映画(タイトル「ヤ」行~)

2017年10月 9日 (月)

「ワンダーウーマン」:ファイト・アンド・ラブ 戦闘美女参上

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監督:パティ・ジェンキンス
出演:ガル・ガドット
米国2017年

ワンダーウーマンと言われてもアメコミ関係は無知な私ゆえ、名前聞いたことあるぐらいの状態で見に行った。。
霧に隠れた海の中の王国、そこは女だけの国だった(!o!)--となると、当然疑問なのはどうやって生殖活動を行うのかということである。アマゾネスのように外界へ出て男を見つけるのかと思いきや、ギリシャ神話の人物である島民は大人ばかり、唯一の子どもがヒロインのお姫さまダイアナなのであった。

さて、ある日そこに流れ着きた~る男ひとり~ぃnotes 時は第一次大戦の真っ最中、スパイ任務中の男の言葉を信じて、悪(ドイツ軍)と闘うために彼女は外へ出ていく。
ここで「ちょっと、これってオボコ娘を悪い男が騙す手口じゃないの?大丈夫かしらん」と、突如おばさんモードになって心配になっちゃう。

ロンドン経由で欧州前線へ。ムサイ男たちがゴロゴロいる過酷な戦場に、強い美女一人……って、どこかで見たような気が(?_?) と思ったらマンガの『キングダム』じゃありませんか。
その後は大音響とCGバリバリのアクションが連続して行け行けドンドンon 退屈している暇もなく、約2時間20分アレヨアレヨと進行する。特に前線の村での大活躍は爽快の一言だ。思わず「やった(^o^)丿」ポーズをとりたくなる。

しかし、「戦う女」というよりは「お嬢さん、大暴れpunch」といった風情で今一つ「軽い」のはどうしたことよ。そういや、『スパイダーマン:ホームカミング』も軽かったのを思い出した。軽いのが当世風なのか。
おまけにラスボスが意外な人物--ではあるがあまりに意外過ぎて迫力がないような?「ええ、そうなんだ、ふーん(゜_゜)」てな感想しか出てこない。
「人間こそが悪」と言ったって、根本的な悪の描写はないから、なんだかお題目だけな気がしてしまうのも困ったもんだ。

一番の問題は、主人公カップル以外パッとしたに美男美女がいないこと。いや、別に娯楽映画で中心キャラクターが美男美女なのは当然なんだけど、美しくなくとも、思わず目を引くカッコエエ奴とか個性が強い人とかロクでもないが憎めないキャラとか--印象に残る人物がいないのだ。過去の様々な人気シリーズなど思い返せば、そのような味のある脇役が必ずいるんだけど、この映画にはいない。その点は非常につまらないと思う。

主役のガル・ガドットは美人で長身、プロポーションも申し分なく、どこから見ても映える。しかも美しいというだけでなく愛嬌のある顏だちなのがよい。これでイスラエルで兵役につき、パレスチナ問題で暴言を吐いたとはとても見えないが、愛国美女なんですかねえ。
おかげで相手役のクリス・パインはやや影が薄い。サービスショット(ファン向け?)が目に付いたくらいか。

さて、世評ではこれがフェミニズム作品として評価できるという意見が多数派のようだが、正直そうとは思えない。闘う強い女が登場したからといって、それだけで評価が上がるわけではない。「強い女」が登場する作品なら、それこそ『キングダム』や『ナウシカ』だってそうだろう。しかし、これらはフェミニズム批評の俎上に上がっても、作品自体が評価できるかは別である。

悪役の(女)科学者の描き方もかなり違和感あり。原作がそうなのかも知れないが、ちっこくて黒くてコソコソしてて小ネズミのようで、主人公とは正反対。おまけにドイツ軍の将軍になでられて、まんざらでもない顔をするのもどうか(他にも「男からの評価を気にする」という描写あり)。正統派リケジョ悪役なら「同情するなら研究費出せdollar」ぐらいに気を吐いてほしいもんである。


予告で「ジャスティス・リーグ」とマイティ・ソーの新作をやっていたが……なんかこれからは「団体戦」が流行なんですかね。


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2017年9月 9日 (土)

「LOGAN/ローガン」:ローンウルフ 子連れ狼、国境の北

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監督:ジェームズ・マンゴールド
出演:ヒュー・ジャックマン
米国2017年

「ローガンが老眼」……誰でも思い浮かぶギャグ通りの設定である。往年の「X-メン」は今いずこ。ウルヴァリンことローガンはプロフェッサーXと町はずれに隠れ住み、ショボくれた運転手として日銭を稼ぐ毎日である。というのも教授は痴呆症で、薬がないと卓越した超能力者だけに非常なご近所迷惑になってしまうからだ。
老々介護みたいな話で暗いですなあ(ーー;)

さらに、研究所から逃げ出してきた少女が自分と同じ能力を(!o!) もしかして自分の「娘」かsign02
迫る追手に彼らはカナダ(多分)国境にあるという「約束の地」を目指す。
元々人種差別問題と重ねて語られてきたこのシリーズゆえ、この設定がトランプ以後を予言していたということでも評判になったっけ。
行く先々で不幸と暴力をまき散らす(結果的に)一行、ますます暗い展開だ。

作中で『シェーン』が引用される通り、全体的に西部劇的雰囲気が濃厚。あるいは浪花節的とも言えようか。
まさに一匹狼として生きてきたウルヴァリンが「家族」を見出す過程は泣けるし、次世代に希望を託しつつ終わるラストは涙ものであるcrying
アクションシーンもテンコ盛り。そちら方面も文句な~し。

ヒュー・ジャックマンの一世一代の当たり役、有終の美を飾ったshineと言えるだろう。17年間ご苦労さんでした(T_T)/~~~ 願わくば、次はこれ以上の当たり役を見つけて欲しいところである。
パトさんことP・スチュワートは、まだらボケの超能力者という難しい役どころをガッチリ演じきっております。できればまたイアン・マッケランと美爺共演してくれんかのう(個人的願望)。
子役の少女は凶暴さをいかんなく発揮。セリフは少ないが「子狼」役として適役であった。

さて、少女が教授とホテルで映画の『シェーン』を一緒に見て、そこから正義を学ぶというくだりがある。
出たthunder定番「映画で正しいことを学ぶ」場面。よく見かけるが(古くは『グレムリン』とか)私はひねくれ者なんでホントかな~なんて思っちゃう。
映画から正義を学べるなら、悪事だって学べて実行できるのではないかね。
ホテルのテレビではたまたま『シェーン』をやってたからいいけど、これが別の映画だったらどうなるだろうか。

例えば『ブルー・ベルベット』→教授「親に隠れてこれを見に行って、あまりのヘンタイぶりにハアハア(^Q^;)したもんじゃよkissmarkウヒョヒョ」
あるいは『時計仕掛けのオレンジ』→教授「上映禁止運動が起こっておったが、友人たちと見に行ってコーフンして、帰りには通りがかりのジーサンを殴り倒したなあ。まあ若い頃はそんなもんじゃ」
おいおい(@_@;)違う物語になっちゃうよ。


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2017年6月18日 (日)

「わたしは、ダニエル・ブレイク」:ビリーブ いつか給付金を貰える日まで

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監督:ケン・ローチ
出演:デイヴ・ジョーンズ
イギリス・フランス・ベルギー2016年

一旦、監督引退宣言をしながら世情に憤り復活し、ついでにこの作品でカンヌでパルムドールまで取っちゃったケン・ローチ。
見れば直球過ぎるほどの怒りの爆発annoyであった。

発端は、持病のため医者から労働を禁じられている主人公が、役所(の委託機関?)から就労可能と判断されて補助金を止められてしまったことだ。
電話で長時間待たされてイライラしていて、担当者と言い合いになってしまったことが原因だと思われる。しかし、結果として働けないのが分かっていながら失業保険を貰うために、手書きの履歴書(パソコン出来ないので)を配って歩いて偽りの就労活動しなければならない羽目になる。
一方、同じように役所に来ていた失業中のシングルマザーと知り合う。

意図的だろうが、ここには「善人」しか登場しない。普通だったら、主人公は短気なクレーマー親爺だろうし、シングルマザーは自堕落で時として育児放棄、二人の子どもは言うこと聞かずに勝手気まま、隣人の怪しい密売屋は迷惑かけ放題。パソコンカフェの若者だって、声かけたらそんな親切に教えてくれるとは思えん。

しかし、そのような要素はこの問題には関係ない!<`ヘ´>と全て切り落としているのである。さらには労働大臣の名前を出して批判punch 直球勝負たる所以だ。

もっとも主人公は不屈の頑固オヤジというわけでもない。落書き事件でハイになるも、とっ捕まって警察に説教されればショボンとなってしまうところなど、笑ってしまう。
でも、ラストの一言には涙が出る。

設定やストーリーは『ティエリー・トグルドーの憂鬱』や『幸せなひとりぼっち』(←見たけど遂に感想書けず)に似ていて、どこの国も同じような問題が存在するのだなとヒシと感じた。

ケン・ローチ、まだまだ活躍しなけりゃならないようである( -o-) sigh...

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2017年5月 7日 (日)

映画短評その2

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★「ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち」
監督:ティム・バートン
出演:エヴァ・グリーン、エイサ・バターフィールド
米国2016年

原作は児童文学のファンタジーかな? ティム・バートン節炸裂impactと言いたいところだが、そういうわけではなかった。
導入部がちょっと長い。主人公の少年がペレグリンの屋敷に入ってから、ようやくおなじみ奇妙奇天烈バートン世界が展開する。

しかし、どうも見た後にスッキリしない。この手の設定が複雑なファンタジーというのは、その枠組みを構築して維持し、それに沿ってストーリーを成立させるだけで大変な労力が必要で、息切れ状態になってしまう。
読者や観客の方は、理解しようとするだけで訳ワカラン状態になるのが常。似たようなのが『ライラの冒険』だった。

で、全体の印象はとっちらかって求心力なし--というところか。よく分からんけど、結局ハッピーエンドってことで終わるのであったfujiメデタシよ。

ジュディ・デンチやサミュエル・L・ジャクソン(悪役なのに迫力なし)はもったいない使い方。パイプをふかすエヴァ・グリーンはカッコ良かったが。
それから、ルパート・エヴェレットは全く気付かなかった。エンド・クレジットを見て、えっあの人物なのかい(^^?)状態である。
少年役のエイサ君が、背が伸びちゃってビックリ。成長期の子はあっという間に変わっちゃうね。
過去の映画のパロディがたくさん出て来てたようだけど、分かったのは『シャイニング』と『アルゴ探検隊の大冒険』ぐらいだった。
遊園地の場面に監督本人が出てたよね)^o^(


★「ラビング 愛という名前のふたり」
監督:ジェフ・ニコルズ
出演:ジョエル・エドガートン、ルース・ネッガ
米国2016年

異人種間の結婚を違法とする法律が1950年代の米国には、州によって存在していたsign03とは驚きだが、それに対して裁判を起こした夫婦がいた。最高裁で勝訴するまでが描かれる。

一貫して夫婦愛だけをピンスポット的に取り上げていて、背景の社会の動き(公民権運動とか)は意図的にカットされている。そこが「声高に差別を訴えない」として好評だったようだ。
だが、一方で背景が描かれていないとよく分からないところがあって隔靴掻痒の感がある。

1人目の弁護士は売名行為で声を掛けてきた? ワシントンになじめなかった理由はなんなのか? バージニア州に戻ってきて隠れ住んでいたのに逮捕されなかったのは何故? 子どもを学校にやってたらバレるんじゃないのか。
……などなど表で語られなかった部分が多数あるように思える。

そんな部分を主役の二人の演技が救っているようである。ジョエル・エルガートンは外見はほとんど変わっていないのに、若い時の朴訥とたイメージから中年になって頑固おやじ雰囲気を醸し出している。ルース・ネッガはそれを支えるしっかり者の奥さん風。二人ともアカデミー賞候補となった。ヨカッタgood


★「パッセンジャー」
監督:モルテン・ティルドゥム
出演:ジェニファー・ローレンス、クリス・プラット
米国2016年

なんだか珍品SFを見せられたという気分。いや、SFにもなってない「SF未満」であろうか。

120年もかけた宇宙旅行。その間、大勢の乗客はコールドスリープしているのだが、なぜか一人だけ早く目覚めてしまった男……なんと残り時間90年(☆o◎;)ガーン!! こりゃないよ~と驚くのは当然だろう。
前半『シャイニング』や『2001』の引用が出てきて、心理サスペンス的展開になると思いきや、恋愛もの→アクションという予想外の方向に行ってしまうのだった。

さらに、元々結末は違ったのを変更したんじゃないかという疑惑も出現。船長にアンディ・ガルシアをキャスティングしておきながら一瞬しか登場しないのである。

実際結末まで見ると、これじゃあ別の案があったのだったらそっちの方がよかったのでは?と思ってしまう。ところが、とあるサイトで紹介されてたオリジナルの結末は、予想をはるか斜め上を行くトンデモなものだったのだ。こりゃ、SF未満どころか「超SF」だいっtyphoon

宇宙船の造形は面白いし映像もキレイ。比べて、宇宙船内のデザインは平凡。船員の制服はスタトレか(?_?)
主演のジェニファー・ローレンスとクリス・プラットがもったいなかった。

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2017年2月 6日 (月)

「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー」:今度こそ私は誓う!

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監督:ギャレス・エドワーズ
出演:フェリシティ・ジョーンズ
米国2016年

『スター・ウォーズえぴ7』は本当にあきれて、もう二度とSWシリーズは見ねえと心に誓ったほどだった。
それなのに、なぜこのシリーズの新作(番外編?)に行ってしまったかというと、初めて目にした予告が面白そうだったからである。

設定は「えぴ4」直前で、お懐かしやモン・モスマが復活(!o!) そしてフェリシティ・ジョーンズの不良娘っ子に対し罪状を読み上げ、協力を迫るのだ。「ん?もしかしてSF版『特攻大作戦』みたいなのかしらん」と急に見てみたくなったのである。

その後、撮影途中で監督が降板同然の扱いになったなどとウワサが流れてきたが、まあ気にしないで行ってみよう。
しかし……(ーー;)


  ★警告  注意  警告  注意★

以下は本作を熱愛する人には耐えがたい文章が続いています。
避けることをお勧めします(^o^)丿
万が一読んで怒ってもannoy自己責任でお願いします。
また、ネタバレがあります。


結論から言えば、
死なせればいいってもんじゃねえぞ(`´メ)ゴルァ」
ということである。

しかし、それより前からおかしなところ、つじつまの合わぬ部分が多数出現。見終わって「そういや、あれは変だったな」と気付くぐらいならいいけど、見ている最中に「え、これおかしくね?」と思ってしまう案件が連続してはいかんともし難い。

例えば、冒頭マツミケ扮する科学者が妻と幼い娘を逃すが、その後でなぜか妻は荒野に娘を置き去りにして戻っちゃう。
ここで早くも第一の疑問--えーと(-_-;)、両親揃っていなくなっちゃったら娘の養育はどうするんですか? いくら友人を呼んだからといって見つからなかったら荒野で飢え死に?(→物語終了)
娘を放り出してまで戻る、なんてことするのは襲来した将校と過去によほどの因縁があったに違いない……てことは三角関係かheart01などと余計なことまで考えちまったい(~_~メ)

あろうことか、F・ウィテカーの友人は反帝国軍勢力の中でも過激なテロ集団のリーダーで、成長したヒロインは十代で立派なテロリストに育てられ、テロ行為を行なっていたらしい。お母さん、いい加減な友人を頼ってはいけません。

そういや、そのテログループにとっ捕まった情報屋のパイロット、タコ型生物に自白させられてその後「ふぬけ」になると言われたのに、すぐ正気に戻っちゃったのはおかしくないか。脚本改変部分なのかね(?_?)

反乱軍側の将校が科学者の暗殺を密かに命令するのも変。理由がよく分からない。協力するというんだから生かしとけば、さらに情報を得られるじゃないの。こんなに殺したがるということは過去によほどの因縁があったとしか考えられない……さては三角関係かheart02

後半のアクションや戦闘場面はいいけど、とにかく登場人物の行動の論理や感情の流れがメチャクチャ。過去に三角関係があったとでも自らを納得させなければ見ていられないのである!

だが終盤となるとアクション場面でも激しく疑問が突出する。そう、極めつけ「データの塔」であるよ(>O<)

やたら高い場所で格闘してハラハラドキドキというのは、近年「キャプテン・アメリカ」のシリーズなどで流行っているような……(^^?) 今さらながらの感がある。そして、探し求める重要な設計図が入っているメディアがなんとVHS--とまでは言わないが、今は無きベータ方式ビデオテープぐらいの大きさと厚さの物体に入っている、というのはどういうこったいdash
しかも同じような物体が積み重なって塔を成している(どこかのヲタク部屋か?)。それも一発検索できなくて、タイトル順にリストを辿るしか探しようがないっていうのは……(@_@;)
こりゃ何かの冗談ですかい。見た瞬間に目が点になって、悪いが失笑してしまった。

日ごろ、紙の本の愛好者や音楽をCDで聞く者を「いつまでモノにこだわっているつもりか」などとクサしている人は、この帝国軍の時代遅れなデータ保存法を見たら当然のことながら「ププッ(^'^)遅れている。前世紀ならぬ前銀河の遺物」と嘲笑するであろう。

まあ確かに奪い合いでアクション・シーンやるなら、ある程度の大きさの物体が必要なのは理解できるけどね。これがUSB、どころかマイクロSDカードだったら鼻息で吹っ飛んじまうわな。

一方、戦闘シーンは迫力はあるものの、昔の戦争映画そのまんまみたいなのを見せられてもなあと思ってしまった。
しかし、そもそもこの特攻作戦自体、反乱国(星?)の代表者会議で降伏すると決定したのにも関わらず、一部の「ならず者」部隊が無断で突撃を仕掛けて、それに引きずられて軍全体が追随するという甚だしく問題がある展開なのである。えっ、こんなんでいいのsign02と軍事マニアな人に聞いてみたい。

さらにラストでデススターを簡単に発動させてしまうのも目が点になる事案だ。確か「えぴ4」でもまだ試作段階みたいな感じだったはず(だから終盤の展開でドキドキした)。それなのにあんな簡単に使っちゃあ、有難味(?)が薄れるってもんだ。

同様に、「えぴ4」の設定を尊重しているという触れ込みなのに実は違っているという事例は、他にダース・ベイダーの強さがますますインフレ状態になっていること。あそこまで強くっちゃ「えぴ4」の冒頭にもラストにもそぐわない。
大体にして今度のダース・ベイダー、イモータン・ジョー風味が混ざってませんか(?_?)

最後は、一網打尽になっちゃって「そして誰もいなくなった」状態。私はあっけにとられてしまい、「いやー、簡単に全部片づけちゃったなあ」とシラけてしまった。誰彼突撃して死なせてしまえば、感動したり泣いたりするもんだろうか。冗談ではない。
ラストの「えぴ4」へのつなげ方も、こうなるとわざとらしいの一言である。


主役のフェリシティ・ジョーンズは面構えはいいが、役どころがストーリーに操られた人形のようで魅力半減だ。
ついでに言えば、闘うヒロインが主人公な割には他に女性の主要人物が少ないのも難である。その数少ない女性のうち会議で(愚かにも)降伏論を強硬に唱える人物に、アフリカ系女性を起用しているのもなんだかなあという気分になる。
それから、モフ・ターキン役にピーター・カッシングのCGを張り付けているのもひどい。これがまたつまらない演技で名優の名が泣く代物である。どうせだったら、風貌が似た役者をそのまま使えばまだましだったろう。死んだ後にこんな風に勝手に使われて「お気の毒に」と言いたくなってしまった。

まだまだ言いたいことはあるが不毛なので止める。ともかく、ダース・ベイダーもどきとデススターもどきが登場する映画はもう二度と見ることはないっpunch(キッパリ)


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2016年12月29日 (木)

「リトル・ボーイ 小さなボクと戦争」:汝の敵国人を愛せよ

監督:アレハンドロ・モンテベルデ
出演:ジェイコブ・サルヴァーティ
メキシコ・米国2016年

第2次大戦中、カリフォルニアの田舎町の少年の物語を、監督ほかメキシコ人のスタッフが描くという、珍しい作品である。

少年はチビのいじめられっ子で、父親は徴兵されて太平洋の前線へ送られている。父親の無事を願って、彼は司祭からこれをやれば父が生きて戻ってくる--という課題のリストを渡される。そのために、仕方なくよりによって町はずれに住む日系の中年男と仲良くしなければならなくなるのだった。

物語の設定としてはドイツ系の人物でも構わないはずだが、ここで少年のあだ名が「リトルボーイ」だというのが重要になる。原爆が絡んでくるのだ。
ヒロシマに原爆が落とされると、戦争が終わり兵士が戻ってくるぞshineと町中の人々に「リトルボーイ」(落とされた原子爆弾のニックネーム)と少年は声をかけられて有頂天になる。
しかし、母親から「ヒロシマにも捕虜の米軍兵士がいるのよ」と言われて今度は一転、不安におびえることになるのだった。

果たして司祭が言うようにリストを完成させて奇跡が起こり、父親は戻ってくるのだろうかsign02

監督はノーマン・ロックウェルの世界を描きたかったそうだ。確かに映像的には完璧にその雰囲気が再現されている。しかし、一方で大人同士の嫌がらせや暴力、子どものいじめなどその陰に暗黒面も存在するのも忘れてない。

これを見て、ロックウェルの絵の中の米国というのは、非西欧圏においてはある種の理想的な憧れの世界なのだと再確認した。やはりメキシコ人の監督ならではの描き方だという気がした。

母親役のエミリー・ワトソンやハシモト役のケイリー=ヒロユキ・タガワなど、ベテラン役者の力を感じさせる。主人公の子役はあまりに巧すぎfuji泣いちまったぜ(T^T)
ただ、難は映画の対象が子供向けか大人向けか今一つハッキリしないことだろう。

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2016年8月 8日 (月)

「ロイヤル・ナイト 英国王女の秘密の外出」:ロンドンの休日にバッキンガムで朝食を

160808
監督:ジュリアン・ジャロルド
出演:サラ・ガドン
イギリス2015年

サブタイトルが全てを語る。そーなんです! 19歳の若きエリザベス女王が(この頃はまだ「女王」じゃないけど)お忍びで外出してたんですね~shine 一説には『ローマの休日』の元ネタになったとか。

エリザベスが妹マーガレットとお忍びでリッツホテルでダンスしたというのは、実際あったことらしい。
事実はそこまでで、この映画の中では奔放なマーガレットが戦勝記念で狂騒状態のロンドンの街中へ逃走してしまい、マーガレットはそれを追いかける。
途中で、PTSDっぽい兵士を巻き込んで、トラファルガー広場、娼館、将校クラブなどなど駆けめぐるのであった。お笑い担当の凸凹将校コンビもちゃんといて、笑いを取る。もちろん泣ける場面もあり。
その間に庶民の様々な暮らしを垣間見るのであったよ。

見ていると思わず「ラブコメ」という言葉が浮かび上がってくる。でも日本の少女マンガの方がこの手の話を描かせたらずっと上手なような気が……。
と、日本の少女マンガの偉大さを感じつつ、無難に始まり無難に終了したのであった。

ともあれ、女王が存命中なのによくこんな話作ったなあという印象だ。日本ではとても無理ban

ヒロインのサラ・ガトンてどこかで聞いた名前だなあと思ったら、『コズモポリス』で主人公の妻役やってた人だった(『マップ・トゥ・ザ・スターズ』にも出ていた)。ここでは実物に似せるため(?)超美人のオーラは封印のもよう。
マーガレット役のベル・パウリーがイヤミなく演じていてよかった。そして父親ジョージ6世(『英国王のスピーチ』の主人公ですな)が、ルパート・エヴェレットとは見てて全く気付かなかったsweat01 しかし『アナカン』組二人が同じ人物を演じるとはねえ。二人は互いに似ているわけではないのに。


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2016年6月25日 (土)

「ルーム」:部屋は我が家に非ず

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監督:レニー・アブラハムソン
出演:ブリー・ラーソン
米国2015年

日本での出版時、ミステリー・ファンに話題になった小説を原作者自身が脚本担当で映画化。アカデミー賞に複数部門ノミネートされ主演女優賞を獲得した。

当然、話題作なわけだが、見た結果はどうも今一つな印象を受けた。
17歳の少女が変態野郎に拉致監禁されて、物置小屋みたいな狭い所に何年も閉じ込められて男の子も生まれ……という件りが、意外と早く終了するのは予告などで大体予想できてたので、以外ではなかった。
息子をなんとか脱出させてその後自分も解放されて以降が結構長く、力点が置かれている。しかし、ここの描写があまり納得いかないものだったのである。

初めての外界にパニック状態となる少年が、子どもゆえに柔軟な適応力があり世界になじんでいくのに対し、自宅に生還したヒロインの方は逆に段々とうつ状態に陥っていく。

だがここの描写が物足りない。本来ならマスコミ取材は苛烈で最低一か月ぐらいは張りついているだろうに、帰宅した時にちょこっと騒ぎを見せるだけ。
それに、ご近所、親類縁者、昔の同級生やら恩師やら何やら怒涛のように押し寄せてくると思うのだが、そういう場面や言及は一切なし。
また、実の父親が少年(孫にあたる)に触れるどころか見もしないと、帰宅直後にヒロインがブチ切れるのだが、直接そのような場面は登場しない。だから、彼女がいきなりヒステリックに叫んでいるように見えてしまう。
父親役は折角のウィリアム・H・メイシーなんだから、もう少し登場させてくれてもいいのに、ほとんど出番なく早々に退場しちゃうのだった。

ヒロインを追い込むような描写があまりしつこいと観客の方もいたたまれなくなってしまうが、TV出演のエピソードぐらいしかないというのもどうよ(?_?) 全て少年目線の語り口だから仕方ないとはいえ……down
ラストは感動的なだけに残念である。

彼女は陸上選手だったというから、狭い部屋に閉じ込められてその苦痛は想像するだに恐ろしい。ちょうど日本でも似たような事件が発覚したので余計にだ。
狭い部屋も息苦しいが、広いはずの外界も息苦しい。そして、演技合戦の映画も息苦しさを感じるのであった。

確かに主演のブリー・ラーソンはオスカーの価値はあるだろう(他のノミネート作品を未見なので比べられないが)。この人、『ショート・ターム』の主人公だったのね。まだ若いのでこれからに期待。
息子役の少年の屈託ない演技に感服した。それと、母親の再婚相手役のトム・マッカムスとワンコdogが、重苦しい中で救いです(^o^)丿


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2015年10月18日 (日)

「ラブ&マーシー 終わらないメロディー」:一作見て二作分のおいしさ、とはならず

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監督:ビル・ポーラッド
出演:ジョン・キューザック、ポール・ダノ
米国2015年

ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンの半生を、なんと二人一役で演じるという伝記映画である。
グループが人気が出てリーダーとして活動していた若い時期をポール・ダノ、そして表舞台から引っ込んで変な医者にとっ捕まった時期をジョン・キューザックが演じている。

ダノとキューザックはどう見ても似ている所は皆無だが、実物のウィルソンの当時の写真と見比べるとそれぞれ似ているという不思議(!o!)
……と納得しようとしても、やはり正直言って
ダノとキューザック、別人です!
と大いに違和感あるのだった。

それはともかくB・ウィルソンについては、天才で驚異的サウンドを生み出しながら様々な障壁に邪魔されたミュージシャン、というぐらいしか知識がない。ビーチ・ボーイズの曲もほとんど知らない私にとっては、なるほどこういうことだったのかpunchとよーく分かりました。

前半は、音楽というより「音」に対しての鋭敏さという点から描かれていて興味深かった。その感覚がサウンドを作り出す一方で、周囲と齟齬をきたし、さらには病いへと追い詰められていく。その音響が彼の内宇宙を描き出している。
ファミリー・グループで暴力的な父親が支配しているというのは、ジャクソン・ファイヴにも似ている。当時の音楽産業システムの産物なのだろうか。

後半は怪しい精神医をポール・ジアマッティが演じて(怪演shadow)悪役を一手に引き受け、その悪の手からエリザベス・バンクス扮する恋人が救出に奔走するという次第である。
こちらの方は音楽はあまり登場せず(というか、医者に無理やり作曲させられている場面ぐらいしかない)なんだか中年男女のメロドラマっぽい展開だ。

かように内容が分裂している(意図的だろうけど)この作品、一粒で二度おいしいとはならなかったのが、ちと残念。最後に元気なご本人が登場してくるとはいえ。
音楽ファンとしてはやはり前半部分が面白かった。P・ダノが実際に歌っているというのはスゴイnotes
後半は--B・ウィルソンのファンならどう思うのであろうか。


ダノ度:35%
キューザック度:25%
ジアマッティ度:40%


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2015年8月19日 (水)

「ソラリス」

150819
著者:スタニスワフ・レム
ハヤカワ文庫2015年

感想を書くのは映画やコンサートに押されて、本はどうしても後回しになってしまう。刊行されてすぐに読んだのに、ここまで時間が開いてしまった。

飯田規和訳の『ソラリスの陽のもとに』は、大昔にご近所の公共図書館で借りて読んだ。早川書房の『世界SF全集』(1968年)である。後に文庫版が出た時に買おうかと思って、結局SF全集のその巻を買うことにした。ハードカバーなのに値段があまり違わないうえに、全集の方にはもう一つ長編『砂漠の惑星』(『砂の惑星』と違うので注意danger)が収録されているからだ。実は『砂漠~』も非常に気に入っていたのだ。
もっとも買った後、ほとんど開かなかったのだが……。

この度の『ソラリス』は、沼野充義訳で2004年に国書刊行会から出版されたもの。それがハヤカワ文庫から再刊された。飯田訳では割愛された部分もある完訳版ということで、××年ぶりに読んでみた。

冒頭はよく指摘されているようにホラー小説のようである。前回読んだ時は全く感じなかったのだが。
ソラリスは表面全てが「海」に覆われた惑星だ。その上空に浮かぶステーションに「私」が到着すると、何やら荒廃した雰囲気が漂っている。しかも、3人いた研究者のうち一人は死亡、もう一人は姿を隠し、残った一人は挙動不審である。
さらにステーション内にはいるはずのない何者かが出没……(>O<)ギャ~~ッ!
そして、遂に「私」の元にもそれは来るのだsweat01

もう一つ感じたのは、人間とソラリスの遭遇経過や、「ソラリス学」の系譜をたどる部分がかなりページを費やしていることである。こんなに長かったっけ(?_?)と思う程で、人によっては退屈で投げ出してしまうかもしれない。しかし、自分でも意外だが結構面白くこの部分を読み進んだ。

執拗なまでに反復される二重太陽からの陽光の描写、刻々と変わる海の形状、一番恐ろしかったのは終盤近くで声が聞こえてくる場面である。やはりここは幽霊屋敷なのか。
確かにそこで人間は過去の亡霊と遭遇するのだ。

そもそもソラリスの海全体が一つの巨大な生命体という設定が驚くべきものがある。
作者の意図は次のような一文に現われている。

われわれは宇宙を征服したいわけでは全然なく、ただ、宇宙の果てまで地球を押し広げたいだけなんだ。(中略)人間は人間以外の誰も求めてはいないんだ。われわれは他の世界なんて必要としていない。われわれに必要なのは、鏡なんだ。(中略)そこで自分自身の理想化された姿を見つけたくなるのさ。

人間は他の世界、他の文明と出会うために出かけて行ったくせに、自分自身のことも完全に知らないのだ。

ソラリスは絶対的な他者であり、敵対的でも友好的でもない。タコとか爬虫類とか分かりやすい生物に似てはいない。そもそもコミュニケーションが取れるのかも不明である。
この小説の書かれた前にもまた書かれた後にも生み出された幾多の物語。そこに出現する友好的で親しみやすい、あるいは敵対的で醜悪な地球外生物、というような範疇から全く外れている。

遥か宇宙へ出て行って他の知性体との接触を目指すが、折角遭遇した相手は予想外の形状でコンタクトもできない。しかも、向こうが一方的に送り付けてきたのは人間の内部に潜んでいるものなのである。
わざわざ手間をかけて宇宙へ出かけ、結局遭遇したのは自分自身である、というのは大いなる皮肉だ。

しかし、意図は必ずしも結果を保証しない。読み手は作者の意図を越えて様々に解釈することが可能である。
それが、他のレムの作品に比べてこの『ソラリス』がポピュラーな人気を博している理由だろう。

レムは恐らく映画好きだと思われる。訳者の解説によると二本の映画化作品(タルコフスキーとソダーバーグ)両方とも気に入っていないと言明している。また別の小説(『枯草熱』だっかな?)では主人公の活躍がハリウッドで映画化されて内容が興ざめだった、みたいなことが述べられている。映画に興味が無かったら、そんなことをわざわざ書かないだろう。

私は二本ともロードショー公開時に見た。確かに、原作の立場から見ると「う~む」と思わざるを得ない。
そういや、タルコフスキー版の方は多分初めて自分一人で見に行った映画じゃないかと記憶している。上映館は岩波ホールで、当時から古~っぽいイメージだった。(出来たばかりだったと記憶してるけど……)

もし3回目の映画化があるのなら、今度はホラー映画仕立てでやると面白いだろう。『シャイニング』みたいな調子で、「到着一日目」という字幕がドーンと出てきたりするとコワくていいかも。


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