映画(最近見た作品)

2018年9月13日 (木)

「ルイ14世の死」:実録・あの人の最期は

180912
監督:アルベルト・セラ
出演:ジャン=ピエール・レオ
フランス・ポルトガル・スペイン2016年

ルイ14世が病床に就き臨終を迎えるまでの数週間を、ジャン=ピエール・レオがひたすら演じ続けるというので話題になった作品である。
冒頭以外はずっと王の寝室と控えの間ぐらいしか登場しない。彼はほとんど寝たきりで、半分眠っているかごく少量の食事を取るぐらいしかしない。
周囲には侍従や医者たちがいて、たまにマントノン夫人や王太子などが見舞いに現れては消えるぐらいだ。
そういう点ではかなり退屈である。

見ててこれはJ・P・レオのパフォーマンスをひたすら見る映画だなと思った。こういうパフォーマンス系の作品がたまにある。
私が最初に意識したのはM・ハネケの『セブンス・コンチネント』である。
これは映画館で初めて見たハネケ作品で、上映したユーロスペースは満員だった。座席はすべて埋まり、私は通路に座って見た。この監督はこんなに人気があるのかsign01とビックリしたもんである。
しかし、同じ映画祭で他の作品はそんなに客が入っていなかった。要するに『セブンス・コンチネント』は、一家が自宅の中の家財道具を壊しまくるシーンが延々と続くのだが、その行為が話題になっていたので、みんな見に来たらしい--とかなり時間が経過してから気付いた。

映画のテーマとか意図とか演出とか関係なく、作品の中で行われるパフォーマンスを特化して見るということはある。
派手なアクションがある映画では「細けえことはいいんだよ」と大雑把な展開だったり、見事な特撮の怪獣が暴れ回るような内容ではまず一番の注目は怪獣impactである。さらには『ウィンストン・チャーチル』だってそうだろう。あれは英国の宰相の伝記を見に行くのではない、G・オールドマンの名人芸とメイクアップを見るために行くのである(そうだと意識してなくても)。

で、本作もやはり同じように感じた。観客が延々と眺めるのは瀕死状態のJ・P・レオなのである。
当時の史料を元に再現し、小道具や衣装もそのまま復元し、ドキュメンタリー風に撮っているとのこと。その割にはルイ14世の本物の寝室は派手過ぎなのでやめた、というのは、ちといい加減ではありませんか。
あと、音楽好きの王だというのに音楽がほとんど出てこない! 古楽ファンは期待して行くとガッカリであるdown
唯一、宗教曲らしいのが流れるのだがなんとモーツァルト……(・o・) エンドロールにはクープランの「スルタン」が流れるが、大仰なオーケストレーションによる演奏だ。

瀕死パフォーマンスを楽しめるのならいいが、そうでない人は眠ってしまっても仕方ないだろう。

ラストにビックリするような場面が出てくるが、これを蛇足として見るかシニカルかつ批評的視点ととらえるかによっても、評価は異なってくるだろう。

監督は『アンナ・マグダレーナ・バッハの日記』を撮った映画作家ユイレ&ストローブの後継だそうだが、正直50年早いと思った。


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2018年8月23日 (木)

「マルクス・エンゲルス」:ジャスト・ザ・トゥー・オブ・アス 萌える革命

180823
監督:ラウル・ペック
出演:アウグスト・ディール、シュテファン・コナルスケ
フランス・ドイツ・ベルギー2017年

flairマルクス生誕200年ですよ。原題は「若きマルクス」で邦題は「マルクス・エンゲルス」。当然『マルクス=エンゲルス全集』があるんで、こういうタイトルになったんだろう。しかし、これだとフ女子ならずとも「で、どっちが攻めでどっちが受けなんですか~(^^?)」と質問したくなるのは仕方あるまい。

実際、見てみるとそういう内容……ではもちろんないsign01
19世紀中ば、若いマルクスはドイツで政治活動のため検挙→パリで出版事業、エンゲルスと意気投合→退去命令を食らってベルギーへ→食い詰めて英国にも出没する。
貴族出身の奥さんを伴い(駆け落ち?)子どもも生まれるが、常に生活不安定。

エンゲルスは金持ちのブルジョワの子弟で、英国では工場の運営を任される一方で、階級搾取問題に目を向ける。
私生活はぶっ飛んでいたもようで、伝統的男女関係なんかは無視である。さりげなくマルクスの金銭的援助もしたりする。

二人とも若いんで思想的師匠や政治活動の先輩にケンカ売ったり、豹変したり、暴走気味だ。そんな彼らが欧州を行きつ戻りつしながら、政治結社「正義者同盟」の内部抗争に打ち勝ち「共産党宣言」へと至るまでを描く。ヤッタネpunchと喜びに燃えたくなる。

ただ、ヤクザの抗争とは違ってそれほど起伏ある物語とはならないため、なんとかメリハリをつけようと苦労している様子がうかがえた。最初の方のベッドシーンはなくてもいいんじゃないの?という意見に、私も賛成である。
マルクスの奥さん(ヴィッキー・クリープス好演)は同志的存在で、討論などに加わって堂々と意見を述べている(エンゲルスのパートナーのバーンズも同様)のは、そうだったのか!と驚いた。女はすっこんでろい<`~´>とか言われないのね。
ハリウッド映画ではないので、作中で使われている言語はそのまま独・仏・英三か国語が入り乱れる。ま、日本ではそのまま全部字幕だからあまり齟齬を感じないがsweat01

エンディングは突如ボブ・ディランが流れて、歴史物から急に現代へと直結するのが新鮮だった。
監督のラウル・ペックは日本で同時にドキュメンタリーの「私はあなたのニグロではない」も公開されるという珍しい事態。私は、ディランが最後に流れたのを取り違えて書いてしまった。こちらの方でしたな(^^ゞ
作った作品数は少ないが、今後も注目の人だろう。
岩波ホールは珍しく(!o!)若い人もかなり来ていて混んでいた。

エンゲルス役のシュテファン・コナルスケは青い瞳が大きくキラキラshineしていて、何やら熱に浮かされたように人を引き込む魅力がある。マルクスが意気投合して思わず額にキスしてしまうのもむべなるかな、という感じだ。実物のエンゲルスもこんなだったのだろうか。
というわけで、やっぱり「どっちが攻めでどっちが受けなんですか~(>O<)」と聞きたくなってしまうのであるよ。


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2018年8月18日 (土)

「ウインド・リバー」:スノー・アンド・デッド 闇に向かって撃て!

180818
監督:テイラー・シェリダン
出演:ジェレミー・レナー、エリザベス・オルセン
米国2017年

半年前ぐらいだろうか、米国映画情報番組で興収ランキングに入っていて紹介されてて、是非見たいと思ったのがこの映画である。
その後日本で音沙汰なくて、果たして公開されるのか危ぶんでいたのだが、ようやくロードショーの運びとなった。
メデタイヽ(^o^)丿

で、実際見た感想はというと……うーむ、正直期待し過ぎたのかなあ(+_+)というもんだった。

米国はワイオミング、先住民の居住地で若い娘の死体が発見される。雪の中、極寒なのに裸足で手袋もなし。近くに住居はなく、レイプの痕跡あり……。
FBIの女性捜査官が派遣されてきて、死体発見者のハンターに協力を依頼する。なにせ、広大な地域なのに地元の警察は6人しかいないのだ。

雪の広野の中に横たわる死体--極めて興味を引く発端で期待も高鳴るというものだ。
しかし、この捜査の中心となる二人ともが白人というのは何とかならんかったのだろうか? どちらかが先住民かまたはその血を引いているぐらいの設定にしないと、物語の趣旨に合わない。
しかも、エリザベス・オルセン扮するFBIは、その人物のバックグラウンドがほとんど描かれず(「フロリダ出身」というぐらい)、「若い/女性/事情を知らない/捜査官」という記号的な存在以上のものではないのである。
いくらオルセンが涙を流して熱演しても、これはいかんともしがたい。

それから、石油掘削地って企業の私有地扱いなのか? 武装した警官何人も連れて行かねばならないということは治外法権みたいになってるのか? ほとんど説明がないのでよく分からない。(そこで、騒動が起こりそうになった時に、警官の一人がFBIに「見なかったんだな!」と詰め寄るのもなんの事か分からなかった。私がどこか見逃したかしらん)

西部劇っぽいという意見を幾つか見かけたが、私もそう思う。往年の西部劇に倣うなら主人公二人が白人なのも納得だろう。
一方、西部劇ならキモと言えるはずの撃ち合いの場面は、何が何やらよく分からずあっという間に終了。ライフルの場面は迫力あったけど。
西部劇をなぞるならそういう所もキチンとやって欲しい。

ところが、事件の解明部分はほとんど唐突に捜査側とは全く無関係に挿入されたように描かれる。この部分はその後の顛末を考えると誰も知りえない状況である。
そんな知りえない描写を事細かに描いたという目的は、ただ一つ、ラストでの主人公の行為を正当化するためであろう。
そういや、唐突に事件の真相が明らかにされてしまうというのは『ビューティフル・デイ』でも、同様だったのを思い出した。
順を追って事態を徐々に明らかにさせていくという手順を描くのが、面倒くさいのか。
監督は脚本家として名を上げてきた人らしいけど、かなり問題である。

あと、見てて気になったんだけど、娘が雪原に倒れてて、その足跡を逆にたどって犯行現場を見つけるのは、吹雪が頻繁に起こるがら無理dangerというのは分かる。しかし、それだったらスノーバイクとか雪上車の痕跡も消えちゃうと思うんだけど……。事件から何日も経ってるよね(?_?)

かように細かいことが気になってしまった。世評では高評価の作品なんだけどねえ。
最近、こんなんばっかである(+o+)トホホ 

加えて、映画館でラストのいちばんいい所で、高齢のオヤジが3回もスマホの呼出音鳴らして、集中力が削がれてしまった。最悪だ_| ̄|○
鳴ったら即切って欲しい(というか、最初からバイブか電源オフにしてくれ)。相手の名前確認してんじゃねーよannoy

なお、先住民の女性が殺されて発見、という事件は頻繁に起こっているらしい。この映画見た後にも5人の子の母親が殺されたというニュースが流れた。米国の暗黒面だろう、コワ過ぎだ。


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2018年8月12日 (日)

「フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法」:プロミスト・ランド おかあさんといっしょ

監督:ショーン・ベイカー
出演:ウィレム・デフォー
米国2017年

フロリダのディズニーランドのすぐそばに安モーテルあり。外壁はディズニー風味でキラキラした色に塗られているが、住民の実態は支援団体の食料無料配布車が回ってくるほどに貧しい。観光客を乗せた航空機がひっきりなしに行き交い、その落差が甚だしい。
日本だとモーテルは一時的な宿泊と思うが、かの国では常泊している人が多いそうなのだ。

そんな中に若い母親と娘がいる。母親の方は定職を持たず、その日暮らし。娘は小学校低学年だが、折しも夏休み、ご近所の悪ガキどもと一緒にやりたい放題に遊びまくる。
彼らを見守るのがW・デフォー扮する管理人だ。きちんと規則を守らせ、文句をつける時はちゃんと言うが、一方で施設の保守点検に修理をし、さらには子どもたちの安全にも目を光らせる。

--と、書けば連想するのがケン・ローチの『わたしは、ダニエル・ブレイク』である。
若いシングルマザーと保護的立場の中年男性という組み合わせは似ているし、特に母親がやる行動はほとんど同じと言ってよい。
ただ、ローチ作品の方は意図的に母親を真面目な人物で好感度高く描いているが、こちらの母親は正反対。無軌道で粗暴でプッツンしてしまう。若くて学歴も金も職もなく、やる気も持久力も持てないまま、貧困から抜け出せない。
幼い娘を愛してはいるが、母親もまだガキっぽさから脱していないのだった。

このような状況が、子どもたちと母親が遊び&暴れまくるシーンが続く中で、徐々に浮かび上がってくる。
正直なところ、この一連の「遊び」の場面は退屈だった。演じている子どもたちをそのまま遊ばせて撮ったっぽくて、メリハリなくただ長い(ーー;)
もちろん、この映画は好評で見た人の多くは面白かったんだろうけど、私個人からすればこれに付き合うのは退屈で疲れるという印象だった。

でも私は、珍しくアカデミー賞の助演男優賞に選ばれたW・デフォーを目当てに見に行ったのだよ。
いやー、彼の演技は素晴らしかったですよ\(◎o◎)/!
安モーテルでも完全に断固として管理しようと心を砕き、子どもたちには厳しくしながらもちゃんと見守る。しかし、一方でモーテルのオーナーには頭が上がらずヘコヘコとしてしまい、落ちてるゴミをコソコソと拾い集めるという正反対の態度を、矛盾なく演じていた。彼に助演男優賞crown取って欲しかったぜい。(あくまでも私見)

この映画の作り手は当然分かって描いているはずだが、いかに母親が娘を愛していようが彼女がやっていることは虐待と見なされるなるだろう。(だから、管理人は終盤で肩の荷を下ろしたように一服しようとする)

そんな、娘と母親の夢の世界は今や崩れた。そして……向かったのはファンタジーの国だった。このラストにはさすがに驚いた。
もうそこにしか彼女の行く場所はないのである。

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2018年7月29日 (日)

「イカリエ-XB1」:ファイナル・フロンティア 前世紀との遭遇

監督:インドゥジヒ・ポラーク
出演:ズデニェク・シュチェパーネク
チェコスロヴァキア1963年

S・レム原作(日本では未訳)、1963年チェコ製SFである。『2001年』や『スタートレック』に影響大--となれば、やはり元SF者としては見に行かずばなるまいよ。

2163年、地球外生命とのファーストコンタクトを求めて巨大宇宙船が旅立つ。乗員は科学者の男女40名。船内にはスポーツジムなど娯楽施設も完備、ダンスパーティをやったりもするのだ。(未来のダンスはちょっと笑ってしまうかも)
このような設定や指令室の内部を見ると、確かに『スタトレ』の元ネタっぽい。
また、宇宙船内部の通路のデザイン、丸いポッドに乗って船外活動に出るという場面は『2001』に似ている。
音楽はバリバリの電子音楽で、今聞くとレトロフューチャーっぽいのだった。

もっとも、50年代にはハリウッド製のSF秀作も多く作られていて、この作品もその影響を受けているのは否定できないだろう。当然、東側では公開もされなかったろうから密かに見たのだろうか。

事故で死者が出たり、病気が流行ったり--というアクシデントの中で、興味深いのは途中で遭難した地球の宇宙船を発見する件りである。争いのためか全員死亡しているが、乗員はナチスのような軍服を、女性はドレスを着ていて、極秘裏に第2次大戦中末期のあたりに旅立ったように見える。しかも、核ミサイルを搭載していたのだ。
副船長は「アウシュヴィッツ」と「ヒロシマ」を「20世紀の遺物」と呼び、ここで遭遇したことに驚く。
2163年にはこの二つが消滅して無縁になっていると、映画の作り手は考えたのであろう。しかし、現実には世紀をまたいでも絶縁できていないわけなのだが……。

ラストは、明確には描かれていないものの明るい展望への示唆で終わる。
ここから、ファースト・コンタクトの相手がソラリスの「海」へと至った、レムのその後について考えざるを得ないのだった。

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2018年7月26日 (木)

「私はあなたのニグロではない」:イン・ザ・ヒート・オブ・ヘイト 今ここにある差別

180726
監督:ラウル・ペック
米国・フランス・ベルギー・スイス2016年

ドキュメンタリーというと、普通は特定の個人や出来事をカメラが追うという形を思い浮かべるが、これは違う。
アフリカ系作家ジェームズ・ボールドウィンが遺した30ページのテキスト(朗読はサミュエル・L・ジャクソン)と、彼の演説・講演・TV番組などの映像・音声、さらに過去の様々なメディアの映像をコラージュしたものである。
言ってみれば、近現代の米国における「人種差別」のイメージそのものを描いているのだ。

1957年、白人しかいない高校にただ一人入学した黒人の少女の報道をパリで見て、ボールドウィンは衝撃を受け、米国に帰国したという独白から始まる。

あまりのひどい状況に彼ともう一人の作家がロバート・ケネディに面会して「大統領が一緒に登校すれば」と進言するが、「見世物だ」と一蹴される。(結局女子生徒は4日としか登校できなかったらしい)

続いて、暗殺された3人の黒人指導者(メドガー・エヴァース←B・ディランが歌を作った、マルコムX、キング牧師)について回想する。
その合間に講演や番組でのトークでの、彼の鋭い舌鋒が紹介され、さらに昔の映画や写真の一部が流れる。
サイレント時代の「アンクル・トム」、ミュージカル「パジャマゲーム」、さらにはA・ヘプバーンの「昼下がりの情事」まで。そして一見感動的なはずのシドニー・ポワチエの「手錠のままの脱獄」「夜の大捜査線網」を当時の黒人たちがどう見ていたかも語られる。(当然、「世評」とは逆)

そして最後には、白人の側こそが「ニグロ」を必要としているのではないかimpactという痛烈な問いに至るのだった。
その厳しい批判はR・ケネディの「いつかは黒人の大統領も登場……」という発言に対しても、「大人しくしてりゃそのうち大統領にしてやるだとさ!」(ちょうどオバマの映像が映し出される)と向かうのだった。

かようにボールドウィンの弁舌は聞いていて鋭く迫力がある。そして流される映像と共に差別にまつわるイメージが今そこに茫洋と立ち上がる。
非常に見ごたえありのドキュメンタリーだった。シメのディランストーンズだっけ?の歌に意表を突かれて、大きな効果あり。

ただ、字幕でテキスト読んでよく理解しようとしても、どんどん次の文章へ行っちゃうのでこちらの理解が追い付かんのであった_| ̄|○トホホ 映像に気を取られすぎてもまた分からなくなる。吹替えだとまだよかったかも。

しかし、『タクシー運転手』と続けて見たのだが、いずれも他国の話(回りまわって無関係ではないとはいえ)。これが日本や自分自身に向かってくるようなテーマだったら、正視していられるだろうか--などと心細く思ってしまうのもまた事実である。


テーマに全く関係ないけど、過去の映画やTVの映像で『駅馬車』のスタントはやっぱりすごいなあとか、『ゴングショー』懐かしいなあ(実は大好きでよく見てたsweat01)とか思ってしまった。
で、その中に、とある映画の白人のチンピラが黒人を殴り倒す場面が出てきたのだが、そのチンピラ役どこかで見たなと思ったら若い頃のリチャード・ウイドマークで驚いた。
彼は悪役出身だったけど、こういう役もやっていたわけだ。

さて、監督のラウル・ペックはアフリカ系でハイチ出身なのだが、彼が2000年に作った『ルムンバの叫び』という劇映画、日本で公開された時見に行ってたのだ(!o!) コンゴで実際にあった大統領暗殺事件を描いたものだが、当時「ミステリマガジン」誌の裏表紙に広告を出てたくらいで、よくできた政治サスペンスだった。
この監督さんもなかなか興味深い人物ですな。


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2018年7月14日 (土)

「タクシー運転手 ~約束は海を越えて~」:ドライヴ・トゥー・フリーダム 決死取材は片道切符

監督:チャン・フン
出演:ソン・ガンホ
韓国2017年

光州事件、当時新聞で見た記憶があるもののその内容はほとんど知らなかった。
韓国でも現在の政権になって風通しが良くなったせいだろうか、過去の事件の内実を暴いたものが堂々と作られてヒットしているようだ。

事前の宣伝だと、在東京のドイツ人記者が民主化運動弾圧の噂を聞きつけ、韓国へ。そこで出会ったタクシー運転手と共に、事件が起こる光州へ潜入する。その二人の絆を描く実話……というような印象だったが、若干違った。
これは「タクシー運転手同士」の絆の話だったのであるsign01

こういう過去の大事件を取り上げつつもエンタメの基本を押さえているのには恐れ入る。笑い、涙、サスペンス、アクション、社会性--ありとあらゆるものが入っている。ラストは怒涛のような感動である。
137分とは思えないほど。見ててあっという間に経ってしまった。

しかし、正直なところ事件自体が悲惨で衝撃的である上に、感情表現が過多なので、そのタブルパンチで見てて倒れそうになってしまった。もうお腹いっぱい、これ以上何も入らねえ~(@_@)
いや、けなしているわけではないんですよsweat01

作中ではソン・ガンホ演じるタクシー運転手はかなりいい加減な奴であり、金になりそうな仕事なので、英語もロクに出来ないのに他の運転手から依頼を横取りした、という設定である。
しかし、実際には以前から記者とは知り合いで、英語も話せて外国人ジャーナリストをよく乗せていた人だったという。

また、ハラハラドキドキと感動をさらに5割増しさせ、運転手の絆を強調するラストのカーチェイスもフィクションとのことだ。
一方、ドイツ人記者の方は何を思いどう考えていたのか、ほとんどその内奥は描かれない。徹底的な他者である。従って、運転手仲間の方に比重が置かれ感情移入するのは当然だろう。

毎度ながらソン・ガンホは名優ぶりを発揮。「いいヤツ」で子ども思いだが、ずる賢く打算的なのが、終盤に向かって変化していく--というような役柄だ。こういうある意味ベタな役をやっても嫌みがない。
それを支える他の運転者役の「地味顔」(←誰かの感想で見かけた表現)な方々(韓国映画でよく脇役で見かけるけど、いまだ名前憶えてないm(__)mスマヌ)もグッジョブであった。

ところで、邦題の「約束は海を越えて」について「韓国とドイツは地続きだ!」という指摘あり。確かにそうだわ(・o・) まさに日本の「島国根性」的表現というところか。

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2018年7月 5日 (木)

「アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル」:アメリカン・ウーマン 血と汗と涙のトリプルアクセル

180705
監督:クレイグ・ギレスピー
出演:マーゴット・ロビー
米国2017年

公開される前から「アリソン・ジャネイの毒母bombぶりがすごい」と話題になっていた本作、おかげで彼女はオスカーの助演女優賞を獲得したぐらいだ。

1994年に起こった「ナンシー・ケリガン襲撃事件」、フィギュア・スケートのファンでもない私には「ああそんなこともあったな」という程度の記憶しかないのだが、翻って考えれば、ファンでなくても知っているのだから、当時相当の話題になったわけである。

スケートの技術的な面では極めて優秀だったトーニャ・ハーディングが、なぜライバルを襲撃したなどというスキャンダルに巻き込まれたのか。
そもそも、貧しい家庭ながらも幼い彼女にフィギュアを習わせ、一旗揚げようと猛訓練する母親……しかし、問題なのはそれだけではなかった。後半は毒母から縁が切れても今度は、若くして結婚したDV亭主、さらにそのアヤシイ友人が、彼女の人生をかき乱すのであった。
もっとも、彼女の方も全く負けていない。かなりのビッチぶりを発揮だ。

この4人はそもそも「不誠実な語り手」である。本当のところ、事件の真実は分からない。で、映画は疑似ドキュメンタリー風に彼らに過去の事件を語らせる。さらに、それ以外の場面でもカメラ目線で喋らせて、それぞれの立場と正当性を主張させるのだ。
なるほど、複数の関係者の主張が食い違う事件についてはこのような描き方が有効かもしれない。例えば『デトロイト』とか……。でも、あの題材でこんな手法取ったら冗談じゃすみませんわな(@_@;)

全編シニカルなコメディタッチで、脱力系の笑いに満ちているが、それでもヒロインが鏡の前で号泣する場面はド迫力だった。なんだかこの全く共感しがたい人物に同情してしまう。
演じたマーゴット・ロビーさすがであるflair オスカー、候補にはなったけど取れなくて残念でした。

返す刀で、さんざん大騒ぎした揚句にO・J・シンプソン事件が起こると波が引いたようにいなくなってしまったマスメディアを斬り、狭量なスポーツ界を指弾、さらには米国風サクセスストーリー自体を批判し、感動を求めスキャンダルの好きな観客をも避難する。
演出と脚本、編集共にお見事である。
おっと、普通の試合中継では見ることができない間近なスケート場面の映像も、思わず見入ってしまうものだった。

ラストに当時のニュース映像がちょっと流れるが、実物のご本人はM・ロビーよりもずっと華奢な感じでお人形みたい。だから、言動とのギャップが余計に目立ったんだよね。

亭主役はバッキーことセバスチャン・スタン--って、えー(!o!)言われないと分からなかった。
あと、その友人ショーン(P・W・ハウザー)については「絶対に見ているだけでイライラする」「二度と目にしたくない」超弩級の悪役、久々の出現であるannoy チラシによるとこの男は「自称元諜報員。実際はニートで童貞」とか書かれちゃってるのだが、これって典型的中二病か……(+o+)

なお、使用されている音楽が懐かし過ぎ。ハート、ZZトップ、バドカン、フリート・ウッドマック、このあたりはみんなアルバム買いましたヽ(^o^)丿
と思ったら、ネットの感想に「歌謡ロック」とか書かれていて、そうか、私は歌謡ロックが好きだったんだ~notesと今さらながら自覚した次第である。


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2018年7月 1日 (日)

「アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー」:オールスター・バトル 世界は君の手に

180701
監督:アンソニー・ルッソ、ジョー・ルッソ
出演:ロバート・ダウニー・Jr
米国2018年

「アベンジャーズ」シリーズも遂に3作目。でも、これで終わらなくて後に続編あり、というのは以前から聞いていたが、実際見るとあと一回で片が付くんですか~(>O<)と叫びたくなった。
何せ、マーベルのヒーロー全員集合みたいな感じで(欠席者あり)、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』が新たに参入。しかもストーリー上、これが一番重要な位置付けになっているのには驚かされた。あ、『ドクター・ストレンジ』も新規参入でしたな。(おかげで、事前にTV放映を見てしまったじゃないの)

しかも、それぞれのシリーズは全く性格が異なってキャラクターのノリも違うのに、そのテイストを残したままよくぞ合体できたものよ。その手腕には頭が下がる。
一番、ワリを食ってるのはキャプテン・アメリカか。見せ場はあまりなし。盾を返却しちゃったからかしらん?

加えて、銀河を股にかけた複数の戦闘を同時並行して描くという離れ業である。問題は、見ているこちらが老化激しく記憶力減衰のため「あれっ?6個のインフィニティ・ストーンてどんなだっけdanger」になってしまったことだろう。
と、思ったらこちらのブログでちゃんと解説してくれてました。予習復習に大変役立ちます(^.^)d

その戦闘シーン、最強の敵サノスとその手下たちが宇宙から次々と襲撃してくる。で、これまでの作品ではなんとかなっていた個々の能力の描き方が、さすがに無理になってきたのではないかと感じてしまった。いくらなんでもブラック・ウィドウみたいに「生身」の人間が異種生物と闘うのは難しいんじゃないんですかね(^^?)

……と、そんなことをよく考える暇もなく次々へと展開して、最後にはあっと驚く結末に至る。おまけに、スパイダーマンとアイアンマンの絡みのシーンではちょっと涙ぐんじゃったしsweat02
ええー(>O<)どうなっちゃうのtyphoonギャーッ……と叫びたくなるのをこらえたまま終了。は、早く続きが見たい。しかも、新キャラクターが参入の予兆もありだ。
というわけで、口アングリ状態のまま終了。この後どうなるか判明するまでは評価もくだせねえ(いや、もちろん面白かったですけど)。次回持越しである。

様々なキャラクター登場しての複数展開なので、ちゃんと把握できたのかも心もとないので、もう一度ぐらい見たかったのだが、結局ヒマがなくて無理だった。
そのうちTV放映するだろうから、その時に見直そう。

なお、お気に入りの場面は、慣れぬパワードスーツに悪戦苦闘するハルクを、冷たく見下ろす『ブラックパンサー』のオコエ姐さん。厳し過ぎよんheart04

ところで、米国では興行的に大人気を博した本作(この文章を書いている時点でまだランキングに入っている)、日本では今一つパッとしなかった。まあ『名探偵コナン』が、ぶっちぎりで強すぎたとはいえ……。
日米でこんなに差が出たのは、日本人は複数の話が同時的に重なり合うような話に慣れていないからだ、という説を見かけた。しかしそれだったら、他シリーズに関係なく単品で鑑賞可能な『ブラックパンサー』もまたウケなかったのはおかしい。何か他の理由があるんですかねえ。


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2018年6月25日 (月)

「女は二度決断する」:リベンジ・オブ・ネメシス 嘆きの聖母

180624
監督:ファティ・アキン
出演:ダイアン・クルーガー
ドイツ2017年

これを見た人は、終盤までは『スリー・ビルボード』に似ている--と思うだろう。

双方とも母親である女性が家族を理不尽な犯罪によって殺され、司法や行政が正しく対応せず、犯人は罰せられない。周囲の人々も無理解である。
そしてふつふつと湧き上がる復讐の念thunder

で、結末まで行って「二度決断」とはこういうことかと分かった。でも、何やらモヤモヤするものを感じてしまった。確かに意見が分かれる結末ではあるが、その決断自体よりも「これはこうに決まってて、あれはああなんだから」というような展開がどうも納得できない。ヒロインの人物設定もストーリーに沿うようなものになっている。
結論ありきで、そこに至るまでの描写には何一つ揺らぎはないのである。(ヒロインが決断に迷う、ということを言いたいのではない)
そういう点でも、『スリー・ビルボード』に似ている。
こう感じてしまったのは、この映画の前に『ニッポン国VS泉南石綿村』を見たせいかもしれない。(このドキュメンタリーにも被害者の遺族が登場する)

加えて、映画全体がダイアン・クルーガーの泣きの演技に頼りっぱなしなのも気になった。そりゃ、見ている側はもらい泣きしてしまうわなあ(/_;)
考えてみれば、彼女はこの演技でカンヌの女優賞、『スリー・ビルボード』のフランシス・マクドーマンドもアカデミー賞主演女優賞を獲得している。やはり「母親」役は受賞率が高いのか。

アキン監督作は『消えた声が、その名を呼ぶ』はよかったが、その次の『50年後のボクたちは』今イチどころか今サンぐらいだった。もう次作は見ないかも。

ところで、ヒロインがサムライの入れ墨をするのは、特攻精神を表わしている--って本当かいsign03
それと、ドイツの裁判ものってあまり見た記憶がないが、刑事裁判で被害者も弁護士雇って参加するのは驚いた。しかも、検事はほとんど発言しなくて、被害者側ばかりが反対尋問するってのはどういうこと。控訴するかどうかも被害者が決めるのか(?_?)

朝日新聞の映画欄で、記者がアキン監督に論争を挑むようなインタビューをしたということで話題になったが、どのメディアを見ても同じような生ぬるい記事よりはいいんじゃないかと思ったですよ。


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