映画(タイトル「ナ」「ハ」「マ」行)

2018年8月23日 (木)

「マルクス・エンゲルス」:ジャスト・ザ・トゥー・オブ・アス 萌える革命

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監督:ラウル・ペック
出演:アウグスト・ディール、シュテファン・コナルスケ
フランス・ドイツ・ベルギー2017年

flairマルクス生誕200年ですよ。原題は「若きマルクス」で邦題は「マルクス・エンゲルス」。当然『マルクス=エンゲルス全集』があるんで、こういうタイトルになったんだろう。しかし、これだとフ女子ならずとも「で、どっちが攻めでどっちが受けなんですか~(^^?)」と質問したくなるのは仕方あるまい。

実際、見てみるとそういう内容……ではもちろんないsign01
19世紀中ば、若いマルクスはドイツで政治活動のため検挙→パリで出版事業、エンゲルスと意気投合→退去命令を食らってベルギーへ→食い詰めて英国にも出没する。
貴族出身の奥さんを伴い(駆け落ち?)子どもも生まれるが、常に生活不安定。

エンゲルスは金持ちのブルジョワの子弟で、英国では工場の運営を任される一方で、階級搾取問題に目を向ける。
私生活はぶっ飛んでいたもようで、伝統的男女関係なんかは無視である。さりげなくマルクスの金銭的援助もしたりする。

二人とも若いんで思想的師匠や政治活動の先輩にケンカ売ったり、豹変したり、暴走気味だ。そんな彼らが欧州を行きつ戻りつしながら、政治結社「正義者同盟」の内部抗争に打ち勝ち「共産党宣言」へと至るまでを描く。ヤッタネpunchと喜びに燃えたくなる。

ただ、ヤクザの抗争とは違ってそれほど起伏ある物語とはならないため、なんとかメリハリをつけようと苦労している様子がうかがえた。最初の方のベッドシーンはなくてもいいんじゃないの?という意見に、私も賛成である。
マルクスの奥さん(ヴィッキー・クリープス好演)は同志的存在で、討論などに加わって堂々と意見を述べている(エンゲルスのパートナーのバーンズも同様)のは、そうだったのか!と驚いた。女はすっこんでろい<`~´>とか言われないのね。
ハリウッド映画ではないので、作中で使われている言語はそのまま独・仏・英三か国語が入り乱れる。ま、日本ではそのまま全部字幕だからあまり齟齬を感じないがsweat01

エンディングは突如ボブ・ディランが流れて、歴史物から急に現代へと直結するのが新鮮だった。
監督のラウル・ペックは日本で同時にドキュメンタリーの「私はあなたのニグロではない」も公開されるという珍しい事態。私は、ディランが最後に流れたのを取り違えて書いてしまった。こちらの方でしたな(^^ゞ
作った作品数は少ないが、今後も注目の人だろう。
岩波ホールは珍しく(!o!)若い人もかなり来ていて混んでいた。

エンゲルス役のシュテファン・コナルスケは青い瞳が大きくキラキラshineしていて、何やら熱に浮かされたように人を引き込む魅力がある。マルクスが意気投合して思わず額にキスしてしまうのもむべなるかな、という感じだ。実物のエンゲルスもこんなだったのだろうか。
というわけで、やっぱり「どっちが攻めでどっちが受けなんですか~(>O<)」と聞きたくなってしまうのであるよ。


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2018年8月12日 (日)

「フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法」:プロミスト・ランド おかあさんといっしょ

監督:ショーン・ベイカー
出演:ウィレム・デフォー
米国2017年

フロリダのディズニーランドのすぐそばに安モーテルあり。外壁はディズニー風味でキラキラした色に塗られているが、住民の実態は支援団体の食料無料配布車が回ってくるほどに貧しい。観光客を乗せた航空機がひっきりなしに行き交い、その落差が甚だしい。
日本だとモーテルは一時的な宿泊と思うが、かの国では常泊している人が多いそうなのだ。

そんな中に若い母親と娘がいる。母親の方は定職を持たず、その日暮らし。娘は小学校低学年だが、折しも夏休み、ご近所の悪ガキどもと一緒にやりたい放題に遊びまくる。
彼らを見守るのがW・デフォー扮する管理人だ。きちんと規則を守らせ、文句をつける時はちゃんと言うが、一方で施設の保守点検に修理をし、さらには子どもたちの安全にも目を光らせる。

--と、書けば連想するのがケン・ローチの『わたしは、ダニエル・ブレイク』である。
若いシングルマザーと保護的立場の中年男性という組み合わせは似ているし、特に母親がやる行動はほとんど同じと言ってよい。
ただ、ローチ作品の方は意図的に母親を真面目な人物で好感度高く描いているが、こちらの母親は正反対。無軌道で粗暴でプッツンしてしまう。若くて学歴も金も職もなく、やる気も持久力も持てないまま、貧困から抜け出せない。
幼い娘を愛してはいるが、母親もまだガキっぽさから脱していないのだった。

このような状況が、子どもたちと母親が遊び&暴れまくるシーンが続く中で、徐々に浮かび上がってくる。
正直なところ、この一連の「遊び」の場面は退屈だった。演じている子どもたちをそのまま遊ばせて撮ったっぽくて、メリハリなくただ長い(ーー;)
もちろん、この映画は好評で見た人の多くは面白かったんだろうけど、私個人からすればこれに付き合うのは退屈で疲れるという印象だった。

でも私は、珍しくアカデミー賞の助演男優賞に選ばれたW・デフォーを目当てに見に行ったのだよ。
いやー、彼の演技は素晴らしかったですよ\(◎o◎)/!
安モーテルでも完全に断固として管理しようと心を砕き、子どもたちには厳しくしながらもちゃんと見守る。しかし、一方でモーテルのオーナーには頭が上がらずヘコヘコとしてしまい、落ちてるゴミをコソコソと拾い集めるという正反対の態度を、矛盾なく演じていた。彼に助演男優賞crown取って欲しかったぜい。(あくまでも私見)

この映画の作り手は当然分かって描いているはずだが、いかに母親が娘を愛していようが彼女がやっていることは虐待と見なされるなるだろう。(だから、管理人は終盤で肩の荷を下ろしたように一服しようとする)

そんな、娘と母親の夢の世界は今や崩れた。そして……向かったのはファンタジーの国だった。このラストにはさすがに驚いた。
もうそこにしか彼女の行く場所はないのである。

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2018年6月19日 (火)

「ニッポン国VS泉南石綿村」:アンフェア・ジャッジメント 人生に控訴はない

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監督:原一男
日本2017年

原一男のドキュメンタリーというと、大昔『ゆきゆきて、神軍』を見たきりである。この最新作は上映時間が3時間半を超えるとあって、見るかどうか迷ったがエイヤッimpactという気合と共に行ったのであるよ。

取り上げられているのは2006年に大阪で始まった石綿(アスベスト)の被害者の訴訟である。建築に使われてきた石綿は吸い込むと数十年後に肺にガンなどを発症する。被害者は工場の労働者、その家族、周辺住民だ。
ただ、訴訟の相手はその工場ではなく、映画のタイトル通り国である。国は以前からその健康への影響がある事を把握していたにも関わらず、それを隠し無作為だったのだ。薬害エイズやハンセン病患者隔離問題と同様のパターンである。

集団訴訟なので原告の数は多いが、その中の十数人に取材あるいは密着していく。当人は亡くなって、遺族が加わっている人もいる。当時の工員には、遠い離島の村の住民や在日朝鮮人も多かった事が描かれる。

前半が人物紹介編だろう。その病状や参加した動機も様々である。
高裁で国は敗訴するが、控訴することを決定する。当時は民主党政権で、裏情報として当時の長妻大臣は反対だったが仙石官房長官が断固として主張して譲らなかったという話が流れてくる。そのため、最高裁へ。
しかし、その間も原告側からは死者が出るのだった。

後半は「行動」編というべきか。
訴訟団の団長が首相官邸へ直訴しようと新幹線の中で仲間に呼びかける。この場面について「原監督がたきつけたのではないか」という意見があったが、確かにかなりそれっぽいと思う。もはや取材を越えて「共犯」関係であろう。
このため、団長と弁護団のいさかいも発生。(心なしか、ここらあたりのカメラからは活気のようなものを感じるon

最高裁でも勝訴したはいいが、年数や立場などによって判決から外されてしまう人が数人出る。その一人(正確には遺族)が厚労省前でメガホンでを通して語る慟哭の訴えには思わずもらい泣きしてしまった。どのくらい泣けるかというと『リメンバー・ミー』に匹敵するぐらいであるsweat02(←しょうもない比較ですいません)

しかしその後、厚労大臣(この頃には自民党政権)と手紙のやり取りしたり面会して、その遺族はコロッと態度が変わってしまう。
観客の側から見てると「えっ!どうして?」と驚く。まこと、人間の行動と感情は度し難いものよ。矛盾のない人間なぞ、フィクションの中にしかないのだなあとつくづく感じたのだった。

国との和解(この場からは、団長と原監督は排除されてしまう)後に、監督は何人かに「不満はないですか」と聞いて回るが否定的な返事は帰ってこない。取材している監督の方の不満だけが伝わってくるようだ。

最後に大臣が大阪の患者の自宅へお見舞いに来る。大臣が間に合わず訪問した時点で、亡くなっていたのだが、その直後にメディアのインタビューに答えた患者の娘さんの感想が、淡々とシラけていてなんだか笑ってしまった。

見る前は上映時間長いと思ったが、実際に見てみるとそんなことはなかった。それよりも登場する方々が多いんで、老化現象でめっきり記憶力が落ちている私には覚えられなくて混乱。字幕で何回か出して欲しかった。(海外のドキュメンタリー見てると、既出の人でも字幕を出す)
「共犯関係」を隠さぬ原監督のドキュメンタリー、扱っているテーマは悲劇だが面白いとしかいいようがない。
なお、詳しい内容は《キリンが逆立ちしたピアス》で紹介されております。

それにしても「息を吸うことも吐くこともできない」とはいかなる苦しみであろうか。恐ろしくて想像することもできない。

石綿被害の訴訟は複数の地区で起こったが、その影響はあった。当時私の職場で自治体からビルの調査が来たのだ。調査、っても別に検査員が来るわけでなく、こちらの施設管理の担当者が目視するだけの話である。
確か、昭和40年代末か50年代に建てられたビルだが、当然石綿が使われている(この時代の建築物はそうらしい)。しかし「表面が塗り込められているから大丈夫」ということになった。
そうなると、もし地震や災害で倒壊・ひび割れなどあったらそこから石綿が出てしまうわけである。実質上の対策なしng さらに、床のピータイルも石綿が使われていて(これも時代によって異なる)、しかも古くて割れているのに、やはり「問題なし」で終了。ふざけるなと言いたくなった。


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2018年6月 4日 (月)

「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」:ハーストーリー 男たちと悪だくみ

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監督:スティーヴン・スピルバーグ
出演:メリル・ストリープ
米国2017年

事前の予告や宣伝だと、政府対新聞の衝突impactを描いた社会派映画という印象だったが、実際見たらそうではなかった。
むしろ突然重責を負わされた女性の戸惑いと葛藤がメインであった。

メリル・ストリープ扮するキャサリン・グラハムはワシントン・ポストの社主だが、元々はダンナが亡くなったために仕方なく引き継いだという経緯がある。1971年当時はメディアでそのような地位に着いた女性は皆無だったとのことだ。
経営に不安ある中、銀行が出資するかどうかという時に、ベトナム戦争について政府の不正を暴く文書を入手。編集サイドでは当然掲載したいが、そうなると法廷沙汰は避けられず、銀行は手を引くのが予想される。
彼女は役員会と編集側の板挟みになる。

セレブな私生活の中でもまだ男女の障壁が存在する時代であるのがさりげなく描かれ、ましてや公の場では……という時代、本来はエエとこの奥さまであったグラハムが断固とした決断下す経緯を描いていく。
裁判所を出た彼女を階段で若い女性たちが支持の眼差しで迎える場面に、監督の訴えたいことは端的に表れていると言えよう。
いやー、こんなに女性にエールを送っている映画とは予期しませんでしたよ(^.^)b

メリル・ストリープはもはやアカデミー主演女優賞に毎年特設枠を設けてもいいくらいである。トム・ハンクスも安定の演技だが役柄的にはやや助演寄りだった。

ひょいひょいと動き人物の関係と心理を表わすカメラワーク、家々に飾られた花々が微妙にその場の状況を示唆する、勇気を鼓舞して躍動する輪転機--など、もはやスピルバーグの演出は職人芸とも言うべき見事さである。これがトランプ出現後の米国に危機感を持って、短時間で撮られたとはとても信じられない完成度だ。

ラストは、続いて起こったウォーターゲート事件を描く『大統領の陰謀』へと完全に重なるのであった。
見ていて、現在の日本と重なる部分多々あり。とても他人ごとではないtyphoon しかし、今の日本のメディアには期待できないのであった(+_+)

とはいえ、スピルバーグの天才は疑うところはないけど、やっぱり『大統領の陰謀』の方が面白いよなあ、などと思ってしまうのもまた事実なのであるよ。


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2018年5月 9日 (水)

「ハッピーエンド」:ファミリー・トラブル 幸せならスマホしよう

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監督:ミヒャエル・ハネケ
出演:イザベル・ユペール
フランス・ドイツ・オーストリア2017年

前作『愛、アムール』がカンヌのパルムドールやさらにはアカデミー賞外国語映画賞まで取ってしまったハネケ。しかし、最新作はそれを反省したかのようにまたもやイヤミと皮肉に満ちたものであった。

冒頭、スマホの画面が写る。どうやらどこかの家庭で洗面所にいる女性を撮って、明らかにSNSに流している。続く映像も同じ家のようだが、ペットのハムスターを殺し、さらに穏やかならぬ事態を映し出していく。
と思えば、突然に工事現場で大規模な事故が起こる様子を淡々と捉えた監視カメラの映像が続く。

イザベル・ユペール扮するアンヌは親の事業を継いだやり手の経営者(こういう役多いですな)で、その息子は先ほどの事故を起こした工事の責任者である。しかし、有能なアンヌに対し、「無能」で引け目を感じている。
引退したどうも父親はボケかかっているように見える。
アンヌの弟は離婚して二度目の妻子と共に実家の豪邸に同居しているが、元の妻が急死し小学生の娘も生活に加わる。その少女が冒頭のスマホ映像を撮った本人なのである。

その穏やかならざる一族に、さらに何やら不穏なことがヒタヒタと続いて描かれる。
工事で怪我をしたとおぼしき作業員の家へ息子が(恐らく)謝罪に行った揚句、ブン殴られる。その一部始終をロングの長回しで捉えるカメラのイヤらしさよspa 同様に老父が車椅子で街をさまようのをやはり延々と撮る。ハネケ流のイヤミ炸裂だ。
おかげで、近くの座席で見てた中年女性は途中で席を立って出て行ってしまったではないか。どーすんのよ~(^_^メ)

加えて、パソコンのモニター画面に出現するいかがわしく濃厚なメール。誰が誰に送っているのか?

自殺願望をチラつかせる老父を演じるのはジャン=ルイ・トランティニャンで、ユペールとの父娘組合せは、どう見ても『愛、アムール』を思い起こさせる(人物の設定は全く異なるのだが)。その彼に亡き妻を介護した体験を、毒舌で否定的に孫娘へ語らせるとなると、「どうあっても、もう『愛』なんて語らねえぞ、コンチキショー」という監督の決意を感じるのであった。

「死」という共通する要素を見出した少女とその祖父と繋がりは、「家族」からはみ出した者同士の共感であり、抵抗である--とも解釈できる。
だが一方で、ヒマや金を持て余したら「死」を引き寄せて戯れるほかない空疎な姿に見えた。

最後にまたもスマホの映像で終了するが、そこに描かれているのは悲劇なのか喜劇なのか、もはや観客の側には分からないのである。
ちなみに、映画のチラシも通常のB5でなくてスマホサイズの比率で作られている。最初、気付かなかったですよ(^^ゞ

名優たちの中で、少女役のF・アルデュアンの目力の強さに驚いた。(彼女が「Iheart01JAPAN」のTシャツ着ているのは、日本の某事件をモデルにしているから--というのはホントか?)
また、クラシック・ファンにはガンバ奏者のヒレ・パールが出演しているのも驚きだろう(そのままにガンバ奏者の役)。『愛、アムール』ではA・タローの出演が話題となったが、今作の彼女は重要な人物とはいえ、セリフは一言ぐらいしかない。ただし、マラン・マレ(?)の「フォリア」の終章をかなり乱暴に弾く場面あり。
コンサートでの彼女は明るい美人さんshineという印象だが、作中では淫蕩でビョーキな雰囲気だ。加えて、かつてハネケ映画の常連だったJ・ビノシュにかなり似ているのに気付いた。


ところで、スマホでなんでもかんでも撮りたがる風潮、全く今どきの若いモンは……と言いたくなるところだが、翻って考えてみるに、頼まれてもいないのに見た映画や読んだ本の感想を延々とネットに綴るという行為も似たもんではないか。
さらに、私の父親の世代は(戦前生まれ)文学青年のたしなみとして、日記をつけるというのがあったらしい。他人に知られたくない行為をわざわざ文章にして記録し、さらにそれを他人の見られるような所に放置するというのは、やはり他者に公開したいという欲望があったのではないかとしか思えない。
それを思えば、昔も今もメディアが変わっただけでやってる行為は変化なし、といえるだろう。

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←このスチール写真、少女だけカメラ目線になっている(もちろん意図的)、という指摘があった。


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2018年5月 1日 (火)

「ブラックパンサー」:デザイン・イズ・パワー 猫だ!虎だ!いや○○だ!

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『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』にも出てきたブラックパンサーが満を持して単独で登場である。
彼が王位に継ぐことになる事件が『シビル・ウォー』で起こったわけだが、そも母国のワカンダとは貧しい農業国--とは仮の姿。してその正体とは、謎の鉱石の存在によって超が付くくらいに発達した文明国であった(!o!) 正体を隠しつつ各国に隠密ならぬスパイを放ち、今日も今日とて諜報活動を行う。

ここで、そんな優れた国がご近所の国の貧困や紛争を傍観していていいのかという問題が浮上する。これは現在の米国と繋がる事象といえるが、そんな事をよーく考える間もなく正式に王位につくための決闘場面が来たっpunchと見ているうちに、気付けばカジノでの乱闘やらソウル市街での猛烈なカーチェイスに突入しているのだった。

悪役は、素顔で見るのはお久しぶりなアンディ・サーキス……と思ったら、さらに上を行く奴が出現だimpact 彼はなんと正当な手段で王位を簒奪してしまう。悪者といっても、ディズニー製作なのでいきなり王様専用ハーレムを作ったりはしない。
ここでも、悪いヤツと分かっても正式な手段で選ばれたなら従うべきかという矛盾が生じ、米国の大統領問題を思わせる展開になる。

悪役のキルモンガーは複雑な背景を持つ人物だが、監督はコロンビア映画の『彷徨える河』を参考にしたというsign02 ええっ、あのマジックリアリズム作品の一体どこら辺を(?_?) 修道院のエピソードか、それとも二つの時代で同じことが繰り返される構造か? とにかくビックリだ。

平和と繁栄の陰から生じる矛盾や二律背反を突き付けられて、主人公は次第に窮地へ陥っていき、終盤は定番ながら両者の死闘になだれ込むこむ。

しかし、十代にして最優秀科学者な妹(妹萌え~heart01な方に推奨)、女スパイの(元)婚約者、威厳たっぷりな母にして前王妃、唯一の白人枠CIA長官などなど多彩な人物が登場。本筋以外にも、設定の説明から始まり、例の鉱石やら過去の因縁やら王位継承の儀式やら色々あるので、説明不足だったり適当な部分が出てきちゃう。
例えば、部族長の一人が悪役に味方するのはどういう意図なのか、王様が突然変わっちゃって国民はどう思うのよ、など描かれていない。前後編に分けてもいいぐらいだろう。

とはいえ、全体のプロダクション・デザインが見事。ありとあらゆるところに多彩なアフリカの意匠が使用されていて、「アフリカ押し」で通そうとする強い意志を感じさせる。ここまでやったかupという印象。この「押し」の力に感服した。
そういや、最近写真集が出て話題になったアフリカの伊達男「サプール」まで登場してましたな(^.^)

結論としては「行ったsign01見たsign03面白かったfuji」というぐらいに満足できた。
同じ監督で、キルモンガー役のM・B・ジョーダンが主演の出世作『フルートベール駅で』録画したまままだ見てないので、連休あたりにでも見なくってはsweat01

主役のチャドウィック・ボーズマンは快調だけど、元々愛嬌のある顔つきなんで、強くて賢い女たちに囲まれた主人公がどうも「黒豹」というよりは「若殿」っぽく見えてしまうのは仕方ない。
さらに、どう見ても主人公より強そうなオコエことダナイ・グリラ率いる女戦士軍団、カッコ良すぎです。憧れちゃう~(*^.^*)ポッheart02

さて、本作はスタッフ・キャスト共に多く黒人が起用され、米国、アフリカはもとより他の国々でも大ヒットとなった。確か日本よりも一週間早く公開されたはずだが、これを書いている時点で米国ではまだランキングのベスト10に入っている。
その画期的意義や含まれるメッセージ、大人気の理由などを語った文章はネットでも多く見かけたが、なぜ日本ではそれほどの人気が出なかったのか?--ということを解説してくれるのは、まだ見たことがない。大いなる謎である。
本当にどうしてなんですかねえ(´~`)

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2018年2月10日 (土)

「ブレンダンとケルズの秘密」

監督:トム・ムーア
声の出演:エヴァン・マクガイア

「ケルズの書」に着想を得たという中世ファンタジー・アニメ。絵柄がかなり個性的で、中世の絵画のように遠近法がない。さらに自然や人・動物はケルトの文様風で、下手すると抽象画のように見える。

ヴァイキングの襲撃が続くアイルランド、修道院で写本を書く少年が悪鬼と闘い、襲撃者を蹴散らす力を得る。修道院の周囲の、得体の知れぬ森には何者かが潜み、彼を助ける。
意外にもネコが大活躍cat オッドアイの白猫でカアイイです(^^) 部屋へ忍び込む場面に流れる歌が心にしみる。

修道院が舞台にもかかわらず、確かにキリスト教的なものはほとんど登場しない。代わりに極めて原初的で素朴な世界が描かれる。
猫とケルトものが好きな人に推奨。

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2017年8月16日 (水)

「メットガラ ドレスをまとった美術館」:ゴージャス 汗と涙と交渉と

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監督:アンドリュー・ロッシ
出演:アナ・ウィンター
米国2016年

結論から言うと非常に面白いドキュメンタリー映画だった。ファッション界やアートに興味のある人は見て損はしないだろう。

タイトルのメットガラとは、米国はニューヨークのメトロポリタン美術館で年に一度開かれる服飾部門の資金集めイベント&パーティのことだそうだ。展覧会と連動して行われる。2016年には15億円集めたというからすごい。
ヴォーグ誌の編集長アナ・ウィンター(美術館理事)とそのスタッフが全面協力する。

映画で取り上げられた2015年の展覧会テーマは「鏡の中の中国」、ファッションにおける中国のイメージを取り上げるということで、まず事前の折衝を山のようにしなければならない。それらを全て仕切るのが服飾部門のチーフであるA・ボルトン、40代ちょっとでまだ若い人だ。

館内の中国部門の責任者は所蔵品が単なる背景の飾りとして使われないか心配で、イチャモンを付ける(でも、そもそも「イメージ」としての中国なんだから無理では……)。政治的に微妙なので中国政府にも直接談判、在米中国人会の了解も得る。色々あって大変だ。
オリエンタリズムに陥らないか、差別と言われないかという不安もある。
ここで企画に参加している映画監督のウォン・カーウァイの説得が、かなり功を奏していた。貫禄ですかねflair

前段で、そもそも服飾が美術であるかどうかという問題が取り上げられていた。中国部門から見れば、やってることは派手でも数千年もの歴史を持つ美術品と比べられてたまるかと思うだろう。

一方、パーティはステージの出演者や招待客の選定、そして席順決めも大変だ~。会場のデザインも難しい。アナ・ウィンターが決めては変えていく。
彼女は『プラダを着た悪魔』で有名になったが、見ていると実物はあのイメージとはかなり異なるようだ。(インタヴューでその話題も出る)

オープニング前夜(いや、当日早朝か)も会場のセッティングは終わらない。一人黙々と展示されたドレスの裾の位置をしつこいほどに修正するボルトンの姿を、カメラが延々ととらえる。その背中には誰も踏み込めない執念のようなものが見える。

果たして展示もパーティもうまく行くのかsign02 分かっていても、見ててドキドキしてしまう。信念を持ったプロフェッショナルの仕事を見せてもらったという気分だ。
とにかく見てて飽きることのない緊張感が続く。ドキュメンタリーとしてはナレーションを一切使わない形式で、密着取材と編集の技が発揮されているといえよう。

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2017年8月13日 (日)

「マンチェスター・バイ・ザ・シー」:カミング・ホーム 君は一人じゃな

170813
監督:ケネス・ロナーガン
出演:ケイシー・アフレック
米国2016年

マンチェスター……イギリスの話なのかなあ、などとボンヤリ思ってたら大間違いng 「バイ・ザ・シー」も入れて一つの町名で、米国が舞台なのであったよ。

ボストンでしがない一人暮らしをする男、兄が急死して故郷の町に戻ると、高校生のおいっ子の保護者になるように求められる。しかし、彼にはこの町で暮らしたくないいきさつがあったのだ。
その「過去の事件」が回想をまじえつつ徐々に明らかになっていく。

そんな過程が、極めて淡々とゆっくりと美しい港の風景と共に描かれていく。あまりに淡々としている上に137分という長尺なので、途中で寝るヤツがいても不思議ではない。とにかく長いのである。
甥はバンドをやったりして高校生ライフを楽しみ友達も多い(父親が死んだばかりなのに鳴り物鳴らすというのはちょっと驚いた)。しかし、それは事件が起こるまでの主人公も同様だったのだ。そのような生活は彼にはもうない。

彼は立ち直れぬままであり、周囲の人間(兄の元奥さん、自分の元妻)も立ち直っているようで、実は立ち直っていないのが明らかになっていく。
私は枡野浩一の『くじけな』という詩を思い出した。

「くじけな/こころゆくまで/くじけな/せかいのまんなかで/くじけな」

他にも「二人でいると人生は二倍淋しい」とか「あしたがある/あしたがあるから困る」などと、読んでいると甚だしく落ち込みのスパイラルに陥る。そんな世界である。

他の人の映画評で、この作品に登場する「善意の隣人」について書いているのを読んだ。フィクションでは珍しくはないが、果たして現実にはそのような「隣人」が存在するか?というような趣旨だったが、そういえば『裁かれるは善人のみ』にもそのような隣人が登場する。もっとも、主人公が不幸な目にあう原因に、その隣人が一役買っているのだが……。

そう思い返してみると、主人公と隣人夫妻との関係、親を失った少年に対して彼らがラストで取る行動、頻繁に挿入される海の光景wave--など、『裁かれる~』とかなり似ていることに気付いた。テーマや作風は全く異なるけど。どこか影響受けているんだろうかね。

ケイシー・アフレックはこの演技でアカデミー賞の主演男優賞をゲットしたが、うーむ、どうだろうか(?_?; 悪くはないけど、同じくノミネートされたA・ガーフィールドやヴィゴ・モーテンセンと比べて図抜けているというわけでもない。
むしろ、甥役のルーカス・ヘッジズ(やはり助演男優書にノミネート)がよかった。若いんで今後の注目株であろう。
お懐かしやマシュー・ブロデリックが出演。見てた時は分からなかったですよdash

音楽はヘンデルやパーセルなど、なぜかバロック音楽が使われているが、使い方が唐突でしかも音量がデカい。なんなんだろうsign02


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2017年8月 6日 (日)

「ハクソー・リッジ」:サイレンス・ソルジャー 独立愚連衛生兵

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監督:メル・ギブソン
出演:アンドリュー・ガーフィールド
オーストラリア・米国2016年

『沈黙』に続き、再びガーフィールドがいぢめられる役に(>y<;) 思えば『アメイジング・スパイダーマン』でも、いじめられっ子の高校生役だったからその手の役が似合うヤツなのであろうか。

主人公は第二次大戦で兵役を志願するも、宗教上の信念から戦闘行為は拒否。軍法会議もはねのけて念願の衛生兵になる。そして向かった先は激戦地の「ハクソー・リッジ」……。
これが実は沖縄の前田高地だというのを、日本公開に際し隠して宣伝していたということが話題になった。隠しても、実際見に行ったら分かっちゃうのであまり意味はないと思うけど、事前に公開反対運動が起こったりすると困るということか。

それはともかく、戦闘シーンは相当な迫力。『プライベート・ライアン』の冒頭部分が延々と続く感じで、もういつ弾丸飛んできて当たってもおかしくない気分になる。おまけに人の手脚が容赦なくimpact吹っ飛ぶんで、その手の場面が苦手な人は避けた方が吉であろう。

約140分という長さも含めてメル・ギブソンの監督としての力技発揮というところか。激しい戦闘にさらされた兵士が陥るパニック症状で、死の淵をのぞいたような眼になってしまうというのを、映像で初めて見た。

役者は父役のヒューゴ・ウィーヴィングに注目だろう。ヴィンス・ヴォーンの鬼軍曹は、過去の同様な映画に比べるとどうしても「鬼」度に欠けるようで。

なお、私の父はまさに衛生兵だったが、それは体格が貧弱だったからだそうだ。日本軍では衛生兵とはそういう者がなったらしい。

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