学問・資格

2006年12月25日 (月)

大学生に配って何が悪い!とあえて言ってみる

《Imaginary Lines》の「白ヤギさんからお手紙ついた、らしい」経由で、《大学教員の日常・非日常》の「伊吹くんからの手紙」を読む。

大学にまで小学校と同じ文面の「文科大臣からのお願い」が配られていたという話。
確かに驚くのではあるが……
ちょーっと、待ったd(-.-;)

こちらの大学生の学力不足についての記事を読むと、
「大学教授らが直面した学力不足の例」として

〈国語〉・語彙(ごい)力が中学生以下で論文を読めない

となっている。つまり小・中学生並みの文章読解能力の学生がかなりいるということだ。だったら、小学生と同じ文章を配って何がいけない? いや、むしろ同じ文章でなくてはいけないのでは(^^?)
何せ、今の大学生は「ゆとり教育」のおかげで基礎学力も常識もなんにも知らないおバカなんでしょう? なにせ最低最悪「ゆとり教育」なんだかんね。みんな「ゆとり教育」が悪いのよ。
それを大学の先生自身が言ってるんだからさ。あの「お願い」は大学生にもオッケーってことよ。


【注】以上の文章は皮肉です。念為。


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2005年4月16日 (土)

活字離れについて

Copy & Copyright Diaryより

「文字・活字文化振興法シンポジウム」についての記事について、

昔、パソコン通信をはじめたばかりの頃、同じフォーラムの人が「パソ通を始めて新聞や本を読む時間が(それどころかテレビを見ている時間も)減った。でも、字を読んでいる時間は増えたが」と書いていたのを思い出した。
メディアの種類が増えている時代なのだから、出版物--というか活字だけが「字」なのではない、ということを理解して法律を作ってもらいたいもんである。本を全く読まなかった若いモンがケータイの字を眺めていても、「字」から情報を得ている事には変わりない。そしてその子にとって「字」に接している時間は増加しているのだ。

元のシンポジウムでは高校生の不読者率(一か月の間に雑誌や教科書以外の本を読まなかった者の率)が60パーセント以上である話が出て来たようだが、これは何も最近の話ではない。今の三十歳代が高校生の時だって不読者率の割合は似たようなものであった。それを今さらの如く、学力低下問題と合わせて騒ぎたてている。いい加減にして欲しい。
それより情報リテラシーの教育の時間でも増やしてもらいたいもんだ。今の「情報」の時間で一体何をやっているのか。極めてアヤシイように感じる。

とはいえ、個人的に紙媒体の活字とパソコンのモニターの字は脳の違う部分で読んでいるような気がしているのだが、どうなのだろうか。声を出してモニターやケータイの画面を読み上げるといいのかな(;^^)


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2005年4月 2日 (土)

反抗か勘違いか?

先日知人の息子について不可解な話を聞いた。
その子は高校二年になるにあたっての選択科目で全く受験と関係ない科目を選んだというのだ。「どうも、大学に行くつもりがないんじゃないか」と親は怪しんでいる。だからと言って、他の事--例えばバンドデビュー目指して日夜音楽三昧とか、専門学校のパンフを眺めている--なんてことをやっている訳でもないそうだ。
その前には、いきなりアパートで独り暮らしをしたい、と言い出したそうな。その時は、思春期特有の反抗的なポーズかと思っていたのだが……。

しかし、「loveless zero」 経由で興味深い記事を見つけた。
「内田樹の研究室」より「階層化=大衆社会の到来」である。

〈不思議なことだが、「勉強しない」という事実から自己有能感を得る人間が増えているのである。〉

これを読んで、先ほどの知人の息子の話はこれか!と感じたのである。
芸術方面に才能を発揮したり、中卒で起業してラーメン屋で儲けてベンツを乗り回す、などという才覚のない人間は、せめて学歴でも……と考えるのが普通かと思っていたが、これでは全然逆だ。
ただ、〈社会階層の下位グループ〉のみというのはどうだろうか? 知人の家は両親共に高学歴、父親は教師、母親も教育関係の職業で低い階層ではないのだが。といっても、元ネタの『階層化日本と教育危機』を読んでいないので詳細は不明。

それにしても、この記事のトラックバックを読んでみると皆さんそれぞれ微妙に異なる部分にひっかかりを感じているようで、面白い。

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