映画(最近見た作品)

2019年11月11日 (月)

映画落ち穂拾い 2019年前半その2

「ハンターキラー 潜航せよ」
監督:ドノヴァン・マーシュ
出演:ジェラルド・バトラー
イギリス2018年

潜水艦ものは結構好きである。大昔の『原子力潜水艦シービュー号』とか『眼下の敵』などなど。マンガの『サブマリン707』も読んでた。
魚雷に機雷にソナー、この手の戦闘には欠かせぬ要件がテンコ盛りの上に、さらに特殊部隊による地上極秘任務(派手な銃撃戦付き)ありの大サービスである。あ、加えて「信頼できる艦長」も必須条件ですね。出来に文句なしっ。
定番の音探知の場面では客席も思わず雑音を出さず静まりかえっていた。

潜水艦ものによくある見えない敵の作戦の探り合いというのは、相手がまともな思考をするならいいけど、ひねくれた奴とかサイコパス気質だったら無理じゃないのと思ったりして。
ここではハト派のロシア大統領がクーデターに遭うという設定だが、現実のプーチンだったら自分の手で直接100人ぐらい殺しそうである(^^;
折角のゲイリー・オールドマン特出なんだから、もう少し見せ場を作って欲しかった。


191111a「アレッポ 最後の男たち」
監督:フェラス・ファヤード
デンマーク・シリア2017年

アカデミー賞長編ドキュメンタリー部門ノミネートされた作品。
ロシア軍の空爆下、シリアのアレッポで爆撃後の瓦礫から人を救出する「ホワイト・ヘルメッツ」の活躍を取材したものだ。そう聞くと勇猛果敢な感じがするが、実際はかなり沈鬱なトーンである。
なぜなら瓦礫の中で人を発見しても既に亡くなっていることが多いからだ。これでは救出にならない。

表向きは町に留まると広言はしても、陰では家族のことを考えると難民扱いでもトルコへ逃げることを考える。が、行くも地獄とどまるも地獄である。
ラストは衝撃の一言。ここに至ってタイトルの意味が分かる。洗練さもなく武骨な作りだが事実の重さが存在していた。

短い停戦期間に作られた小さな遊園地(というか公園)に、子どもそっちのけで大人たちも遊具に乗って遊ぶ光景が微笑ましい(&悲しい)。


「KIZU-傷- シャープ・オブジェクツ」
米国2018年

エイミー・アダムス主演のTVドラマ・シリーズ、レンタルで鑑賞。
故郷の田舎町で起こった少女連続殺人を女性記者が取材するために帰郷する。待ち構えるは優しく恐ろしい毒母(パトリシア・クラークソン)である。
原作が『ゴーン・ガール』の人なんでイヤさが充満し、意味ありげなフラッシュバックが炸裂する。照明の使い方が心理を反映して極めて効果的。

主人公は飲んだくれてフラフラ徘徊しているだけなんだが目を離せない。心臓がドキドキしてくる。そして掛け値なしの衝撃のラスト……ギャー(>O<) 見返すとちゃんと伏線が散りばめられているようなのだが、とても見返す元気はない。
オリジナルの劇伴音楽は使わず全て既成曲(それも有名な)を使っている。使用料かなりかかっただろうな。

191111b「幸福なラザロ」
監督:アリーチェ・ロルヴァケル
出演:アドリアーノ・タルディオーロ
イタリア2018年

これは個人によって解釈がバラバラになりそうだ。
すごい山奥の村で侯爵夫人が村人をだまして戦後も小作人としてコキ使い続ける(実際にあった事件)。それが発覚して村は消滅する。しかし、この事件が主題ではない。

誠実で無垢な若者ラザロは、夫人に搾取される村人の中にあっても、堕落した都市の中でも全くスタンス(だけでなく、外見も)は変わらない。それは奇跡か、それとも?  もはやファンタジーの領域に入り込む。
聖書中にラザロは二人出てくるそうな。一人はイエスが墓から復活させた男。もう一人は、貧しい病人の男で死後に天国へ行く。そのどちらでもあるようだ。
途中で観客全員が息をのむあの場面、私も驚いた~(!o!)

後半がややまとまりないように感じた。発想と出だしはいいけど、結末を付けかねたような印象である。
でもあのラザロ役の子をよく見つけたものよと感心。キャスティングで80%成功している。

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2019年11月10日 (日)

「ある少年の告白」:矯正を強制して共生せよ

191110 監督:ジョエル・エドガートン
出演:ルーカス・ヘッジズ
米国2018年

シビアでつらい物語、というか実話である。
大学生活で同性愛が発覚した若者が、閉鎖的な矯正施設に送られてしまう。そもそも父親が牧師だからとても許されない。
事前の予想よりストーリー上の宗教の比重が大きかった。まあそもそも同性愛が禁忌とされたのは聖書にあるからだが。

いったん終わるかと思わせてまだ続きがあったのは意外な展開。父母と息子の物語でもあることが分かる。そこまではニコール・キッドマンが母は強し演技で目立っていて、父親役のR・クロウはパッとしなかった。
しかしラストでちゃんと彼は不安定な父親像を演じて見せた。やたら太ってて大丈夫かい!と思ったら、実際の父親があの体型らしい。(そこまで似せなくても)
主役のヘッジスも繊細な演技。ラストで怒りを見せるところもうまかった。

レッチリのフリーが恐ろしい施設職員役で出演していたけど、結構小柄でやせてて驚いた。ステージの映像だとすごく巨大&強力に見える。
エドガートン扮する施設長は、最後の字幕でその本質が明らかにされる。うっかり見逃す可能性があるのでご注意。

邦題は原題(「消された少年」)を生かした方がよかったのではないか。
日本だったらあの矯正施設は「」ではなくて、某ヨットスクールみたいに「根性」で打ちすえるのだろう。イヤダー(>y<;)

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2019年11月 6日 (水)

「荒野の誓い」:ビッグ・カントリー 広くても行き場はない

監督:スコット・クーパー
出演:クリスチャン・ベイル
米国2017年

時は19世紀末の米国、長年先住民との戦争を戦ってきた騎兵隊大尉の主人公は、かつての宿敵である族長を刑務所から居留地に護送するように命令される。
このような設定だと想像できるのは、激しくいがみ合う両者が道中で予期せぬ襲撃などアクシデントに遭って、互いに理解し合うようになる。
--と思ったらちょっと違った💨

主人公は積年の恨みに決着付けようと首長に決闘を挑むのだが、相手は孫までいて家族と静かに暮らしている上に、大病を患っている。もはや闘う気は皆無なのであった。彼の憎悪は空回りしてしまう。
もちろん別の部族が襲撃してきたり、家族が襲われ一人生き残った人妻を救出というようなアクシデントは起こる。

見ていくうちに、これは西部劇の形式を取ってはいるものの実は戦争の帰還兵や後遺症を描くという、極めて現代的なテーマを持っていることが分かってきた。退役が迫ってくる年齢になっても、戦争の影から逃れられず平和な生活など送れそうにはない。そんな陰々滅々とした思いが、ワイエスの絵のような美しく悠揚たる自然を背景に描かれる。
さらに殺人の罪で逮捕されたかつての部下の護送も途中で依頼される。この男がまた以前の自分の分身であり、過去の亡霊の如きで兵士たちを苦しめるのだった。

平和になった現在において過去についてどう折り合い、謝罪と和解ができるかどうか。一人の男の変容を通して、明確に答えを出しているといえるだろう。これは他国の過去だけの話ではないのはもちろんである。
唯一の救いはラストのラストでわずかにホッとできるということか。ただ、あの少年がこれからうまくやっていけるのかはちょっと不安。

設定や展開はよくできているとは思ったのだが、どうも脚本が今ひとつの部分がある。人物が会話で説明過剰と思えば、説明少なくてよく分からない場面もあり。死人も多すぎるんではと思う。
救出された後、砦に着いたのに女性がその後も部隊に同行する理由がよく分からなかった。(同行しないと話が進まないというのは分かるが)
それから、主人公や戦友の内心の動揺の描写が中心となっているため、どうしても先住民側の描写が薄くなってしまったのは残念だった。

主役のクリスチャン・ベイルはまさに「鬼気迫る熱演」とはこのことか!としか言いようがない演技で全てを圧倒していた。最後の殺人の後の姿はあまりの迫力で正視するのも恐ろしいぐらい。
さらに『バイス』とどちらを先に撮ったのか不明だが、あの映画と比べると痩せこけてて胴回り三分の一、顔の幅は半分くらい(^O^;)と言っていいだろう。とても同一人物とは思えません。
人妻役ロザムンド・パイクの、狂気でイっちゃった眼も負けずにコワかった。さらに元部下のベン・フォスターも出番は短いが見事な悪役ぶりである。
出番が短いと言えば、チョイ役でティモシー・シャラメが出ていたのには驚いた❗ あっという間に退場しちゃうのだが、2017年製作なので彼がブレイクする直前に撮ったのだろうか。

さて邦題についてだが、これがまた問題(原題は「敵対者たち」)。この手のタイトルは後から区別が付かなくなる案件なのである。例えば「誓いの荒野」でも「荒野の決意」でも全く変わらない。正確に思い出せなくなってしまう。
もっとも「タイトル見ただけで西部劇と分かる」という意見もあり、なるほどそういう面はあるかと思った。確かに場内は西部劇ファンとおぼしき高齢男性多数であった。
『マルリナの明日』でも高齢男性の観客がやたら多かったのだが、あれは西部劇(というかウェスタン)ファンだったのだなと思い至った。

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2019年11月 3日 (日)

映画落ち穂拾い 2019年前半その1

191103a「マイ・ジェネレーション ロンドンをぶっとばせ!」
監督:デヴィッド・バッティ
出演:マイケル・ケイン
英国2017年

60年代英国で階級をぶち壊して勃興した労働者階級のユース・カルチャーをたどるドキュメンタリー。マイケル・ケインがナビゲートし、音声のみのインタビューに答えるのはマッカートニー、ツイッギー、マリー・クワント、
ロジャー・ダルトリー(P・バラカン監修につき「ドールトリー」表記になってる)など。音楽中心かと思ったらファッションやアートにもかなり時間を割いていた。
秩序立てて紹介している訳ではないので、当時の雰囲気を知りたい人向けか。(特にファッション関係に興味ある人)

いずれにしろ過去の若ケイン、現在の老ケインどちらもカッコエエです。名前の由来があの過去の名作とは知らず。
あと、ツイッギーにドジな質問をして逆襲されるのが、あの監督とは……(ヤラセ)


191103b「共犯者たち」
監督:チェ・スンホ
韓国2017年

韓国ドキュメンタリー、上映最終日に滑り込み鑑賞した。二代の大統領政権下で放送局が、社長をすげ替えられて政権の「広報」と化す。アナウンサーや記者がスケート場に左遷され、局員はストで対抗するも冬の時代が続く。 韓国内で起こった事件や政情を分かっていないと、やや難しいかも。

ここで描かれている状況と、今の日本のマスコミがほぼ同じなのでトホホ(+o+)となってしまう。日本の方は変わることができるのかね。 局をクビになって独自に突撃取材する監督は、今現在は局の社長に選ばれたって本当?すごい激動である。 それにしてもセウォル事件の報道はひど過ぎ……。


191103c「ナポリの隣人」
監督:ジャンニ・アメリオ
出演:レナート・カルペンティエリ
イタリア2017年

久しぶりに「金はもういいからせめて時間を返してくれ~」案件の映画だった。家族とコミュニケートできない中高年男性が見たら満足感を得るようなストーリーで、脚本も演出もエピソードをグダグダと連ねるだけで終始。父親に冷淡な娘が途中で態度を変える理由が全く描かれない。

主人公を始め、登場する男たちが揃ってダメダメなのには参った。 やはりイタリア映画の家族ものは敬遠した方がいいね。こんな映画を選んで見てしまった自分の不徳の致すところであるよ。


「ROMA/ローマ」
監督:アルフォンソ・キュアロン
出演:ヤリッツァ・アパリシオ
メキシコ2018年

やっと見た。確かにサウンドがすごい。実際に街角に立って聞こえるような音が本当に聞こえてくる。もっと設備のいい映画館なら効果もさらに増すだろう。
ただ全体的に見て好きな映画かというと「うーむ(-"-)」となってしまう。一見の価値はあると思うがそれ以上ではなかった。

一部にこれみよがしな場面があって「ここでそれをやるんだ……」と思っちゃうと、興ざめする。(あくまでも個人的意見)
それに子どもの時にあんな優しくてかわいい若い女の人に世話してもらったら、そりゃ忘れられないよなあ、などとも思う。

あの棒振り場面にボカシ入っていないのには驚いた。「ちいさな独裁者」なんかあんな遠くてロクに見えないのにボカシあったのに。基準はなんだ?
これを映画館で見る時には周囲が空いている座席を吟味して選択することを推奨。隣でポップコーンなぞシャリシャリ食べられたら殺意が湧くのは間違いない。


191103d「ブラック・クランズマン」
監督:スパイク・リー
出演:ジョン・デヴィッド・ワシントン
米国2018年

形は警察官二人組ものの体裁を取っていて、娯楽作品として十分通る(終盤の活劇は原作にないらしい)。が、冒頭うさん臭いA・ボールドウィンから中盤のブラックスプロイテーション談義、最後のニュース映像まで至ると、実はストーリー仕立ての差別論議映画に思えた。

つまりS・リーの意図は客を感動させることより、疑問を抱き考えさせ意見を戦わせることかなと。
私は最後までアダム・ドライヴァーがいつマイクが見つかるか、絶対見つかって危機一髪💥になると確信してたので、ハラハラしっ放しだった。
あのバッグの中身が結局どういう経緯でああなったのか?分からなかった。

学生会長は「スパイダーマン ホームカミング」の女の子だったのか!立派な女優さんになってご両親もさぞお喜びでしょう。
「アイ、トーニャ」の自称工作員男が似たような役柄で出ていて笑った。この路線でずっと行くのかね。
ハリー・ベラフォンテのシーンでは監督も一瞬映ったよね。

アカデミー賞の授賞式で脚色賞を取った時、嬉しさのあまりスパイク・リー(小柄、緑色のスーツを着ていた)はプレゼンターのS・L・ジャクソン(大きい)にカエルのようにピョンと飛びついたのだが、なんとご本人はそれを覚えていなかったという……。(直後のメディア会見で記者たちに確認する始末)

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2019年10月28日 (月)

「Tommy/トミー」:ケバい・派手・悪趣味の三重楽

191027 監督:ケン・ラッセル
出演:ロジャー・ダルトリーほかザ・フーの皆さん
イギリス1975年

『ロケットマン』の公開記念?それとも原作であるザ・フーのアルバムが発売50周年だからなのかは不明だが、HDリマスター版でリバイバル上映! ケン・ラッセル監督のファンとしては見に行かずばなるまいて。
年齢が分かってしまうけど、ロードショー公開時に見ている。もちろんまだ学生の頃である。(←なぜか強調) その後ビデオソフト買って何度か見ているがデッキが壊れしまい今はそれもできない。(ブルーレイ入手できるなら買おうかな)

第二次大戦中の英国はロンドン、少年トミーの父親は出征して戦死、その後母親は他の男と付き合い始める--というところに突然、死んだと思っていた夫が帰還。二人が父親を殺す現場を目撃した少年は三重苦の世界へ……。
ザ・フーのアルバムはロックオペラと銘打たれてはいるが、明確なストーリーがなく、ケン・ラッセルが脚本を書いて肉付けしたらしい。原作では第一次大戦だったのを変更、またそもそも殺されるのは愛人男の方だった。

それでも正直分かりにくい話ではある。虐待されて成長するも、ピンボールゲーム始めて突然回復、奇跡として持ち上げられて新興宗教の教祖に。金儲け主義が祟り信徒が反乱して全てを失う。たった一人残された彼は山中で覚醒するのであった。
……というようにかなり宗教的である(特に後半)。昔見た時も首をひねったが、今回もよく分からなかった。
ただし、終盤の高揚感はすごい。ロジャー・ダルトリー扮する主人公が裸足でグイグイ岩山を登っていき(スタント無しだったとは信じられない)、朝日に向かう一連のシーンは名曲のせいもあっておおーっ(>O<)と気分がアガるのだった。

後から考えてみると、これは終始父親を求める息子の話となっている。誕生時には既に父は不在で、再会したと思えば殺されてしまう。折々に彼の幻想に父親が現れる。
私は見てて気付かなかったのだが、冒頭で父親が山登りして朝日を見る場面とラストでのトミーの姿は完全に重なるのだという。
とすれば、父を求めて青年期に教団を率いる→破壊行為にあって全てを失う→復活して父親と合一……これってイエス・キリストの復活譚と重なるのでは?
そも、原作の設定と異なり実の父親が殺されることへとケン・ラッセルが変更したことからして怪しい。この違いは大きい。ピート・タウンゼントはよく認めたもんである。

だからといってシリアスなわけではない。全編ケンちゃん流のド派手でケバい映像と毒々しさが躁病的に展開する。
パンの代わりに錠剤を与えるエリック・クラプトンの怪しげな伝道師、注射器構えるティナ・ターナーの娼婦風アシッド・クイーン、キラキラ眼鏡に巨大なブーツ履いたエルトン・ジョンのピンボールの魔術師、あとミュージシャンじゃないけどジャック・ニコルソンのうさん臭くてイヤらしい目つきの医者も見どころだ。
当時の雑誌に「皆あまりにそのまんまっぽい役」と書かれていたぐらいのハマり具合だが、なんと最初はアシッド・クイーンはD・ボウイ、ピンボールの魔術師はS・ワンダーが予定されていたと聞いて驚いた(!o!) えーっ信じられん。

クラプトンの教会はM・モンローが聖像になっていて、あの有名なスカートがめくれるのを押さえているポーズを取っている。以前見た時は気付かなかったのだが、その台の表面は鏡張りになっていて、信徒が腰をかがめて像の靴の部分にキスするとスカートの中身の奥が鏡に映って見えるようになっているのだった。(もちろん何も履いていない)
なんたる不謹慎、改めてケンちゃんの悪趣味に感心した💕

ミュージカル定番のモブシーンは踊りではなく、破壊と暴力が荒れ狂う。こうでなくちゃね(^^)
なお、作中ではタウンゼントの定番ギター壊し場面もちゃんと見られる。

役者では母親役のアン・マーグレット(美しい)が迫力。チョコレートまみれになってのたうち回る場面で耳の穴までチョコまみれの狂躁的熱演を見て、昔「役者ってスゴイなあ」と感じたのを思い出した。その甲斐あってアカデミー賞候補になったのは当然のことだろう。
ケン作品常連のオリバー・リードは歌唱はナンだがアクの強さは抜群で存在感。
今回認識を新たにしたのは父親役のロバート・パウエル(『マーラー』で主演)である。ケンちゃん好みの繊細な顎、そして薄幸そうな蒼い眼……う、美しい(^0^;) 『マーラー』も再見したいもんだ。
ロジャー・ダルトリーは演技の経験なくて自信がなかったそうだが、立派なもんである。浴槽に沈められたのはご苦労さん。

当時、英米で大ヒットしたのだがザ・フーのファン、映画ファンにはあまり評判がよろしくない。「ケン・ラッセルはロックが分かってない」などなど批判多数。ザ・フーのメンバーもピート以外はクサしていた。今、ネットの感想サイト覗いてみても評価は低い。
それではケンちゃんマニアはどうか?と昔買った特集本引っ張り出してみたが、こちらも「ケンらしさが希薄な映画」などと言われちゃってるではないの。

ケンちゃんマニアが評価しなくってどうすると言いたい。まさに傑作✨かつ怪作♨(やっぱり)に間違いなし。
「駄作」と評する人も多いけど、名作・佳作・良作・問題作・珍作・奇作・迷作……はあっても駄作だけはあり得ない!!と断言したい。
ケンちゃんのケバケバしく毒々しい映像の光を浴びて全身の細胞が賦活、10歳ぐらい若返った気分となった。あー、やっぱり好きだなあとつくづく感じた。
もっとケンちゃんをプリーズ! 他の作品の再上映、ソフト再発を望む。


さて本作で当時聞いたウラ話と言えば、この映画は英米でかなりヒットした……のはいいが、日本ではザ・フーは知名度が低い。公開されるか微妙だったのを、配球会社の若手社員が「これは絶対にヒットする!」と力説して公開されることになったという。
しかし結果は……日本では惨敗であった(T^T)クーッ
件の若手社員氏がクビにならずその後も活躍できたことを祈る。

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2019年10月19日 (土)

「ロケットマン」:黄昏のスター路

191018 監督:デクスター・フレッチャー
出演:タロン・エガートン
イギリス2019年

「見たいエルトンより見せたいエルトン」--なんとなくそんな言葉が浮かんでくる。そりゃそうだ、自伝ミュージカルにご本人が製作総指揮で入っているのだから。

父に嫌われ母に疎まれ、音楽の才能を発揮するも家族の愛情は得られない。つらい、苦しい、暗い……信田さよ子の『〈性〉なる家族』に出てくる事案そのままみたいな家庭に生まれたエルトンの恨み節。冒頭から次から次へと見せつけられる。

名コンビとなる作詞家のバーニー・トーピンと出会うけど、ゲイとしての愛情は受け入れては貰えず。しかし、そのエルトンの心境をトーピンが成り代わって詞を書いて寄越し、また彼が曲にして歌うっていうのは……どういう関係なんだ? 当時は二人がそんな微妙な関係とはつゆ知らなかった。
さらにミュージシャンものでは定番とも言える悪徳マネージャーに引っかかって、大ヒットしてスターになっても幸福ではない。見ているこちらはどんどん落ち込んでくるのであった。

「伝記」ではなくて、エルトンの過去に対する想いを自作曲と共に描く、と言った方がいいだろうか。依存症治療の施設で自分を振り返って語るという形式で、あまり正確な時系列に沿ってはいない。
脚本の問題なのか、その想念の描き方が身の上話を独白で語り、再現映像で見せ歌でも歌う。屋上屋を架すがごときだ。
最後は「幸せになりました」でカタルシスには乏しい。落ち込む上にスッキリしないのではなあ……。
ということで、『ボヘミアン・ラプソディ』の大ヒットで起こったクイーン特需のようなブームを洋楽市場は狙っていたようだけど、残念ながら不発に終わったようだ。

主演のタロン・エガートンのパフォーマンスは演技・歌唱(自分で歌っている)共に素晴らしかったので、そこが今ひとつ残念だった。オスカー候補確実の評はダテではなかったといえる。

見ていて、歌詞の字幕の付け方に疑問が残った。劇中で人物が歌う場面はコンサートの場面も含めて付く。ただしそれはエルトン作の曲のみで、他人の作品だと出ない。(例-ピンボールの魔術師)
劇伴でバックに流れる当時の曲などはエルトン作かどうかに関わらず出ない。
なんだか基準がよく分からないんだけど(^^;ゞ

さて思い出話になるが、私は当時全米トップ40を毎週チェックするのに熱中し、ラジオでFENをかけっぱなしにしていた。その頃のエルトンほど売れに売れたミュージシャンは知らない。ビートルズのレコード売り上げやチャートの記録を吹き飛ばし、自家製ジャンボジェットを初めて購入。さらに全米で収入(主にライブによるもの)ランクでも第1位となった。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いとはこのことだ。
なので、この映画ではその時代のことがあっという間に通り過ぎてしまったのは肩すかしだった。きっとご本人にとってはいい時代ではなかったのだろう。

なお、作中でキキ・ディーとのデュエット場面が出てくる。あの曲のビデオクリップをそっくりそのまま流用しているような感じだ。
彼女はエルトンの婚約者として売り出した。でもいつまで経っても婚約者のままで結婚することはなかった……💨
変だなあとは思っていたが、後から考えるとゲイであることを隠そうとするための攪乱作戦だったのか(?_?) しかし、実は「誰それの婚約者」というのは新人売り出しによく使う手法だそうである。

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2019年10月10日 (木)

「未来を乗り換えた男」:終着の港

191010 監督:クリスティアン・ペッツォルト
出演:フランツ・ロゴフスキ
ドイツ・フランス2018年
*DVDにて鑑賞

久方ぶりに「映画館で見ておけばよかったと大後悔」案件に出会ってしまった。思えばハネケの『ピアニスト』以来である。
どうしてロードショー時に見なかったかというと、同じ監督の作品『東ベルリンから来た女』『あの日のように抱きしめて』は見ていた。しかし「面白いけど今ひとつ」な感じだったのである(特に『あの日』の方)。それで今回はどうしようかと迷っているうちに公開終了……と見送ることに。
とっころが(!o!)そういう場合に限って面白かったりするのだ。

冒頭、カフェで二人の男がドイツ語で会話している。その内容からどうもドイツからパリに逃げてきているらしく、ドイツ軍が迫りつつあるので新たな逃走先を探している様子だ。
となればこれは時代は大戦中、パリのユダヤ人の話かと思うが、人々の服装も街中を頻繁に疾走するパトカーも現代のものにしか見えない。

主人公の男はたまたま自殺した作家の遺品を手に入れ、その身分証や旅客船の切符を利用しようとする。そしてマルセイユに向かうのだった(これも命がけ)。
港町では国外脱出を図る人々であふれ、米国の領事館ではビザを得ようと長い行列が待っている。時間だけが経つ。残された時間は少ないというのに。
そこで、別れた夫を探して街中をさまよい歩く女に出会うのだった。

原作はユダヤ人作家によって1942年に書かれたにも関わらず、背景である街並は現在のものである。従って過去の話ではなく、新たにこれから発生する難民問題を近未来的に描いているようにも見える。

さらに不思議なのは、語り手のナレーションと映像の描写が異なることだ。
全てを観察しているとある登場人物が語り手で、「その日はすごく寒かった」と語っているのに映像では初夏の日差しで人は袖を腕まくりして歩いている。「二人は熱烈なキスを繰り返し」とあるが、彼らは喋っているだけだ。あるいは既に知り合いである親子について、初めて会ったような説明が入る。
そのような矛盾した語りが幾度も挿入されるのだ。これは恐らく原作の文章から取っているのだろうが、映像との齟齬が強烈な違和感を生む。ほとんどめまいに近い感覚である。

明るい陽光の下、大きなトランクを転がす観光客たちが闊歩する。窓から臨む輝く青い海と高層ビルそして客船、バルの外の舗道を行き交う乗用車--ここに何かが起こっているとは到底思えない。
しかし明るい港町は同時に暗い迷宮であり、主人公はその地を亡霊のようにさまよう。彼が隠れるホテルは沈鬱で、国外へ逃れようとする人々が絶望と共に息を潜めて待つ。何を待つ?--破滅なのか。この落差は大きい。
不穏、不穏、いずこにも不穏さが充満している。そこから逃れようはないのだ。

遂に町へ侵攻してきたドイツ軍は、同時にテロリストを捜索する警官のようにも、また反政府デモを鎮圧に向かう機動隊のようにも見える。もはや区別は付かない。
だが、それらの全ては明晰で影一つない風景の下で起こるのである。

それにしても終盤の展開には意表を突かれた。ええーっ(>O<)と驚いてしまった。加えて、断ち切られたようなラストがまた衝撃。その後のクレジットにかかるトーキング・ヘッズが明るい曲調にも関わらず(歌詞の訳が付いててよかった)ますます不安をかき立てる。
とにかく全編緊張感に満ちていて目が離せなかった。

さて、船旅で脱出がダメならピレネー山脈を越えるルートがあるというセリフが出てくるが、ベンヤミンは実際に米国へ渡航しようとするもビザが下りず、徒歩でスペインに向かうが国境で拒否されて山中で自殺したそうである。

主演のフランツ・ロゴフスキは見ただけでは思い出せなかったけど、ハネケの『ハッピーエンド』でプッツン息子をやってた人。あのカラオケ(?)場面には笑った。
『希望の灯り』では内向的で地味でサエない若者だったが、本作ではもっとアクティヴで外見もスッキリしていて別人のようだ(同じ顔なのに)。ただ、双方とも人妻を追いかけるという点では似ている。
出演作まだ4本? 今度は全く違う役柄で見てみたい。今後の注目株だろう。
相手役のパウラ・ベーアは、同じ監督の過去作に出ていたニーナ・ホスに似ているような。

思えばデュラス原作の『あなたはまだ帰ってこない』と、この映画は表裏を成しているようだ。『あなたは~』ではパリが舞台で女が捕らえられた夫を探してさまようが、こちらはマルセイユで夫を捜し回る女を、さらに主人公が追い求める。
ただ前者はフォーカスをぼかしたり鏡を使うなど凝った映像で幻惑する女の心理を表していたのに対し、こちらは明るい陽光の下、鮮明な光景の中で全てが繰り広げられる。
いずれも戦争の混乱の中で現実が溶解していく。両者を見比べてみるのもいいかもしれない。

最初に書いたように、大きなスクリーンで見たかった--特に明るく迷宮的な町並の映像を。
一方でDVDなら不明に思った所を何度も後戻りして見られるから、このような謎めいた構造の作品を見るには向いているとも言える。
よく映画館でリアルタイムで見てて分からない部分があったりすると「TV放映かDVDでまた見直すぞー」と思うんだけど、実際に見直すことはほとんどないからね(+_+)

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2019年10月 2日 (水)

「ドッグマン」:ホール・ロッタ・ラヴ で、飼い主はどっちだ?

191002 監督:マッテオ・ガローネ
出演:マルチェロ・フォンテ
イタリア・フランス2018年

ガローネ監督は『ゴモラ』が衝撃で、その後も『リアリティー』『五日物語』も見た。後者は映像はキレイだけど話自体はなんだかなあという印象だった。
今回の作品はどれかと言えば『ゴモラ』系ではある。

舞台となるはイタリアの田舎町。これがまた、よくぞこんな場所見つけてきたものよと言いたくなるほどの寂れ具合である。
主人公は街の商店街の一角で犬のトリミングサロンを開いていて、腕前は良いようだ。時折商店街の仲間とサッカーしたり飲んだりする。妻とは別れているようだが、小学生ぐらいの娘を溺愛していて、訪ねてくるとエラいかわいがり様だ。

一方、彼には長い付き合いの友人がいる。こいつが大男で非常に乱暴で凶悪で、犯罪も平気で犯す。小柄で優しく気弱な主人公とは対照的。彼を脅しつけては様々なことを命じる。で、主人公は常にあらゆることでその大男に追従してしまう。悪事にもだ。
しまいには男をかばって刑務所にまで入っちゃう。娘が前科者の父を持つことになるのを考えないのだろうか? ご近所から冷たい目でで見られてもいいのか(?_?)

正直、見ててこの主人公の心理や行動がよく理解できなかった。大男に引きずられるだけではなくて、わざわざ自分の方から近寄っていく。さらには仕事でやってる犬相手のように対処しようともする。出来るわけはないのに。
これは一体どういうことなのだろうか。
……と訳ワカラン状態なのであった。

しかしSNSでとある人が若い頃の回想をしているのを読んで、男性同士の友愛の一形態として「支配-服従」というものがあるのではないかと私は感じた。このような関係に互いにとどまることこそがまさに友愛の印なのである。
「男性」だけでなく女性にもあるのかも知れないが、私は現実でもフィクションでも女性については見た記憶がないからとりあえずそう考えた(家族内の関係はまた別として)。

そう考えると、この主人公の言動は分からなくもない。
彼と大男の関係は、そのまま彼と犬との関係に逆転写されている。自分が危ない状況になるのに犬を助けに行く場面は極めて示唆的だ。

これはなんと実際にあった事件を元にしているそうだ(!o!) 多分、監督なりの解釈ということなのだろう。
空虚さと小汚さのまじった町、安っぽくケバケバと浮遊してるようなクラブ、居並ぶ各種の犬たち--そんな光景の中で不条理な人間たちが不条理な行動をとるのを、顕微鏡で微細な所まで拡大する。見てて決して心地よくはならない、快作ならぬ不快作だろう。
あと私は犬がどうも苦手なので、その点でも見るのがちと苦しかった。

主演のマルチェロ・フォンテはカンヌで男優賞取っただけのことはある「小心者」演技である。
なおカンヌではパルムドッグ賞も受賞。初めて見る人はどのワンコ🐶が取ったのか当ててみましょう(^o^)b

 

ところで、監督に「8月に日本公開されますが日本の観客に一言」とインタビューしたツイートが流れてきた。監督の答えは「えっ、8月公開。イタリアじゃ8月に映画なんか誰も見ないよ」だったそうな^^;

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2019年9月23日 (月)

「アートのお値段」:ノー・モア・マネー 芸術家のラスボスはあの人

190923 監督:ナサニエル・カーン
出演:アート界の皆さん
米国2018年

現代アートに興味のある人は見て損なしの面白いドキュメンタリーだった。
金、かね、カネ……の面からアートの価値を徹底追求。アーティスト、コレクター、サザビーズの担当者(オークショニアっていうの?)、評論家が様々に語る。「ギャラリスト」というのは「画商」のことか(?_?)

教科書に載るような過去の古典的名画は供給が限られているが、現代アートは作者が生きてて作品が作られ供給され続けるので、投機の対象となるのだという。
しかし、いくら高額で転売されても作った本人自身の儲けになるわけではないのがまた問題だ。
もはや「作品=カネ」はこの社会のシステムの一部として定着しているようだ。

実際に本人が登場して語るアーティストはJ・クーンズ。大きな工房を持ち何人ものスタッフが絵筆を握って制作。本人は直接描いたりしない。でも作るのは巨大インスタレーションだから莫大な金が動く。
売れっ子クーンズの逆がラリー・プーンズという画家(私はこの人知らなかったです)。過去に人気があったが忘れ去られている。
アフリカ系女性のN・A・クロスビーは、自分の絵画の値段が高騰していくのを達観したように眺めている。「アフリカ系」と「女性」というキーワードがさらに価値を押し上げているのかも知れない。

G・リヒターは作品はコレクターが持っているのではなく、美術館にあるのが望ましいと語った。サザビーズの担当者(リヒター押し)はその話を聞いて「倉庫で死蔵されるだけ」と笑った。
……だが、待ってくれい。バブル期に日本で民間に買われた大作アート(キーファーなど)は結局画商の倉庫で「塩漬け」になったという話を聞いたぞ。その後どうなったのか神のみぞ知る、である。

それ以外にバスキアやダミアン・ハーストの名が上げられ、高額な彼らの作品が紹介される。あの「牛の輪切り」はもはや過去の栄光になっているみたいだが。

一方、「多くの人がアートの『値段』は知っていても『価値』は知らない」と語る老コレクターが登場。彼の高額そうなマンションには高そうな作品がいくつも飾られている。彼はシニカルだがアートを愛しているのは間違いないだろう。
彼の出自が明らかになるくだりは興味深い。そんな彼でも監督のインタビューの果てにたどり着いた「芸術とは何?」という問いには答えられないのだ。

彼が熱心に自分のコレクションについて語る姿や、実際にアーティストの制作過程見せることによって、現代アートがよく分からない人への入門にもなっているようなのは面白い。
だがその現代アートというテーマにもかかわらず、それをひっくり返すオチ(ダ・ヴィンチの某作品がらみ)が最後に来たのには笑ってしまった。

なお、先日イギリスの宮殿に展示されていた黄金の便器(約1億3500万円の価値)が盗まれる事件が起きたが、この便器も作中で紹介されていた。材質は黄金なれど普通の便器のように配管され使用可能。
米国の美術館で展示されている場面では長蛇の列ができていた。個室で実際に使用できたらしい。それなら私も使ってみたいわい( ^^)/
なお、これ自体は「過剰な富を批判した作品」とのことだ。

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2019年9月17日 (火)

「COLD WAR あの歌、2つの心」:生きて別れし物語

190917 監督:パヴェウ・パヴリコフスキ
出演:ヨアンナ・クーリク、トマシュ・コット
ポーランド・イギリス・フランス2018年

イーダ』の監督の新作はカンヌで監督賞受賞、オスカーも3部門ノミネートという高評価だった。どうも恋愛映画っぽいということで、二の足を踏んでいたのだが評判が良かったので見ることにした。

戦後数年経ったポーランドから始まる。冒頭農民たちによって歌われる、野卑にして強烈なエネルギーを持つ民族音楽に引きつけられる。
場面はそのまま歌手のオーディション場面に繋がり、一人の若い女が注目される。年齢は若いがどうも過去に色々ありスネに傷持つ強烈な個性の人物のようだ。
その女と、彼女を採用した作曲家兼合唱団の指揮者の男との長きにわたる複雑な関係が描かれる。

くっ付いては離れ、離れてはまた片方が追いかける--ということを繰り返すが、その間女は他の男と結婚していたり、と一筋縄ではいかない男女の仲である。
私は恋愛ものが苦手なので、どうにもよく理解できない。その心理は不可解である。
特に後半、ケンカを繰り返した挙げ句に男が投獄されると分かっていて女を追っていく件りとその後に至っては、性急すぎる展開もあってよく分からん。
と思っていたら、終わった後に近くの女性客が「なんで(男が)あそこで戻っちゃうのよ~」と話していて激しく同感だった。
理解できないのは私だけではなかったようだ。ホッ(^o^)

当時のポーランドの政治状況は直接語られることは少なく、音楽の有り様を通して描かれている。素朴な民謡がアレンジされて合唱曲になり、やがて政治体制を翼賛するような大がかりな舞台公演と化し、最後にはエンターテインメントとして他国でも上演する。
しかし最初の野卑なテイストは失われても、やはりその音楽はそれぞれに魅力はあるのだ。「2つの心」という古い曲の変遷がそれを表す。
それ以外にもパリでヒロインが当時流行始めた「ロック・アラウンド・ザ・クロック」で踊り狂ったり、故国の「サマーフェスティバル」でボサノバをやる気なさげに歌う場面などあり、面白い。
まさに「歌は世につれ世は歌につれ」🎵である。

そしてパリでの生活だが、『ホワイトクロウ』ではあれほど魅力的に描かれたあの街が、時代がずれるとはいえ、薄汚くスノッブで鼻持ちならない場所となっているのは興味深い。両方足して2で割ればちょうどいいのかね(^^;
また全編モノクロの映像は強烈である。特に日差しを映した場面が印象に残る。さすが撮影賞にノミネートされただけはあると感じた。
ヒロイン役のヨアンナ・クーリクはジェシカ・チャスティン似の強気っぽい美人。『イーダ』にも歌手役で出ていたらしいのだが、覚えていないです(^^ゞ

見た後で監督のインタビューを読んだら、この物語は監督自身の両親をモデルにしていると知って驚いた。なんと二人はヨーロッパを股にかけ40年もの間別れたり復縁したりを繰り返していたのだという。映画よりもさらにスケールが大きい。ビックリである。

私はそれを知った時、二人の子どもである監督はそれをどう思っているのかなあと疑問に思った(事実を述べているだけで彼の心境は特に語っていなかった)。
それをモノクロ90分にまとめ上げた手腕はかなりのもの。
そうなると、あの理解に苦しむラスト(あの場所に行って○○して●●する)も、彼にとって親に対する心情の決算だったのだろうか……。

ただエンドクレジットに「ゴルトベルク」を流したのはさすがに意味不明。『イーダ』でもコラール前奏曲使っているからバッハ好きなのかしらんとは思うけど。最近「ゴルトベルク」やたら使われ過ぎ💢という意見をいくつか見かけた。
普通だったらショパンの「マズルカ」だと思うが。当たり前すぎ?

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