映画(タイトル「ヤ」行~)

2018年7月26日 (木)

「私はあなたのニグロではない」:イン・ザ・ヒート・オブ・ヘイト 今ここにある差別

180726
監督:ラウル・ペック
米国・フランス・ベルギー・スイス2016年

ドキュメンタリーというと、普通は特定の個人や出来事をカメラが追うという形を思い浮かべるが、これは違う。
アフリカ系作家ジェームズ・ボールドウィンが遺した30ページのテキスト(朗読はサミュエル・L・ジャクソン)と、彼の演説・講演・TV番組などの映像・音声、さらに過去の様々なメディアの映像をコラージュしたものである。
言ってみれば、近現代の米国における「人種差別」のイメージそのものを描いているのだ。

1957年、白人しかいない高校にただ一人入学した黒人の少女の報道をパリで見て、ボールドウィンは衝撃を受け、米国に帰国したという独白から始まる。

あまりのひどい状況に彼ともう一人の作家がロバート・ケネディに面会して「大統領が一緒に登校すれば」と進言するが、「見世物だ」と一蹴される。(結局女子生徒は4日としか登校できなかったらしい)

続いて、暗殺された3人の黒人指導者(メドガー・エヴァース←B・ディランが歌を作った、マルコムX、キング牧師)について回想する。
その合間に講演や番組でのトークでの、彼の鋭い舌鋒が紹介され、さらに昔の映画や写真の一部が流れる。
サイレント時代の「アンクル・トム」、ミュージカル「パジャマゲーム」、さらにはA・ヘプバーンの「昼下がりの情事」まで。そして一見感動的なはずのシドニー・ポワチエの「手錠のままの脱獄」「夜の大捜査線網」を当時の黒人たちがどう見ていたかも語られる。(当然、「世評」とは逆)

そして最後には、白人の側こそが「ニグロ」を必要としているのではないかimpactという痛烈な問いに至るのだった。
その厳しい批判はR・ケネディの「いつかは黒人の大統領も登場……」という発言に対しても、「大人しくしてりゃそのうち大統領にしてやるだとさ!」(ちょうどオバマの映像が映し出される)と向かうのだった。

かようにボールドウィンの弁舌は聞いていて鋭く迫力がある。そして流される映像と共に差別にまつわるイメージが今そこに茫洋と立ち上がる。
非常に見ごたえありのドキュメンタリーだった。シメのディランの歌に意表を突かれて、大きな効果あり。

ただ、字幕でテキスト読んでよく理解しようとしても、どんどん次の文章へ行っちゃうのでこちらの理解が追い付かんのであった_| ̄|○トホホ 映像に気を取られすぎてもまた分からなくなる。吹替えだとまだよかったかも。

しかし、『タクシー運転手』と続けて見たのだが、いずれも他国の話(回りまわって無関係ではないとはいえ)。これが日本や自分自身に向かってくるようなテーマだったら、正視していられるだろうか--などと心細く思ってしまうのもまた事実である。


テーマに全く関係ないけど、過去の映画やTVの映像で『駅馬車』のスタントはやっぱりすごいなあとか、『ゴングショー』懐かしいなあ(実は大好きでよく見てたsweat01)とか思ってしまった。
で、その中に、とある映画の白人のチンピラが黒人を殴り倒す場面が出てきたのだが、そのチンピラ役どこかで見たなと思ったら若い頃のリチャード・ウイドマークで驚いた。
彼は悪役出身だったけど、こういう役もやっていたわけだ。

さて、監督のラウル・ペックはアフリカ系でハイチ出身なのだが、彼が2000年に作った『ルムンバの叫び』という劇映画、日本で公開された時見に行ってたのだ(!o!) コンゴで実際にあった大統領暗殺事件を描いたものだが、当時「ミステリマガジン」誌の裏表紙に広告を出てたくらいで、よくできた政治サスペンスだった。
この監督さんもなかなか興味深い人物ですな。


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2018年6月16日 (土)

「ラブレス」:サーチ・アンド・ロスト 非情の町

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監督:アンドレイ・ズビャギンツェフ
出演:マリヤーナ・スピヴァク、アレクセイ・ロズィン
ロシア・フランス・ドイツ・ベルギー2017年

前作『裁かれるは善人のみ』は国内で非愛国的と非難されるも、国外で映画賞に数多くノミネートされたズビャギンツェフ。この新作もオスカーは取り損ねたものの、米国ではLA批評家協会賞外国映画賞、そしてカンヌでは審査員賞を受賞している。

2012年のロシア、巷では「世界の終りが来る」という噂が漠然とした不安と共に流れている。
主人公は離婚寸前の夫婦で、夫は一流企業に勤める高給取り、モデルのような容姿の若い妻は美容院を経営している。二人にはそれぞれ愛人がいて、特に夫の相手は妊娠中。もはや関係は完全に壊れていて、双方とも別れる気満々fullである。
しかし、問題は小学生の息子がいることだ。夫婦のどちらとも引き取る気はさらさら無いのだ。互いに子どもを押し付け合う二人……。
そんな二人だから、ある夜息子が行方不明になったのに気付きもしなかったのであるdanger

失踪届を出すという騒ぎになって、徐々にこの夫婦の背景が明らかになってくる。
妻はデキ婚で若くして結婚したが、その理由の一つは実家を出たかったらしい。さらに年上の男性に惹かれるのは、不在の父親の代わりを求めているように見える。
夫はかつてはどうだったのか分からないがいい加減な性格で、年下の若い娘に目移りする性癖がある。しかも、離婚騒動が知れれば会社を首になるのを恐れている。

そして妻の実家を訪ねれば、これが恐ろしげなド田舎の一軒家。まるでD・リンチ映画にそのまま出てきそうなたたずまいである(>y<;)コワー
中にいるのは世にも猛烈な毒母bomb 見ている観客も倒れそうだ。
振り返ってみると、妻が息子の朝食の食べ方を厳しく見張って文句をつける場面があったが、実は彼女は全く同じことをこの毒母にされていたのではないかと思えてくる。


 ★注意sign01以下、結末は明かしていませんが、ネタバレ度高し。これから見るので何も知りたくない、という人は避けた方がいいかもです。


やる気のない警察の代わりに、捜索をボランティア組織に頼ることになる。そして市街や周辺の林を探索して回るのだった……。
こういうボランティア団体はロシアに実在するらしい。専門家として冷静に対処する彼らと、事件で内心を露呈しますます傷を大きくしていく夫婦が対比的に描かれる。

その内面を表象するようなそれぞれの家(部屋)の内部、そして周囲の風景--これまでのズビャギンツェフ監督の作品同様、冷徹で容赦ない描写である。

延々と続く捜索の光景、そして遂には、カメラはあきらめたように全く何も起こらない町の風景を映し出す。
廃墟のビル、森の中、川、マンションのエレベーター、バス停--。

これは退屈だろうか? いや、その変哲のない光景にさえ何かただならぬ気配が存在するのが感じられる。それは少年の「不在」の気配である。

”もうあの少年はいない””もうあの少年はいない””もうあの少年はいないのだ”

あらゆる光景がそう囁いてくる。
そして、ラストシーンに至っては……あんまりだー(ToT)と叫びたくなってしまった。
映画を見てこれほど打ちのめされたのは、久々である。私は映画館の出口をヨロヨロと這い出る羽目になった。

しかし、これはただこの夫婦だけの問題ではない。背景には体制の不穏、隣国の戦乱、市民の享楽的生活、社会の不寛容、家族関係の破綻などが存在する。それはいわゆる先進国社会では共通の問題なのだ。

正直、ズビャギンツェフ監督またやってくれたねgoodという気分だ。
特に衝撃が大きかったのは、ビルの廃墟場面。実在するものを撮影に使ったとおぼしいが、恐ろしいほどの迫力で壮絶としか言いようがない。昔の廃墟アートを想起させる。

エンドクレジット眺めてたら、夫役がアレクセイ・ロズィンだったのでビックリ(!o!) 彼は前々作でどうしようもないボンクラ息子、前作ではボンクラ警官の隣人、とボンクラ演技が絶品だった常連役者である。しかし、今回はいかにも高給取りっぽい雰囲気を醸し出してて全く気付かず(ヒゲ生やしてたしsweat01)。さすが役者であ~る。でも、そう言われれば微かにボンクラ味があるような……(^O^メ)
なお主人公の勤める職場で、同僚がくだらない冗談を言ってはヒンシュクを買う場面あり。いやー、ロシアでもオヤジギャグ言う奴がいるんだ。核兵器と共にオヤジギャグを全世界から廃絶banしよう。

さて、夫婦が子どもを押し付け合うという事案について、「これだからロシアは……」みたいな意見を見かけた。でも、こういうことは日本だってあるんじゃないの(?_?)
しばらく前の新聞記事で見たのは、夫婦が別居してどちらも子どもを引き取るのを拒否したために、なんとその中学生の娘は施設に入らざるを得なかったという。両親とも健在なのに、だ。

また、警察が失踪者の探索に熱心でないというのは、日本の警察も同じだろう。というのも、9割の行方不明は二、三日後に見つかるかららしい。
例の「タリウム殺人」の関連で見た報道(かなりうろ覚えでスマン)では、被害者の一人が行方不明になって、警察に捜索願を出したが全く動いてくれず、仕方なく家族が探偵に頼んで探してもらったことから発覚したという。もし、家族が自ら動かなかったら未だに発見されてないかも。

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2018年5月25日 (金)

「リメンバー・ミー」(字幕版):ノー・ミュージック、ノー・ライフ 瞼の爺

180525
監督:リー・アンクリッチ、エイドリアン・モリーナ
声の出演:アンソニー・ゴンサレス
米国2017年

ふと気付いたら2カ月間も日本の映画興収ベスト10に入り続けた本作、さすがピクサーだ……というより、日本人こういうのが好きなんだなあ(!o!)なんて思っちゃいました。

『ブラックパンサー』が全編アフリカ押しだったのと同様、こちらは完全「メキシコ押し」。舞台やキャラクター、声を演じる役者もみな完全統一だ。

少年ミゲルは家業の靴屋より音楽をやりたいが、なぜか家では音楽はタブー。原因は大昔にミュージシャン目指して妻子を捨てた爺さんの爺さん(曾々爺さんてことですね)にあった。
彼はひょんなことから死者の国に迷い込み、曾々爺さんを探す羽目になる。

今回の特徴は鮮やかなネオンカラー。当地のお祭り「死者の日」や死者の国の描写で、ふんだんに美しく使われている。
もう一つは人物の顔の造形だ。『トイ・ストーリー』から幾歳月。昔は人間や生き物は今一つな出来だったが、ここでは本物の人間よりも(?)表情豊かだ。男の子が大人に対して不満を抱きムッとした顔をするあたりはお見事。こちらに感情が伝わってくる。
曾ばあさんのシワシワな顔の変化も見どころだろう。

死者の国では過去に亡くなった親類縁者がホネホネ状態で生活(?_?)している。伝説の大物スターの大邸宅には警備員がいて--というところで「この死人たち、生きてる時も警備員だったのかしらん」などと思ってしまった。あの世に行っても働かなきゃいけないのかいsweat01

本作はアカデミー賞の長編アニメーション賞と歌曲賞を獲得した。公開前にTVでアカデミー賞の中継を見た私は「なんかパッとしない曲だなあ」と正直思った。セットは作中のコンサート場面を復活させてて(というのは映画鑑賞後に分かったが)豪華だったけど、曲自体はかな~り地味である。事前の下馬評で受賞確実crownだったというのが疑問だったほどだ。しかし……

私が悪うございましたm(__)mガバッ

終盤で改めてこの歌が使われる場面になって、もう号泣である(T^T) 客席を見回すとみんな泣いていた。映画見てこんなに泣いたのは久し振りである。泣かすな、バカ~annoyと言いたくなるぐらいだ。また、そこまでと違って素朴なトーンで歌われるのもいい。
てなわけで、涙のラストが全てのわだかまりを押し流したのであったよ。

靴屋か音楽かみたいな強制をする「家」とはどんなものよngという意見を見かけた。確かに、「昼は靴屋で、夜は流しのギター」に変身してもいいんじゃないかと思う。ラストでは靴屋やめちゃってたっけ? そういう極端な家に生まれたという設定かも)^o^(
ただ、曾々爺さんは音楽の道あきらめて戻ってきても、きっと2、3か月もするとムズムズしだしてまたどっか行っちゃう可能性大と見た。

犬のダンテと猫(名前忘れた)は何者(^^?)

字幕版で見たのだが、少年が逃走中に死者男の腕だけ持って先に来ちゃう場面、予告でもやっててその時はセリフがジョークっぽい訳で(確かこっちも字幕?)笑わせたはずなんだが、本編では普通の訳になってた。残念である。


冒頭上映の短編は「アナ雪」の、短編というより番外編(20分近くある)だった。布の感触とか素晴らしかったが、もっと寒い時に見たかったですよ(+_+)


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2017年12月24日 (日)

「ローマ法王になる日まで」:ミラクル! 信仰の道も権力次第

171224
監督:ダニエーレ・ルケッティ
出演:ロドリゴ・デ・ラ・セルナ
イタリア2015

現ローマ法王の半生を描く。70年代ごろのアルゼンチンの不穏な政情が背景になっていて、重くドヨーンとしている。短いとはいえ拷問場面や私刑場面が出てきて見ていてかなりつらい。収容所から釈放された女子大生の髪の毛が薄く抜け落ちてしまっているのがなんだか妙にリアルで怖かった。

「解放の神学」の神父なんかもバシバシ投獄される中、後に法王となる主人公は教会内で役職についており、なんとか現実主義的にこの状況を乗り切ろうとする。
しかし、軍政が終わった後は海外留学したり田舎に赴任したり(左遷?)という、そこら辺の事情は詳しく描かれていない。軍の後は資本家が民衆に暴力を振るうという流れもウツ展開だdown

若い頃の真面目で深刻そうな印象が、後年は冗談好きなオヂサン風になるのがいささか落差が激し過ぎるような(^^?)
でも、今の法王のバックグラウンドはこうだったのかというのが片鱗でも分かって興味深かった。

昔は、南米の独裁政権のニュースを聞いてどうして民衆がそのような政治家を支持するのか理解できなかったが、今の日本が段々そっくりになっているように思えた。日本はそういう意味で「後進国」になっているのであろうよ。

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2017年10月 9日 (月)

「ワンダーウーマン」:ファイト・アンド・ラブ 戦闘美女参上

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監督:パティ・ジェンキンス
出演:ガル・ガドット
米国2017年

ワンダーウーマンと言われてもアメコミ関係は無知な私ゆえ、名前聞いたことあるぐらいの状態で見に行った。。
霧に隠れた海の中の王国、そこは女だけの国だった(!o!)--となると、当然疑問なのはどうやって生殖活動を行うのかということである。アマゾネスのように外界へ出て男を見つけるのかと思いきや、ギリシャ神話の人物である島民は大人ばかり、唯一の子どもがヒロインのお姫さまダイアナなのであった。

さて、ある日そこに流れ着きた~る男ひとり~ぃnotes 時は第一次大戦の真っ最中、スパイ任務中の男の言葉を信じて、悪(ドイツ軍)と闘うために彼女は外へ出ていく。
ここで「ちょっと、これってオボコ娘を悪い男が騙す手口じゃないの?大丈夫かしらん」と、突如おばさんモードになって心配になっちゃう。

ロンドン経由で欧州前線へ。ムサイ男たちがゴロゴロいる過酷な戦場に、強い美女一人……って、どこかで見たような気が(?_?) と思ったらマンガの『キングダム』じゃありませんか。
その後は大音響とCGバリバリのアクションが連続して行け行けドンドンon 退屈している暇もなく、約2時間20分アレヨアレヨと進行する。特に前線の村での大活躍は爽快の一言だ。思わず「やった(^o^)丿」ポーズをとりたくなる。

しかし、「戦う女」というよりは「お嬢さん、大暴れpunch」といった風情で今一つ「軽い」のはどうしたことよ。そういや、『スパイダーマン:ホームカミング』も軽かったのを思い出した。軽いのが当世風なのか。
おまけにラスボスが意外な人物--ではあるがあまりに意外過ぎて迫力がないような?「ええ、そうなんだ、ふーん(゜_゜)」てな感想しか出てこない。
「人間こそが悪」と言ったって、根本的な悪の描写はないから、なんだかお題目だけな気がしてしまうのも困ったもんだ。

一番の問題は、主人公カップル以外パッとしたに美男美女がいないこと。いや、別に娯楽映画で中心キャラクターが美男美女なのは当然なんだけど、美しくなくとも、思わず目を引くカッコエエ奴とか個性が強い人とかロクでもないが憎めないキャラとか--印象に残る人物がいないのだ。過去の様々な人気シリーズなど思い返せば、そのような味のある脇役が必ずいるんだけど、この映画にはいない。その点は非常につまらないと思う。

主役のガル・ガドットは美人で長身、プロポーションも申し分なく、どこから見ても映える。しかも美しいというだけでなく愛嬌のある顏だちなのがよい。これでイスラエルで兵役につき、パレスチナ問題で暴言を吐いたとはとても見えないが、愛国美女なんですかねえ。
おかげで相手役のクリス・パインはやや影が薄い。サービスショット(ファン向け?)が目に付いたくらいか。

さて、世評ではこれがフェミニズム作品として評価できるという意見が多数派のようだが、正直そうとは思えない。闘う強い女が登場したからといって、それだけで評価が上がるわけではない。「強い女」が登場する作品なら、それこそ『キングダム』や『ナウシカ』だってそうだろう。しかし、これらはフェミニズム批評の俎上に上がっても、作品自体が評価できるかは別である。

悪役の(女)科学者の描き方もかなり違和感あり。原作がそうなのかも知れないが、ちっこくて黒くてコソコソしてて小ネズミのようで、主人公とは正反対。おまけにドイツ軍の将軍になでられて、まんざらでもない顔をするのもどうか(他にも「男からの評価を気にする」という描写あり)。正統派リケジョ悪役なら「同情するなら研究費出せdollar」ぐらいに気を吐いてほしいもんである。


予告で「ジャスティス・リーグ」とマイティ・ソーの新作をやっていたが……なんかこれからは「団体戦」が流行なんですかね。


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2017年9月 9日 (土)

「LOGAN/ローガン」:ローンウルフ 子連れ狼、国境の北

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監督:ジェームズ・マンゴールド
出演:ヒュー・ジャックマン
米国2017年

「ローガンが老眼」……誰でも思い浮かぶギャグ通りの設定である。往年の「X-メン」は今いずこ。ウルヴァリンことローガンはプロフェッサーXと町はずれに隠れ住み、ショボくれた運転手として日銭を稼ぐ毎日である。というのも教授は痴呆症で、薬がないと卓越した超能力者だけに非常なご近所迷惑になってしまうからだ。
老々介護みたいな話で暗いですなあ(ーー;)

さらに、研究所から逃げ出してきた少女が自分と同じ能力を(!o!) もしかして自分の「娘」かsign02
迫る追手に彼らはカナダ(多分)国境にあるという「約束の地」を目指す。
元々人種差別問題と重ねて語られてきたこのシリーズゆえ、この設定がトランプ以後を予言していたということでも評判になったっけ。
行く先々で不幸と暴力をまき散らす(結果的に)一行、ますます暗い展開だ。

作中で『シェーン』が引用される通り、全体的に西部劇的雰囲気が濃厚。あるいは浪花節的とも言えようか。
まさに一匹狼として生きてきたウルヴァリンが「家族」を見出す過程は泣けるし、次世代に希望を託しつつ終わるラストは涙ものであるcrying
アクションシーンもテンコ盛り。そちら方面も文句な~し。

ヒュー・ジャックマンの一世一代の当たり役、有終の美を飾ったshineと言えるだろう。17年間ご苦労さんでした(T_T)/~~~ 願わくば、次はこれ以上の当たり役を見つけて欲しいところである。
パトさんことP・スチュワートは、まだらボケの超能力者という難しい役どころをガッチリ演じきっております。できればまたイアン・マッケランと美爺共演してくれんかのう(個人的願望)。
子役の少女は凶暴さをいかんなく発揮。セリフは少ないが「子狼」役として適役であった。

さて、少女が教授とホテルで映画の『シェーン』を一緒に見て、そこから正義を学ぶというくだりがある。
出たthunder定番「映画で正しいことを学ぶ」場面。よく見かけるが(古くは『グレムリン』とか)私はひねくれ者なんでホントかな~なんて思っちゃう。
映画から正義を学べるなら、悪事だって学べて実行できるのではないかね。
ホテルのテレビではたまたま『シェーン』をやってたからいいけど、これが別の映画だったらどうなるだろうか。

例えば『ブルー・ベルベット』→教授「親に隠れてこれを見に行って、あまりのヘンタイぶりにハアハア(^Q^;)したもんじゃよkissmarkウヒョヒョ」
あるいは『時計仕掛けのオレンジ』→教授「上映禁止運動が起こっておったが、友人たちと見に行ってコーフンして、帰りには通りがかりのジーサンを殴り倒したなあ。まあ若い頃はそんなもんじゃ」
おいおい(@_@;)違う物語になっちゃうよ。


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2017年6月18日 (日)

「わたしは、ダニエル・ブレイク」:ビリーブ いつか給付金を貰える日まで

170618
監督:ケン・ローチ
出演:デイヴ・ジョーンズ
イギリス・フランス・ベルギー2016年

一旦、監督引退宣言をしながら世情に憤り復活し、ついでにこの作品でカンヌでパルムドールまで取っちゃったケン・ローチ。
見れば直球過ぎるほどの怒りの爆発annoyであった。

発端は、持病のため医者から労働を禁じられている主人公が、役所(の委託機関?)から就労可能と判断されて補助金を止められてしまったことだ。
電話で長時間待たされてイライラしていて、担当者と言い合いになってしまったことが原因だと思われる。しかし、結果として働けないのが分かっていながら失業保険を貰うために、手書きの履歴書(パソコン出来ないので)を配って歩いて偽りの就労活動しなければならない羽目になる。
一方、同じように役所に来ていた失業中のシングルマザーと知り合う。

意図的だろうが、ここには「善人」しか登場しない。普通だったら、主人公は短気なクレーマー親爺だろうし、シングルマザーは自堕落で時として育児放棄、二人の子どもは言うこと聞かずに勝手気まま、隣人の怪しい密売屋は迷惑かけ放題。パソコンカフェの若者だって、声かけたらそんな親切に教えてくれるとは思えん。

しかし、そのような要素はこの問題には関係ない!<`ヘ´>と全て切り落としているのである。さらには労働大臣の名前を出して批判punch 直球勝負たる所以だ。

もっとも主人公は不屈の頑固オヤジというわけでもない。落書き事件でハイになるも、とっ捕まって警察に説教されればショボンとなってしまうところなど、笑ってしまう。
でも、ラストの一言には涙が出る。

設定やストーリーは『ティエリー・トグルドーの憂鬱』や『幸せなひとりぼっち』(←見たけど遂に感想書けず)に似ていて、どこの国も同じような問題が存在するのだなとヒシと感じた。

ケン・ローチ、まだまだ活躍しなけりゃならないようである( -o-) sigh...

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2017年5月 7日 (日)

映画短評その2

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★「ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち」
監督:ティム・バートン
出演:エヴァ・グリーン、エイサ・バターフィールド
米国2016年

原作は児童文学のファンタジーかな? ティム・バートン節炸裂impactと言いたいところだが、そういうわけではなかった。
導入部がちょっと長い。主人公の少年がペレグリンの屋敷に入ってから、ようやくおなじみ奇妙奇天烈バートン世界が展開する。

しかし、どうも見た後にスッキリしない。この手の設定が複雑なファンタジーというのは、その枠組みを構築して維持し、それに沿ってストーリーを成立させるだけで大変な労力が必要で、息切れ状態になってしまう。
読者や観客の方は、理解しようとするだけで訳ワカラン状態になるのが常。似たようなのが『ライラの冒険』だった。

で、全体の印象はとっちらかって求心力なし--というところか。よく分からんけど、結局ハッピーエンドってことで終わるのであったfujiメデタシよ。

ジュディ・デンチやサミュエル・L・ジャクソン(悪役なのに迫力なし)はもったいない使い方。パイプをふかすエヴァ・グリーンはカッコ良かったが。
それから、ルパート・エヴェレットは全く気付かなかった。エンド・クレジットを見て、えっあの人物なのかい(^^?)状態である。
少年役のエイサ君が、背が伸びちゃってビックリ。成長期の子はあっという間に変わっちゃうね。
過去の映画のパロディがたくさん出て来てたようだけど、分かったのは『シャイニング』と『アルゴ探検隊の大冒険』ぐらいだった。
遊園地の場面に監督本人が出てたよね)^o^(


★「ラビング 愛という名前のふたり」
監督:ジェフ・ニコルズ
出演:ジョエル・エドガートン、ルース・ネッガ
米国2016年

異人種間の結婚を違法とする法律が1950年代の米国には、州によって存在していたsign03とは驚きだが、それに対して裁判を起こした夫婦がいた。最高裁で勝訴するまでが描かれる。

一貫して夫婦愛だけをピンスポット的に取り上げていて、背景の社会の動き(公民権運動とか)は意図的にカットされている。そこが「声高に差別を訴えない」として好評だったようだ。
だが、一方で背景が描かれていないとよく分からないところがあって隔靴掻痒の感がある。

1人目の弁護士は売名行為で声を掛けてきた? ワシントンになじめなかった理由はなんなのか? バージニア州に戻ってきて隠れ住んでいたのに逮捕されなかったのは何故? 子どもを学校にやってたらバレるんじゃないのか。
……などなど表で語られなかった部分が多数あるように思える。

そんな部分を主役の二人の演技が救っているようである。ジョエル・エルガートンは外見はほとんど変わっていないのに、若い時の朴訥とたイメージから中年になって頑固おやじ雰囲気を醸し出している。ルース・ネッガはそれを支えるしっかり者の奥さん風。二人ともアカデミー賞候補となった。ヨカッタgood


★「パッセンジャー」
監督:モルテン・ティルドゥム
出演:ジェニファー・ローレンス、クリス・プラット
米国2016年

なんだか珍品SFを見せられたという気分。いや、SFにもなってない「SF未満」であろうか。

120年もかけた宇宙旅行。その間、大勢の乗客はコールドスリープしているのだが、なぜか一人だけ早く目覚めてしまった男……なんと残り時間90年(☆o◎;)ガーン!! こりゃないよ~と驚くのは当然だろう。
前半『シャイニング』や『2001』の引用が出てきて、心理サスペンス的展開になると思いきや、恋愛もの→アクションという予想外の方向に行ってしまうのだった。

さらに、元々結末は違ったのを変更したんじゃないかという疑惑も出現。船長にアンディ・ガルシアをキャスティングしておきながら一瞬しか登場しないのである。

実際結末まで見ると、これじゃあ別の案があったのだったらそっちの方がよかったのでは?と思ってしまう。ところが、とあるサイトで紹介されてたオリジナルの結末は、予想をはるか斜め上を行くトンデモなものだったのだ。こりゃ、SF未満どころか「超SF」だいっtyphoon

宇宙船の造形は面白いし映像もキレイ。比べて、宇宙船内のデザインは平凡。船員の制服はスタトレか(?_?)
主演のジェニファー・ローレンスとクリス・プラットがもったいなかった。

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2017年2月 6日 (月)

「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー」:今度こそ私は誓う!

170205
監督:ギャレス・エドワーズ
出演:フェリシティ・ジョーンズ
米国2016年

『スター・ウォーズえぴ7』は本当にあきれて、もう二度とSWシリーズは見ねえと心に誓ったほどだった。
それなのに、なぜこのシリーズの新作(番外編?)に行ってしまったかというと、初めて目にした予告が面白そうだったからである。

設定は「えぴ4」直前で、お懐かしやモン・モスマが復活(!o!) そしてフェリシティ・ジョーンズの不良娘っ子に対し罪状を読み上げ、協力を迫るのだ。「ん?もしかしてSF版『特攻大作戦』みたいなのかしらん」と急に見てみたくなったのである。

その後、撮影途中で監督が降板同然の扱いになったなどとウワサが流れてきたが、まあ気にしないで行ってみよう。
しかし……(ーー;)


  ★警告  注意  警告  注意★

以下は本作を熱愛する人には耐えがたい文章が続いています。
避けることをお勧めします(^o^)丿
万が一読んで怒ってもannoy自己責任でお願いします。
また、ネタバレがあります。


結論から言えば、
死なせればいいってもんじゃねえぞ(`´メ)ゴルァ」
ということである。

しかし、それより前からおかしなところ、つじつまの合わぬ部分が多数出現。見終わって「そういや、あれは変だったな」と気付くぐらいならいいけど、見ている最中に「え、これおかしくね?」と思ってしまう案件が連続してはいかんともし難い。

例えば、冒頭マツミケ扮する科学者が妻と幼い娘を逃すが、その後でなぜか妻は荒野に娘を置き去りにして戻っちゃう。
ここで早くも第一の疑問--えーと(-_-;)、両親揃っていなくなっちゃったら娘の養育はどうするんですか? いくら友人を呼んだからといって見つからなかったら荒野で飢え死に?(→物語終了)
娘を放り出してまで戻る、なんてことするのは襲来した将校と過去によほどの因縁があったに違いない……てことは三角関係かheart01などと余計なことまで考えちまったい(~_~メ)

あろうことか、F・ウィテカーの友人は反帝国軍勢力の中でも過激なテロ集団のリーダーで、成長したヒロインは十代で立派なテロリストに育てられ、テロ行為を行なっていたらしい。お母さん、いい加減な友人を頼ってはいけません。

そういや、そのテログループにとっ捕まった情報屋のパイロット、タコ型生物に自白させられてその後「ふぬけ」になると言われたのに、すぐ正気に戻っちゃったのはおかしくないか。脚本改変部分なのかね(?_?)

反乱軍側の将校が科学者の暗殺を密かに命令するのも変。理由がよく分からない。協力するというんだから生かしとけば、さらに情報を得られるじゃないの。こんなに殺したがるということは過去によほどの因縁があったとしか考えられない……さては三角関係かheart02

後半のアクションや戦闘場面はいいけど、とにかく登場人物の行動の論理や感情の流れがメチャクチャ。過去に三角関係があったとでも自らを納得させなければ見ていられないのである!

だが終盤となるとアクション場面でも激しく疑問が突出する。そう、極めつけ「データの塔」であるよ(>O<)

やたら高い場所で格闘してハラハラドキドキというのは、近年「キャプテン・アメリカ」のシリーズなどで流行っているような……(^^?) 今さらながらの感がある。そして、探し求める重要な設計図が入っているメディアがなんとVHS--とまでは言わないが、今は無きベータ方式ビデオテープぐらいの大きさと厚さの物体に入っている、というのはどういうこったいdash
しかも同じような物体が積み重なって塔を成している(どこかのヲタク部屋か?)。それも一発検索できなくて、タイトル順にリストを辿るしか探しようがないっていうのは……(@_@;)
こりゃ何かの冗談ですかい。見た瞬間に目が点になって、悪いが失笑してしまった。

日ごろ、紙の本の愛好者や音楽をCDで聞く者を「いつまでモノにこだわっているつもりか」などとクサしている人は、この帝国軍の時代遅れなデータ保存法を見たら当然のことながら「ププッ(^'^)遅れている。前世紀ならぬ前銀河の遺物」と嘲笑するであろう。

まあ確かに奪い合いでアクション・シーンやるなら、ある程度の大きさの物体が必要なのは理解できるけどね。これがUSB、どころかマイクロSDカードだったら鼻息で吹っ飛んじまうわな。

一方、戦闘シーンは迫力はあるものの、昔の戦争映画そのまんまみたいなのを見せられてもなあと思ってしまった。
しかし、そもそもこの特攻作戦自体、反乱国(星?)の代表者会議で降伏すると決定したのにも関わらず、一部の「ならず者」部隊が無断で突撃を仕掛けて、それに引きずられて軍全体が追随するという甚だしく問題がある展開なのである。えっ、こんなんでいいのsign02と軍事マニアな人に聞いてみたい。

さらにラストでデススターを簡単に発動させてしまうのも目が点になる事案だ。確か「えぴ4」でもまだ試作段階みたいな感じだったはず(だから終盤の展開でドキドキした)。それなのにあんな簡単に使っちゃあ、有難味(?)が薄れるってもんだ。

同様に、「えぴ4」の設定を尊重しているという触れ込みなのに実は違っているという事例は、他にダース・ベイダーの強さがますますインフレ状態になっていること。あそこまで強くっちゃ「えぴ4」の冒頭にもラストにもそぐわない。
大体にして今度のダース・ベイダー、イモータン・ジョー風味が混ざってませんか(?_?)

最後は、一網打尽になっちゃって「そして誰もいなくなった」状態。私はあっけにとられてしまい、「いやー、簡単に全部片づけちゃったなあ」とシラけてしまった。誰彼突撃して死なせてしまえば、感動したり泣いたりするもんだろうか。冗談ではない。
ラストの「えぴ4」へのつなげ方も、こうなるとわざとらしいの一言である。


主役のフェリシティ・ジョーンズは面構えはいいが、役どころがストーリーに操られた人形のようで魅力半減だ。
ついでに言えば、闘うヒロインが主人公な割には他に女性の主要人物が少ないのも難である。その数少ない女性のうち会議で(愚かにも)降伏論を強硬に唱える人物に、アフリカ系女性を起用しているのもなんだかなあという気分になる。
それから、モフ・ターキン役にピーター・カッシングのCGを張り付けているのもひどい。これがまたつまらない演技で名優の名が泣く代物である。どうせだったら、風貌が似た役者をそのまま使えばまだましだったろう。死んだ後にこんな風に勝手に使われて「お気の毒に」と言いたくなってしまった。

まだまだ言いたいことはあるが不毛なので止める。ともかく、ダース・ベイダーもどきとデススターもどきが登場する映画はもう二度と見ることはないっpunch(キッパリ)


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2016年12月29日 (木)

「リトル・ボーイ 小さなボクと戦争」:汝の敵国人を愛せよ

監督:アレハンドロ・モンテベルデ
出演:ジェイコブ・サルヴァーティ
メキシコ・米国2016年

第2次大戦中、カリフォルニアの田舎町の少年の物語を、監督ほかメキシコ人のスタッフが描くという、珍しい作品である。

少年はチビのいじめられっ子で、父親は徴兵されて太平洋の前線へ送られている。父親の無事を願って、彼は司祭からこれをやれば父が生きて戻ってくる--という課題のリストを渡される。そのために、仕方なくよりによって町はずれに住む日系の中年男と仲良くしなければならなくなるのだった。

物語の設定としてはドイツ系の人物でも構わないはずだが、ここで少年のあだ名が「リトルボーイ」だというのが重要になる。原爆が絡んでくるのだ。
ヒロシマに原爆が落とされると、戦争が終わり兵士が戻ってくるぞshineと町中の人々に「リトルボーイ」(落とされた原子爆弾のニックネーム)と少年は声をかけられて有頂天になる。
しかし、母親から「ヒロシマにも捕虜の米軍兵士がいるのよ」と言われて今度は一転、不安におびえることになるのだった。

果たして司祭が言うようにリストを完成させて奇跡が起こり、父親は戻ってくるのだろうかsign02

監督はノーマン・ロックウェルの世界を描きたかったそうだ。確かに映像的には完璧にその雰囲気が再現されている。しかし、一方で大人同士の嫌がらせや暴力、子どものいじめなどその陰に暗黒面も存在するのも忘れてない。

これを見て、ロックウェルの絵の中の米国というのは、非西欧圏においてはある種の理想的な憧れの世界なのだと再確認した。やはりメキシコ人の監督ならではの描き方だという気がした。

母親役のエミリー・ワトソンやハシモト役のケイリー=ヒロユキ・タガワなど、ベテラン役者の力を感じさせる。主人公の子役はあまりに巧すぎfuji泣いちまったぜ(T^T)
ただ、難は映画の対象が子供向けか大人向けか今一つハッキリしないことだろう。

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