アニメ・コミック

2025年7月 7日 (月)

人間無用!海と島と動物アニメ・その3「パフィンの小さな島」

250705 監督:ジェレミー・パーセル
声の出演:新田恵海
アイルランド・イギリス2023年

アイルランドのアニメスタジオ、カートゥーン・サルーンの新作はあまり宣伝もされぬまま公開。完全にお子様向けのせいか、上映館数が少なく字幕版もないので吹替版一択だった。

やはりこれもアニメで海🌊島🌅鳥🐦動物たちのパターン。元は配信シリーズものらしいが同時多発的になぜこんなにかぶってしまうのか、謎である。

主人公は環境破壊の影響で故郷を去らざるを得なかった海鳥の女の子。新しい島に来て他の鳥たちが大勢いるけど、親と一時的に離れる事態になり心配だ。でも誰にも相談できない。
そういう小さい子の孤立と不安、頑張ろうとしても却って失敗が大きくなる焦りが身近に描かれる。そのあたりは小さい子どもにもしみるかも。もっとも私が見た時には観客にお子様はいなかった(^^;

元のTVシリーズでもそうなのかもしれないが、ナレーションが見てれば分かることをやたら説明して(小さい子向けだから?)鬱陶しかった。キャラクターのセリフとかぶっちゃう部分もあったり。でもミュージカルっぽいところもあったので、字幕版で見たかったな。

絵柄は三作の中では一番個性が強い。もろに平面的な絵なのになぜか突然立体感生じたりして謎である。
途中『野生の島のロズ』と同じ展開が出てきたのには驚いた。あとキツネはこちらでもあまり周囲と関わらず独りで生きてるイメージだ。
海辺にいる髭を生やした長老カニ(賢人ならぬ賢カニ?)を見ていたら『スポンジ・ボブ』を連想しちゃった🧽 許してm(__)m

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2025年6月29日 (日)

人間無用!海と島と動物アニメ・その2「Flow」

250708 監督:ギンツ・ジルバロディス
ラトビア・フランス・ベルギー2024年

事前の予想を覆してアカデミー賞長編アニメーション賞を獲得したのはこれだ!
なぜか突然人間がいなくなったらしい世界。果たして舞台が地球なのかも曖昧だが、動物たちが廃墟の点在する森で暮らすうち洪水が突然訪れる。
逃げ惑う一匹の黒猫が絶体絶命の危機の中、帆掛け船の影を見つけるのだった。するとそこには先客がいて……。

船に乗り込んでくる動物たちの種類が意表をついて面白い。彼らは喋ったりせず、あくまで動物としての存在だ。いかにもそれらしい動作を入れてくる。
動物の毛並みはCGアニメによくあるような毛皮のモフモフ感はなく、やや荒っぽい画像なのだが(無料のソフトを使ったとか)、一方水の感触や植物の緑、正体不明の建築物に見入ってしまう。カメラの動きが動物視点で、自由自在で滑らかなのにも感心する。

一体この世界に何が起こったのだろうか。最初は温暖化で海水面が上昇したのかと考えた。話が進むうちに、地球の地軸がずれたのかもと思った。(SFにはよくある設定)
しかし途中で登場するクジラみたいな動物は明らかに地球のものとは異なるし、廃墟は神殿なのか高層ビルなのかもわからない。
そこら辺は最初から明確に設定していないようである。

いずれにしろ人間とは無縁の美しい世界が続くのだろう。黒猫の金色の瞳がそれが映す。
そんな中でも爪とぎだけは忘れぬネコチャンである。

愛猫家必見(一応、愛犬家も🐶)の上映時間85分⌚ 短くても豊かなイメージを堪能した。ただ15分以上も予告があって(映画だけでなく普通のCMもあり)長くて疲れた。

監督はまだ30歳(~o~)とのこと。若い!
オスカーについてはアニメ賞だけでなく国際映画賞にもノミネートされていて、母国のラトビアでは史上初の快挙だったらしい。多分お祭り騒ぎ状態になったに違いない。

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2025年6月26日 (木)

人間無用!海と島と動物アニメ・その1「野生の島のロズ」(字幕版)

250626 監督:クリス・サンダース
声の出演:ルピタ・ニョンゴ
米国2024年

なぜか共通項が多いアニメ作品が続けて公開された。流行なのでしょうか。
第1弾はあまりの大好評なので見に行った大手ドリームワークス作品。

名も知らぬ~🎵遠き島に流れ着くロボット一体あり。人間の与えるタスクを達成するのが役目のロズが、人間のいない島でようやく見つけた仕事は雁のヒナの「子育て」であった。
まだ小さいうちはピーチクとまとわりついていたのに、思春期ともなるとふてくされて反抗的。やがて立派に成長して渡り鳥として自立……。
ロボットは性別ないはずなのになぜ「母親」になるのか--などと文句を付けるのは野暮。
お子様を映画館に連れてきたお母さんお父さんが怒涛のように涙を流す(T^T)のは必至だろう。

島の光景、植物、動物全てが美しく鮮やかな色彩で生き生きと動く。憎たらしいはずの回収役ロボさえ魅惑的だ。
キツネのしっぽのモフモフ感はたまらない💖 モフモフしたいぞっ。

子育てや周囲の動物たちと付き合う中でロズの内部にも芽生えてきたものがあった。果たして、メカニクスとプログラムの間に心が生じるのであろうか。いや、むしろこれは「生じてほしい」と願う物語なのだろう。
それよりも大きな疑問は弱肉強食、食物連鎖の輪を断ち切った後に島での「食糧」問題はどうするのか(?_?)ということだ。そこら辺はうまくごまかされたという感じ。
ところでゴールデンゲートが崩落しているというのは--大きな戦争が起こった後の世界なんだろうか。

キツネの声をペドロ・パスカルがやっているというのは聞いていたが、ビル・ナイやマーク・ハミルも担当していたとは全く分からなかった。

アカデミー賞作曲賞・音響賞・長編アニメーション賞候補。事前の下馬評ではアニメーション賞は固いということだったのだが……。

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2024年4月14日 (日)

「フキダシ論 マンガの声と身体」

240414 著者:細馬宏通
青土社2023年

「いろんな種類のフキダシが紹介されてる本だろう」と、気軽な本かと思って読み始めたら全く違っていた。マンガのフキダシがいかに読者の視覚を枠やコマを超えて導いていくかという考察なのだった。

コマ割りについてはこれまで色々と論じられてきて本も複数出ている。しかしそれとはまた異なるものだ。
一つのフキダシには話し手、その相手、語られる内容がおのおの存在する。しかもそれらが必ずしもコマ内に描かれているとは限らない。複雑に絡み合って紙面での展開を認知させていく。

よくよく考えるとそれを読み取るのはある種の能力である。マンガを読むことができないという人がいるのも納得だ。
三原順作品を分析した章があるが、フキダシと読み手の視線とさらには登場人物の視線が大胆に交錯しており目が回りそうだ。
翻って考えればマンガ家はそれだけ高度な作業を恐らくはほとんど無意識で行っている?ということだろうか。凡人には不可能なことである。

取り上げられているマンガは時代もジャンルも様々である。一番古いのは『のらくろ』だ。その中の一枚絵の分析には感心した。フキダシが時間と空間を構築する。

 

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2022年6月 9日 (木)

「シチリアを征服したクマ王国の物語」(字幕版):食われる前に騙れ

220609 監督:ロレンツォ・マトッティ
声の出演:レイラ・ベクティ
フランス・イタリア2019年

原作はイタリアの作家ブッツァーティの児童文学、フランス在住のイタリア人監督がアニメ化したものである(言語は仏語)。
見ればアッと驚くのはうけあい、とにかく物語も語り口も絵柄もぶっ飛んでいる。

町を回っては芝居を見せる旅芸人の老人と少女の二人組。一夜の寝床を求めて洞窟に入ると、巨大なクマが突如出現する。食われないために二人はクマが登場する持ちネタを必死で披露しようとする。
それは、クマの王の息子が人間にさらわれてしまい亡国の危機に陥る。そのため人間の支配するシチリアへと向かうという波乱万丈の物語だった。

独特の造形・色彩による自然描写に目を奪われる。全体のイメージもキリコのパロディあれば、戦争場面はロシア構成主義が元ネタだろうか。
雪玉を転がし幽霊と踊る。変なものが色々と登場し、イノシシ風船と化け猫には笑ってしまった。魔術師にシチリアの大公--人間も怪しいキャラに欠かない。
次々と起こる奇想天外⚡子どもが吹替版で見ればさぞ楽しいことだろう。

でも、お話の方は色々と含蓄がありそうで一筋縄ではいかぬ。語り手が変わると、当初予定されていた「本編」だけでは終わらない。語り方の巧みさが面白さを2割増ししているようだ。

後から知ったが、原作には少女(たち)は登場しないそうだ。また、後半の展開も映画のオリジナルらしい。どうりでなんとなく今どきのファンタジーぽい感じがした。
とはいえ、突飛な面白さは保証付き。82分という長さもちょうどよい。

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2022年3月14日 (月)

「ほんとうのピノッキオ」「ホフマニアダ ホフマンの物語」:よい子には見せられねえ~!古典名作映画化作品

「ほんとうのピノッキオ」
監督:マッテオ・ガローネ
出演:ロベルト・ベニーニ
イタリア2019年

「ホフマニアダ ホフマンの物語」
監督:スタニスラフ・ソコロフ
ロシア2018年
*TV録画視聴

よい子は絶対鑑賞禁止💥 悪い大人にだけ推奨の2作を紹介したい。

まず、最初は『ゴモラ』『ドッグマン』などのマッテオ・ガローネ監督が、自国の超有名童話を実写映画化した『ほんとうのピノッキオ』である。
「ピノキオ」といやあ誰でも知っているよ(^O^)bと言いたいが、実際に原作をちゃんと読んだ人は少ないのではないか。私も小さい頃に絵本で読んだ気がするが、ほとんど覚えてない。かろうじて記憶しているのは鼻がのびるところぐらいだ。

原作が出たのは19世紀末、その当時の社会をあくまでもリアルに小汚く描き、背景として奇想天外な教訓話が進行していく。
木片の時から暴れん坊(^^?なピノッキオは、作り主のジェペット爺さんが質入れして買ってくれた教科書を持って学校へ向かうはずが人形芝居小屋へ行ってしまう。
こりゃ、悪い子というよりは欲望と好奇心に素直に従って気まぐれに動いているような感じだ。おかげで波乱万丈な物語は紆余曲折して続くのであった。

その世界は醜悪で精緻、グロテスクと華麗さ、卑俗と潔癖が同居している。
子どもたちを集めて売り払う人さらい、厳しく代償を要求する雑貨屋、虐待と紙一重な体罰の学校などが登場するが、実際に当時存在したものだろう。
そんな写実の中にカタツムリの侍女(かなり不気味)、忠告・説教するコオロギ、サルの裁判官などどれも違和感なく溶け込んでいる。人形芝居の操り人形たちはあくまでも糸が付いたまま動くのだった(^▽^;)
最後はメデタシメデタシで終わるが、なんとなく湧き上がる「これでいいのか」感も含めて、まさにそのままの映画化といえる。

ただ、ワルモノのネコとキツネだけは人間っぽい外見なのはなぜなのだろうか。しかも、彼らの食い意地の迫力と終盤のヨレヨレと哀れな姿の描写は全くもって容赦がない。
なおピノッキオたちを海で助けるマグロ(?)には久しぶりに「人面魚」という言葉を思い出した(^^;;;コワイヨ~

ジェペット爺さん役は『ピノッキオ』にこだわりを持つロベルト・ベニーニ。なに、今年70歳だって? 若い💡

もうこの「ピノキオ」が本場もんで本命、これ以上のものはないっ❗……と断言したいところなのだが、ロバート・ゼメキス監督、爺さん役トム・ハンクスで映画化進行中らしい。(ただし、ディズニーなんで過激な描写は期待できず)
それどころか、ギレルモ・デル・トロもストップモーション・アニメ製作中だとか。
今なぜピノキオなのか? その謎を解くためにはさらにオタクの密林奥深く探検隊が進まねばなるまいよ。


ドイツの作家E・T・A・ホフマンというとオペラ『ホフマン物語』バレエや『くるみ割り人形』『コッペリア』で知られるのだが、そのどちらの世界にも疎いのでこれまで名前を聞いたぐらいだった。
『ホフマニアダ』は彼が夢想した物語群を、作者自身の境遇と共に映像化したロシア製ストップモーション・アニメである。
この手法は『ホフマン物語』と同じものらしいが、取り上げられている小説は異なるようだ。

しがない官吏生活に汲々とするホフマンは、歌劇場に就職を目指しつつ幻想的かつ悪夢的な物語を綴る--。
それらは彼自身を取り込んで、陰鬱な生活の周囲に万華鏡のように断片として散りばめられ、観る者を幻惑する。
その映像の印象はコワい・キモい・エロいの三拍子~🎵 こりゃ圧倒された。

特に「砂男」の部分はドロドロした悪夢のよう。映画館の大画面で観たら恐怖で震え上がりそうだ。良い子にはとても見せられねえ。夜中にうなされちゃう。
木の枝に絡んだヘビ娘の色気たっぷりの妖しい動きよ。見ていいのは悪い大人だけ!
渾身の力を込めて描かれたいかがわしさに感動するのは間違いない。

作ったのは老舗アニメスタジオだそうだけど、これからもプーチンの横暴に負けずエロくてコワい作品を出してほしい。

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2022年1月13日 (木)

「漫画家の自画像」

220113 著者:南信長
左右社2021年

本を開くまでは「ふむふむ、よくマンガ家が描いている自画像を見比べた本ね」と簡単に思っていた。しかし実際読んでみたらそんな単純なもんではなかった。

正確にはマンガで描かれたマンガ家について様々な角度から論じた書である。その多くは作品内で個性あるキャラクターとして活躍している。それをジャンル分けし、歴史をさかのぼり他作品と比較・分析する。

まずご本人が自分を描いたものがあれば、同じ人物を他のマンガ家から見たものもある。手塚治虫のように自作のフィクション内に登場させたり、ノンフィクションとしての自伝や評伝マンガの場合もある。私小説ならぬ私マンガ、埋め草的な近況報告、さらには独自ジャンルを形成するエッセーマンガも忘れてはならない。
小説だとここまでキャラクター化して作品内に出てくるのは珍しい。マンガの特性ゆえだろうか。

一方で、連載雑誌の目次や巻末コーナーに登場するワンカットの自画像、さらに過去にはスター・アイドルさながら本人が顔出しするリアル写真もあった。(当時は住所も平然と載ってましたな(^▽^;)
加えて、実在人物が登場するのではないが業界マンガにマンガ家マンガ、さらにマンガ家入門マンガなどなど、ネタは尽きず面白い。
おまけに年譜、系譜図、索引付きまで付いているではないか(!o!) 読み応えあり&資料としても役立つ。

ここまで広範囲に資料をさかのぼり調べるのは非常な苦労だっただろう。頭が下がっちゃうm(__)m
早速、とり・みきからSNSで「エッセーマンガを始めた時期は自分の方が早いのではないか」という意見が流れてきた。チェックが大変だ~👀

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2021年8月29日 (日)

【少女マンガ再読】「見えない秋」(樹村みのり)

210829 *初出「別冊少女コミック」誌1974年11月号、『ポケットの中の季節』第1巻(小学館フラワーコミックス1976年)所収

訳あって樹村みのりの古いコミックスを掘り返してチラ見していたら、思わずドトーのように涙を流してしまったのがこの短編である。

樹村みのりには「病気の日」という名短編があって、これは小学生の女の子が家で寝ていて「病気の日はちょっと楽しいな🎵」と思うという、ストーリー的にはただそれだけの作品なのだ。
この「見えない秋」も同じタイプで、同級生の突然の死を知った少女の心理をたどるだけで、やはり明確なストーリーはない。しかし同様に短編マンガとしての完成度は極めて高いものだ。

夏休みが終わって小学校に登校すると、担任の先生から同じクラスの少年の急な死が告げられる。

こんなふうにして その男の子は 突然みんなのあいだから いなくなってしまったのでした

主人公の少女は静かな少年の何気ない言葉や行動を何かと思い出す。それは他の子どもたちも目撃していたはずだが、実際覚えているのは彼女だけなのだ。
生の象徴である夏の終わりが近づくにつれ、忍び寄ってくる秋と同様に死もまた日常に潜んでいることを少女は感じ取る。それは根源的な恐怖と不安だ。

あんなにたしかだったことも 私が死んでしまうといっしょにうしなわれてしまうのでしょうか?

そして転校生がやってくる。その子は少年とは完全に正反対なのだが、空いていた少年の席に座ることになった。少女はそれを遠くから見守るだけ。もはや少年の存在の痕跡はどこにもない。
そして運動会の季節がやってくる。

俊足の転校生が走る徒競走、そしてくす玉割りをクライマックスとして、それまで少女の内心を代弁するように続いていた語りが突然変化する。

だから小さい子 こわがってはいけません おびえてしまってはいけません 死ぬことは死にまかせなさい

割れるくす玉に激しい生のエネルギーが重ね合わされる。そしてその後に付け加えられた転校生との短いエピソードによって、日常の生へと回帰していく。
このあたりの流れと構成は見事と言うしかない。コマ割りも素晴らしい。
夏休みに雲を追いかける光景に散りばめられた記憶、対比される秋口の路地の静けさ……。読者の視線の動きを完璧に計算しているとしか思えないようなページもある。

私はよく考えるのだが、このような巧みな表現はライター講座とかマンガ教室のような所で学べるものだろうか。おそらくは作者は本能で描いているのだろう。読むたびに感心するのだ。

言葉にもできぬもの、絵にも描けぬものを確実に表現する、そのような作品である。

樹村みのりは基本的に短編作家であり長編といっても1巻ぐらい。何十巻も続くようなものは描いていない。
やはりマンガの人気作とか代表作と言えばどうしても長尺な作品を思い浮かべてしまう。彼女のような短編作家は認められにくいだろう。残念である。

なお、彼女の作品は紙本は入手が難しいらしいが電子書籍では読めるようだ。

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2021年6月 3日 (木)

「レベレーション 啓示」/「王妃マルゴ」

「レベレーション 啓示」全6巻
著者:山岸凉子
小学館(モーニングKC)2015年~2020年

「王妃マルゴ」全8巻
著者:萩尾望都
集英社2013年~2020年

210603a フランスを舞台にした歴史マンガ二作について、いつか感想を書こうと思いつつここまで、引き延ばしてしまった。なんとか書いてみたい。

まずはジャンヌ・ダルクを主人公にした『レベレーション』である。
元々は「神がかった人間はどういうものなのか」を描きたいという動機があったとのことだ。候補は3人いたが「モーニング」連載の話があって、男性読者にウケるならジャンヌ・ダルクがいいかと選んだそうな。すると候補の他の二人は男ということになる。一体誰だったのか知りたくなる。

さらに毎月はキツイという理由で隔月連載にしてもらったら、同時期に『王妃マルゴ』を毎月連載中の萩尾望都から「隔月って、残りの一か月は一体何をしているの」と言われたとか(^▽^;)

山岸の長編作品の特徴として、社会や共同体の中で特異な能力を持った人物がその能力を発揮して成功する、あるいは失敗する過程を描くものが多い。この作品でもそれは同様である。
神の声を聞くという力に目覚めた「羊飼いの娘」ジャンヌは父親が持ってきた結婚話を拒否して、声に突き動かされ自ら複雑な政治的・宗教的対立の中に分け入っていく。女・農民・若年--とすべての面で当時の体制からは外れている存在であり、本来なら相手にされなくて当然だ。さらに男装しているとあれば異端でしかない。

その幻視能力、嫌がらせに近い審問や試練にも耐える機転、権威や権力を恐れず、そしてなにより強い信念により、軍隊を率いるまでになる。
しかし、その後に複数の勢力の思惑の中で孤立するのもまた信念の強さのためである。

フランスの領土を取り戻しシャルル7世の戴冠に大きく貢献したとあれば救国の英雄だろう。しかし、その彼女を最後に待ち構えていたのは44人のオヤジ(若い者もまざっているが)による異端審問であった……💣
それすなわち身分も地位もある高僧が字も読めぬ娘っ子をいぢめるという図に他ならない。

ジャンヌは回想の中で、故郷に帰り「羊飼いの娘」に戻る機会があったのに戻らなかったと認める。「正直今はパンをこねたり糸を紡ぐ自分は考えられない」と突き進んだのだと……。
「女に男の服を着られるだけで侮辱を感じる」という時代となれば、素朴な農民の娘から逸脱、どころか侵犯してきた男装の女戦士を社会は許すはずもなく、魔女と認定され火刑に処せられるしかない。
それでも、信念を貫き通した彼女にとっては悲劇ではなかった--と結末は訴える。そして、そこに中世からルネサンス期の狭間という大昔に生きた少女が今現在においても、生々しく立ち上がってくるのだった。

それにしても第1巻あたりの神の啓示場面は限りなくホラーに近い。夜中に見たら心臓に悪いぐらいである。さすが霊感を持つという山岸凉子💦と言いたくなるぐらいだ。


210603b さて『レベレーション』冒頭は1425年に始まり、1431年に終わる。当時の英仏絡んだ歴史的背景は複雑だが、カトリック×プロテスタントの宗教対立まで絡んでくる『王妃マルゴ』の背景も極めて複雑である。
こちらは130年ほど後、マルゴことマルグリット・ド・ヴァロワが6歳の時から始まる。ジャンヌが貧しい農民の娘なら、一方マルゴはフランス国王の美しい娘である。天と地ぐらいの差だ。
加えて政争と戦乱の中で62歳まで長生きしたというのもジャンヌと対照的である。

「一番ステキな夢は美しい王子様と結婚すること」と愛を夢見る少女のマルゴだったが、残念ながら王族の一人であるからそんな自由はない。初恋の相手とは引き離され、国家と宗教の間で政略結婚をさせられるのみ。
しかも肝心の結婚相手のアンリ(4世)はあらゆる意味で信頼できない男であった💢

さらに、その背後には恐ろしい猛母たるカトリーヌ・ド・メディチが存在する。息子たちを次々に王位につける中で隠然たる支配力を奮う。それは敵どころか自分の子どもでさえ暗殺することも辞さない、非常に恐ろしい母親である。読んでいてコワ過ぎて泣きそうなぐらいだ。
マルゴも自分の母親に殺されるのではないかと常に戦々恐々とする。この恐るべき母を描く萩尾望都の筆致は実に容赦がない。まさに真骨頂と言えるだろう。

その血で血を洗う複雑な勢力関係の荒波の中で、夢見る少女はやがて自らの美貌と肉体を武器にすることを辞さぬまでになる。
後世に彼女は「華麗なる恋愛遍歴」、別の言い方をすれば「淫乱」などと評されたようだ。しかしそのような人物像ではなく、作者は天寿を全うするまでただ一人の男への愛を貫いた純粋な女としての一代記を描いたのである。

この作品は驚いたことに萩尾望都の初の歴史ものだという。「ポー」シリーズなどで様々な時代を風俗にこだわって描いているので、てっきり歴史ものも描いていると思ったのだが違ったのね(;^ω^)
しかも最初の掲載誌が休刊になり、別の雑誌に引っ越し連載という災難にあった。そのせいか終盤が駆け足っぽくなってしまったのはちと残念である。


ベテランのマンガ家が二人揃ってフランス史に残る女性(しかし極めて対照的な)を描いたことは奇遇としか言いようがないが、その背後に存在するテーマは若い頃からこだわってきたものと不変であり、「三つ子の魂百までも」なのが読み取れる。
そして、自らの信仰と意志を貫き逸脱したジャンヌが二十歳前に早世し、身分と政治の境界の中で流されてサバイブしたマルゴが長生きしたというのも、何やらいつの世であっても変わらぬ女の行く末を描いているようだ。


210603c 【オマケ】
ついでに関連した音楽を紹介しよう。
ジャック・リヴェットが1994年に作った『ジャンヌ・ダルク』前・後編のサウンドトラック。音楽担当はジョルディ・サヴァールで、「ロム・アルメ」(武装した人)をモチーフに使い、当時の写本の曲、デュファイの作品、そしてサヴァールのオリジナル曲から構成されている。
公開当時、サンドリーヌ・ボヌールのジャンヌがナウシカみたいだと話題になった。ここにもハヤオの影響が(!o!)

210603d ルネサンス期作品をレパートリーとするデュース・メモワールによる、デュ・コーロワの作品集。彼はアンリ4世(マルゴの元夫)の宮廷楽団の音楽監督だった。
2枚組の片方に、暗殺にあったアンリ4世の葬儀で演奏された「国王のためのレクイエム」を収録している。(司祭の説教まで付いている)
演奏の水準は高く極めて美しく、何度でも聞きたくなる。
付属のブックレットには、暗殺時に乗っていたものとおぼしき国王の馬車の写真が載っている。実物が残ってるんでしょうか。

210603e

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2021年5月22日 (土)

今ひとたびの「一度きりの大泉の話」

210522 自分の感想を書いてから、他の人の評などを読んで思ったことを追加したい。

私は小学生低学年の頃は少女マンガをよく読んでいたが、その後は縁遠くなってしまった。萩尾望都を初めて読んだのは、高校の同じクラスでマン研に入っている子が「布教用」に持っている『ポー』や『トーマ』を貸してくれた時である。
家へ持って帰って読んでいたら、6歳上の兄も一緒になって読んで「すごい!」と興奮して、大学のマン研所属の友人に電話をかけ「遠藤周作とかヘッセみたいなんだ」(←兄が好きな作家)と力説した。もっともその人はマン研内でもエロ劇画専門だったので、今ひとつ反応は薄かったようだ。

その後、定期的に少女マンガ雑誌数種類を立ち読みするようにまでなった(昔は金はないが体力だけはあった)。
当時、『風と木の詩』は連載開始前から話題になっていて「遂に世に出るのか」「なんか過激らしい」みたいな噂が流れていた。まさに満を持して登場✨といった状況である。
雑誌が発売された時はいち早く本屋に行って、周囲に人がいないかキョロキョロと気にしつつドキドキして立ち読みした。

リアルタイムでは萩尾作品と似ているとは思わず、単にヨーロッパの男子校寄宿舎という設定がはやっているのだなあという感じで読んでいた。確か池田理代子(『オルフェウスの窓』第一部、か?)や坂田靖子も描いていたはずだ。
『小鳥の巣』はゴシックホラー、『トーマ』はミステリ志向であって、『風木』とはジャンルからして異なるという印象だった。

しかし後から考えてみると、竹宮惠子にとっては自分こそ少年愛の先駆者だ、先駆者たらねばならない⚡という強烈な自負があったに違いない。
その自負心の前では、当時だろうが現在だろうが「全く似てない」とか「盗作じゃない」などと他者が論じても意味はないのだ。
なんで『11月のギムナジウム』の時はOKだったのに『小鳥の巣』や『トーマ』になるとダメなのか(?_?)と問うても無駄である。

唯一で最高の作品を描くのは先駆者の彼女なのであり、だから全ての尺度は彼女が決めるのである。これはもはや論理ではない。自らを恃む強い意志と感情なのだろう。

さらに問題は、竹宮は萩尾を自分に脅威を与えるライバルと見なしたけど、萩尾の方は心強い「仲間」とか「同好の士」と思っていたのではないかということだ。

登山を引き合いに出してみると、同じ山頂をめざして山登りをする仲間なら競争ではないのだから足を引っ張り合うことなどはなく、個々人がただ黙々と進んでいけばいいだけである。
途中で別ルートに別れたり、道が交差したりもするし、道具や水筒を貸してやったりもするだろう。それぞれ躓いたり休んだり時間差も出るかもしれない。が、とりあえず登っていけばいい。

そう思って歩いていたら--突然に道の前に立ちはだかり「あんたは登ってくるな」と突き落とされたらどうなるだろうか。「な、なんで~?」と斜面を転がり落ちながら思うはずだ。

萩尾は『一度』の中で、これが狭い道一本しかなく一人しか選ばれないバレエの舞台とか、親から平等に扱われるはずの姉妹関係なら「嫉妬というのもわかる」と書いている。
しかし山頂は広くみんなに開かれていて誰でも登るのは可能ではなかったのか。
一緒に登っていたはずがいつ敵になってしまったのだろう。そもそも山頂は独占するような狭いものだったのかな。

他の感想を見ると「天才過ぎて竹宮の作品など相手にしなかった」さらには「見下していた」などという極端な解釈まであったが、そりゃ違うだろうと思う。「無神経で鈍感だから気付かなかった」に至ってはナニソレ┐( ̄ヘ ̄)┌である。

「仲間」と思っていれば、自分の所に送られてこない掲載誌や描いたクロッキーブックを見せてもらうのは普通だし、その他情報を共有したりお喋りしにいくのも当たり前のはずだ。
しかし「敵」だと思われていたらどうなるか。相手からは「邪魔」「鬱陶しい」「スパイか?」となるだろう。

少女マンガの仲間だと思っていたら「敵」だったというのがそもそもの食い違いであり、悲劇の始まりだったのではないか。そして、二人が別の人格である限りこれはどうにもしようがないことなのだ。


なお、独特の文体で書かれているために「幼い」などと見当はずれの形容をする意見も見たが、勘違いだろう。「事件」が起きた時は20代前半の若い子ではあっても現在はベテランの表現者である。回想の表現が整然としてなくても、至る所に「証拠はある」「文句があるなら毅然とした態度をとる」意志は感じさせるのよねえ。
いずれにせよ、今年最大の話題書の候補に入るだろう。

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