おすすめサイト

2007年6月 7日 (木)

盗作のウワサより始まって……

幻冬舎新書から出た『新・UFO入門』職場で早速買ったんだけど、なんと《ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記》経由でブログからの盗作疑惑を知る。

えええーっ(!o!)注文してまだ実物も来てないというに、どーしよう。
で、その元のブログがこちら《漫棚通信ブログ版》であります。「これは盗作とちゃうんかいっ」以下のエントリをどうぞ。

で、ついでに他の文章も読んだんだけどこれが面白い。もうマンガの読者としては半分引退状態な私ではありますが、色々と興味を引かれる話がいっぱいですねー。
特に
「第11回手塚治虫文化賞感想」
には、ええっ、そんなウラ話があったんかいと驚かされ、
「お久しぶり、大友克洋」
には大いにウンウン('')(..)('')(..)と頷かせていただいた。

それと文章が温厚でさっぱりしてて読みやすい。ひねくれた文章ばっかり書いている私とは大違いである。(まあ、ブログのタイトルがこれですから、ひねくれてない文章だと「看板に偽りあり」になってしまうというのもあるんですが(^^ゞ)

早速、ブックマークさせて頂き、以後も継続チェックしていくことにした。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年1月28日 (土)

「ある子供」関連リンク追加しました

以前にも選挙関係ネタで引用したことのある荒木國臣先生のHPから、今度は『L'Enfant(ある子供)』の感想をリンクした。
個々の評にはリンクできないので1月12日付けのところを見て下せえ。

 

成熟した先進国でのアイデンテイテイ形成の回路が壊されてしまい、自立の契機を剥奪されて小児的な欲望のままにあてどもなく生きている若者の姿は、そのまま現代日本のものである。

うむうむ、正しくこれが私も感じたことだった。
他の映画の感想も出ているが、『スタンダップ』はこれから見に行く予定(早く行かないと打ちきりになってしまう)。一方、『真夜中のピアニスト』の評価は私とは正反対ですねー(^^;

ただ、こちらのHPは幅いっぱいに字が詰まっていて読みにくいのが難。読んでいるうちに別の行に目が移ってたりして訳分かんない状態に(@_@)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年8月 4日 (木)

平林たい子に脱帽

ネット上でよくネタになっていた「非モテ男・女」の議論だが、初めは面白がってよく読んでいたんだが、段々うっとーしくなって来て読むのがウツになってしまったので、最近は目にしないようにしている。

結局のところ、「このようにもてないオレ様・ワタクシをもてないままにしておくアンタが悪い」という不毛な結論に全て行き着いてしまうように思えたからだ。(違うかも知れんが、それを確認するような気力はもうない)
それから「非モテ」とか「負け犬」とかカテゴリー勝手に作ってその中に分類して良しとする風潮もなんかイヤ~ンなのである。そんなカテゴリーは血液型や星座占い同様、自らを肯定的に確認する目的のためのものでしかないのだ。

そんな中で面白かったのが偶然目にした、「エキサイトブックス」の中の連載コラム「非モテの文化誌」である。
『フランケンシュタイン』の怪物を「元祖キモメン」と認定した回も爆笑したが、「プロレタリア非モテ女」平林たい子の巻は特にすごい。
平林たい子なんて日本文学全集の背でしか名前を見てない、というのが正直なところであるが、こんなにオソロシイ話を書いていたとは知らず……。

-------------------------------------------------------

(前略)駅にぎっしり並んでいるサラリーマンを下の道路から眺めて、よく思ったもんだわ。あれだけ男がいるんだから一人ぐらいは何とかなりそうなもんだがなあ――なんて、ね。ところが、みんな、それぞれきまっちゃってるんだから、どうにもなりはしないのよ」

-------------------------------------------------------

一応、日本近現代文学を学んだ人間ではありますが、自分の無知に恥じ入るばかりであります、ハイ。
その他、ムーミンにドストエフスキーなど面白いネタばかりである。「非モテ」な皆さんは必読ですかねえ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年7月18日 (月)

小倉千加子の連載

職場で何種類かの新聞を取っているが、毎日新聞だけはあいにく入っていない。で、小倉千加子が連載を始めていることは知らなかった。
しかし、さっき毎日のニュースサイトを覗いてみたら「こころ」のコーナーに掲載されているではにゃあの!

こころの世紀女という名の病というタイトルである。
もっぱら一人の女子学生について書かれているが、これからどう展開して行くのか期待大だ。

あと、内容には関係ないが、この小倉千加子の写真はヒドイ!! いわゆる指名手配写真化している。NHK-BSに出ていた時にご本人見たが、こんなコワいオバハンではなかったぞ。改訂版を求む。
いや……それともわざと、か?まさか(-o-;)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年5月28日 (土)

《キャラクター映画》について

「loveless zero」経由で
「こころ世代のテンノーゲーム」
を覗かせてもらったがどの記事も面白い。過去のももっと読ませて貰う予定。
で、取りあえずこの記事--
「宮崎アニメはどこへいった?――ハウルの動く城を見て」
についてなのだが、私も『ハウル』には低い評価しか与えられなかった人間である(ニフの映画フォーラムでも低い点数の人が多かった)。
さてここで「萌えアニメ」として上げられている要素

------------------------------
■印象的なシーンだけを突出させ、物語の文脈が破綻している、あるいは物語としての語りを放棄している。■印象的なシーンを形作るためにセリフを極力少なくしている。■作品総体としてではなく、映像としてのみの印象的なシーンさえあればいいがために、役者の演技を二の次、三の次とする。

以上の点はつまるところ、記号的、断片的なカットの集合体という地点へ収斂するのだが、それをして、■「作品」だと強弁する、それが、私の考える「萌えアニメ」である。
------------------------------

というのは、アニメに限ったものだけではないような気がする。実写の映画を見ていて私も感じた事がある。
例えば『ロード・オブ・ザ・リング』が丸ごとそれに当てはまるだろう。この映画は大塚英志が定義した「キャラクター小説」と同様な、「キャラクター映画」だと思えたのだ。劇中でガンダルフが理屈にあわない不可解な行動をするが、それはその後の極めて感動的なシーンへと直結する。感動に目が眩んで観客はその不備などどうでもよくなるらしい。
「感動的なら理屈にあわなくてもオッケーかよ?」などと、私は噛み付きたくなったのだが、残念ながらそういう意見の人は少なかったようだ。

「キャラクター○○」は「○○」よりも「キャラクター」の方を重視する。他の全ての要素はキャラクターに従属する。端的に言えば、物語の整合性なんかどうでもいいのさっ。
昔のアクション映画や娯楽映画の傑作とされるものでも、見終った後しばらくしてから「ありゃ(?_?)あの場面変だったような……」と気付くことがあったものだ。だが、観ている最中にそれが気になるようではオシマイである。いや、それより作ってる方が全くそういう事を気にしていないのかも……。

だから、最近エンターテインメント系作品を見る事が減って、さらに映画全体の鑑賞回数が減ってしまったのかも知れない。( -o-) sigh...

| | コメント (0) | トラックバック (0)