音楽

2008年5月10日 (土)

来年の「熱狂の日」は熱狂できるかニャ?

ラ・フォル・ジュルネ「熱狂の日」音楽祭、来年は「バッハとヨーロッパ」がテーマだということで、最終日にどんな様子なものなのかと有楽町へ偵察に行った。映画の時間待ちでヒマだったもんでね。当然ホールには入れないから屋台やチケット売り場を観察。

で、ネット上では「ルネ・マルタンとBCJ鈴木(兄)が共に客席にいた」とか「BCJ出演確定」「長い曲も全曲演奏」という情報が流れているが、一方で《Programmes》の記事には「来年は古楽団体を極力排除した日本独自のプログラムでバッハを公演するようです」などとある。
ということは、海外からは古楽系はほとんど来ないんであろうか? そんなのイヤーンfoot

まあ、詳細発表待ちということですかねえ……。

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2008年4月30日 (水)

「老バッハとサン・スーシ宮殿の音楽」:萌える「老有田」先生

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演奏:有田正広&有田千代子
会場:松明堂音楽ホール
2008年4月26日

会場へ入ると何やら薄暗い。開演直前になると、暖房は切られ(4月なのに雨で寒い日だった)照明は小さな電気スタンドと楽屋入口?の電灯と併用の○ー○クぐらいとなった。もうプログラムの字も見えない。下手すると舞台上に誰が立っているのか分からないぐらい(←大袈裟に書いてみました(^^;)。
なんでも当時の貴重なフルートを使用するので保護のために照明を使わないのだという(温度が調整できないらしい)。

その瞬間、私の頭の中にはまた脳内妄想がムクムクと……。
長いこと保管箱のフカフカの布団の上に鎮座していたトラヴェルソ様--は長いのでこれからは「トラ様」とお呼びすることにしよう--がいきなりまぶしいスポットライトの下に引き出されて「キャーッ!私の繊細なお肌が(>O<)」見る見るうちにピキーッと表面にスジスジが入っていくのであった。
なんてことはないですけどね、ハイ∈^_^∋

プログラムはフリードリヒ大王と、彼の作りたてホカホカ(当時)のサン・スーシ宮殿を訪ねたバッハを中心にしたものである。使用のトラ様は大王の師匠クヴァンツ作成のものだという。
解説に「当演奏会では(クヴァンツの)ポートレイト画で描かれている楽器を使用」と書いてあるのだが、これは同じ型というのではなくて、まさにその時クヴァンツが使っていた楽器、ということだろうか?

前半一曲めはバッハの弟子キルンベルガー、次は息子エマーヌエル・バッハのフルート・ソナタ。ここで早くも有田氏のトークは熱が入り始め、サン・スーシ宮殿を訪ねた時の話をしてくれた。実はこじんまりした宮殿で音楽の広間も松明堂と同じくらいの面積だとのこと。(最初「五十畳」と聞こえたけど「十畳ぐらいの広さ」でいいんですよね?)
次の老バッハの『良く調整されたクラヴィア曲集』(千代子夫人独奏)についても、一般に「平均率」と訳されているが、原タイトルには「平均」という言葉は使われていない、などと音階についてまでちょこっと解説してくれた。

その後は大王の宮廷で優秀な奏者として知られたベンダ、そしてクヴァンツのフルート・ソナタも演奏。
なんでも、当時の宮廷ではクヴァンツとフリードリヒ大王が一番エラくて音楽については誰も逆らえなかったとか、でも宮廷楽団にはロクな奏者が少ないとこき下ろされてたとか、エマーヌエル・バッハはクヴァンツの十分の一の俸給しかもらってなかったとか、色々と「宮廷噂の真相」話が炸裂。
さらに、有田先生はクヴァンツもフリードリヒ大王も作曲したものに大した作品がなくて探すのが大変だったというとどめのお言葉--キビシイですなあ(^=^;

最後の二曲は大バッハ作品。大王がテーマを与えて即興演奏したという逸話が有名なリチェルカーレをチェンバロ独奏した(実際はフォルテ・ピアノだったらしいが)。
薄暗い中で光を放つ○ー○ク、望月通陽の絵が一面に描かれたチェンバロの、澄んで透徹した音。それが残響の少ないホールにダイレクトに響き、この曲のミステリアスな雰囲気を伝える。そして、鍵盤自体が発するゴソッゴソッという音--それさえも全てが美しく、魂がフラーッと吸い寄せられる心持ちであった。
まさに気分はフリードリヒ大王! ウット~リheart04となってしまったよ。

ラストはトラ様は降板、別の楽器を使用して大バッハが新しい様式で書いたというフルート・ソナタだった。
アンコールは、タンギングが下手だった大王が自戒をこめて?作曲したタンギングが頻出する曲、そして大バッハの署名があるが実はエマーヌエルの作品らしいソナタで締めとなった。

有田氏は色々と大王をくさしていたが、実は同じフルート狂として結構「フリードリヒ萌え~」のもよう。
フリードリヒ話は止まる所を知らず、クヴァンツが亡くなった時、大王は手を取ったまま号泣しそのまま一日離れなかったそうな。また、歯が悪くなって大好きだったフルートが吹けなくなってしまった時の逸話に至ってはチト泣けましたです。

今まで、大王といやあ「バッハに『音楽の捧げもの』を献呈されておきながら、開きもしないで棚に突っ込んでおいたヤツ(怒)」という認識しかなかったのであるが、かなり興味深い人物だと考えを改めた。そういう意味ではルイ14世と張り合うぐらいかも知れない。大王さま、すいませんねっm(_ _)m
家へ帰ってネットで調べてみるとなんか複雑で波乱万丈な人なのだ~--ということで、図書館で伝記を借りることにした。
ということで、様々な意味で充実した大満足なコンサートであった。

ところで、有田氏は気づけば自分は当時の老バッハと同じくらいの年齢で「老有田」と呼ばれてもいいくらい、と冗談を言っていたが、その話で突然気づいたのは、私もあと十年も経てば父親が死んだ年齢になってしまうということだった(\_\;
あと十年で、横に積んだままになっている本を読み終え、たまりまくっているCDを全て聴くことができるだろうかと考え(←考えることはそれかい!)、なんだか焦ってしまった。こりゃー、もうマジメに働いてなんかいられねーぜっpunch


帰りがけに、松明堂の向かい側に新しく出来たらしいパン屋でパンを買ってみた。おいしかった \(^o^)/ 次に来た時も買おうっと。

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2008年4月26日 (土)

生演奏と録音の間には

《♯Credo》にて「レッドプリーストの「四季」」を興味深く読ませていただいた。

彼らの公演に計3回行った人間としては(^^;--感想はこちらこちら--やはり何か言わなくちゃね。

実は私は彼らのディスクを持っていないし、今後も買うつもりはない。もし、また来日した時に新しいプログラムを持ってきたらきっとコンサートに行くだろうけど。
そして、例えディスクを買ったとしても一、二回聴いたたけで後はもう手に取ることもしない可能性は高い。
正直、音だけだと彼らのアレンジは聴くに耐えないものになってしまうような気がする。大仰でわざとらしさ満載だし。

しかしその原因はというと、やはりレッド・プリーストの演奏は極めてパフォーマンス性の強いものだから、としか思えない。
見ると聞くとでは大違い--というほどではないが、かなりの差はあっただろう。演奏会場でバカ売れだったCDは単に公演鑑賞記念のおみやげ以上の役割はなかったのではないかと思えるほど。
しかし、それは仕方ないことだ。彼ら自身も自称しているように、その公演は非常に大道芸人的なパフォーマンスが中心で音だけ聴いたんじゃ片手落ち、魅力は半減である。

だが、これは彼らがイロモノだとか言ってるわけではない。「正統的な」演奏のグループにおいても、コンサートで素晴らしい演奏を聴かせてくれたんで感動して録音を買ってみても、全く同じ曲を同じようにやっているにもかかわらず、詰まらない演奏でガッカリすることが度々あった。(あんまりそのパターンが多いんで、最近はライヴでよくてもうかつにCD買わないように注意している)
一体何が悪いのか。演奏者自身か、レコード・プロデューサーか、録音技術か?

私は所詮、録音は生気が抜けた残滓のようなもの、あるいは抜け殻のようなものだと考えるようにしている。味気のない干物のようにいくら噛んでも何も出て来ないこともあるだろう。それでもガマンするしかないのだ。
例えば、クレマン・ジャヌカン・アンサンブルなんか録音でも大したもんではあるが、実際にライヴで聴いてみるとその迫力の一割ぐらいしか伝えていないことが分かる。(もっとも彼らこそ元祖イロモノだと見なす人もいますが^^;)

恐らくは、録音の過程で何かが抜け落ちてしまうのだ。それは生身の発するエナジーのようなものかも知れない。
よく芝居を生で見始めると病みつきになってしまう事があるが(知人は週に三回観てたことがある。私は週一回ぐらい)、生のステージ全体、あるいは役者の身体から発する何ものかに引きつけられてしまうからだろう。
音楽の場合にもそれはある。それもまた演奏者や役者の一つの才能なのだ。そして録音や録画はそれを記録することができない。

ただしクラシック界のことはあまり詳しくないので分からないが、ロックやポップスのジャンルではもちろん録音を前提とした音楽はある。
ライヴを最初から想定していない、純粋な録音の中だけで構築された音楽はあるし、あるいはライヴとCDは別物と割り切っているミュージシャンもいる。さらにはライヴとは録音を一音とて例外なく再現するものだとみなすバンドもいれば、録音と実際の演奏の落差があまりに激し過ぎてビール瓶を投げられる奴らもいる。

まあ、これは私の勝手な思い込みかも知れないが(^^ゞ

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2008年4月20日 (日)

「6台のガンバとオルガンによるコンソート三昧」:調弦時間も6倍か

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演奏:ザ・ロイヤル・コンソート
会場:日本福音ルーテル教会
2008年4月18日

一年ぶりのロイヤル・コンソート、今回はガンバ6台とオルガン1台(今井奈緒子)というメンツだ。

プログラムは英国特有の「コンソート・セット」という「ファンタジアといくつかの舞曲を組み合わせて作曲したもの」を紹介。
一番古いのはタヴァナーからギボンズ、ローズ、マシュー・ロック、パーセルまで、時代順というわけでなく、色々と取り混ぜて演奏した。ただし、前半・後半共にオルガン・ソロで開始という趣向であった。

個人的にはやはりパーセルが良かったかなー。
以前、バロック・チェロを弾いていたのを聴いたことのある武澤秀平は高音のトレブル・ガンバを担当だったが、ロウズの2台のバスガンバとオルガンによる曲の時は、福沢宏と並んでバスを弾いた。近くにいた若い娘さんたち(彼のファンか?)はウットリして聴いていたようである。
いやー、日本でもイケメンかつ才能ある若手演奏家がどんどん登場してきて、オバハンも嬉しいぞっと(^Q^)ヘヘヘ

ただ、雨で薄ら寒い日だったので、調弦は大変だったもよう。なかなか調弦が終わらないんで、その間ついウトウトしてしまって、ハッと気づいたらまだ続けてやっていたとゆう……(^^; 別に大袈裟に言っているわけではありませぬ。

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2008年4月19日 (土)

「コントロール」:凡人はただ聴くのみ

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監督:アントン・コービン
出演:サム・ライリー、サマンサ・モートン
イギリス・米国・オーストラリア・日本2007年

ジョイ・ディヴィジョンのアルバムは買ったが(とっくに解散した頃に)あまりよく聞かないまま終わってしまった。それより、後身のニュー・オーダーの方をよく聞いてたのだった。
私がニュー・ウェーヴの類いをよく聴くようになった時には、イアン・カーティスは既に「早世の天才、悲劇のヒーロー」的な扱いを受けていた。米国ツァーの直前、23歳で自殺!……ロック界ではカート・コバーンの事件が起こるまで、その手のイコンとして一番に取り上げられる存在だったろう。
で、当時はMTV勃興前で彼らの映像も見たことないし、ニュースもろくに伝わって来ず。当時どんなだったんだろうと一端でも分かればと、ロック者の好奇心で見に行ってみた。

原作はイアンの奥さんが書いた本。さらに彼女は共同プロデューサーにも名を連ねている。そのためか、物語は二人が知り合った高校生の時から始まり、家庭内の出来事が中心になっている。
監督は写真家で、ヴィデオ・クリップの監督としても有名なアントン・コービン。当時、クリップの監督してた者は大抵長編映画の監督業へ進出していったから、彼もてっきりそうだと思ってたら、なんとこれが初監督作だとのことでビックリした。

映像はモノトーンで、英国の田舎町の鬱々とした風景や物語の内省的なイメージをよく表わしている。
またライヴ場面も素晴らしい。特にイアン役のサム・ライリーは神がかり的で迫力あるパフォーマンスを見せてくれる。
開始直前にステージに立つことができなくなってしまった彼の代わりに、マネージャーが別のバンド(前座?)のヴォーカリストをはした金で釣って、歌わせようとする場面があるが、確かに代役なんかじゃ効かないレベル。私だってビール瓶投げたるぞー。
それにしてもマネージャーいい加減過ぎ、ようやるよdollar 思わず笑った。

とはいえ、かような内幕話はほんの少し。ほとんどは、妻と愛人との三角関係の板挟みや持病に悩むといった私生活の話が中心だ。しかも、人気が上がると共に若くして結婚した糟糠の妻に飽き足らず、ギョーカイ関係で知り合ったキレイなねーちゃんにうつつを抜かす--って、こりゃ古今東西どこにでも転がってる話じゃにゃあですか。

加えて、脚本面が今イチ冴えず。例えば、バンド結成の直前に他のメンバーがイアンを「変わった男だ」と評する場面があるのだが、どこが変わっているのか分からない。それまでの彼の描写は普通にロックに憧れる若いモンの標準的姿以外の何者でもないからだ。

結局、彼が自殺に致った経緯はよく分からなかった。天才の内奥は知る由もなく、また死に向かう男の心情も推測不能。のうのうと生きるしかない凡人はただ音楽を聴き続けるだけである。

とはいえ、これを才能のある男の話ではなく、普通人だとしたらどうだろうか。妻を愛しているが愛人とも別れられない。子どもと家庭も必要だ。大きなプレッシャーは耐え切れないが、成功は欲しい……これじゃ、ただのDQN男だよ。
ということで、才能のないヤツは真似しないように。

当時のファクトリー・レーベルの周辺は似たようなバンドがウヨウヨしていたはずだし、金やら利権やらビジネス上の問題から定番の酒・ドラッグがらみの乱痴気騒ぎまで、色んなトラブル要因があったはずだと思うが、そこら辺はほとんどスルーされて物足りなかった。
というわけで、映像とライヴ場面と妻役のS・モートンの役者根性だけが突出した作品と結論したい。


他のブログを見てみたが、映画関係での感想はあまりなくてロック系のブログの方がよく取り上げていた--という事もこの作品の性格を表しているかも。ジョイ・ディヴィジョンをのめり込んでリアルタイムで聴いていたのは、私より数歳年下の世代だと思うが、そういうリアルタイムのファンの感想は発見できなかった。
まあ、そのぐらいの世代はブログなんかあまりやってないか。そういや、映画館の客席もほとんど若いカップルばかりで、オジサンオバサンの姿はなかった。私ともう一人いたぐらい。
ニュー・ウェーヴも遠くなりにけり、ですかな。( -o-) sigh...


主観点:7点(ライヴ・パフォーマンスに)
客観点:6点

【関連リンク】
「映画「コントロール」から振り返る、ジョイ・ディヴィジョンの軌跡」
タワレコのフリーマガジンの記事から。

《こんな映画は見ちゃいけない!》
まさに「禿同」な感想。主人公の内心はセリフとして表出されているのみ。それを理解するのは難しい。

《端倉れんげ草》
作品の感想部分の「上手いからバレるかも。」に爆笑しました。そんなに下手だったんかい……bomb

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←物置の棚から引っ張り出してきた。100年後も残したいデザインですな。やはりLPジャケットサイズでないと。


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2008年4月13日 (日)

日本テレマン協会第181回定期演奏会:次は強大なる敵の出現を望む

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中野振一郎チェンバロ協奏曲大全 第一集:J.S.バッハのチェンバロ協奏曲
演奏:中野振一郎+コレギウム・ムジクム・テレマン
会場:東京文化会館小ホール
2008年4月11日

日本テレマン協会の公演は、いつも行こうと思いつつなかなか行けない事が多い。なぜか、過去に二回ほどチケットを買っておいて行けなかったこともあった。

今回は仕事が終わらず、大あわてで上野にぎりぎり到着という羽目に。危ない所だったよ……(-o-;)

本日のプログラムは『チェンバロと弦楽のための協奏曲』から3曲演奏。その間にチェンバロ独奏の曲を挟むという趣向。しかも、独奏曲は前半はヴィヴァルディの曲を編曲したもの、後半は完全オリジナルの『イタリア協奏曲』からという選曲であった。

コレギウム・ムジクム・テレマンは若手ばかりの総勢5人。ヴァイオリンの姜隆光はかなりの長身のイケメン系、大谷文子は心配になるほどチョー痩せていた--って、どーでもいいことばっかりですね。

中野氏はチェンバロをバリバリ弾きまくり~thunderその勢いとパワーは他の弦の五人を、たった一人で完全に圧するほどであった。
また『イタリア協奏曲』ヘ長調の第三楽章はえらーく速くてビックリ。いくら「Presto」と言ったって、恐ろしいほどのもの凄い勢いのために音がダンゴ状になってるかと思ってしまった。(←ちと大げさに書いております(^^ゞ)

かような中野氏ゆえ、できれば次は同程度の力量と技巧を持った奏者とのガチンコ対決を見たいじゃなかった、聴きたいと思った。あまりの激闘にステージ周囲の客が鼻血を出してバタバタと倒れ、それ以外の客も腰が抜けて立ち上がれなくなるようなヤツを一つ頼む。

アンコールはなくて一時間半強で終了。途中で中野氏が喋った時に「バッハを弾くと体力もいる」(←なんで?)と言ってたから、そのせいかしらん。

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2008年4月12日 (土)

「楽器の進化・ヴァイオリン編」:たい焼き状レクチャー・コンサート

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東京のオペラの森2008ミュージアム・コンサート
演奏:寺神戸亮、上尾直樹
会場:国立科学博物館 日本館講堂
2008年4月6日

4月最初の土曜日の上野公園--となれば花見客で上野の山も騒然spaとなるところだが、今年は暖かくて早々に桜が散ってしまったこともあって、通常の賑やかさであった。その中を科学博物館へ。「ダーウィン展」の行列を横目に隣の入口から入る。

例年、「東京のオペラの森」なる催しでは上野の美術館や博物館でコンサートをやるのだが、今回はその一つのレクチャー・コンサートへ行ってみた。
寺神戸亮がヴァイオリンの歴史についてやるというのだから、これを聞かずしてなんとしよう。相方の鍵盤は上尾直樹である(チェンバロに加えてミートーンのオルガンも)。

さて、満員御礼の古めかしい講堂の壇上に二人が登場して第1曲め……ん?なんか変だぞと思ったのは、寺神戸氏が楽器を通常は首の辺り--というか鎖骨あたりに置くのを、もっと下の胸板に置いてヴァイオリンを弾いていたからである。
その最初のノターリ(この作曲家、全然知りませんでした(^^;1620年代に活躍したとのこと)の曲が終って、早速彼が解説してくれたところによると初期バロック期の絵画に描かれている人物はほとんど胸に置いて弾いているので、最近になって同じようにしてやってみたそうである。当然、指使いなども違ってくるわけだ。

うむむ、日々鍛錬しスパラを弾きこなす一方で、初期バロックにもこの探求心、すご過ぎです。思わず感心。(☆_☆)

本日はヴァイオリン3挺、弓を4本持ってきたとのこと。で、続いてマリーニ、カステッロ、ウッチェリーニを初期バロックモードで弾いてくれた。
その間に時代によるヴァイオリンや弓・弦の構造の変化や当時のヴィブラートの付け方などもしっかり解説。
思えば、昔の北とぴあ音楽祭で開演前にステージに登場してしどろもどろに喋っていた(相当にあがっていた?)頃とは、レクチャー技術も格段の上達であるなあ……なんて余計な感慨にふけってしまったのであるよ。

前半の最後はコレッリ来た~~っimpactという感じで、ここより後期バロックモードに突入。本体も弓も変えて『フォリア』を弾いてくれた。「ヴァイオリンの歴史に変革をもたらした」というコレッリにふさわしい鮮やかな演奏であった。

休憩中は常設展示もやってる日本館の吹き抜けやステンドグラスを眺めてケータイ写真を撮ったりブラブラしたりして時間をつぶす。

後半では、まずビーバーの『ロザリオのソナタ』。当然、スコルダトゥーラの手法の解説がここで入った。
ルクレール、ヘンデルのソナタに続き、ここで遂にバッハ先生登場。これまでの曲の通奏低音とオブリガード・チェンバロの違いを説明して『ヴァイオリンとオブリガード・チェンバロのためのソナタ』を演奏した。
ラストは、モーツァルト。ここで弓を変えてクラシック時代のものを使用した。これによって「語る音楽」から「歌う音楽」へと時代が変わったことが示されるのである。

アンコールでは「折角、3種類持ってきたので使わないと」ということで、モダン・ヴァイオリンを使用してフォーレを演奏した。ただし、伴奏はチェンバロという変則技であった。§^.^§

会場となった講堂は当然残響が少なくデッドな音でその点物足りなかったが、却って音色の違いなど細かい所が判って良かった。
それにしても、終了して科学博物館の外へ出た時には三時間近く経過。まさに頭からシッポまでムギュ~ッとヴァイオリンのアンコが一杯に詰まったたい焼きを食べた気分になった。もう 満腹 満足じゃ~ \(^o^)/
これで料金2000円ナリmoneybagとは安過ぎだいっ。

次の週の有田先生のフルート編も聴きたくなってしまったが、連チャンになっちゃうので涙をのんで自粛した。

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←終了後の講堂内。ちとブレてしまったです。
両脇の上部にある黒い楕円形の物体が「なんだろう」とずーっと気になって仕方なかった。科学博物館だから亀をかたどってるのかしらん?(まさか!)

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→こういうステンドグラスが四方にあって、さらに天井は円蓋状になっている。

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2008年4月 5日 (土)

「佐藤亜紀子リュートリサイタル」:春の事故に泣く

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ヴァイス以降のリュート音楽を辿る
会場:松明堂音楽ホール
2008年3月30日

これまで通奏低音では聴いたことがある佐藤亜紀子がソロ・リサイタルを開くというので行ってみた。
メールで申し込んで送金したら、チケットと共にご本人の手書きのカードがついてて、嬉しかったです。(*^-^*)
でも、アーティスト本人が発送とかそこまでやるの……大変ですねー。sweat02

さて、使用するのはテオルボみたいにでかいバロック・リュート。配布のリーフレットによるとヴァイスが開発したそうである。
プログラムはそのヴァイスと、後輩世代のハーゲンとコウハウトという作曲家の作品であった。後者の二人は名前も聞いたことのない、珍しいものだ。コウハウトはモーツァルと同時代に演奏者としても活躍していたという。

佐藤亜紀子は若草色系のお洋服で登場。春らしくってよろしかったですわよclover
前半は全曲ヴァイスで、近江楽堂のように(つのだたかしが言うには「風呂場」だそうな)残響が大きい所とは違って、松明堂はリュートの音がダイレクトに響いて、また格別の味わいがあった。

後半、最後のコウハウトの曲になると大西律子などヴァイオリン二人とガンバが入り、曲調は誠に春にふさわしい晴れやかなものだったが、完全に古典派だったんで私には守備範囲外で、ちと聴いてて苦しいものがあった(>y<;) ウウウ

これからも珍しい作曲家を取り上げるとのことで楽しみ。アンケートには、もうちょっと前の時代の作曲家をお願いしますと書いて出してきた。

ところで、帰ろうと駅に着いたら西武線が事故で止まっていた。shockなんてこったい!

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2008年3月23日 (日)

「マタイ受難曲」:文化果つる地でも奇跡はあり

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演奏:バッハ・コレギウム・ジャパン
会場:彩の国さいたま芸術劇場
2008年3月20日

少し前に海外のグループの『ヨハネ』公演を二つ続けて聞いた(感想はここここね)わけだが、今度はBCJ『マタイ』である。
彼らの『マタイ』というと私にとって前回は2年前で、初期稿なんで今回と違う部分もあるけどえらく感動したのであった。

今回のエヴァンゲリストはヤン・コボウ--俳優のヒュー・グラントをオキシフルで消毒したような超二枚目ではある。が、なぜかまたも「劇的」であった。fuji
マーク・パドモアの場合とはまた違った感じで、なんか前につんのめるような印象。実際、かなりエヴァンゲリストのパートはテンポが早かったのではないかな(特に後半)。確か彼は以前BCJとは『ヨハネ』をやったと記憶しているが、こんな感じだったかねえ?(よく覚えていない)
最近のトレンドは「エヴァンゲリストが劇的」なのか。

ソプラノ・ソリストのハナ・ブラシコヴァは外見はちょっとコワそうな美女。しかし、声は申し分なく美しい……のだが、あまりに美し過ぎてツルツルして引っかかる所なく耳を通り過ぎてしまいそうなのが難点。
カウンターテナーのダミアン・ギヨンは、声質はロビン君と同傾向だがあれほど「汁っぽさ」はなくてより硬質な感じだ。
で、二人の二重唱となる第27曲は結果、ストレートな混ぜもの無しの純度の高い美しさとなった。

第二グループのテノール・ソロのパク・スンヒは以前目白バ・ロック音楽祭の公演で聴いたことがあるが、やっぱりその時と同じく少し線が弱い印象だった。

イエス役のバス、マルクス・フライスはドヨーンとした重さでなくて、明晰なタイプの声がよかった。ソロのアリア第57曲の「甘き十字架」は福沢宏のガンバがいかにも「十字架」で峻烈ではあるけど同時に「甘い」イメージで、ウットリと聞いてしまった。

同じくバスでフライスより拍手喝采を受けていたのが、ドミニク・ヴェルナーだった。他の歌手より声量があって押し出しが強い。てっきり、オランダ・バッハ協会の来日公演でのヴォルフ・マティアス・フリードリヒみたいになるかと心配しちゃったが、終盤の第65曲のバス・アリアが非常に素晴らしかった。悲しみと喜びが微妙に混ざり合ったこの曲をうまく表現していた。楽器の方もノリのよいリズムを強調した演奏だったせいもあるだろう。
今まで、何回か聴いた『マタイ』で今回ほどこの曲に感動したことはない、と断言しちゃおう。

座ってた席はちょうどセンターだったんで、二組の合唱がちょうどステレオ効果満点で聞こえてきてヨカッタ。やはり大迫力があって均整の取れた美しさをヒシと感じたぞ。満足であ~る。

それからフライング拍手が全くなかったのは奇跡的(「速報」で「ブラボー」と書いちゃったのは間違い)であった。鈴木(兄)氏が手を下ろしてさらに小さく頷くまで拍手ナシ! さらに演奏中もちょうどいい所でデカい咳したり(オランダ・バッハ協会の放映ではM・ホワイトが歌って盛り上がった最中の咳が見事に収録されていた)、チラシの束落としたりという奴もいなかった。
文化果つる地のダ埼玉としては信じがたい奇跡としか言いようがないshine

ただ、どうも聞き手の方の私が、大抵休日の昼間のコンサートだとテンションが下がっちゃって、集中力が切れてしまうことが多いのだが、この日もそんな感じだった。アドレナリンとかの関係かしらん? かと言って、平日のオペラシティ公演で初台駅のホームや階段をダッシュするのも、キビシイしなあ……。
三時間半、座ってただけなのに終わった後はグッタリ疲れて、帰りは寄り道もせず良い子になって直ぐに帰宅した。

一つ疑問だったのは、ヤン・コボウが立って歌い出しを待っている時に、極端に左向いたり右向いたりしてたこと。なぜだ(?_?;
推測できる唯一の理由は--ちょうど目の前の鈴木(兄)氏の指揮中の顔をモロに直視したくなかったからかbearing そんなにコワい顔なのか? もっと舞台が広いオペラシティではどうだったんざんしょ。


ところで、今回の座席はイープラスのプレオーダーで買って、申し分のない位置だったのだが、次の同じ会場での「ブランデンブルク」公演は全く同じにプレオーダーだったのにも関らず、後ろから3列めというあんまりな席なのが判明した!
余計に料金取られてこんなスカな位置じゃ、全然ワリに合わん。
あんまりだ~ω(T_T)ωワナワナ

【関連リンク】
なぜか今回はヤフーのブログ検索でほとんどヒットしなくて、色んなサーチエンジンを使って検索しなければならなかった。
《ぶらあび》
「劇的」という印象。

《あわてず急がず》
オペラシティの公演の感想。ソリストの画像付き詳しい紹介あり。

《オペラの夜》
大阪公演の感想。

《アマデウス☆小一時間BLOG::SYMPHONY No.42》
常連「小一時間」さんの感想。「山本氏のくしゃみ」とは? 花粉病でしょうか。演奏家はマスクしてステージ上がるわけにも行かず、ご苦労さんです。

《Abebe》
「あまりにもうさんくさい風貌をしているので」に爆笑した。確かに、外見だけ見れば怪しい教祖ファミリーに思えなくもない(^-^;(失礼!)

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2008年3月17日 (月)

「『リュートの飾り棚』(1695)ルサージュ・デ・リシェーの音楽」:めざせ500歳

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グライフ(1610年)作のオリジナルリュートとガット弦による演奏
演奏:佐藤豊彦
会場:近江楽堂
2008年3月7日

日本でVIP待遇のリュートったら佐藤豊彦師匠が所有する--じゃなかった、佐藤豊彦が甲斐甲斐しくお仕えしているグライフ作のリュート様なんである。
ガンバなんかだと、昔の楽器をまだ使用できるパターンが多いらしいのだが、繊細なるリュート様たちはそんな訳にはいかず、当時から存命なさっていてしかも演奏可能なのはほとんどないとか。
このリュート様もほぼ400歳。そして4年間もの修復作業の後、ようやく復帰できたらしい。

前回のコンサートでも、これまで聴いてきたリュートとは全く違ったその音色に驚かされたものであったが、今回もやはり生で耳にすると感ずるところ多々あり。

さて、演奏されたのはルサージュ・デ・リシェーという全く聞いたこともない作曲家。CDは世界初録音となるほどにマイナーな人物である。ムートンの弟子になり17世紀末ごろに活躍し、バッハ時代のリュート奏者に大きな影響を与えたとか。

曲を実際に聴いてみるとやや晦渋な印象。今ひとつ「もっと聴きた~い」という魅力には欠けるのであった。存命中も作曲家としてよりは演奏家として人気があったのではないかと推測しちゃう。アンコールの「シャコンヌ」はよかったけど。

それにしてもリュート様は今回もご機嫌麗しくない様子。組曲の舞曲一曲演奏するごとにチョコチョコと調弦しないとダメなのであった。
佐藤師匠によると休憩中に弦を一本交換したそうである。なんでもエアコンの、特に暖房の方が乾燥した風に当たってよくないとか。しかし、夏は夏で湿気のためガット弦は二、三時間しかもたないのである……danger

しかし、客は一同ガマンガマン態勢で、こうなると「リュート公演の聴衆は曲よりも調弦を聞かされている時間の方が長い」のであった。

それでもリュート様!どうかあと一世紀ぐらい 長生き 長持ちして下せえ(^人^)

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2008年3月14日 (金)

ヴィーラント・クイケン、千成千徳 ヴィオラ・ダ・ガンバ デュオ・リサイタル:音はすれども姿は見えず

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美よりもさらに美しい優雅さ
会場:日本福音ルーテル東京教会
2008年3月5日

バルトルドに続いてヴィーラントである。この師弟のデュオコンサートは数年前にも行ったはずだが、もう忘れかけちゃってるのであった(^^;

今回はホールじゃなくて新大久保の教会が会場ということで、限定200席。いつもの木のベンチの横にパイプ椅子の補助席まで並べて満員御礼だ。
ん?待てよ(?_?; バルトルドの時のハクジュホールは250席。でも、結構空席があったから、下手すると同じくらいかもっと客が入っている? トラヴェルソとガンバでこんなに違うのか。
しかもまた客が身内モードでそこら中で挨拶やら手を振ったり大変だー。

私がゲットしたのは中央の通路寄り。てっきりよくステージが見える位置かと思ったのだが……。

いや、よく見えましたよ、楽譜台が(火暴)

人がすき間なくビッチリ座っていて、しかも当然段差がないからステージがほとんど人の頭で隠れてしまうのであった。私の位置からは見えるのはちょうど二人の楽譜台とその間の空間だけ。座ったまま背を伸ばすと、かろうじてヴィーラントのハゲ頭flairと弓を動かす手が見えた。前傾姿勢を取ると千成氏のガンバの表面が見える。
しかし、前席の人がやはり見えないらしく身体を動かすと、全く何一つ見えなくなってしまうのであった。トホホweep
これじゃ、最初から補助席に座ればよかったなー。

音が聞こえればいいじゃないかっていってもねえ……。そもそも高音と低音、二人のどっちが弾いているのかもよく分からない。反響音とかあるから、右から聞こえてくるからヴィーラントとも断言できないのだ。

そんな訳で、鑑賞には最適の環境とは言えなかったが、個人的に良かったのはサント・コロンブ。ちょうど『めぐり逢う朝』を見直したばかりだったので、感銘もひとしおである。彼の曲はやはり録音よりもナマの方がずっとよい。

プログラムは全体としては17世紀前半から、ガンバの最盛期、そして衰退期へと歴史をたどるような構成になっている。
最後のシャフラートという作曲家は名前も聞いたことがなく、曲調も普通のガンバ音楽とは違っていて、興味深いものだった。

さて、ネット上で他の人の感想を探したんだけど、ブログでもミクシィでもほとんど見つからなかった。これまたバルトルドの時と大違いである。なぜじゃsign02

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2008年3月 8日 (土)

あの人は今--内田善美の巻

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以前の記事で、山田ミネコと樹村みのりが「あの人は今?」状態であったことに触れたが、もう一人懐かしい名前を見かけた。

実は全く関係ない政治ネタのリンクによってこちらの《AmlethMachina's Headoverheels》にたどりつき、ついでに「ゴシック」のカテゴリを眺めていたら遭遇したのが「内田善美とセピアカラーのノスタルジア」である。

しばらく耳にしなかった(目にしなかった)名前だなーと思いつつ懐かしさと共に記事を読ませてもらった。しかし、よく思い返してみると彼女の作品は今ひとつ理解しづらいところがあって、一応単行本は全部持っているが、残念ながら「ファンである」とまでは言えないのであった。当時、ただひたすら硬質で美しい線と画力に驚嘆してていたような気がする。
もっとも、歳月が過ぎてはや××年、今また読み直してみれば理解できるだろうか。
今でも印象的なのは、どの作品だか忘れてしまったが(^_^;)少年が年上の中年男に向かって「お皿の裏を洗わないなんて」と非難する場面だ。毎日皿を洗う度に思い出して、「おっと裏側も洗わなくちゃな」とゴシゴシ洗っている。

それにしても作品が再刊されないのは残念である。若い人が触れる機会がなくなってしまうからだ。ほとんどの若いマンガファンは名前も知るまい。とはいえ、文庫の大きさで出されてあの絵を見たとしてもなんだかなあという感はある。

リンク先の記事だと「作者のその後の消息は不明」となっているが、2ちゃんの過去のスレ(ここですな)を見ると、マンガ界とは縁を断って再刊の要請も断っているという説が出ている。
この時点でも「男性説」が取りざたされているのは驚くが、以前は「三原順男性説」やら萩尾望都を男だと思い込んでいたヤツ、などもあったのだから仕方ないのか。
ちなみに私が完全にだまされたのは 「かわ みなみ」 「かわみ なみ」だ。だーって、いかにも「男が無理して少女マンガ風に描いてみたマンガ」だったじゃないですか。違う(^^?

「消息不明」にしても「マンガ界とは断絶」にしてもこの人にいかにもありそうな「伝説」めいた話だから、どちらでも納得してしまう。


話は変わるが、上記のブログの「ゴシック」カテゴリに出てくるミュージシャン名も懐かしいのが多い。私は平凡なロック者だったので、多くは名前ぐらいを耳にしていた程度だが、4ADレーベルは音とアートワーク共にその一貫した美意識に圧倒されつつアルバムを手にしていた。

また、コクトー・ツインズも当時よく聞いたもんだが、マイ・ブラッディ・バレンタインの「ラブレス」に至っては、回数的にはレコードの溝が削れるぐらい聴きまくった--と言いたいところ。実際にはCDなんですり減りはしなかったけどね。
当時、あのアルバムを出したためにレーベルが潰れてしまったというウワサが流れたが、どうだったんだろうか?
彼らの新作も「出る出る」と言われたまま現在に至るが、スティーリー・ダンのように二十数年経ってアルバムを出した例もあるぐらいだからして、まだどうなるか分からないのである……と一応言っておこう。

……と、思ったら日本に来るんですねえ。《Cottonwoodhill 別別館》より「(発表)FUJI ROCK FESTIVAL '08の出演者 第1弾」
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→こちらはコクトー・ツインズです。

【追記】
「かわみなみ」の表記訂正しました。国立国会図書館のHPから検索したら、しっかり「かわみ,なみ」でしたな。

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2008年3月 5日 (水)

バッハ「ヨハネ受難曲」:NBSの後でOAEは

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演奏:マーク・パドモア+エイジ・オブ・エンライトメント管弦楽団
会場:東京オペラシティ コンサートホール
2008年3月2日

オランダ・バッハ協会の「ヨハネ」に行った勢いで、ついでにチケットを購入してしまった公演である。ネット購入できる最終日だったもんで、確保できたのはもはやS席とは思えぬ辺鄙な田舎状態席であった。これだったら、当日券にすればよかったぜい。

おまけに何を勘違いしたか、開演時間はちゃんと分かっていたのに出発時間を計算違いしてしまい、一時間も早く会場に行ってしまった。眠気覚まし用のエスプレッソをグイと一杯ひっかけてエレベーターで上ってっていったら、なんと人気がなくて薄暗いじゃあーりませんかっ。トホホですよ_| ̄|○
今さら新宿戻っても余裕がないし、仕方なくブラブラして時間をつぶしたのであった。

今回の公演のウリは指揮者がいなくて、テノールのマーク・パドモアがリーダー兼エヴァンゲリストをやるということ。とはいえ、楽器隊の細かい合図なんかはコンミスの人がやってたんだろうか。辺鄙な座席からではよく見えなくて残念。
残念といえば、BCJでも病休(?)したソプラノのC・サンプソンがやはり降板だった。
歌手は全部で11人。先日のオランダ・バッハ協会よりは多いが、モダン楽器も含めた基準から考えると小人数ということになるだろう。

パドモア氏は声量があって十分に聞こえてきたが、一方かなりの表現豊か過ぎ……悪くいえばオーバーな歌唱だった。思わずハイッと手をあげて「バッハ先生、エヴァンゲリストが他のソリストよりこんな激情型でいいんでしょうか」と質問したくなってしまう。
しかも、コラールなんかも一緒に歌ってたようだから大変。他のソリストがソロを取っている場面以外は歌いっぱなしということになる(それどころか、20番のアリアも歌ってた)。それでも声の調子が一貫して変わらなかったのはすごいとは思うが。

どうしても一週間前のオランダ・バッハ協会と比べてしまうのは避けられない。とりわけカウンターテナーについては今回のマイケル・チャンスは今イチで、先週のマシュー・ホワイトの方がずっと良かったように感じた。
ただ、合唱についてはさすがに美しく迫力があった。最後に無伴奏で歌われたヤーコプ・ハンドルという人(バッハより一世紀以上も前の人)のモテットは楽器隊の人も加わってとてもしみじみと心にしみ入るものだった。

荒っぽく総括するならば、個々のソリスト(若干一名を除く)についてはオランダ・バッハ協会、合唱アンサンブルはこちらの方に軍配を挙げたい。楽器については--えーと、えーと(=_=;)パスします。
ネット上での、双方を聴いた人の感想ではオランダ・バッハ協会が余裕で勝利したもようである。
あとはBCJがどんな演奏になるか、楽しみ楽しみnotes

疑問・不平不満など
*無料とはいえ配られたパンフにソロ歌手以外の名前が記載されてないのはどーしたことよ。あんまりだ~punch
*なんで休憩入れなかったのか?さすがに集中力が切れた。方々から寝息が(一部イビキも含む)聞こえたぞ。
*京都では朗読(日本人がやったらしい)が入ってたのに、東京でやらなかったのはなぜ?
*近くにポマード(コロン?)の匂いをプンプンさせているオヤヂが座っていて参ったよ。付け過ぎはご近所迷惑です。

【関連リンク】
《Programmes》
当日のメンバー表あり

《rx1206の音楽探訪》
肯定的な感想

《平井洋の音楽旅》
《ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2008 & 普段のコンサート通いのblog》
批判的な感想

《極楽蜻蛉日乗》
厳しい批判

《オペラの夜》
京都での公演の様子

《やーぼーの聴楽雑誌》
京都ではガラガラだったのか……。
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←春近しとはいえ、まだ寒そうな「歌う男」。
時間潰しに撮ってみた。


【追加リンク】
《アマデウス☆小一時間BLOG::SYMPHONY No.42》
あくまでもOAE>NBSな「小一時間」さんの感想です

《ゴロウ日記》より「韓国の中心でヨハネ受難曲を叫ぶ」
なんとOAEの韓国公演のレポート。熱狂ぶりが伝わってきます。日本も負けてなるものか!(←にわかに「愛国モード」になる)

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2008年3月 1日 (土)

バッハ「ヨハネ受難曲」:額に汗して聴く

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演奏:オランダ・バッハ協会合唱団&管弦楽団
会場:紀尾井ホール
2008年2月25日

結論から先にいうと「うーむ、ビミョ~」。sweat02
さらに前向きな意見を述べれば「演奏家はいろいろ、バッハもいろいろ、こういうのもあり」というところか。

事前に来日ツァー(ハード・スケジュール!)の他所の公演の記事を読んでいたので、ある程度予想はしていたが、実にビックリな演奏だった。
歌手が三カ所に分かれているし(エヴァンゲリストがあんな脇にいるのを見たのは初めて)、通奏低音のチェロ、オルガン、コントラバスが一段高い壇にいるし、そもそも一パート一人方式で全体的な人数自体が少ないし……。

さらに不思議なのはヴァイオリンやチェンバロの音が埋もれちゃってあまり聞こえて来ないのに、テオルボがよく聞こえてきたこと。ありえねぇ~という感じだ。下のリンクの記事ではないが、PAシステムかなんか使ってたんじゃないかと疑っちゃうほどである。これで兵庫では2000人のホールでやったってホントか?
紀尾井ホールは久しぶりに行ったが、今までそんな事を感じたことはなかった。ただ、かなり発売から日が経ってからチケット買ったんで、端っこの座席だったせいがあるかも知れない。

歌手のスタイルはやや「濃ゆい」印象。例えば、テュルク氏はBCJの時だとペテロの否認の場面はストレートな力強さで勝負するのが定番だが、今回はゴムのごとくビヨビヨ~ンと長く引き伸ばし、さらにそこを通奏低音が不安をかき立てるように伴奏するのであった。
それから対話の部分は歌手が向かい合って歌うなど「劇」的な表現を心がけていたようである。

しかしですね(v_v)……どうなんでしょう。極めて個人的な印象であるが、一パート一人方式と劇的な表現はあまり合わないような気がするんだけど。
おまけに、後半はホール内が熱くて熱くて汗かきながら聴く羽目になった。おかげで肝心の終盤にモーローとなってしまう情けない事態だったのよ。

本来はこの公演行く予定はなかったんだけど、前評判が極めてよかったのと、バッハの受難曲というと最近は毎年BCJの公演ですませてしまっているのが恒例となっているので、これではイカンと思ったからである。
しかし、近年はめっきり気力・体力が衰えたため(バッハ・イヤーの時は確か一週間のあいだに受難曲三回、ロ短調ミサ一回行ったような記憶が……とても今は無理だー)、この一週間後のM・パドモアが中心となったエイジ・オブ・エンライトメント管弦楽団はパスするつもりだったが、今回のコンサートのおかげでモーレツに行きたくなってしまい、結局土壇場でチケットを買うことに--トホホ(T_T) ドツボにはまるとはこのことか。

ちなみにTV収録が入っていて、3月21日に教育TVで放送されるそうである。行けなかった方はご覧下せえ。でも、音のバランスなんかは修正するんだろうなあ。

【関連リンク】
《古楽ポリフォニックひとりごと》より「【感動した人は読まないで!】オランダ・バッハ協会のヨハネ」
タイトル通りやや辛口めの感想。しかし、ミクシィに超罵倒モードで書いてた人に比べればそれほどでもないんでは(^^;)

【追加リンク】
《Programmes》
TV放映の感想。「大概こういうことすると演奏者はぼろぼろになっていざこざが起きて仲たがいとか」……クイケン兄弟なんてもう結構な歳のオヤヂもツアーで酷使されてるわけですなあ。
それにしても、テノールの人がどうも今一つ冴えなかったのは、そういう訳だったのか。

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2008年2月28日 (木)

タブラトゥーラ「新しい自転車」:ハクジュホール燃ゆ

080228
会場:ハクジュホール
2008年2月22日

既に結成二十数年にもなる踊る古楽バンド・タブラトゥーラの新アルバム記念コンサートである。
ということで、私も張り切ってチケット申し込みしたら、なんと!かぶりつきの席になってしまったじゃにゃあですか……(;^_^A アセアセ
でもまあ、かぶりつきだとこれまでなかなか分からなかった部分も色々と分かって面白いですなあ--皆さんが履いている靴下の色(しかも派手)がそれぞれ違うとか、つのだたかし団長の使用する滑り止めの布(ひざの上に置く)はどんなもんかとか。どうでもいいことばかりですけど、ハイ。

新アルバム記念とはいえほとんどの曲は既にライブでやっているものばかりだが、前半でさらに最新のできたての曲のご披露があった。「ファイアマン」という江崎浩司が作曲したもの。蒸気機関車のかまどに石炭をくべる男の事だそうである。
曲が始まってつのだたかしが汽笛を表わす奇声をあげたかと思うと、田崎瑞博はフィドルで江崎氏はやはりリコーダーでSLの音を真似して騒がしい。
さらに続く「ごわごわ」では客にコーラスをつけるように暗に強制。団長は張り切り過ぎてラウタ(リュート系の楽器)のピックを弾いてる途中で落としてしまい、口三味線ならぬ「口ラウタ」でその場をしのぐという珍事態となった。おまけに田崎氏の弓の一部が切れちゃったりして--きっと熱演のたまものよ。これもかぶりつきだからこそ、よく観察できたのであ~る。

後半開始早々にはウードを倒してしまうというアクシデントもあった。その後にゲストの波多野さんが登場。4曲やったが、「梢の小鳥」や「オード」はCDよりもさらに情感豊かに迫力ある歌い方だった。
その後はドトーの終盤に突入。「チャンバラ」では江崎・田崎コンビがリコーダーとフィドルを振り回して斬り合いしたり(レッド・プリーストの影響か)、寝っ転がって演奏したり(ジミヘン風)ともう大暴れ状態である。

ラストの「ラセルカーダ」になると、例の如くつのだ団長はカスタネットを両手に踊り始めたが、ついに寄る年波には勝てずということか、途中で息が上がってしまったらしく踊りが止まってしまった。プログラムに「元気な長老を装っているが、実はかなり息があがっている」と書いてある通りだった。

アンコールではもはやお上品なハクジュホールの客席は熱狂のるつぼと化し、ステージ上にのぼって踊る者多数。恐るべき熱気で気温も急上昇となった。私はさすがに踊るわけには行かず……でも、波多野さんと一緒に踊ったり握手してもらったりしてたヤツがいたなあ。ウラヤマシィ~ッ(>O<)(指をくわえて眺める)

というように大いに燃えたライブであったが、問題が一つ。それはディミトリー・バディアロフのコンサートと 同 じ 日 に 重 な っ て い た ことだ。なんで、一年365日--じゃなくて今年は366日もあるというのに、よりによってこの二つを同じ日にやるかね。責任者出てこ~い(*`ε´*)ノ☆
おまけに鍵盤は大塚氏だったのにさ--でも、仕方なくバディ様の方をあきらめたのであった。泣いちゃったよ。
え、なに?タブラとバディ様双方を聴くヤツなんて他にいないって? そんなことねーぞangry

【関連リンク】
《ongei :: blog》より「マーティン・ヘイズ&デニス・カヒル、野田暉行、タブラトゥーラの日々」
ビウエラ担当の静かな山崎まさしが玖保キリコの『いまどきのこども』のツグムくんに似ている、というのには爆笑してしまった。た、確かに……(^^;) でも彼はヘビメタじゃなくてパンク小僧だったはず。この二つを間違えると血を見ます。

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