映画(最近見た作品)

2023年9月16日 (土)

見たら今イチだった! 世評は当てにならない映画その3:「サントメール ある被告」

230916 監督:アリス・ディオップ
出演:カイジ・カガメ、グスラジ・マランダ
フランス2022年

事前に伝わって来た評判がよくても実際見てみたら、自分にはどうもなあ~という案件の最後です。

ヴェネチア映画祭で銀獅子賞(審査員大賞)を取り、絶賛する人も多数の作品。
セネガルからの留学生が幼い娘を海で殺害した実話の裁判劇である。だからといって社会派作品というわけではなく、様々な文化と概念が衝突する混乱を突き詰める思弁的な作品だった。
裁判場面は法廷での発言をそのまま再現したということで、事件の謎が明確に解かれるわけではない。
厳然たる差別が証言者を通して表出する。特に大学教授の発言はひどい。犯人の学生の話すフランス語は完璧だが文章だと不十分だなどと証言する。

並行して監督の分身とおぼしき作家が、傍聴を通して悶々とする様子が描かれる。犯人と自分を重ねて見ているのだ。彼女が自らの母や現状を受け入れる過程が主眼だろう。
しかし、肝心の犯人はほとんど語らず何を考えているのか分からない。普通の法廷ものだと弁護士と面会したり話したりする場面が出てくるが、この映画は全くそういう部分がない。作家のリアクションを通して観客は「恐らくそうなのであろう」と推測するしかないのだ。

ということで、起伏が少ない上に作品のテンポが自分に合わず、気を緩めると眠気のループに入りそうになっちゃう。特に法廷内の映像は動きが少ないこともあり。
また、自らの子を殺したギリシャ神話の王妃メディアについて、パゾリーニの作品をかなり長々とそのまま作中で使用しているのには「こんなんでいいんかい😶」と驚いた。「引用」を越えている。自分の言葉や映像で表現しようという気はなかったのだろうか。既存曲の使い方も『アフターサン』っぽい。

最後に弁護士が語る「キメラ現象」にはおぞけを振るってしまった。女は妊娠すると胎児の細胞が体内を回り脳にまで達するというのである。
な、なんだって~~(>O<)ギャーッ
でも、胎児の遺伝子って半分は相手の男のものだよね……。すると、3人の男と付き合っては別れ、それぞれ子どもが生まれていた場合3人分の男の遺伝子が体内に残っているということか💀 嫌になって別れた相手でも遺伝子が残ってるなんて恐ろしい。

なお、映画は母を称揚する言葉と共に裁判を傍聴する女たちの顔を一人一人映していくが、子どもというのは父親もいなくちゃ生まれないんじゃないの(?_?)
お願いだから母と娘の無限の円環に私を入れないでくれ❌

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2023年9月15日 (金)

見たら今イチだった! 世評は当てにならない映画その2:「ウーマン・トーキング 私たちの選択」

監督:サラ・ポーリー
出演:ルーニー・マーラ
米国2022年

事前に伝わって来た評判がよくても実際見てみたら、自分にはどうもなあ~という案件の続きです。

オスカー脚色賞受賞作。一言で言えば見ててしんどい内容だった。最近見た中では『対峙』に似ていた。閉ざされた場所で限定された人々の対話だけで話が進む。しかも苦しく暴力的な事件が発端だ。役者の技量が試される。

予想よりも遥かに抽象的哲学的な議論が続くので驚いた。しかも根底に流れるキリスト教信仰。理解するのがハードである。字幕を見ていて頭が追い付かない。老化脳だからかしらん(^^;ゞ
しかも昨今のフェミニズムの議論が見事に凝縮されている。なぜフェミニズムを嫌う女がいるのかも明らかにする。

教育、特に文字を読み書きすることは重要であるのを実感した。見ていて思い浮かぶのは、女子の教育機会を与えない一部の国々、『侍女の物語』、山下和美の『ランド』(これは女子に限らないが)。
しかし、彼女たちは話し合いによって最後に自らの行くべき道を選択したのである。

--と、最初は評価した。しかし時間が経って後から考えると思考実験的な設定が大きくて現実性には欠けるような印象だ。元々の「男たちの犯罪」は実話であるとのこと。ただ、その後の設定と展開自体はかなり仮構的なものだ。
男たちは一人を残してなぜか?全員出かけてしまい、女たちだけでどうするか三つの方針に投票が行われる。多数決で決まるのかと思ったら、結局それぞれの意見を代表する3家族がなぜか❔納屋にこもって話し合うのだという。ところがその中の一つの家族は早々に離脱してしまう。なんで❓と巨大なハテナ印が浮かぶのは仕方ないだろう。

思考実験の枠の中で、女たちは読み書きができなくとも意見を主張し高度な抽象的議論を戦わし、他の助けを借りずに独自に結論に至れる、ということをこの映画は示したかったのだろう。
また、それを横から口を挟んだりせず黙って見守ることのできる男が存在することも、である。

しかし、現実には『侍女の物語』のリディア小母みたいな人物が複数いて、女同士で最初から抑圧してきそうだ。若い子や弱った年寄りは一言も喋れない。
高度な議論が可能かどうかは、一応教養ある人々の間で日々SNSで行われている論争のレベルを見よと言いたくなる。
果たして、本当に書記係のような男がいるのかどうか? そりゃ一万人に1人ぐらいはいるだろう。
……などと言っても仕方ないことではあるな( -o-) sigh...

某有名曲が異物の如く作中に闖入してきたのには驚いた。これは良かった点だ。『アフターサン』の監督はこういう使い方を見習ってほしい。
エンドロールでは歌詞の字幕を付けてほしかったぞ(~o~)

最後に書記係のオーガストかわいそうなどと思ってしまった。ベン・ウィショー、泣き顔の似合う男だぜっ😢
画面がモノクロっぽくて暗いのはわざとやってるのかな。映画館以外で見たら何が映っているかよく分からなかったりして。

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2023年9月13日 (水)

見たら今イチだった! 世評は当てにならない映画その1:「aftersun/アフターサン」

230913 監督:シャーロット・ウェルズ
出演:ポール・メスカル
イギリス・米国アメリカ2022年

事前に伝わって来た評判がよくても実際見てみたら、自分にはどうもなあ~という案件を連続投稿します。

見たいような見ない方がいいような、そもそもどういう映画なのか不明だしな--と迷っていたけど激賞のツイートが次々とネットを流れてくるので行ってみた。
しかも主役のポール・メスカルはオスカーの主演男優賞にノミネートされたではないか。一見の価値はあるだろう。

結果⚡「いくらみんな誉めていてもダメなものはダメ(><)」というしごく当たり前の結論となった。

普段は離れて暮らしているらしい若い父親とローティーンの娘が観光旅行へ。しかもそれを大人になった娘が後年振り返っているという構成になっている。今や父親と同じぐらいの年齢になった娘が、その時撮ったビデオを見て回想するという設定だ。
余白が多いように切り取られた世界はとても美しく見える。ビデオカメラ、モニターの表面、ガラス戸、鏡に映る映像は複雑で謎めいたものを醸し出す。

しかし(;一_一)フラッシュを使った映像が頻繁に出てきて頭がクラクラする。長い時間ではないがビデオの手振れ画面も苦手だーっ。
わざと設定しているのだろうけど二人の会話がベタッとした音なのもつらい。背景の音響も一部ガンガン来る。

この父親が常に鬱屈を抱えていて、成長した娘がそれに自らを同一化しているらしいのは分かるが、作品中の最もキモとなる場面に既存の有名曲を使って代弁させてしまうのはいかがなものか。ある種の手抜きじゃね?
しかもその鬱屈が何なのかは最後まで明らかにならないのである。それどころか画面のどの部分が実際に起こったことなのか、二人のどちらかの幻想なのかもはっきりしないのだ。

そういうことが気にならない人はこの映画を受け入れられるだろう。私はダメだったが。

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2023年9月 3日 (日)

「帰れない山」:友情は山小屋と涙とため息か

230903 監督:フェリックス・ヴァン・ヒュルーニンゲン、シャルロッテ・ファンデルメールシュ
出演:ルカ・マリネッリ、アレッサンドロ・ボルギ
イタリア・ベルギー・フランス2022年

イタリアの都市トリノに住む少年が夏休みだけ山村にある家で両親とともに過ごす。そこで村でただ一人の子どもである少年と知り合う。
この境遇も性格も対照的な二人の長年に渡る友情を描く。原作はイタリアのベスセラー小説とのことだ。

村の少年ブルーノは貧しく親戚の家に厄介になって、教育も受けられず牛飼いをしている。都会育ちのピエトロは体格は貧弱、内向的で家にこもっている。
正反対ではあるが二人は仲よくなり、登山愛好者であるピエトロの父親と共に山歩きをする。

思春期には疎遠となり、成人となってからとあるきっかけで再会することになる。
さらに歳月を重ねるうちに、子どもの頃は元気な野生児✖引っ込み思案な子だったのが、一人は頑固で閉じこもり、もう一人はふ~らりフラフラと風来坊ぽくなって逆転交差してしまうのが、人生何がどう変わるのか分からなくて興味深い。

その背景にはいつも美しい山があり、画面の中からグイと迫ってくる。風景が非常に素晴らしい。
とはいえかなり厳しく奥まった山中--ここで撮影するのは大変そうだ。道路なんかないだろうし、機材はどうやって運んだのか。空路❓ しかも各季節ごとに訪れては撮っているはずだから余計にそう思える。

しかし、前半は良かったのだけど後半に来ると、見ててどうも登場人物同様にあてもなく戸惑っているように感じた。中心の役者二人は文句なし。編集のせいだろうか。
雪の重みならぬ、2時間半弱の長さを保持する支持力がなかったのか。映像の美しさは充分なのだが。

それと、作中でどうも明確に描かれていないが、ピエトロの両親がブルーノを引き取ろうとする場面でピエトロは反対する。その時いかにも彼を思いやっているような理由を述べるのだが、どう考えても自分の家に来てほしくないと思っているが故の発言だろう。ただ、はっきりとそうは断定してはいないのだよね。
で後年、親が陰で知らぬうちに他所の子どもをかわいがってたと知ったら、いくら疎遠だったとは言え嫌だと感じるのではないか。
そこら辺の葛藤がやはり出てこない。原作はどうなのだろうか。

音楽はオリジナルの英語の歌で、全て同じ歌手が歌っているもよう。ややベタな感じである。
カンヌで審査員賞を受賞。同じ賞を分け合った『EO』と同様にロバが登場するけど、ロバは元気です!

それと、非常に大事なことなので一度だけ強調文字で言います。
ルカ・マリネッリはヒゲを生やしてもカッコエエです(^O^)/


*追記:ブルーノとピエトロを書き違えてた部分を修正しました。

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2023年8月24日 (木)

「TAR/ター」:立てば指揮座れば作曲歩く姿はハラスメント

230824 今年度上半期最大の話題作・問題作なのは間違いなし⚡
ケイト・ブランシェットが、ベルリン・フィル初の女性主席指揮者にして同性愛者、激しい権力志向、セクハラ、パワハラ当たり前という特異な人物を、事前の予想を遥かに超えて見事に体現していた。主人公の秀でた才能(と実は必死の努力も)と共に尊大さ、卑賎さを容赦なく描き出している。
彼女の個人芸をみっちり見せられたという感があり、もう頭からしっぽまでケイト様がギュギュッ🈵と詰まっていると言ってよい。

人事権を振り回し、能力無視でお気に入り奏者をえこひいき、専横のナタで一刀両断、小学生に対しても手心は加えず。返す刀で「差別野郎のバッハの音楽は聞かない」という学生を厳しく問い詰めてとことんやり込める。

だが一筋縄にはいかない。映画としては持って回ったようないわくありげなシーン続出、どうも鼻をつままれたような気分だ。そもそも常に彼女を隠し撮りしているのは誰だ? ラインで悪口書き合っている二人も誰かは明確でない。演出脚本編集映像、何一つそのままには受け取れぬ。頭が混乱してくる。
一体どう見たらいいのか(◎_◎;) そもそも一回見ただけでは分からない(一瞬で通り過ぎる場面が重要だったり)箇所が多数というのもなんだかなー。

ホラーっぽいのも余計に混乱に拍車をかける。幽霊やら怪奇現象が主人公の混乱による幻影でなくて、実際に出没しているという設定ならもはや何でもありだ。
そのせいか、人によって解釈が様々に分かれる。いや、見た人の数だけ解釈はあると言っていいだろう。

そもそも敵が多いうえに、栄光の極みでキャンセルカルチャーがらみで失脚する。その没落後の描写に結構時間をかけているのに驚いた。これが鼻持ちならない横暴な中年男だったらラストシーンは皮肉だと思えるが、ブランシェット扮する主人公はあまりに魅力的なのもあって、どん底を脱した前向きな結末に見える。

ラストをアジア蔑視、ゲーム音楽差別と見る人も多いようだ。しかし、それまでを思い返してみると指揮者と演奏家(あと作曲家も)の中だけで展開して「聴衆」は登場しない。なにせ冒頭のインタビューで「リハーサルですべて完成してしまう」と語っているぐらいだから、本番の演奏で聴衆がどう反応しようと関係はないのだ。
作曲家-指揮者-演奏家で成立する閉ざされたサークル--しかしラストで初めて聴衆が登場するということは、主人公にとって新たなフェーズに入ったことを示している。過去の因縁の堆積、栄光と失敗の歴史などからほぼ逸脱しているジャンルと聴衆だからこそ新しい未来は可能となる🌟と思えた。

変な映画に違いないが面白かったのは確か。158分もあっという間だ💨 ただトッド・フィールド監督の作品は初めて見たが、他のも見たいという気にはあまりならなかったりして……。
ケイト・ブランシェットは実際にオーケストラを指揮したり、バッハをピアノで弾きながら講釈したりと驚くべき役作り。さらにほぼ画面に出ずっぱりだが全く飽きさせない。
最終的にアカデミー主演女優賞を取り損ねた問題については、たとえ神技に近い怪演といえどアカデミー賞の性格上、投票者が「ケイトはもう既に貰ってるし、これからもまたチャンスがあるはず」と考えてミシェル・ヨーに投じても仕方ないなと思う。私だってそうしたかも。

また、クラシック音楽についてのウンチク話や議論がかなり多かった。指揮者論に始まり、音楽と時間の関係、過去の作曲家についてなどやたらと長く語られる。クラシックファンが食いつきそうな内容なのだが、燃え上がっているのは映画ファンの方が圧倒的に多かったのは不思議だ。
クラシック音楽業界の歴史というかゴシップというか、あまり詳しくないのでこちらのブログ評はかなり参考になった。過去の指揮者の因縁、レコード蹴っ飛ばし場面の意味、英国音楽は下に見られている、などなど。

そして問題の「バッハは20人も子どもを産ませた差別主義者だから作品を聞かない」である。まあ、わざと分かりやすくバカバカしい例を選んだのだろうと思うけど(^^;
この発言した学生への攻撃を主人公はやり過ぎだという意見を幾つも見たが、冗談ではない。私だったら廊下の端まで投げ飛ばしてやる~(`´メ)
バッハ先生の名誉のために、同時代作曲家の子どもの数を調べてみた。正直言って作品数はあるが実際の子どもについては記述のないものが多い。

テレマン10人、ドメニコ・スカルラッティとブクステフーデ5人、シュッツとラインケン2人。ヘンデルは諜報活動にいそしんでいたためか0人、あとヴィヴァルディもなし--って一応カトリックの司祭だから当たり前か。
ということでバッハの20人はさすがに多いという結論になる。もっとも最初の奥さんと添い遂げてたらこんなに多くはなかったと思うが。
そんなことを言ったら、今の世に8人目の子どもができたと発表したジョンソン元英首相はどうなる。ミック・ジャガーも8人いるらしいがあくまで公称で、はて実際は😑

それと現在だって子どもが多くても犯罪にはならない。一方、ジェズアルドなんか浮気した妻と相手の男とついでに自分の子どもまで殺害している。現在の日本の基準で言えば死刑間違いなし(゚д゚)! でもジェズアルド作品は普通に聞かれてるよねー。


今回他の人の解釈を知りたくて色々と検索したが、文章よりYouTubeでの動画投稿で語っている人が遥かに多いのに驚いた。米国からスクリプト取り寄せてまで分析している人がいたり。
もはやテキストベースで周回遅れで映画の感想書いている時代ではないのね(+o+)トホホ 自らの無知を反省である。

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2023年8月 6日 (日)

「モリコーネ 映画が恋した音楽家」:見てから聞くか、聞いてから見るか

230806 監督:ジュゼッペ・トルナトーレ
出演:エンニオ・モリコーネ
イタリア2022年

最初は見る気がなかった。なぜかというと157分⏩という長尺だし、モリコーネが担当したような昔のイタリア映画はほとんど見てない。トルナトーレ監督の『ニュー・シネマ・パラダイス』だって未見なのであーる。
しかしあまりに絶賛評を多く見かけたので行ってみた。

その結果、なるほどこれは映画館で鑑賞するのがデフォルトだと納得した。だって映画音楽なんだもん(*^▽^*)
そしてタイ焼きのように頭からシッポまでモリコーネとその音楽がギュッと詰まっている印象である。堪能しました♪

ドキュメンタリーとしては本人や周囲の人々のインタビューで彼の経歴をたどっていくわけだが、最初から順風満帆なわけはない。音楽学校へ行ったものの就職口がなく、クラブやキャバレーで演奏したり編曲したり。
映画音楽の世界へと進むも、当時は低級な音楽とされていたため恩師と疎遠になる。売れっ子になって様々な作風で実験的な試みをしたり、と思えばまたオーケストラ路線に戻したり。
色々と事情あってキューブリックとの仕事を逃したのは残念無念とのこと。もし仕事してたら二人でチェスを指したかな。

というようないきさつを実際の音楽と共にたっぷりと見せて聴かせてくれるのだった。
私は未見の作品があまりに多くて反省。本作を見た後に『ミッション』をようやく鑑賞した。本人は絶対にアカデミー作曲賞を獲得すると確信していたのに、なぜか取ったのはハービー・ハンコックという……❗❓

非常に多くの人々が彼について語る中、パット・メセニーが何度も登場してて、彼がモリコーネに傾倒しているのを初めて知った。同じような方向の音楽を目指しているらしいこともだ。
メセニーの音楽はガチなジャズからオーケストラを付けたような作品まで多種多様で、チャーリー・ヘイデンとのアルバムではカバーしてもいるが、取り上げたからと言ってそこまで傾倒しているとは思わなかった。
しかしそういわれてみれば納得である。

近年、音楽ドキュメンタリーが次々と公開されているがその中でも見ごたえ聞きごたえ大いにありの一作だろう。

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2023年7月28日 (金)

「幻滅」:パリへ行きたしと思へども、パリはあまりに冷たし

230728 監督:グザヴィエ・ジャノリ
出演:バンジャマン・ヴォワザン
フランス2022年

原作はバルザック、舞台は19世紀前半のパリという華麗なる歴史ものである。2時間半という長尺で、大道具小道具衣装など当時の雰囲気をたっぷりと味わわせてくれる。

印刷所で働きつつ田舎でくすぶっていた詩人志望の若者は、青雲の志を抱いて花の都へ出奔する。もっともその背景には年老いた夫に満たされぬ貴族夫人との情事が原因で、故郷にいられなくなったということもあるのだが……。
という冒頭から分かるように、かなり『バリー・リンドン』と設定が似ている。しかも辛辣なナレーションが要所要所で事前にことの次第を語るのも同様だ。

転がり込んだあやしい小新聞社ではうさん臭い記事を書き飛ばして売上げを伸ばすのが常である。他にメディアのない時代ゆえ、一面に大々的に載る書評や演劇評が大きな影響力を持っている(今では信じられないが)。
わざと批判的な評を書いては論争を起こしてその本を売るという炎上手法は当たり前。さらには読まずに書評を書くという荒技🈲も珍しくはない。記事と広告は紙一重だ。
活気と悪徳と退廃に満ちたパリで、ウブな純朴な青年であった主人公はたちまちに売文稼業に順応し、文才をいかんなく発揮して人気と地位を得るのだった。
演劇関係者なら金を貰ってブラボーとブーイングを飛ばす商売が気にいるかも。

いずれにしろ「批評」が力を持っていた時代の話。でも今は紙の新聞は没落したとはいえ、わざと批判的な評を書いて論争を起こしてその本を売るという手法はネット時代も健在のようである。炎上ツイートにちゃっかり自著の宣伝を併記したりして……なんてこともありましたな(^^;

しかし一瞬の間栄華を得ても長くは続かぬ。生き馬の目を抜くような当時のパリでは失脚するのも早い。落ちぶれる描写も容赦なしっ。
とはいえ先ほど『バリー・リンドン』に似ていると書いたが、あれほどには冷笑的ではない。バルザックの原作の一節を引用したラストに、キューブリックとは違って哀れな主人公への監督の「愛」を感じたのであった。

悪役として侯爵夫人が登場するが、しかし一見弱者のように見えて一番悪いのは最初に主人公をパリに連れて行った貴族(男爵だっけ?)夫人ではないだろうか。彼がこのような事態に陥ったのも彼女が原因だし、終盤で再開する場面は結局彼をどのように見なしていたのか明らかになりアチャ~(・・;)という感じである。

彼女を演じるセシル・ドゥ・フランスは美しく賢く弱く不幸であると同時に、若者を利用する狡い女を見事に体現している。
もう一人面白い人物はジェラール・ドパルデュー扮する、自らは字が読めないにもかかわらず出版界を牛耳るボスだ。実際にモデルがいたのだろうか(?_?)

なお、劇伴音楽についてはバロックの曲がかなり使われていた。エンドロールで確認しようとしたが字が小さすぎて読めず失敗🆖
ラモーは作中で演奏場面があった(主人公の家のパーティだったかな)。

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2023年7月15日 (土)

「ノースマン 導かれし復讐者」「グリーン・ナイト」:伝説は語る、英雄と母親ののっぴきならぬ関係

230715「ノースマン 導かれし復讐者」
監督:ロバート・エガース
出演:アレキサンダー・スカルスガルド
米国2021年

『ハムレット』の原型となった伝説を元にしたファンタジー……といっても「剣と魔法」ではなく、原初的な中世北欧神話劇だった。
時代は9世紀、舞台は広範囲に及びスカンジナビア地方、北大西洋、スラヴ地方、ロシアさらにアイスランドへと向かう。

主人公は父王を殺し母を連れ去った叔父を探して、ひたすら復讐につき動かされる。彼を神々や死者の使いが手助けし、そこに理知の光はない。闇の中で全ては動き、炎さえも光とはならず闇へと吸い取られていく。それを映像がよく表している。
見ているうちにさらに暗黒ホラー味が増してきて、暗い情動にドキドキ💓するのであった。
しかし主人公はそんな闇に背を向けようとする。

エガース監督の前作『ライトハウス』とは、今回は剣戟アクション風で逆方向だが、ままならぬ状況の中でグルグル回っているのは同じかもしれない。
村を襲撃して村民を奴隷にする件りなど全くもって容赦のない描写で思わずギャーッと叫びたくなった。とはいえ残酷シーンは自体は暗い場面中心で、直に描かれるところはそれほどない。

さらに音響や音楽も迫力十分。映画館での鑑賞を推奨したいところだ。監督が撮影中にヘヴィメタルを聞きまくっていたとインタビューで話していたが、確かに見ててメタルの高揚が合いそうだと感じた。
もっとも実際は民族楽器は使用しつつパーカッションと弦が中心だった。

脇役にウィレム・デフォーやビョーク(巫女役!)が出ていてなにげに豪華出演陣だ。
作中の女性像については、現代ではなく時代背景に忠実な女性像を描いたとのこと。確かに中世が舞台なのだから今様の人物が出てきてもしらけるに違いない。アニャ・テイラー=ジョイよりも、ビョークよりも、げに恐ろしきはニコール💥 最後まで見た者はそれを思い知るであろう。

難点はいささか長いこと。途中で「ここら辺は10秒ぐらい切ったらいいのでは?」みたいな場面が複数出てくる。あと5分短かったらスッキリしたのに--という感じだ。

ところでソリルという名の登場人物が出てきて、それでマンガの『クリスタル・ドラゴン』のことを思い出した。続きはどうなってるのよ~(`´メ)
各地の勇者どもが集合して戦いが始まるはずではなかったか……❓


「グリーン・ナイト」
監督:デヴィッド・ロウリー
出演:デヴ・パテル
米国・カナダ・アイルランド2021年

正直言って今一つピンと来なかった映画である。
元となったガウェイン卿の物語は大昔ウン十年前に読んだ記憶がある(ローズマリ・サトクリフか?)。もちろんほとんど覚えていないのだが、アーサー王伝説のエピソードというより民話風の奇想天外な話のようだ。

そんな英国中世騎士譚を巧みにロケを生かし映像美で蘇らせている。といっても中世だから基本的に小汚くて暗く卑俗な世界であり、人の首が転がり巨人やら怪しいキツネが行き交う。
ただテンポがのろ過ぎ……最初の10分見てこの調子で続くのかー💨と思っちゃった。後半はやや早くなったけど。

鑑賞する前に目にした感想で「昔のロックバンドのプロモビデオっぽい」というのがあった。メンバーが中世風のいでたちで出てくるというヤツ。実際見てなるほどと納得した。
メッセージよりまずイメージで押してくる。引き付けられるがずっと見続けるかは個人の好みによるだろう。
ちょっと外したようなこのタッチは正直苦手だ。この監督、他の作品もこんな感じだっけ(?_?)

未熟な若者が母親の干渉と支配をいかに逃れて敷かれたレールから脱出するか、がテーマということでいいのだろうか。魔女である母はモルガンなのかと思ったらアーサー王の別の姉だったのね。
英語が分からないのでラストの一言の意味がどうもピンと来なかったのが残念無念である。

途中で主人公が追いはぎに遭ってそのまま死んでしまう場面があって、それが逆回しで元に戻って違う展開になる--という件りがあったのだが、なんでこんな部分を入れたのか理解できなかった💦
別になくてもいいし、そもそもこの物語全体がそういう構造になっているのだから、中間で見せなくてもいいのではないかと思っちゃう。

グータラ息子から冷徹な王様まで、ほぼ出ずっぱりで熱演なデヴ・パテルはご苦労さんである。アリシア・ヴィキャンデルの二役は気付きませんでした(^^;;;
現代音楽っぽい劇伴にトラッドっぽい歌がからむのが独特の印象だった。

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2023年7月13日 (木)

「ベネデッタ」:イエス様萌えだけじゃダメかしら

230712 監督:ポール・ヴァーホーヴェン
出演:ヴィルジニー・エフィラ
フランス・オランダ2021年

満員御礼🈵の映画館にて鑑賞。
ヴァーホーヴェンの尼さんものだって♪いかがわしそう~とケン・ラッセルの『肉体の悪魔』を期待して行ったら、よもやの山岸凉子案件だった。全国200万人(当社推定値)の山岸ファンは見に行くといいかもよ。

17世紀イタリアはトスカーナ地方の実在の人物であるベネデッタ。資産家の両親は幼い娘が霊感少女だったため持参金と共に修道院に預けることに。当時の修道院というのは金がないと入れなかったらしい。なにせ厳格そうな院長が「慈善事業ではない」と言うぐらいなのだ。

えっ、慈善ではない……(^^?ハテ
見ていると、当時の女性が単独で生活していける唯一の仕組みというのが修道院のようだ。持参金を持って入り、元気なうちは宗教行事や生産をこなし、老後を最後まで看取ってもらえる場所である。
院長にしても夫に先立たれて資産を持って娘と共に入ったのではないかと推測できる。

だがいかんせん狭い集団内。様々な思惑が交錯し、結局は信仰の沙汰も金次第、組織の上には塞ぐように男たちが存在し、さらにその上位にはピラミッド状の絶対権威の教会がある。
--その秩序を唯一打ち壊すのが主人公の起こす「奇跡」なのである💥

とはいえ彼女は修道院に飛び込んできた娘といかがわしい行為にふけり、さらには院長の座まで奪取してしまう。一方で子どもの頃からのイエス様熱烈ラブ💖は変わりない。
ヴァーホーヴェンはそんな彼女の信仰はもちろん残酷もエロもツルツルと(とらえどころなく)アッケラカンと描写する。
あのマリア像については笑うところかな(^^?

もっともベネデッタは見ようによっては相当にうさん臭くふてぶてしい人物である。これは監督のこれまでの作品のヒロイン像に合致するようだ。
反逆者か狂信者か……冒頭で「山岸凉子案件」と書いたが、山岸凉子だったら院長の眼から見た彼女を恐らく辛辣に描くだろう。
しかし最後の最後に町を襲う狂騒は間違いなく『肉体の悪魔』なのだった。

主役のヴィルジニー・エフィラは46歳\(◎o◎)/! うっそ~⚡ あまりにピチピチしている肉体。ぜひお肌の手入れ法を伝授していただきたい。
でも院長役のシャーロット・ランプリングの枯れた演技はそれ以上の魅力ありよ。

なお、これまで知らなかったのたけどヴァーホーヴェンは『ロボコップ』=キリストの復活譚として作ったらしい(ビデオのコメンタリーでそう語っているとか)。ではその復活を目撃するナンシー・アレンの同僚警官はマグダラのマリアなのか。
となると、本作でイエスさん愛にあふれて十字架に駆け寄るヒロインは実は監督ご本人ということかしらん(?_?) こりゃビックリだ。


音楽面では、修道女たちの讃美歌の合唱と共に、豪華な装飾のあるハーディガーディとトレブルガンバを演奏するシーンが出てくる(ヒルデガルド・フォン・ビンゲンの曲を使用)。
あと院長の娘がポジティフ・オルガン(背面にふいご付き)を演奏していた。

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2023年7月 6日 (木)

映画落穂拾い2023年前半編その1

遂に「落穂拾い」発動🌟 感想書いてない映画がたまりまくっています。

「SHE SAID/シー・セッド その名を暴け」
監督:マリア・シュラーダー
出演:キャリー・マリガン、ゾーイ・カザン
米国2022年

有名プロデューサーH・ワインスタインの長年に渡る性犯罪を報道したニューヨーク・タイムズ報道チームを描いた実録ものである。

原作は出版時に読んだが、およそ映像化には向いていないような地味な内容だ。ひたすら取材対象を探し、探し出したら説得し、記事にしたら告訴されないように検討を社内で検討を重ね……よくうまく映画にできたと感心した。

二人の記者の私生活の描写を結構入れているのは、固いイメージになり過ぎないのと、平凡な日常生活を送る人間が記事を書いていることを印象付けている。それを横糸として、さらに一方で冒頭に登場した女性がその後どうなったかを縦糸として入れてメリハリをつけていた。
ただ、出てくる名前が多くてやっぱり混乱しちゃう(@_@;)

美しい風景のシーンが多いのは殺伐としている話の中和剤代わりかな。
文句を付けるところはないのだが見ててハラドキする要素に欠ける。社会的意義は大きい作品と思うけどさ……💦
背景にトランプの台頭・当選という時代の憂鬱が見て取れた。

邦題はオリジナルのタイトルと邦訳本の書名を合体させたものだ。もう少し何とかしてほしかった。同じ題材で評判となったニューヨーカー誌のローナン・ファローの本も読んでみたくなった。しかし積読にならない自信がない(--〆)

230706a
「マッドゴッド」
監督:フィル・ティペット
出演:アレックス・コックス
米国2021年

特撮職人フィル・ティペットのストップモーション・アニメ、久方ぶりの新作である。アレックス・コックスが役者として出演している(本業の監督の方はどうなってるの?)ということもあって見てみた。

作品の背景としては、ティペットが30年ぐらい前に地道に作りためていたシークエンスをCG時代が来たため放り出してたものの、近年にスタジオの若手たちが「モッタイナーイ」と言ったかどうかは知らないが(^^;完成させたという。なので一つの作品としての統一感は全くない。

カタストロフ後の地球の地下世界、全編リキの入ったグロテスクでドロドロした描写に覆われている。ただ強過ぎる刺激が続くと、耐性ができて慣れてしまうのが難だ。
突然ストーリーが中断して『ニューヨーク1997』風のエピソードが展開したり、モロに『2001』になってモノリスが何枚も飛んだりする。これだったら数篇に分けてオムニバス形式にした方がよかったかも。さらにA・コックスは顔出し程度だった。

見ていて、酉島伝法の『皆勤の徒』をこれで映像化するとぴったりではと思った。「社長」みたいなキャラクターも出てくるし(^◇^)

観客層はてっきり中年以上の特撮SFオタク男性ばかりかと思ったら、なんと男女半々だった。ビックリだ❗❗

先日『スターシップ・トゥルーパーズ』を再見したが、ティペットの仕事ぶりは見事というしかない。虫🆖が苦手な人間には厳しいけどな(歳取ると段々耐久力が減ってくるのよ)。

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「トリとロキタ」
監督:ダルデンヌ兄弟
出演:パブロ・シルズ、ジョエリー・ムブンドゥ
ベルギー・フランス2022年

ダルデンヌ兄弟の新作の主人公は、アフリカ大陸からベルギーへ渡って来た十代の疑似「姉弟」である。本当は他人なのだが、事情があってそのように称しているのた。
隙あらば搾取しようとする周囲の大人たちに対して二人は協力してなんとかやり過ごし、あわよくば上前を撥ねようとする。
その苦闘と非情の世界を描いて容赦がねえ~⚡とはこのことだいっ。

長ーい映画が多い今日この頃、上映時間89分はある意味潔い。余分な描写は一切なし。無駄をそぎ落として直截に迫ってくるものがある。

「姉」のロキタは大柄で母性を感じさせるが実際は繊細で弱々しい。ローティーンの「弟」トリの方が落ち着いていて機転が回り、支えているような印象だ。
彼らは危ない橋にどんどんとはまり込み渡っていく。子どもがこんなことやって大丈夫なのか(~_~;)ハラハラ--と観客が保護者目線で見てしまうほどだ。
しかしゼニ💸がなくては生きてはいけぬ。そして世間は血も涙もない。感傷を一切挟まない静かな「視線」がかえって饒舌にこちらを圧倒してくる。

ダルデンヌの「音」の使い方には特徴がある。『ある子供』で札の枚数を延々と数えるヌルヌルという音。まさに容赦ない資本主義の響きとして迫ってくる。
今回はベルトの金具だ。普通に使われているような音だがここでは不快の極みで禍々しい。思わずギャーと叫びたくなった。
はて(?_?)こういうのも音響効果というのであろうか。
それと相変わらず「動作」の描写が秀逸だ。(少年が自転車をこぐところ、厨房のシェフなど)

それにしてもいくら金のためとはいえ、あそこに3か月もいるというのはつらい。引きこもり者ならできるかしらん🆘

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