書籍・雑誌

2019年6月23日 (日)

「牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って」

190623 著者:三浦英之
小学館2019年

著者は朝日新聞社の記者で2014年からアフリカ特派員だった。その時期のルポルタージュである。

象牙は「サバンナのダイヤモンド」と呼ばれるそうな。1キログラム約20万円で闇取引され中国へ密輸入される。地元の政府職員や高官も抱き込んで組織的に行われ、一部はテロリストの資金にもなっているという。
主な消費地は中国に加え日本である。印鑑用だ。日本では既に国内にある物だけを使用しているはずだが、限りなく疑わしい。
しかし、密猟を放置すればもはや十数年でアフリカゾウは滅亡するらしい。象が死んでいなければ牙を取ることは不可能なのである。

著者は主にケニアやタンザニアで密輸組織の実態を調べようと試みるが、困難を極める。ただでさえ治安は悪く、簡単に協力してくれる関係者は見つからない。
そして浮かび上がる謎の中国人の存在……。
こう書くとまるでサスペンス映画のようだが、現実には劇的な展開はなかなか起こらない。
ここで驚くのは中国のアフリカ各国への食い込み度がかなりのものであること。事態の陰に中国政府ありだ。
昔は日本も「エコノミック・アニマル」などと言われたこともあったが今では完全に負けている。

そしてワシントン条約の締結国会議で、中国の突然の豹変と日本が示した「ゴネ得」の結果は?
とまあ、小説や映画と異なってスッキリしないのであった。これが現実というものだろう。

しかし、需要が減れば供給も比例して減るだろうから、闇市場撲滅を目指して日本では象牙の印鑑を作るのを止めればいいはず。高価なものは贈答用で人気があるらしいが、お高い印鑑を欲しい人には水晶製をオススメしたい。
親戚が印鑑製造をやっていたのだが、水晶というとクリスタルみたいな透明な物を思い浮かべてしまうけどそういうのではない。実際には様々な色の水晶があってパッと見には材質が何か分からないぐらいだ。
ということで、贈り物には水晶製印鑑をどうぞ(^^)/

この本の終章に、アフリカゾウよりもさらに絶滅目前のキタシロサイをケニアで取材したエピソードがある。ツノに薬効があるとされ(実際には効果はない)密猟されたあげく、この時には三匹しか生き残っていなかった。著者はそのうちの唯一のオスを見せて貰ったとある。この時、そのサイは既にかなりの高齢だった。

さて、たまたまこの本とほぼ同時に読んだ「ビッグイシュー」誌360号(2019年6月1日号)に、なんと著者が見たとおぼしきキタシロサイが老衰で死んだという記事と写真が載っていた。
記事によると、野生の最後の一頭が2004年に密猟されたために、2009年にチェコの動物園に残っていた4頭がケニアの保護区へ移送されたのだという。
三浦氏が見学した時には残っていたのは3頭とあるから、その前に既に1頭は死んでしまったことになる。
そして件のオスは2018年3月に息を引き取った。残るは高齢のメスだけで絶滅は決定的となったようだ。

記事中には草原で草を食むサイを密猟者から守るために、ライフルを構えた数人のレンジャーがものものしく警護している光景の写真もある。思わずなんだかなあ(T_T)と物寂しい気分になってしまった。
190623c
←のんびりと食事中のサイと武装レンジャーの対比が強烈である。




【訂正】タイトルを含めて「密猟」を全て「密漁」と変換していたですよ(+_+)トホホ 訂正しました。

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2019年6月 4日 (火)

「全ロック史」

190603 著者:西崎憲
人文書院2019年

人文書院がロックの本を(?_?) しかもその分厚さたるや510ページである。表紙がソフトカバーだからまだしも、これでハードカバーだったら重くてうかつに持ち歩けない。
しかし、読了した\(^^@)/ 読み飛ばしなし、である✨ もちろん、ちゃんと中身を理解しているかどうかは置いといて(ちょっと自信なし)。

冒頭、ブルースとカントリーの歴史から始まる。これはロック史としては当然のことだろう。その後50年代→60年代と進むが、60年代末から70年代にかけての一般にはロック勃興期とされる時期が妙に「薄く」感じた。
そしてさらに読み進めると、パンク以降の方が叙述が長かったのだ。これは意外だった。だが著者はロックの中で最も重要なのはパンクだと主張しているのである。

「ロックのジャンルのなかで一番重要なのものは何だろう。(中略)パンクであると答える人間は少なくないだろう。」

その後はジャンル別に記述が進む。80年代後半から90年代にかけてこれほどにジャンルの細分化が進んだのかと驚くほどだ。これでは同時代的に聞いてたとしても、「全ロック」をその時点で捉えるのはもはや不可能だろう。
だから読者から「あのバンドがないのはどうしたことか」と文句が出るのは(著者はあらかじめ予想しているが)致し方ないことだ。

特にハードコアパンク、ヘヴィーメタルについては極めて詳細。「こんなにたくさんサブジャンルあったの……」と驚いちゃうほど。詳細すぎてほとんどバンド名の羅列と化している部分もある。
ただ、その合間に「優れたバンドである」とか「いいデュオである」などというフレーズが出てくるけど、これは何がどういいのか不明で、あってもなくても変わらない無意味な記述ではないだろうか。

他に特徴としては英米中心、またバンド中心である。ソロミュージシャン(女性も多く含む)は数が少ない。また、バンドの後に長いソロ活動を続けているような人物は独立後の活動はあまり取り上げられてない。(例:ウォーレン・ジヴォン、ジェフ・ベック)スプリングスティーンやプリンスは「分類不能のバンド」の章にある。
非常に人気があって売れたバンドであっても、ないものはない。(例:ボストン、ジャーニー、シカゴ)

また歌詞の訳が頻出するのも意外。著者は翻訳家でもあり、そもそもこの本は訳詞集として企画されたそうだから当然のことか。「ロックが基本的に言語を必要としている」のであれば歌詞について語るのは不可欠ということになる。
となればこれは単に音楽やサウンドをたどるというよりは「全ロック精神史」なのだろう。精神を取り上げるのならば、売れたかどうかなどは関係ない。それであれほどヒットチャートを賑わしたあのバンドこのシンガーはいないのだ。

思えばロックはメビウスの輪のよう。正統と異端、メインストリームとオルタナティヴが裏返ってつながって、またひっくり返る。その精神は常に再生と死を繰り返すのであろう。

その膨大な流れを記した大部の力作、よくぞまとめたものよ。というわけで著者にはお疲れ様でしたm(_ _)mと言いたい。
とはいえ、やはり「ロック産業史」(「産業ロック史」ではない)みたいなものも読んでみたくなるのがファンというものだ。誰か書いてくれんかなー(あくまで他力本願)。プロデューサー名の羅列になりそうな気もするが……。


しかし、やはり文句言いたくなるのは仕方ないことであろう。完読した者には一カ所ケチつける権利を許してほしい。椹木野衣だって書評でマリリン・マンソンが一行しか出てこないと書いてたぞ。
U2よりデフ・レパードの記述の方が長いというのは全くもって納得いかない!(U2三行、デフ・レパード五行) せめて同じ行数にしてくれ(--#)

 

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2019年1月23日 (水)

「贖罪の街」上・下巻

190123
著者:マイクル・コナリー
講談社文庫2018年

刑事ボッシュ・シリーズの18作目である。
前作の事件で定年前にロス市警から停職処分を受けて、ただ今係争中のボッシュ。異母兄弟の弁護士ハラーから冤罪とおぼしき案件を調査を頼まれる。しかし弁護士側の調査員になるのは、元警官としては最も軽蔑されることとされていた。

悠々自適の毎日を送ろうと決心したはずが、目の前に事件をぶら下げられて揺らぐ主人公である。
「向こう側」へ渡るか渡るまいか最後まで悩むが、事件が俺を呼んでいる、いや自分が事件を欲しているのか--と、転がり出した石を止めることはできない。

冤罪事件の謎解きと並行して、弁護士側に付いた事を裏切りと見なされ非難を浴びることや、悪徳警官の非情な所業など、これぞ警察小説といった要素もたっぷりと描かれる。
警察ものが好きな人なら読んで損なしのオススメ本である。

ここしばらく何冊か海外の犯罪ミステリを読んだけど、やっぱりね、比べてみると段違い。コナリーは描写といい構成といい遥かに高水準なのをヒシと感じる。

一点問題あるとすれば、とある人の鍵の開け方だろうか。あんなんで開けられちゃって安全面はいいの

そういや一足先に定年引退したイアン・ランキンのリーバス警部シリーズ(スコットランド警察)があるが、やはりこちらでも主人公は定年後もウロウロと事件の周囲をかぎまわって邪魔者扱いされているのであった。
互いに作中で相手の小説に言及し合っているので、影響を及ぼし合っているのかも。共時性ってやつか。いずれにしろ「刑事は三日やったらやめられない」職業なのは間違いないようである。

さて、中心の事件に直接関係ないが、当時の前カリフォルニア州知事が引退する最後の公務で卑劣な行為を行ったことを、ボッシュが憤っている場面が出てくる。

前知事は超人的なヒーローを演じるのを得意にしていた映画スターだった--(中略)いまや彼はハリウッドに戻り、ふたたび映画スターになろうとしていた。だが、ボッシュは彼の出演した映画を--たとえTVで無料で見られるものですら--二度と見ない、とかたく心に誓っていた。

これって、シュワルツェネガーのことだよね。フィクションとはいえ、ベストセラー本となって多くの人が目にする中で公然と非難しているのは大したもんである。

次作では、彼はLAとは別の市で無給の嘱託刑事になるという。ということはボランティアなのだろうか? そんな役職があるんだ。
いずれにしても続巻は今年前半に訳されるとか。楽しみ早く読みたいっ(^o^)丿


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2019年1月11日 (金)

「ブルーバード、ブルーバード」

190111
著者:アッティカ・ロック
ハヤカワ・ミステリ2018年

黒人テキサス・レンジャー(当然、極めてまれな存在)を主人公としたサスペンス・ミステリ。
舞台となるのは二つの人種が緊密に隣り合うテキサス州の田舎町である。常に接触はしていても混ざり合うことはほとんどない。そんな軋轢の最前線と言える。

河に流れ着いた二人の男女の死体が、主人公の捜査に伴ってその内実をさらけ出す。双方の人種の、互いの愛情と憎悪がもはや表裏一体となっていることを。分かれているのに別れがたい。
その境界ギリギリの淵、ブルースの名曲と共に人種のエッジがこすれ合う音が聞こえてくるようだ。

犯罪捜査や暴力描写に全く問題ないが、男女の描き方がちょっと他のハードボイルド味の作品とは違うなと思ったら、作者は女性だった。最後まで気付かず。おまけに、TVドラマシリーズ『Empire 成功の代償』のプロデューサーの一人だって
ただ毒母の存在をさりげなく描くのは、やはり女性かと後から思ったりもした。男だったら、ああいう描き方しないよね。


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2018年12月18日 (火)

「花殺し月の殺人 インディアン連続怪死事件とFBIの誕生」

181218
著者:デイヴィッド・グラン
早川書房2018年

米国の先住民保留地での殺人--というと映画『ウインド・リバー』を思い浮かべるが、この本は1920年代初めが発端となる。オクラホマで起こった不可解な事件を取り上げたドキュメンタリーである。
オセージ族という部族の、ある年老いた母親とその娘たちが殺人・事故・病気などで亡くなっていく。それを発端として彼女たちだけではなく、白人の配偶者や関係者までも不可解な死や事故に至る。果たして関連はあるのか?
重要なのは、オセージ族が非常に裕福であるということだ。住んでいた土地を追い出され、辺鄙な保留地をあてがわれたのが、なんとそこから石油が出たのだ。そして、その利益を分配される権利を保持していたからである。となれば、財産目当ての犯罪の可能性は十分ありうる。

探偵社の調査員が雇われ、新聞がゴシップもどきに騒ぎ始め、創設されたばかりのFBIが捜査に乗り出す。その後長きに渡り長官を務めるフーヴァーは、前世紀の遺物っぽい保安官的な者ではなく、捜査官として法執行官らしい地味なダークスーツを着用し、地域とのしがらみのない人物を求めたという。あの、映画やドラマに登場する画一的イメージはそういうことだったのか。なるほど(@_@;)

一連の事件の犯人に関しては、優秀なベテラン捜査官の活躍によって挙げることはできた。
が、しかしこの本の著者はさらに公文書館に足を運び(文中の記述の出典がどの文書によるものか、全て細かく注が付いている)、当時密かに行われた恐ろしい犯罪を新たに発見したのであった。ここら辺はミステリ小説のような驚きと恐怖に満ちている。

そもそも当時のオセージ族は大きな財産を持っていても、自由に使うことはできなかった。先住民には必ず資産後見人が付いてその人物が全て管理していたのだ。なぜそのような制度がつくられたかというと、先住民は半人前でまともに金を使う能力がないとされたからである。そして、その莫大な富に多くの白人が群がったのだ。

まさに米国近代史の大いなる恥部 著者は過去の大量の記録をひたすら調べることによって、それを掘り起こしたといえよう。


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2018年11月23日 (金)

「「演劇の街」をつくった男 本多一夫と下北沢」

181123
本多一夫、徳永京子著
ぴあ2018年

あの本多劇場など8つも劇場を下北沢に作った人物の聞き書き。まさに小劇場時代から現在に至る演劇史の一端を覗き見る気分である。
映画俳優を目指すも失敗→飲食業界で大儲け→劇場作りへ情熱を傾ける、という波乱ありまくりな半生に驚く。
本多劇場については、演劇の劇場と音楽ホールは音響が全く違うということが書いてあって、大いに頷けた。どっちつかずは音楽と演劇双方から困るのよ~。

しかし、巻末の役者たち(錚々たるメンバー)のインタビューにちょこっと名前が出てくる酒井裕子というスタッフの人が、かなり重要な役割を担っていたのではないかとうかがえるのだが、その人への取材はない。

あと個人的には、インタビューに登場している人たちが、古田新太を除いてあまり見ていないのが我ながら意外だった。これでも一時期は週に3回芝居見てたりしたんだけどね……。
確かに下北だけであの時代の演劇が回っていたわけではない。私がよく見ていた劇団は下北をベースにしていたのではなかったのだろう。
何も知らずにこの本だけ読むと、劇団はみんな下北を目指していて運動の中心体みたいな印象を受けてしまうかも知れない。
それと夢の遊眠社は当時絶大な人気があったが(今も人気あるけど)、私はああいうタイプの芝居が全くダメで、受け付けない体質だった。そういう個人的な事情もある。

一方で、当時あった他のホールが結構なくなってしまったという話にハッと思った。シアター・トップス、青山劇場・円形劇場などなど--やはり継続しているというのは大変なことである。同時に自治体による公立ホールが増えてきて状況の変化があるという。

下北沢にはもう何年も行っていない。あそこで一番行ったのは多分ザ・スズナリだろう。また行くことがあるだろうか。


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2018年10月14日 (日)

「文字渦」

181014
著者:円城塔
新潮社2018年

何やら文字についての妄想を連ねたような連作小説集である。
ある時、漢字は物や人そのものであったり、遺伝情報のように組み合わせを変えて全く別のものに変化したり、漢字同士が闘ったりもする。文字の歴史を遡り、どれほど先か分からぬほどの未来の姿を見る章もある。
またある時は、本文に対しルビがレジスタンスを企てたり、文字が地層のように集積したり(字層?)、遂には横溝ミステリーのようなオドロオドロな殺人事件ならぬ殺字事件まで起こるのだ。
かと思えば、大量の文字によってプログラムされた世界は、独自の宇宙を形作り、冥王星の側にスターゲートならぬ「文字門」を存在せしめる。

かように、利己的な文字は自らをその界によって自由に形を変えて生成し、生き延びていくのである。
とすればその時、小説とは予め配列された文字によってしか書かれないものとなる。つまり、読むにあたって重要なのは文字そのものであり、「ストーリー」とか「メッセージ」ではないのだ。

そして私がこの本の「参考文献」「初出一覧」まで読み終え、最後のページの奥付にある「文字渦」の文字(明朝体か)を目にした時、その文字がグルグルと渦巻いてピチャンとさんずいに飛沫が撥ね上がるのまで確かに感じたのであった。

そうなると、全てが怪しくなってくるではないか。一体、各ページの余白は本当に余白なのか? 実際はスペースの連なりが余白を装っているのではないか。ところどころ「一行明け」がページの終わりや初めにわざとらしく置かれているのも気になる。そもそも、ページ数を表わす漢数字は正しいページを示しているのだろうか。
加えて、数多く現れる見たこともない漢字の数々--実在するとは到底思えない、でっち上げられたに違いないと思われるようなものが、実は存在したりして。あるのかないのか俄かには判断付け難い文字が目をくらます。
そう、文字は信用できない語り手、なのである。
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と、あちこち本を繰っている間にも文字がスルリと抜け出して、何気ない振りをして裏側へ紛れ込んで張り付いているような気がする。。
しかし、ド近眼・乱視の上に老眼である私には、メガネを外したり掛けたりと読むだけで苦労しなくてはならず、文字のたくらみを見抜くことは非常に難しいのであった。
ああ、残念。


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2018年9月17日 (月)

「名盤レコーディングから読み解くロックのウラ教科書」

180917c
著者:中村公輔
リットーミュージック2018年

以前とあるバンドのアルバムを順に聞いてて、4枚目以降がどうも気に入らなくなってしまった。しかし、メンバーも曲調もアレンジも何も変化はないし、これといった欠点も見つからない。一体何が違うのか。何度聞いても分からないのである。だが、何かが異なる。
そして、唯一の違いはプロデューサーが変わったことだった。
このよく分からない変化はサウンド(漠然とした意味の)にあるのではないか--と感じたことから、この本を録音とか機材などは全く無知なのだが読んでみた。

知っている人は知ってるのかも知れんが、シロートには驚きの記述が続出。
生楽器と電気楽器の共演は録音でもライブでも難しい。
ギターの低音を有効に聞かせるために、ベースの音を消してしまうことあり。
パンチのある音になるよう音を大きく録音するために、音量を部分的に圧縮する。
バスドラムに性能の違う二本のマイクを離して立てて、後でその二つの音をミックスする手法あり。
出来上がったサウンドがどのように作られたのか、ミュージシャン自身にも分からないことがある。
楽器を鳴らす場所(スタジオ、ホール)も楽器の一部。
弦楽四重奏とオーケストラでは録音の手法は全く違う。
ストーンズ「シャイン・ア・ライト」で、C・ワッツは高齢のため強くキックを踏めないので、過去の自分の音源からバスドラの音を抜き出して差し替えた。(後から入れ替えたのではなくリアルタイムで)
サンプリング技術は進んでいて、素人には元の楽器の音と区別が付かない。
オートチューンの登場でヴォーカルのタイミング、ピッチ共に完全に修正できるようになった。
アナログレコードは音質が良いのは外周部分。内側に行くにつれ歪みが出る。

いやー、知らなかった!ことばかり。
プロデューサーが変わればエンジニアも交代するらしいので、音が変わるのは当然か。

スティーリー・ダンについて、私は「エイジャ」からどうも熱心に聞けなくなってしまったのだが、それはサウンド的に大きな変化があったからだろう。この本に取り上げられているのはその次の「ガウチョ」だが、もう一度聞き直してみるか。

また、クラシックの録音についてはどうなのだろうか。例えば、録音を小節ごとに切り貼りすることはあるのか。また音程の怪しい部分を修正したりとかは(^^?)
ロックやポップスほど、クラシックではプロデューサーやエンジニアについて語られないが(そもそもクレジットがない場合も)その存在はどうなのか。

私がクラシック……というか古楽の録音について疑問を感じるようになったのは、アンサンブル・クレマン・ジャヌカンを聞いてからである。多分、録音では彼らの演奏は十分の一ぐらいしか再現できていない。一体この差はなんなのだろうか。知りたいもんである。

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2018年8月16日 (木)

「介護する息子たち 男性性の死角とケアのジェンダー分析」

180816
著者:平山亮
勁草書房2017年

数か月間途中で放り出しておいたのをようやく読了した。
親を介護する男性の経験を通して「息子としての男性」、ひいては「男性性」そのものを考察する。さらには一時期盛んに取り上げられた「男性の生きづらさ」も批判するものである。

介護に限らず「ケア労働」(女性が多く担う)に必要な「感覚的活動」とは何か。「食事を作る」という行為にしても、冷蔵庫に残る食材や使い残しの量を勘案し購入するところから始めなければならない。さらに家族の好き嫌い、どの時間に出すか--など「状態や状況を感知すること、それを踏まえて必要な者や人々の関係について思考」しなければならず、ただ料理することだけではないのだ。
夫が妻の家事手伝いをしようとしたが感謝されない、というような事案はこの「感覚的活動」を意識していないからだろう。それは不可視なもので認識されていないのだ。

実際には、男性性は家庭という私的領域ではこのような不可視の関係調整作業を女性にゆだねて依存しており、決して自立・自律してはいない。そして、著者は公的領域だけにおいて理想化され、依存のない男性像を「自立と自律のフィクション」と呼ぶ。
このような性別分業の元では妻は夫の稼得に頼る。そして妻の生殺与奪は夫が握ることとなる。

ここで注目すべきは「だからこそ、妻自身の就労機会や稼得能力は(中略)何よりも「生の基盤」として必要なのである。そして就労機会や稼得能力が構造的に制限されることは、個人としての生存そのものを困難にさせられること」という件りである。
まさにこれこそ、つい先日発覚した東京医大の入試で行われた不正ではないか!生存そのものの困難!「女はすぐ辞めるからなー、仕方ない」どころではない。

もちろんこれは一般論であり、当てはまらない男女は様々に存在するのは当然である。

かように色々と示唆に富む内容であった。(読むのに時間かかっちゃったけど) 興味のある方はご一読ください。

関連して、こちらのツイートでもハッ(゜o゜)と思った。「女性は誰かを愛するのがノルマ」というのは、まさに女性が行なうケア労働の中に「愛すること」が入っているのではないか。だから「男」として愛することを当然のこととして請求するのである。
そういや、確か多木浩二が書いていたな。「愛とは家庭内だけで流通する通貨である」

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2016年12月31日 (土)

なんとか2016年を振り返ってみたぞ

★古楽コンサート部門
シギスヴァルト・クイケン&ラ・プティット・バンド「マタイ受難曲」
これまで聞いたことも見たこともない「マタイ」であった。孫(?)ぐらいの若い奏者を多く起用しているのも驚いた。それにしても、1000人近い聴衆および共演者を待たせて悠然とガンバの調弦をするなんてできるのは、シギス親爺ぐらいなもんだろう。北は北海道、南は沖縄まで全国津々浦々巡回してほしかった。

「室内楽の夕べ バッハとテレマン」(木の器)
地道ながら、着実な活動を続けている。

「ヴェネツィアの休日」(ベルリン古楽アカデミー)
リー・サンタナの意外な活躍にも注目。

フライブルク・バロック・オーケストラ
素晴らしいの一言。久々に心から「聞けてヨカッタ(^◇^)」と思えたコンサートだった。

*大貫妙子「Symphonic Concert 2016」
フルオーケストラと共演という、相変わらずの「攻め」の姿勢に感服しましたm(__)m


★録音部門
◆古楽系
*「マラン・マレ1689」(パオロ・パンドルフォ)

*「バッハとライバルたち」(バッハ・プレイヤーズ)
ライプツィヒの音楽監督のオーディションにおける提出作品聴き比べ、という企画の勝利みたいなテレマン、グラウプナー、バッハのカンタータ集。

*”A Breath Of New Life”(Saskia Coolen他)
よく分からないけど買ったら当たりだったリコーダー・アンサンブル集。ジャケットのデザインも変わっている。

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◆ロック・ポップス系
*"Dig In Deep" (ボニー・レイット)
さすがに歌声は衰えた印象だが、ソングライティング、アレンジ、演奏、どれも近年にない出来。聞きほれちゃう。でも。これって国内盤出てないのか(?_?) なんてこったい

*"Colvin & Earle"
二人ともベテランだが、その音楽は瑞々しい。

*「ザ・ゲッタウェイ」 (レッド・ホット・チリ・ペッパーズ)

*「ア・ムーン・シェイプト・プール」(レディオヘッド)
レッチリもレディオヘッドもこれまでとは違う作風で戸惑ったが、聞きこむとやはり完成度は高い。

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★本
「転落の街」(マイクル・コナリー)

*「ランド」1~3巻(山下和美)
確実に現在の不穏な社会状況を反映している。早く続きが読みたーい\(-o-)/

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