文化・芸術

2017年8月26日 (土)

「遠藤利克展 聖性の考古学」

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会場:埼玉県立近代美術館
2017年7月15日~8月31日

埼玉近美(略称は「埼近」か(^^?)はほぼ一年前の「ジャック=アンリ・ラルティーグ 幸せの瞬間をつかまえて」以来だ。感想をブログに書く暇がなかったが、写真史的には非常に重要人物だというのに、館内にはほとんど人気がなかった(*_*; 
いや、でもゆっくりじっくり見られてよかったですよgood

そして、今年はこの「遠藤克俊展」である。
じつはこのアーティストの事は全く知らなかった。彫刻家だというが、名前さえ聞いた覚えがない。しかし、この展覧会を紹介している美術系のサイトで、作品の画像を見た途端、私の頭にはすぐにとある詩を連想した。
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それは入沢康夫の「『木の船』のための素描」である。学生の頃に読んでいたく感動したのだが、それきり忘れていた。再び思い出したのは一年ほど前、「図書」(岩波書店PR誌)に連載の池澤夏樹のエッセイの中に取り上げられているのを読んだ時だ。
そこに描かれているのは誰も全景を知らない巨大な迷路のような箱舟であり、同時に棺とおぼしき木箱でもある。しかも、それは万葉集の中の一首に由来するのだという。

もし外部から見たとすればこの船は単に一個の木箱に過ぎない

それがそのまま眼前に現われたような作品があるというのなら、見に行かずばいられようか(!o!)--ってなもんだ。

さて、作品は デカイfuji
そして、それらが狭苦しい中に展示されていた。

もともと広い美術館ではないが、これは狭すぎでしょう(>_<)……と思ったら、わざと小さくスペースを区切って展示しているのだという。

彫刻というよりはインスタレーションに近い。巨大な木製の円型オブジェ(高さ2.4m×直径4.5m)やら長~い木の円筒(20メートル近い)を横にしたもの。また、カヌーを引き延ばしたような細長い船もある。その規模に度肝を抜かされる。しかも木の作品はみな燃やされて表面が黒く焼け焦げているのだった。
壁際にギリギリに置かれているものもあるので、下手すると触ってしまいそうである。太って腹の出たヤツが通り抜けようとして「お客様、お腹で作品を触れないようにお願いします」とか注意されそうだ。(もっとも、常設展会場に展示されている作品は広いスペースにある)

大きさには言葉もなく圧倒されるが、それだけでなく焦げた表面には何か威圧感あるいは不可触感がある。不吉、不安、不穏--なにやらそんなものが充満している。
「水路」というそれこそ水路の断面を横から見たような木の板の連なりには、表面に木目が残り、ソリソリとした感触を放つ。

そして目的の「寓話V-鉛の棺」はまさしく棺であった。「鉛」とタイトルにあるが本体は焼かれた木であり、上部の蓋に鉛の帯のような飾りが付いている。
私は何度も周囲をグルグル回って見た。「棺」というからには中に死者が入るのだろうか。表面が焼け焦げているのは、火葬ということではなくて何か禍々しいものを封じ込めるためであろうか。--などと色々、心に湧き上がってくる。
それにもかかわらず、その巨大な「棺」からは入沢康夫の詩の結末とは異なり、かぐわしい木の香りが微かに漂ってくるのだった。

非常に見ごたえありだったが難を言えば、黒焦げに燃やす過程も含めて一つの作品というコンセプトだという割には、その焼く過程を見せるビデオのモニター(二か所)が小さくてしょぼかった。(場所も目立たない)
吹き抜けに設置されている「薬療師の舟」は、吹き抜けの外から見なければならなかったけど、もっと近くに寄って見たかった。
あと、作者の解説が作品ごとに貼られているのだがこれがまた難し過ぎて、何を言っているのか素人には全く理解できぬ代物である。

夏休みと言えば、大抵の美術館ではファミリー向けにマンガやらアニメ関連の企画を行うのが定番となっているが、その風潮にあえて真っ向から挑むような内容、よくぞやったものよと英断に感心してしまった。
見に行ったのは平日とはいえ、やはりかなりの客の少なさであった。まあ今回もゆっくり見られてよかったけどな……(^o^;) こんなだと、県議会で「夏休みなのに入場者が少ないのはいかがなものか」などと言われないか、余計な心配をしてしまう。大丈夫かsign02

とはいえ、小学生高学年ぐらいの子が一人で見て回っていて(夏休み課題?)、「スゲーthunder」を連発していた。ということは、やはり作品の力はお子ちゃまにも伝わるものなのであろうか。


なんでこんなこと心配しているかというと、もう遥か昔(二十年以上前?)のこと、埼玉近美の予算がいきなり削られてしまい、「せっかく企画したのにできなかったんだよ、チクショー」(←脳内翻訳)展みたいなものでお茶を濁さざるを得なかった、という事案が起こったのである。今、サイトを見ても記録がないのだが、確か宮島達男を取り上げようとしたのだと記憶している。
これからも文化果つる地で、硬派な企画を頑張っていただきたい。
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←大きさをエレベーターのドアと比較してください。


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2016年12月24日 (土)

「クリスチャン・ボルタンスキー アニミタス_さざめく亡霊たち」:生存と滅亡の証

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会場:東京都庭園美術館
2016年9月22日~12月25日

ボルタンスキーの作品というと、小さなものを断片的に展示されているのを見た記憶しかない。展覧会を東京でやる(!o!)というならば万難を排して見に行かずばなるまいよ--というわけで、土日は混んでいるかもしれないから平日に行ったのだった。

会場は重要文化財となっている旧朝香宮邸である都の庭園美術館で、「アール・デコの花弁 旧朝香宮邸の室内空間」も同時開催となっている。
……というか、そもそもこの二つは同時に併せて見るようになっているのだ。

1階に「展示」されているボルタンスキーのインスタレーションは完全に音声によるもので、複数の男女によるセリフが流れてくる。それは過去にこの邸宅に住んでいた裕福な一族の盛衰を語っているようである。
観覧者はその声の断片を聞きながら、美しいアールデコ様式の食堂や客間を眺めるという趣向だ。食堂の中央にはかつて実際に使われていたらしい大きなテーブルとビロードの椅子が置かれていた。
黄金色のビロードを思わずさわりたくなったが、監視員さんの鋭い視線が……と、ちゃんと「触らないでください」dangerマークがついていたのであった。危なかった(^O^;)

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豪奢な邸宅と音声インスタレーションの組合せはアイデアの勝利みたいな感がある。
問題は音声のクオリティがあまりよくないこと。セリフは訓練を受けた役者(かな?)が喋っているので、よく聞き取れるが明晰過ぎて逆に嘘っぽい。
しかも声の方向はほとんど上から降ってくるとハッキリわかるので、見上げると小スピーカーの存在が分かるのも興ざめだ。(一部は床に設置)

幾つかのフレーズを繰り返して流しているのだから、もっとスピーカーの設置場所を色んな所にしてみたり、音声も聞き取れないぐらいの音量のも混ぜるとかすれば、声の亡霊が浮遊している感じになったかもしれない。
まあ、文化財のお屋敷だから余り手を加えられないだろうけど--。

写真を撮っている人が多数。なんと平日は自由に撮影できるそうで、シャッター音が結構うるさい。中にはダンナはデジカメ、奥さんはスマホで撮っているという夫婦連れもいたcamera
土日曜は人が多いだろうし平日はシャッター音というのでは、快適な作品鑑賞はやや難しいかも。

2階の二つの小部屋には、小さな紙人形やおもちゃに光を当てて影絵のように投影した「影の劇場」があった。彼の代表的作品とも言えるものだ。片方の部屋の人形は首つりをしていた(^^;)
四角い穴から暗い部屋の中を覗きこむと、ひんやりした空気が顔に当たる。中の様子はクモが巣を張るように悪霊たちが安住の場所を見つけたように見えた。

細長い小部屋である書庫では、香川県豊島で保存されている心臓音のサンプリングが。たまにテンポがずれるところがあって、聞いてて不安になる。

その後は残りの部屋を見て回って、新設されてた新館へ向かう。
こちらでは4種の巨大インスタレーションが展開されていた。何枚もの半透明カーテンが連ねられた中を歩く「眼差し」は、絵本「きりのなかのサーカス」を思い起こさせる。(絵本はトレーシングペーパーを使用したもの)
そのカーテンの真ん中には持ち主不明の大量の衣服の山を、金色のエマージェンシー・ジャケットで包んだ「帰郷」が展示されている。しかし、事前に解説を読んでいない人間には巨大なウ×コの山にしか見えないのが大いなる難点であったng

隣の部屋ではワラが敷き詰められた部屋の中央に巨大な両面スクリーンに、チリのアタカマ砂漠と香川県豊島の森の中に、それぞれ吊るされた日本製の多数の風鈴の映像が映し出されている(十数分でループ)。
大切な人の名前を短冊に書いて風鈴をつるすという豊島の企画は今でも続いているそうだ。短冊がキラキラ光って瑞々しい森の風景とは対照的に、荒涼とした砂漠の風鈴はそのまま放置するように依頼してきたので、今ではほとんど残っていないだろうとのこと。

この話は、一室でボルタンスキーのインタビュー映像をやっていたので、それで知った。しかし、このように意図を聞かないとよく分からないというのは現代アートにはよくあるとはいえ、なんだかなあという気がした。もっとも、彼の話自体は興味深いものであったが。
見たことはなくてもそのようなものが存在する、ということを知っているだけでも意義はある、というのだ。

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邸内の一室より中庭をのぞむ。

2019年に国新美で大々的な回顧展が開かれるfujiということで、その露払い的な意味もある展覧会であった。まあ、内容がショボいという意見もあるが、会場の旧朝香邸との組合せによって一見の価値はあったと思う。
2019年に期待することにしよう。

ただ、広げるとA2判の無料ガイドはいただけなかった。デカ過ぎだし、灰色の紙を使用しているので薄暗い場所ではよく見えない。老眼やド近眼の人間の事も考えて欲しい。


【関連リンク】
《はろるど》:写真多数あり。


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2016年11月 1日 (火)

「トーマス・ルフ展」「杉本博司 ロスト・ヒューマン」:写真から遠く遠く離れて

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*トーマス・ルフ
会場:東京国立近代美術館
2016年8月30日~11月13日

*杉本博司
会場:東京都写真美術館
2016年9月3日~11月13日

ルフはドイツの写真家である。ポスターに使われている女性のポートレート写真が印象的で展覧会に足を運んだが、だいぶ予想していたのとは違っていた。

実際のポートレートは巨大に引き延ばされていて、似たような若者を撮ったものが何枚もある。若い頃に学生仲間をモデルにしたとのことだ。

その後の作品は一転、家具や建築を写したスナップ写真といった趣のものだ。このシリーズが一番「写真」らしい。先のポートレート写真を白黒反転させる、といった写真自体を題材にしたものが増えてくる。

近年のものは自分で撮影はせず、天体写真や報道写真など「ありもの」をデジタル変換した巨大作品となっている。
火星の表面を撮影したものに彩色したものなど一見するとミニマリズム系の抽象絵画のように見えた。

そうなると元の写真が何であれ変換した意図がどうであろうと、鑑賞者にとっては大型絵画をみているのと変わらなくなってくる。そこでは既に「写真」という実態は消失しているのだ。
巨大作品の中で写真の存在は融解していた。私は一体何を見に来たのであろうかと、自問する羽目になってしまった。

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写真撮影可ということで、場内はスマホなどでやたらと撮影する人が多数だった。私もガラケーで頑張って撮ってみましたよ(かなりピンボケ)。巨大な「火星」シリーズの一枚。

常設展の方の写真作品を集めた一画にもベッヒャー、リヒター、ルフの別ヴァージョン作品などがあった。
盛りだくさんの常設展を回って疲れた頃に、ジュリアン・オピーの広重(?)風のインスタレーションにたどり着くと妙になごむのであったよ(^o^)丿


久々に東京国立近代美術館行くのに、大手町で地下鉄乗換をしたが、ただでさえ分かりにくいのに工事しててさらに分からなさが増量up 遠回りしているのではないかと不安になった。
駅のホームで中年白人観光客の団体が10人くらい、案内板を見ながらずっと議論していた。日本人だって分からないのに、旅行客じゃもっと訳ワカラン状態だわな。

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東京都写真美術館のリニューアルオープン第一弾は杉本博司展。見に行く前から賛否両論の意見が聞こえていた。さて、実物はどんなもんか。

展示は3つに分かれていて、一番大規模なのは〈今日 世界は死んだ もしかすると昨日かも知れない〉である。人間の文明が衰退し、その破滅の様相を様々な立場(職業)の人間が語り、「遺物」を展示するという趣向である。
世界は既に廃墟化しているので、その展覧会場も古いトタン板のバラック状になっている。薄暗いその中を観覧者は解説のリーフレットを読みつつ、ウロウロするのであった。展示されている「遺物」もレトロっぽいものが多く、相当にうさん臭い雰囲気だ。(中には過去の自作も混じっている)

このように特定の設定によるテーマパーク状態の展示だと、人はなぜか見て回ることに熱中し、鑑賞自体はどこかに置き忘れてしまうのであった。30分おきに火花がバチバチ飛んだり、ラジオから歌が流れたりするので、その度に人はそこに殺到する。
現代アートといえ、小学生低学年の子どもも喜んで見て回っていた。

では展示自体はどうなのかというと……ウムム(-_-;)となってしまう。
例えば、ラブドールが語る滅亡は、展示されているのは明らかにデュシャンの作品のバロディなのだが、木の塀に四角く切り取られた穴から長椅子に寝るラブドールを眺めても粗雑な冗談にしか思えない。
意図的に質が悪いものにしているんだろうけど、なんだかなあspaである。

別のフロアでは「劇場」シリーズの発展形である「廃墟劇場」が展示されていた。前シリーズは営業中の映画館を借り切って上映された映画を撮影したが、今度は廃業して半ば朽ちた映画館で撮影している。
天井が落ち壁が崩壊しているようなホールもあって、こんな所で上映できたのかsign01と驚いたが、プロジェクターなど一式持ち込んだという。忘れ去られ廃墟となった豪奢な映画館で上映される名画--その終末感はかなり迫ってくる。

杉本博司が選んだ映画作品はどれも名作だが(一つだけ『ディープ・インパクト』が名作かどうか疑問(^_^;))、完成した作品上を見る限りでは、実際にはいずれもほとんど差異のない長方形の光としてしか認識できない。
鑑賞者がそこに記された映画名を見た時に湧き上がる想念のようなものが、かろうじてその長方形の光の差異となるように思えた。その想念の上澄みを味わうしかないのだ。
だから、映画についての解説がついているのはその映画を知らない者のためだろう。ただ、文末にある日本古典の一節(「平家物語」など)は言わずもがなという気がした。

もう一つは三十三間堂の千手観音を撮った九枚の大型写真である。これは確か以前にどこか(森美術館か?)で見たと思うが、真ん中に大きな柱があって視角を遮りやや興ざめだった。

ルフにしても杉本博司にしても、既成の写真の概念から逸脱していくことを作品の推進力にしているようである。写真は写真だけで成り立たないのであろうか。写真は写真でなくなった時に記録から真にアートになるのだろうか。
……などと思ってしまった。


リニューアルした写美だが、どう見てもコインロッカーが足りないと思う。私が帰るころには、それほどの混雑ではないのに既に空きが一つもなかった。まあ、混雑しないような企画を目指すというならいいんですけど(^_^メ)


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2016年9月 3日 (土)

「木々との対話 再生をめぐる5つの風景」

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東京都美術館開館90周年記念展
会場:東京都美術館
2016年7月26日~10月2日

開館90周年記念と銘打ってはいるものの「ポンピドゥー・センター傑作展」の空いたスペースで併設しているような印象の展覧会である。

木を素材として使った5人の作家の作品を展示している。多くは木彫というよりインスタレーションである。
木材と煉瓦みたいなブロックによる、ワンフロアを占める巨大な作品(國安孝昌)は巨大すぎて上方から見下ろすしかない。(危険ということで内側には入れてもらえなかった)

かと思えば、小さすぎてどこにあるか教えてもらわないと分からないような繊細な作品(須田悦弘)もあった。

一番有名なのは舟越桂(彼の作品のみ撮影禁止)だろう。近年の彼の木像は「聖」というのを超えて、もはやブキミな域に入っているという気が眺めているうちにしてきた。

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見てホッとしたのは土屋仁応という人の動物の白っぽい彫像。眼の部分が水晶やクリスタルガラスが入っているのが特徴的である。
鹿や豹の実物大に近いもの、さらに麒麟・ユニコーンなんて空想上の生き物が全く違和感なく並ぶ。一方、ネコや子犬も。子犬はホントに生まれたてみたいでちっこくて可愛い。
どれも神聖なイメージであるが、サッパリアッサリしている。

「ポンピドゥー」の半券があると500円で入れるので、時間がある方はどうぞ。
ただ、順路が分かりにくいのでご注意danger

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←教えてもらわなければ気づかないような場所にある。葉っぱが木彫(?)作品。


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2016年5月23日 (月)

ピクサー展

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会場:東京都現代美術館
2016年3月5日~5月29日

3月中に行けばよかったのに、結局時間が取れず5月になってしまったピクサー展。休日はかなり混んでいるというので(もちろん若冲展レベルではないが)平日に休みを取れる日に行ってきた。お子ちゃまは当然いないのですいているだろう……と思ったのだ。
この東京都現代美術館も久し振り。6年ぐらい行ってないか? 周囲はモロ下町だったのが、こじゃれた店が増えている。

さて、確かにすいてはいた。並ばずに直に入れた。お子ちゃまはいなかった(*^^)v
代わりに若い学生がいっぱいいた(!o!) 6割以上が女子だった。デート風のカップルもかなりいた。
私ぐらいの年齢の人間は、娘に連れられてきたとおぼしき中年の母親2名を見かけたのみ。オヤヂに至ってはゼロ名であった。中高年男性は興味ないのか?

内容はさすが現美というだけあって、ピクサーといってもお子ちゃま向けでは全くなく、クリエーターやデザイナーを目指す人にはさぞ参考になるであろうようなものだった。
ピクサーの歴史を簡単におさらいして、各作品ごとにスケッチ、ドローイング、カラースクリプトという色彩を確認する連続画から、CGの制作工程を見せる映像まで。設定を確認するためのキャラクターのフィギュアなんてのもあった。
また、各部門のクリエイターたちのインタビューも相当数流されている。
すべてビジュアル部門に関して限定されていて、演出や脚本についてはわざと除外してあるもよう。

膨大な枚数のカラースクリプトや、一つのキャラクターの検討に8週間かけたなんてインタビューを聞いていると、これだけの時間と物量と人員を投入してこそ、あれだけの作品ができあがるのだなあと身にしみるのであった。
『カーズ 2』に登場するグランプリ場面一つにどれだけ手間をかけているかを紹介するモニター映像があって、ビックリ&感心してしまった。

作品映像は本当に初期の作品(電気スタンド親子のショートアニメあり)、劇場で長編作品の前にかかる短編、「アートスケープ」という大型スクリーンで見る過去作品のイメージ映像(キャラクターは出てこない)があった。

短編についてはラセターご当人が作っていた初期作品の3つがやっぱり非常に面白かった。どれも2分間dashの作品だが、その中にユーモア、ウィットが詰め込まれそして最後には人生の悲哀(「人」じゃなくて「物」だけど)まで感じさせる。
特にスノードームのやつ(タイトル忘れた)はストーリーが逆転逆転また逆転、よくも考え付くものだ。場内からはしきりに笑いが起こっていた。
それに比べると近年の短編は、時間は長いけど中身は……。

やはり才能のある人はジャンルとかメディアとか関係なく、本当に【才能】というのがデーンとあるんだなと感じた次第である。

また、アニメーションの元祖recycleゾートロープでは「トイ・ストーリー」のキャラクターたちが高速回転して浮かび上がり、客から思わず歓声が上がっていた。

私は3時間弱で見たが、全部のインタビュー映像などを見ていくともっとかかってしまうに違いない。
展示場所は細かくパーティションなどで細かく区分けされていたが、細かすぎて大勢の観覧者には対応できないだろうと思った。
また、作品の上映室は広い部屋の前方にベンチが数個置いてあるだけで、現代アートの映像ならいいだろうが、多数の人間が立ち見するとなると不向きだろう。

グッズ売場では、若いコをかき分けてオバハンは奮闘! メモ帳と定期入れをゲットした。クリアファイルは色んなのが家にたくさんあるし、Tシャツは着る機会がないだろうし、トートバッグは5千円近いのであきらめた。

正直疲れ切って常設展や、一部で話題となっている併設の「キセイノセイキ」を見る力は残ってなかった。やはり歳か……(;_;)


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2016年4月23日 (土)

「ボッティチェリ展」記念コンサート 3:公演後にケチがつく

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演奏:平尾雅子ほか
会場:東京都美術館講堂
2016年3月31日

年度末の超忙しい時期だったが、行ってしまったミュージアム・コンサートである。
少し前の「カラヴァッジョ展」同様、こちらも講演用のホールである。音楽聴くには国立西洋美術館よりは少しマシかなという印象だ。

こちらでは解説はない代わりに、ルネサンス風のお衣装やアクセサリーなどを着けた4人の女性が登場して華やかにshine……と言いたいところだが、背景が殺風景なホールなんでやや残念無念な所があるのは否めない。
ガンバ平井雅子以外の面子はソプラノ名倉亜矢子、リュート佐藤亜紀子、もう一人ガンバ頼田麗だった。
プログラムには「ガンバ」と書いてあったが、実際にはその前駆的存在であるヴィオラ・ダルコという楽器を使用した。ガンバよりネックが短い。この日使ったのは16世紀のモデルだそうである。

構成はよく考えられたもので、最初はフィレンツェで同時代に奏でられた宗教曲を。ラテン語のモテトゥスに加えてロレンツォ・デ・メディチやサヴォナローラが作詞したラウダなんてのも歌われた。

次はメディチ家ゆかりの音楽家ということで、デュファイ、アグリーコラ、イザークなど。ロレンツォは美術だけでなく音楽好きで外国から音楽家たちを呼び寄せたりしたとのこと。
グリエルモという人は名前も聞いたことがなかったが、改宗したヘブライ人でロレンツォの作った舞踏も含む舞踏集を編纂したそうである。また、フランス出身のヴェルドロ(この人も知らなかったです(^^ゞ)の曲はなんとマキャヴェリが作詞だそうだ。この曲の後半は器楽だけで演奏されたがこの部分も聞きごたえがあった。

最後は、音楽が盛んだったのはフィレンツェだけじゃなかったんだよ--ということで、イタリア半島の他の都市ミラノ、フェッラーラ、マントヴァの宮廷に仕えた音楽家を取り上げた。ジョスカン、ブリュメル、トロンボンチーノなど。
ダルツァ、そしてブリュメルの曲ではそれぞれリュートとガンバが活躍して拍手喝采を送りたい気分になった。
また、クレマン・ジャヌカン・アンサンブルのやかましい歌唱で知られるジョスカンの「こおろぎ」では名倉女史以外の3人も歌に参加。やかましいという程ではないが、賑やかに曲の終わりを締めた。(これ以外の曲でも皆さん専門以外の楽器を色々と持ち替えたりしてた)

アンコールでは平尾女史によるロレンツォ振付の舞踏が披露されるというオマケつきだった。なんでもボッティチェリの「三美神」が踊っているのがこれではないかと推測されてるらしい。絵画同様のダンス(三人でなくて一人だけなのが残念だったが)に会場が湧いたのであった。

先に書いた通り、会場が殺風景だったのを除けば楽しく華やかな、企画力のあるコンサートであった。


さて、この日も続いて展覧会の方へ--と思ったら「カラヴァッジョ展」の時はコンサートのチケットで入ることができたのに、こちらは別に金を払って入場しなければならないのだ(!o!) しかし、ここまで来て観ずに帰るわけにも行くめえngと入ったのだが、大抵の美術館では全員に配布している出品リストが、なんとイヤホンガイド使っている人にしかくれなかったのだよannoy
け、ケチくさ~(-"-)

ケチくさいと言えば、コンサートの時出演者のCDを、ロビーでなくホール内の狭苦しい所にテーブル置いて売ってたのも怪しかった。もしかして「ロビーで売るのは禁止ban」とか言われたんじゃないかと疑っちゃう。

展覧会自体は終了日が近かったせいもあってか、かなり混んでいた。人の頭越しでしか見られないという感じだ。さらにそれぞれの作品の解説が貼ってある所には余計に人だかりが……。こういうのを解消するにはもっと大きな字の解説を貼ればいいと思うのだが(作品と張り合うぐらいのスペースで)、なぜかそういうことはしないみたいだ。
えっsign01作品の鑑賞を損ねるって? でもこんな渋滞してたらそんなことは言ってられないと思いまーす\(-o-)/
そのためにイヤホンガイドがあるんだろうっても、ガイド聞きながら解説読む奴多数……ってのはどういうこっちゃ(?_?)

それはともかく作品数は多く充実していた。主役のボッティチェリの絵は少なくても、弟子や同時代の画家の作品多数で埋める、というのはカラヴァッジョ展と同じだが、全体の見応えはこちらに軍配を上げねばなるまい。作品数が多いというのもあっただろうけど。
混雑であまり集中して見られなかったけど、同じような題材を描いていてもボッティチェリは細部のこだわりが強く、特に衣服の襞とか装飾とか他の画家より群を抜いて細かく描かれている。これまた画集だとあまりよく分からないような部分であった。

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2016年4月17日 (日)

「カラヴァッジョ展」記念コンサート 1:リュートを弾く男を描く男を弾く男

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演奏:坂本龍右
会場:国立西洋美術館講堂
2016年3月28日

カラヴァッジョ展にちなんだミュージアム・コンサート。今年度「ハルサイ」ではいつになく古楽系のミュージアム・コンサートが多くて嬉しい限りだが、平日の昼間ではなかなか行けない。この日は、休めそうだったので午後休暇を取って行った。

会場が展覧会場内だったりすると嬉しかったのだが、残念ながら全く音楽向きではない講演用の小ホールである。音がデッドなのは致し方ない。

冒頭に15分ほどこの展覧会を担当した館員の解説があった。
実はこの展覧会では楽器が登場するカラヴァッジョ作品は一枚もないとのこと……と聞いて思わず倒れそうdashになるが、じっと我慢。
有名な「リュート弾き」は2枚描かれたが、それぞれ見ている楽譜の曲が違い、さらに持っているリュートも違う(6コースと7コース)ということである。
その他、「音楽家たち」など楽器の登場する作品を中心に15分ほど解説。

コンサートの方は、カラヴッジョと同時期に活躍し、ご近所の地域出身であるテルツィのリュート曲から開始。続いて、先ほど解説に出てきた「リュート弾き」の楽譜に載っているアルカデルトのマドリガーレを演奏した。こちらは坂本氏がリュート用に編曲したものだ。
セヴェリーナ、ラウレンチーニなどの作品となると、そんな作曲家聞いたことありません状態である(^^ゞ
ラストのカプスベルガーはカラヴァッジョの次世代に当たるとのこと。確かに曲はより複雑化し、親しみやすいものからより高踏的になっているようである。解説に「テルツィの曲集からわずか12年後で(中略)、そのまま後期ルネサンスとバロック音楽の違いとも言え」とあるのが納得できる。
なるほどカラヴァッジョは激動期に生きた画家であったというのが、音楽面からも納得できるのだった。


さて、ありがたいことにコンサートのチケットで展覧会の方も見られるヽ(^o^)丿ということで、その後は突撃soonしてきました。予想より客が少なかった。
彼の作品は11作品だけで、他は同時代の画家や影響を受けた後輩などの絵画である。それぞれ主題別に展示されていた。

最近、真作と認定されたばかりの「法悦のマグダラのマリア」は、マリアの閉じられているはずの薄眼が微かに光っていてなんだか不気味さが先立っていた。
「エマオの晩餐」は画集などでは分からなかったが、近くで見ると周囲の老人や女の顔や首筋には、長年の辛苦を経たような細かい皺がいっぱい描きこまれているのが分かる。それに比して若いイエスさんの顔はツルリンとして光が当たっているのだった。
ところでパンの下の大きな葉っぱはカシワかしらん?

それ以外に、カラヴァッジョが引き起こした裁判記録が幾つかあったのが面白かった。といってもイタリア語だから読めるわけではないが、1600年前後のものなので完全に古文書である。分厚い(20センチぐらい?)冊子に綴じられている中にある。内容は刀剣不法所持とか食堂での暴力沙汰とか……。ちゃんと保存されているんですなあと、妙な所で感心してしまった。

彼と他の画家を分かつのは、同じ「劇的」とか「光」といっても何か違う……と見ていて感じたのだが、やはりそれは臨場感だろうか? パッとセリフが浮かんでくるような生き生きとした場面が切り取られているのである。

今回は出展されてないが「芸術新潮」誌の表紙になった「ホロフェルネスの首を斬るユディト」なんか見る度に、「あーやだやだ、なんで私がこんな小汚い男の首を斬らなきゃいけないの。服に血が付くと洗濯が大変だから気を付けなくちゃ」とボヤいている言葉が脳内に浮かんでくるのであった。これって私だけか(^^?)

美術館のショップでは関連グッズを売っていたけど、彼の作品をあしらったクリアファイルとかさすがに日常的に持っていたくはないので、シチリア産レモンのジャムを購入。おいしかったです(^^)

ところで、私が初めてカラヴァッジョという画家を知ったのは恥ずかしながらデレク・ジャーマンの伝記映画を見てのことである。(過去に感想を書いてました→こちら
この映画で画家当人を演じたナイジェル・テリーが昨年の4月に亡くなっていたのに全く気付かなかった。今年に入って「昨年の映画人の訃報リスト」みたいのを眺めていて初めて知った。不覚である。D・ジャーマンは常に自分を投影した人物を彼にあてていたようだ。『エドワード二世』もやはりタイトルロールをやってくれと依頼したが、テリーは断って悪役の大臣を演じたとのことである。
他には『冬のライオン』のダメダメな末息子(TVドラマ『エンパイア 成功の代償』のハキームに当たる役)や『エクスカリバー』のアーサー王(ヒゲがないとマーク・ハミル顏になると当時評判に)を演じた。
私が最後に見たのは、ゲスト出演したTVドラマ『法医学捜査班』であった。


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2015年8月30日 (日)

「舟越保武彫刻展 まなざしの向こうに」

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会場:練馬区美術館
2015年7月12日~9月6日

舟越保武の名を知ったのは舟越桂の父親としてである。かつて訃報を聞いてから、たまに行く近江楽堂の中に置いてある彫像の作者であることに気付いた。

昨年「長崎26殉教者」のデッサンを見た時に、実物の記念碑の彫像も見てみたいと思った。この展覧会にそれが出品されているらしい(複製なのか?)ということもあって、終了が迫って来たのでで焦りつつ行った。

戦前はロダンぽい作品、戦後の代表作、そして半身不随となってからの頭部像と時代順に辿って行く。関連するデッサンも多数。全体的に見ごたえありだ。
赤みがかった大理石使った作品は表面が人肌っぽくて面白かった。

展示室には対称的な配置が意図的になされている。「聖セシリアと聖マリア・マグダレナ」。そして迫力の代表作「原の城」と「ダミアン神父」--向かい合って立っているのを見ると何だか似てくるような気がする……。

頭部像の幾つかは、作製のために同じ女性を描いたデッサンが並べられている。完璧に均衡のとれて完成したブロンズ像より、デッサンの方が面白く思えた。何やら紙からしみ出してくるよう表情が感じられるからだ。
それから、最後の部屋の左手によるゴツゴツしたキリストさんの顔の像も、ルオーの絵みたいで引き付けられる。
どうも私は完璧で瑕疵もない美は苦手なんだと自覚したのであった。

舟越桂が、父親が亡くなってからガラッと作風が変化してエロっぽいのやらグロテスクなのやらの作品を作り始めたというのは、やはり清廉にして偉大過ぎる父親の存在が重圧だったのであろうか。偉大な父など持ったことのない人間には想像もつかぬことだが。
なお、ニュースで皇后が来館して鑑賞した時に案内役を務めたことが報道されて、絵本編集者の末盛千枝子が長女だというのを初めて知った。

来館者は圧倒的に中高年女性が多数。中には解説書きの前に立ってずっと意見を戦わしている人たちも。後が詰まってますよ~impact
美術館前の公園には大きくてカラフルな動物たちが幾つも設置してあった。カバとかキリン、カメとかヘビとか。天気が良ければ子どもたちが乗ったりしがみついてるのだろうが、あいにく雨の肌寒い日で誰も遊んでなかった。残念。

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2015年6月22日 (月)

「聖コージズキンの誘惑展」

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会場:ちひろ美術館・東京
2015年3月1日~5月24日

こればっかりは絶対見に行かなくちゃ(@_@;)と思いつつ、結局行ったのは終了直前。さらに感想を書くのがこんな時期になってしまった。なんてこったいdash

スズキコージ大好きですう\(^o^)/
画集も前に買いました……けど見る余裕がないng

会場は二つに分かれていて、片方は過去の絵本(絶版状態も多い?)の原画、あわせて絵本自体も置いてあって一緒に見ることができる。
若い頃の作品は今のタッチからは想像できないような繊細なものもあった。
それから一角にはトイレの便座に絵を描いたのが並べられていて、こんな便座に是非座ってみたいなー(^○^)なんて思ってしまった。複製作って売って欲しいぞ。

もう一つの会場はアトリエの一画を再現してあり、周囲は布に描いた中南米の壁画を思わせるような巨大作品で覆われていた。こちらは撮影OKだった。

会場は元々いわさきちひろの家だったそうで、周囲は住宅と田んぼである。行き着くのが大変だったが、周囲が似たような風景なので帰りもどちらに進んでいいのか混乱してしまった。現在は長新太の展覧会をやっているらしい。

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2014年8月30日 (土)

「たよりない現実、この世界の在りか」:謎めいた客

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会場:資生堂ギャラリー
2014年7月18日~8月22日

こちらのブログの記事を見て、モーレツに行きたくなってしまった。で、行ってみたのである。これは「現代芸術活動チーム 目【め】」の個展だという。

資生堂パーラーの売場を横目に、通用口のような扉を開く。するとそこには工事現場の階段が下へと続くのであった。華やかなパーラーとの落差が大きい。合板で仮設された階段をギシギシ言わせながら下りていく。
途中にヘルメットやら資材置場みたいな小部屋があったりする。そこを通り抜けるとホテルのエレベーターホールが突然出現する。そのエレベーター自体は、ギャラリーのエレベーターでもある。

脇に置いてあるホテルのリーフレットには「館内案内図」と共に「ホテルTG」の支配人の挨拶も載っている。

続く薄暗い廊下の両脇には客室のドアがある。ドアを押しても開かない。しかし、廊下の先には……。

真っ暗い空間に巨大な何かがある。ぼんやりと暗い光を放っていて、どうもそれは土星のようだ。これは秘密の宿泊客なのだろうか。それとも、リーフレットに土星マークがあるのを見ると、もしかしてオーナーなのか。
なんだか、星が出歩いたりするたむらしげるの絵本を思い出した。

かと思えば、消火栓の向こうに屋根裏のような薄暗い小部屋が隠れている。粗末な寝床やトイレの便器もあるということは、もしかして格安部屋? それともホテルの怪人か何者かが潜んでいるのか。

そして最後の部屋にはさらに驚かされる。一見、完全に準備された客室のように見える。壁には一枚の大きな鏡がある。
ぼーっと見ているうちに頭が混乱typhoon 私と鏡の間に若い女の子が立っていたのだが、鏡に映っている女の子は全く別人ではないか~~っ(!o!)
なんと鏡と思っていた部分は素通しで、その向こうはまさしく鏡の中の正反対の部屋が再現されており、向こう側の鏡の中に入れるのだった。
入ると、全ての家具が全く同じまま配置が左右対称になっている。様々なボトルのラベルや机の上のティーバッグの包装も鏡文字。ベッドの上の担当者の挨拶状の文字も逆さだ。机の下に転がっているペットボトルや床を這うドライヤーのコード(?)も同様。
その徹底ぶりはただただ驚嘆である。

ギャラリーの元の姿を知っている人は、空間をここまで変容させたことに驚くらしい。私は残念ながら初めて行ったのでそういう点での意外性はなかったが、何やら怪しげで不思議に満ちた異空間の「ホテル」であったことは間違いない。

とても面白かったけど、こういう「体験型」はどうも見て回るのに必死になってしまい、「鑑賞」の方がお留守になってしまうのが難である。
それから階段のビューポイントは4つあると教えてもらったんだけど、よく分かりませんでした(> <)


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