映画(最近見た作品)

2018年10月16日 (火)

「秋のソナタ」:マザー・アンド・ドーター 恩讐のかなた

181016
監督:イングマール・ベルイマン
出演:イングリッド・バーグマン、リヴ・ウルマン
スウェーデン1978年

「ベルイマン生誕100年映画祭」の上映作品の一つ。イングリッド・バーグマンの遺作としても有名である。
早い話が母娘激突の物語である。しかし、どうも不自然な部分が幾つか見受けられる。監督はあまり整合性とか気にしないで脚本書いたのだろうか(?_?)と思ってしまった。

田舎町に夫と共に暮らすリヴ・ウルマン扮する娘が、有名なピアニストである母親(バーグマン)を自分の家に招く。しかし、自ら招いておきながら娘は夫に「なんで平気な顔して来られるのかしら、信じられないわ」などとグチる。
かようにねじくれた母娘関係は再会した最初は波風も立たぬように取り繕っているが、早々に崩れてきて、その深夜に激突する。

この激突場面が「ついにキターッ━(゚∀゚)━!!」みたいに、両者ともに待ち構えていたようでわざとらしいし、部屋で母親が状況説明みたいな独り言を言うのも変である。そういや、別の場面で娘が神秘主義にはまっているような様子を見せるのも唐突過ぎやしないか?
そもそも、ピアニストとしてのキャリアを何より重視する母親が二人も子どもを作るかというのもかなり疑問だった。

両者が言いたい放題で全て言い合い、過去の記憶やら葛藤やら素顔をさらけ出して罵り合った後は、登場人物だけでなく見ている観客もまたバッタリと床に倒れ伏したい気分になっただろう。それほどに「疲れる~dash」場面である。

もっとも一番の見どころはそれよりも前、まだ表面上の仲の良さを取り繕っている時点での、二人がそれぞれショパンの曲をピアノで弾く場面だろう。
娘の演奏を聞く間に母の顔に様々な思いがモザイク状に交錯する。拒否と肯定、好感といら立ち。一方、娘が聞く側に回った時に浮かび上がる心からの畏敬の表情--お見事としか言いようがない。これだけでも一見の価値はある。そういや、ハネケはこういうところに影響受けたのか、というのも感じた。
このピアノといさかいの場面、誠に理解しがたい母と娘の関係の表裏を表わしているといえよう。

冒頭にヘンデルのリコーダーによるソナタが流れる。これは意外(!o!) あと、バッハの無伴奏チェロも劇中に使われていた。ベルイマンはバロック好きだったのかしらん。

終演後に「こんな映画、金出して見るもんじゃないな」とか文句付けてるオヤジがいて、うっせー、だったら見にくんな(*`ε´*)ノ☆と言いたくなった。

ベルイマン祭りでは他に『魔術師』を見た。あともう一本ぐらい見たかったが、映画館内があまりに寒くてtyphoon(注-真夏である)行くのがイヤになってしまった。
スクリーンは作品のサイズに関係なく横長のままで、その真ん中に上映していた。両サイドにいわゆるマスクというのは下がっていない。
今までこういうのを気にする人の意見を読んでもピンと来ず「別にいいんでは(^^?)」と思っていた。しかし、このやり方でモノクロ作品の夜の場面を上映すると、どこからどこまでが映画の画面なのか、地のスクリーンと区別が全く区別が付かないのであった。なんとかしてくれい……(+o+)トホホ


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2018年10月 7日 (日)

「インクレディブル・ファミリー」:男女ヒーロー活躍機会均等法

181007
『Mr.インクレディブル』は当時見たものの、あまり積極的に面白いと思わなかった。何でだろう(?_?) この度続編をやるというので、レンタルで見直してみた。そうしたら、前よりも面白く感じたじゃあないですか。
ということで14年ぶりの新作を見に行ったのだった。

多くの人が同様の感想を述べているように、冒頭がなんと前作の終わりからそのまま続いているのには驚いた。街中で暴れまくってヒンシュクを買い、結局「ヒーロー暮らしはつらいよ」状態で、こそこそとモーテル暮らしに。

しかし、捨てる神あれば助ける神ありflair 裕福な支援者が現れたのであった。ヒーローの沙汰も金次第ってことか。まったくもって世知辛い。
そこでヒーロー推進の新プロジェクトとして、亭主のボブことMr.インクレでなくて妻ヘレンことイラスティガールを前面に押し出すということになったのだった。

ボブは家事や育児でてんてこ舞い、しかしヘレンの方はこれまでそれらを完璧にこなし、さらにヒーローとしても優秀さを発揮しまくっている。えーと、てことはボブは別に表に出なくていいんじゃないの。
ボブはそれを自覚せずに調子こいたことを発言したりして、妻に睨みつけられる場面もある。こりゃあ、夫婦間の不均衡問題はどうなるよ。
だが結局、夫婦よりも子どもたちが活躍することで、この問題はうやむやになってしまうのであった。

一方、悪役の方はヒーローにこだわりがあったようなのだが、結局何をしたかったのか見ててよく分からなかった。
もちろん、派手なアクションシーンとか赤鬼状態の赤ん坊の暴れ具合など、見てて楽しくて文句はない。

それからジャズっぽい音楽も、背景設定の50年代風にピッタリはまっていた。とりわけエンドロール終盤に、コーラスでそれぞれのキャラクターのテーマが歌われるところはゴージャスですごい迫力。是非最後まで聞き(見)ましょう(^.^)b

このシリーズはそもそもヒーローとその愛好者がヒーローの存在について自己言及する物語であり、私のようにそれに思い入れがない人間にはあまりのめり込めないのではないかと思う。前作が最初気に入らなかったのはそういう理由かも。

冒頭の短編はご時勢か中国もの。中国系監督による家族再生の話である。最初、中華料理がテーマかと思ったけど違った)^o^( 肉まんより小龍包が食べたくなりましたrestaurant


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2018年10月 3日 (水)

「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」:男と女の間には山より高いネットがある

181003
監督:ヴァレリー・ファリス、ジョナサン・デイトン
出演:エマ・ストーン、スティーヴ・カレル
イギリス・米国2017年

テニスに縁のない私は「キング夫人」の名前に記憶はあっても、こんな「男女対決」あったとは知らず。
時は1973年、現役女子テニス・トッププレイヤーと、昔は有名でした感あふれる元男子チャンピオン(55歳)の対決。この二人のスポーツ・ネタでグイグイ攻めていくのかと思っていたら、予想に反してそうではなかった。

前段として、女子選手の報酬額が非常に低いのに抗議して、キングが独自に女子だけの団体を結成するというエピソードが登場する。(背景に70年代初めの女性運動の機運がある)
さらに彼女が世に隠れて同性の恋人と付き合い始める。こちらの問題へかなり重きが置かれているのは意外だった。

栄光は過去に遠のき公私ともに下り坂で追い詰められているリッグスの、女子選手にイチャモンを付けることで注目を集めようとする様子が、かなり同情的に描かれている。観客はこの人物に同情しても、あまり反感は抱くことはないだろう。
キングは対決試合の申し出を無視していたが、あまりの彼の悪目立ちぶりに怒り、遂に挑戦を受ける。さらにマスコミのバカ騒ぎも容赦ない。その間に「忍ぶ恋」が絡むという次第。

悪役は全米テニス協会の会長(ビル・プルマン)が一手に引き受けている。悪の黒幕、ラスボスshadowみたいな印象。
あと、キングのライバルで対照的な「良妻賢母」のマーガレット・コート。悪役というほどではないが、かなりワリをくっている。実際はどうだったんだろうね。
終盤、ヒロインが一人で試合に赴く後姿の孤独には、思わず涙が出た(T_T)

タイトルには「男女間」だけでなく当時の性的マイノリティーの葛藤も含まれているように思えた。
ただ、もっとスポーツ界の内幕を見たかったという人もいるかも。対決自体はこの映画のチラシの写真みたいにアッサリした感触である。

正直言って、エマ・ストーンがここまで達者な役者だとは思っていなかった。おみそれしましたm(__)m
S・カレルはもう何をやらせても完璧ですshine


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2018年9月30日 (日)

「スパイナル・タップ」:バンドあるある

監督:ロブ・ライナー
出演:クリストファー・ゲスト
米国1984年

あの伝説のロック映画が今、初の正式公開!ということで見てきた。もっともソフトでは出ていたらしい。
今でいう「モキュメンタリー」、疑似ドキュメンタリーの走りで、英国のバンドの米国ツァーを取材するという体裁を取っている。もっともらしく、バンドの歴史やインタビューも登場。
監督のロブ・ライナーも実際に監督役で顔を出している。

元々は地元の友人同士のフォーク系(?)デュオが、時代に即して姿を変え、その後ビートルズ風→サイケデリック・ロック→ハードロック/ヘビメタ*今ココflairという変遷を遂げて、晴れてツァー開始\(^o^)/という状況から始まりだ。
バンドを見ていて(聞いて)思い浮かぶは、チープ・トリック、キッス、ヴァン・ヘイレン、AC/DC……まあ、特定のバンドではなくそれらのイメージを混ぜ合わせたものと言っていいだろう。
音楽自体も、いかにも当時はやっていたサウンドや曲である。そして歌詞はものすごくバカバカしくて笑える。これが全部オリジナルで作ったというから大したもの。

そしてバンドを次々と襲うトラブルdanger
歴代ドラマー謎の連続死。アルバム・ジャケットのデザインでもめて発売中止。メンバーの女が音楽に口を出す。
ツァー中に、主要メンバー仲たがい(そういや、実際に来日中にメンバーの一人が帰っちゃったバンドありましたな)。大規模豪華セットを作ったはずが使えず。ホテルの部屋撮り損ない。
マネージャー辞職。人気がなくなって音楽性の方向を変える。軍の基地にドサ回り。

と畳み掛けられれば気付く。なるほどこれは「バンドあるある」だっ(!o!) バンドにまつわるどこにでも起こる事案を笑いと共に積み重ねているのである。
しかし、楽屋を出て迷子になってステージにたどり着けず--なんて本当にあるの?

さらにトラブルで解散寸前のバンドが日本経由で復活fujiって、なんかどっかで聞いたことがあるような……と思ったら「アンヴィル!」だった。でも向こうはもっと後に作られた実際のドキュメンタリーなんだけど??

ロックファンなら必見の笑いと感動の一作に間違いない。
この、バンドであるスパイナル・タップは実際にバンドとしてコンサートにも出てたとか。まさに虚実の間をすり抜ける奴らであろう。
しかし、あの恥ずかしい歌詞を歌ってたのか。まあ、どこのバンドも似たようなもんですかねdash

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2018年9月24日 (月)

「ザ・ビッグハウス」:見えない所に真実はあり

180923
監督:想田和弘ほか
米国・日本2018年

想田監督のドキュメンタリー、過去に見たのはこちら→(『精神』『Peace ピース』『選挙2』

この度のテーマは米国文化の華ともいえるフットボールである。ただ、いつもと異なるのは、大学の授業として学生たちを含めて総勢17人で撮影したということだ。フットボールの試合という取材場所は同じでも、どこに目をつけるかはそれぞれの撮影者次第なのである。(ただし編集は想田監督)
ということで、単にスポーツの試合というだけでなく、多面的に対象が浮かび上がる結果になった。

舞台となる《ザ・ビッグハウス》とは、ミシガン州アナーバー市にある巨大スタジアム。驚くことに収容人数は全米最大の10万人で、市の人口とほぼ同じとのこと。州立ミシガン大学アメフトチームの本拠地で、試合となると各地から観衆が集まってくる。
見ていると、その規模の大きさに驚いてしまう。

大きな人波に地元は大賑わいで、飲食店も繁盛。
道端では辻説法、選挙の応援、各種宗教の勧誘、ストリートミュージシャンなどなどあらゆるものが押し寄せるのであった。
スタジアム前ではチョコレート売りの黒人の親子が。父親が指導して男の子に売らせる様子に『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』を思い出してしまった(娘を連れて観光客に香水を売りつける場面あり)。

スタジアムの内部は厨房(すごい量の料理)、救急士、清掃員、高額なVIP席、さらには場内アナ、チアリーダー、マーチングバンド、試合にも華麗なチアリーディングshineにも背を向け監視する警備員など、あらゆるものが画面に登場する。。
しかし、肝心の試合だけはこの中にほとんど描かれることはない。

チームの監督のインタビューや、試合に合わせたホームカミング・パーティー(結局同窓会みたいなものなのね)の様子によって、これほどの巨大なイベントが成立する背景が分かる。
州立大とはいえ、予算のほとんどは裕福な卒業生の寄付に頼っていて、アメフトチームの成績によって額が左右されるという。
チームが大学の存在を支え、市の主要産業の一つとなっているのだ。したがって、チームの監督が高給を得て、選手がハリウッドスター並みに人気があるのも当然である。

--と、このような実相がナレーションもない中、明らかになっていくのだった。
多くの人々が集まり楽しむ巨大なパワーが集積する試合の陰に、シビアな現実が潜む。大いに見ごたえありのドキュメンタリーだった。
まあ、しかしこれだけ巨大なのも米国ならでは、という感がある。

話はそれるが、かつて読んだドキュメンタリー本『ミズーラ』には、モンタナ州立大学のフットボール選手のレイプ事件が取り上げられている。犯人はスター選手で、本を読んだ時にはピンと来なかったが、この映画に描かれているのと同様な地元の英雄で、やはり大学の名声や価値を担っていたのだとしたら、被害者がそれを訴えるのは相当な勇気が要っただろう(実際、誹謗中傷にさらされる)。それを実感した。

さて、この手法で日本を描くとしたら題材は何がいいだろうか?

N大アメフト部……(>y<;)イヤダー
大相撲……(・o・)エエーッ
目線を変えて
国会……(@_@;)ナンダカナー
それなら
コミケsign03……(!o!)これだっ
巨大イベントで、、国内外で興味を持つ人多数いるはず。その裏側にはみな興味津々。ドキュメンタリーを作る価値は充分あり。(作る方は大変そうだが)面白そう。
ぜひお願いします(^人^)


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2018年9月13日 (木)

「ルイ14世の死」:実録・あの人の最期は

180912
監督:アルベルト・セラ
出演:ジャン=ピエール・レオ
フランス・ポルトガル・スペイン2016年

ルイ14世が病床に就き臨終を迎えるまでの数週間を、ジャン=ピエール・レオがひたすら演じ続けるというので話題になった作品である。
冒頭以外はずっと王の寝室と控えの間ぐらいしか登場しない。彼はほとんど寝たきりで、半分眠っているかごく少量の食事を取るぐらいしかしない。
周囲には侍従や医者たちがいて、たまにマントノン夫人や王太子などが見舞いに現れては消えるぐらいだ。
そういう点ではかなり退屈である。

見ててこれはJ・P・レオのパフォーマンスをひたすら見る映画だなと思った。こういうパフォーマンス系の作品がたまにある。
私が最初に意識したのはM・ハネケの『セブンス・コンチネント』である。
これは映画館で初めて見たハネケ作品で、上映したユーロスペースは満員だった。座席はすべて埋まり、私は通路に座って見た。この監督はこんなに人気があるのかsign01とビックリしたもんである。
しかし、同じ映画祭で他の作品はそんなに客が入っていなかった。要するに『セブンス・コンチネント』は、一家が自宅の中の家財道具を壊しまくるシーンが延々と続くのだが、その行為が話題になっていたので、みんな見に来たらしい--とかなり時間が経過してから気付いた。

映画のテーマとか意図とか演出とか関係なく、作品の中で行われるパフォーマンスを特化して見るということはある。
派手なアクションがある映画では「細けえことはいいんだよ」と大雑把な展開だったり、見事な特撮の怪獣が暴れ回るような内容ではまず一番の注目は怪獣impactである。さらには『ウィンストン・チャーチル』だってそうだろう。あれは英国の宰相の伝記を見に行くのではない、G・オールドマンの名人芸とメイクアップを見るために行くのである(そうだと意識してなくても)。

で、本作もやはり同じように感じた。観客が延々と眺めるのは瀕死状態のJ・P・レオなのである。
当時の史料を元に再現し、小道具や衣装もそのまま復元し、ドキュメンタリー風に撮っているとのこと。その割にはルイ14世の本物の寝室は派手過ぎなのでやめた、というのは、ちといい加減ではありませんか。
あと、音楽好きの王だというのに音楽がほとんど出てこない! 古楽ファンは期待して行くとガッカリであるdown
唯一、宗教曲らしいのが流れるのだがなんとモーツァルト……(・o・) エンドロールにはクープランの「スルタン」が流れるが、大仰なオーケストレーションによる演奏だ。

瀕死パフォーマンスを楽しめるのならいいが、そうでない人は眠ってしまっても仕方ないだろう。

ラストにビックリするような場面が出てくるが、これを蛇足として見るかシニカルかつ批評的視点ととらえるかによっても、評価は異なってくるだろう。

監督は『アンナ・マグダレーナ・バッハの日記』を撮った映画作家ユイレ&ストローブの後継だそうだが、正直50年早いと思った。


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2018年8月23日 (木)

「マルクス・エンゲルス」:ジャスト・ザ・トゥー・オブ・アス 萌える革命

180823
監督:ラウル・ペック
出演:アウグスト・ディール、シュテファン・コナルスケ
フランス・ドイツ・ベルギー2017年

flairマルクス生誕200年ですよ。原題は「若きマルクス」で邦題は「マルクス・エンゲルス」。当然『マルクス=エンゲルス全集』があるんで、こういうタイトルになったんだろう。しかし、これだとフ女子ならずとも「で、どっちが攻めでどっちが受けなんですか~(^^?)」と質問したくなるのは仕方あるまい。

実際、見てみるとそういう内容……ではもちろんないsign01
19世紀中ば、若いマルクスはドイツで政治活動のため検挙→パリで出版事業、エンゲルスと意気投合→退去命令を食らってベルギーへ→食い詰めて英国にも出没する。
貴族出身の奥さんを伴い(駆け落ち?)子どもも生まれるが、常に生活不安定。

エンゲルスは金持ちのブルジョワの子弟で、英国では工場の運営を任される一方で、階級搾取問題に目を向ける。
私生活はぶっ飛んでいたもようで、伝統的男女関係なんかは無視である。さりげなくマルクスの金銭的援助もしたりする。

二人とも若いんで思想的師匠や政治活動の先輩にケンカ売ったり、豹変したり、暴走気味だ。そんな彼らが欧州を行きつ戻りつしながら、政治結社「正義者同盟」の内部抗争に打ち勝ち「共産党宣言」へと至るまでを描く。ヤッタネpunchと喜びに燃えたくなる。

ただ、ヤクザの抗争とは違ってそれほど起伏ある物語とはならないため、なんとかメリハリをつけようと苦労している様子がうかがえた。最初の方のベッドシーンはなくてもいいんじゃないの?という意見に、私も賛成である。
マルクスの奥さん(ヴィッキー・クリープス好演)は同志的存在で、討論などに加わって堂々と意見を述べている(エンゲルスのパートナーのバーンズも同様)のは、そうだったのか!と驚いた。女はすっこんでろい<`~´>とか言われないのね。
ハリウッド映画ではないので、作中で使われている言語はそのまま独・仏・英三か国語が入り乱れる。ま、日本ではそのまま全部字幕だからあまり齟齬を感じないがsweat01

エンディングは突如ボブ・ディランが流れて、歴史物から急に現代へと直結するのが新鮮だった。
監督のラウル・ペックは日本で同時にドキュメンタリーの「私はあなたのニグロではない」も公開されるという珍しい事態。私は、ディランが最後に流れたのを取り違えて書いてしまった。こちらの方でしたな(^^ゞ
作った作品数は少ないが、今後も注目の人だろう。
岩波ホールは珍しく(!o!)若い人もかなり来ていて混んでいた。

エンゲルス役のシュテファン・コナルスケは青い瞳が大きくキラキラshineしていて、何やら熱に浮かされたように人を引き込む魅力がある。マルクスが意気投合して思わず額にキスしてしまうのもむべなるかな、という感じだ。実物のエンゲルスもこんなだったのだろうか。
というわけで、やっぱり「どっちが攻めでどっちが受けなんですか~(>O<)」と聞きたくなってしまうのであるよ。


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2018年8月18日 (土)

「ウインド・リバー」:スノー・アンド・デッド 闇に向かって撃て!

180818
監督:テイラー・シェリダン
出演:ジェレミー・レナー、エリザベス・オルセン
米国2017年

半年前ぐらいだろうか、米国映画情報番組で興収ランキングに入っていて紹介されてて、是非見たいと思ったのがこの映画である。
その後日本で音沙汰なくて、果たして公開されるのか危ぶんでいたのだが、ようやくロードショーの運びとなった。
メデタイヽ(^o^)丿

で、実際見た感想はというと……うーむ、正直期待し過ぎたのかなあ(+_+)というもんだった。

米国はワイオミング、先住民の居住地で若い娘の死体が発見される。雪の中、極寒なのに裸足で手袋もなし。近くに住居はなく、レイプの痕跡あり……。
FBIの女性捜査官が派遣されてきて、死体発見者のハンターに協力を依頼する。なにせ、広大な地域なのに地元の警察は6人しかいないのだ。

雪の広野の中に横たわる死体--極めて興味を引く発端で期待も高鳴るというものだ。
しかし、この捜査の中心となる二人ともが白人というのは何とかならんかったのだろうか? どちらかが先住民かまたはその血を引いているぐらいの設定にしないと、物語の趣旨に合わない。
しかも、エリザベス・オルセン扮するFBIは、その人物のバックグラウンドがほとんど描かれず(「フロリダ出身」というぐらい)、「若い/女性/事情を知らない/捜査官」という記号的な存在以上のものではないのである。
いくらオルセンが涙を流して熱演しても、これはいかんともしがたい。

それから、石油掘削地って企業の私有地扱いなのか? 武装した警官何人も連れて行かねばならないということは治外法権みたいになってるのか? ほとんど説明がないのでよく分からない。(そこで、騒動が起こりそうになった時に、警官の一人がFBIに「見なかったんだな!」と詰め寄るのもなんの事か分からなかった。私がどこか見逃したかしらん)

西部劇っぽいという意見を幾つか見かけたが、私もそう思う。往年の西部劇に倣うなら主人公二人が白人なのも納得だろう。
一方、西部劇ならキモと言えるはずの撃ち合いの場面は、何が何やらよく分からずあっという間に終了。ライフルの場面は迫力あったけど。
西部劇をなぞるならそういう所もキチンとやって欲しい。

ところが、事件の解明部分はほとんど唐突に捜査側とは全く無関係に挿入されたように描かれる。この部分はその後の顛末を考えると誰も知りえない状況である。
そんな知りえない描写を事細かに描いたという目的は、ただ一つ、ラストでの主人公の行為を正当化するためであろう。
そういや、唐突に事件の真相が明らかにされてしまうというのは『ビューティフル・デイ』でも、同様だったのを思い出した。
順を追って事態を徐々に明らかにさせていくという手順を描くのが、面倒くさいのか。
監督は脚本家として名を上げてきた人らしいけど、かなり問題である。

あと、見てて気になったんだけど、娘が雪原に倒れてて、その足跡を逆にたどって犯行現場を見つけるのは、吹雪が頻繁に起こるがら無理dangerというのは分かる。しかし、それだったらスノーバイクとか雪上車の痕跡も消えちゃうと思うんだけど……。事件から何日も経ってるよね(?_?)

かように細かいことが気になってしまった。世評では高評価の作品なんだけどねえ。
最近、こんなんばっかである(+o+)トホホ 

加えて、映画館でラストのいちばんいい所で、高齢のオヤジが3回もスマホの呼出音鳴らして、集中力が削がれてしまった。最悪だ_| ̄|○
鳴ったら即切って欲しい(というか、最初からバイブか電源オフにしてくれ)。相手の名前確認してんじゃねーよannoy

なお、先住民の女性が殺されて発見、という事件は頻繁に起こっているらしい。この映画見た後にも5人の子の母親が殺されたというニュースが流れた。米国の暗黒面だろう、コワ過ぎだ。


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2018年8月12日 (日)

「フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法」:プロミスト・ランド おかあさんといっしょ

監督:ショーン・ベイカー
出演:ウィレム・デフォー
米国2017年

フロリダのディズニーランドのすぐそばに安モーテルあり。外壁はディズニー風味でキラキラした色に塗られているが、住民の実態は支援団体の食料無料配布車が回ってくるほどに貧しい。観光客を乗せた航空機がひっきりなしに行き交い、その落差が甚だしい。
日本だとモーテルは一時的な宿泊と思うが、かの国では常泊している人が多いそうなのだ。

そんな中に若い母親と娘がいる。母親の方は定職を持たず、その日暮らし。娘は小学校低学年だが、折しも夏休み、ご近所の悪ガキどもと一緒にやりたい放題に遊びまくる。
彼らを見守るのがW・デフォー扮する管理人だ。きちんと規則を守らせ、文句をつける時はちゃんと言うが、一方で施設の保守点検に修理をし、さらには子どもたちの安全にも目を光らせる。

--と、書けば連想するのがケン・ローチの『わたしは、ダニエル・ブレイク』である。
若いシングルマザーと保護的立場の中年男性という組み合わせは似ているし、特に母親がやる行動はほとんど同じと言ってよい。
ただ、ローチ作品の方は意図的に母親を真面目な人物で好感度高く描いているが、こちらの母親は正反対。無軌道で粗暴でプッツンしてしまう。若くて学歴も金も職もなく、やる気も持久力も持てないまま、貧困から抜け出せない。
幼い娘を愛してはいるが、母親もまだガキっぽさから脱していないのだった。

このような状況が、子どもたちと母親が遊び&暴れまくるシーンが続く中で、徐々に浮かび上がってくる。
正直なところ、この一連の「遊び」の場面は退屈だった。演じている子どもたちをそのまま遊ばせて撮ったっぽくて、メリハリなくただ長い(ーー;)
もちろん、この映画は好評で見た人の多くは面白かったんだろうけど、私個人からすればこれに付き合うのは退屈で疲れるという印象だった。

でも私は、珍しくアカデミー賞の助演男優賞に選ばれたW・デフォーを目当てに見に行ったのだよ。
いやー、彼の演技は素晴らしかったですよ\(◎o◎)/!
安モーテルでも完全に断固として管理しようと心を砕き、子どもたちには厳しくしながらもちゃんと見守る。しかし、一方でモーテルのオーナーには頭が上がらずヘコヘコとしてしまい、落ちてるゴミをコソコソと拾い集めるという正反対の態度を、矛盾なく演じていた。彼に助演男優賞crown取って欲しかったぜい。(あくまでも私見)

この映画の作り手は当然分かって描いているはずだが、いかに母親が娘を愛していようが彼女がやっていることは虐待と見なされるなるだろう。(だから、管理人は終盤で肩の荷を下ろしたように一服しようとする)

そんな、娘と母親の夢の世界は今や崩れた。そして……向かったのはファンタジーの国だった。このラストにはさすがに驚いた。
もうそこにしか彼女の行く場所はないのである。

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2018年7月29日 (日)

「イカリエ-XB1」:ファイナル・フロンティア 前世紀との遭遇

監督:インドゥジヒ・ポラーク
出演:ズデニェク・シュチェパーネク
チェコスロヴァキア1963年

S・レム原作(日本では未訳)、1963年チェコ製SFである。『2001年』や『スタートレック』に影響大--となれば、やはり元SF者としては見に行かずばなるまいよ。

2163年、地球外生命とのファーストコンタクトを求めて巨大宇宙船が旅立つ。乗員は科学者の男女40名。船内にはスポーツジムなど娯楽施設も完備、ダンスパーティをやったりもするのだ。(未来のダンスはちょっと笑ってしまうかも)
このような設定や指令室の内部を見ると、確かに『スタトレ』の元ネタっぽい。
また、宇宙船内部の通路のデザイン、丸いポッドに乗って船外活動に出るという場面は『2001』に似ている。
音楽はバリバリの電子音楽で、今聞くとレトロフューチャーっぽいのだった。

もっとも、50年代にはハリウッド製のSF秀作も多く作られていて、この作品もその影響を受けているのは否定できないだろう。当然、東側では公開もされなかったろうから密かに見たのだろうか。

事故で死者が出たり、病気が流行ったり--というアクシデントの中で、興味深いのは途中で遭難した地球の宇宙船を発見する件りである。争いのためか全員死亡しているが、乗員はナチスのような軍服を、女性はドレスを着ていて、極秘裏に第2次大戦中末期のあたりに旅立ったように見える。しかも、核ミサイルを搭載していたのだ。
副船長は「アウシュヴィッツ」と「ヒロシマ」を「20世紀の遺物」と呼び、ここで遭遇したことに驚く。
2163年にはこの二つが消滅して無縁になっていると、映画の作り手は考えたのであろう。しかし、現実には世紀をまたいでも絶縁できていないわけなのだが……。

ラストは、明確には描かれていないものの明るい展望への示唆で終わる。
ここから、ファースト・コンタクトの相手がソラリスの「海」へと至った、レムのその後について考えざるを得ないのだった。

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