映画(最近見た作品)

2020年6月 2日 (火)

「マザーレス・ブルックリン」:猫をもっと出せ

監督:エドワード・ノートン
出演:エドワード・ノートン
米国2019年

エドワード・ノートンによるハードボイルド風味のサスペンス。主人公は探偵社で働き、障害を持っているが同時に探偵向きの才能を持っているというのが特徴。
探偵もので原作が1990年代なのを1957年に移したらしい。なので、もっとフィルムノワールっぽいかと思ったら全くそんなことはなかった。
意外にもカラフルで健全な印象。ロバート・フランクだと見ていたら、結局ソール・ライターだったというような……。

登場人物が多数でカタカナ名前が飛び交って頭が混乱(老化現象か)。小説だとページ戻って確認できるが映画館上映ではそうもいかない。そんなこともあって退屈ではないけどかなり長過ぎに感じた。
で、陰謀は結局どうなった?

見ものは豪華助演陣である。マナコ👀をぎょろつかせるウィレム・デフォーに、モロにトランプなアレック・ボールドウィン、寄る辺ない主人公のボスにして父親代わりはブルース・ウィリス。トランペット吹いている(陰で)のはウィントン・マルサリス。挿入歌はトム・ヨークだ。

ソール・ライター風だけあって映像は美しい。ニューヨークの街並み、デフォーのアパートの下の帽子屋など。
なおニューヨーク公共図書館で新聞記事の写真を切り取るシーンがあるが、良い子はもちろん悪い子も真似してはいけません(一一")

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2020年5月29日 (金)

「エクストリーム・ジョブ」:クライム・オブ・チキンズ 犯人を揚げろ!

200529 監督:イ・ビョンホン
出演:リュ・スンリョン
韓国2019年

なぜか麻薬捜査班の警官たちがフライドチキン屋に!というワンアイデアだけで出来ちゃったような警察アクションものである。面白いけどバカバカしい。というか、バカバカしいけど面白いというべきか。ここまでバカバカしければ言うことなし。

刑事たちがマフィアの張り込みのために利用していたから揚げチキン店が突如閉店に。こりゃ困ると自分たちが店を引き継いで開業したら、なんと客が押し寄せる人気店になってしまった。
本業副業が逆転して、さあどうするよ--と、発想が面白くて前半はいいのである。

中盤以降、当のマフィアが絡んでくる部分の展開がスッキリしてなくて残念。主人公の班長はクビになって他のメンバーは謹慎処分ということでいいのかな(^^? でも謹慎中に副業やって構わないんかい?
なんて細かいことはどうでもいいですね、ハイ。

終盤の猛烈な団体格闘戦が見ものだった。悪役のおねーさんがモデルみたいでカッコエエんですけど有名な人なのかしらん。(韓国俳優については無知)
過去作のパロディが多数あったらしいんだけど、ほとんど分からず。『男たちの挽歌』なんて××年前に見たきりでもう忘れちゃったわい(^^;ゞ

最近は社会派もので評判になっているが、ポリスアクションもこれからは香港から韓国映画の十八番になっていく可能性大いにありだろう。

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2020年5月24日 (日)

「プリズン・サークル」:罪と罰の狭間

200524 監督:坂上香
日本2019年

島根に新しい半官半民の刑務所があり、そこだけで唯一行われている犯罪者更生プログラムを取材したドキュメンタリー。
「初めて日本の刑務所にカメラを入れた」という惹句が誤解を招くかもしれないが、主題は刑務所ではなくあくまでもプログラムの方である。特別な刑務所だから許可が出たというのはあるだろうけど。

そもそもそのプログラムは、坂上香監督の過去作『ライファーズ 終身刑を超えて』が取り上げた米国のアミティという更生プログラムを参考にしたものなのだという。監督は半信半疑で取材に行って実際に見てビックリしたらしい。(この映画もプログラム参加者に見せていたそうな)

参加者は数十人だが、その中の若者4人を2年間かけて取り上げている。詐欺の受け子のような比較的軽い犯罪から傷害致死まで様々だ。
少女は夜明けに夢をみる』では厚生施設の少女たちがみな顔出ししているのに驚いたが、こちらでは受刑者の顔にはボカシが入っている。個々のインタビューの時間が長いのでどうなるかと思ったがそれほどの支障はなかった。

最初「傷害ならともかく窃盗のどこが悪いかわからない、自分もやられたし」と語る者や、プログラムが始まった頃に「まあ、こんなもんかな」といい気なことを言っている者がいて、なんだコイツ~(-_-メ)などと見てて怒りがわいてくる。
ところが課程が進むうちに、変わっていく。
犯した犯罪を「許したい自分」と「許せない自分」の二つ立場から語る課題では、段々と自分が許せなくなってくる。また、グループの中の一人の犯罪について、他のメンバーが被害者や迷惑をこうむった家族の役を演じて問いかけ語りかけるというのもあった。
これで双方の立場を理解する助けになる。

受刑者に時間と費用をかけてそんなプログラムを受けさせる必要はないという意見もあるだろう。しかし、これが無ければ刑期を終えて「どこが悪いかわからない」という認識のまま社会へ戻ってしまうのを考えると、この試みが必要なのを感じる。
一方で研修スタッフ(若い人もいる)がちゃんと支援しているのも驚いたり……。形だけ真似すると学校のグループ学習みたいになっちゃうよね。

4人に共通しているのは子どもの頃の家庭内の虐待と学校のいじめである。まるでセットになっているようだ。それからここへ来るまで、他者に自分の話をまともに聞いてもらったことがないというのも。
インタビューを見ているとかなりハードで、段々と自分の中にも何やらモヤモヤしたものが立ち昇ってくる。
「退屈だった」という感想を見かけたがいただけない。エンタメ映画じゃないんだぞ💢

同じ坂上監督の「ライファーズ」見逃しているんで見てみたくなった。(『トークバック 沈黙を破る女たち』の感想はこちら
なお「初めて刑務所にカメラが……」という件だが、かなり以前にTVでたまたま九州(?)かどこかの刑務所に取材したドキュメンタリーを見たことがあるので違うのではないでしょうか(^^?
その刑務所内にはなんと近くの公立中学校の分校があって、希望すると学べるというのだ。さらに特別に卒業式にも出席できるというのである。

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2020年5月20日 (水)

「フォードvsフェラーリ」:サーキット萌ゆ

200520 監督:ジェームズ・マンゴールド
出演:マット・デイモン、クリスチャン・ベイル
米国2019年

公開時絶賛の嵐だったので大いに期待して、近所の映画館でやっているのにわざわざ音響のいい都心のシネコンまで見に行った。
が……どうも私にはあまり合わなかったようだ。なんだか判然としない部分があまりに多すぎる。

タイトルだけ見るとフォードとフェラーリが産業界の覇権争いで激突か💥、予告を見ればカーレースで対決か👊みたいな印象だが、実際にはフォード内部の抗争(権力争い?)に終始する。
だが、その抗争の肝心の部分は何やらモヤモヤして曖昧模糊、きちんと描かれていない感が強いのであった。

社長にいつも取り入っている副社長が、レースで看板を背負っている主人公の二人をいつもいぢめるのは何故なのか。他のチームを贔屓にしているからか、二人を取り立てたのが対抗派閥のアイアコッカだからか?
一方、アイアコッカは最初だけ動くけど、後は立ってるだけで何も関わらない。ストーリー上はいてもいなくても変わらない存在である。

演技のうまい役者がいっぱい出てきて、友情やら愛情やら敵対やら人間関係はよく描かれているものの、その背景や理屈の説明はない。だからその関係自体に萌えられる人はいいが、そうでない人は何を見ているのかよく分からなくなる。
クルマやカーレースについてもやはり重要なところが欠けているようだった。これは私がその方面に無知だからか。

戦争映画を例にしてみよう。
気まぐれなエラい将軍がいてその下に将校たちがいてなんだか勢力争いがあるようだ。で、とある小隊の兵士二人が主人公なんだけど、大佐が嫌がらせしに来たかと思うと中佐は差し入れしてくれたりして、その理由はよく分からない。
部隊にはもっと他の兵士がいるはずなのだが、中心の二人以外は一人ぐらいしかまともに出てこない。
そのうち戦闘が始まってもう大騒ぎ、砲撃はドンパチ来るし銃弾はビュンビュンとかすって、音も映像もすごい迫力で見ててウワー⚡ってなる。
でも、作戦自体の経過はどこがどうしてどのように優勢だったのかはよく分からないし説明もない。ただ「勝敗が決まった(!o!)」と盛り上がった姿が描かれるのみ。
こういう調子で終始する。

あと、マット・デイモン扮する技術者が謎。相棒のレーサーといつもじゃれ合っているが、彼の奥さんに正対することができず、家の外の道路に停車して黙って待っているという始末。そのくせ街中を偉そうに轟音立てて車を走らせるとゆう……中学生ですか(^^? 実話だからそういう人物だと言われればそれまでだが。
しかも映画の作り手はこのような行動を微笑ましいとして好意的に描いているようだ。奥さんに彼らを寛容に見守らせているのはその証拠であろう。なんだか「男だけの世界」にすると女気皆無だから、とりあえず妻も入れてみましたみたいに感じるのはうがち過ぎか。

というわけで、わざわざ遠くで追加料金払って観た意味はあまりなかったのである。絶賛評が多いので、一人ぐらいこういう感想でもいいよね。

相棒役のクリスチャン・ベイルは、難しそうな人物をいつも強風のために折れ曲がったまま傾いて立っているカカシのように飄々と演じていて感心した。オスカー候補落選は残念無念。


観る前から「アイアコッカいわく~」というのが口癖の、TVドラマの登場人物がいたよなあ……とずーっと思い出そうとして思い出せず。見終わって1時間した頃にようやく頭にポッと浮かんだ。
『マイアミバイス』のうさん臭い情報屋だ!

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2020年5月11日 (月)

「パラサイト 半地下の家族」:ハイヤーグラウンド 高望みの芝生

200511 監督:ポン・ジュノ
出演:ソン・ガンホ
韓国2019年

2020年前半最大の話題作(あらゆる意味で)なのは間違いないだろう。カンヌからアカデミー賞まで各映画賞にノミネート&受賞、字幕作品の韓国映画としては珍しく米国ではランキング入り、日本でもロングランのヒットとなった。(コロナウイルスの影響で新作が公開されなくなったせいもあるが)

これまでダルデンヌなど貧困や格差問題を取り上げて映画祭で高評価をされても、いざ公開となると実際に見るのは少数の観客だけということが多かった。
しかし、これはエンタテインメント性もほぼ完璧というところが異なる。特に前半の「順調」感が突然転調して、後半の展開が予想できない方向に暴走していくところはお見事。
しかも細部に潜んでいるメッセージが色々と読み取れるので、観た後に色々と語り倒したくなる。映画マニアからそうでない一般客までそれぞれウケる要素があったといえよう。

様々な面からの感想や批評が出ており、特に格差問題については多数論じられているので、ここでは三者の「家長」について見てみたい。「父親」としたいところだが、全員が「父」かどうか不明(作中で言明あったかもしれないが、一度しか見てないのでよく覚えてないので(^^;)こう書く。

この三者は全員とも災難に遭う。それぞれに立場も階層も境遇も異なり、善人ではないがことさらに悪人というわけでもない。ある者は家長の務めを果たそうと無理をしているし、また頑張っていても頼りなくうまく行かなかったりする。
まずロクな職に就けず劣悪な環境の住居に住む半地下一家が、高台の豪邸に潜り込もうとするのが前半に描かれる。

資産家の住む邸宅は元々高名な建築家が設計して自ら住んでいて、亡くなった後に彼らが購入したという設定である。建築家に仕えていた家政婦はそのまま続けて雇われている。
ここで思い出すのがヒッチコックが映画化した『レベッカ』である。広大な屋敷に後妻として来たヒロインを脅かすのがコワい家政婦長だ。彼女は屋敷と一体化している。
一方、こちらの家政婦はちょっと天然ぽい資産家奥さんを適当にあしらいつつ、背後で操っているように見える。内心ではこの家にふさわしい住人たちではないと思っているのを、半地下息子が訪れた時に仄めかす。

本来は邸宅にふさわしくない、いるべきではない、しかし留まろうとする家族たちの間に目に見えぬ争いが起こりつつある。結果、それぞれの家長である男たちは家族から切り離されて消滅する。
皮肉なことに後からやってきて邸宅の住民となるのは完全に異質な外部の者である。彼らは闘争の対象とはならない。
もはや「家長」たる「男」はいない。果たして家をめぐる欲望が彼らを「家長」たらしめていたのか、それともその逆なのか。

半地下住居から脱出してまともな家に移るという一家の父の計画なき計画はついえた。それでも息子だけは父の「計画」を引継ぎ、邸宅の住人となることを夢見る。だが『家族を想うとき』の父親同様に家の獲得をかなえることはもはや不可能に近いのだ。

家や部屋が人物描写に重要な要素を占めている映画は近年多いが、単に雰囲気の描写ではなくテーマにまで深く関わっているのはあまりない。これはその数少ない一つだろう。
『レベッカ』で観客の前に立ち現れるのは陰鬱なゴシック調屋敷だが、こちらは明晰なモダン建築である。現代のホラーはこういう場所を背景にして生じるのか。

元々は演劇として構想されたという話を聞いたが、なるほどステージ上に全ての舞台を展開したら面白いかもしれない。そう言えば役者たちの演技も舞台仕様でアンサンブル的である。

それにしても辛辣にして冷徹、加えて毒に満ちている。笑いの要素がありエンタテインメントでもあり、だが人物に対して独特の距離感を保つというポン・ジュノ芸が大いに発揮されている。
さらに彼は毎度のことながら料理や食物の描写が鮮やか。『スノーピアサー』を見た時には突如出現したマグロの握り寿司にヨダレを垂らしてしまったもんである。今回も韓国の麺の使い方がうまくて思わず見入ってしまう。私は辛い物が苦手なので、食べたーい(^Q^)というところまでは行かなかったけど。


賞レースではかなりの成績を上げてアカデミー賞でも6部門候補になった。事前の予想では国際映画賞は確実だが、他の賞は無理だろうという印象だった。ところがフタを開けてみれば4部門獲得✨である。こりゃ驚いた。
最初に脚本賞を取った時に、ポン・ジュノは挨拶して次にもう一人の脚本家がスピーチしている間、その背後に隠れるようにしてオスカー像を上から下までジッと眺めていたのは微笑ましかった(^▽^;) 感無量というところか。 ※最初、脚本賞を編集賞と勘違いしたのを訂正。

さらに国際映画賞の次、監督賞の時にはまさしく「気配り受賞スピーチ」のお手本を披露。ここで会場が「え、監督賞まで持ってっちゃうの💦」みたいな雰囲気になりかねないところを、まず「学生の頃はげまされた」と本の一節を引用。通訳(←この人もグッジョブ💡)が英語に訳した後に韓国語で喋りかけるも、すぐに自分のブロークンな英語で「それはマーティン・スコセッシの本です!」と畳みかけると、会場全体がこのベテラン監督に対して総立ち喝采となったのだった。
『アイリッシュマン』で自らの監督賞を含めて10ノミネートされてたのに例の如くオスカー運が悪くて無冠だったのだから、これは嬉しかったろう。

スピーチの続き、今度は返す刀で「無名の時から取り上げてくれた」とタランティーノに感謝を捧げ、残りの二人の監督には「テキサス・チェインソーでオスカー像を5等分したい」とヨイショした。
こういう経緯で作品賞は『1917 命をかけた伝令』が本命と見られていたのを、初のアジア産外国語映画が獲得してもすんなりと受け入れられたと思える。
それにしても韓国作品は短編ドキュメンタリー部門でも候補に入っていたから大したもんである。

しかし、思えばこの時には既にコロナウイルスの影が忍び寄っていた。次回のアカデミー賞のノミネート基準は配信作品に緩くなったし、そもそも次の授賞式が通常通り行えるかどうかさえ分からない。
そう考えると、ステージ上で作品賞受賞に喜ぶ『パラサイト』一行の姿が、コロナ災厄以前の時代の輝かしい栄光の最後のイメージとして焼き付くのかもしれない。

でもきっとポン・ジュノならコロナウイルス後の新たな映画を送り出してくれるはず。今から次回作に期待(^o^)丿

ポン・ジュノ過去作の感想はこちらもあり。
グエムル 漢江の怪物』『母なる証明

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2020年5月 2日 (土)

「家族を想うとき」:ステイ・ホーム 止めてくれるな妻よ子よ

200502 監督:ケン・ローチ
出演:クリス・ヒッチェン
イギリス・フランス・ベルギー2019年

ケン・ローチ83歳、参りました~(_ _) 前作の『わたしは、ダニエル・ブレイク』よりさらに強力になり、自己責任論の名の下に行われる搾取を直撃する作品である。

宅配ドライバーは形式上は個人事業主だが、実際にはノルマを課されて過酷な労働条件で働かねばならない。主人公は自分の家を持ちたいという願いをかなえるために、そんな世界に飛び込んでしまう。しかも、それは他の家族にも犠牲を強いるものであった。

車を売らざるを得なかった介護士の妻は訪問介護の仕事がうまく回らなくなり、元々そりが合わなかった息子は学校で問題行動を起こす。妹娘は一人やきもきする。
効率だけを求める劣悪な労働状況だけでなく、破綻しつつある家族の問題も同時に描かれているのに留意しなければならない。

そもそも夫はこれまでも家庭内で他を顧みず独断専行してきたふしがある。
例えば珍しく4人揃ってテイクアウトの夕食をとる場面があった。そこに妻が担当している高齢者から急な呼び出しの電話がかかってくる。夜なのでバスの時間を気にする母親を見て、息子が男に対して仕事用のトラックを出してくれと頼むのである。普段仲が悪いのに、非常にへりくだった感じで「もし父さんが良ければ……」と気を使いながら言うのだ。
しかし、妻が困ってれば夫の方から言い出すのが普通だろう。だが男はそれに思い至らない(思いついたとしても「なんでおれが(-_-メ)」とやる気にならないだろう)。ここに日常的なこの家庭内の非対称性が浮き彫りにされている。

このような状況で、男は父親の威厳をかけて極限まで突っ走って行くのである。この映画はそこを感情移入し過ぎず、突っ放しもせず冷静に描いているのだった。
それが印象的なラストシーンに凝縮されている。チラシには「感動作」と書かれているが、違うだろうと言いたい。

さて、妻は仕事に加えて、家庭内の感情ケア労働を常に担っている。学校から呼び出されればまず彼女が行き、夫と息子が険悪になるたびに間に立って取りなす。
このような場面が繰り返し登場するので、段々とモヤモヤした気分が募りこちらがイライラしてくる。なにか既視感があるなあと思ったら、この少し前に見たTVドラマシリーズ『トゥルー・ディテクティブ』の1作目だった。こちらでも父権をかざす夫と反抗する子どもの間を取りなす役割が妻だったのである。

しかし、疲れた「男」を慰めてやる余裕が女にもはや無くなる時がくる。そうなれば代わりにケアを行い家族を取り持とうとするのは「子ども」、すなわちこの映画で言えば妹の役割になってしまうのだ。しかし、子どもはそれに耐えられない。

さらに、追い立てられた男たちが常にガミガミしていてそれに対し女が気を使ってオロオロしている--というやはり見てて疲れる構図も見覚えがあった。『ブレッドウィナー』である。
英国とアフガニスタン、遠くて離れて体制も違う国のはずが、どちらも「家族」を背景にして社会の行きづらさが明らかになる。いずこも同じなのだろうか(+_+)

邦題には賛否があるがやはり微妙に違うと思った。肝心の所から逸れているような……。ラストに判明する原題の意味を日本語にするのはかなり難しいだろうけど。
なんだか、搾取のシステムの実像を家族愛の物語として回収してしまうタイトルではないか。それは監督の意図とは異なるだろう。
やはり同様に「この邦題、違うんでは(^^?」と感じた『人生、ただいま修行中』と同じ配給元ですね。なんとかしてくれい💥


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2020年4月23日 (木)

映画落ち穂拾い 2019年後半その3

200423a「少女は夜明けに夢をみる」
監督:メヘルダード・オスコウイ
イラン2016年

イランの少女更生施設を取材したドキュメンタリーである。よくぞ許可を得られたものだ。日本だって難しい。撮れたとしても顔出しはできないだろう。
薬物売買、窃盗、家出、自傷、さらには殺人!--彼女たちは様々な理由で施設にいる。しかし、その根本は貧困やDVなど家庭内の不和のために追いやられたことにある。それが彼女たち自身の口から語られるのだった。

一見どこにでもいそうな女の子が、14歳で結婚させられ15歳で子どもを産んで今17歳--などシビアな状況ばかり。しかし施設にいる姿を見ると想像もできない。
とある子は施設を出る許可が出ても家族が迎えに来るか常に不安を抱く。カメラは彼女に寄り添い家族の迎えを一緒に待ち受ける。

よく彼女たちから本音を引き出せたなあと感心した。ただ構成にやや不器用な印象があって、そういう点で長く感じた
監督は既に同様の少年についての作品を二作撮っているそうなので、そちらも見たいもんである。


200423b「テルアビブ・オン・ファイア」
監督:サメフ・ゾアビ
出演:カイス・ナシェフ
ルクセンブルク・フランス・イスラエル・ベルギー2018年

パレスチナとイスラエルを文字通り股にかけたコメディ。映画のタイトルは劇中の人気TVメロドラマでもある。

主人公は脚本家志望(実績なし)のパレスチナ青年。親類の伝手でドラマの制作現場に潜り込み、成り行きで脚本を担当することになる。そこにイスラエルの検問所の司令官が、母親や妻のウケを狙って口を挟んでくる。そもそも検問所を通らないと家と職場を行き来できないという事情があるのだ。
若者はいい加減なヤツで若干イライラするが、ちゃんと成長して最後は立派な結末へ。お母さんもお喜びでしょう。

完全に喜劇ではあるが、登場人物のセリフにちょこちょこと過去の紛争や暴力の影がちらつく。なんとなく若い世代の「紛争疲れ」も感じさせる内容だ。
そうなると、永遠に続く連続TVドラマシリーズとは終わりが見えぬパレスチナ問題を暗に示しているのだろうか……なんて思ったりして。

なおドラマの主演女優はフランス人という設定だが、イザベル・ユペールっぽくないか?


「パペット大騒査線 追憶の紫影(パープル・シャドー) 」
監督:ブライアン・ヘンソン
出演:メリッサ・マッカーシー
米国2019年

DVD鑑賞。米国公開時に散々な評価で完全にコケてしまい日本未公開となったコメディである。
悪評は承知の上で見たが、なるほどこれが噂に違わず💥というヤツだろうか。ハードボイルド風サスペンスを気取っているが、下ネタ満載のギャグがことごとく面白くない。

物語の背景の設定として、人形のパペットたちと人間が共存している世界になっている。同じ職業に就き結婚もできるのだ。(子どもとかどうなるの?)
そんな中で連続殺人(殺パペット)が起こり、元刑事の探偵である主人公が巻き込まれるという次第。

主人公を含めてパペットたちのキャラクターがつまらないのがどうしようもない。相棒に扮するメリッサ・マッカーシー(もちろん人間役)がいてかろうじて見られる。
元女房役のエリザベス・バンクスもよく出演したものよと見てて思ってしまった。自分の作りたい映画の資金稼ぎかしらん。

監督のブライアン・ヘンソンはジム・ヘンソンの息子で過去にマペット物を撮っていたはずだが、「マペット」を使用していないということは商標登録でもされてるのかな。

「パペット大捜査線」でデータベース検索しても出てこなくて変だなあと思ってたら「大騒査線」だった。紛らわしい~(>O<)
邦題の「紫影」の意味が終盤に分かるが……ムムム。良い子には見せられませんね(^^)b
無謀さに挑戦したい人かM・マッカーシーのファン向け限定。

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2020年4月21日 (火)

「失くした体」:手は口ほどにものを言い

監督:ジェレミー・クラパン
声の出演:ハキム・ファリス
フランス2019年

これもまたネトフリで配信前に限定公開されたフランス製アニメ。やはり数々の映画賞にノミネート・受賞するなど評価が高く、今年のアカデミー賞の長編アニメーション部門に候補に入った。

事前に、切断された手が「本体」である若者を探して街をさまようというストーリーだというのを聞いていた。だからミステリーがかった物語と思ったら、全く違って青春の悶々を描いたものだった。
「手」がかつての幸福な子ども時代や、家族の記憶、最近知り合った娘のことなど回想しながら、パリの街を横断していく。
移り変わる街の光景は美しく、音響も凝っているのでやはり映画館向き作品といえるだろう。

ではあるが「トイストーリー」ならぬ「手ストーリー」風に展開していき、雑然とした下町の路地などを手が這いずり回る✋ので、もし巨大G虫が登場したら死ぬ~(>y<;)とおののいてしまった(結局現れなかった)。
それ以外にも生理的に耐えぬ場面(肝心の手切断の経緯とか)が多く、そういう意味では配信で見る方がいいかも。フラッシュが点滅して目がチカチカするところもあるので要注意。

そもそも根本的になんで手があんな所にあるのよ~、普通は病院じゃないのか?などと下世話なことを考えてしまった。自分には向いてなかったようだ。

平日昼間のためか、なんと観客は私を入れて2名だった。もっと時期が後、アカデミー賞ノミネート発表の頃だったらよかったかもしれない。

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2020年4月16日 (木)

「ブレッドウィナー」:まぼろしの闘い

200416 監督:ノラ・トゥーミー
声の出演:サーラ・チャウドリー
アイルランド・ カナダ・ルクセンブルク2017年

原作は児童文学(絵本?)。原題の『生きのびるために』のタイトルでネトフリ配信されたアニメを、後になって劇場公開したらしい。
ブレンダンとケルズの秘密』を作ったカートゥーン・サルーンの制作で、監督もそちらで共同監督をやっていた一人である。

主人公はタリバン支配下のアフガニスタンに家族5人で暮らす少女である。戦乱の中で父親は教職を追放、持ち物を路上で売って生計を立てている。ところが父親が逮捕されてしまい、女が一人で外出することもできない社会では生きていくこともできない。
その時、友人が少年に化けているのを目撃する。

今まで水くみにも市場へ出かけるにも罵られ、ビクビクしながら隅っこを歩いていたのが、髪を切って「少年」になった途端に何でもできるようになる新鮮な驚きが綴られる。そして家族のために日銭を稼ぐのだった。

素朴な絵柄は恐らく原作の通りなのだろうが、内容は極めて苦しくシビアである。その中で苦難と闘いつつ幼い弟のために語る民話風の物語が、エンデの『サーカス物語』風に交互に挿入される。こちらは勇気を与える物語だ。切り絵風のストップモーション・アニメになっていて楽しい。

女が自由に生きる余地はないが、男も戦禍に巻き込まれるしかない。主人公に憎悪を向けるタリバンの若者があっけなく戦地に動員されるのはその象徴だろう。
見ていてつらくなるような世界である。
しかしそれでも生きていかねばならない。殺伐とした現実と色彩豊かな民話、それぞれの主人公は試練を生き延びることができるだろうか。

作品の完成度は高く、アカデミー賞をはじめ様々なアニメ賞にノミネートされたのも納得だ。

それにしても、女と子供だけになった一家が生活する手立てが、若い娘が嫁に行くしかないとは(=_=) 嫁以外の家族は付属物のように嫁ぎ先でぶら下がって寝食を確保するのだろうか。やはりつらい……💧

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2020年4月 9日 (木)

「ある女優の不在」:遠ざかる女たち

200409 監督:ジャファル・パナヒ
出演:ベーナズ・ジャファリ
イラン2018年

現在、国家より映画製作禁止🚫処分を受けているパナヒ監督……のはずが、なぜか次々と新作を発表している。この最新作もカンヌに出品されて脚本賞受賞をした。
前作の『人生タクシー』同様、自分や女優がそのまま出演するフェイクドキュメンタリー風の作りになっている。

ある日、パナヒに若い娘が自殺するスマホ映像が送られてくる。彼女は役者を志しているが家族に反対され、その道を断たれて絶望したというのだ。
娘が助けを求めていたという人気女優ジャファリと共に、彼はトルコ国境近くの村に赴く。

イランにおいてもド田舎の保守的な土地である。若い娘っ子が女優志望などとは家の恥と思われても仕方がない。
そんな土地柄のせいか、二人を迎える町の人々は純朴で人情味あふれる……一方で慇懃無礼なイヤミと毒を垣間見せる。ここら辺を飄々と描く監督も相当なヤツといえよう。

果たして娘の自殺映像は本物なのか?
やがて、革命で映画界を追われたかつての大女優が村で隠遁生活を送っているのを知る。ここで三世代の女優の人生が交錯するのだった。
しかし、男性で監督であるパナヒはそれを脇からただ目撃するのみ。決して踏み込むことはできない。そんな自身をも淡々と映す。

冒頭から長回しを多用しているが、それは映すに足る素材があってこそというのがよーく分かった。
あと、割礼の●皮の話ってイランでは普通なのか(?o?)ひえ~っ

ただ、途中でストーリーが飛んでいるような感じで戸惑った(路上の牛の後あたり)。いきなり二人の女が仲良くなってるし、突然封筒が出てきて解決策をいつ考えたのかも不明である。
上映時間を見るとカットされてるわけではないようだし、訳ワカラン状態だ。

牛が鳴く夜の村はずれを行く車とバイク。イランにも暴走族とかいるのかしらん。

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