映画(最近見た作品)

2019年1月17日 (木)

「バーバラと心の巨人」:ウサ耳付けても心はホラー

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監督:アンダース・ウォルター
出演:マディソン・ウルフ
米国・ベルギー・イギリス・中国2017年

原作はグラフィック・ノベルとのこと。
海辺の町に住む孤独な少女が、迫りくる巨人とたった一人で戦う。ただし、その巨人は彼女にしか見えないらしいのだが……。

これってモロに『怪物はささやく』ではないですか(!o!) 映画は見てないが原作を読んだ。
『怪物』の方は主人公の少年は小学生高学年ぐらい?だったと記憶しているが、そのあたりの年齢なら巨人を信じていても納得できるが、こちらは高校生ぐらいだからちょっと無理がある。
そのせいもあってか、現実と幻想の境界が曖昧としていく恐ろしさの描写がうまく行っているようには見えなかった。本当ならゾクゾクするような迫力があっていいと思うのだが。
主人公の観点からホラーファンタジーのように描くか、友人から見たリアル視点そのままにするかどちらかに寄った方がよかった。
また、邦題がネタバレではないかという意見もあり。(原題は「私は巨人をぶっ殺す」)

保護者代わりのお姉ちゃんは働くのに忙し過ぎて構ってもらえない。兄は自分勝手。そういう寂しい境遇の女の子に共感する人には向いているかも。
あと、主人公はウサギの耳を付けた不思議女子。何やら風変わりでカワイイ小物を防壁のように自らの世界の周囲に置いている。その手のスタイルに憧れる女子も多いだろう。

学校カウンセラー役のゾーイ・サルダナと、くたびれた姉役のイモージェン・プーツが手堅く好演であった。

ところで一つ疑問なんだけど、最初の方に兄が友人とゲームして騒いでいる場面があった。でも、あの状況でやりますかね?……(@_@;)


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2019年1月 5日 (土)

「2001年宇宙の旅」IMAX版鑑賞記

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国立映画アーカイブでの70mm版は見事チケットを取り損ねたので、代わりにIMAX版を見に行った。大きなスクリーンで見られるのもこれで最後かもと思ったのである。以前に行ったのは多分10年ぐらい前の新宿プラザでの最終上映だった。

実はIMAX自体、見るのが初めて。確かにスクリーン巨大だし、本編前にかかった予告の映像を見ると、鮮明だし立体感もかなりのもんだ。
事前にスクリーンに対して画面の比率はどうなるのか、などという論議があったが(設定によって端が欠けてしまう)、タテヨコ比はほぼ70mm版と同じ。色彩は記憶の中のオリジナルに近いものだった(と思う)。

行ったのは平日の昼間だったが、年寄りだけでなく各年齢層の人が来ていた。レディースデイのせいか若い女性も多かった。
昔は(今も?)「女は2001に興味を持たない」言説が横行していたが、これが間違いであることは明らかだろう。

上映手順はキューブリック指定通りに行われた。予告の後に黒画面でオープニングの音楽が流れ、休憩は15分。終了はやはり真っ暗画面で追い出し音楽が流れる。そこまで残って最後の白黒ロゴまで見ていた客は、さすがに十数人だった。
なお、私の記憶ではこの上映手順を守るようになったのは2000年代に入ってからではないかと思う。それまでは休憩もなかったし、オープニングとラストの音楽の時は客電が付いていて、私はてっきり劇場側がサントラを流しているのだとばかり思っていたのだ。

さて、映像が鮮明になることで却ってあらが見えるのではないかという噂があったが、確かにこれまで気にならなかったスクリーンプロセスとそうでない部分の差が分かるし、地球の映像も平坦気味に見えた。
でもロープとかワイヤとか余計なものはもちろん見えなかった。あ、当時からZ級SFだと見えてましたよね(^◇^)
一方でラストの寝台上の胎児の眼がかすかに動くのをようやく確認。もっとも、これは今まで私が注意不足で気付かなかっただけかもしれない。

残念ながらシネラマに比べて奥行や立体感に欠けていたように思う。これは多分、いま製作されるIMAX用の映画なら効果を発揮するのだろうと思うが、「2001」にはあまり効かなかったようだ。

音響は高音も低音もクリアで、そもそも音量が大きく設定されていた。意外にも音楽の弦の音が潰れて聞こえて、ノイズも感じられた。これはそもそも使われている音源が古いのだから仕方ないのか。それとも昔の映画館はそんなデカい音を出さなかったから、気にならなかったのかね。

字幕では問題の「ハルも木から落ちる」がやはり使われていた。オリジナル公開時とは異なっていて、なんでも2001年記念興行の際に新訳になり、その時から使われているそうだ。全くふざけているannoy オヤジギャグと核兵器は地球上から殲滅したい。
ちなみに、少し後にNHK-BSで放映されたヴァージョンでは新しい字幕が付けられていた。確か女性の訳者だった。
HALがボーマンの絵を見ながら会話する場面も、これまでとは微妙に訳が違っていてこの時点のHALの意図も異なって感じられた。もう一度確認したかったが、録画してなかったので残念(ーー;)
ただ、このNHK版は色彩がかなり変わっていた(モノリスが紫っぽかった!)のでオススメはできない。

HALの意図と言えば、昔から「HALはボーマンに惚れていたheart02」とか「嫉妬してプールを殺した」等の説は存在した。別に今に始まったことではない。柴門ふみが別名で某雑誌にそういうパロディマンガを描いていたこともある。まあ、それが一番手っ取り早い解釈だろうな……(*_*;

私が最初に見たのは(歳が分かるが)公開10年後のリバイバル時、テアトル東京でのシネラマ上映である。この頃のロードショー館は入替制もなく、自由席だったので、昼食用のサンドイッチと牛乳を持って午前中に入り、一日中繰り返して観るなんてこともやった。さっき右側から見たから今度は左寄りの席に行こう、なんて(^^ゞ

当時はHALが人間のような口をきくと会場から笑いが起こったものだ。今やAIが流行していて、時代は変わった。--というより時代が追い付いたのか。

今回あらためて気づいたのは、HALが情報を出力したのがパンチカードだったことである。そう言えば、光瀬龍のSFでも人間の情報がパンチカードで記録されていた。
今考えると、えーっパンチカード(!o!)となってしまうが、60年代末のTVシリーズ『プリズナーNo.6』ではコンピューターの出力は紙のパンチテープだった。そういう時代である。この手のメディアを予測するのはいかに難しいことか。『2001』で一瞬しか映らなかったのは幸運である。
それを考えるとフロッピーディスクの発明は画期的だったわけだが、そのフロッピーも若い人には「なんですか、それ?」物件だろう。

それから、思ったのは結構「分かりやすく」作ってあるということ。こう言うと、どこが分かりやすいsign02と思うだろうが、取り上げてるテーマやメッセージは難解だが、その見せ方はそうではない。モノリスの場面は登場する度に同じ音楽が流れ惑星が直列し--とボーっと見てても何かが起こるというのが必ず分かるようになっていて親切なのだ。

それから、ラストのスターゲイトを出た後のホテル場面、ここは視線の切返しが重要になっている。ポッドの中のボーマンが外にいる自分を見た瞬間にそれまでの彼は消滅する。その後は毎回「見た側」が消える。この繰り返しである。
この「視線」は短いカットと同化している。最後にモノリスを見た彼は、モノリスから見返された時に胎児に変貌している。ここを長回しで撮らないキューブリックはダメだという意見を見たが、とんでもない。それまでと同様にカットの連続でつないでいかなければ意味がないのだ。
そして、ラストに胎児が見るのは地球--かとこれまで思っていたのだが、そうではなくスクリーン越しに観客の方を見たのだ。となれば、最後の最後に胎児は消滅して観客が残ることになる。なんたること、今頃気づくかよ(>O<)である。

次にIMAX版で見たいのはなんといっても『バリー・リンドン』である(そもそもデジタル化されているのか?)。「映画カメラマンに聞くイチ押しのキューブリック作品は?」というと、これが一位になるらしい。
あの、照明がローソクだけの場面を始め、映像がどんな風に見えるか。でも、興行的にはサエなかった作品だから無理でしょうな……。


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2018年12月26日 (水)

「僕の帰る場所」:ロスト・ボーイ 幻の故郷

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監督:藤元明緒
出演:カウン・ミャッ・トゥ
日本・ミャンマー2017年

若い監督の第1作目。実話に基づいて日本で難民認定申請中のミャンマー人家族を描く。夫婦と息子二人の4人家族で、そのうち母親と二人の子どもは実際の家族だという。4人とも役者としては完全に素人でそのままの役柄で起用している(劇中の名前も同じ)。

夫は民主化活動が原因で日本に亡命してきたため帰国はできず、密かに不法就労で生活費を稼ぐしかない。しかし不安定な生活ゆえ、妻の方はウツウツとして毎日を過ごすのだった。
遂に妻は夫を東京に残し、息子たちを連れてミャンマーに帰る。しおれた植物のようだった彼女は実家に戻って生き生きと蘇る。
しかし、日本語しか話せず小学校生活になじんでいた長男は反発するのだった。

ミャンマーのワイザツで活気に満ちた街は少年にとって、自分の国にもかかわらず異文化に他ならない。
実家での会話は全く理解できず、生活様式も違う。風呂はシャワーだけ、しかも水しか出ない。こりゃキツイ。どうにもできない子どもはつらいよ、大人もつらいけど。

そのような日常と変化の日々が淡々と描かれるのだった。
子どもと母の会話はとても演技とは思えない。そりゃ、実際の親子だから当然といやあ当然なんだけど……(@_@;) ドキュメンタリーと見まがう作りである。そうなると是枝監督作品を想起するだろう。

ただ、そこから一時だけ幻想の世界の門が開く。長男が雑踏で出会う謎の少年たちはモノノケかアヤカシか妖精ではないのかな。そんな風に思えた。
となると、ラストシーンで突然ファンタジーの世界へなだれ込んでいく『フロリダ・プロジェクト』も思い浮かぶ。
あの映画も主役の女優さんは半分素人のようだった。類似性に、影響を受けたのかしらんと思ったが、編集に2年半もかけたとのことで(キューブリック並みsign03)たまたま似たらしい。日米で同じような問題が進行しているのか。
いかなる子どもであろうとそこにいる限り、国は保護する義務があるはずなのだが。

ということで、是枝作品や『フロリダ~』を好きな人にはオススメだろう。
難点は「素材」に頼り過ぎというところか。ドキュメンタリーとフィクションの境が曖昧な作品なのだからだから意図的だろうけど。
監督は現在ミャンマーに在住とのこと。実家のおじさんはタクシーをやっている設定なのは、たまたま実際に乗ったタクシーの運転手さんをそのまま起用したそうな(^O^)

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東中野のポレポレ坐は久し振りに行った。朝日新聞に二度も紹介されたのだけど、平日の昼間のせいか、観客は映画ファンより難民問題に興味を持っている人がほとんどだったようだ。
短い時間でも宣伝しようと、プロデューサーと出演者(日本人の役者さん)がアフタートークに来ていた。


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2018年12月18日 (火)

「運命は踊る」:冥土の道にも検問あり

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監督:サミュエル・マオズ
出演:リオル・アシュケナージ
イスラエル・ドイツ・フランス・スイス2017年

前作「レバノン」はなかなかの衝撃作だったので、期待して行った。

三幕物みたいな構成になっている。
冒頭、兵役(イスラエル軍)に行っている息子が死亡したという通知を両親が受け取る。いきなり母親が倒れて、それ以後の場面は見てて非常に気分が悪いものだった。
通知を持ってきたのも若い軍人なのだが、ぶっ倒れてヒクヒクしている母親を勝手に寝室に引きずっていく(どうして寝室の位置が分かるの?)。夫に何も聞かずにいきなり勝手に注射を打つ(普通、アレルギーあるかとかダンナに聞くよね)。その他色々あり。

こんな乱暴なのがイスラエル軍の通常のやり口でそれを批判してるのか、それとも監督がわざとそのように描いているのか、画面を見ているだけでは判断できない。

続いて「第2幕」は時間が戻って息子の軍隊生活が舞台となる。その任務が荒野のど真ん中、一本道の検問所で通行車をチェックするだけで、退屈極まりない。
この部分は、同じく波風一つ立たない静かな戦場を描いた前作を思わせる不条理さである。ここまでダラダラと退屈な任務だと、通行者に嫌がらせするぐらいしか楽しみはない。
荒野と空、トレーラーなどの色彩の対比が美しい。

3幕目はまた家族の家に戻る。お決まりの和解劇である。正直なところ、もうこういうのは(人間関係を壊して→くっ付ける)いい加減にしてほしいと思った。グダグダした作りで眠くなってしまい、蛇足としか思えなかった。

どうせなら、面白かった2幕目だけでやってくれればよかったのに。
父親の職業は建築家という設定で、住んでるアパートが心象風景と一致しているというの点はかなりズビャギンツェフっぽかった。
ただ、父親を辛辣に描いたアニメを挿入したのは、全体からみると唐突で意味不明。結局何を描きたかったのか最後までよく分からなかった。
これがヴェネチア国際映画祭で高評価なのかと疑問に思った。


全くの余談だが、日本で徴兵制が行なわれない理由として「現代の兵士には専門的技術が必要だから、一般の人間じゃ役に立たない」というのを見かけたのだが、検問みたいな任務なら専門技術って要らないんじゃないの(?_?)


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2018年12月 3日 (月)

「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」:ノー・モア・チャンス 試験戦線異状あり

監督:ナタウット・プーンピリヤ
出演:チュティモン・ジョンジャルーンスックジン
タイ2017年

珍しやタイ製映画である。もっともこの少し前に、象を連れて歩く男の映画(やはりタイ作品)をやっていたので、そんなに珍しくないのか。(本作で父親役をやっている人が主演)
しかも、あらすじだけ聞いたらどこの国の映画でもおかしくはない内容である。それどころか一見しただけではどこかも分からない無国籍ぶりになっている。

頭は非常に良いが家は裕福ではない少女が、特待生となって金持ちの子弟ばかりの進学校に入る。ここで良い成績を取れば海外留学できる資格を得られるのだ。
なんたる皮肉なことかsign01金がなければ頭が良くて勉強がいくらできようと、学問の道には進めない。一方で、財力もあり親から「勉強して良い大学へ行け」と言われる子どもは学問にも自分の未来にも全く興味はない。 

主人公は出来の悪い同級生やそのボーイフレンドに試験中に答えを教えてやり、さらに他の成績不良の生徒相手にビジネスとして逆カンニングすることになる。
そこにもう一人やはり同じく貧しい特待生の男子が登場する。

真に貧富や階級の差を背景に、持つ者と持たざる者をシビアに描いた作品である。しかも、着想やカンニング場面のハラドキ具合はサスペンスものとしてもかなりな出来だ。

ただ、この逆カンニングは最前列に座った者には使えないのではないかという疑問が頭から離れなかった。それと留学試験の監視員がまるでターミネーターみたいにコワくて思わず笑ってしまった。
その後半のカンニングのシステムはかなり大掛かりでよく考えられている。それを考えたのは友人とBFなんだけど、そんな知恵があるなら別に進学しなくても起業家としてやっていけるんじゃないの(^^?)なんて思っちゃった。

中心となる4人を演じる若い役者たちがルックスも良ければ演技も良しgood 特にヒロインのチュティモン・ジョンジャルーンスックジンはモデルもやってるそうで、柳のような長身。しかもキリッとしている。街を歩いていたら思わず振り返っちゃう。
それと友人役の女の子も、若い頃の薬師丸ひろ子っぽい可愛さ。作中では私、頭悪いし~happy02とか言ってる役柄だが、こちらも勉強よりアイドル養成学校に行ってスタアshineを目指せ、と言いたくなるぐらいだ。

お見それしましたタイ映画(^^ゞ 世の中が不公平なのは万国共通、沈む者は永遠に沈みっぱなしで這い上がれないというのが身にしみた。
ラストの「校歌」には爆笑してしまった。
欠点は、音がデカ過ぎること。音楽や打ち込みの効果音みたいなノイズ自体はいいんだけど、ちとうるさかったですよ。あともう少し短く編集してくれればよかったんだけどねえ……。

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2018年11月28日 (水)

「1987、ある闘いの真実」:倒れざる死者

監督:チャン・ジュナン
出演:キム・ユンソク、ハ・ジョンウ
韓国2017年

軍事政権時代の韓国で起こった事件に基づくゴリゴリの社会派映画。民主化運動に関わっていた学生が逮捕されて拷問死する。捕えた側の対共捜査所長は隠蔽しようとするが、徐々に真相が明らかにされる。
制作は前政権下で密かに始動したそうだが、役者は大物やスターが出演している。非常に見ごたえあり。

完全に群像劇で、検事、所長、捜査員、看守、その姪の学生、記者……など、その事件に巻き込まれていく人々の動きを並行して描いている。
執念といってもいいほどの意志で真相を明らかにしようとする検事や記者がいれば、その正反対の極には脱北してきて、共産主義者を決して許さない所長のような人物もいる。たった数十年前にこれほどの憎悪があったのに、南北和解なんて可能なのかと思ってしまうほどだ。

一方、その両極の間で翻弄される人々もいる。「実行犯」として収監される捜査員もある意味そうである。一方、揺れ動く状況の中で民主化運動へと向かっていく者を象徴するように描かれているのが、女子学生のヨニだ。
彼女について、映画評論家のM山氏が「イケメンの学生運動家に釣られて運動に参加した」という意味の発言したそうだが、映画をちゃんと見ていればそれが完全に間違っていることは明らかだろう。こんないい加減なこと言うと、他の映画についての解釈も疑わしくなっちゃうね。

念のため監督の発言を引用しておく。
「彼女は多くの葛藤を経て変化していくのですが、他の人によって変えられたのではなく、自分で考え、変わっていった。それが重要なのだと思います」(「ビッグイシュー」誌341号より)

ラストまで見ると、その力技に思わず感動の涙が流れるのであった(T_T)
なお、恐ろしい拷問場面が複数回出てくるのでその手の映像が苦手な人は避けた方がいいかも。あと、作中にはないが女子に対してはもっと恐ろしい拷問をやったらしい(>O<)ウギャー

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2018年11月18日 (日)

「ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男」:愛と友情のオンザライン

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監督:ヤヌス・メッツ
出演:スヴェリル・グドナソン、シャイア・ラブーフ
スウェーデン・デンマーク・フィンランド2017年

テニスが題材の映画というと、つい最近は『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』があった。スポーツものがブーム?のせいか、テニス以外でも『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』がやはり今年公開された。
格別プロテニスに興味がなくともみんな名前は知っているこの二人を題材にしたこの作品、しかし一番似ているのは『ラッシュ/プライドと友情』だという事前の下馬評が流れていて、実際見てみるとなるほどそうだった。

片や冷静沈着派のボルグ、片やキレやすい悪童のマッケンロー--と、性格も生育環境も正反対ながら、実は根っこの所ではよく似ているというのが交互に描かれる。それを最後にウィンブルドン決勝の死闘へと持って行き、二人の選手の存在と関係を浮かび上がらせるという次第である。
延長戦に次ぐ延長戦でなかなか決着が付かない試合の場面は圧巻といえるだろう。結果が分かっていても、見ててハラドキheart01してしまう。主役の二人ともお見事である。

ただしこの映画の製作国を見ればわかるように、対等に描かれていても主人公はあくまでもボルグの方だ。
冷淡な父親に代わるコーチの存在、試合の前に行う過剰なまでのゲン担ぎなどなど「天才はつらいよ」状態が描かれる。この時、スヴェリル・グドナソン演じる主人公は、重圧のためにまるでふるふる震えている薄い影のように見える。
グドナソンはボルグにソックリな超二枚目で、「ミレニアム」シリーズ新作に出てるというからこれからの活躍に期待ですね(^^)b

彼らは大人になってからは対称的でも子どもの頃は似ているというのがこの映画では描かれるが、父子関係については完全に異なっているように思えた。(あまりそこは明確に描かれていない)
どうでもいいことだが、ボルグの父親役の人は西田敏行にクリソツだった。本当にどーでもいいですね(^^ゞ
なお、ボルグの少年時代をやってるのはご当人の本物の息子だそうな。テニスうまいのも当然か……。

監督は秀作ドキュメンタリー『アルマジロ』を撮った人で、劇映画でも軽く及第点越えだろう。ただ、音楽が仰々しいのも同じだった。なんとかしてくれ。

さて、ボルグとマッケンローが偶然顔を合わせて親交を温めあい二人だけの世界に突入--という光景をボルグの奥さんが複雑な表情で眺める場面がある。
となると、『マルクス・エンゲルス』同様に、フ女子ならずとも「で、どっちが攻めでどっちが受けなんですか~(^^?)」と聞きたくなってしまうのであった。


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2018年11月 7日 (水)

「アントマン&ワスプ」:スモール・オア・ラージ 値段は同じ

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監督:ペイトン・リード
出演:ポール・ラッド
米国2018年

第1作目「アントマン」は未見だった。ところが、この続編が米国で公開されるとエラい人気で、しかも予告(の断片)を見ると面白そう。
しかし1作目を見てないんでは話にならないということで、急きょレンタルで借りて見たのである。そしたら実際面白いではないですかヽ(^o^)丿
で予習もバッチリgood 意気込んで映画館に行った……が。

バツイチで娘とは別居中のスコットはヒョンなことから身の丈1.5センチのアントマンになって大活躍。その仕組みはナノ粒子とか量子世界がなんたらとか説明あったようなのだが、徹底した文系脳の私には理解不能なので省略する。
ところが前作の後に『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』が勃発して参戦し、とばっちりを受けてFBIにより自宅軟禁状態となるのであった。

そこに新たな敵が現れトラブル発生thunderになり、いかにFBIの目をかわして大きくなったり小さくなったりしつつ戦って暴れられるかが見どころ。
その間にも、M・ペーニャのギャグ攻撃あり、特出M・ファイファー驚愕の若さの秘密問題など発生。
しかし、アクション場面の一番面白い所はほとんど予告で見ちゃったような気が……。それと個々のギャグや要素が単独では面白いんだけど、全体として見ると詰め込み過ぎ?と思わざるを得ない。
折角のローレンス・フィッシュバーンもあまり生かされてなくて、もったいない印象である。

見終わって振り返ると、前作は世界の運命を決する闘いが繰り広げられるのが子ども部屋の中とか、巨大で暴走する「きかんしゃトーマス」がコテッとなったりというギャップが面白かったのだが、今回はあまりそういうのがない。
いや、キティちゃんや表の騒ぎに気付かないカフェの中の客というのはあったものの今一つなのだった。
前回では大きかった主人公の家庭関係の部分も、問題なしになっちゃったしな。
理由は何かというと、脚本家(エドガー・ライト)交代のせいなのかね(?_?)

このように個人的には盛り上がれなかったのだが、エンドロールが始まってすぐに挿入されたシーンは……ええっ、よもやの『アベンジャーズ』に繋がるのかsign03
こりゃ大変だ~\(-o-)/
というわけで続く大活躍が期待されるのであった。正直『シビル・ウォー』では小者感(いや実際「小者」なんだけど)強かったからな。

ところで、小さくなった時って質量はどうなるの?大きさに比例するのか。ということは悪漢を投げ飛ばすのは普通サイズで、その次の瞬間に小さくなってるってことですな。


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2018年10月30日 (火)

「沖縄スパイ戦史」:ホラーか現実か

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監督:三上智恵、大矢英代
日本2018年

離島の村に学校の先生がやって来た。若い男性でカッコ良くて優しく人気者となった。ある日突然、隠し持っていた軍刀を抜くまでは……。
これ、怖くないですか(>O<;) ホラー映画のネタになりそう。

戦争中の波照間島、若い男は皆戦争に行ってるから、いるのは年寄りと女子どもばかり。彼の命令通りに島を出ていくしかなかった。移住先はマラリアが蔓延する島で、多くの人がバタバタと亡くなっていったのだった。
その男の正体は陸軍中野学校(当時スパイを養成していた)の工作員だったのであるdanger

一方、沖縄本島では中野学校から正式に若い将校が派遣され、ミドルティーンの少年たちを集めてゲリラ戦やスパイ戦の訓練をした。米軍が上陸して来た時に狙撃したり、わざと投降して潜入し、食料庫や弾薬庫を爆破したという。
その少年兵の部隊を作ったのは降伏の一年前。そんな時から、上陸してくる米軍へのゲリラ戦を予測していた作戦を練ったのかのかというのにまた驚く。

さらに別の地域では、山に隠れた敗残兵が米軍のスパイと思われる人物のリストを作成して殺していく。地元の有力者や教師が「国士隊」を作り協力。かくして住民同士で監視・密告・殺害が起こる。
しかし、このような事実は最近まで協力者が生き残っていたので明らかに出来なかったという。

以上のように3本のTVドキュメンタリーをつなげたような作りになっているが、全て事実というインパクトは十分すぎるほどである。こんな恐怖映画のような話を取材できた二人の監督には感心する。(やはりTV界の人らしいが)

これらの作戦は沖縄の後の「本土決戦」に向けての予行実践であった。決して住民を救うためのものではない。いざとなれば使い捨てだ。映画は、そこから現在の沖縄での自衛隊基地配備への是非へと繋がっていくのであった。
映画のタイトルはもうちょっとなんとかしてほしかった。内容に合っていないし、見る気が減退しそうdown


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2018年10月23日 (火)

「スターリンの葬送狂騒曲」:バトル・フィールド 継ぐのは誰か

181023
監督:アーマンド・イアヌッチ
出演:スティーヴ・ブシェミ
フランス・イギリス・ベルギー・カナダ2017年

「ヒトラー」の次は「スターリン」映画ブーム来たるsign03というわけではないだろうが、近現代ヨーロッパ史における最悪独裁者一、二の座を争う人物といえる。その彼の死をめぐるドタバタ劇である。コメディ仕様となっているが、シリアスな調子でやったらとても正視できぬ陰惨な史実だ。

強権を振るう彼が別荘で倒れるが、優秀な医者はみんな粛清してしまったんでロクな治療も受けられない--ってマジですか(^^?)と疑いたくなるようなエピソードが続く。
死後は別荘の使用人や警護の兵士は連行&殺害。スターリンの息子は挙動が変で、周囲の後継者争いは熾烈を極める。
その騒ぎの中でフルシチョフは虎視眈々と策謀をめぐらすのであった。

フルシチョフ役のS・ブシェミ他、芸達者な面々がドタバタと権力闘争を繰り広げ、笑い声も随所に上がった。個人的にはもっとブラックな感じが好きだが、事が事だけに調子に乗ってあまり事実と異なることも描けないだろうとは思う。
でも、国葬の棺の横でブシェミが横歩きする場面は、思い出すたびに笑ってしまうのであったよ(^◇^)
監督は英国人でTVシリーズの監督などやっていたらしい。いかにも英国流のユーモアである。

事前にこのあたりのソ連戦後史を予習しておけばよかったと後悔。なお、映画館は満員御礼状態fullであった。


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