映画(タイトル「ヤ」行~)

2024年11月11日 (月)

こだわりのテーマか? ベロッキオと誘拐事件特集

241110a「エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命」

監督:マルコ・ベロッキオ
出演:パオロ・ピエロボン
イタリア・フランス・ドイツ2023年

イタリア映画祭続きでベロッキオ監督作を。これは確か昨年の映画祭で上映して、今年本邦劇場公開となった。
ついでに--2010年の映画祭でベロッキオが来日した時のエピソードをこの記事の後半に書いた。ここでは彼の返答した内容は書かなかったが、「どこの国にもそれぞれいいところと悪いところがある」(だから自国を断罪しても仕方ない)というような意味の発言だった。

1850年代半ば、ボローニャのユダヤ人家族から教会の指示を受けて6歳の少年が連れ去られる。理由は赤ん坊の時に洗礼を受けたから……。そうするとキリスト教徒になるという理屈らしい。そもそも洗礼って聖職者でなくても誰でもできるんかいっ(!o!)などと異教徒には理解不能な事案である。
誘拐事件として当時は周辺国だけでなく米国にも伝わって大騒ぎになったという。

少年は修道院に入れられ環境が激変する。社会への衝撃よりも、取り戻そうとする両親の苦闘と少年の困惑に重点が置かれて描かれる。
それから傲慢の塊のような教皇の醜態も相当なもんである。ロスチャイルド家から多額の借金をしながら、地元のユダヤ人コミュニティに対してはちまちまと脅して恫喝する……思わずムカーッ<`~´>
イタリア映画祭の『グローリア!』も合わせて見ると、イタリア社会の一部では教皇を頂点とする教会の権威主義が相当憎まれていると思えた。

役者の演技と重厚な画作りは素晴らしいが(ちょっと画面暗めだけど)、成人になってからのエドガルドの心理状態がよく分からなかった。家族から引き離され異質な世界に放り込まれたことによるアイデンティティの不安定さなのか、それともPTSDなのか。
イタリア近代史とカトリック信仰を知らないと難しい部分がある。この事件がきっかけで内戦が起きたということなのかな(?_?)

終了後、パンフレットの見本を手に取って中身を見るふりをしながらスマホで撮影しているヤツを目撃した(某評論家の論考ページだった)。
諸物価高騰の折、仕方ないとはいえるけどセコイ👊セコイ過ぎるぞっ🆖

241110b
「夜の外側 イタリアを震撼させた55日間」

監督:マルコ・ベロッキオ
出演:ファブリツィオ・ジフーニ
イタリア・フランス2022年

そもそも全6編のTVシリーズとして制作されたようなのだが、イタリアでは放映前に前後編に分けて劇場公開。日本も同様の形で公開となった。私は映画館に2回通ったが、朝から籠って通しで鑑賞した人も多かったようだ(^^;

ベロッキオ監督はモーロ元首相誘拐事件を以前にも描いている。それなのに再び、しかも今度は全6話で人物ごとのオムニバス形式で作るとはよほどのこだわりだ。それだけの大事件だったわけだが。
結果は……重量級340分を見たかいがあった\(~o~)/

前半3章はモーロ本人と解決に奔走する者たち(内相と教皇)を描き、後半は犯人の女性テロリストとモーロ夫人が主人公、そして終章を迎える。確かに配信ドラマシリーズっぽい構成ではある。
そんな中で何やら怪しい陰謀が背後にうごめいているのがちらちらと垣間見えるのであった。そして第一章冒頭の「え、これはどういうことか?」と疑問符が浮かぶ謎の場面の意味が判明する。

教会で一番偉い教皇が救おうと力の限りに祈っても神は応えない。ならば他の誰が祈っても無理だろう。さらに地位とコネを使って身代金を集め交渉しても無駄に終わるのなら、地上の権力など意味はないということだろうか。もっとも、イエスのように十字架を担いで歩いている者をもはや救えるわけはないのだが。
それなら政界の権力者はどうなのか🙄 そこには神ならぬ妖怪どもがうごめいているようだ。
狐や古狸が跋扈するイタリア政界は日本に似ている所がある。政権を取ると大臣や政務官のポジションを順に回したり。さすがにイタリア料理店でディナー食べながら密談をしたりはしないようだ(^O^)
当時の政治状況をやはり予習していくべきだったと思った時には後の祭りだった。人物の把握のためにも結局プログラムを買う羽目になった。

長丁場とはいえグイグイ引っ張っていく。既に起こったことを変えようもないが、激動の歴史を渾身のパワー(ベロッキオ85歳🌟)をもって今新たに問い直す力作といえるだろう。
映像的には照明の使い方が目を引いた。役者についてはそもそもベテラン勢ぞろいだが、元々監督は「目力の強い女」を描くのを得意技としてきたということで、モーロ夫人役のマルゲリータ・ブイが複雑な心境をを好演。


なおついでに声を大にして叫んじゃうのだが、上映館ル・シネマのオンライン・チケットのサイトやたらと使いにくいぞ~💢 嫌がらせじゃないかと思うほど。なんとかしてくれ。
241110c

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2024年10月28日 (月)

イタリア映画祭2024

241028 非常に遅くなってしまいましたが、一応鑑賞記録として書きます(^^;ゞ
今年はLFJのチケ争奪戦に完敗したのでイタリア映画祭に参戦することになった。もっとも朝から晩まで朝日ホールに籠る元気はありませぬ(-_-;)
てへきれば来年はLFJも両方頑張りたい。

「グローリア!」
監督:マルゲリータ・ヴィカリオ
出演:ガラテア・ベルージ
イタリア・スイス2024年

241028b ヴェネツィア、女子孤児院が舞台ときてこのタイトルとなれば当然ヴィヴァルディ🎻かと思うが、時代設定は1800年なのでもっと後の話である。
教会付属孤児院の女子オーケストラが人気となっているが、楽長である神父は音楽的才能には欠けている。

そこへ教皇が訪問するということで新曲を作って披露しなければならぬ……なんとかせねば😱と焦ることに。
そんな権力志向の塊で鼻持ちならない神父を娘たちが協力して最終的に打倒する。そこで重要な役割を果たすのがまだ世に出る前の試作品のグランドピアノ、そして喋らず楽器も弾けぬメイドの娘だ。

オーケストラは当時の曲を演奏するがつまらなくて堅苦しいというイメージで描かれ、コンマスの娘は天才肌で気位が高い。
一方、メイド娘が気ままに奏でるのは完全に現代のポップスである。そこら辺はファンタジーということらしい。個人的にはあまり面白い音楽とは思えなかった。民族音楽味が入ってればいよかったのに。
当時の風俗の再現度は高く映像は美しいが、各エピソードが散漫に綴られていて求心力に欠けるのが難。

241028c 上映後に監督のQ&Aがあった。元々シンガーソングライター兼女優で、初監督作とのことだ。
当時の女性奏者も作曲したはずだがほとんど残されていない。そのような状況は今でも変わらず、女の子たちにエールを送る意図があった。
音楽はモダンなので、映像としては当時を厳密に再現した。
キャスティングは時間がかかった。女優達に弦楽のコーチを付けて2か月半練習させた。
チェロ担当娘役は、本業は歌手で演技は初めて……などなど。

質問はすべてQRコードでスマホから送る方式。おかげで質問よりも長々と持論を述べる映画ファンが遮断されてよかった。

終了後、エレベーターで一緒になった人が「去年はすごい豪華ゲストだった、サイン貰った」などと話していた。
しかしこんな円安ではうかつに海外からゲストも呼べないのう(*_*;


241028d「ルボ」
監督:ジョルジョ・ディリッティ
出演:フランツ・ロゴフスキ
イタリア・スイス2023年

180分⌚正直言って長かった(◎_◎;) 舞台は大戦前のスイス、流浪の民イェニッシュ(「ロマ」とは起源が異なるらしい)の男が兵役に取られた間に一家離散の憂き目にあう。
実際、彼らはロクな教育を施さないからという名目で子どもたちの連れ去りが行なわれたらしい。

しかしそれは口実で子どもたちは劣悪な環境で労働力としてこき使われるのが関の山だったもらしい。主人公は子どもを探そうと悪戦苦闘し、うまく成り上がっていく。
主役のF・ロゴフスキは七つの顔を持つ男の如き活躍。ある時は移動生活者として日銭を稼ぎ、ある時は裕福な貿易商、寒さに震える国境警備兵、伊達男の女殺しなどなど。

主人公の人間像がどうも不明。大道芸で日銭を稼いでた男が、いきなり金銭を得て紳士然とした振る舞いをできるかね(?_?) なんだかロゴフスキありきで何とか成立しているような印象だった。
彼の熱心なファンのみに推奨。
過去のイタリア映画祭で同じディリッティ監督作を見た時の感想はこちら


241028e「僕はキャプテン」
監督:マッテオ・ガローネ
出演:セイドゥ・サール
イタリア・ベルギー・フランス2023年

過去に2回カンヌで授賞し、本作はヴェネチア映画祭で監督賞(新人俳優賞も)獲得し、さらにアカデミー賞国際映画賞にノミネート……というガローネ監督であるから、この後てっきり日本で公開されると思って、鑑賞予定から外していた。
とっころが(!o!)この時点ではまだ日本公開が決まっていないということが分かり、あわてて前日にチケットを入手したのであった。(結局公開されずじまい)
評論家筋には評価が低かったらしいのも一因か。

セネガルでくすぶる若者二人。冴えない毎日に飽き飽きして、ヨーロッパへ渡って音楽で一旗揚げようじゃないか(^O^)/と金を貯めていざ出発する。止めてくれるな🛑おっかさん、そして妹たちよ。しかしうまい話など世界中のどこにも存在しないのだった。
セネガル→マリ→リビア……その後はひたすら恐ろしい方向へゴロゴロと転がっていく。

「ご都合主義」「ファンタジー仕立てにして逃げている」--などという批判も見かけるが、とことんリアリズムに振ったら正視もできないような話である。
それよりラストシーンをあの時点で止めたのをどう解釈するかだ。その後に来るのは果たしてハッピーエンドなのか不吉な結果なのか。イタリア人が見れば明確にわかるのだろうか。
そういう意味ではまさにイタリア映画なのかも。

移民・難民の悲惨な実情を描いたものは最近では『人間の境界』があった。同じ年のヴェネチア映画祭でこの二つはなんと監督賞を分け合っている。
あちらでは様々な理由で自国にいられなくなり家族ごと出国する形がほとんどである。一方、こちらは食い詰めたわけでもなく単にヨーロッパに憧れて渡ろうとする。この二つを並べていいものか(・・? こんな奴らは来ないでくれとイタリア人なら言いたくなるかも。
だが、洋の東西を問わず軽薄な若者が考えなしなのはいつの時代も同じ。彼らは充分にその報いを受けたのである。


「まだ明日がある」
監督:パオラ・コルテッレージ
出演:パオラ・コルテッレージ
イタリア2023年
*オンライン視聴

どんな内容なのか全く分からず(チラシの紹介文は曖昧な文章だった)、結局後から評判がいいと聞いて映画祭のサイトでオンライン視聴をした。

1946年のイタリア、夫から激しいDVを受けている妻は何かを心待ちにしているようである。折しも古くから知り合いの修理工の男が町を出ていくという--。

フェミニズムやシスターフッドを描いて評価が高かった本作、監督兼主演のコルテッレージはイタリアでは有名な喜劇女優とのことである。そのせいとは思えないけどなんだか非常に重くてシリアスな中に笑える場面が混じっていて、ホッと一息つくというよりは「えっ、これ笑っていいの(・д・ ≡ ・д・)キョロキョロ」みたいになってしまうのは困ったもんだ。

バカ息子たちのバカ騒ぎぶりには笑いよりも殺意を抱くほどだし、夫が暴力を振るう場面は加工した映像使ったりしてぼやかしてはいるが、事前に経験者への警告を出しといた方がいいレベルである。
ということで見ててカドカドした感触がどうも合わずに終始した。

ラストはなるほどそうだったのか!と思った。イタリアと同じく敗戦国であった日本もこんな感じだったのだろうか。今では隔世の感としか言いようがない。

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2024年10月11日 (金)

映画落穂拾い・ツイッターX編

ブログに感想を書けなかった映画の備忘録がわりです。

追い詰められ型。主人公が追い詰められちゃいます。

「リアリティ」

「キリング・オブ・ケネス・チェンバレン」

「インスペクション ここで生きる」

ヒーローもの特集。

「スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース」

「マダム・ウェブ」

「ザ・フラッシュ」

小学生の女の子が主役。

「コット、はじまりの夏」

「窓ぎわのトットちゃん」

まだ続く。

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2024年9月 5日 (木)

映画落穂拾い・ツイッターX編

そもそも当ブログの宣伝という目的ツイッター(当時)を始めました。当初は鑑賞後に140字内で簡単に感想を書いてその後にブログに長文で書いていました。しかし、やがてツイッターの文章が段々長くなり、暇と余裕がなくてブログに書き直しもできず……という状態になってしまいました。無念であります。

さらに最近は老人脳のせいで見たこと自体を忘れてしまうようなケースもあるため、そこでせめてタイトルだけは載せてツイッターXのリンクを張ることにしました。かなり適当に書いているので、単なる記録ということです。
それにしてもツイッターXもいつまで続くのか心配ですね(^^;

まずはロズニツァ監督編
「ミスター・ランズベルギス」

「新生ロシア1991」

「破壊の自然史」


「ジ・オファー ゴッドファーザーに賭けた男」
これはTVシリーズです。

「パリタクシー」

「ぼくたちの哲学教室」

「ロスト・キング 500年越しの運命」

まだまだ続きます。

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2024年8月18日 (日)

映画落穂拾い・いつまでも見られると思うな劇場未公開作品特集

★「こいつで、今夜もイート・イット アル・ヤンコビック物語」
監督:エリック・アペル
出演:ダニエル・ラドクリフ
米国2022年

WOWOWで本邦初公開。ある年代以上の洋楽ファンならみんな知っているアル・ヤンコビックの伝記……とは名ばかりの怪作・奇作・珍作である。全体の92%はデタラメとパロディだろう。でもご当人を知らない若いモンは半分信じちゃったりするかも(;^_^A

ダニエル・ラドクリフはアルを熱怪演(歌は吹替らしい)しているが、トレードマークのメガネとチリチリ髪とアロハシャツを取っ払うと、外見で似ている部分はほぼない。逆に言えばこの3点があれば誰でもアルになれるぞ👍
なお、ご本人もひそかに特出している(見てても分からなかった)。

成り行きでアコーディオンを手にした若者が、替え歌で一世を風靡するも方向転換してオリジナル曲で勝負。すると逆に替え歌にされたって……ウソも大概にせえよ💥である。
推測するに、実話なのは両親との葛藤部分とレコード会社で「替え歌なんか誰か聞くか」と罵られたところぐらいか。さらに物語はぶっ飛んだ方向へ進んでいく。
テーマは例え変であってもそんな自分自身を認めよ、と一応言っておこう。

パーティー場面ではピーウィー・ハーマン、ウルフマン・ジャック、ディヴァインにダリやウォーホルなどがウロウロする。
マドンナについては主要人物になっているのだがかなりひどい悪女扱い(エヴァン・レイチェル・ウッドが怪演)。ご本人は怒らなかったのかね(^^?

誰も予想しえなかった衝撃の結末😱に続き、エンドクレジットが始まってしばらくすると笑撃のシーンが出現するので見逃さぬように。

さて、この邦題は苦肉の策でひねり出したのだろうか。でもそもそもアルを知らない人は『イート・イット』も知らないだろうから完全に意味不明なのでは?


★「レンフィールド」
監督:クリス・マッケイ
出演:ニコラス・ホルト、ニコラス・ケイジ
米国2023年

ダブル・ニコが豪華共演!ということでごく一部で話題ながら未公開だった問題作を、ケーブルTVの配信で鑑賞した。

舞台は現代、ニコケイのドラキュラに下僕レンフィールドがこき使われて幾年月が経過していた。教会の自助グループに参加して、パワハラ上司の悩みをつい告白してしまうのであった。
レンフィールド自身は吸血鬼じゃないのね(初めて知った(^^;)。

そこへ街にはびこるマフィアと熱血警官(全くわきまえないオークワフィナ)が絡んできて、血がドバドバ飛ぶのは当然だが腕やら脚やらも飛ぶし、派手なアクションがこれでもかと繰り広げられる。思わず口アングリの過剰な迫力である。スタントの方々オツ✨ですと言いたくなるほど。

みどころはなんと言っても、ドラキュラを嬉しそうに演じながらいじめるニコケイに、長身を縮めるようにしていぢめられるホルトであろう。これは見逃せねえ~👀
果たして強圧的なボスから逃れられるか--極めて現代的な問題でもある。古の産物ドラキュラとのギャップがバカバカしい。

監督はクリス・マッケイ。『レゴ・ムービー』とか『レゴ・バットマン』やった人なのに、これの前作は全く話題にならなかったようだし、どうなってるんですかね?


★「ベスト・オブ・エネミーズ 価値ある闘い」
監督:ロビン・ビセル
出演:タラジ・P・ヘンソン、サム・ロックウェル
米国2019年

アマプラ鑑賞。黒人女性が主人公なので日本では例の如く配信スルーである。
1971年ノースカロライナ、タラジ・P・ヘンソン扮する公民権運動活動家とKKK団支部長(サム・ロックウェル)が親友になるという嘘のような実話だ。

ヘンソンは地元住民に何かあれば白人議員に抗議をいとわぬウルサ方で、返す刀でエリート黒人もバッサリ⚡ ロックウェルはKKKに入って初めて自己を承認されて居場所を見出した男である。役者二人とも後ろ姿だけでもその人物像を的確に表現しているのに感心した。
他にお懐かしやアン・ヘッシュが彼の妻役で出演。

この対照的な両者がどうあっても仲良くなるなど考えられない。そんな状況がユーモア交じりに描かれるが段々と笑えない事態へ……(-_-;)
演出はテンポよくツボを外さず面白かった。テーマとしては町の騒動の顛末と男の自己回復が中心なので、どちらかというとロックウェルの方が主人公だろう。

両者の問題解決の手法として「シャレット」(アクセントは後半にある)なる方式が採用される。聞いたこともないが、作中でも知っていた人物はほとんどいないと描かれている。
対立する住民同士の時間をかけた検討会(?)みたいなものだが、さすが米国ならではという印象。日本では成立しそうにない。

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2024年7月31日 (水)

「リトル・リチャード アイ・アム・エヴリシング」:我が音楽を行く

240731 監督:リサ・コルテス
出演:リトル・リチャード
米国2023年

私はリトル・リチャードについてほとんど知らない(!o!)ことに気付き、ロック者としてこれではイカン⚡と思い立った。
ドキュメンタリーだがご当人は2020年に亡くなっており、過去の映像、インタビュー、友人知人・関係者の証言から構成されている。CNNの制作らしい。

貧しい子ども時代から音楽業界へ入っり家族11人を養ったという経緯の中で、ロックンロールの創始者としての強烈な自負が語られる。JBもジミヘンも弟分で教えてやったし、デビュー時のビートルズやストーンズからは崇拝されたのも事実だ。(ただしデビュー時のプレスリーには敵愾心を抱く)

当時としては珍しくゲイであることを公にし奇抜で強烈なステージは模倣者を生んだ。しかし実際には彼ではなく、後進のミュージシャンの方が大成功するのだった。さらに神への信仰との間で引き裂かれ、ロックンロールから足を洗い結婚する--など激しく揺れ動く。
クイアな在り方を示すことで他人を解放したが、自分自身を解放するのは困難だったという指摘がしみる。

様々な素材の編集も手際よく、卓越したミュージシャン・パフォーマーの伝記として、若者文化胎動期の米国時代背景や黒人ミュージシャンの困難などがよく分かった。才能豊かではあるが偉人ではない、天才の肖像画でもなく、生ける矛盾のような存在である。
見て聞いて興味深いドキュメンタリーだった。長年の不遇から、終盤のようやくの授賞式シーン(1997年)ではちょっともらい泣きしちゃった(T^T)
ただ途中で3曲ばかり挿入される、現在の無関係なミュージシャンの演奏はなんだったのよ💀

あれだけヒット曲作ったのにほとんど印税貰えなかったとは💸ひどい話だが、当時の黒人ミュージシャン契約あるあるですかね。
某有名バンドの某有名曲が彼の曲をモロにパクっていたことを後から知った。とすれば、彼が自分が不当に扱われてきたと怒りと不満を見せても仕方ないだろう。

ジョン・ウォーターズは崇拝のあまり、口ひげは彼を真似しているとか。知らなかった。
「クイア」の意味が少し分かりました。

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2024年6月21日 (金)

「落下の解剖学」:幸福と真実は見つけるもんじゃない、自分で作るもの

監督:ジュスティーヌ・トリエ
出演:ザンドラ・ヒュラー
フランス2023年

カンヌ映画祭で最高賞のパルムドール(パルムドッグも🐶)を獲得、その他多数の賞レースに関わったということで期待大の一作だった。
しかし、なんか予想していたのと違う……(ーー;)

冒頭、夫婦間の嫌がらせのような大音響が響いたかと思ったら、死体発生💥 てっきりサスペンス路線に進むのかと思いきや、お隣の家庭騒動に聞き耳をたて、さらには塀を乗り越えて窓の隙間から覗き込んでいるような方向へと向かうのであった。

そして明らかにされるのは、
*作家(志望者)同士の結婚は鬼門。(日本でも例あり)
*夫婦ゲンカは犬も食わねえ。(代わりに他の物を食っちゃう)
*みんな驚くフランスの裁判。
*家政婦ならぬ、犬は見ていた!

死体発生の原因は自殺が殺人か事故か。そのいずれなのか裁判してもよく分からず、結局は夫婦のいさかいへと収斂していく。事情はブラックボックス化して、下手すりゃ誰も真相を語っていない可能性もある。第三者には推測しがたいのは当然だろう。
事前の情報からM・ハネケっぽいのかと思ったら、取り上げている「事象」は似ていてもテーマの方向は異なるようだ。ハネケなら情緒描写削ってイヤミ満載にし、ズビャギンツェフならばもっと冷徹に突き放すと想像する。

しかも、全編なんだか「思わせぶり」な感触である。
家の中で誰が目撃したのか不明な短いショットが幾つか挿入されているのはなんなのか。
夫婦の言い争いや夫の車内の発言が客観的な映像として出てきて事実のように見せる(観客に対し)が、全くもって怪しい。
妻の母語はドイツ語なのに、なぜ裁判では英語で話すのか。
などなど例を挙げればキリがない。そういう点が巧みとほめることはできるが、逆から見ると「おちょくってる」となってしまう。

監督夫妻(夫は共同脚本を担当)は『フレンチアルプスで起きたこと』がお気に入りだとのこと。そういえば、あの映画の夫婦を逆の関係にしたようではある。
と、思ったらカンヌ映画祭2023の審査委員長は『フレンチアルプス~』のオストルンド監督だったじゃあ~りませんか。親しい監督同士の内輪で賞をあげたんじゃないかと疑惑が発生するのだった(ー_ー)!!

そういう事情とは別に主演のザンドラ・ヒュラーはヌエ的な人物を演じて、確かにアカデミー賞主女部門候補の価値はあり。さらに弁護士役のスワン・アルローは「HOTな弁護士」として一部で話題💖となった。
彼はアカデミー賞授賞式ではヒュラーの隣に座っていたため、中継で彼女が映るたびに(『関心領域』でも主演していたので回数が多かった)HOT🔥な弁護士も一緒に大写しとなり全世界のファンを喜ばせたのであった。

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2023年12月17日 (日)

「マイ・エレメント」&「私ときどきレッサーパンダ」:移民二世女子の憂鬱と爆発

231216「マイ・エレメント」(字幕版)
監督:ピーター・ソーン
声の出演:リーア・ルイス
米国2023年

そもそも恋愛ものはどうも苦手だし、近作を見てると「もうピクサー印はいいかな~」と全く見るつもりなかった。しかしネットでは好評ばかり流れて来るので「本当に面白いんかい(・・?」と見に行ったら……本当に面白かった!

四種類の元素人間がそれぞれテリトリーに別れて暮らす都市とは、もろにニューヨークっぽくて人種のアレゴリーだろう。
過去に火気人間のヒロインの両親が旅立ってきた地は中華風である。では都市を最初に作り上げた水気人間は白人なのか。

そんな設定で今さら『ズートピア』みたいな移民ネタやられてもなーとは思ったものの、実際にはそれぞれ水・火・土・風のエレメントの表現や小ネタの連続の見事さに思わず感心。特に水のピチョン💧とした描写や炎の燃え上がる様子はあまりに見事で理屈を超えるものがあった(土と風は出番が少ないだけにちと手抜きか)。

ヒロインは両親の作り上げた店を手伝って働き、有能でしっかり者で勝気だけど常に今一つ自信がない。不安定なため時折感情のコントロールができず燃え上がる爆発的発作を起こす。
そういう若い女性が親の期待(特に父親)にどう応えるのかという問題と、移民二世の葛藤がうまく合わせ技で描かれている。最後にそれにカタを付ける。

恋愛ものとしても楽しかった。貧しい下町で生まれ育ち何かと切羽詰まっているようなヒロインに対し、相手の水男は涙もろくて汗かきでいかにも育ちのいいボンボン風という組み合わせ。互いに補強し合っている関係である。
それにしても水男の涙もろさがあそこでああなるとは想像だにせず。
久々に泣いて笑ってピクサー印に満足できましたヽ(^o^)丿

さて字幕版に関しては日中にはやらず夕方以降だけで、しかも小さめのシアターなのでほぼ満員。当然子どもはいなくて若者率なんと98%だ❗ えっ、もしかして私が場内でよもやの最高齢?(思わず周囲を見回す)
ウッソー、そんなのイヤ~~っ(゚д゚)!
ま、照明落ちて暗くなってしまえば分からんけどな。

隣の若いカップルの女性の方に気を取られた。作中の笑うべきところで笑い、小ネタには律儀に反応し、意外な展開の場面では「あーっ」と声を小さく出し、もちろん最後は号泣。(私もマスクの隅を濡らしましたよ😢)
彼氏の方もヨシヨシとかしてないで一緒に泣いてやれよ、コノヤロー( -o-)/☆

彼女こそ映画の理想的な観客であると感じた。
日頃、平均年齢高過ぎなミニシアターをうろついてて「ピクサー新作だって?最近今イチだよなー」みたいなアラ探しモードで最初から斜めに見ているような、自称ファンの濁った眼と心とは全く異なるのである。
深~く反省しました。

なお、なぜ海外アニメを上映館や回数が少なくても字幕版で見るかというと、大手のアニメは映像の完成よりも声優のセリフを先に録音する方式を取っているからだ。そのオリジナルを味わいたいのよ。
もちろん字幕優先といっても例外はある。『シンプソンズ』とか『ダウントン・アビー』(実写だけど)はさすがに吹替だわな。


「私ときどきレッサーパンダ」(吹替版)
監督:ドミー・シー
声の出演:ロザリー・シアン
米国2022年

CATVで視聴。残念ながら吹替版しかなかった。
『マイ・エレメント』と設定が似ているが、同じピクサー印でもこちらはもっと若い子向けだった。
主人公はトロントに住む中国系の女の子13歳。家業を手伝い、母親の前ではよい子である。

一方、学校では個性的すぎる友人たちとつるみ、アイドルに夢中でお転婆に過ごす--という毎日だったはずが、ある朝目を覚ますと自分が寝床の中で一匹の巨大なレッサーパンダに変わっているではないかっ💥
すったもんだの挙句、感情をコントロールできずに爆発させるとパンダが発現することが分かった。
……ということは、パンダにならないためにはこれからは全てを抑えて大人しく生きていかねばならぬ。これが「大人の女」になるための規範を象徴していることは言うまでもないだろう。
しかも母親が常に監視モードの恐るべきストーカー過保護母なのだ。コワッ(>y<;)

思春期と反抗期と女の子らしくなければならないプレッシャーがパンダ現象に凝縮されている。そして恐ろしくもぶっ飛んだ方向へ物語は展開する。女の子たちのアイドル熱狂ぶりもすごいが、それと同じくらい破壊の描写がこれでもかと来て迫力である。
ただ屈託のないラストがヤングアダルト向けという印象だ。

時代は2002年に設定されている。恐らくスタッフたちの子ども時代にあたるのだろう。お懐かしやたまごっち。スマホは存在せず金持ちの少年だけがケータイを持っている。
それにしても、一番ありそうでなさそうなのは友人3人の存在。あんな友達なかなか作れないよねえ。( -o-) sigh...


この二作の共通点は非常に大きい。登場する家族設定と同様、監督も東アジア系だ。
『マイ・エレメント』ではヒロインは父親の意に沿おうと頑張る。こちらでは娘が母の意図に押しつぶされそうになるも、立場を理解して互いに歩み寄り仲良くなる。
しかし『パンダ』の主人公の成長した姿がやがてそのまま『エレメント』になるのは間違いない。
さて、彼女が将来異なる民族の彼氏を連れてきたら母親はどうするだろうか😑

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2023年10月27日 (金)

「ヨーロッパ新世紀」:熊のような人のような

231027 監督:クリスティアン・ムンジウ
出演:マリン・グリゴーレ
ルーマニア・フランス・ベルギー2022年

冒頭、字幕が言語によって色分けされているという注意書きが出てギョッとする。ルーマニア語、ハンガリー語、英・独語などその他の言語……加えて字幕が出ない言語もあるのだ。

舞台はルーマニアの森林迫る地方の村だ。過去には村内にいたロマを追い出し、移住者であるハンガリー人とは共生しつつも反目の種を抱えている。
描かれている時期はクリスマスから新年にかけてだが、それらの祭りも遠い昔の隣国との「因縁💥」がにじみ出てくる。

トラブルは地元のパン工場が従業員としてスリランカ人たちを雇ったことから噴出する。村人は報酬のいいドイツへ出稼ぎへ行くので、賃金が安くて誰も来ないのだ。
しかし自分たちも他国に出稼ぎしているのに、地元にスリランカ人が来るのは我慢できない。しまいには「触ったパンを食べたくない」などと言いだす。

彼らがカトリックにもかかわらず村民の声に押されて教会から排除する神父、やる気のない警察も問題だが、ネットで不穏な空気が流れているのに全く気に留めない工場オーナーもいい加減だ。

たまりにたまった不満と憎悪が村長を迎えて開かれた住民集会シーンで爆発する。ここは固定カメラによる17分間の長回しで紛糾が迫力だ。背景にEUの政策も関係していて、NGOのフランス人もその矛先から逃れられない。
だが東欧ではなく日本でもこのようなことはいつでも起こるだろうと思ってしまう。(既に起こっている?)

どこにでもいる普通の人々の偏見と対立を容赦なく描いたのはお見事。
ただ前半のスローペースぶりはやや参った。しかも中心人物は出稼ぎ先で失敗した粗暴で子どもっぽい男--そいつに延々付き合わされるのには辟易である。別に主人公に好感を抱く必然はないが、見ててイライラしてしまうのは精神衛生上よろしくない。
さらに、あれこれあった後に少年が喋りだす場面は陳腐……(--〆)

そして多くの人が解釈に困るラストシーンのくだり、これは何❓❓
正直、訳分かんねえ~~(>O<)

結論は前半グダグタ、集会シーンは一見の価値あり。でもラストの意味不明さが全てを台なしにしてしまう。

以下、ネタバレモードでラストについて考えてみよう。

 

★★この先はネタバレになります★★

 

終盤の一連のシーン。
主人公と付き合っている工場の女性経営者が風呂から出てきて服を着る。その横にフランス男がいる--ということは二人は深い関係だろう。男がライフルを受け取って主人公のところへ返しに行く。
付き合っている男から借りたものを他の男に返させるというのは、こりゃ絶縁状の代わりである。そして長い付き合いの女が、そんなことをしたら主人公がどういう反応をするか予想が付かないはずがない。

主人公は銃を持って女の家へ行くが、なぜか玄関のドアには鍵が掛かっていない。しかも裏口のそばで背を向けてわざとらしくチェロを弾いているではないか。
女は初めて気づいたように謝りながら、裏口から外へ後ずさる。そこで男が銃を撃つがそれが女に向けたのか、背後に出現したクマに向けたのは分からない。さらに進むと数匹のクマが男を迎える。ただそのクマは中に人間が入っている着ぐるみにしか見えない。

ここから導き出されるのは、女は他の者と共謀して男をおちょくった。銃は空砲に入れ替えていた(そんな描写はないが)としか思えない。
しかし、だとしてもどうしてそんなことをするのかは理由は不明である。
それとも何かを象徴しているのだろうか(?_?)

朝日新聞のインタビューで監督は「果たして自分は人間なのか動物なのか。悪は自分の外にあるのか、内にあるのか。それを見極める瞬間」であると語っているが、そんなことは全く窺えなかったのは確かだ。

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2022年9月 5日 (月)

中高年洋楽ロックファン必涙🎸ドキュメンタリー「リンダ・ロンシュタット サウンド・オブ・マイ・ヴォイス」「ローレル・キャニオン 夢のウェストコースト・ロック」

220906a「リンダ・ロンシュタット サウンド・オブ・マイ・ヴォイス」
監督:ロブ・エプスタイン、ジェフリー・フリードマン
出演:リンダ・ロンシュタット
米国2019年

なぜか最近絶賛人気継続中(?)の音楽ドキュメンタリー映画ブーム。おかげで次々と公開が続いておりますが、リンダ・ロンシュタットのファンでもなく録音を一枚も持っていないにもかかわらず見たのであった。
リンダというと次々とヒットチャートをにぎわした曲と派手な恋愛ゴシップでしか知らなかったのだが、すみませんっ_(_^_)_ガバッ 彼女についての認識を改めた。

音楽一家に生まれ、ジャズやクラシックなど様々なジャンルに触れて育ち、やがてカントリー・フォークのバンドを組んでLAに出て注目される。ソロ歌手として独立し連続して大ヒットを飛ばす。
一方でロック界という狭い男社会の中で、他の女性ミュージシャンと協働して助け合うようにもなる。

やがてヒット路線を自ら捨ててオペレッタ、ジャズ、自らの出自であるメキシコ音楽にも挑む……という多彩過ぎる活動歴なのだった。
驚いたのは、その度にヴォーカル・スタイルを巧みに変えること。特にマリアッチの歌唱はロックなどの時とは全く異なるもので、見事にものにして堂々たる歌いっぷりである。

また、当時のインタビュー映像を見ると明確に自分の主張を言葉で表現できる人なのだと感心した。
しかしやがて病がその彼女の「声」を奪ってしまうのだった。つらい(ーー;)
現在の彼女はそれを受け入れているように見えるものの、そう簡単なことではないだろう。

インタビューには過去に共演したドリー・パートンがまず一番に登場した。この手のドキュメンタリーの多くに出てくる彼女を米音楽界のご意見番、またはお局様🌟と呼びたい。
個人的にはボニー・レイットがかなり長く話してたのが嬉しかった。
他にジャクソン・ブラウン、付き合ってたJ・D・サウザー、アーロン・ネヴィルなどなど多数登場。
ドリーを真ん中に据えた女性トリオ・コーラスのバック・バンドにD・リンドレーがいたのに驚いた。

それにしても、付き合ってる男を次々変えてもジョニ・ミッチェルだと「恋多き女」なのに、リンダだと「浮気娘」になっちゃったのはなぜだったんでしょうか(+o+)

220906b
「ローレル・キャニオン 夢のウェストコースト・ロック」
監督:アリソン・エルウッド
米国2020年

今の若いモンは知らないじゃろうが、昔々ハリウッドに自然豊かな渓谷があってな。大勢の若いミュージシャンが住み着いて交流し刺激し合い、緩やかな共同体を築いておったのじゃよ。

--という、60年代後半から70年代にかけて存在した音楽コミュニティのドキュメンタリーである。当時の映像は少なく、その地を記録した二人の写真家へのインタビューとその作品を通して時代とミュージシャンを振り返る、という構成になっている。
ミュージシャン自身の回想も音声で入るが、今の彼ら自身を見せないというのが面白い。

タイトルだけだと昔のウエスト・コースト万歳ヽ(^o^)丿みたいな内容だと思えるけど、実際は世知辛い話題が結構出てきてシビアな印象である。
個性強すぎな白黒混合バンドのラブがドアーズの存在ためにヒットできず--というエピソードはロック勃興期ならではというところか。

上映時間120分て結構長いなあと思ったら、なんとTV用の1時間ものを2本つなげたそうである。なるほど……💦
で、前半60年代編はバーズ、バッファロー・スプリングフィールド、ママス&パパス、J・ミッチェルなどが登場。
しかし互いに助け合うなごやかな平和な環境はシャロン・テート事件とオルタモントの悪夢で終わりを告げる。

後半70年代編はJ・ブラウン、CSN(Y)、R・ロンシュタット。そして最後にグレン・フライが成功を渇望していたイーグルスが大ヒットし過ぎたことで、この地に引導を渡してしまう。なんたることだろうか。
当時の洋楽のファンならば一抹の感慨を抱かずにはいられないだろう。

歌詞の訳が全て字幕でついていたのがよかった💯
CSNのあの独特なコーラスはどこから生まれたのか、と長いこと疑問に思ってたけど、答えが分かって満足である。
初めて渡米したクラプトンが招待されたママ・キャスの家でジョニに出会い、彼女がギターを弾いている姿を近距離からガン見している写真に笑ってしまった。

チラシの英語で書かれたアーティスト名に、アリス・クーパーとリトル・フィートの名前が出ているのだが、登場してたっけ(?_?)

映画館内は懐かしさに涙ちょちょぎれる中高年観客多数であった。私も感慨深かったです。
もっとも私がリアルタイムで聞いてたのはこの後の時代だけど。(念為)

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