アニメ・コミック

2021年8月29日 (日)

【少女マンガ再読】「見えない秋」(樹村みのり)

210829 *初出「別冊少女コミック」誌1974年11月号、『ポケットの中の季節』第1巻(小学館フラワーコミックス1976年)所収

訳あって樹村みのりの古いコミックスを掘り返してチラ見していたら、思わずドトーのように涙を流してしまったのがこの短編である。

樹村みのりには「病気の日」という名短編があって、これは小学生の女の子が家で寝ていて「病気の日はちょっと楽しいな🎵」と思うという、ストーリー的にはただそれだけの作品なのだ。
この「見えない秋」も同じタイプで、同級生の突然の死を知った少女の心理をたどるだけで、やはり明確なストーリーはない。しかし同様に短編マンガとしての完成度は極めて高いものだ。

夏休みが終わって小学校に登校すると、担任の先生から同じクラスの少年の急な死が告げられる。

こんなふうにして その男の子は 突然みんなのあいだから いなくなってしまったのでした

主人公の少女は静かな少年の何気ない言葉や行動を何かと思い出す。それは他の子どもたちも目撃していたはずだが、実際覚えているのは彼女だけなのだ。
生の象徴である夏の終わりが近づくにつれ、忍び寄ってくる秋と同様に死もまた日常に潜んでいることを少女は感じ取る。それは根源的な恐怖と不安だ。

あんなにたしかだったことも 私が死んでしまうといっしょにうしなわれてしまうのでしょうか?

そして転校生がやってくる。その子は少年とは完全に正反対なのだが、空いていた少年の席に座ることになった。少女はそれを遠くから見守るだけ。もはや少年の存在の痕跡はどこにもない。
そして運動会の季節がやってくる。

俊足の転校生が走る徒競走、そしてくす玉割りをクライマックスとして、それまで少女の内心を代弁するように続いていた語りが突然変化する。

だから小さい子 こわがってはいけません おびえてしまってはいけません 死ぬことは死にまかせなさい

割れるくす玉に激しい生のエネルギーが重ね合わされる。そしてその後に付け加えられた転校生との短いエピソードによって、日常の生へと回帰していく。
このあたりの流れと構成は見事と言うしかない。コマ割りも素晴らしい。
夏休みに雲を追いかける光景に散りばめられた記憶、対比される秋口の路地の静けさ……。読者の視線の動きを完璧に計算しているとしか思えないようなページもある。

私はよく考えるのだが、このような巧みな表現はライター講座とかマンガ教室のような所で学べるものだろうか。おそらくは作者は本能で描いているのだろう。読むたびに感心するのだ。

言葉にもできぬもの、絵にも描けぬものを確実に表現する、そのような作品である。

樹村みのりは基本的に短編作家であり長編といっても1巻ぐらい。何十巻も続くようなものは描いていない。
やはりマンガの人気作とか代表作と言えばどうしても長尺な作品を思い浮かべてしまう。彼女のような短編作家は認められにくいだろう。残念である。

なお、彼女の作品は紙本は入手が難しいらしいが電子書籍では読めるようだ。

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2021年6月 3日 (木)

「レベレーション 啓示」/「王妃マルゴ」

「レベレーション 啓示」全6巻
著者:山岸凉子
小学館(モーニングKC)2015年~2020年

「王妃マルゴ」全8巻
著者:萩尾望都
集英社2013年~2020年

210603a フランスを舞台にした歴史マンガ二作について、いつか感想を書こうと思いつつここまで、引き延ばしてしまった。なんとか書いてみたい。

まずはジャンヌ・ダルクを主人公にした『レベレーション』である。
元々は「神がかった人間はどういうものなのか」を描きたいという動機があったとのことだ。候補は3人いたが「モーニング」連載の話があって、男性読者にウケるならジャンヌ・ダルクがいいかと選んだそうな。すると候補の他の二人は男ということになる。一体誰だったのか知りたくなる。

さらに毎月はキツイという理由で隔月連載にしてもらったら、同時期に『王妃マルゴ』を毎月連載中の萩尾望都から「隔月って、残りの一か月は一体何をしているの」と言われたとか(^▽^;)

山岸の長編作品の特徴として、社会や共同体の中で特異な能力を持った人物がその能力を発揮して成功する、あるいは失敗する過程を描くものが多い。この作品でもそれは同様である。
神の声を聞くという力に目覚めた「羊飼いの娘」ジャンヌは父親が持ってきた結婚話を拒否して、声に突き動かされ自ら複雑な政治的・宗教的対立の中に分け入っていく。女・農民・若年--とすべての面で当時の体制からは外れている存在であり、本来なら相手にされなくて当然だ。さらに男装しているとあれば異端でしかない。

その幻視能力、嫌がらせに近い審問や試練にも耐える機転、権威や権力を恐れず、そしてなにより強い信念により、軍隊を率いるまでになる。
しかし、その後に複数の勢力の思惑の中で孤立するのもまた信念の強さのためである。

フランスの領土を取り戻しシャルル7世の戴冠に大きく貢献したとあれば救国の英雄だろう。しかし、その彼女を最後に待ち構えていたのは44人のオヤジ(若い者もまざっているが)による異端審問であった……💣
それすなわち身分も地位もある高僧が字も読めぬ娘っ子をいぢめるという図に他ならない。

ジャンヌは回想の中で、故郷に帰り「羊飼いの娘」に戻る機会があったのに戻らなかったと認める。「正直今はパンをこねたり糸を紡ぐ自分は考えられない」と突き進んだのだと……。
「女に男の服を着られるだけで侮辱を感じる」という時代となれば、素朴な農民の娘から逸脱、どころか侵犯してきた男装の女戦士を社会は許すはずもなく、魔女と認定され火刑に処せられるしかない。
それでも、信念を貫き通した彼女にとっては悲劇ではなかった--と結末は訴える。そして、そこに中世からルネサンス期の狭間という大昔に生きた少女が今現在においても、生々しく立ち上がってくるのだった。

それにしても第1巻あたりの神の啓示場面は限りなくホラーに近い。夜中に見たら心臓に悪いぐらいである。さすが霊感を持つという山岸凉子💦と言いたくなるぐらいだ。


210603b さて『レベレーション』冒頭は1425年に始まり、1431年に終わる。当時の英仏絡んだ歴史的背景は複雑だが、カトリック×プロテスタントの宗教対立まで絡んでくる『王妃マルゴ』の背景も極めて複雑である。
こちらは130年ほど後、マルゴことマルグリット・ド・ヴァロワが6歳の時から始まる。ジャンヌが貧しい農民の娘なら、一方マルゴはフランス国王の美しい娘である。天と地ぐらいの差だ。
加えて政争と戦乱の中で62歳まで長生きしたというのもジャンヌと対照的である。

「一番ステキな夢は美しい王子様と結婚すること」と愛を夢見る少女のマルゴだったが、残念ながら王族の一人であるからそんな自由はない。初恋の相手とは引き離され、国家と宗教の間で政略結婚をさせられるのみ。
しかも肝心の結婚相手のアンリ(4世)はあらゆる意味で信頼できない男であった💢

さらに、その背後には恐ろしい猛母たるカトリーヌ・ド・メディチが存在する。息子たちを次々に王位につける中で隠然たる支配力を奮う。それは敵どころか自分の子どもでさえ暗殺することも辞さない、非常に恐ろしい母親である。読んでいてコワ過ぎて泣きそうなぐらいだ。
マルゴも自分の母親に殺されるのではないかと常に戦々恐々とする。この恐るべき母を描く萩尾望都の筆致は実に容赦がない。まさに真骨頂と言えるだろう。

その血で血を洗う複雑な勢力関係の荒波の中で、夢見る少女はやがて自らの美貌と肉体を武器にすることを辞さぬまでになる。
後世に彼女は「華麗なる恋愛遍歴」、別の言い方をすれば「淫乱」などと評されたようだ。しかしそのような人物像ではなく、作者は天寿を全うするまでただ一人の男への愛を貫いた純粋な女としての一代記を描いたのである。

この作品は驚いたことに萩尾望都の初の歴史ものだという。「ポー」シリーズなどで様々な時代を風俗にこだわって描いているので、てっきり歴史ものも描いていると思ったのだが違ったのね(;^ω^)
しかも最初の掲載誌が休刊になり、別の雑誌に引っ越し連載という災難にあった。そのせいか終盤が駆け足っぽくなってしまったのはちと残念である。


ベテランのマンガ家が二人揃ってフランス史に残る女性(しかし極めて対照的な)を描いたことは奇遇としか言いようがないが、その背後に存在するテーマは若い頃からこだわってきたものと不変であり、「三つ子の魂百までも」なのが読み取れる。
そして、自らの信仰と意志を貫き逸脱したジャンヌが二十歳前に早世し、身分と政治の境界の中で流されてサバイブしたマルゴが長生きしたというのも、何やらいつの世であっても変わらぬ女の行く末を描いているようだ。


210603c 【オマケ】
ついでに関連した音楽を紹介しよう。
ジャック・リヴェットが1994年に作った『ジャンヌ・ダルク』前・後編のサウンドトラック。音楽担当はジョルディ・サヴァールで、「ロム・アルメ」(武装した人)をモチーフに使い、当時の写本の曲、デュファイの作品、そしてサヴァールのオリジナル曲から構成されている。
公開当時、サンドリーヌ・ボヌールのジャンヌがナウシカみたいだと話題になった。ここにもハヤオの影響が(!o!)

210603d ルネサンス期作品をレパートリーとするデュース・メモワールによる、デュ・コーロワの作品集。彼はアンリ4世(マルゴの元夫)の宮廷楽団の音楽監督だった。
2枚組の片方に、暗殺にあったアンリ4世の葬儀で演奏された「国王のためのレクイエム」を収録している。(司祭の説教まで付いている)
演奏の水準は高く極めて美しく、何度でも聞きたくなる。
付属のブックレットには、暗殺時に乗っていたものとおぼしき国王の馬車の写真が載っている。実物が残ってるんでしょうか。

210603e

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2021年5月22日 (土)

今ひとたびの「一度きりの大泉の話」

210522 自分の感想を書いてから、他の人の評などを読んで思ったことを追加したい。

私は小学生低学年の頃は少女マンガをよく読んでいたが、その後は縁遠くなってしまった。萩尾望都を初めて読んだのは、高校の同じクラスでマン研に入っている子が「布教用」に持っている『ポー』や『トーマ』を貸してくれた時である。
家へ持って帰って読んでいたら、6歳上の兄も一緒になって読んで「すごい!」と興奮して、大学のマン研所属の友人に電話をかけ「遠藤周作とかヘッセみたいなんだ」(←兄が好きな作家)と力説した。もっともその人はマン研内でもエロ劇画専門だったので、今ひとつ反応は薄かったようだ。

その後、定期的に少女マンガ雑誌数種類を立ち読みするようにまでなった(昔は金はないが体力だけはあった)。
当時、『風と木の詩』は連載開始前から話題になっていて「遂に世に出るのか」「なんか過激らしい」みたいな噂が流れていた。まさに満を持して登場✨といった状況である。
雑誌が発売された時はいち早く本屋に行って、周囲に人がいないかキョロキョロと気にしつつドキドキして立ち読みした。

リアルタイムでは萩尾作品と似ているとは思わず、単にヨーロッパの男子校寄宿舎という設定がはやっているのだなあという感じで読んでいた。確か池田理代子(『オルフェウスの窓』第一部、か?)や坂田靖子も描いていたはずだ。
『小鳥の巣』はゴシックホラー、『トーマ』はミステリ志向であって、『風木』とはジャンルからして異なるという印象だった。

しかし後から考えてみると、竹宮惠子にとっては自分こそ少年愛の先駆者だ、先駆者たらねばならない⚡という強烈な自負があったに違いない。
その自負心の前では、当時だろうが現在だろうが「全く似てない」とか「盗作じゃない」などと他者が論じても意味はないのだ。
なんで『11月のギムナジウム』の時はOKだったのに『小鳥の巣』や『トーマ』になるとダメなのか(?_?)と問うても無駄である。

唯一で最高の作品を描くのは先駆者の彼女なのであり、だから全ての尺度は彼女が決めるのである。これはもはや論理ではない。自らを恃む強い意志と感情なのだろう。

さらに問題は、竹宮は萩尾を自分に脅威を与えるライバルと見なしたけど、萩尾の方は心強い「仲間」とか「同好の士」と思っていたのではないかということだ。

登山を引き合いに出してみると、同じ山頂をめざして山登りをする仲間なら競争ではないのだから足を引っ張り合うことなどはなく、個々人がただ黙々と進んでいけばいいだけである。
途中で別ルートに別れたり、道が交差したりもするし、道具や水筒を貸してやったりもするだろう。それぞれ躓いたり休んだり時間差も出るかもしれない。が、とりあえず登っていけばいい。

そう思って歩いていたら--突然に道の前に立ちはだかり「あんたは登ってくるな」と突き落とされたらどうなるだろうか。「な、なんで~?」と斜面を転がり落ちながら思うはずだ。

萩尾は『一度』の中で、これが狭い道一本しかなく一人しか選ばれないバレエの舞台とか、親から平等に扱われるはずの姉妹関係なら「嫉妬というのもわかる」と書いている。
しかし山頂は広くみんなに開かれていて誰でも登るのは可能ではなかったのか。
一緒に登っていたはずがいつ敵になってしまったのだろう。そもそも山頂は独占するような狭いものだったのかな。

他の感想を見ると「天才過ぎて竹宮の作品など相手にしなかった」さらには「見下していた」などという極端な解釈まであったが、そりゃ違うだろうと思う。「無神経で鈍感だから気付かなかった」に至ってはナニソレ┐( ̄ヘ ̄)┌である。

「仲間」と思っていれば、自分の所に送られてこない掲載誌や描いたクロッキーブックを見せてもらうのは普通だし、その他情報を共有したりお喋りしにいくのも当たり前のはずだ。
しかし「敵」だと思われていたらどうなるか。相手からは「邪魔」「鬱陶しい」「スパイか?」となるだろう。

少女マンガの仲間だと思っていたら「敵」だったというのがそもそもの食い違いであり、悲劇の始まりだったのではないか。そして、二人が別の人格である限りこれはどうにもしようがないことなのだ。


なお、独特の文体で書かれているために「幼い」などと見当はずれの形容をする意見も見たが、勘違いだろう。「事件」が起きた時は20代前半の若い子ではあっても現在はベテランの表現者である。回想の表現が整然としてなくても、至る所に「証拠はある」「文句があるなら毅然とした態度をとる」意志は感じさせるのよねえ。
いずれにせよ、今年最大の話題書の候補に入るだろう。

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2021年5月 8日 (土)

「一度きりの大泉の話」

210508a 著者:萩尾望都
河出書房新社2021年

(以下、全て敬称略)
発売前の告知だけで少女マンガ界隈が騒然となった手記である。
1970年秋から若い少女マンガ家(とその卵やファン)が集ったいわゆる「大泉サロン」については、半ば「伝説」と化していた。
近年、竹宮惠子がその時代を回顧した『少年の名はジルベール』(2016年)が出版された。さらにそれをふまえた上で他の資料・記録を検証し他のマンガの動向も合わせてまとめたのが中川右介『萩尾望都と竹宮惠子』(感想はこちら)である。
一方、これまで萩尾サイドからはまとまったものは何もなかった。

『少年』の趣旨は--増山法恵と少女マンガに革命を起こそうと誓い、その場所を作るため「トキワ荘」めざして増山の自宅のそばに家を借りた。
様々な人々が訪れたが、自身のスランプと萩尾の才能のプレッシャーのために精神と身体に不調が起きたので、大泉から去る。そして、拒否され続けてきたライフワーク『風と木の詩』の連載になんとかこぎつけることに成功した。

私はこれを発売してすぐ読んだ時、連載をこなし商業的に既に成功していたという印象が強い竹宮が、萩尾に対してそこまでプレッシャーとジェラシーを感じたというのが、ちょっと信じられず意外に感じた。
とはいえ「大泉」に関してはこのように述べている。

私たち三人が一緒に住んだ場所は、のちに1970年代少女マンガの基礎を築いた「大泉サロン」と言われるようになる。そこには、「24年組」と呼ばれることになる私たちの物語が詰まっている。

心身不調の中で去ったにしろ、極めて肯定的なとらえ方だ。

さて、そこで『一度きりの大泉の話』である。
これは衝撃的告白&告発の書だ。しかも過去に裁判沙汰になっても受けて立つことを考えたとまで書いてある。かなり不穏ではないか、ヒエーッ(>y<;)

回顧録の形を取っており、その内容をざっくりまとめると
・「少年愛」については増山が旗を振っていたけれど、自分は少年は好きだが少年愛には興味はない。
・「風木」の盗作疑惑で竹宮(&増山)からバッシングを受けた。疑惑は完全否定する。
・「大泉サロン」「花の24年組」は虚構。自分は関係ない。これからも関わりたくない。

最大の衝撃箇所は、その盗作疑惑宣告を受けた状況である。『少年』の中においては「萩尾に対し距離を置きたいと告げた」などと2行で終了している。しかし、こちらではその後萩尾はショックのあまり飲まず食わずで街中で倒れこみ、ストレスで眼が見えなくなったというのだ。
まさに「50年を経ても生々しいトラウマ記憶」(信田さよ子)ではないか。これほどの被害を受けたと訴えているからには、もはや牧歌的「大泉」観を漫然と受け入れるわけにはいかないだろう。

そういう意味では少女マンガ史を震撼させる内容だ。同時に個人としての告発本でもあるといえる。

以後、萩尾は竹宮本人と接触を断ちその作品も一切目にしていないという。『少年』発行時に本を送ってきたが封筒に触ることもできなかった。これこそトラウマの影響のように思える。
にも関わらず、『少年』の内容を念頭にした記述と思しきものが幾つか見られる。恐らく、マネージャーの城章子が概要を伝えたのだろうか(あくまでも推測です)。

両書で共通している部分。
・クロッキーブック(ノート)の使用について
これは一見マンガ家のアイデア発想法みたいだが、双方とも「ここに証拠は残っている」と言っているように思えるのはうがち過ぎか。

・『風木』と『小鳥の巣』『トーマの心臓』の発想時期
『少年』を再読して初めて気付いたのだが、「風木」の冒頭50pをクロッキーノートに描いたのが1971年1月21日だと日付まで書いている。その時に萩尾を含む周囲に作品の存在について話したとある(ノートを見せたとは書いていない)。
対して、萩尾はそのノートを見せてもらったのは6月のことであり、「トーマ」の習作を描いたのはそれよりも早い3月で、竹宮、増山にも見せたと細かく反証している。

・萩尾の〈無神経さ〉について
『一度』では「本当に鈍いのですが、本当にわからなかったのです」「人間関係において空気の読めない私は、距離感をうまく取れない」「私が何か配慮足らずで」「私が苦しめていた。無自覚に。無神経に。」というような表現が頻出する。
これは『少年』において、竹宮が離れたくて大泉から引っ越すことを決めたのに萩尾が気づいていなかった(結局また近所に来た)。さらに新居にやってきて自分が仕事中なのに増山と談笑しているのにいらだった--という部分を念頭に置いているように思える。

・両者とも互いの存在に対して心身のストレスを感じて耐えられなかった。

異なるのは、竹宮が萩尾に宣告して離れて数年後に復調し『風木』の連載を勝ち取ったことである。
一方、萩尾の方は接触せずなるべく目に触れないようにしていたにも関わらず、「共通の知人から、たびたび“あちらのご不快”の話が急に出て」きたというのだ。詳細は書いてないがその後も続いていたのか(?_?)
そして彼女のトラウマはまだ回復していないのだ。

加えて、二人とも共通したアシスタントを使いそれぞれにファンや友人知人がいただろうから、当人たちに関係なく外野から勝手な噂が流れたりもしたと推測できる。そして、さらに被害拡大……(ーー;)
以前、というかウン十年前の大昔にとあるイベントで某マンガ家(注-どちらの本にも出てこない人物)を目撃した。その人の周囲にファンが二重ぐらい取り巻いている中で通路を移動していたので驚いたことがある。そういう取り巻きの人々が何か噂してもコントロールできないだろう。

それにしても、発端は半世紀も前である❗ 未だ払拭できず苦しむとは、人の心の複雑さと闇であるとしか言いようがない。
最大の問題はそのような事件を過去の美談として回収し、事実を塗り替えようとする動向と圧力の存在だろう。
だから「大泉というドラマ」を否定するのは当然だが、代わりに「二人の才能ある作家の悲劇」とか「若さゆえの未熟な友情と嫉妬」みたいな別のドラマに持っていくことも避けたい。
中には「萩尾は天才だから竹宮がああいう行動に出るのは仕方ない」なんて「萩尾アゲ」のあまり逆行しちゃってる意見まで見かけるほどだ。

結局、萩尾の「理解しますけど、謝りません。なぜなら原因は双方にあって、双方とも傷ついたからです」という一節に尽きるのである。

なお、文体はかなり特徴あり過ぎの上に、なんだか統一感に欠けてフラフラしている。インタビュー形式で語ったものをさらに自分で修正・追加したとのことだが、こういう形でしか書け(語れ)なかったのだろう。
そこにまたある種の迫力が感じられるのだ。


その他、断片的な感想を。
謎なのは増山という人である。私はこれまでプロデューサーか編集者的な人かと考えていたが、なんだかどうも違うようだ。
それこそ「世紀末の文化サロンの女主人」(?)ですかね。

「24年組」の言説に関しては、以前から誰がその範疇に該当するのかがかなり恣意的という印象はあった。青池保子や大和和紀はどうなのか、池田理代子や一条ゆかりだって同世代だろう。明確な定義は存在しないってことだろうか。
なお、『一度』で書かれている山田ミネコ発案説については、ツイッターで山田ご本人が「確かに言ったが、そういう意味ではない」と否定している。さらにその意味を何者かが「わざとで意図があった」上で変えたとのこと。

光瀬龍について、竹宮もまたファンらしいと知って以後は彼から「何かのお誘いがあってもお断りして逃げました」とある。これは光瀬ファンの元SF者としては悲しかった。

佐藤史生と増山が意気投合し過ぎて、まだ一作もマンガ作品を描いたことがないのに、互いに「あなたすごいわ💕」と褒め合っていたというのは映画『ブックスマート』の主人公二人みたいで笑った。

萩尾が山岸凉子に嫉妬という感情が分からないと話したら「ええ、萩尾さんには分からないと思うわ」と答えたという。その時の山岸の心境を聞きたい。

西原理恵子が「画力対決」で竹宮にエドガーを、萩尾にジルベールを描かせたというのは、盗作疑惑の噂を知っててやったのだろうか。そうだとしたら大した根性である。(ホメてません💢)
「画力対決」の記録

【追記】追加の感想を新たに書きました。

210508b ←本棚から発掘できた。


 

読んでヨカッタと思えたら、目立たないですが下↓のイイネマークを押して下せえ。

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2021年5月 2日 (日)

祝!「ランド」手塚治虫文化賞マンガ大賞

210502 なんと山下和美『ランド』(全11巻)が手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞した。(ネタバレなし感想はこちら
候補に入っていたことは知っていたが、人気シリーズが複数候補になっているし、内容が内容だけにまず無理だろうと思っていたのでビックリである。(関連記事
ご本人も「驚いて椅子から転げ落ちそうに」なったと言っているぐらいだ。

第一次の選考結果を見ると最下位の5点である(同点が5作品あるが)。票を入れているのは中条省平一人である。
それをどうやって上位の『鬼滅』『ネバーランド』と並べて最終選考にねじ込んで、さらに受賞までたどり着いたのか知りたいところだ。説得力か政治力だろうか(^^?

とはいえメデタイ✨ことには変わりない。
朝日新聞のインタビューによると、連載始めて人気が出なくて「3巻で終わらせて」と言われたという。連載打ち切りのプレッシャーは今も昔も変わらずに存在するのだなあ。
あと、やはり終盤のウイルス出現は、期せずして現実を先取りした形になったそうだ。こりゃ予言の書か。
受賞してもアニメ化などあるとは思えない。内容が不穏過ぎである。

読み終わって、何がイヤってあの世界全てが人々が望んでそうなったということ。思わず震え上がっちゃう。

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2021年4月14日 (水)

「ウルフウォーカー」/「ミッシング・リンク 英国紳士と秘密の相棒」:異種族との接近遭遇

210414a「ウルフウォーカー」(字幕版)
監督:トム・ムーア、ロス・スチュワート
声の出演:オナー・ニーフシー
アイルランド・ルクセンブルク2020年

秀作アニメを生み出すアイルランドのカートゥーン・サルーン長編第4作目である。内容をかなり乱雑にまとめれば、アイルランド版「もののけ姫」といったところか。
絵柄が超個性的だ。中世絵画風の立体感なしに描かれる町の遠景や城内。対して森はケルトの渦巻き文様に彩られた生命にあふれている。

舞台は17世紀半ばの英国統治下のアイルランドの町である。周囲は人を拒む森林に囲まれ、森とそこに住む狼への攻撃はその支配の一環なのだ。
父親が狼ハンターでイングランドから街にやって来た少女は、半分狼の種族の少女と知り合い仲良くなる。敵対する立場だが、二人は共にここではアウトサイダーでもある。

主人公の少女は最初向こう気が強くて狼を狩る気満々なのだが、厳しい現実にぶつかって泣くしかない。しかし、さらに成長して変貌を遂げる。
父親は娘に森でなく城の台所(これがまた、森と違って陰々滅滅とした場所)に行くよう命じる。だが、子どもの自立を止めることはできないという事実を認めるざるを得ないのだった。

映像、ストーリー共によく出来ているが、難点はあまりに「もののけ」過ぎるところだろう。
ただ狼少女は「もののけ」みたいに美少女ではないし(野性味あり過ぎ💦)、絵柄やデザインが非情に独特で、日本の商業アニメとは一線を画している。また、シスターフッドが強調されているのは今風だ。
最初、少年少女だった組み合わせを少女二人に変えたと監督がインタビューで語っていたが、代わりに父親の方は「やはりそう来たか」という定番な展開だった。

ところで登場する羊が『ひつじのショーン』ぽいのは、わざとかな(^^?

過去の3作品『ブレンダンとケルズの秘密』『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』『生きのびるために』(劇場公開名は『ブレッドウィナー』)は全てアカデミー賞にノミネートされているが、この作品もめでたく2020年長編アニメ賞ノミネートされた。


210414b「ミッシング・リンク 英国紳士と秘密の相棒」(字幕版)
監督:クリス・バトラー
声の出演:ヒュー・ジャックマン
カナダ・米国2019年

こちらは米国のスタジオ・ライカ新作。過去4作品のうち私が見たことあるのは『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』と『コララインとボタンの魔女』である。特徴は精緻なストップモーション・アニメだ。
なお、こちらは2019年アカデミー賞の候補となった。

ストーリーはインディ・ジョーンズ+『失われた世界』+『八十日間世界一周』というところか。
未知の生物を探す英国紳士の探検家がいざ遭遇したら、外見はコワいが人語を解し知識も教養もあった!--ということから、その仲間を探す旅に共に出る。世界一周とは言わないが半周以上はするだろう。

映像はCGかと思っちゃうほどの繊細さと大胆さである。風になびく毛や密林の風景、特に人の表情は生きているようだ。
冒険ものとしては定番の酒場での乱闘から氷の山のアクションまで、とてもストップモーション・アニメとは信じられねえ~。
芸が細かすぎてモニター画面なんかでは分からない。大きなスクリーンで見られてヨカッタ(^.^)

自己チューな主人公が生き方を変えるというのはよくあるパターンの話だが、中心となる3人(2人と1匹?)の付かず離れずの関係がよかった。
ただ折角たどり着いたシャングリラの描写(映像面ではなく)が物足りない。あれほど行きたかった割にはなんだか表面的にスルーしてしまったような。映像面は完璧な反面、『KUBO/クボ』も脚本がイマイチだったからそこら辺を補強してほしい。

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2020年11月14日 (土)

「ランド」全11巻

201114a
著者:山下和美
講談社(モーニングKC)2015~2020年

2014年に連載が始まった『ランド』が遂に終了した。

舞台は江戸時代末期か明治初期ぐらいのように見える農村、そして名主の住む町である。きわめて旧弊で不可解なしきたりや禁忌が存在し、お告げに人々はおびえ、生贄を捧げ、互いを見張っている。
実際、「この世」の東西南北にはそれぞれ巨大な異形の神が存在して人々を監視しているのだ。

この世界には老人がいない。住民は50歳まで病にもならず運良く生きながらえるとそこで寿命となって亡くなり、彼方の「あの世」に迎えられるらしい。
そんな村に双子の女の子が誕生する。凶兆……。

そして、不意に全く異なる世界が外に存在することが明らかにされる。一体「この世」と「あの世」の関係は? そしてタイトルになっている「ランド」とは何を指すのか。

このように少しずつ異様な状況が見えてくるのだが、全ての謎が判明するのは最終巻に入ってからである。
その真相は正直なところ完全に想像の斜め上を行くものだった。読んで愕然「こ、こういうことだったのか(~o~;)」と口アングリだ。
長期連載で謎をほのめかした挙句、明確に片を付けずに期待外れで終了してしまうというパターンもある中、ここまで期待値以上というのは貴重だ。

一面としてはSFであるが、この閉鎖的な世界にあるのは全て現在の日本社会そのままの写し絵と言っていい。
大災害、疫病、偏見、格差、同調圧力、情報統制、大衆扇動--。
中でも「老人がいない」という状態は、まさに頭文字の大臣が「政府の金で高額医療をやっている。さっさと死ねるようにしてもらうなどいろいろ考えないと」と発言したその通りではないか。
無駄飯食いの人間を排除し、規範から外れる者を非難し、名指しされた者に皆で石を投げる。程度の差はあれ同じだ。

「この世」は社会の負の要素を集積したような世界なのである。そこで生きていくのは厳しいが、疑問を抱いたりしなければなんとかやれるかもしれない。
しかし、主人公の少女か疑問を抱いてしまったことで波乱が起こる。

どうして「この世」と「あの世」が存在しているのか。
なぜ「双子」なのか。
理想はどのように潰えていくのか。
それへの解答は痛烈で容赦がない。だが解答はあっても解決は果たしてあるだろうか。

鋭い社会と人間への視線がなければここまで描けまい。
ともあれよくぞ完結しましたm(__)m 「傑作❗」のタイコ判を押したい✨ペタッ


しかしラストの1ページは……それまでと違って、語っているのは作者自身だよね。なんとな~く不安が迫ってくる。

【追記】
長く引っ張った挙句にラストでガッカリというのの一番の例は、マンガじゃないけどTVシリーズ『ゲーム・オブ・スローンズ』だと思い出した(もちろん「オレはがっかりしていない」という人もいるだろうが)。あの時は、7年(?)かけて継続して盛り上がってきたのにラスト2回で地の底に転がり落ちてしまった気分になった。
『ランド』の終盤はその盛り上がりの期待を達成したどころか、さらに超えていたのであるよ。

201114b

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2020年8月 3日 (月)

「萩尾望都と竹宮惠子」

200803 大泉サロンの少女マンガ革命
著者:中川右介
幻冬舎新書2020年

少年マンガ史における「トキワ荘」に比較されるのが、少女マンガでは「大泉サロン」だ。
名前はよく聞き漠然とした知識はあるものの、では実際にどういう人たちが集まってどのぐらいの期間続いたのか、ということはよく知らなかったりする。

実際の期間は2年間(1970~72年)で、しかも肝心の萩尾と竹宮は「サロン」の中心人物ではなかった。集まってくるマンガ家志望者仲間たちと熱く語り合っていたのは増山法恵であったという。増山は元々は萩尾の友人で、後に竹宮のマネージャー、原作者となる。(恐らく増山はプロデューサー、編集者的な才能があるのではないかと思った)

--というようなことを、複数の資料から引き出していくのが本書である。
その資料も『私の少女マンガ講義』や『少年の名はジルベール』は近年出たもので入手しやすく私も読んだが、古い雑誌の記事や対談も多く含まれている。
ご当人たちが書いているものでも記憶違いで時期や事実関係などが異なっていることは珍しくない。それらを突き合わせて年代順にまとめて事実をチェックするのはかなりの手間だったろう。

しかもその集った少女マンガ家たちを輩出した『COM』や、他の少年誌などの動きも並行して記述されている。まさに労作だといえる。勃興期の少女マンガに興味のある人は読んで損なしだ。

竹宮は優れた作品を描き続ける萩尾にコンプレックスを抱き、傍にいられなかったというのが「サロン」の終了の理由である。だが、それはあくまでも竹宮が語っていることで萩尾の方はどう思っていたのかは謎だ。
彼女ら三人の間に何があったのか、真実は今となっては推測するしかない。創造する者同士の桎梏だったのだろうか。

単に少女マンガの読者としては、竹宮惠子は常に安定して活動を続けていたという印象がある。多岐に渡るジャンルの連載を次々と続け、商業的にも創作者としても成功していると当時は思っていた。
よもや「どうすれば開放(*)されるのか。せめて離れたかった。」(*「解放」?)とまで思い詰めたことがあったとは想像もできななかった。

本書へのただ一つの疑問点は、当時の萩尾作品の評価についてである。「サロン」当時の彼女は優れた短編を幾つも世に出し、竹宮よりも高く評価された--という見解(これは竹宮本人もそう述べていたと記憶する)だが、そんな高評価は『COM』読んでいるようなマニアの間だけではなかったのか。一般読者(主に小中学生)についても同じだったのか?と疑問に感じた。

私はその当時はリアルタイムでは読んでいないので知らないが、その頃の短編を雑誌から切り取って保存しておいたほどの萩尾ファンの友人がいた。なぜそれほどのファンだったかというと、当時誰も他にそんな絵柄で描いている少女マンガ家はいなかったから、だそうだ。
で、ある時同じ小学校のクラスの女の子に萩尾マンガをどう思うか聞いたところ「地味でつまらない」と答えたそうだ。これが一般読者の反応だったろう。
過去には『トーマの心臓』が人気がなくて連載打ち切りになりそうで大変な苦労をしたと、萩尾自身が語っている。

本書を読んで当時を知らない若い読者は、萩尾作品が一般にも受け入れられて人気があったと誤解してしまうのではないだろうか。
商業誌に描いていて人気のある無し(特にアンケートはがきによる人気投票)は無視できたとは考えられないので、そこら辺の事情も入れてほしかった。

【追記】
『一度きりの大泉の話』(萩尾望都)の感想を書きました。


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2020年4月21日 (火)

「失くした体」:手は口ほどにものを言い

監督:ジェレミー・クラパン
声の出演:ハキム・ファリス
フランス2019年

これもまたネトフリで配信前に限定公開されたフランス製アニメ。やはり数々の映画賞にノミネート・受賞するなど評価が高く、今年のアカデミー賞の長編アニメーション部門に候補に入った。

事前に、切断された手が「本体」である若者を探して街をさまようというストーリーだというのを聞いていた。だからミステリーがかった物語と思ったら、全く違って青春の悶々を描いたものだった。
「手」がかつての幸福な子ども時代や、家族の記憶、最近知り合った娘のことなど回想しながら、パリの街を横断していく。
移り変わる街の光景は美しく、音響も凝っているのでやはり映画館向き作品といえるだろう。

ではあるが「トイストーリー」ならぬ「手ストーリー」風に展開していき、雑然とした下町の路地などを手が這いずり回る✋ので、もし巨大G虫が登場したら死ぬ~(>y<;)とおののいてしまった(結局現れなかった)。
それ以外にも生理的に耐えぬ場面(肝心の手切断の経緯とか)が多く、そういう意味では配信で見る方がいいかも。フラッシュが点滅して目がチカチカするところもあるので要注意。

そもそも根本的になんで手があんな所にあるのよ~、普通は病院じゃないのか?などと下世話なことを考えてしまった。自分には向いてなかったようだ。

平日昼間のためか、なんと観客は私を入れて2名だった。もっと時期が後、アカデミー賞ノミネート発表の頃だったらよかったかもしれない。

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2020年4月16日 (木)

「ブレッドウィナー」:まぼろしの闘い

200416 監督:ノラ・トゥーミー
声の出演:サーラ・チャウドリー
アイルランド・ カナダ・ルクセンブルク2017年

原作は児童文学(絵本?)。原題の『生きのびるために』のタイトルでネトフリ配信されたアニメを、後になって劇場公開したらしい。
ブレンダンとケルズの秘密』を作ったカートゥーン・サルーンの制作で、監督もそちらで共同監督をやっていた一人である。

主人公はタリバン支配下のアフガニスタンに家族5人で暮らす少女である。戦乱の中で父親は教職を追放、持ち物を路上で売って生計を立てている。ところが父親が逮捕されてしまい、女が一人で外出することもできない社会では生きていくこともできない。
その時、友人が少年に化けているのを目撃する。

今まで水くみにも市場へ出かけるにも罵られ、ビクビクしながら隅っこを歩いていたのが、髪を切って「少年」になった途端に何でもできるようになる新鮮な驚きが綴られる。そして家族のために日銭を稼ぐのだった。

素朴な絵柄は恐らく原作の通りなのだろうが、内容は極めて苦しくシビアである。その中で苦難と闘いつつ幼い弟のために語る民話風の物語が、エンデの『サーカス物語』風に交互に挿入される。こちらは勇気を与える物語だ。切り絵風のストップモーション・アニメになっていて楽しい。

女が自由に生きる余地はないが、男も戦禍に巻き込まれるしかない。主人公に憎悪を向けるタリバンの若者があっけなく戦地に動員されるのはその象徴だろう。
見ていてつらくなるような世界である。
しかしそれでも生きていかねばならない。殺伐とした現実と色彩豊かな民話、それぞれの主人公は試練を生き延びることができるだろうか。

作品の完成度は高く、アカデミー賞をはじめ様々なアニメ賞にノミネートされたのも納得だ。

それにしても、女と子供だけになった一家が生活する手立てが、若い娘が嫁に行くしかないとは(=_=) 嫁以外の家族は付属物のように嫁ぎ先でぶら下がって寝食を確保するのだろうか。やはりつらい……💧

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