映画(最近見た作品)

2017年3月19日 (日)

「沈黙 -サイレンス-」:わたしが・棄てた・神

170319
監督:マーティン・スコセッシ
出演:アンドリュー・ガーフィールド
米国・イタリア・メキシコ2016年

スコセッシが遠藤周作の『沈黙』の映画化を熱望しているという話を耳にしたのは十数年前だろうか。しかしその話は立ち消えになったり復活したり……その度に出演者として上がる名前も変わっていったように記憶している。
ロケ地がニュージーランドから台湾に変更されたのも、途中で大物プロデューサーが手を引いてしまったかららしい。大変である。

その間に彼は雇われ仕事作品の『ディパーテッド』でオスカーを取ってしまった。その後もあきらめることなく、まさに執念の一言であろう。
実際には原作を読んだのは28年前ということで、その長さにさらに恐れ入る。

私が原作を読んだのは、昔の「狐狸庵先生」ブームのおかげで、そこから読み始めてシリアスな作品に至るというパターンだった。やはり『イエスの生涯』を読んだ高校の同級生と共に「イエス萌え~heart01」になったりした。
しかし、あまりにも読んだのが昔過ぎて(ウン十年前)原作の『沈黙』はおぼろげにしか覚えていないのであった。

人によって感想は様々なこの映画、私は感動よりも見ててウツになった。
『闇の奥』よろしく異文化の未知の土地に上陸した若い司祭二人が住民と関わり、その地の海辺から緑深き山の中を徘徊した揚句、片方の主人公がたどり着いたのはオドロオドロな恐怖の王国--ではなくて整然とした奉行所、清潔なお白洲、人情のかけらもなき役人が支配し、強固な官僚主義が存在するゆるぎなき帝国だったのであるsign03 全くもってイヤーンな「日本」そのものだ。これでウツにならずして何であろうか。(しかも史実を元にしている)

加えて、そこで繰り広げられる言説が「日本スゴイ」っぽいものから踏絵を「踏めばよいのだ、踏めば」とか「彼らが苦しんでいるのはお前のせいだ」まで、現在でも立派に通用している論理ならぬ理屈ばかりである。
期せずして(いやもしかして意識して?)、監督は原作にもあった「日本イヤンng」な部分を描き尽くしているのであった。

民衆にしてもお上にしても異文化たる宗教を飲み込み同化していく。その圧力の「洗礼」を受けて遂に屈して踏み絵を踏んだ後の、A・ガーフィールド扮する主人公の呆けたような表情が印象に残る。(或いは彼の師フェレイラの後ろめたい表情も)
とすれば、ラストシーンはまさに主人公が完全に日本に「同化」できたということなのだろうか。つまり、日本的なキリスト教の受容を会得したという意味で、彼は真に日本人になったということか。

「踏み絵」について「そんなもの踏むだけなら踏めばいいじゃないか」という意見を幾つか見かけたが、警察によるでっち上げで有名な「志布志事件」では「踏み字」や「踏み絵」(一説に家族の写真を使用したとか)が使われたというから、現代でも十分に使用可能な手段なようである。

かようにシリアスでヘヴィな題材ではあるが、過去の日本の描写はガイジンにここまで描かれちゃっていいのか~sweat01、日本映画負けてるよsign01と思ってしまうレベルなので、一見の価値はあると言っていいだろう。
ただ、主人公が水面に映る自分の顔をイエスに重ねる場面とか、踏み絵をやった後の衝撃描写などはやや「やり過ぎ」に思えた。
登場する日本人がみんな英語(劇中設定はポルトガル語)うまいのは……突っ込まない方が吉であろう。

見ていて「こりゃ、客入らないだろうなあempty」と思ったのも事実。有名俳優が出ているとはいえ、ウツ展開であまりに暗い話だ。
実際、監督が28年間かけた渾身の一作、米国ではコケてしまい次作はネットドラマを撮る羽目になったとか……(-_-;) 当地で公開が遅れたそうで、アカデミー賞に撮影賞しかノミネートされなかったのもマイナスだったか。

役者に関しては窪塚洋介やイッセー尾形の世評が高いが、後者についてはオーバーアクトにいささか辟易した。ただでさえ芝居がかった人物なのに、それを芝居っ気タップリに演じたら屋上屋を重ねてどうするよtyphoonってなもんである。
窪塚のキチジローはなんか子どもっぽくて何も考えてない印象。あれ(?_?)原作ではもっと狡猾で複雑なキャラクターだったんじゃないの(かなり記憶薄れているが)と疑問に感じた。
どこかで見たようだなあと思ったら、なんと『アーロと少年』の「少年」を連想したのだった。
そもそもワンコぽい。飼い主にワンワンと付いてきて、他所からエサをぶらつかされると我を忘れてそちらに走って行ってしまい、食い終わるとまた飼い主にワンワンとすり寄ってくる。飼い主は「トホホ、しょうがないなあ」と頭をなでてやるしかないのだ。

よかったのは塚本晋也と笈田ヨシだろう。失礼ながら塚本晋也がこんなにうまい役者だとは知らなかった。大昔に『鉄男』見たきりで……すいません、『野火』はコワくていまだに見てないんですう(>y<;) 許してー。あの海での処刑の場面には驚いた。CGとは思えないし、ホントにやってるのかdanger 死ぬ~(@_@;)
笈田ヨシは最初の登場場面から目を引く。まあ、彼ぐらいの年季の役者なら当然ですかね。
ガイジン勢ではアダム・ドライヴァーが、あれこの人こんなだったっけ(?_?)と思うぐらいになんだか顔つきが違って見えてビックリ。『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』でライトセーバーでコンソールぶっ叩いていたヤツとは別人としか思えん。

あと、片桐はいりの老婆とスモウレスラーのような刑吏が登場するところは、数少ない笑う場面ということでよろしいんだろうか(^○^) PANTAも出ていたらしいが、全く分からなかった。

音楽はほとんどノイズか環境音楽か?と言っていいほど、目立たない使い方をしていた。そもそも「音楽」だったのかearも分からん。冒頭とラストの虫の声と合わせているみたいだ。

それにしてもスコセッシはつくづく「青二才」の人物が好きなんだなあと感じた。映画マニアに熱狂的な彼のファンがいるのもこういう点からかと納得した。


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2017年3月 5日 (日)

「ブルーに生まれついて」「MILES AHEAD/マイルス・デイヴィス 空白の5年間」:吹く前に吸え!

170304
「ブルーに生まれついて」
監督:ロバート・バドロー
出演:イーサン・ホーク
米国・カナダ・イギリス2015年

「MILES AHEAD/マイルス・デイヴィス 空白の5年間」
監督:ドン・チードル
出演:ドン・チードル
米国2015年

誰でも思わず比較してしまうこの2本、同時期に活躍した有名なジャズ・ミュージシャンを取り上げたものである。生涯を描く「伝記」形式ではなく、特定の数年間を切り取って描く手法も似ているという--。偶然としたら驚きだが、製作年が同じなのでどちらかがパクったということもなさそうだ。

「ブルー~」はイーサン・ホークがトランぺッターのチェット・ベイカーになり切り演技している。
チェットは主演映画を撮ろうというぐらいに人気はあれど、クラブで先鋭的な演奏を繰り広げるマイルスを聞かされるとどうも分が悪い。
おまけにヤクがらみの暴力沙汰で顎を骨折して楽器を吹くこともできない羽目になる。

が、捨てる神あれば拾う女あり。役者志望の女性が現れて彼を支える--はずであるが、彼女は架空の存在ということだ。その後ラブロマンスと再起の物語が展開する。
ラストはミュージシャンの業を感じさせるものだ。素晴らしい演奏ができるのなら、十字路で悪魔に魂を売ることぐらいなんだというのか。かくして愛に背を向けて再び破滅の道へ進むのであった。
このラストには思わず涙目になっちまったい(/_;)

ただ、実際のチェットはどーしようもない人間だったみたいで、ここに描かれたエピソードは彼の音楽のイメージにふさわしく、かなり甘味にコーティングされたもののようだ。
楽器の演奏は現在のミュージシャンが吹いているそう。
納得いかないのは、父親から「オカマのような声で歌う」とケナされた高音の歌声なのに、イーサン・ホーク自身が普通の声で歌っている点だ。ぜひとも再現してほしかった。


「マイルス~」の方となると、ストーリーはもっとハチャメチャだ。実際にあった活動休止の「空白の五年間」に何があったのか、を明らかにするという趣向。その時盗まれた新作テープを探して、銃を振り回し車で追跡劇をしたり暴れたりするアクションもどきになっている。
珍道中のお供は落ち目の音楽ライター(ユアン・マクレガー)であるよ。

主演のドン・チードルに至っては監督・製作も担当というのめりこみ振りだ。
実際にあったマイルスの逸話の断片がちりばめられていて、ファンならより楽しめるらしい。そのせいか客席の9割が中高年男性だった。
トランペットの演奏は実際のマイルスの録音を使用。ラストは時間を超えたセッションnotesとなり、歳取ったH・ハンコックやW・ショーターと《ドン・チードル》マイルスとの夢の共演が繰り広げられる。音楽担当のR・グラスパーも嬉しそうに参加していた。(ついでながらベースの女性がカッコ良かったshine

「ブルー~」との共通点をあげると、特定の期間を取り上げていること以外に、
過去の回想が錯綜する。
妻の活動(こちらはダンサー)を妨害する。
主役のなり切り度高し。
事実をあえて変えている部分も多い。
共演者の支えが大きい。ユアン・マクレガーはユーモラスでいい味出している。「ブルー~」では妻役のカーメン・イジョゴ(「ファンタスティック・ビースト」の議長役でしたな)が非常に魅力的で、評価5割増しにしたくなるぐらい。
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どちらもミュージシャンとその音楽が生み出す、ファンの妄想をそのまま映像にした印象だ。
例え、事実と違ってもどうだというのだgoodと開き直っているようである。確かに、ファンの数だけミュージシャン像は存在するのだろう。


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2017年2月25日 (土)

「アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場」:安全でも楽じゃない

監督:ギャヴィン・フッド
出演:ヘレン・ミレン
イギリス2015年

ケニアにいるイスラム過激派(イギリス国籍)のテロリストを捕えるために、イギリスが主導して米国、現地政府軍と共同作戦を立てる。
現地以外はすべてそれぞれ自国から指令を下し、無人戦闘機で遠隔操作の爆撃を行うというものだ。

舞台は四つに分かれる。ヘレン・ミレン扮する大佐が自宅から出勤して計画を遂行する英国の基地、それを見守るアラン・リックマンの国防相と政治家たちがいるロンドン、そしてドローンを操作するネバダの米軍基地、現地の工作員がいるナイロビだ。
離れてはいても、ネットでつながり情報を共有し、同時進行する。

小規模なピンポイント爆撃で捕獲するという計画だったのが、状況が急に変わり、大爆発で殺害してしまう上に近隣住民の少女を巻き込まざるを得なくなるという事態に。
だが、このまま放置すれば自爆テロを起こして民間人の犠牲者が多数出る……という二律背反状態である。さあ、どうする(!o!)

単純に被害者の数を比較すれば、自爆テロを防ぐという結論になるが、政治的には民間人の少女を事前に分かっていながら見殺しにすれば、国民から非難轟々となるので躊躇する。
もっとも、これは政治というよりは人間の心証の問題だろう。

ということで今度は英国政府側がてんやわんや。国内の閣僚はもとより、一緒にいる米国籍の人間も殺害してもいいか米国側の承認を得なければならない。
米国側がいかにも「当然だろ」みたいに簡単にOKしちゃう様子は、ちと英国流のイヤミを感じたけど、うがちすぎかしらん)^o^(

なんとか強引に計画を実行したい大佐、少女の姿を間近に(映像で)見て動揺する米軍の兵士、議論が紛糾する国防相と政治家たち、敵陣で危ない橋を渡らざるを得ない現地エージェント……四つ巴の様相である。
どう決着をつけるのかドキドキheart01してしまう。

結局のところ、少女のことを一番考えて行動したのは現地の人間だった。他所の人間ではない。なんと武装派グループの人間さえ、助けを求められるとジープの銃座から機関銃を外して怪我人を病院へ運ぶのである。(この場面は意表をついていた)

ドローン操作担当の兵士の消耗振りも印象に残る。最近報道されたニュースで知ったのだが、実際この操縦者は離職希望が多いそうで、引き留めるために報酬を増額したのだとかdollar
離職の理由は、戦場ではないこちら側の日常との落差が激しいことと、被害の状況が手に取るように鮮明に見えてしまうからだそうだ。遠隔操作なのがかえってストレスらしい。

「TVゲームのよう」という形容が付く現代の新しい戦争の様相を、手堅い俳優たちを使って地に足ついたものとしてうまく描いていると言えよう。
ヘレン・ミレンの大佐はカッコエエけどコワ過ぎです(>y<;) アラン・リックマンは映像として姿を見せているものとしては遺作になるらしい。
監督のギャヴィン・フッドは『ツォツィ』を取って評判になった人だが、その後ハリウッドで監督した『ウルヴァリン』『エンダーのゲーム」』は全くパッとしないもんだった。ようやく本領発揮か。

ところで、アラン・リックマンの国防相が対立した政治家に最後に「私は地雷でやられた仲間の兵士の死体を拾い集めた。軍人にそういうこと(遠方から論議しているだけ)を言ってはいけない」というような意味のことを述べる。これが他の感想を見ると、結構共感を得ているようだった。
だが、上には上がいるものだ。『ハウス・オブ・カード』という政治ものTVドラマでは大統領夫人が同じようなことを言われてこう切り返すのである。「なによ、あなたなんて誰かに命令されて立っていただけじゃないの。私の夫は毎朝、必死で大きな決断を下しているのよ」だそうだ。

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2017年2月12日 (日)

「ヒトラーの忘れもの」:君よ知るや地雷の国

170212
監督:マーチン・サントフリート
出演:ローランド・ムーラー
デンマーク・ドイツ2015年

第二次大戦終了時、デンマークから敗走するドイツ軍が220万個もの大量の地雷を埋めていったという史実を元にしている。この数は他のヨーロッパの国よりも桁外れに多かったそうだ。
そして、その地雷の除去作業を捕虜となったドイツ軍の少年兵にやらせたpunchというのもまた実際に起こったこと。当然、ジュネーブ条約違反だ。その事実を知る人はデンマーク国内でも少なかったという。

とある海岸で4万個の地雷除去を命じられた数十名の少年たち、その監督に現われたのはドイツを憎む中年の鬼軍曹だった。食料も少なく爆死者も出る中で少年たちは故郷に帰りたい一心で砂の中を這いずり回る。

誠に不条理かつ殺伐としている。観客がふっと力を抜いた瞬間を見透かすように起こる爆発bomb いつ起こるか、次に誰がやられるのかとドキドキしてしまい、安心して見てもいられない(>_<)
それでも作業は続けなければならぬ。終了すれば故郷へ帰れるのだから。
軍本部の少年兵いびりも情け容赦ない。--といっても、少し前までは敵軍の兵士だったのだから致し方ないとはいえる。

一方で、軍曹は専門家が来るのかと思っていたら、素人の少年兵が来たんで内心とまどっている。その憎悪と優しさの間を揺れ動く演技が非常にうまい。

また舞台となっている海岸や草原が荒れて果ててはいるが美しい。その風景に比例するように、感情を表に押し出すのではなく、悲惨な話ではあるが全体にアッサリ味で描いている。
音楽も大仰なオーケストレーションを使わずにシンプルな音数の少ないものだ。

さて、ラストはそれまでの光景とは全く正反対の場面が現れる。色彩にあふれ、人物はこれまでにはなかった全く異なる行動を取る。

しかし果たしてこんな結末が可能なのだろうか。主人公の軍曹にそんなことができるとは思えないし、できたとしても彼がその後に無事ではいられないだろう。むしろ、これは主人公の幻想ではないかとさえ思えてしまう。

いや、それよりもこれはデンマーク人である監督(脚本も兼ねる)がこうであったらよかったのに、という願望を込めた場面だったのではないか。そんな風にさえ見えた。
思わず涙が出た(v_v)

それにしても自国の隠された黒歴史を堂々と描く精神には感服であるm(__)m
唯一の難点は邦題だろう。「忘れもの」というホンワカ感spaが内容に全くそぐわない。

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2017年2月 6日 (月)

「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー」:今度こそ私は誓う!

170205
監督:ギャレス・エドワーズ
出演:フェリシティ・ジョーンズ
米国2016年

『スター・ウォーズえぴ7』は本当にあきれて、もう二度とSWシリーズは見ねえと心に誓ったほどだった。
それなのに、なぜこのシリーズの新作(番外編?)に行ってしまったかというと、初めて目にした予告が面白そうだったからである。

設定は「えぴ4」直前で、お懐かしやモン・モスマが復活(!o!) そしてフェリシティ・ジョーンズの不良娘っ子に対し罪状を読み上げ、協力を迫るのだ。「ん?もしかしてSF版『特攻大作戦』みたいなのかしらん」と急に見てみたくなったのである。

その後、撮影途中で監督が降板同然の扱いになったなどとウワサが流れてきたが、まあ気にしないで行ってみよう。
しかし……(ーー;)


  ★警告  注意  警告  注意★

以下は本作を熱愛する人には耐えがたい文章が続いています。
避けることをお勧めします(^o^)丿
万が一読んで怒ってもannoy自己責任でお願いします。
また、ネタバレがあります。


結論から言えば、
死なせればいいってもんじゃねえぞ(`´メ)ゴルァ」
ということである。

しかし、それより前からおかしなところ、つじつまの合わぬ部分が多数出現。見終わって「そういや、あれは変だったな」と気付くぐらいならいいけど、見ている最中に「え、これおかしくね?」と思ってしまう案件が連続してはいかんともし難い。

例えば、冒頭マツミケ扮する科学者が妻と幼い娘を逃すが、その後でなぜか妻は荒野に娘を置き去りにして戻っちゃう。
ここで早くも第一の疑問--えーと(-_-;)、両親揃っていなくなっちゃったら娘の養育はどうするんですか? いくら友人を呼んだからといって見つからなかったら荒野で飢え死に?(→物語終了)
娘を放り出してまで戻る、なんてことするのは襲来した将校と過去によほどの因縁があったに違いない……てことは三角関係かheart01などと余計なことまで考えちまったい(~_~メ)

あろうことか、F・ウィテカーの友人は反帝国軍勢力の中でも過激なテロ集団のリーダーで、成長したヒロインは十代で立派なテロリストに育てられ、テロ行為を行なっていたらしい。お母さん、いい加減な友人を頼ってはいけません。

そういや、そのテログループにとっ捕まった情報屋のパイロット、タコ型生物に自白させられてその後「ふぬけ」になると言われたのに、すぐ正気に戻っちゃったのはおかしくないか。脚本改変部分なのかね(?_?)

反乱軍側の将校が科学者の暗殺を密かに命令するのも変。理由がよく分からない。協力するというんだから生かしとけば、さらに情報を得られるじゃないの。こんなに殺したがるということは過去によほどの因縁があったとしか考えられない……さては三角関係かheart02

後半のアクションや戦闘場面はいいけど、とにかく登場人物の行動の論理や感情の流れがメチャクチャ。過去に三角関係があったとでも自らを納得させなければ見ていられないのである!

だが終盤となるとアクション場面でも激しく疑問が突出する。そう、極めつけ「データの塔」であるよ(>O<)

やたら高い場所で格闘してハラハラドキドキというのは、近年「キャプテン・アメリカ」のシリーズなどで流行っているような……(^^?) 今さらながらの感がある。そして、探し求める重要な設計図が入っているメディアがなんとVHS--とまでは言わないが、今は無きベータ方式ビデオテープぐらいの大きさと厚さの物体に入っている、というのはどういうこったいdash
しかも同じような物体が積み重なって塔を成している(どこかのヲタク部屋か?)。それも一発検索できなくて、タイトル順にリストを辿るしか探しようがないっていうのは……(@_@;)
こりゃ何かの冗談ですかい。見た瞬間に目が点になって、悪いが失笑してしまった。

日ごろ、紙の本の愛好者や音楽をCDで聞く者を「いつまでモノにこだわっているつもりか」などとクサしている人は、この帝国軍の時代遅れなデータ保存法を見たら当然のことながら「ププッ(^'^)遅れている。前世紀ならぬ前銀河の遺物」と嘲笑するであろう。

まあ確かに奪い合いでアクション・シーンやるなら、ある程度の大きさの物体が必要なのは理解できるけどね。これがUSB、どころかマイクロSDカードだったら鼻息で吹っ飛んじまうわな。

一方、戦闘シーンは迫力はあるものの、昔の戦争映画そのまんまみたいなのを見せられてもなあと思ってしまった。
しかし、そもそもこの特攻作戦自体、反乱国(星?)の代表者会議で降伏すると決定したのにも関わらず、一部の「ならず者」部隊が無断で突撃を仕掛けて、それに引きずられて軍全体が追随するという甚だしく問題がある展開なのである。えっ、こんなんでいいのsign02と軍事マニアな人に聞いてみたい。

さらにラストでデススターを簡単に発動させてしまうのも目が点になる事案だ。確か「えぴ4」でもまだ試作段階みたいな感じだったはず(だから終盤の展開でドキドキした)。それなのにあんな簡単に使っちゃあ、有難味(?)が薄れるってもんだ。

同様に、「えぴ4」の設定を尊重しているという触れ込みなのに実は違っているという事例は、他にダース・ベイダーの強さがますますインフレ状態になっていること。あそこまで強くっちゃ「えぴ4」の冒頭にもラストにもそぐわない。
大体にして今度のダース・ベイダー、イモータン・ジョー風味が混ざってませんか(?_?)

最後は、一網打尽になっちゃって「そして誰もいなくなった」状態。私はあっけにとられてしまい、「いやー、簡単に全部片づけちゃったなあ」とシラけてしまった。誰彼突撃して死なせてしまえば、感動したり泣いたりするもんだろうか。冗談ではない。
ラストの「えぴ4」へのつなげ方も、こうなるとわざとらしいの一言である。


主役のフェリシティ・ジョーンズは面構えはいいが、役どころがストーリーに操られた人形のようで魅力半減だ。
ついでに言えば、闘うヒロインが主人公な割には他に女性の主要人物が少ないのも難である。その数少ない女性のうち会議で(愚かにも)降伏論を強硬に唱える人物に、アフリカ系女性を起用しているのもなんだかなあという気分になる。
それから、モフ・ターキン役にピーター・カッシングのCGを張り付けているのもひどい。これがまたつまらない演技で名優の名が泣く代物である。どうせだったら、風貌が似た役者をそのまま使えばまだましだったろう。死んだ後にこんな風に勝手に使われて「お気の毒に」と言いたくなってしまった。

まだまだ言いたいことはあるが不毛なので止める。ともかく、ダース・ベイダーもどきとデススターもどきが登場する映画はもう二度と見ることはないっpunch(キッパリ)


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2017年1月29日 (日)

「インフェルノ」:地獄に仏か、はたまたラングドンか

170129
監督:ロン・ハワード
出演:トム・ハンクス
米国2016年

このシリーズ、原作は読んでいないけど映画の方は『ダ・ヴィンチ・コード』『天使と悪魔』と、ちゃんと見ていたのであった。

その度に「トンデモ」と感想書いているのだが、すっかり忘れてまた見に行ってしまう私は学習能力ゼロと言われても仕方ないであろう。
もちろん今作も間違いなくトンデモであったよ(@∀@)

色んなアクシデントが起こって、あまりにテンポが速く、様々な人物が出現しては消えてチャカチャカと進む(しかし、その割にラブシーンは長くてかったるい)。一応事件の説明はあったかもしれないのだが、よく分からない。単にこちらが理解できてないだけか。

そもそもウィルスばらまき騒動をたくらむ富豪の意図がよくわからん。人口減らしてどうするの? そんなことやったら社会のインフラが消滅して一気に原始時代に逆戻りではないか。
あと、WHOがまるで世界の保健衛生を守るためには先頭も辞さずみたいな武闘派組織になっているのには笑った。
そのWHOのアフリカ系職員の立場が不明。なんか別の組織に属してたっけ?
富豪の依頼を引き受ける企業(組織?)のインド系のボスは、大勢の部下がいるのになんで一人で現れるの?

主人公ラングドンは「宗教象徴学」の教授としてイタリア史についてウンチクを語るが、ほとんどイタリア語が理解できないというのはいかがなものか。幾らなんでもラテン語はできるんだろうがな。
ダンテのデスマスクを素手でひっつかんで持ち逃げ--って、あれはイタリアの国宝級のものではないのか? イタリア人、怒るんじゃないの。
まあ、どうでもいいことばかりですが)^o^(

かくなる上は、ラングドン教授にはぜひ日本に来て三種の神器を持って暴れて欲しいもんである。なに(^^?)日本ではキリスト教ネタがないって?
いや、青森にキリストの墓があるではないかsign03 しかし、そうなると頭にすぐ浮かんでしまうのは「みなでぱらいそさいくだ」という諸星大二郎の「稗田礼二郎シリーズ」の名場面なのであった……。
彼が日本で活躍する余地はなさそうである。


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2017年1月15日 (日)

「ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐ」:書いても書いてもまだ足らぬ

170115
監督:マイケル・グランデージ
出演:コリン・ファース、ジュード・ロウ
イギリス2015年

フィッツジェラルドやヘミングウェイを担当した編集者が主人公--で、タイトルから推測すると、彼の功績を描いているのかと思ってしまう。しかし、見てみると「ベテラン編集者が見た天才作家の真実」みたいな物語である。もちろん実話ベースだ。ちなみに原題も「天才」である。

その天才の名はトマス・ウルフ。主人公のパーキンズは彼の分厚い持ち込み原稿を受け取り、その才能を確信し、添削校正(とにかく長いんで)して世に送り出して成功する。
若い作家と彼は疑似親子のような関係になり、自宅に呼んで食事したりするが、天才の常として奇矯で人付き合いは悪く、傍若無人でズケズケものを言い、トラブルを呼ぶのであった。

そもそも原稿を持ち込んできたのは、ウルフの愛人バーンスタイン夫人なのだが、彼女の立場が今一つ分かりにくかった。演劇の衣装デザインをやっていて、彼女の夫とは別居中(?)、ウルフと同棲しているということか。しかも、パーキンズとウルフの仲の良さに嫉妬して狂言自殺を図るほど執着しているのだ。
ニコール・キッドマン扮する彼女はいささか亡霊っぽくて怖い(>y<;)、『ツィゴイネルワイゼン』の大谷直子を思い出した。

ウルフが主人公や「世間」と関係がぎくしゃくしていく経緯の描写に付き合っていると、この映画は事前に予想してた「感動系」では決してなく、シビアで重たく感じるのであった。
そのせいか寝ている人多数sleepy

既にその世界で評価を得ている人物が、特殊な背景を持つ若き天才を引き上げる--というのは、ある種の定番なのか。私は見ていないがほぼ同時期に公開された『奇蹟がくれた数式』も似ているようだ。

パーキンズは実際にいつも帽子をかぶっていたそうで、この映画でも職場どころか自宅、さらにパジャマ姿になってもかぶったままである(!o!) ベッドでもかぶってるんかしらsign02などと疑ってしまった。
それ故、彼が唯一帽子を脱ぐ場面は感動的なはずなのだが、むしろわざとらしく思えた。監督は芝居の演出をやっていたそうだが、一つのモノに象徴的な意味を与えて扱うのは舞台では有効でも、映画だとやり過ぎになるかも。

米国の国民的作家の話なのに、なぜか主人公の妻役のローラ・リニー以外は英国かオーストラリア出身というのはどうしたことよ(+o+)……と思ったら、そもそも英国製映画なんですね。
押しのジュード・ロウ、引きのコリン・ファースといった印象の二人の演技合戦は一見の価値はある。

ガイ・ピアースのフィッツジェラルドが、書き過ぎなウルフとは逆に「今日も一行も書けなかった(T_T)」「『ギャツビー』はほとんど売れなかった」などといつも情けなくボヤいているのには笑ってしまった。

ウルフの小説の一節は作中に出てくるが、どうもあまりに詩的というか装飾過剰過ぎて読みたいとは思えない。昔、英文学の授業で「小説の文体はヘミングウェイが登場して劇的に変わった」という話を聞いたのを思い出した。そういう端境期だったのだろうか。


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2017年1月10日 (火)

「歌声にのった少年」:ビザはなくとも歌えば英雄

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監督:ハニ・アブ・アサド
出演:タウフィーク・バルホーム、カイス・アタッラー、
パレスチナ2015年

2013年にエジプトのTV番組「アラブ・アイドル」(中東版「アメリカン・アイドル」)で、優勝して一躍ヒーローとなったのが、ガザ出身のパレスチナ青年ムハンマド・アッサーフ。彼の生い立ちを映画化したものである。事実80%、フィクション20%とのことで、かなり実話率は高い。

なんでこれを見に行く気になったかというと、監督を『オマールの壁』のハニ・アブ・アサドが担当しているからだ。

子ども時代、活発で頭が良くてガキ大将の姉と共にバンドを始める。婚礼などのイベントで演奏しながら日銭を稼ぐも、なんと姉が突然病気で亡くなってしまう。
一度は音楽をあきらめかけるが、成長してタクシー運転手をやりながら歌手を目指すのであった。

スカイプでオーディション番組に参加するも電力事情が悪くて停電で中断ng--なんて笑っちゃいかんが笑ってしまう。
意を決してビザを偽造してエジプトへ行き「アラブ・アイドル」に参加しようとするが、なんとチケット(応募券&整理券みたいな感じか)がないと入れなかったban さあどーするよ。

……と、完全に立身出世物語のフォーマットを取っている。監督の過去作とは違って、のんびりとした演出・編集だ。依頼を受けて作ったんで作風も変えたということか。

実際にガザ出身の子どもを起用した子役たちは元気いっぱいで、見ているとこちらも活力を貰えるようだ。一方で、主人公が青年になってからのガザの撮影は当地にロケしたそうだが、ガレキだらけの街の光景に言葉を失う。

そんな状態だから主人公が優勝したというのは、パレスチナを鼓舞してエライ騒ぎになったらしい。
なぜか最後のステージ場面で、それまで俳優が演じていたのが突然ご本人にすり替わって登場(!o!) さらにものすごく熱狂する市民の姿も、実際にその時撮影された映像が使われているのだった。

感動的ではあるが、ここで当然疑問が浮かぶ。
最後にご本人がすり替わって登場するなら、むしろ最初から実物のムハンマド君を主役にして撮ればよかったんじゃないの(^^?)
ところが、本人はオーディションを受けたが合格しなかったらしい--ということはよほど演技が下手だったのかね。(劇中の歌も本人の吹替えではない)
ちょっと、このラストはビックリしてしまった。

伝記ものよりもアラブ歌謡愛好者に推奨。途中で歌われている歌の歌詞には字幕付けて欲しかった。当然、その場面に合わせて選曲されているはずだろうに。手抜きであるよ。

子ども時代にパーティーでバンド演奏している場面で、男たちは乱闘寸前みたいに歌って踊り狂っているのに、ヘジャブ姿の女たちはじっと片隅に座って無表情で聞いている光景が何度も出てきて、なんだか強く印象に残った。

ところで、公開に合わせた監督のインタビューを読んだら、なんと『オマールの壁』はまだ資金が回収できていないとのこと。
えーsign03どうしてじゃっ(~_~メ) あんなに出来がいいのに~。
監督によると、どこでも客が入るのはハリウッド・エンタテインメントのような娯楽大作で、アート系劇場で公開されるような作品は採算が取れないらしい。寂しい話である。


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2017年1月 7日 (土)

「コロニア」:予想せぬ衝撃

170107
監督:フロリアン・ガレンベルガー
出演:エマ・ワトソン、ダニエル・ブリュール
ドイツ・ルクセンブルク・フランス2015年

チリに移住した元ナチスが作った、実在したカルト集団を題材にしたサスペンスである。そこでは軍事政権と結びつき銃器・化学兵器などを製造し、閉鎖的な施設内では暴力や少年虐待が横行していたという。

ドイツの航空会社で客室乗務員を務めるヒロインは、チリで社会運動にも関わるドイツ人カメラマンと付き合っている。ちょうど彼女がチリにいる時に軍事クーデターが勃発impact 恋人は逮捕されてしまうが、カルト集団の施設に送られたことを突き止める。
かくして、彼女はその施設へ潜入するのであった。

ショッキングな史実に基づいていて、映画の中でも暴力的な教団の内部が描かれているけど、どうも展開に今一つ説得力がない。恐らく脚本のせいだろう。
教祖役はスウェーデン版の『ミレニアム』に出ていたミカエル・ニクヴィストが演じているんが、怪物的であってもカリスマ的魅力がある人物には全く見えない。ちょっと演説したぐらいでみなが熱狂したりひれ伏したりするようには思えず、「教祖だから教祖なんだ」と納得するしかないのである。そういう描写が全く入ってないからだ。

それに終始ムスっとした表情でやって来て、つっけんどんに口上を述べるヒロインを教祖が受け入れるのも謎である。アヤシイのを承知で入れたのかと思ってたら、そういう訳でもなかった。
まあ、サスペンス場面ではハラハラはしたけれど、よくよく考えると登場人物たちが無鉄砲な行動をして突っ走るのが原因なのであった。無理やりハラハラさせんな<`ヘ´>

折角のエマ・ワトソン&ダニエル・ブリュールの組合せだというのに今一つ……どころか今五、今六……今十downぐらいに思ってしまった。

それよりも衝撃的だったのは、まだ事件が起こる前の二人がいちゃついている場面だ。なぜか突然、ブリュールの「裸○プロン」が出現するのであるdanger 

な、なぜに裸エ○ロン!(☆o◎;)

これには驚いた。
はい、そこの奥さん、他の映画なんて見てるどころじゃないよ。彼の出演映画は数あれど、裸エプ○ンが拝めるのはこの『コロニア』だけ! ファンなら絶対見なきゃソンソン。

推測するに「エマ、君が脱ぐなら僕も脱ごう」なんてことに勢いでなったのであろうか。だが、ラブシーンがあるというのにエマ・ワトソンの方はこれっぽっちもempty何一つngかすりもせずban見せないのだよ。
一体どうなっておる(-"-) これでは期待していたエマたんファンはガッカリであろう。それとも「エマが脱がないなら代わりに僕が脱ぐpunch」とダニエルが漢気を発揮したのかもしれない。

彼が達者な演技を見せる場面もあり。ということで、ダニエルのファンには猛プッシュで推薦したい一作である。
……えーと、なんの話だっけ(^^?)。

ちなみに教祖は逮捕されたものの、この教団は現在も存続中だそうだ。恐ろしいban
エマたんは60年代スッチー姿よりひっつめ髪の方が似合っていたので、歴史物なんかが向いているんじゃないかな、なんて思いましたよ。

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2017年1月 4日 (水)

「ティエリー・トグルドーの憂鬱」:情に棹さし意地を通して地に働けず

170104
監督:ステファヌ・ブリゼ
出演:ヴァンサン・ランドン
フランス2015年

失業した中年エンジニアが主人公。邦題の通り見ているとウツになってくるような内容だ。

前半は職探しをする過程が描かれる。時間を費やして資格を取ったが役に立たず、就職セミナーでは自分の子どもぐらいに若い参加者から叩かれる。歳を食っていると融通も利かず、身につまされる(ーー;)
だが、一人息子には障害がありふさわしい学校にやるには金が必要だ。トレーラーハウスを売ろうとするが、見に来た男とはケンカしてしまう。

後半は、これまでのキャリアとは全く無縁なスーパーの監視員になっている。万引きをする貧しい老人、細工して小金を稼ごうとする店員などが出現して、さらに主人公と映画の観客をウツに陥れるのだった。

全体の作りは全くもって劇的ではない。感動させようとか泣かせようとする要素は一切ない。肝心の場面をすっ飛ばして描かない手法(スーパーに就職する過程とか、万引きを発見する場面など)を取り、主人公の顔の表情を見せずに背後から延々と撮る。音楽も付かず、かなりドキュメンタリーぽい作りになっている。

これがフランス本国では大ヒットしたというから驚きである。日本同様閉塞的な社会状況なのだろうか。ただ、日本で同じ内容の映画が作られてもヒットはしないだろうが……。

この映画は『サンドラの週末』に極めてよく似ていると思った。職を確保するために必死に色々な場所へ出かけて回る。結末で主人公が取る行動までほとんど同じと言っていい。
だが、希望と生を強く感じさせた『サンドラ』とは、向いている方向は全く逆である。どうしてこうなってしまうのだろうか。

陰々滅滅な気分の中で、「これからどーすんの~っtyphoon」と主人公の背中に向けて叫びたくなったのは私だけではあるまい。
それでもずっと画面を見ていられるのは主役のヴァンサン・ランドンの演技のたまものだろう。さすがカンヌで男優賞を獲得しただけはある。

ただ正直、主人公の反応はナイーヴ過ぎると感じた。万引き老人の訴えに彼は動揺するが、いざとなれば人間あのぐらいの嘘は堂々とつくだろう。老人は実際には家に小金を貯めこんでいるかもしれないのだ--とか思っちゃったですよ。


全く関係ない話だが、私の隣には若いカップルが座っていた。全くもってデートにはふさわしくないこの映画をどうして選んだのか、そして二人のうちどちらが選んだのか、など聞きたくなってしまったがじっとガマンしたのであった。

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