映画(タイトル「ヤ」行~)

2021年9月 5日 (日)

「ライトハウス」:なんで、私が灯台に!?

210905a 監督:ロバート・エガース
出演:ウィレム・デフォー&ロバート・パティンソン
米国2019年

*最後にネタバレ感想があります。

事前に「怖い映画」だと聞いていた。さらに「変な映画」だということだ。おまけにモノクロでスタンダードよりも狭い昔の画面サイズらしい。どうも嫌な予感がする。途中で映画館出たくなったらどうしようと不安であった。
しかし、狭い孤島の灯台でデフォーとパティンソンが二人きりでゴニョゴニョする話(誤解を招く表現)だとあっては、何がなんでも見に行かずばいられない。

心して映画館に向かった私であったが、予想は大きく裏切られた。「変」「怖い」に加えてもう一つ重要な要素があったのだ。
それは「笑える」であった。
なんなのよー、早く言ってよ~(^◇^)

老灯台守と組んで初めて孤島に向かう新人の若者。先輩から乾杯の酒をすすめられるが断って水を汲んで飲む。しかしその水は腐っていた。ギャハハハと嘲笑する先輩、憮然とする若者--いや、いくら何でもそんな真っ黒けな水(モノクロ映像にしても、だ)飲む前に気づけよという気がしないでもない。

その後はひたすらこき使われイヂメられる若者であった。しかも肝心の灯台には上らせてもらえない。ストレスで作業の合間に思わず××しちゃう毎日だ。
そして幻影なのかそれとも物の怪か、何かがいるような……。

てな具合で黒い水を飲んでから以降、全体の三分の一ぐらいは笑える場面だった。後半のアルコールが入ってから延々と続く二人の絡み合いとか。特に強風にあおられて●●●を浴びる場面なんて声出して笑ってしまった。
あれは爆笑するところでしょう(o_ _)ノ彡☆バンバン ギャハハハー(←懐かしい顔文字を使用してみました)

あと過去の名作の引用も多数出てくる。
ゴシックホラー味が強く『鳥』や『シャイニング』はモロにやってるし、全体の構造は『2001』っぽい(二人のキャラクターが孤絶した状態で争い、一人がスターゲイトに達する)。エガース監督は「灯台は男性のシンボル」と語っているが、ディスカバリー号も「精子の形に似ている」などと言われてましたな。
某場面はアルドリッチの『キッスで殺せ』の終盤だろう。他にも私の見ていない映画の引用が幾つもあるようだ、ベルイマンとか--。
ラブクラフトの映画化ってあるのかな(^^?

怪異譚と言ってしまえば収まりは付くが、解釈には困る作品である。
単純に考えてみると、ヘテロな男が二人狭い場所に閉じ込められればマウントを取り合った挙句、結局こうなるしかない💥ということだろうか。あまりに日常的に接近して暮らしていると、自我が溶解していく危険があるのかもしれない。

デフォー&パティンソンはほぼ二人芝居、お疲れさんです。
監督は……モロに自分の嗜好丸出しである。ああ、こういうのが好きなのだなというのが分かっちゃう。
陰鬱なモノクロ、冒頭の霧笛に始まる周到なサウンドデザイン、これに関しては映画館じゃないと迫力を楽しめないだろう。映画館での鑑賞を推奨したい。

210905b パンフレットは灯台日誌(?)風デザインで分厚くて凝った装丁である。なぜか中に6ページにわたって伊藤潤二の紹介マンガが掲載されている。こういうのは普通チラシに載せるものだけど、なかなかにコワイ。
個人的には吉田戦車で見てみたい。あとパロディ調の青池保子で少佐とZの組み合わせ--あまりにもモロかしらん。当然第三の男は部下Gだろう。


さて、私は観ている間まったく思い至らなかった解釈があるのだが、ネタバレなので行を開けて書く。

 

 

 ★★注意! 以下ネタバレがあります
             自己責任でご覧ください★★

 

 

他の人のツイッターでの解釈だが、老灯台守と若者は同一人物だというのだ。
な、なるほど!(ポンと手を打つ)
老人とは若者の罪悪感の表れであり脳内に出現したもので、そもそも灯台が実際に存在するのかも怪しい……というのである。
確かに二人が互いに語る過去はなんだか似通っているし、老人が若者のことを何もかも見透かしているというのもある。
ラストシーンもそれまでの状況からするとおかしい。現実とは思えない。

何より、若者が乗って逃げ出そうとしたボートを老人が壊してしまうのだが、その後の口論では彼は「お前が壊した」と事実と逆のことを言うのである。しかも若者はそれに反論しない。
二人ともボートを壊した犯人ということで、自分と自分で闘っているのである。

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2021年4月21日 (水)

セルゲイ・ロズニツァ〈群衆〉ドキュメンタリー3選:行列に並べば福来たる

210421a ロズニツァはベラルーシで生まれモスクワの映画大学で学び、現在ドイツ在住の監督である。過去にドキュメンタリー21作、劇映画4作を発表とのこと。
日本で彼の作品(比較的最近のもの3作)が一気に初公開された。

「国葬」
オランダ、リトアニア2019年

1953年スターリンが亡くなり、赤の広場で国葬が行われた。死の直後から公式映像が撮影されたのだが、なぜかお蔵入りになっていたらしい。残された大量のフィルム37時間分と国営ラジオ局の放送音声からロズニツァが当時の状況を再構成したものだ。

尺は135分だが、そのほとんどはスターリンの死を悲しむ大衆のプロパガンダ映像が延々と続く。
場所はモスクワだけではない。広いソ連の各地津々浦々に飛んでいる。様々な人々がスピーカーの元に集まって死亡の報を聞いて茫然とし、涙を流しつつ祭壇を作り献花する。

赤の広場では安置されたスターリンの遺体を参るために長大な行列を作り進んでいく。それがちょっとやそっとの長さではない。
よくあんなに行列を作って混乱が起こったり将棋倒しにならないなと驚くが、当時の東側特有の配給の行列慣れ(^^;なのか、それだけ統制されているからか。
シメはさらに大規模な国葬。軍も参加してここでも大行進が続く。

その間、字幕も撮影場所を示すぐらいで解説はない。ただただ人々の姿が圧倒的だ。ソ連が広大で多民族国家だったのも実感した。

映像はモノクロとカラーが混じっていて、極めて鮮明で驚く。さらに映像に重ねられた放送の音声、背景の雑踏や生活音も明瞭。後者は直接同時録音したものではないが、同時期のものをダビングしたらしい。経過した年月を考えると、相当の手間かけてブラッシュアップしたのだろう。

国葬の場面で、運ばれる棺の前を小さな赤い布団(?)みたいなのを捧げ持った軍人が十数人歩いている。一体何を持っているのかと思ったら、一個ずつ勲章を大切そうに乗せて歩いているのだった。
それを見て、しばらく前に行われたナカソネを送る会で祭壇に巨大な勲章(の模型?)が飾られていたのを思い出した。

個人崇拝の行きつく先は宗教と全く同じ形である。今それが鮮やかに立ち現れる。似たようなことは少し前の日本でもあったし(戦前ではなく)これからも起こる--などと考えてしまった。

ところで、弔問に訪れた若き中国人は周恩来だそうな。


「アウステルリッツ」
ドイツ2016年

こちらはベルリン近くの元・強制収容所を見学に訪れた人々をひたすら延々と撮ったいわゆる「観察映画」だ。

こういう場所を見学するのがダーク・ツーリズムというらしい。
事前に知らなければレジャー施設と思うだろう。晴れた夏の日なので人々の多くはTシャツ短パン姿。笑いさざめき自撮りに忙しい。門の外の混雑は休日の上野公園なみだ。建物内は芋を洗うが如し。長い行列に団体行動。解剖台や焼却炉を覗き込む。中には死者を冒涜するような行動をする者もいる。

固定カメラは施設ではなくもっぱら人々に焦点を合わせている。しかもモノクロだ(なぜにモノクロ……?)。
一か所だけ見る者が一様に沈鬱で困惑した表情を浮かべるのだが、そこに何があるのかは映画の観客には分からない。
字幕が付くのはツアーガイドの説明の部分だけである。しかも説明の声はアフレコしたらしい。人々のざわめきなどの環境音はダビングとのことだ。(加えて焼却炉場面は別の施設の光景とか)

全ての要素を並列して投げ出し、映画の観客に「さあ、どうだ」と言っているようである。しかしずっと見ていると虚しくなり疲労のみが溜まってくる。
とにかく場面転換も少ないので眠気が這い寄って来るのに要注意だろう。


「粛清裁判」
オランダ、ロシア2018年

世評では三作のうち一番面白いと言われていたが、個人的に眠気度最高値💤だったのがこれだっ(>O<)

1930年スターリン独裁下のソ連、モスクワでクーデターの容疑で8人が逮捕される。
その公開裁判の記録映画が残っていたのを発掘し、編集したものである。これも映像がクリアなのに驚く。
オリジナルの方の記録映画は2時間半あったそうだが、2時間強に短くしてある。それでもかなり長~く感じた。

ソ連でのトーキー最初期の映画とのことだが、裁判の発言はともかく背景のざわめきや椅子の音はダビングらしい。それに対比するように市民の行進場面が付け加えられている。

裁判の容疑はクーデターを企てたということでいずれも地位の高い技術者たちだ。彼らが市民が埋め尽くす公開の法廷の場で弁明する。
彼らは容疑を認めているのだが、どうもその容疑も釈明も具体性に欠けていてひたすら謝罪に終始している。まるで懺悔大会のようだ。

スルスルと進行しながら実態のつかめぬ裁判の映像--問題はこれらの容疑が全てでっち上げだったということだ。裁判自体がプロパガンダだったのである。しかし、死刑判決が下されても被告たちは受け入れる。
その時の裁判長や検事を務める者の行く末(多くは悲惨な運命)も合わせてみると、スクリーンに浮かび上がってくるのは「闇」なのであった。


以上、結局三作皆勤してしまった。最初はそのつもりはなかったのだが(◎_◎;)
多分コロナ禍で外国映画の公開が滞っていたせいだろう。大作エンタメ映画が公開されていたら絶対そちらに行ってたに違いない。
見てしまったのは怖いもの見たさか。あるいはゾンビ愛好者がゾンビ映画を見に行くのと同じ気分なのか。
果たして私はロズニツァ監督に手玉に取られていたのだろうか。
得られた教訓は「大行列、目的が違えど並んでしまえば皆同じ」である。

パンフレット買ったけど1400円ナリでかなりの厚さ、単行本と言っていいくらいだ。彼の劇映画もどんなものか見てみたい。
210421b

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2021年4月 5日 (月)

「ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった」/「ラスト・ワルツ」再見:共同幻作

210405「ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった」
監督:ダニエル・ロアー
出演:ロビー・ロバートソン
カナダ・米国2019年

ザ・バンドについては完全に門外漢だけど見に行っちゃいましたよ。
ロビー・ロバートソンが過去を振り返るドキュメンタリーである。

自らの生い立ちから始まり、ロニー・ホーキンスのバンドに参加、レヴォン・ヘルムと知り合って独立してバンドを結成し、やがてボブ・ディランのツァーでバックを担当する。
御存じの通り、このツァーはどこへ行ってもディランがブーイングでヤジり倒された。彼らにとっても本当に嫌でストレスだったのが語られる。レヴォンに至っては途中で逃走してしまった(ーー;)

アルバムを出して人気を得るものの、その間に自動車事故が起こったり、酒とドラッグでツァーが崩壊状態になったりして、ロビーはもうバンドとして続けていくことができないと思うようになる。そして解散へと心が傾いていく。
当時の映像が全て残っているわけではないが、写真などでうまく繋いでいるのでインタビュー中心でも飽きることはない。

間にホーキンス、スプリングスティーン、クラプトンなどが出てきてザ・バンドへの愛を語る。ピーター・ガブリエルが登場したのは驚いたけど、名前が出るまで誰だか分らなかったというのはヒミツだ(;^_^A
笑ったのはクラプトンで、彼らの音楽を聴いて大感動して参加させてくれと頼んだが断られたそうな。
スコセッシも数回出てくる。映画の話より、当時のザ・バンド自体についての言及が多い。

しかしこれはあくまでもロビーの語りである。今でも存命しているメンバーは他にガース・ハドソンだけで、しかも彼のインタビューはないのだ。
「兄弟」であった男たちの絆が崩壊し『ラスト・ワルツ』に至って終了する--という、ある種感傷的な流れで物語としてうまくまとまっているが、まとまり過ぎの感がある。
ファンの人はどう思うのだろうか。

『ラスト・ワルツ』からのコンサート映像も使われている。おかげでもう一度見たくなった。私が見たのは昔に一度だけで、共演してたミュージシャンのこともろくに知らなかった頃である。
ザ・バンドというのはあの時代では特殊な立ち位置で、比べられるのはリトル・フィートぐらいしか思いつかない。今だったら、ルーツ・ロックとかアメリカーナとか分類されるかもしれないが。
それと5人編成のロックバンドでキーボード2人というのも珍しくないか!?


「ラスト・ワルツ」
監督:マーティン・スコセッシ
出演:ザ・バンド
米国1978年

というわけで結局また見てしまった『ラスト・ワルツ』である。ツ〇ヤでレンタルしたらちょうどケーブルTVで放映していた。トホホ(+_+)
もっともDVDには特典のコメンタリーや映像が付いている。
前に見たのはどうもリバイバル上映で1999年らしい。それでも20年は経過しているわけだ。

今回改めて驚いたのは歌詞の字幕が付いてないことである。最近のコンサート映画は付いていることが多い(『ザ・バンド』でも同じ演奏場面にはあった)。ファンは分かっているからいいだろうけど、私のような門外漢にはキビシイ。
それどころか曲名も途中に出さない。エンドクレジットにまとめて記されているだけだ。

一度通して見てからコメンタリー付き(しかも2種類ある)で飛び飛びに見直したりして2倍以上の時間かかってしまった。何をやっているんだ(~_~;)

ゲストでまだ若くてツルピカのジョニ・ミッチェルが登場している。思わずそこは二度繰り返して見てしまった。
ニール・ダイアモンドは他の出演陣に比べると完全に「外様」で、公開当時「場違い」みたいな言い方をされてたのを思い出した。ロビーの人脈で出演したらしいが、確かに微妙な距離感である。

ヴァン・モリソンは激熱のパフォーマンスをやってみせた。なのに、あの変な衣装はなんなのよ(?_?)……と思ったら、2種類のコメンタリーともこの衣装のことを触れてたので皆同じに感じるらしい。
ボブ・ディランについては撮影しない約束で弁護士が見張っていて、撮り始めると猛抗議してきた。それを、ビル・グラハムが会場から叩き出したという話には笑った。
当時の撮影スタッフのコメントではスコセッシが相当に細かくうるさくて辟易してたらしいのがうかがえる。

以前見た時には印象に残らなかったが目を引いたのは、インタビュー場面でリック・ダンコがフィドルを小脇に挟むようにして持って弾いてみせたことである。当然弓は上下垂直に動かす。こんな弾き方があるのかとビックリした。
これじゃ、ルネサンスやバロック期のような昔に楽器をどんな持ち方してたかなんて、今では完全には分からんわなあ。

見直してみて、スコセッシはロビー・ロバートソンを主演に据えた映画(テーマは有終の美学✨)を作りたかったのだなあ、と思ってしまった。コンサートの準備段階から関与していたというのだからなおさらである。もうこれは「共作」と言っていい。ドキュメンタリーでありながら「虚構」のような。
そうしてみると『ザ・バンド』の方は、結局そのテーマをさらに後から補強する役目を果たしているようである。
問題は他のメンバーが解散を考えてなかったということだわな💥
とすれば、40年後のロビーの語りは「弁明」とも受け取れる。

後に知られるようになったことだが、ライブ場面の音はほとんど後から差し替えやタビングしてあるらしい。あちらのコンサート映画では珍しくないことだそうだ。
差し替えてないのはレヴォン・ヘルムとマディ・ウォーターズだけとのこと。
マジですか(!o!) ますます虚構味が……💦

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2020年12月 3日 (木)

「LORO(ローロ) 欲望のイタリア」:怪人復活

監督:パオロ・ソレンティーノ
出演:トニ・セルヴィッロ
イタリア2018年
DVD鑑賞

ソレンティーノはどうも作風が苦手だけど、以前同じく政治家もので同じくトニ・セルヴィッロ主演の『イル・ディーヴォ 魔王と呼ばれた男』を見たので、今回も蛮勇を奮って鑑賞することにした。
主人公は伊首相を計9年間も務めたベルルスコーニ。メディア王にして犯罪疑惑があり、派手なセックススキャンダルにも事欠かない。
イタリア事情にうといとどんなヤツだっけ?とピンとこないが、オバマ大統領夫妻(当時)が訪れた時に「日に焼けている」などと(首相なのに)発言した人物である。そういや、トランプ大統領に似ているような。

本作もやはり社会派映画ではなく、シュールな映像にぶっ飛んだ構成である。さらに派手な美女がエロい格好でワラワラと多数登場する。
ただ150分は長すぎに感じた。そもそも元は二本の作品なのをまとめて短縮版にしたというのだから余計に訳が分からなくなる。

前半は地方でくすぶっている若い実業家が、エロくて美人なおねーさん方を集めて(オーディションまでやる)失脚し隠遁生活を送るベルルスコーニになんとか食い込もうと努力する。彼らはは日がな元首相の別荘のそばでバカ騒ぎを繰り広げる。
一方、その広大な別荘でベルルスコーニは何をしているかというと、復活を目指して陰謀をめぐらすこと、そして妻との関係を取り戻そうとすることである。
仮面のごとき笑いを顔面に張り付けたセルヴィッロが迫力である。笑っちゃうけど。

ラストについてはよく理解できない。エアコンの寒風(ゼロ℃設定!)で凍死する羊、そして災害の瓦礫の中から発見される十字架のキリスト像……宗教的な意味があるとは思えるが(?_?)

実在の政治家たちが登場するので、やはり事前にイタリアの政治情勢を予習しておかないとかなり分かりにくい。
ここでは主人公はあくなき権力欲を持っていても、もはやあがくだけの「哀れな老人」として描かれている。しかし、なんと本作が作られた後にまた国会議員として返り咲いているのだ。まさに魑魅魍魎である。
そんな権力者についてこんな映画作っちゃって監督大丈夫かしらん、と心配になったほどだ。

米・英・露・ブラジル、そしてイタリア……ろくでもないリーダーは世界のどこにでもいるのだと分かって、却って安心した。日本だけじゃないよーヽ(^o^)丿
日本版をこういう手法で作ったら面白いかも。ただ、美女盛りだくさんパーティでなくて「桜を見る会」になるけど(;^_^A それはそれで笑えそうな。

「地方都市はエロい美女がいっぱいいる」というのは……イタリアではそうなのか👀と驚いた。

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2020年10月13日 (火)

「その手に触れるまで」「ルース・エドガー」:男のいない男たちの世界

201012a 「その手に触れるまで」
監督:ダルデンヌ兄弟
出演:イディル・ベン・アディ
ベルギー・フランス2019年

「ルース・エドガー」
監督:ジュリアス・オナー
出演:ナオミ・ワッツ
米国2019年

今回のお題は「構ってほしい、異文化のはざまに立つ良い子の少年」である。共通項は「女教師」「母親」「女の子」だ。

『その手に触れるまで』はカンヌの常連ダルデンヌ兄弟がやはり監督賞を獲得した新作。
ベルギーに暮らす移民(モロッコ系?)の少年アメッド、少し前まではゲームに夢中だったのに今はネットでイスラム過激思想にはまり、地元の指導者の元に通いだす。そして母親や言葉や勉強を教えてくれた女性教師に反発するのであった。

まだ13歳なのでその直情ぶりは融通が利かず笑っちゃうほどなのだが、教師への敵意はただならぬもの、しかもシツコイとなると話は違ってくる。
とはいえ、いくら彼が幾ら信仰の鎧で身を固めてようと、現実の少女の前では崩壊してしまうように付け焼刃である。あるいはそんな中二病的世界観では健康で無邪気な牧場女子のリアリティに太刀打ちできないというべきか。

純粋ゆえの過激と無謀さを淡々と描き、そのように幼い価値観があちこちにフラフラと曲がってはぶつかる様子を見守る映画である。
もっとも私は根が疑り深い人間なので、ラストに至っても「まだやる気か(!o!)」などとドキドキしてしまったですよ、トホホ(^^;ゞ
そのラストで邦題の意味が判明するが、それでもなんだか生ぬるい感じがするこのタイトルはどうにも気に食わねえ~っ👊

言葉ではなく反復する動作を積み重ねていくのは、いつものダルデンヌならではである。
少年がイスラムの教えに沿って執拗なまでに手洗い(といってもコロナウイルス以降の世界では珍しくもなくなったが)、口の中を洗う動作の反復、そして農作業の身体の動きの積み重ね……。
こういう単純な動作をダルデンヌは撮るのがうまい。つい見入ってしまうのであった。


201012b さて、『ルース・エドガー』は宣伝や広告でかなり観客をミスリードしているが、実際には『その手に触れるまで』と構図や設定がほぼ同じである。予告がサスペンスっぽい作品のように見せていても全く違う。

主人公の高校生は常に賢くてよい子である。というのも元はエリトリア(?)の少年兵という出自で、今は米国中産階級の白人夫婦の養子になっているからだ。「更生」の証として、また養父母の期待に応えるためにはそう振舞わねばならない。そのような状況ににウンザリしている
その不満からか、身近にいる女性教師に敵意を向けるようになる。

もっとも大人をなめくさって自らの能力に疑いを持たない傲慢な若者はどこにでもいる。ただこの場合常軌を逸している。『その手~』のアメッドと同様で異様なほどに執拗なところまでそっくりだ。

『その手~』では少年の父親は不在ということだったが、こちらには身近な男性がいることはいる。しかし場当たりな反応の養父や調子のよい校長はいてもいなくても存在でしかない。
結局のところ若者の相手をしてやっているのは、やはり女性教師と母親と同じ学校の女の子であり、彼が敵対するのも利用するのもみな女なのだった。

これはまたもや「不満を抱く若者を構わざるを得ないのは女」事案ではないか。(過去の例→『ブレッドウィナー』『家族を想うとき』
「なんで女にばかりコマッタ若いもんの尻ぬぐいをさせるかなー。どうしてそんなに女に頼るの。男もちゃんと相手してやればいいのに」と思ってしまったのは事実である。

原作は芝居ということで、ほとんどは役者の会話で進行する。ここはダルデンヌ兄弟とは大きな違いだ。そして(日本でも同様なのだが)この手のあえて不愉快さをまき散らすタイプの芝居を書く者の、鼻持ちならない尊大さに辟易してしまった。

さらに加えて人種差別を扱っていながら、別の偏見を強化するような内容なのはどうよ。出自や生育環境が複雑な人間は信用できないとか、子どもの頃に暴力的な環境に育った人間は本質的に変わらず暴力的であるとか--そういう言説を半ば肯定しているのではないか。
また作り手のミソジニーがにじみだしているような部分も感じる。標的の教師はフェミニストっぽいし、東洋系のガールフレンドはまるでエイリアンのように不気味な存在に撮られている。そして母親は「愚か」である。

ナオミ・ワッツやオクタヴィア・スペンサーをはじめ、いい役者を揃えているのにねえ。モッタイナ~イ💨

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2020年8月15日 (土)

「レ・ミゼラブル」「ルーベ、嘆きの光」:生まれは双子、育てば別人

200815 「レ・ミゼラブル」
監督:ラジ・リ
出演:ダミアン・ボナール
フランス2019年

「ルーベ、嘆きの光」(「ダブル・サスペクツ」)
監督:アルノー・デプレシャン
出演:ロシュディ・ゼム
フランス2019年
*日本未公開、WOWOWで放映

『レ・ミゼラブル』はサッカー・ワールドカップの応援に沸くパリの街から始まる。熱狂して三色旗を振り回す人々--その中にアフリカ系の少年たちが混じっているが、彼らが無賃乗車して帰っていくのは近郊の犯罪多発地区である。

というドキュメンタリー的な冒頭からつかみはオッケーだ🆗
その街では複数の人種・民族によるグループが対立し、その間を警官が威圧するようにパトロールする。それは安全や秩序を維持するためではなく、権力を背景にした差別振りまく示威行動なのである。
他所から異動してきた刑事はそのやり方に違和感を抱くが、打開するのは簡単なことではない。

そして、悪ガキのいたずらに端を発してその危うい均衡が壊れ、一触即発状態へと向かう。もはや国家秩序自体が底辺からグズグズと崩れかけているのを、イヤというほどに見せつける。恐ろしい。
見たら絶対ドヨーンとした気分になるだろうなと思って行ったら、やっぱりドヨーンとなった。
さすがドキュメンタリー出身の監督、その場にいるような迫力に終始ハラハラドキドキしていた。血圧も上昇してたに違いない。

ラストについては、第三者の立場から見れば少年に対して「ギャーやめて~。投げないでー(~O~;)」と叫びたくなる。しかし少年の立場からすれば当然「投げる」。やらない理由はどこにもない。
でも、少年の方に同調してその行為に快哉を叫べるのは、自分が「やられない」側だと信じている者だけだろう。日本人の大人にそれに該当する者はいるかな(^^?
ああいうエンディングは結局、観客はその先に自分の見たいものだけを見るのだろう。

さて、驚いたのは映画に描かれた全てのシーンはこの地区の出身者である監督が実際に目撃したものだということだ(ラストも含めて)。
彼の立場はカメラ小僧の少年で(演じているのは実の息子らしい)、全三部作になるとのこと。次を見る気になるかどうかは、気力体力次第である。

もう一つビックリなのは役者に素人を多く使っているのにも関わらず、アドリブは全くなくほぼ脚本通りだという。畳みかけるような映像や編集のせいか、そんな計算されたものとは思わなかったので意外だった。

なお、この映画は朝日新聞の「働く」というコーナーで「映画配給」というシリーズに取り上げられていた。
邦題をどうするか迷った挙句(31も案があった)あえて原題のままに決めたそうな。「下手な邦題や副題を付けたら作品のニュアンスを崩す」から。
また監督はカンヌで審査員賞を取った後、買い手が殺到してネットフリックスからも話があったが断った。配信では不可能な、観客と交流することを望んだからだという。


『ルーベ、嘆きの光』は『レ・ミゼラブル』の後に見ると驚くこと請け合いである。
舞台であるベルギー国境近くにあるルーベという町は監督の出身地であり、フランス国内で最も貧しく住民の45%が貧困状態で、凶悪犯罪が多発するという。冒頭の字幕のメッセージには、作中の事件は全て事実だとある。ドキュメンタリー映画が原作とのことだ。
この町の警察に刑事が赴任してくるのが発端となり、彼を通して町を見ることになる。
そして主要人物以外は現地の住民を役者として起用している。

えっ❗これって『レ・ミゼラブル』とほとんどソックリじゃないですか(!o!)
しかしこれほどに成り立っている要素がかぶりながら、出来上がった作品は全くの正反対だった……なんでこうなるの?

作品のタッチは極めて内省的。うらぶれた街に起こる犯罪は車の保険金詐欺から放火殺人まで大小さまざまに起こるが、どんな犯罪であっても、さしたる激動もなく淡々と通り過ぎていく。
バックに時代遅れではないかと思うほどにクラシカルで流麗な音楽が流れるのが、それに拍車をかける。

新任の刑事は敬虔なカトリックだが神に祈っても効き目はないようだ。
移民出身の署長はオバマ似のアフリカ系で思索家のように見える。彼の家族がみな故郷の国に戻ってしまったと聞き、刑事が「なぜ戻ったんですか」と尋ねると「それよりなぜ私が残ったのかを問え」と答える。

例えここに善が存在しているとしても、夜のうらぶれた街へと吸い込まれていくしかないのだろう。
見ていて退屈に思う人がいるかもしれないが、心にジワジワとしみてくるものがある。私も歳をくったせいだろうか、『レ・ミゼラブル』よりこちらの方に引き寄せられるのだ。

本作はレア・セドゥがスッピンで出演してるのも話題になったらしい。彼女が演じているのは今や死語だが「はすっぱな女」、まさにこれである。
が、スッピンであれだけキレイなんだからやはり超が付く美人✨に間違いないだろう。もしフルメイクして豪華なドレスを着て現れたら、目がくらんで倒れ伏してしまうかもしれない。

このブログを書くのに検索してみたら、なんとつい最近『ダブル・サスペクツ』というタイトルになってソフトが出ていた。だがパッケージのジャケ写真や宣伝文句を見るとあたかもサスペンス映画……全く違~う(>O<)


さて、似ているようで似ていないこの二作はフランス国内の映画賞を争った(発表は今年の2月末)。一体、国内ではどのように比較されたのだろうか、知りたいものである。
『レ・ミゼラブル』はセザール賞12部門候補で4部門受賞。観客賞という一番ヒットした映画への賞まで取ったのは驚きだ。またカンヌ審査員賞獲得、アカデミー賞の国際映画賞候補。
『ルーベ』はセザール賞7部門候補で主演男優賞受賞。さらにこちらもカンヌのコンペに出品されたというのは、どういうことよ(?_?)
セザール賞の監督賞には両者ともノミネートされていたが、受賞したのはポランスキーで大騒動……なんかフランス映画界、波乱と嵐を求めていないか。

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2019年11月 3日 (日)

映画落ち穂拾い 2019年前半その1

191103a「マイ・ジェネレーション ロンドンをぶっとばせ!」
監督:デヴィッド・バッティ
出演:マイケル・ケイン
英国2017年

60年代英国で階級をぶち壊して勃興した労働者階級のユース・カルチャーをたどるドキュメンタリー。マイケル・ケインがナビゲートし、音声のみのインタビューに答えるのはマッカートニー、ツイッギー、マリー・クワント、
ロジャー・ダルトリー(P・バラカン監修につき「ドールトリー」表記になってる)など。音楽中心かと思ったらファッションやアートにもかなり時間を割いていた。
秩序立てて紹介している訳ではないので、当時の雰囲気を知りたい人向けか。(特にファッション関係に興味ある人)

いずれにしろ過去の若ケイン、現在の老ケインどちらもカッコエエです。名前の由来があの過去の名作とは知らず。
あと、ツイッギーにドジな質問をして逆襲されるのが、あの監督とは……(ヤラセ)


191103b「共犯者たち」
監督:チェ・スンホ
韓国2017年

韓国ドキュメンタリー、上映最終日に滑り込み鑑賞した。二代の大統領政権下で放送局が、社長をすげ替えられて政権の「広報」と化す。アナウンサーや記者がスケート場に左遷され、局員はストで対抗するも冬の時代が続く。 韓国内で起こった事件や政情を分かっていないと、やや難しいかも。

ここで描かれている状況と、今の日本のマスコミがほぼ同じなのでトホホ(+o+)となってしまう。日本の方は変わることができるのかね。 局をクビになって独自に突撃取材する監督は、今現在は局の社長に選ばれたって本当?すごい激動である。 それにしてもセウォル事件の報道はひど過ぎ……。


191103c「ナポリの隣人」
監督:ジャンニ・アメリオ
出演:レナート・カルペンティエリ
イタリア2017年

久しぶりに「金はもういいからせめて時間を返してくれ~」案件の映画だった。家族とコミュニケートできない中高年男性が見たら満足感を得るようなストーリーで、脚本も演出もエピソードをグダグダと連ねるだけで終始。父親に冷淡な娘が途中で態度を変える理由が全く描かれない。

主人公を始め、登場する男たちが揃ってダメダメなのには参った。 やはりイタリア映画の家族ものは敬遠した方がいいね。こんな映画を選んで見てしまった自分の不徳の致すところであるよ。


「ROMA/ローマ」
監督:アルフォンソ・キュアロン
出演:ヤリッツァ・アパリシオ
メキシコ2018年

やっと見た。確かにサウンドがすごい。実際に街角に立って聞こえるような音が本当に聞こえてくる。もっと設備のいい映画館なら効果もさらに増すだろう。
ただ全体的に見て好きな映画かというと「うーむ(-"-)」となってしまう。一見の価値はあると思うがそれ以上ではなかった。

一部にこれみよがしな場面があって「ここでそれをやるんだ……」と思っちゃうと、興ざめする。(あくまでも個人的意見)
それに子どもの時にあんな優しくてかわいい若い女の人に世話してもらったら、そりゃ忘れられないよなあ、などとも思う。

あの棒振り場面にボカシ入っていないのには驚いた。「ちいさな独裁者」なんかあんな遠くてロクに見えないのにボカシあったのに。基準はなんだ?
これを映画館で見る時には周囲が空いている座席を吟味して選択することを推奨。隣でポップコーンなぞシャリシャリ食べられたら殺意が湧くのは間違いない。


191103d「ブラック・クランズマン」
監督:スパイク・リー
出演:ジョン・デヴィッド・ワシントン
米国2018年

形は警察官二人組ものの体裁を取っていて、娯楽作品として十分通る(終盤の活劇は原作にないらしい)。が、冒頭うさん臭いA・ボールドウィンから中盤のブラックスプロイテーション談義、最後のニュース映像まで至ると、実はストーリー仕立ての差別論議映画に思えた。

つまりS・リーの意図は客を感動させることより、疑問を抱き考えさせ意見を戦わせることかなと。
私は最後までアダム・ドライヴァーがいつマイクが見つかるか、絶対見つかって危機一髪💥になると確信してたので、ハラハラしっ放しだった。
あのバッグの中身が結局どういう経緯でああなったのか?分からなかった。

学生会長は「スパイダーマン ホームカミング」の女の子だったのか!立派な女優さんになってご両親もさぞお喜びでしょう。
「アイ、トーニャ」の自称工作員男が似たような役柄で出ていて笑った。この路線でずっと行くのかね。
ハリー・ベラフォンテのシーンでは監督も一瞬映ったよね。

アカデミー賞の授賞式で脚色賞を取った時、嬉しさのあまりスパイク・リー(小柄、緑色のスーツを着ていた)はプレゼンターのS・L・ジャクソン(大きい)にカエルのようにピョンと飛びついたのだが、なんとご本人はそれを覚えていなかったという……。(直後のメディア会見で記者たちに確認する始末)

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2019年10月19日 (土)

「ロケットマン」:黄昏のスター路

191018 監督:デクスター・フレッチャー
出演:タロン・エガートン
イギリス2019年

「見たいエルトンより見せたいエルトン」--なんとなくそんな言葉が浮かんでくる。そりゃそうだ、自伝ミュージカルにご本人が製作総指揮で入っているのだから。

父に嫌われ母に疎まれ、音楽の才能を発揮するも家族の愛情は得られない。つらい、苦しい、暗い……信田さよ子の『〈性〉なる家族』に出てくる事案そのままみたいな家庭に生まれたエルトンの恨み節。冒頭から次から次へと見せつけられる。

名コンビとなる作詞家のバーニー・トーピンと出会うけど、ゲイとしての愛情は受け入れては貰えず。しかし、そのエルトンの心境をトーピンが成り代わって詞を書いて寄越し、また彼が曲にして歌うっていうのは……どういう関係なんだ? 当時は二人がそんな微妙な関係とはつゆ知らなかった。
さらにミュージシャンものでは定番とも言える悪徳マネージャーに引っかかって、大ヒットしてスターになっても幸福ではない。見ているこちらはどんどん落ち込んでくるのであった。

「伝記」ではなくて、エルトンの過去に対する想いを自作曲と共に描く、と言った方がいいだろうか。依存症治療の施設で自分を振り返って語るという形式で、あまり正確な時系列に沿ってはいない。
脚本の問題なのか、その想念の描き方が身の上話を独白で語り、再現映像で見せ歌でも歌う。屋上屋を架すがごときだ。
最後は「幸せになりました」でカタルシスには乏しい。落ち込む上にスッキリしないのではなあ……。
ということで、『ボヘミアン・ラプソディ』の大ヒットで起こったクイーン特需のようなブームを洋楽市場は狙っていたようだけど、残念ながら不発に終わったようだ。

主演のタロン・エガートンのパフォーマンスは演技・歌唱(自分で歌っている)共に素晴らしかったので、そこが今ひとつ残念だった。オスカー候補確実の評はダテではなかったといえる。

見ていて、歌詞の字幕の付け方に疑問が残った。劇中で人物が歌う場面はコンサートの場面も含めて付く。ただしそれはエルトン作の曲のみで、他人の作品だと出ない。(例-ピンボールの魔術師)
劇伴でバックに流れる当時の曲などはエルトン作かどうかに関わらず出ない。
なんだか基準がよく分からないんだけど(^^;ゞ

さて思い出話になるが、私は当時全米トップ40を毎週チェックするのに熱中し、ラジオでFENをかけっぱなしにしていた。その頃のエルトンほど売れに売れたミュージシャンは知らない。ビートルズのレコード売り上げやチャートの記録を吹き飛ばし、自家製ジャンボジェットを初めて購入。さらに全米で収入(主にライブによるもの)ランクでも第1位となった。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いとはこのことだ。
なので、この映画ではその時代のことがあっという間に通り過ぎてしまったのは肩すかしだった。きっとご本人にとってはいい時代ではなかったのだろう。

なお、作中でキキ・ディーとのデュエット場面が出てくる。あの曲のビデオクリップをそっくりそのまま流用しているような感じだ。
彼女はエルトンの婚約者として売り出した。でもいつまで経っても婚約者のままで結婚することはなかった……💨
変だなあとは思っていたが、後から考えるとゲイであることを隠そうとするための攪乱作戦だったのか(?_?) しかし、実は「誰それの婚約者」というのは新人売り出しによく使う手法だそうである。

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2018年9月13日 (木)

「ルイ14世の死」:実録・あの人の最期は

180912 監督:アルベルト・セラ
出演:ジャン=ピエール・レオ
フランス・ポルトガル・スペイン2016年

ルイ14世が病床に就き臨終を迎えるまでの数週間を、ジャン=ピエール・レオがひたすら演じ続けるというので話題になった作品である。
冒頭以外はずっと王の寝室と控えの間ぐらいしか登場しない。彼はほとんど寝たきりで、半分眠っているかごく少量の食事を取るぐらいしかしない。
周囲には侍従や医者たちがいて、たまにマントノン夫人や王太子などが見舞いに現れては消えるぐらいだ。
そういう点ではかなり退屈である。

見ててこれはJ・P・レオのパフォーマンスをひたすら見る映画だなと思った。こういうパフォーマンス系の作品がたまにある。
私が最初に意識したのはM・ハネケの『セブンス・コンチネント』である。
これは映画館で初めて見たハネケ作品で、上映したユーロスペースは満員だった。座席はすべて埋まり、私は通路に座って見た。この監督はこんなに人気があるのかとビックリしたもんである。
しかし、同じ映画祭で他の作品はそんなに客が入っていなかった。要するに『セブンス・コンチネント』は、一家が自宅の中の家財道具を壊しまくるシーンが延々と続くのだが、その行為が話題になっていたので、みんな見に来たらしい--とかなり時間が経過してから気付いた。

映画のテーマとか意図とか演出とか関係なく、作品の中で行われるパフォーマンスを特化して見るということはある。
派手なアクションがある映画では「細けえことはいいんだよ」と大雑把な展開だったり、見事な特撮の怪獣が暴れ回るような内容ではまず一番の注目は怪獣である。さらには『ウィンストン・チャーチル』だってそうだろう。あれは英国の宰相の伝記を見に行くのではない、G・オールドマンの名人芸とメイクアップを見るために行くのである(そうだと意識してなくても)。

で、本作もやはり同じように感じた。観客が延々と眺めるのは瀕死状態のJ・P・レオなのである。
当時の史料を元に再現し、小道具や衣装もそのまま復元し、ドキュメンタリー風に撮っているとのこと。その割にはルイ14世の本物の寝室は派手過ぎなのでやめた、というのは、ちといい加減ではありませんか。
あと、音楽好きの王だというのに音楽がほとんど出てこない! 古楽ファンは期待して行くとガッカリである
唯一、宗教曲らしいのが流れるのだがなんとモーツァルト……(・o・) エンドロールにはクープランの「スルタン」が流れるが、大仰なオーケストレーションによる演奏だ。

瀕死パフォーマンスを楽しめるのならいいが、そうでない人は眠ってしまっても仕方ないだろう。

ラストにビックリするような場面が出てくるが、これを蛇足として見るかシニカルかつ批評的視点ととらえるかによっても、評価は異なってくるだろう。

監督は『アンナ・マグダレーナ・バッハの日記』を撮った映画作家ユイレ&ストローブの後継だそうだが、正直50年早いと思った。

 

 

 

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2018年7月26日 (木)

「私はあなたのニグロではない」:イン・ザ・ヒート・オブ・ヘイト 今ここにある差別

180726 監督:ラウル・ペック
米国・フランス・ベルギー・スイス2016年

ドキュメンタリーというと、普通は特定の個人や出来事をカメラが追うという形を思い浮かべるが、これは違う。
アフリカ系作家ジェームズ・ボールドウィンが遺した30ページのテキスト(朗読はサミュエル・L・ジャクソン)と、彼の演説・講演・TV番組などの映像・音声、さらに過去の様々なメディアの映像をコラージュしたものである。
言ってみれば、近現代の米国における「人種差別」のイメージそのものを描いているのだ。

1957年、白人しかいない高校にただ一人入学した黒人の少女の報道をパリで見て、ボールドウィンは衝撃を受け、米国に帰国したという独白から始まる。

あまりのひどい状況に彼ともう一人の作家がロバート・ケネディに面会して「大統領が一緒に登校すれば」と進言するが、「見世物だ」と一蹴される。(結局女子生徒は4日としか登校できなかったらしい)

続いて、暗殺された3人の黒人指導者(メドガー・エヴァース←B・ディランが歌を作った、マルコムX、キング牧師)について回想する。
その合間に講演や番組でのトークでの、彼の鋭い舌鋒が紹介され、さらに昔の映画や写真の一部が流れる。
サイレント時代の「アンクル・トム」、ミュージカル「パジャマゲーム」、さらにはA・ヘプバーンの「昼下がりの情事」まで。そして一見感動的なはずのシドニー・ポワチエの「手錠のままの脱獄」「夜の大捜査線網」を当時の黒人たちがどう見ていたかも語られる。(当然、「世評」とは逆)

そして最後には、白人の側こそが「ニグロ」を必要としているのではないかという痛烈な問いに至るのだった。
その厳しい批判はR・ケネディの「いつかは黒人の大統領も登場……」という発言に対しても、「大人しくしてりゃそのうち大統領にしてやるだとさ!」(ちょうどオバマの映像が映し出される)と向かうのだった。

かようにボールドウィンの弁舌は聞いていて鋭く迫力がある。そして流される映像と共に差別にまつわるイメージが今そこに茫洋と立ち上がる。
非常に見ごたえありのドキュメンタリーだった。シメのディランストーンズだっけ?の歌に意表を突かれて、大きな効果あり。

ただ、字幕でテキスト読んでよく理解しようとしても、どんどん次の文章へ行っちゃうのでこちらの理解が追い付かんのであった_| ̄|○トホホ 映像に気を取られすぎてもまた分からなくなる。吹替えだとまだよかったかも。

しかし、『タクシー運転手』と続けて見たのだが、いずれも他国の話(回りまわって無関係ではないとはいえ)。これが日本や自分自身に向かってくるようなテーマだったら、正視していられるだろうか--などと心細く思ってしまうのもまた事実である。

テーマに全く関係ないけど、過去の映画やTVの映像で『駅馬車』のスタントはやっぱりすごいなあとか、『ゴングショー』懐かしいなあ(実は大好きでよく見てた)とか思ってしまった。
で、その中に、とある映画の白人のチンピラが黒人を殴り倒す場面が出てきたのだが、そのチンピラ役どこかで見たなと思ったら若い頃のリチャード・ウイドマークで驚いた。
彼は悪役出身だったけど、こういう役もやっていたわけだ。

さて、監督のラウル・ペックはアフリカ系でハイチ出身なのだが、彼が2000年に作った『ルムンバの叫び』という劇映画、日本で公開された時見に行ってたのだ(!o!) コンゴで実際にあった大統領暗殺事件を描いたものだが、当時「ミステリマガジン」誌の裏表紙に広告を出てたくらいで、よくできた政治サスペンスだった。
この監督さんもなかなか興味深い人物ですな。

 

 

 

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