映画(タイトル「ナ」「ハ」「マ」行)

2019年1月17日 (木)

「バーバラと心の巨人」:ウサ耳付けても心はホラー

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監督:アンダース・ウォルター
出演:マディソン・ウルフ
米国・ベルギー・イギリス・中国2017年

原作はグラフィック・ノベルとのこと。
海辺の町に住む孤独な少女が、迫りくる巨人とたった一人で戦う。ただし、その巨人は彼女にしか見えないらしいのだが……。

これってモロに『怪物はささやく』ではないですか(!o!) 映画は見てないが原作を読んだ。
『怪物』の方は主人公の少年は小学生高学年ぐらい?だったと記憶しているが、そのあたりの年齢なら巨人を信じていても納得できるが、こちらは高校生ぐらいだからちょっと無理がある。
そのせいもあってか、現実と幻想の境界が曖昧としていく恐ろしさの描写がうまく行っているようには見えなかった。本当ならゾクゾクするような迫力があっていいと思うのだが。
主人公の観点からホラーファンタジーのように描くか、友人から見たリアル視点そのままにするかどちらかに寄った方がよかった。
また、邦題がネタバレではないかという意見もあり。(原題は「私は巨人をぶっ殺す」)

保護者代わりのお姉ちゃんは働くのに忙し過ぎて構ってもらえない。兄は自分勝手。そういう寂しい境遇の女の子に共感する人には向いているかも。
あと、主人公はウサギの耳を付けた不思議女子。何やら風変わりでカワイイ小物を防壁のように自らの世界の周囲に置いている。その手のスタイルに憧れる女子も多いだろう。

学校カウンセラー役のゾーイ・サルダナと、くたびれた姉役のイモージェン・プーツが手堅く好演であった。

ところで一つ疑問なんだけど、最初の方に兄が友人とゲームして騒いでいる場面があった。でも、あの状況でやりますかね?……(@_@;)


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2019年1月 5日 (土)

「2001年宇宙の旅」IMAX版鑑賞記

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国立映画アーカイブでの70mm版は見事チケットを取り損ねたので、代わりにIMAX版を見に行った。大きなスクリーンで見られるのもこれで最後かもと思ったのである。以前に行ったのは多分10年ぐらい前の新宿プラザでの最終上映だった。

実はIMAX自体、見るのが初めて。確かにスクリーン巨大だし、本編前にかかった予告の映像を見ると、鮮明だし立体感もかなりのもんだ。
事前にスクリーンに対して画面の比率はどうなるのか、などという論議があったが(設定によって端が欠けてしまう)、タテヨコ比はほぼ70mm版と同じ。色彩は記憶の中のオリジナルに近いものだった(と思う)。

行ったのは平日の昼間だったが、年寄りだけでなく各年齢層の人が来ていた。レディースデイのせいか若い女性も多かった。
昔は(今も?)「女は2001に興味を持たない」言説が横行していたが、これが間違いであることは明らかだろう。

上映手順はキューブリック指定通りに行われた。予告の後に黒画面でオープニングの音楽が流れ、休憩は15分。終了はやはり真っ暗画面で追い出し音楽が流れる。そこまで残って最後の白黒ロゴまで見ていた客は、さすがに十数人だった。
なお、私の記憶ではこの上映手順を守るようになったのは2000年代に入ってからではないかと思う。それまでは休憩もなかったし、オープニングとラストの音楽の時は客電が付いていて、私はてっきり劇場側がサントラを流しているのだとばかり思っていたのだ。

さて、映像が鮮明になることで却ってあらが見えるのではないかという噂があったが、確かにこれまで気にならなかったスクリーンプロセスとそうでない部分の差が分かるし、地球の映像も平坦気味に見えた。
でもロープとかワイヤとか余計なものはもちろん見えなかった。あ、当時からZ級SFだと見えてましたよね(^◇^)
一方でラストの寝台上の胎児の眼がかすかに動くのをようやく確認。もっとも、これは今まで私が注意不足で気付かなかっただけかもしれない。

残念ながらシネラマに比べて奥行や立体感に欠けていたように思う。これは多分、いま製作されるIMAX用の映画なら効果を発揮するのだろうと思うが、「2001」にはあまり効かなかったようだ。

音響は高音も低音もクリアで、そもそも音量が大きく設定されていた。意外にも音楽の弦の音が潰れて聞こえて、ノイズも感じられた。これはそもそも使われている音源が古いのだから仕方ないのか。それとも昔の映画館はそんなデカい音を出さなかったから、気にならなかったのかね。

字幕では問題の「ハルも木から落ちる」がやはり使われていた。オリジナル公開時とは異なっていて、なんでも2001年記念興行の際に新訳になり、その時から使われているそうだ。全くふざけているannoy オヤジギャグと核兵器は地球上から殲滅したい。
ちなみに、少し後にNHK-BSで放映されたヴァージョンでは新しい字幕が付けられていた。確か女性の訳者だった。
HALがボーマンの絵を見ながら会話する場面も、これまでとは微妙に訳が違っていてこの時点のHALの意図も異なって感じられた。もう一度確認したかったが、録画してなかったので残念(ーー;)
ただ、このNHK版は色彩がかなり変わっていた(モノリスが紫っぽかった!)のでオススメはできない。

HALの意図と言えば、昔から「HALはボーマンに惚れていたheart02」とか「嫉妬してプールを殺した」等の説は存在した。別に今に始まったことではない。柴門ふみが別名で某雑誌にそういうパロディマンガを描いていたこともある。まあ、それが一番手っ取り早い解釈だろうな……(*_*;

私が最初に見たのは(歳が分かるが)公開10年後のリバイバル時、テアトル東京でのシネラマ上映である。この頃のロードショー館は入替制もなく、自由席だったので、昼食用のサンドイッチと牛乳を持って午前中に入り、一日中繰り返して観るなんてこともやった。さっき右側から見たから今度は左寄りの席に行こう、なんて(^^ゞ

当時はHALが人間のような口をきくと会場から笑いが起こったものだ。今やAIが流行していて、時代は変わった。--というより時代が追い付いたのか。

今回あらためて気づいたのは、HALが情報を出力したのがパンチカードだったことである。そう言えば、光瀬龍のSFでも人間の情報がパンチカードで記録されていた。
今考えると、えーっパンチカード(!o!)となってしまうが、60年代末のTVシリーズ『プリズナーNo.6』ではコンピューターの出力は紙のパンチテープだった。そういう時代である。この手のメディアを予測するのはいかに難しいことか。『2001』で一瞬しか映らなかったのは幸運である。
それを考えるとフロッピーディスクの発明は画期的だったわけだが、そのフロッピーも若い人には「なんですか、それ?」物件だろう。

それから、思ったのは結構「分かりやすく」作ってあるということ。こう言うと、どこが分かりやすいsign02と思うだろうが、取り上げてるテーマやメッセージは難解だが、その見せ方はそうではない。モノリスの場面は登場する度に同じ音楽が流れ惑星が直列し--とボーっと見てても何かが起こるというのが必ず分かるようになっていて親切なのだ。

それから、ラストのスターゲイトを出た後のホテル場面、ここは視線の切返しが重要になっている。ポッドの中のボーマンが外にいる自分を見た瞬間にそれまでの彼は消滅する。その後は毎回「見た側」が消える。この繰り返しである。
この「視線」は短いカットと同化している。最後にモノリスを見た彼は、モノリスから見返された時に胎児に変貌している。ここを長回しで撮らないキューブリックはダメだという意見を見たが、とんでもない。それまでと同様にカットの連続でつないでいかなければ意味がないのだ。
そして、ラストに胎児が見るのは地球--かとこれまで思っていたのだが、そうではなくスクリーン越しに観客の方を見たのだ。となれば、最後の最後に胎児は消滅して観客が残ることになる。なんたること、今頃気づくかよ(>O<)である。

次にIMAX版で見たいのはなんといっても『バリー・リンドン』である(そもそもデジタル化されているのか?)。「映画カメラマンに聞くイチ押しのキューブリック作品は?」というと、これが一位になるらしい。
あの、照明がローソクだけの場面を始め、映像がどんな風に見えるか。でも、興行的にはサエなかった作品だから無理でしょうな……。


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2018年12月26日 (水)

「僕の帰る場所」:ロスト・ボーイ 幻の故郷

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監督:藤元明緒
出演:カウン・ミャッ・トゥ
日本・ミャンマー2017年

若い監督の第1作目。実話に基づいて日本で難民認定申請中のミャンマー人家族を描く。夫婦と息子二人の4人家族で、そのうち母親と二人の子どもは実際の家族だという。4人とも役者としては完全に素人でそのままの役柄で起用している(劇中の名前も同じ)。

夫は民主化活動が原因で日本に亡命してきたため帰国はできず、密かに不法就労で生活費を稼ぐしかない。しかし不安定な生活ゆえ、妻の方はウツウツとして毎日を過ごすのだった。
遂に妻は夫を東京に残し、息子たちを連れてミャンマーに帰る。しおれた植物のようだった彼女は実家に戻って生き生きと蘇る。
しかし、日本語しか話せず小学校生活になじんでいた長男は反発するのだった。

ミャンマーのワイザツで活気に満ちた街は少年にとって、自分の国にもかかわらず異文化に他ならない。
実家での会話は全く理解できず、生活様式も違う。風呂はシャワーだけ、しかも水しか出ない。こりゃキツイ。どうにもできない子どもはつらいよ、大人もつらいけど。

そのような日常と変化の日々が淡々と描かれるのだった。
子どもと母の会話はとても演技とは思えない。そりゃ、実際の親子だから当然といやあ当然なんだけど……(@_@;) ドキュメンタリーと見まがう作りである。そうなると是枝監督作品を想起するだろう。

ただ、そこから一時だけ幻想の世界の門が開く。長男が雑踏で出会う謎の少年たちはモノノケかアヤカシか妖精ではないのかな。そんな風に思えた。
となると、ラストシーンで突然ファンタジーの世界へなだれ込んでいく『フロリダ・プロジェクト』も思い浮かぶ。
あの映画も主役の女優さんは半分素人のようだった。類似性に、影響を受けたのかしらんと思ったが、編集に2年半もかけたとのことで(キューブリック並みsign03)たまたま似たらしい。日米で同じような問題が進行しているのか。
いかなる子どもであろうとそこにいる限り、国は保護する義務があるはずなのだが。

ということで、是枝作品や『フロリダ~』を好きな人にはオススメだろう。
難点は「素材」に頼り過ぎというところか。ドキュメンタリーとフィクションの境が曖昧な作品なのだからだから意図的だろうけど。
監督は現在ミャンマーに在住とのこと。実家のおじさんはタクシーをやっている設定なのは、たまたま実際に乗ったタクシーの運転手さんをそのまま起用したそうな(^O^)

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東中野のポレポレ坐は久し振りに行った。朝日新聞に二度も紹介されたのだけど、平日の昼間のせいか、観客は映画ファンより難民問題に興味を持っている人がほとんどだったようだ。
短い時間でも宣伝しようと、プロデューサーと出演者(日本人の役者さん)がアフタートークに来ていた。


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2018年12月 3日 (月)

「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」:ノー・モア・チャンス 試験戦線異状あり

監督:ナタウット・プーンピリヤ
出演:チュティモン・ジョンジャルーンスックジン
タイ2017年

珍しやタイ製映画である。もっともこの少し前に、象を連れて歩く男の映画(やはりタイ作品)をやっていたので、そんなに珍しくないのか。(本作で父親役をやっている人が主演)
しかも、あらすじだけ聞いたらどこの国の映画でもおかしくはない内容である。それどころか一見しただけではどこかも分からない無国籍ぶりになっている。

頭は非常に良いが家は裕福ではない少女が、特待生となって金持ちの子弟ばかりの進学校に入る。ここで良い成績を取れば海外留学できる資格を得られるのだ。
なんたる皮肉なことかsign01金がなければ頭が良くて勉強がいくらできようと、学問の道には進めない。一方で、財力もあり親から「勉強して良い大学へ行け」と言われる子どもは学問にも自分の未来にも全く興味はない。 

主人公は出来の悪い同級生やそのボーイフレンドに試験中に答えを教えてやり、さらに他の成績不良の生徒相手にビジネスとして逆カンニングすることになる。
そこにもう一人やはり同じく貧しい特待生の男子が登場する。

真に貧富や階級の差を背景に、持つ者と持たざる者をシビアに描いた作品である。しかも、着想やカンニング場面のハラドキ具合はサスペンスものとしてもかなりな出来だ。

ただ、この逆カンニングは最前列に座った者には使えないのではないかという疑問が頭から離れなかった。それと留学試験の監視員がまるでターミネーターみたいにコワくて思わず笑ってしまった。
その後半のカンニングのシステムはかなり大掛かりでよく考えられている。それを考えたのは友人とBFなんだけど、そんな知恵があるなら別に進学しなくても起業家としてやっていけるんじゃないの(^^?)なんて思っちゃった。

中心となる4人を演じる若い役者たちがルックスも良ければ演技も良しgood 特にヒロインのチュティモン・ジョンジャルーンスックジンはモデルもやってるそうで、柳のような長身。しかもキリッとしている。街を歩いていたら思わず振り返っちゃう。
それと友人役の女の子も、若い頃の薬師丸ひろ子っぽい可愛さ。作中では私、頭悪いし~happy02とか言ってる役柄だが、こちらも勉強よりアイドル養成学校に行ってスタアshineを目指せ、と言いたくなるぐらいだ。

お見それしましたタイ映画(^^ゞ 世の中が不公平なのは万国共通、沈む者は永遠に沈みっぱなしで這い上がれないというのが身にしみた。
ラストの「校歌」には爆笑してしまった。
欠点は、音がデカ過ぎること。音楽や打ち込みの効果音みたいなノイズ自体はいいんだけど、ちとうるさかったですよ。あともう少し短く編集してくれればよかったんだけどねえ……。

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2018年11月18日 (日)

「ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男」:愛と友情のオンザライン

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監督:ヤヌス・メッツ
出演:スヴェリル・グドナソン、シャイア・ラブーフ
スウェーデン・デンマーク・フィンランド2017年

テニスが題材の映画というと、つい最近は『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』があった。スポーツものがブーム?のせいか、テニス以外でも『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』がやはり今年公開された。
格別プロテニスに興味がなくともみんな名前は知っているこの二人を題材にしたこの作品、しかし一番似ているのは『ラッシュ/プライドと友情』だという事前の下馬評が流れていて、実際見てみるとなるほどそうだった。

片や冷静沈着派のボルグ、片やキレやすい悪童のマッケンロー--と、性格も生育環境も正反対ながら、実は根っこの所ではよく似ているというのが交互に描かれる。それを最後にウィンブルドン決勝の死闘へと持って行き、二人の選手の存在と関係を浮かび上がらせるという次第である。
延長戦に次ぐ延長戦でなかなか決着が付かない試合の場面は圧巻といえるだろう。結果が分かっていても、見ててハラドキheart01してしまう。主役の二人ともお見事である。

ただしこの映画の製作国を見ればわかるように、対等に描かれていても主人公はあくまでもボルグの方だ。
冷淡な父親に代わるコーチの存在、試合の前に行う過剰なまでのゲン担ぎなどなど「天才はつらいよ」状態が描かれる。この時、スヴェリル・グドナソン演じる主人公は、重圧のためにまるでふるふる震えている薄い影のように見える。
グドナソンはボルグにソックリな超二枚目で、「ミレニアム」シリーズ新作に出てるというからこれからの活躍に期待ですね(^^)b

彼らは大人になってからは対称的でも子どもの頃は似ているというのがこの映画では描かれるが、父子関係については完全に異なっているように思えた。(あまりそこは明確に描かれていない)
どうでもいいことだが、ボルグの父親役の人は西田敏行にクリソツだった。本当にどーでもいいですね(^^ゞ
なお、ボルグの少年時代をやってるのはご当人の本物の息子だそうな。テニスうまいのも当然か……。

監督は秀作ドキュメンタリー『アルマジロ』を撮った人で、劇映画でも軽く及第点越えだろう。ただ、音楽が仰々しいのも同じだった。なんとかしてくれ。

さて、ボルグとマッケンローが偶然顔を合わせて親交を温めあい二人だけの世界に突入--という光景をボルグの奥さんが複雑な表情で眺める場面がある。
となると、『マルクス・エンゲルス』同様に、フ女子ならずとも「で、どっちが攻めでどっちが受けなんですか~(^^?)」と聞きたくなってしまうのであった。


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2018年10月 3日 (水)

「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」:男と女の間には山より高いネットがある

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監督:ヴァレリー・ファリス、ジョナサン・デイトン
出演:エマ・ストーン、スティーヴ・カレル
イギリス・米国2017年

テニスに縁のない私は「キング夫人」の名前に記憶はあっても、こんな「男女対決」あったとは知らず。
時は1973年、現役女子テニス・トッププレイヤーと、昔は有名でした感あふれる元男子チャンピオン(55歳)の対決。この二人のスポーツ・ネタでグイグイ攻めていくのかと思っていたら、予想に反してそうではなかった。

前段として、女子選手の報酬額が非常に低いのに抗議して、キングが独自に女子だけの団体を結成するというエピソードが登場する。(背景に70年代初めの女性運動の機運がある)
さらに彼女が世に隠れて同性の恋人と付き合い始める。こちらの問題へかなり重きが置かれているのは意外だった。

栄光は過去に遠のき公私ともに下り坂で追い詰められているリッグスの、女子選手にイチャモンを付けることで注目を集めようとする様子が、かなり同情的に描かれている。観客はこの人物に同情しても、あまり反感は抱くことはないだろう。
キングは対決試合の申し出を無視していたが、あまりの彼の悪目立ちぶりに怒り、遂に挑戦を受ける。さらにマスコミのバカ騒ぎも容赦ない。その間に「忍ぶ恋」が絡むという次第。

悪役は全米テニス協会の会長(ビル・プルマン)が一手に引き受けている。悪の黒幕、ラスボスshadowみたいな印象。
あと、キングのライバルで対照的な「良妻賢母」のマーガレット・コート。悪役というほどではないが、かなりワリをくっている。実際はどうだったんだろうね。
終盤、ヒロインが一人で試合に赴く後姿の孤独には、思わず涙が出た(T_T)

タイトルには「男女間」だけでなく当時の性的マイノリティーの葛藤も含まれているように思えた。
ただ、もっとスポーツ界の内幕を見たかったという人もいるかも。対決自体はこの映画のチラシの写真みたいにアッサリした感触である。

正直言って、エマ・ストーンがここまで達者な役者だとは思っていなかった。おみそれしましたm(__)m
S・カレルはもう何をやらせても完璧ですshine


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2018年8月23日 (木)

「マルクス・エンゲルス」:ジャスト・ザ・トゥー・オブ・アス 萌える革命

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監督:ラウル・ペック
出演:アウグスト・ディール、シュテファン・コナルスケ
フランス・ドイツ・ベルギー2017年

flairマルクス生誕200年ですよ。原題は「若きマルクス」で邦題は「マルクス・エンゲルス」。当然『マルクス=エンゲルス全集』があるんで、こういうタイトルになったんだろう。しかし、これだとフ女子ならずとも「で、どっちが攻めでどっちが受けなんですか~(^^?)」と質問したくなるのは仕方あるまい。

実際、見てみるとそういう内容……ではもちろんないsign01
19世紀中ば、若いマルクスはドイツで政治活動のため検挙→パリで出版事業、エンゲルスと意気投合→退去命令を食らってベルギーへ→食い詰めて英国にも出没する。
貴族出身の奥さんを伴い(駆け落ち?)子どもも生まれるが、常に生活不安定。

エンゲルスは金持ちのブルジョワの子弟で、英国では工場の運営を任される一方で、階級搾取問題に目を向ける。
私生活はぶっ飛んでいたもようで、伝統的男女関係なんかは無視である。さりげなくマルクスの金銭的援助もしたりする。

二人とも若いんで思想的師匠や政治活動の先輩にケンカ売ったり、豹変したり、暴走気味だ。そんな彼らが欧州を行きつ戻りつしながら、政治結社「正義者同盟」の内部抗争に打ち勝ち「共産党宣言」へと至るまでを描く。ヤッタネpunchと喜びに燃えたくなる。

ただ、ヤクザの抗争とは違ってそれほど起伏ある物語とはならないため、なんとかメリハリをつけようと苦労している様子がうかがえた。最初の方のベッドシーンはなくてもいいんじゃないの?という意見に、私も賛成である。
マルクスの奥さん(ヴィッキー・クリープス好演)は同志的存在で、討論などに加わって堂々と意見を述べている(エンゲルスのパートナーのバーンズも同様)のは、そうだったのか!と驚いた。女はすっこんでろい<`~´>とか言われないのね。
ハリウッド映画ではないので、作中で使われている言語はそのまま独・仏・英三か国語が入り乱れる。ま、日本ではそのまま全部字幕だからあまり齟齬を感じないがsweat01

エンディングは突如ボブ・ディランが流れて、歴史物から急に現代へと直結するのが新鮮だった。
監督のラウル・ペックは日本で同時にドキュメンタリーの「私はあなたのニグロではない」も公開されるという珍しい事態。私は、ディランが最後に流れたのを取り違えて書いてしまった。こちらの方でしたな(^^ゞ
作った作品数は少ないが、今後も注目の人だろう。
岩波ホールは珍しく(!o!)若い人もかなり来ていて混んでいた。

エンゲルス役のシュテファン・コナルスケは青い瞳が大きくキラキラshineしていて、何やら熱に浮かされたように人を引き込む魅力がある。マルクスが意気投合して思わず額にキスしてしまうのもむべなるかな、という感じだ。実物のエンゲルスもこんなだったのだろうか。
というわけで、やっぱり「どっちが攻めでどっちが受けなんですか~(>O<)」と聞きたくなってしまうのであるよ。


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2018年8月12日 (日)

「フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法」:プロミスト・ランド おかあさんといっしょ

監督:ショーン・ベイカー
出演:ウィレム・デフォー
米国2017年

フロリダのディズニーランドのすぐそばに安モーテルあり。外壁はディズニー風味でキラキラした色に塗られているが、住民の実態は支援団体の食料無料配布車が回ってくるほどに貧しい。観光客を乗せた航空機がひっきりなしに行き交い、その落差が甚だしい。
日本だとモーテルは一時的な宿泊と思うが、かの国では常泊している人が多いそうなのだ。

そんな中に若い母親と娘がいる。母親の方は定職を持たず、その日暮らし。娘は小学校低学年だが、折しも夏休み、ご近所の悪ガキどもと一緒にやりたい放題に遊びまくる。
彼らを見守るのがW・デフォー扮する管理人だ。きちんと規則を守らせ、文句をつける時はちゃんと言うが、一方で施設の保守点検に修理をし、さらには子どもたちの安全にも目を光らせる。

--と、書けば連想するのがケン・ローチの『わたしは、ダニエル・ブレイク』である。
若いシングルマザーと保護的立場の中年男性という組み合わせは似ているし、特に母親がやる行動はほとんど同じと言ってよい。
ただ、ローチ作品の方は意図的に母親を真面目な人物で好感度高く描いているが、こちらの母親は正反対。無軌道で粗暴でプッツンしてしまう。若くて学歴も金も職もなく、やる気も持久力も持てないまま、貧困から抜け出せない。
幼い娘を愛してはいるが、母親もまだガキっぽさから脱していないのだった。

このような状況が、子どもたちと母親が遊び&暴れまくるシーンが続く中で、徐々に浮かび上がってくる。
正直なところ、この一連の「遊び」の場面は退屈だった。演じている子どもたちをそのまま遊ばせて撮ったっぽくて、メリハリなくただ長い(ーー;)
もちろん、この映画は好評で見た人の多くは面白かったんだろうけど、私個人からすればこれに付き合うのは退屈で疲れるという印象だった。

でも私は、珍しくアカデミー賞の助演男優賞に選ばれたW・デフォーを目当てに見に行ったのだよ。
いやー、彼の演技は素晴らしかったですよ\(◎o◎)/!
安モーテルでも完全に断固として管理しようと心を砕き、子どもたちには厳しくしながらもちゃんと見守る。しかし、一方でモーテルのオーナーには頭が上がらずヘコヘコとしてしまい、落ちてるゴミをコソコソと拾い集めるという正反対の態度を、矛盾なく演じていた。彼に助演男優賞crown取って欲しかったぜい。(あくまでも私見)

この映画の作り手は当然分かって描いているはずだが、いかに母親が娘を愛していようが彼女がやっていることは虐待と見なされるなるだろう。(だから、管理人は終盤で肩の荷を下ろしたように一服しようとする)

そんな、娘と母親の夢の世界は今や崩れた。そして……向かったのはファンタジーの国だった。このラストにはさすがに驚いた。
もうそこにしか彼女の行く場所はないのである。

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2018年6月19日 (火)

「ニッポン国VS泉南石綿村」:アンフェア・ジャッジメント 人生に控訴はない

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監督:原一男
日本2017年

原一男のドキュメンタリーというと、大昔『ゆきゆきて、神軍』を見たきりである。この最新作は上映時間が3時間半を超えるとあって、見るかどうか迷ったがエイヤッimpactという気合と共に行ったのであるよ。

取り上げられているのは2006年に大阪で始まった石綿(アスベスト)の被害者の訴訟である。建築に使われてきた石綿は吸い込むと数十年後に肺にガンなどを発症する。被害者は工場の労働者、その家族、周辺住民だ。
ただ、訴訟の相手はその工場ではなく、映画のタイトル通り国である。国は以前からその健康への影響がある事を把握していたにも関わらず、それを隠し無作為だったのだ。薬害エイズやハンセン病患者隔離問題と同様のパターンである。

集団訴訟なので原告の数は多いが、その中の十数人に取材あるいは密着していく。当人は亡くなって、遺族が加わっている人もいる。当時の工員には、遠い離島の村の住民や在日朝鮮人も多かった事が描かれる。

前半が人物紹介編だろう。その病状や参加した動機も様々である。
高裁で国は敗訴するが、控訴することを決定する。当時は民主党政権で、裏情報として当時の長妻大臣は反対だったが仙石官房長官が断固として主張して譲らなかったという話が流れてくる。そのため、最高裁へ。
しかし、その間も原告側からは死者が出るのだった。

後半は「行動」編というべきか。
訴訟団の団長が首相官邸へ直訴しようと新幹線の中で仲間に呼びかける。この場面について「原監督がたきつけたのではないか」という意見があったが、確かにかなりそれっぽいと思う。もはや取材を越えて「共犯」関係であろう。
このため、団長と弁護団のいさかいも発生。(心なしか、ここらあたりのカメラからは活気のようなものを感じるon

最高裁でも勝訴したはいいが、年数や立場などによって判決から外されてしまう人が数人出る。その一人(正確には遺族)が厚労省前でメガホンでを通して語る慟哭の訴えには思わずもらい泣きしてしまった。どのくらい泣けるかというと『リメンバー・ミー』に匹敵するぐらいであるsweat02(←しょうもない比較ですいません)

しかしその後、厚労大臣(この頃には自民党政権)と手紙のやり取りしたり面会して、その遺族はコロッと態度が変わってしまう。
観客の側から見てると「えっ!どうして?」と驚く。まこと、人間の行動と感情は度し難いものよ。矛盾のない人間なぞ、フィクションの中にしかないのだなあとつくづく感じたのだった。

国との和解(この場からは、団長と原監督は排除されてしまう)後に、監督は何人かに「不満はないですか」と聞いて回るが否定的な返事は帰ってこない。取材している監督の方の不満だけが伝わってくるようだ。

最後に大臣が大阪の患者の自宅へお見舞いに来る。大臣が間に合わず訪問した時点で、亡くなっていたのだが、その直後にメディアのインタビューに答えた患者の娘さんの感想が、淡々とシラけていてなんだか笑ってしまった。

見る前は上映時間長いと思ったが、実際に見てみるとそんなことはなかった。それよりも登場する方々が多いんで、老化現象でめっきり記憶力が落ちている私には覚えられなくて混乱。字幕で何回か出して欲しかった。(海外のドキュメンタリー見てると、既出の人でも字幕を出す)
「共犯関係」を隠さぬ原監督のドキュメンタリー、扱っているテーマは悲劇だが面白いとしかいいようがない。
なお、詳しい内容は《キリンが逆立ちしたピアス》で紹介されております。

それにしても「息を吸うことも吐くこともできない」とはいかなる苦しみであろうか。恐ろしくて想像することもできない。

石綿被害の訴訟は複数の地区で起こったが、その影響はあった。当時私の職場で自治体からビルの調査が来たのだ。調査、っても別に検査員が来るわけでなく、こちらの施設管理の担当者が目視するだけの話である。
確か、昭和40年代末か50年代に建てられたビルだが、当然石綿が使われている(この時代の建築物はそうらしい)。しかし「表面が塗り込められているから大丈夫」ということになった。
そうなると、もし地震や災害で倒壊・ひび割れなどあったらそこから石綿が出てしまうわけである。実質上の対策なしng さらに、床のピータイルも石綿が使われていて(これも時代によって異なる)、しかも古くて割れているのに、やはり「問題なし」で終了。ふざけるなと言いたくなった。


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2018年6月 4日 (月)

「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」:ハーストーリー 男たちと悪だくみ

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監督:スティーヴン・スピルバーグ
出演:メリル・ストリープ
米国2017年

事前の予告や宣伝だと、政府対新聞の衝突impactを描いた社会派映画という印象だったが、実際見たらそうではなかった。
むしろ突然重責を負わされた女性の戸惑いと葛藤がメインであった。

メリル・ストリープ扮するキャサリン・グラハムはワシントン・ポストの社主だが、元々はダンナが亡くなったために仕方なく引き継いだという経緯がある。1971年当時はメディアでそのような地位に着いた女性は皆無だったとのことだ。
経営に不安ある中、銀行が出資するかどうかという時に、ベトナム戦争について政府の不正を暴く文書を入手。編集サイドでは当然掲載したいが、そうなると法廷沙汰は避けられず、銀行は手を引くのが予想される。
彼女は役員会と編集側の板挟みになる。

セレブな私生活の中でもまだ男女の障壁が存在する時代であるのがさりげなく描かれ、ましてや公の場では……という時代、本来はエエとこの奥さまであったグラハムが断固とした決断下す経緯を描いていく。
裁判所を出た彼女を階段で若い女性たちが支持の眼差しで迎える場面に、監督の訴えたいことは端的に表れていると言えよう。
いやー、こんなに女性にエールを送っている映画とは予期しませんでしたよ(^.^)b

メリル・ストリープはもはやアカデミー主演女優賞に毎年特設枠を設けてもいいくらいである。トム・ハンクスも安定の演技だが役柄的にはやや助演寄りだった。

ひょいひょいと動き人物の関係と心理を表わすカメラワーク、家々に飾られた花々が微妙にその場の状況を示唆する、勇気を鼓舞して躍動する輪転機--など、もはやスピルバーグの演出は職人芸とも言うべき見事さである。これがトランプ出現後の米国に危機感を持って、短時間で撮られたとはとても信じられない完成度だ。

ラストは、続いて起こったウォーターゲート事件を描く『大統領の陰謀』へと完全に重なるのであった。
見ていて、現在の日本と重なる部分多々あり。とても他人ごとではないtyphoon しかし、今の日本のメディアには期待できないのであった(+_+)

とはいえ、スピルバーグの天才は疑うところはないけど、やっぱり『大統領の陰謀』の方が面白いよなあ、などと思ってしまうのもまた事実なのであるよ。


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