり、その時から使われているそうだ。全くふざけている オヤジギャグと核兵器は地球上から殲滅したい。
ちなみに、少し後にNHK-BSで放映されたヴァージョンでは新しい字幕が付けられていた。確か女性の訳者だった。
HALがボーマンの絵を見ながら会話する場面も、これまでとは微妙に訳が違っていてこの時点のHALの意図も異なって感じられた。もう一度確認したかったが、録画してなかったので残念(ーー;)
ただ、このNHK版は色彩がかなり変わっていた(モノリスが紫っぽかった!)のでオススメはできない。

HALの意図と言えば、昔から「HALはボーマンに惚れていた」とか「嫉妬してプールを殺した」等の説は存在した。別に今に始まったことではない。柴門ふみが別名で某雑誌にそういうパロディマンガを描いていたこともある。まあ、それが一番手っ取り早い解釈だろうな……(*_*;

私が最初に見たのは(歳が分かるが)公開10年後のリバイバル時、テアトル東京でのシネラマ上映である。この頃のロードショー館は入替制もなく、自由席だったので、昼食用のサンドイッチと牛乳を持って午前中に入り、一日中繰り返して観るなんてこともやった。さっき右側から見たから今度は左寄りの席に行こう、なんて(^^ゞ

当時はHALが人間のような口をきくと会場から笑いが起こったものだ。今やAIが流行していて、時代は変わった。--というより時代が追い付いたのか。

今回あらためて気づいたのは、HALが情報を出力したのがパンチカードだったことである。そう言えば、光瀬龍のSFでも人間の情報がパンチカードで記録されていた。
今考えると、えーっパンチカード(!o!)となってしまうが、60年代末のTVシリーズ『プリズナーNo.6』ではコンピューターの出力は紙のパンチテープだった。そういう時代である。この手のメディアを予測するのはいかに難しいことか。『2001』で一瞬しか映らなかったのは幸運である。
それを考えるとフロッピーディスクの発明は画期的だったわけだが、そのフロッピーも若い人には「なんですか、それ?」物件だろう。

それから、思ったのは結構「分かりやすく」作ってあるということ。こう言うと、どこが分かりやすいと思うだろうが、取り上げてるテーマやメッセージは難解だが、その見せ方はそうではない。モノリスの場面は登場する度に同じ音楽が流れ惑星が直列し--とボーっと見てても何かが起こるというのが必ず分かるようになっていて親切なのだ。

それから、ラストのスターゲイトを出た後のホテル場面、ここは視線の切返しが重要になっている。ポッドの中のボーマンが外にいる自分を見た瞬間にそれまでの彼は消滅する。その後は毎回「見た側」が消える。この繰り返しである。
この「視線」は短いカットと同化している。最後にモノリスを見た彼は、モノリスから見返された時に胎児に変貌している。ここを長回しで撮らないキューブリックはダメだという意見を見たが、とんでもない。それまでと同様にカットの連続でつないでいかなければ意味がないのだ。
そして、ラストに胎児が見るのは地球--かとこれまで思っていたのだが、そうではなくスクリーン越しに観客の方を見たのだ。となれば、最後の最後に胎児は消滅して観客が残ることになる。なんたること、今頃気づくかよ(>O<)である。

次にIMAX版で見たいのはなんといっても『バリー・リンドン』である(そもそもデジタル化されているのか?)。「映画カメラマンに聞くイチ押しのキューブリック作品は?」というと、これが一位になるらしい。
あの、照明がローソクだけの場面を始め、映像がどんな風に見えるか。でも、興行的にはサエなかった作品だから無理でしょうな……。


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