アニメ・コミック

2017年3月27日 (月)

王妃マルゴとジャンヌ・ダルク

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しばらく前に萩尾望都の『王妃マルゴ』第5巻(集英社)と山岸凉子の『レベレーション -啓示-』第2巻(講談社)が前後して刊行された。
扱っている時代は異なるとはいえ、同い年の二人がフランスを舞台にした歴史物(しかも宗教がらみの)を同時に描いているというのは興味深いことである。

『マルゴ』では遂にサン・バルテルミーの虐殺が勃発。プロテスタント側の死体がゴロゴロと……。
たまたま1995年のフランス映画『王妃マルゴ』をケーブルTVでやっていたので見てみたら、似ている場面がかなりあった。もっとも、両者とも同じ資料(絵画など)を使っている結果なのかもしれない。
マルゴがナヴァル公アンリとの結婚式でなかなか「はい」と答えないので、弟のアンリが後ろから彼女を背後からどついて返事したことにしてしまう--というギャグみたいな話が双方とも出てくるのだが、これって史実なのかね? ビックリであるdanger

実はこの映画、私は公開時に見ているのだが、その時は誰が誰やら人間関係がさっぱり分からなかったように記憶している。今は萩尾作品を読んでるからようやく分かったsweat01
逆に言えば、複雑な宮廷の人間関係--縁戚関係に加え宗教上の関係が入り乱れているのを萩尾望都はよく描いているということになる。
画的にも極めてエネルギッシュでパワーがコマから溢れているのだった。同世代の女性マンガ家では一番精力的に活動していると言ってよいだろう。

ただ、問題なのは私にはどうもマルゴという主人公が何を考えているのかよく分からないのだ。王女に生まれついたけど、中身は愛を求める普通の女性ということなのかね。むむむ……(=_=)

フランスの古楽グループ、デュース・メモワールのCDにデュ・コーロワ作品集があって、この中に入っている「フランス王のためのレクイエム」というのが、よくよく見ると(ナヴァル公の方の)アンリ4世の葬儀用だったのだ(!o!) 美しいポリフォニーによる合唱や管楽器合奏が再現されていて、なんと僧正の説教まで入っている。
付録のブックレットには当時の絵画・風俗画、豪華な装飾品や剣、さらにはアンリが暗殺された時に乗っていた馬車の写真まで掲載されている。


ジャンヌ・ダルクを少女時代から描いた『レベレーション』は、1巻目ではどうなることか(-o-;)ハラハラ、山岸凉子老いたりsign02などと思ってしまったが、2巻目ではようやく面白くなってきた。
ここではジャンヌが男装してオルレアンに向かうところまで来たが、物語自体は処刑場に向かう彼女が回想するという設定になっている。神の声を直接に聞いた彼女がどのように神から見放される(?)に至ったのか--早く知りた~い(>O<)が、先はまだ長い。

歳取ってきて視力など色々衰えてきたので、編集部に頼んで隔月連載にしてもらった、とインタビューで山岸凉子自身が語っていたので、ますます時間がかかるだろう。
こちらは精力的に毎月連載を続けている萩尾望都に、「隔月連載って、残りの一か月は何をやっているの!」と言われたという話には笑ってしまった。

以前ネットで、ベテランマンガ家が歴史物を書くのは歳くって「現在」の話を描けなくなったためであり、それは後退だ、というような意見を見かけた。しかし、文学の世界に目を転じれば、高校生でデビューして文学賞取ったような作家が、延々と高校生を主人公にした話を書いているなんてことはない。歳相応に夫婦関係の話になったり子どもネタが出てきたりする。(しまいには若いモンに毒づいたりすることも)
それを思えば描き手も読み手も年齢層が広がっているのだから、「若い子」の話ばかり書き続けるのが少女マンガ家の使命ではあるまいよ。(その点、吉田秋生なんか常に現役だから感心するが)

むしろ感じたのは、二人とも昔から描き続けているテーマをここでもやはり取り上げていることである。時は移り変われども、これはもう執念としか言いようがない。
『マルゴ』では、当然ながら作者がこだわり続けてきた恐ろしい「母」の存在である。マルゴの母カトリーヌ・ド・メディチ、強大な支配者にして策謀家である。その前には娘の生命さえどうでもよいのだ。
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『レベレーション』を読んで初めて気付いたのは、山岸凉子は常に天才あるいは特殊な能力を持った人物が集団(共同体)のヒエラルキーの中でどう生きていくのか--を描き続けてきたということだ。そしてある者は成功し能力を発揮するが、またある者は挫折する。それは『アラベスク』の頃から一貫したテーマである。
ただ、かつては「従者」となる人物がいたのだが、近年の作品ではそういう人物は登場していないようだ。

いずれにしても「三つ子のテーマ百までも」とはこのことか。両者とも今後の展開が楽しみである。

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2016年5月23日 (月)

ピクサー展

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会場:東京都現代美術館
2016年3月5日~5月29日

3月中に行けばよかったのに、結局時間が取れず5月になってしまったピクサー展。休日はかなり混んでいるというので(もちろん若冲展レベルではないが)平日に休みを取れる日に行ってきた。お子ちゃまは当然いないのですいているだろう……と思ったのだ。
この東京都現代美術館も久し振り。6年ぐらい行ってないか? 周囲はモロ下町だったのが、こじゃれた店が増えている。

さて、確かにすいてはいた。並ばずに直に入れた。お子ちゃまはいなかった(*^^)v
代わりに若い学生がいっぱいいた(!o!) 6割以上が女子だった。デート風のカップルもかなりいた。
私ぐらいの年齢の人間は、娘に連れられてきたとおぼしき中年の母親2名を見かけたのみ。オヤヂに至ってはゼロ名であった。中高年男性は興味ないのか?

内容はさすが現美というだけあって、ピクサーといってもお子ちゃま向けでは全くなく、クリエーターやデザイナーを目指す人にはさぞ参考になるであろうようなものだった。
ピクサーの歴史を簡単におさらいして、各作品ごとにスケッチ、ドローイング、カラースクリプトという色彩を確認する連続画から、CGの制作工程を見せる映像まで。設定を確認するためのキャラクターのフィギュアなんてのもあった。
また、各部門のクリエイターたちのインタビューも相当数流されている。
すべてビジュアル部門に関して限定されていて、演出や脚本についてはわざと除外してあるもよう。

膨大な枚数のカラースクリプトや、一つのキャラクターの検討に8週間かけたなんてインタビューを聞いていると、これだけの時間と物量と人員を投入してこそ、あれだけの作品ができあがるのだなあと身にしみるのであった。
『カーズ 2』に登場するグランプリ場面一つにどれだけ手間をかけているかを紹介するモニター映像があって、ビックリ&感心してしまった。

作品映像は本当に初期の作品(電気スタンド親子のショートアニメあり)、劇場で長編作品の前にかかる短編、「アートスケープ」という大型スクリーンで見る過去作品のイメージ映像(キャラクターは出てこない)があった。

短編についてはラセターご当人が作っていた初期作品の3つがやっぱり非常に面白かった。どれも2分間dashの作品だが、その中にユーモア、ウィットが詰め込まれそして最後には人生の悲哀(「人」じゃなくて「物」だけど)まで感じさせる。
特にスノードームのやつ(タイトル忘れた)はストーリーが逆転逆転また逆転、よくも考え付くものだ。場内からはしきりに笑いが起こっていた。
それに比べると近年の短編は、時間は長いけど中身は……。

やはり才能のある人はジャンルとかメディアとか関係なく、本当に【才能】というのがデーンとあるんだなと感じた次第である。

また、アニメーションの元祖recycleゾートロープでは「トイ・ストーリー」のキャラクターたちが高速回転して浮かび上がり、客から思わず歓声が上がっていた。

私は3時間弱で見たが、全部のインタビュー映像などを見ていくともっとかかってしまうに違いない。
展示場所は細かくパーティションなどで細かく区分けされていたが、細かすぎて大勢の観覧者には対応できないだろうと思った。
また、作品の上映室は広い部屋の前方にベンチが数個置いてあるだけで、現代アートの映像ならいいだろうが、多数の人間が立ち見するとなると不向きだろう。

グッズ売場では、若いコをかき分けてオバハンは奮闘! メモ帳と定期入れをゲットした。クリアファイルは色んなのが家にたくさんあるし、Tシャツは着る機会がないだろうし、トートバッグは5千円近いのであきらめた。

正直疲れ切って常設展や、一部で話題となっている併設の「キセイノセイキ」を見る力は残ってなかった。やはり歳か……(;_;)


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2015年11月 8日 (日)

祝!第26巻発売記念「クリスタル・ドラゴン」全巻イッキ読み

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所沢でコンサートがあった帰り、航空公園駅の書店に寄ってみたら、あしべゆうほの『クリスタル・ドラゴン』(略称「クリドラ」)の新しい巻が平積みになっていて驚愕した。出るとは全く知らなかったからだ。別の書店を見た時はなかったのに……。さすが、やせても枯れてもH林堂であるshine

帯には「7年ぶりの堂々復活!」と書かれている。
確か『悪魔の花嫁』(こちらの連載開始は『クリドラ』よりも早い)の続きを描くために中断していたはずだ。7年も経ってしまったのね。

で、買ってきた26巻を開いてみたのだが、話が全く分からない--というか、ほとんど何も覚えていないのであった。こりゃ、何巻か前から読み直さなくちゃダメだと思ったが、どうも数巻さかのぼったぐらいでは追いつかないような感じだ。
ええい<`ヘ´>それならいっそ最初から読み返してしまえいthunderと思い立って、イッキ読みすることにしたのであった。

引っ張り出してきた第1巻、発行は1982年(昭和57年)だsign01 巻末にある同じ秋田書店のプリンセス・コミックスの広告には『アンジェリク』(木原敏江のだよね)が載ってて懐かしい。さらに『王家の紋章』がまだ9巻目までしか出ていない(!o!) なんてこったい。こりゃ大昔だ。

当時は『ロード・オブ・ザ・リング』の登場やRPGの隆盛などより遥か昔、ファンタジーなぞ一部の好事家にしか受け入れられてなかった時代である。このような正調ファンタジー(小説も含めて)を描いていたのは、他には中山星香ぐらいだろう。よくぞ連載が続いたもんである。
今考えてみると、半分歴史物の要素があったから一般の読者にも受け入れたのか、とも思う。

さて、主人公アリアンロッドの第1巻からの動きを辿ってみよう。(以下、軽いネタバレあり。地名は現代のもの)

アイルランド→ブリテン本島→(大陸への航路の途中でバイキングと)スカンジナビア→アイスランド?(竜の宝物庫へ)→フランス(巫女姫問題発現)→アルプス?(地下で「おっかさま」遭遇)→ローマ(剣闘士修行)→再びアルプス→(ドワーフ王出現して)地下

ローマの件りでは、なんと『テルマエ・ロマエ』よりはるか以前に公衆風呂を描いていたのが判明。ちゃんとヘラで垢をこそげ落としている。
このあたりまではよかったのだが、この後が時間空間が錯綜してくる。

過去の世界→世界樹(庭師出現)→水晶宮→ドワーフの国→海辺の町(行き倒れの女を救う)→常若の国→樫の巨木(小枝を得る)→再びドワーフの国→竜の夢の中

このあたりの一連のストーリーは、連続して読めばなんとか分かるけど、一巻一巻刊行されるたびに読み継いでた時には何が何だかさっぱり理解できなかった。ドワーフ王が与えた水晶の卵(状の物体)は結局何よ?
おまけに、アリアンロッドは子ども体型に戻ってしまい、やたらと高いところから落ちたり水に流されたりして、口から出る言葉は「ぎゃーっ」とか「あれっ」みたいな単語ばかりで、ロクな台詞がないのだ。

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で、晴れて26巻に到達したのだが、初期の濃い絵柄から変化してかなり「薄く」なっている。話を急いで進めるためなのか省略も多いようである。
それと、レギオンが○○○○○になってしまったのにはビックリした。誰がこんな展開を予想しようか。

とはいえ、再開はメデタイfuji ぜひこのままラストまで到達して欲しいものだ。

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2013年8月22日 (木)

「スティーブ・ジョブズ」第1巻

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著者:ヤマザキマリ
講談社2013年

W・アイザックソン原作のジョブズの伝記をヤマザキマリがマンガ化--と聴いた時は耳を疑った。全く両者に関連があるとは思えなかったからである。
もっとも、私はジョブズについては「アップル創ったえらい人」ぐらいの知識しかないのだが……(^^;ゞ

第1巻は子ども時代からS・ウォズニアックとの出会い、大学をドロップアウトしてアタリ社に入り、インド放浪までが描かれる。その合間に、アイザックソンとジョブズの回想と対話が挿入される。
つくづく、こんな人間が傍にいなくてヨカッタ\(^o^)/と思った。まあ、それが天才たる所以ではあろうが、歩く迷惑みたいな人である。
それにLSD、スピリチュアリズム、ドロップアウト、東洋主義--という、ある意味、当時の定型を通ってきた人なのね。

まあ、そういう人物を距離を置いて冷静に描いているマンガである。
絵のタッチについてはこれまでとは少し違う。「ヤマザキマリがここまでマンガがうまいとは思わなかった。すみません。」と漫棚通信さんがツイッターでつぶやいていたが、全くその通りである。
なお、米国では伝記映画も公開。さらに話題を呼ぶに違いない。

ただ、「ジャコモ・フォスカリ」の方はどうなるのだろうか。こちらも続きを読みたいのよんheart01

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各章の終わりに、ヤマザキマリ個人の感想のようなひとコマ、ふたコマのマンガが付いていてこれが面白い。


←この子ども時代のジョブズがまるで「オーメン」のダミアンみたいな目つきなのが笑える。


【追記】漫棚通信さんの感想出ました。

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2013年7月 9日 (火)

「言霊」

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著者:山岸凉子
講談社2013年(KCデラックス)

職場の同僚にこれを貸したら、「『アラベスク』も『舞姫』もこのパターンだった!」と言って返してきた。
なるほど、才能の片鱗はあれど内向的なバレエ少女が主人公で、彼女を導くような男が登場して--というパターンは、舞台がどこであれ同じである。
この作品の主人公は東京周辺のバレエ・スクールに通う高校一年の少女である。本番時のメンタル面が弱いという設定だ。そこにドイツ留学が決まっている青年が出現する。

思い返してみると、『日出処の天子』は導いてくれる男と出会ったが、結局関係が破たんしてしまったという話ではあるな。橋本治はその人物を「従者」と定義していたが。

それにしても「乙女のロマンかと思っていたけど 本当にいたのね“白馬に乗った王子さま”」という台詞が出てくるんですけと……山岸先生、本当に王子様flairいるって信じていいんですかーっ(>O<)
ま、個人的には今さら王子様が現れてもな(-"-)

もう一つの中編「快談・怪談」はかなりの脱力系だった。

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2013年3月17日 (日)

「よつばと!」12巻

著者:あずまきよひこ
角川グループパブリッシング(電撃コミックス)2013年

以前から大きな事件などはほとんど起こらず、登場人物たちの日常を淡々と描いているだけだのマンガっぽかったが、この第12巻では本当に何も起こっていない!
ハロウィーンにお菓子を貰うとか、みんなでキャンプに行くというだけの話なのに、よくもまあここまで読ませるとは。驚きであり、そして感心した\(◎o◎)/!

それは、怒涛のようなストーリー展開とか波乱万丈でハラハラドキドキheart01といったようなものに対するのとは全く異なった種類の感動だった。

ここに描かれているのは何一つ欠けるところのない全き世界である。思い煩うこともなく、苦しみも悲しみもない、永遠の日曜日だ。
純粋で輝く幸福感に満ちている。

小倉千加子の本だったか、人間が生きていく上にはそういう体験が一度でも必要なのだと読んだことがある。恐らくそれは、その時には分からなくて後になってあの瞬間がそうだったのだと気付くようなものなのだろう。
ここまで来ると、もはや涅槃の境地だろうか。

最終ページの最後のコマが印象的だが(私は見た瞬間、虚を突かれた)、その他にハロウィーンのエピソードの終わりも思わず見入ってしまった。お菓子を貰ったよつばが風香たちに挟まれて歩くシーンのコマが四つ、田の字に並んでいるだけだ。しかし、子どもの仕草の一瞬を完璧に、反復するそのコマの中に捉えている。ストーリー的には全く意味のない場面である。

別の意味でもう一つ気になるコマが……。ジャンボの花屋を訪ねたとーちゃんが花に埋もれているように描かれていたが、あれは何(^^?)
そういや、とーちゃんが実に父親らしいことをしている(添い寝とか)のも、なんだか感心してしまったよ。


ところでそれとは別に、よつばの正体は常にすご~く気になる。緑色の髪をした外人のような女の子で、本当は5歳なのに6歳だと思い込んでいる、とは何者だ?
これまで色々と考えた--。宇宙人の子どもかsign02 謎の秘密組織によって生み出された植物人間かdanger

今回思いついたのは「よつば桃娘」説である。
とーちゃんが南の島を放浪して海辺にたたずんでいると、海から巨大な桃がドンブラコッコと流れ着いた。彼は珍しい果物だと思って、日本に持って帰り田舎で引退生活を送る両親の所への手土産にする。
ばーちゃんが包丁で果物を割ると、中から緑色の髪の赤ん坊が出てきたのであった。
しかし、これだと出生届はどうしたのかという問題が生じる。
まだまだこの正体問題は検討中(^^ゞ

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2012年10月31日 (水)

「ジャコモ・フォスカリ」第1巻

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著者:ヤマザキマリ
集英社2012年(officeYOUコミックス)

マンガ売り場で、大ヒットシリーズとなった『テルマエ・ロマエ』の第5巻と並んで平積みになっていた。しかしどうもどういう内容か分からず、何度か手に取って眺めたりeye匂いを嗅いだりspaしてみてはまた戻していたのだった。
が、ネットの感想で三島由紀夫や安部公房をモデルにした作家が登場する話と知ってあわてて買った次第である。

1993年、東京を再訪した老イタリア人の回想が始まる。時代は二つに分かれ、一つはヴェネツィアでの青少年期(第二次大戦に突入していく頃)。そして日本の大学で教授をしていた1966年である。
そして双方の時代の回想にそれぞれ主人公が惹かれる若者が登場する。

三島がモデルらしい岸場は、映画に出演したりもする売れっ子作家として登場する。公房とおぼしき田部は突拍子もないことを言っては主人公をケムにまく人物だ。
三島の方は分からないが、公房に関しては本人や友人のエッセイ・回顧録の類から発言を取っているようである。主人公を何の根拠もなしにヤク中だと決めつけるくだりは、同じ話を誰かの文章で読んだ記憶があった。

『テルマエ・ロマエ』とは作風が全く逆で晦渋な印象だが、よくよく考えてみると、古代ローマに執着する異国の男が日本にやってきてカルチャーショックを受ける一方で、妙になじんでしまうという点では似ているかもしれない。
1966年というとちょうど作者が生まれた時代なのだが、何かこだわりがあるのだろうか?

……などと思ってたら、朝日新聞の書評欄にヤマザキマリのインタビューが乗っていて、外国の地で安部公房をむさぼり読んだというようなことを語っててビックリした。
この組み合わせは意外であるよ(@_@;)
『テルマエ~』よりもこっちの続きが気になりそうだ。

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2011年10月20日 (木)

映画版「テルマエ・ロマエ」

まさか古代ローマの場面に日本人役者使ったりしないよねえspa、とか、現代日本の場面だけなんじゃないのfuji、とか言っていたのだが、なんとこれは……\(-o-)/

これとか、これとか、マジですか~。

まあでも、過去にユル・ブリンナーとかピート・ポスルスウェイトが日本人を演じたこともあるんだから、似たようなもんだと思えばいいのかdash

でも……( ̄Д ̄;;……やっぱり止めてくれ~~~(>O<)

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2011年9月 4日 (日)

「カーズ2」(3D吹替版):情報を三分の一追加

監督:ジョン・ラセター
声の出演:山口智充、土田大
米国2011年

最初に見た字幕版では、鑑賞環境が今イチだったので新たに吹替版で仕切り直しだいっ(^^ゞ

結果は……楽しかった\(^o^)/

吹替で改めて分かったのは、最初に見た時はオマケ短編の『ハワイアン・バケーション』も含めて、内容を三分の二ぐらいしか理解していなかったことsweat01 なんてこったい!
字幕より吹替の方が情報量多いのは確かだけど、「あれ、こんな場面あったっけ^_^;」とか「こんなとこで喋ってたっけ(?_?)」みたいなsign02マークが続出しちゃったのであった。
やはり、ちゃんと見きれていなかったのだなと反省した。

映像については、台詞が耳から入ってしかも座席の位置も最適、よ~く見れた。で、その一番の感想は--「3Dぽくない」
これは3Dにした意味がないということではなくて、それを意識させないほどに自然だったということだ。人間は普段は3Dで物を見てるんだからねえ。特にレースで車がクラッシュする場面とか各都市を俯瞰する場面などにその威力を発揮。そう思うと監督は3Dに適した題材を選んだんだのだと納得した。

他には、東京の川べりのうさん臭い工場、パリの下町に並ぶ怪しげな店も笑える。
とっくに忘れ去られた悪役ポンコツ車たちの「怨念」の描き方に、逆に愛情を感じたりしてheart01
果たして変わったのか変わらないのかよく分からないメーターの成長ぶり……でも、仕方ないのさ、だってメーターだもん(^○^)

吹替えについては、マックミサイルは「老練」より「粋」を重視か。メーターは字幕の方がド田舎度が遥かに大up イタ車は字幕では文字通り気に障る「気障」だが、吹替えだと単なる「軽薄」……。
他の人の感想でも見かけたが、日本のトイレの場面では吹替えの方が不利。オリジナルでもあのトイレは日本アニメ娘のキャピキャピ声の日本語で喋りまくっていて、訳ワカラン状態となって、メーターをパニックに陥らせるのである。そこら辺の面白さはあまり伝わらない。
エンド・クレジットではパフュームが後半ずっとかかりましたな。日本用サービスか。

DVD出たらまた字幕版で見てみたい。暇があれば--の話だが。

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2011年8月16日 (火)

「カーズ2」(3D字幕版):「2」は「1」の続きならず

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監督:ジョン・ラセター
声の出演:ラリー・ザ・ケイブル・ガイ、オーウェン・ウィルソンほか豪華声優陣
米国2011年

待ってましたsoon『カーズ』(字幕版はこちら)の続編である。
久々にジョン・ラセター現場監督復帰ということもあって期待大で、よし)^o^(今度も字幕版で行くぞーと意気込んだんだけどね……。

字幕版やってねえ~~(>O<) やってても数少な~いdown
仕方なく都心の映画館へ行った。
ところが、字幕版はそんなに混んでいないにもかかわらず、窓口のおねーさんにすごい前方を割り当てられてしまい、3D鑑賞にはかなり不利な状況となってしまった。こりゃマイッタ(@_@)
実際見てみると、字幕追うのに目がチカチカしてストーリー把握するのが精一杯であったよ。

前作は洗練されたレーサー車ライトニング・マックィーンが、田舎町に放り込まれてさあどうするよ--という話だったが、今回はその逆で「ド」がつく田舎者、ぢゃなかった田舎車のメーターが国外へ飛びだし世界を 股にかけ タイヤにかけ活躍。しかも本人はよく分かってないsweat01けどJ・ボンドみたいな国際スパイとしてなのだった。
「女王陛下のスパイ車」の声の出演は、なんと名優マイケル・ケイン……と言ったらやっぱり「国際諜報局」ですな。
のっけから手に汗握るスパイ(車)アクション・シーンが展開して驚かされる。

メーターのおっちょこちょい振り、日・伊・英と回る華やかなワールド・グランプリ、代替エネルギーをめぐる策謀(そういや『ウォール・ストリート』もこのネタが出てきましたな)、忘れ去られた車の秘密結社等など、こりゃ完全にスパイ物のパロディみたいな感じで前作とは全く違~う(x_x) ちとガッカリだ。

……と思ったけど、よくよく考えてみれば前作のようなしみじみ路線で、あれ以上の出来を極めるのは無理だろう。となれば、全く違う方向を目指したのは賢明だったかも、と思い直したのであった。

ただ車ネタ全般、特にオンボロ車関係はカーキチ(死語?)でないとよく分からない印象は強い。どうしてレモンがテーブルに飾ってあるのかも意味不明だったし(下のリンクを参照のこと)。
とはいえ、へこみを大切にするメーターはええヤツですgood でも、友人のデートの邪魔はいかんよなあ。
もう一度、今度は吹替版で映像をじっくり見てみることにしよう。

R・ニューマンが音楽担当を降板したのは残念。
声優はフランコ・ネロheart01ヴァネッサ・レッドグレーヴ組やその他豪華出演陣が嬉しい。

日本の場面では、首位を譲った東京タワーと今は亡き歌舞伎座が出現fuji 思えば世の移り変わりが激しいです。イタリアでは「法皇車」、英国では「女王車」が登場したのに日本では何もなしなの……(^^? やはり、やっちゃいけないネタなのか。
しかし、一番の日本ネタが至れり尽くせりの高機能(?)トイレというのは笑ったというか、そんなに驚異なんだ日本のトイレtyphoonである。
ついでに書いちゃうと、コンサートでホールのトイレに入るとウォッシュレットの方には点字や英語で説明がついてたりするのに、肝心の「洗浄」ボタンにはどこでも漢字しかないのはなぜだ? オペラシティなんてガイジンさんが来るだろうにさ。

なお、恒例のオマケ短編はなんと『トイ・ストーリー3』後日譚という嬉しいもの。ドジなケンをおなじみの面々みんなで盛り立ててやるという涙ぐましい(?_?;お話しで楽しい。

吹替版の感想を書きました。

友情度:7点
日本のトイレ:9点

【関連リンク】
《水曜日のシネマ日記》
《ノラネコの呑んで観るシネマ》


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