映画(最近見た作品)

2021年9月11日 (土)

「プロミシング・ヤング・ウーマン」:少女老いやすく復讐なり難し

監督:エメラルド・フェネル
出演:キャリー・マリガン
イギリス・米国2020年

今年のオスカーで5部門候補になり脚本賞獲得。キャリー・マリガンも主演女優賞の下馬評高かったが取れずに終わったものの、話題の一作である。

正直、理解に苦しむ映画だった。登場人物のほとんどが何を考えているのかよく分からないのだ。
例えば『ライトハウス』はホラーだか幻想ものだか、話自体はぶっ飛んでいて訳ワカランものであった。だが、少なくとも登場人物がその時どういう精神状態でそういう行動をするのかは大体理解できた。
しかし、こちらはその点がさっぱり理解できない。

事前の情報では友人をレイプして死に追いやった不埒な野郎たちに鉄槌を下すというような内容とのことだった。でも全く違った。
ヒロインは事件に衝撃を受け、夜な夜な町へ繰り出してわざとそのたぐいの男をおびき寄せ「お仕置き」をする(あくまでも「お仕置き」程度の教育普及活動)。危なっかしい橋を渡っている。逆ギレされたらどーするの、などと心配しちゃう。

だがなぜそこまで友人の死にのめり込んでいるのか、理由は描かれていない。長年に渡って自分を捨てて投げやりな日常を送り、自暴自棄としか思えない行動を続けているのにだ。親友だからなのか、それとも友人以上の関係だったのか?

それから小児科医の男も謎である。付き合いたいというのは分かるが、いきなり××入りのコーヒー出されて飲むか(?_?) フツー飲まないだろう。(そんなコーヒー出す方も出す方だが)
また一度、彼に腹を立てたのにまた彼女が戻ってきた理由も不明だ。唐突に元に戻っちゃう。理由は観客が勝手に推測するしかない。

終盤の「突入」の意図についても同様。
巷の感想見ると、最初から戻るつもりはないと覚悟していたという解釈を幾つも見かけたが、だとするとあまりにも無意味な行動では(?_?)
さらに最初の設定では、最後のシークエンスはなかったという……ええー(+o+;) それじゃますます無意味じゃないの。
現実に起こっている種類の犯罪をモデルにして作っているのだから、できればもっとサバイブの方向に導くものにしてほしかった。

シュシュでくくったかわいいノートに「教育指導」した奴(男に限らず)を執拗に記録していくことが、女の子っぽいやり方というのであろうか。力ある男にひねりつぶされても仕方ないというのなら、無力感にとらわれること甚だしい。

あと、映画作りの基本的なミスが見受けられたのも気になった。カットによって服の乱れが統一されてないとか、狭い場所でのカメラの位置が変とか……。シロートの私が気づくんだから専門家が見たらもっとあるのでは?と疑っちゃう。
それと「枕」のシーンだが、スタントを使わずにマリガン本人がやってたというのを聞いてびっくりした。あれこそスタントを使うところでは💦 実際、事故になりそうだったらしい。
あと使われてる曲の歌詞は訳してほしかった。オバサンは最近の流行の音楽にはうといので(^^;ゞ

というわけで、期待していたのにガッカリであった。

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2021年9月 5日 (日)

「ライトハウス」:なんで、私が灯台に!?

210905a 監督:ロバート・エガース
出演:ウィレム・デフォー&ロバート・パティンソン
米国2019年

*最後にネタバレ感想があります。

事前に「怖い映画」だと聞いていた。さらに「変な映画」だということだ。おまけにモノクロでスタンダードよりも狭い昔の画面サイズらしい。どうも嫌な予感がする。途中で映画館出たくなったらどうしようと不安であった。
しかし、狭い孤島の灯台でデフォーとパティンソンが二人きりでゴニョゴニョする話(誤解を招く表現)だとあっては、何がなんでも見に行かずばいられない。

心して映画館に向かった私であったが、予想は大きく裏切られた。「変」「怖い」に加えてもう一つ重要な要素があったのだ。
それは「笑える」であった。
なんなのよー、早く言ってよ~(^◇^)

老灯台守と組んで初めて孤島に向かう新人の若者。先輩から乾杯の酒をすすめられるが断って水を汲んで飲む。しかしその水は腐っていた。ギャハハハと嘲笑する先輩、憮然とする若者--いや、いくら何でもそんな真っ黒けな水(モノクロ映像にしても、だ)飲む前に気づけよという気がしないでもない。

その後はひたすらこき使われイヂメられる若者であった。しかも肝心の灯台には上らせてもらえない。ストレスで作業の合間に思わず××しちゃう毎日だ。
そして幻影なのかそれとも物の怪か、何かがいるような……。

てな具合で黒い水を飲んでから以降、全体の三分の一ぐらいは笑える場面だった。後半のアルコールが入ってから延々と続く二人の絡み合いとか。特に強風にあおられて●●●を浴びる場面なんて声出して笑ってしまった。
あれは爆笑するところでしょう(o_ _)ノ彡☆バンバン ギャハハハー(←懐かしい顔文字を使用してみました)

あと過去の名作の引用も多数出てくる。
ゴシックホラー味が強く『鳥』や『シャイニング』はモロにやってるし、全体の構造は『2001』っぽい(二人のキャラクターが孤絶した状態で争い、一人がスターゲイトに達する)。エガース監督は「灯台は男性のシンボル」と語っているが、ディスカバリー号も「精子の形に似ている」などと言われてましたな。
某場面はアルドリッチの『キッスで殺せ』の終盤だろう。他にも私の見ていない映画の引用が幾つもあるようだ、ベルイマンとか--。
ラブクラフトの映画化ってあるのかな(^^?

怪異譚と言ってしまえば収まりは付くが、解釈には困る作品である。
単純に考えてみると、ヘテロな男が二人狭い場所に閉じ込められればマウントを取り合った挙句、結局こうなるしかない💥ということだろうか。あまりに日常的に接近して暮らしていると、自我が溶解していく危険があるのかもしれない。

デフォー&パティンソンはほぼ二人芝居、お疲れさんです。
監督は……モロに自分の嗜好丸出しである。ああ、こういうのが好きなのだなというのが分かっちゃう。
陰鬱なモノクロ、冒頭の霧笛に始まる周到なサウンドデザイン、これに関しては映画館じゃないと迫力を楽しめないだろう。映画館での鑑賞を推奨したい。

210905b パンフレットは灯台日誌(?)風デザインで分厚くて凝った装丁である。なぜか中に6ページにわたって伊藤潤二の紹介マンガが掲載されている。こういうのは普通チラシに載せるものだけど、なかなかにコワイ。
個人的には吉田戦車で見てみたい。あとパロディ調の青池保子で少佐とZの組み合わせ--あまりにもモロかしらん。当然第三の男は部下Gだろう。


さて、私は観ている間まったく思い至らなかった解釈があるのだが、ネタバレなので行を開けて書く。

 

 

 ★★注意! 以下ネタバレがあります
             自己責任でご覧ください★★

 

 

他の人のツイッターでの解釈だが、老灯台守と若者は同一人物だというのだ。
な、なるほど!(ポンと手を打つ)
老人とは若者の罪悪感の表れであり脳内に出現したもので、そもそも灯台が実際に存在するのかも怪しい……というのである。
確かに二人が互いに語る過去はなんだか似通っているし、老人が若者のことを何もかも見透かしているというのもある。
ラストシーンもそれまでの状況からするとおかしい。現実とは思えない。

何より、若者が乗って逃げ出そうとしたボートを老人が壊してしまうのだが、その後の口論では彼は「お前が壊した」と事実と逆のことを言うのである。しかも若者はそれに反論しない。
二人ともボートを壊した犯人ということで、自分と自分で闘っているのである。

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2021年8月25日 (水)

「ブラック・ウィドウ」(字幕版):腐敗オヤヂ退散

監督:ケイト・ショートランド
出演:スカーレット・ヨハンソン
米国2020年

アベンジャーズの一員ブラック・ウィドウの初ソロ作品。
コロナ禍より前に撮影は終了していたらしく宣伝映像が映画館の予告枠で流されていたが、結局一年以上待たされての公開である。
シリーズ内のタイムラインでは『シビル・ウォー』の後ということらしい。

待たされただけあって大いに期待して見に行ったが、正直期待しすぎたかな~という印象だった。

本業(?)は女スパイで特殊能力や超能力の類いは持っていないブラック・ウィドウゆえ、アクションは生身の格闘系が中心である。それが長時間しかも何度も繰り返されると、見ている方も身体が痛くなってくる。あ、もちろんカーアクションもあるけど。
女性スタントの方々、お仕事お疲れさまですっ\(◎o◎)/!

その間に挟み込んでくるのが、子どもの頃にスパイ家族の一員として米国に潜入していたエピソードで、疑似家族の絆を強調。さらに米国で陰謀論的にと言っていいほど広がっている少女虐待人身売買ネットワークの存在も絡んでくる。

文字通りオヤジ臭フンプンたる野郎が作った悪のシステムを、女たちが自らの力で撃破するという展開は、昨今の風潮からするとスッキリする展開のはずである。しかし、どうもスッキリしないのはナターシャが「薄幸の女」(古いタイプの)だからだろうか。

まあ、そういう場合は悪役の顔を五輪がらみで浮上した不愉快な人物(IOC会長、モリモリ、メダルかじり市長など)に挿げ替えて見ればうっぷんが晴れるだろう。
とりあえず、主人公も「薄幸の女」から「わきまえない女」にバトンタッチするみたいだし。

監督は『さよなら、アドルフ』の人で、あれは衝撃的な作品だったが(日本では感動作として宣伝されたのが残念)途中で間延びして長過ぎるのが難点だった。今回も同様に良作ではあるけど長いと感じた。

ナターシャの妹役として登場するのはフローレンス・ピュー。そういや『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』でも妹役だった。
トム・ホランドが「永遠の弟」なら、彼女は「永遠の妹」ですかね(^^)
ウィリアム・ハートが痩せすぎててビックリした。大丈夫かしらん?

字幕版の上映回数があっという間に減ってしまって焦った💦 やはり最初の一週間に見ないとダメだね。

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2021年8月12日 (木)

「アメリカン・ユートピア」:踊れば絶望歌えば希望歩く姿はエネルギッシュ

監督:スパイク・リー
出演:デヴィッド・バーン
米国2020年

D・バーンやトーキング・ヘッズの音楽はどうも苦手な部類であまり聞いてこなかった人間である。しかし評判がいいので見に行った。
元々はブロードウェイのショーとして高い人気で、それをスパイク・リーの監督で収録したとのこと。劇場に客を入れた状態で撮影していて、コロナ禍前に行なったらしい。(再演するはずだったが中止になったとか)

ほとんど装飾がない壁に囲まれたステージに、バーンの他に11人のミュージシャンが曲によって出たり入ったりする。うちパーカッションが6人もいるという編成だ。
自由自在に動き回る--といっても完璧に振り付けが決まっていて、演奏しながらのその動きは素晴らしい。相当にリハーサルやったんだろうなと思える。その隙のない完成度に圧倒される。
何より60歳代後半のはずのバーンが息切れもせず歌って踊って曲間に喋って楽器も弾く大活躍だ。恐るべきエネルギー⚡

合間のトークで、友人たちから「口パクでは?」「録音じゃないの」と尋ねられたという話をしていたが、そういう疑惑が出ても仕方ないと思えるほどだ。
ファンならずとも後半は立ち上がって飛び跳ねたくなるのは必至だろう。
衣装・照明もシンプルだが極めて効果的だった。

S・リーの考え抜かれたカメラワークは素晴らしいものだけど、時折「ここは引きで見たいな」と思ったりもした(^^ゞ
ただ、明らかに舞台の上にカメラが乗った映像もあるので、そこは後撮りだろうか。ステージ前の観客を見ると少なくとも2日間分を編集しているようだ。
やはりナマでも見たい(聞きたい)ぞと思った。

バーンの歌詞は寓意的でありネガティヴにもポジティヴにもどちらでも解釈できる訳の分からなさに満ちている。本人が「ロード・トゥ・ノーホエア」について高校生の合唱したのを聞いたらすごく明るく思えたというようなことを語っていたが、映画『未来を乗り換えた男』で使われた時は非常に絶望的な内容に聞こえたものだ。

今日は希望。でも、明日はどっちに転がっていくのだろうか。

それから選挙について語った部分では「大統領選は50%以上の投票率なのに、地方選挙だと20%」と言っていて、米国も日本とあまり変わらないんだと妙なところで安心した。(安心して……いいのか💦)

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2021年7月26日 (月)

「ハニーランド 永遠の谷」:自然と実物

監督:リューボ・ステファノフ、タマラ・コテフスカ
北マケドニア2019年
WOWOWで鑑賞

日本公開された時に見損なっていたのをようやく見た。
『パラサイト』と同じ年のアカデミー賞で、国際長編映画賞とドキュメンタリー長編賞の両方で候補になった珍しいケースと話題になったドキュメンタリーである(結局受賞はならず)。
さらに製作国が北マケドニアというのも珍しい。

中心となる人物は一見、普通のおばさん。しかし、その正体は「ヨーロッパ最後の自然養蜂家」であった!
年老いた寝たきりの母親と二人で荒涼とした土地の電気も水道もない一軒家(というより小屋か)で暮らし、近くの岩山や大木に蜂の巣を見つけては養蜂する。
それだけ見ていると第二次大戦前の話といっても通用するぐらいの生活だ。

どれだけド田舎かの話かと思って見ていると、最寄りのバス停からバスに乗れば、髪をグラデーションに染めたモヒカンヘアの兄ちゃんが乗ってたりするではないか。だからそんな田舎ではない。そして近くの町に行ってはハチミツをひと壜ナンボで売るのであった。

と、ある日隣の土地にトルコ人の大家族が移り住んでくる。子どもが大勢いて、孤独だった彼女は彼らと親しくなる。これまで変化というものに縁がなかった彼女の心境も、揺るがされるのだが……。
って、これフィクションじゃないんですか~っ\(◎o◎)/!と、その後は言いたくなるような怒涛の展開である。

見ていると1年足らずの出来事のように思えたが、実際は数年間の話でその間スタッフはずっと通って取材したのだという。その根性には感心するしかない。

全てが終わった後に彼女は荒野に出て一人たたずむ。その光景を見て思い浮かんできたのは『ノマドランド』だった。題名が半分同じだから(*^^)b……違~う💥

彼女は放浪者とは正反対で、地に根が生えたような長年の定住者。本人が移動しない代わりに隣人が来てはまた消えていく。移動し変化するのは周囲の方だ。
でも、もはや若くはない女が孤独の中に存在するのは同じ。そのような「絵」が似ている。

現実を厳しく掘り起こし、あからさまなまでに観客に見せた後に喪失感が襲う。とはいえ両者のラストの感触はまた異なる。
似ているような似ていないような--どっちだろう(^^?

それにつけても、主人公の存在感には圧倒される。いかにオスカーを獲得したF・マクドーマンドをもってしても彼女には絶対勝てない。
これだからドキュメンタリーは恐ろしい。

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2021年7月24日 (土)

「ノマドランド」/「ザ・ライダー」:演技と実物

「ノマドランド」
監督:クロエ・ジャオ
出演:フランシス・マクドーマンド
米国2020年

「ザ・ライダー」
監督:クロエ・ジャオ
出演:ブレイディ・ジャンドロー
米国2017年
アマゾンプライム鑑賞

アカデミー賞6部門ノミネートで3部門獲得、他にもヴェネチア映画祭でも最高の金獅子賞--🎀
前年の『パラサイト』に続き、この一年に話題をさらった作品と言ったらこれだろう。

キャンピングカーで広大な米国の土地で車上生活を送る中高年女性が主人公である。企業城下町で夫婦で暮らし家を建てたが、企業が撤退し(町ごと消滅💥)家も不況で失い夫が亡くなって、全てを失って追われるように旅に出る。
米国の広野には同じように暮らす人々(ノマド)が大勢いるらしい。

「現在には固執しない」と言っても、過去にはこだわっているように見える。キャンピングカーに思い出の品を山のように積んで引っ張って移動しているのだから。
「人生断捨離」という言葉が浮かぶ。捨てられぬ物があっても、それまでの人生は置き去りにできるようだ。

てな調子なので、貧困や格差という社会問題というより人間の生き方としての面が強調されている。あくまで自由な精神のありようだとして示される。主人公は定住する機会も得るけど、結局はそれを捨てて去っていくのだ。

プロの役者はフランシス・マクドーマンドとデヴィッド・ストラザーンぐらいで、それ以外のノマドは実際に放浪生活を送っている人たちだというのに驚く。
そのせいでかなりドキュメンタリー的な色合いが強い(そもそも原作がドキュメンタリーなのだが)。
現実にこういう暮らしをするのは大変だろう。トイレも風呂もままならず、病気になったりさらには車が故障したら大変だ。

荒野の風景や人々のたたずまいの映像が極めて美しい。ただ、個人的には「いい映画なんだけど好きとは言えない」類いの作品だった。まあ、これは好みの問題である。
それと音楽は「そこでL・エイナウディ使うのか👊」と言いたくなった。

マクドーマンドの演技は本物のノマドに混ざっても浮くことなく、オスカーの主演女優賞を(番狂わせで?)ゲットするだけのことはあった。
ただワニとヘビの場面は「地」ですかね。あれも演技だったらもう平伏するしかない。

捨てたい物に埋もれている中高年に推奨。


さて『ザ・ライダー』、実は『ノマドランド』公開よりも先にクロエ・ジャオの前作ということで予習として見た。
一応、劇映画なのだけどほとんどドキュメンタリーみたいである。というのも、主要人物はみな本人が本人役を演じているからだ❗

舞台はサウスダコタ、知識がなくて見ててよく分からなかったのだが先住民居住区なのだという。
主人公の若者は馬の調教師にしてロデオ大会の優秀な選手である。ある日大会中の転落事故で大怪我を負ってしまう。怪我を治してリハビリ……するはずが、そんなまだるっこしいことやってられるかと気は焦るばかり。心は復帰したくても身体の方はそうもいかない。そんな若者の静かな焦燥の日々が淡々と描かれる。

本人役を本人が演じているのは彼の友人や家族だけではない。華やかなロデオスターだったがやはり落馬事故で車椅子生活で言葉もままならなくなった先輩も、ビックリなことに当人が演じているのだ。
ただどうしても、人間同士の場面は見てて素人の演技なので吸引力には欠ける。良作と思えど、睡眠不足の時に見たら寝てしまうのではないかという印象も感じるだろう。

一方、広大な自然の描写や主人公が馬を馴らす場面は素晴らしい。特に後者はまるで優美で緊張感に満ちたダンスのようだ。目が離せない。
そういう点ではやはりこちらもドキュメンタリー部分が勝った作品だと言えるだろう。

見てて『荒野にて』を思い浮かべた。親とうまく行かない若者の焦燥と馬と荒野が登場するだけでなく、対象とカメラの距離の取り方が似ているような印象だった。(製作年は同じ)

データベースやアマプラのジャンル分けを見ると「西部劇」になっているんだけど、それでいいのか?

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2021年7月 4日 (日)

「ヒトラーに盗られたうさぎ」:子どももつらいよ

210704 監督:カロリーヌ・リンク
出演:リーヴァ・クリマロフスキ
ドイツ2019年

絵本作家であるジュディス・カーの自伝『ヒトラーにぬすまれたももいろうさぎ』を映画化したものである。
児童文学なので主人公は少女だが、必ずしも子ども向き作品というわけではない。

1933年、ベルリンで豊かに暮らすユダヤ人一家の9歳の少女、父は演劇評論家、母はピアニストという知識階級だ。しかし、ヒトラーの台頭を予見した父はスイスへ逃げることに決める。
この父親の決断は重大だったろう。というのもグズグスしていて国外へ脱出できず、結局収容所送りになったユダヤ人は多かったらしい。

都市の邸宅住まいから一気にアルプスの山の中へ。これがまたアルプスの少女ハイジそのまんまな豊か過ぎる自然の中の生活だ。
しかし、このままでは暮らしていけぬとフランスはパリへ--と思ったら不穏な情勢に。さらに英国へと移住する。それにつれて財産が尽きて食うや食わずの生活になっていく。

驚くのは少女と兄はその度に違う言語を学び、異なる習慣になじんで適応できちゃうことだ。さすがは子どもはたくましい。大人だったらそううまくはいかないだろう。
しかも、父親は食料を買う金にも事欠くのに、子どもたちに立派な教育を受けさせるために学費がかかっても良い学校を選ぶのである。価値観が違~う💥

そういや、なんでユダヤ人なのにクリスマスを祝うのかな(?_?)と疑問に思って見てたら、ちゃんと少女が父親に質問してましたな。

なぜヒトラーが「ももいろうさぎ」(少女が大切にしていた)を盗んだかというと、逃亡後一家の邸宅を含む財産を没収したからである。その中にウサギを置いてきてしまったのだ。
他にも、一家を見送った父の友人が後にユダヤ人の血が四分の一流れている理由で公職を追放されたりと、日常レベルで市民がどんどん追い詰められていく様子がよーく実感できた。

ただカロリーネ・リンクの演出はよく言えばオーソドックス、悪く言うと古めかしい。今一つ香辛料が足りない印象である。
父親役のオリヴァー〈帰ってきたヒトラー〉マスッチは『ある画家の数奇な運命』でのヨーゼフ・ボイス(をモデルにした役)同様に好演だった。

ところで邦題はなぜ「盗まれた」か「とられた」にしなかったのかね。絶対に後になって検索できなくなるに違いない。

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2021年6月26日 (土)

「ある人質 生還までの398日」/「ザ・レポート」:拷問をくぐる者は一切の希望を捨てよ

210626「ある人質 生還までの398日」

監督:ニールス・アルデン・オプレヴ
出演:エスベン・スメド
デンマーク・スウェーデン・ノルウェー2019年

「ザ・レポート」
監督:スコット・Z・バーンズ
出演:アダム・ドライヴァー
米国2019年
アマゾン・プライム鑑賞

デンマーク人の若いカメラマンがシリアに渡り、紛争下での庶民の姿を撮ろうとしたところスパイの疑いを受けて捕らえられてしまう。情勢不安定なためにいつの間にか勢力地図が変わっていたのだ。そして、人質として身代金を請求される。(実話である)

ところが(日本もそうだが)国は表に立って交渉に応じない方針だ。家族は平凡な一般市民なので高額な身代金は支払えない、と膠着状態になる。
一方、カメラマンは拷問された挙句、他の捕虜たちと共に恐怖の監禁生活をずっと続けることになる。

身代金集めに奔走する家族と悲惨な境遇の主人公が交互に描かれる。が、目まぐるしくはなくて編集がちょうどいい塩梅である。
約2時間20分が緩みなく展開し、緊張あり過ぎで倒れそうなくらいだ。

主人公は軟弱そうな若者だけど、スポーツ選手出身というのが監禁生活でも生存に利したようだ。何にしろ体力と運動は必要。それと家族のたゆまぬ努力も大きい。
だが助けてくれる家族がいない人質の運命は辛いものよ(ToT)

一方、米国は家族が交渉すると罰せられるとのこと。個人の命を左右するのは金だけでなく、国のありようも関わってくるのだ。


さて、『ザ・レポート』は拷問つながり(>y<;)と言える米国映画である。
こちらは911の後から強化されたCIAによる捕虜拷問問題を扱っている。それまではテロの容疑者や参考人捕まえた場合の尋問は比較的穏やかな方法(日本の「まあ、カツ丼食えや」みたいな感じか)で行われていたのが、急に過激化する。

その方法が『ある人質』で出て来た拷問とほとんど同じ。いや、もっと恐ろしいヤツも……(>O<)イヤーッ 恐ろしすぎて文字にもできない。互いに拷問合戦をやっている末世的状況、と言いたくなる。
やはりここでもヘビメタを使用。メタリカだけでなくマリリン・マンソンも使われていたようだ。ところで、いわゆる「水責め」は旧日本軍が発案したって聞いたことあるけど本当か?

しかもその手法を進言したのは二人の心理学者なのだが、その専門は全く関係ない分野だというウサン臭さである。顧問料で大いに儲けたらしい。

この経緯と並行して、その数年後にアダム・ドライバー扮する議会スタッフによってCIAの尋問問題についての調査が描かれる。
陰鬱なCIAのビルの地下で、長期間に渡りひたすら文書やネット上の資料をあさる日々で、彼の精神状態も不安定になる。おまけに外の政界では調査結果を公開するかどうかが駆け引きの材料となってしまうのだ。

監督・脚本は、ソダーバーグ作品で脚本を担当している人らしい。社会派作品の題材としては申し分ないが、二つの時間軸での行ったり来たりが分かりにくいのが難点。
それと絵的にはほとんどA・ドライバーが暗い場所をウロウロしてるだけなので、日本で劇場公開できなかったのは仕方ないだろう。ドライバーは執念のあまり偏執狂と紙一重な人物を熱演である。

上院議員役のアネット・ベニングはさすがの貫禄だった。
モーラ・ティアニーがCIA職員役で顔を見せているが、彼女の立場は『ゼロ・ダーク・サーティ』のヒロインと似たようなものなのか。そういえば皮肉だろうか、主人公がTVで『ゼロ~』の予告を見ている場面が出てくる。

調査は『ゼロ~』の内容とは反対に、拷問は役に立ってなかったという結論に至る。なんとCIAでも内部調査が行われていて同様の報告がなされていたという。
やはり国家のありようは大問題なのだ。

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2021年6月19日 (土)

「ウェイティング・バーバリアンズ 帝国の黄昏」/「彷徨える河」再見:狂気・逃走・放置

監督:シーロ・ゲーラ
出演:マーク・ライランス
イタリア・米国2019年
DVD鑑賞

原作J・M・クッツェー『夷狄を待ちながら』を作者自らが脚本化。出演がマーク・ライランス、ジョニー・デップ、ロバート・パティンソンという顔ぶれで、監督はシーラ・ゲーロ(『彷徨える河』コロンビア映画初のアカデミー賞外国語映画部門候補になった)、さらに撮影はクリス・メンゲス(『ミッション』『キリング・フィールド』でオスカー獲得)である。
これだけ豪華なメンツが揃っていながら、正式ロードショーがなくてビデオスルーというのはよほどトンデモな出来なのであろうか(>y<;)
--と恐る恐る見てみたら、全くそんな事はなかった。

砂漠の縁に立つ城壁のある町が舞台である。「帝国」に属しながらも辺境故に、民政官が平和に統治している。門は住民が行き交い、賑やかな市が立ち、家畜がのんびりウロウロとしていた。
しかし、ある日「大佐」が軍隊を引き連れてやってきたことから、平穏さに影が差す。
大佐は帝国の先兵として命を受けて版図を拡張すべく、辺境の果てに住む蛮族を討伐するため偵察に出ていく。

映画は時間の進行に沿って4つの章に分かれている。章が変わるたびに町の状態とM・ライランス扮する民政官の境遇は激しく変わる。町は乗っ取られ、活気があった住民たちもまた醜悪なまでに変貌する。もはやかつての自由は存在しない。
民政官の目を通して帝国の拡張と町の崩壊、その末路が淡々と綴られるのだった。

さんざんひどい目にあって地位を奪われた民政官が「私は裁かれている最中だ」というと、下士官から「そんな記録はない」と言われる。
どこの世界でも記録抹消と文書改ざんは「帝国しぐさ」らしい。

民政官役のライランスはほぼ出ずっぱりで恫喝されたりイヂメられたり、一方蛮族の娘の脚をナデナデしたり、いろいろあって大変な役だ~⚡ が、彼のファンは見て損なしとタイコ判を押しておこう。
大佐のデップと下士官のパティンソンは敵役で、出ている時間も少ない。もっともデップはこういうエキセントリックな役(メガネが怖い)をやるのは嬉しそうだが。
グレタ・スカッキがすっかりオバサンになってて驚いた。そもそも孫がいる役だし(^^;

辛辣なテーマ、美しい映像、暴力的展開、皮肉な結末--と文句はないのだが、問題はあまりに語り口が整然とまとまり過ぎていて、もう少し破綻した部分が欲しいのう、などと思ってしまった。かなり残酷な描写もあるのだが……。
原作者が脚本を書いたせいだろうか。それともこれは高望みというやつか。(原作は未読なのでどう異なるか不明)
加えて娘へのフェティッシュな欲望も割とアッサリめな描写。きょうび、あんまりネッチョリと描くわけにもいかないのか、それとも推測するに監督はあまりこの方面に興味ないのかもと思ってしまった。
監督には次作はぜひ自分の脚本で撮ってほしい。


さて、ずっと気になっていたこのシーラ・ゲーロ監督の『彷徨える河』(最初に見た感想はこちらをお読み下せえ)をアマゾン・プライムで再見した。
私はこれまで『地獄の黙示録』を4回ほど観たがその度に感じるのは、カーツ大佐の背後に槍持って立っている現地の住民たちは何を思っているのだろう--ということだった。外界から来た白人になぜ従うようになったのか、従っている間はどう考えていたのか、そしてカーツがいなくなった後に彼らはどうしたのか?
長いこと疑問であった。

そして『彷徨える河』にはその答えが示されているように思えた。

アマゾン川沿いの密林に住むシャーマンに数十年の時を隔て、二人の学者がそれぞれ会いにやってきて河を下る。
最初のドイツ人と共に途中でカトリックの修道院に寄るが、そこは偏狭な修道僧(白人)と現地の子どもたちしかいない閉ざされた空間だった。
数十年後に今度は米国人の学者と共に同じ修道院を訪れる。もはや修道僧がいなくなった今、そこで起きている混乱と残虐こそがまさにカーツの死後に起こったであろう災厄を想像させるのだ。

それは全て白人たちが勝手にやってきて布教し押し付けた後に、放り出して何もせずにそのままいなくなってしまった事による。
『地獄の黙示録』の主人公は感傷的に不可解な体験を語る。が、結局は勝手に来て勝手に去っただけだ。泣きたくなるのは住民たちの方だろう。これは大いなる「傷」、拭いがたい「傷」なのである。

さて、さらに河を下ってたどり着くのは戦争の地である。映画館で見た時は確認できずよく分からなかったのだが、コロンビアは長年隣国ペルーと紛争が起こっており、この時も戦闘状態になっている。ペルーの旗が掲げられて、銃を持った兵士が「コロンビア人か」と聞いてくるのはそのためらしい。
植民地から脱した国々がたどる困難がここに示されているようだ。

もう一つ、再見して驚いたのは予想以上に『ブラックパンサー』に影響を与えていたことだ(過去にクーグラー監督が「参考にした」と明言していた)。
どこか?と思っていたら、薬草についてのくだりだった。

『河』では現地に伝わる隠された薬草を求めて学者がやってくる、というのが中心の設定である(なお二人の学者は実在の人物がモデルで、それぞれ民族学者と植物学者)。
この薬草はいったん全部焼かれてしまう。しかし最後に一つだけ残っているのが発見されてそれが使用される--と展開する。
原作コミックスではどうなのか知らないが、『ブラパン』でもやはり超人的な力を与える薬草が登場してほぼ同じ経緯をたどる。

さらに、薬草だけでなく現地民の文化を外部の白人に伝えるかどうかの是非が『河』では問題になる。
これは『ブラパン』の特産の鉱物ヴィブラニウムを守るために存在を隠しているという論議と葛藤に繋がる。このように、メインテーマについてはかなり「参考にした」と言えるだろう。

『ブラパン』ではワカンダの首都がアジール的要素を持った理想の街として描かれ、統治者たる主人公はそれを満足気に眺めるというシーンがあった。
一方『ウェイティング・バーバリアンズ』ではやはりアジールであった町があっという間に「帝国」に侵食される過程が描かれる。これはゲーロ監督からの『ブラパン』への返答と考えてもよいだろうか。(うがち過ぎかしらん(^^;ゞ)

それにしても『彷徨える河』で、米国人学者が数十年前にドイツ人が訪ねて来た時と同様に小舟で現れる場面は、再見でも背筋がゾクゾクとするほどの衝撃と興奮があった(マジック・リアリズム❗)。
繰り返しになるが、ゲーロ監督には新作を望みたい。

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2021年5月16日 (日)

「ブラックアンドブルー」/「21ブリッジ」:白黒は決着つかず

210516a「ブラックアンドブルー」
監督:デオン・テイラー
出演:ナオミ・ハリス
米国2019年
DVD鑑賞

言うまでもなくブラックは肌の色でありブルーは警官の制服の色を示す。
故郷の街の役に立ちたいと戻ってきたアフリカ系新人女性警官は、警察と住人の対立の最前線に立たざるを得ない。そして昔の友人からは敵扱いされるのだった。
双方に付くことは不可能、どちらかの立場に取らばならないと忠告されて納得いかずモヤモヤしているうちに、身内の警官の不正と犯罪を目撃してしまう。

--と言うのが発端で、警察署と悪徳警官とギャングのボスから追い回される羽目に。一方、出会うストリートの住民は敵意か無関心、どちらかしかなくて助かる手段は全く見つからない。
ひたすら逃げ回る前半は手に汗握り、サスペンスとして面白かった。追い詰められてどうするかという所ではアクションも見せ場だ。ナオミ・ハリスは熱演である。

ただ見終わって思い返すとつじつまの合わなかったり適当なところもあったなあ(;^ω^)
脇役、特にゲーム少年をもう少し活用する筋立てにすればよかったのでは?とか、ギャングのボス簡単に人を信じてお人好し過ぎじゃないのか……などなど。まあ色々出てくるけど見ている間は気にならないからいいよね🆗

主人公はあくまで行動の人なので黒と青の両者の狭間での葛藤が少ないのは、ちょっと物足りない気もした。
それとガンアクションの最中に、倫理的な問題について理屈っぽい討論をするのは何とかしてほしい(^^;

もう一つの特徴は警官のボディカメラや住民のスマホ映像を多用していること。思わずG・フロイド事件やBLM運動を想起してしまうが、米国での公開はそれよりずっと前で、まるで予見していたようだ。
黒人街の雑貨屋で非常ボタンを押すと、まず店員自身が不審者として犯人扱いされて警官から脅される--この場面は非常に恐ろしい。やってられない気分になること請け合いだろう。

ということで、作りはB級以上A級未満だが、見る価値は大いにあり。


210516b「21ブリッジ」
監督:ブライアン・カーク
出演:チャドウィック・ボーズマン
中国・アメリカ2019年

米国公開時には今一つパッとしない評価&興収だった作品だが、「C・ボーズマン最後の主演作❗」みたいな宣伝文句を出されては見ないわけにはいくめえよ。

事前の印象だと、てっきり切れ者のボーズマン指揮する警察によってマンハッタン島が封鎖され、その中で逃げ場を失った犯人が「あ、この橋もダメ、あっちもダメだ」とジタバタする頭脳戦サスペンスかと思ったのだが全然違った。

ドラッグ争奪事件に端を発する派手な銃撃戦、カーアクション、逃走追跡劇などが立て続けにてんこ盛りで繰り広げられ、その合間にストーリーが挟まって進行するという印象である。
犯人二人組の設定や描写は良かったけど、開始後10分で私のようなニブい人間にも早々に真相が想像できてしまうのはなんとしたことよ。特にとある人物が最初から怪しさ大爆発💥である。もう少し隠す努力をしてほしい。

それからタイムリミット設定が生かされていないのもなんだかなあであった。銃撃戦については撃った弾丸が多けりゃ出来が良くなるわけではないと敢えて言いたい。

とはいえボーズマン最後の雄姿(アクション物での)を目に焼き付けておきたい人には推奨である。「疲れている男」という設定の役だけど確かにやつれているのよ(T^T)


以上、2作とも警察組織内の似たような不正を描いているが、他の映画やドラマでも見たことがあるので、恐らく実際に起こった事件を参考にしていると思われる。米国の作品はこういうの積極的に取り上げるのが常らしい。

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