著者:萩尾望都
河出書房新社2021年
(以下、全て敬称略)
発売前の告知だけで少女マンガ界隈が騒然となった手記である。
1970年秋から若い少女マンガ家(とその卵やファン)が集ったいわゆる「大泉サロン」については、半ば「伝説」と化していた。
近年、竹宮惠子がその時代を回顧した『少年の名はジルベール』(2016年)が出版された。さらにそれをふまえた上で他の資料・記録を検証し他のマンガの動向も合わせてまとめたのが中川右介『萩尾望都と竹宮惠子』(感想はこちら)である。
一方、これまで萩尾サイドからはまとまったものは何もなかった。
『少年』の趣旨は--増山法恵と少女マンガに革命を起こそうと誓い、その場所を作るため「トキワ荘」めざして増山の自宅のそばに家を借りた。
様々な人々が訪れたが、自身のスランプと萩尾の才能のプレッシャーのために精神と身体に不調が起きたので、大泉から去る。そして、拒否され続けてきたライフワーク『風と木の詩』の連載になんとかこぎつけることに成功した。
私はこれを発売してすぐ読んだ時、連載をこなし商業的に既に成功していたという印象が強い竹宮が、萩尾に対してそこまでプレッシャーとジェラシーを感じたというのが、ちょっと信じられず意外に感じた。
とはいえ「大泉」に関してはこのように述べている。
私たち三人が一緒に住んだ場所は、のちに1970年代少女マンガの基礎を築いた「大泉サロン」と言われるようになる。そこには、「24年組」と呼ばれることになる私たちの物語が詰まっている。
心身不調の中で去ったにしろ、極めて肯定的なとらえ方だ。
さて、そこで『一度きりの大泉の話』である。
これは衝撃的告白&告発の書だ。しかも過去に裁判沙汰になっても受けて立つことを考えたとまで書いてある。かなり不穏ではないか、ヒエーッ(>y<;)
回顧録の形を取っており、その内容をざっくりまとめると
・「少年愛」については増山が旗を振っていたけれど、自分は少年は好きだが少年愛には興味はない。
・「風木」の盗作疑惑で竹宮(&増山)からバッシングを受けた。疑惑は完全否定する。
・「大泉サロン」「花の24年組」は虚構。自分は関係ない。これからも関わりたくない。
最大の衝撃箇所は、その盗作疑惑宣告を受けた状況である。『少年』の中においては「萩尾に対し距離を置きたいと告げた」などと2行で終了している。しかし、こちらではその後萩尾はショックのあまり飲まず食わずで街中で倒れこみ、ストレスで眼が見えなくなったというのだ。
まさに「50年を経ても生々しいトラウマ記憶」(信田さよ子)ではないか。これほどの被害を受けたと訴えているからには、もはや牧歌的「大泉」観を漫然と受け入れるわけにはいかないだろう。
そういう意味では少女マンガ史を震撼させる内容だ。同時に個人としての告発本でもあるといえる。
以後、萩尾は竹宮本人と接触を断ちその作品も一切目にしていないという。『少年』発行時に本を送ってきたが封筒に触ることもできなかった。これこそトラウマの影響のように思える。
にも関わらず、『少年』の内容を念頭にした記述と思しきものが幾つか見られる。恐らく、マネージャーの城章子が概要を伝えたのだろうか(あくまでも推測です)。
両書で共通している部分。
・クロッキーブック(ノート)の使用について
これは一見マンガ家のアイデア発想法みたいだが、双方とも「ここに証拠は残っている」と言っているように思えるのはうがち過ぎか。
・『風木』と『小鳥の巣』『トーマの心臓』の発想時期
『少年』を再読して初めて気付いたのだが、「風木」の冒頭50pをクロッキーノートに描いたのが1971年1月21日だと日付まで書いている。その時に萩尾を含む周囲に作品の存在について話したとある(ノートを見せたとは書いていない)。
対して、萩尾はそのノートを見せてもらったのは6月のことであり、「トーマ」の習作を描いたのはそれよりも早い3月で、竹宮、増山にも見せたと細かく反証している。
・萩尾の〈無神経さ〉について
『一度』では「本当に鈍いのですが、本当にわからなかったのです」「人間関係において空気の読めない私は、距離感をうまく取れない」「私が何か配慮足らずで」「私が苦しめていた。無自覚に。無神経に。」というような表現が頻出する。
これは『少年』において、竹宮が離れたくて大泉から引っ越すことを決めたのに萩尾が気づいていなかった(結局また近所に来た)。さらに新居にやってきて自分が仕事中なのに増山と談笑しているのにいらだった--という部分を念頭に置いているように思える。
・両者とも互いの存在に対して心身のストレスを感じて耐えられなかった。
異なるのは、竹宮が萩尾に宣告して離れて数年後に復調し『風木』の連載を勝ち取ったことである。
一方、萩尾の方は接触せずなるべく目に触れないようにしていたにも関わらず、「共通の知人から、たびたび“あちらのご不快”の話が急に出て」きたというのだ。詳細は書いてないがその後も続いていたのか(?_?)
そして彼女のトラウマはまだ回復していないのだ。
加えて、二人とも共通したアシスタントを使いそれぞれにファンや友人知人がいただろうから、当人たちに関係なく外野から勝手な噂が流れたりもしたと推測できる。そして、さらに被害拡大……(ーー;)
以前、というかウン十年前の大昔にとあるイベントで某マンガ家(注-どちらの本にも出てこない人物)を目撃した。その人の周囲にファンが二重ぐらい取り巻いている中で通路を移動していたので驚いたことがある。そういう取り巻きの人々が何か噂してもコントロールできないだろう。
それにしても、発端は半世紀も前である❗ 未だ払拭できず苦しむとは、人の心の複雑さと闇であるとしか言いようがない。
最大の問題はそのような事件を過去の美談として回収し、事実を塗り替えようとする動向と圧力の存在だろう。
だから「大泉というドラマ」を否定するのは当然だが、代わりに「二人の才能ある作家の悲劇」とか「若さゆえの未熟な友情と嫉妬」みたいな別のドラマに持っていくことも避けたい。
中には「萩尾は天才だから竹宮がああいう行動に出るのは仕方ない」なんて「萩尾アゲ」のあまり逆行しちゃってる意見まで見かけるほどだ。
結局、萩尾の「理解しますけど、謝りません。なぜなら原因は双方にあって、双方とも傷ついたからです」という一節に尽きるのである。
なお、文体はかなり特徴あり過ぎの上に、なんだか統一感に欠けてフラフラしている。インタビュー形式で語ったものをさらに自分で修正・追加したとのことだが、こういう形でしか書け(語れ)なかったのだろう。
そこにまたある種の迫力が感じられるのだ。
その他、断片的な感想を。
謎なのは増山という人である。私はこれまでプロデューサーか編集者的な人かと考えていたが、なんだかどうも違うようだ。
それこそ「世紀末の文化サロンの女主人」(?)ですかね。
「24年組」の言説に関しては、以前から誰がその範疇に該当するのかがかなり恣意的という印象はあった。青池保子や大和和紀はどうなのか、池田理代子や一条ゆかりだって同世代だろう。明確な定義は存在しないってことだろうか。
なお、『一度』で書かれている山田ミネコ発案説については、ツイッターで山田ご本人が「確かに言ったが、そういう意味ではない」と否定している。さらにその意味を何者かが「わざとで意図があった」上で変えたとのこと。
光瀬龍について、竹宮もまたファンらしいと知って以後は彼から「何かのお誘いがあってもお断りして逃げました」とある。これは光瀬ファンの元SF者としては悲しかった。
佐藤史生と増山が意気投合し過ぎて、まだ一作もマンガ作品を描いたことがないのに、互いに「あなたすごいわ💕」と褒め合っていたというのは映画『ブックスマート』の主人公二人みたいで笑った。
萩尾が山岸凉子に嫉妬という感情が分からないと話したら「ええ、萩尾さんには分からないと思うわ」と答えたという。その時の山岸の心境を聞きたい。
西原理恵子が「画力対決」で竹宮にエドガーを、萩尾にジルベールを描かせたというのは、盗作疑惑の噂を知っててやったのだろうか。そうだとしたら大した根性である。(ホメてません💢)
「画力対決」の記録
【追記】追加の感想を新たに書きました。
←本棚から発掘できた。
読んでヨカッタと思えたら、目立たないですが下↓のイイネマークを押して下せえ。