文化・芸術

2025年2月 7日 (金)

美術ドキュメンタリー特集・その2「アンゼルム“傷ついた世界”の芸術家」

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監督:ヴィム・ヴェンダース
出演:アンゼルム・キーファー
ドイツ2023年

あれは30年前~♪(なぜか歌う)今はなきセゾン美術館にて開催されたキーファー展は、作品がデカけりゃ衝撃もデカい。その迫力は夢にまで出てきそうだった。
そんな恐ろしさがヴェンダースによりクリアな3D映像でスクリーン上で味わえる……と期待して行った💖

映画は二つの要素によって構成されている。一つは広大なアトリエでの制作活動の紹介である。広すぎて移動するのに自転車や運搬車で移動するほどだ。また、藁や鉛をどのように作品に使っているのか、巨大絵画を描く方法(クレーンみたいのを使っていて驚いた)など詳細な部分まで記録している。
もう一つは作品・作者のイメージ映像とでもいったらいいか。キーファーの半生の再現劇(彼の息子やヴェンダースの親類が演じる)や紆余曲折あった過去のニュース映像を積み重ね、近年の作品も加えてキーファー像を構築していく。

通常のアーティスト紹介なぞ「日曜美術館」に任せておけばいいと言っても、なんだかイメージに走り過ぎていて隔靴掻痒の印象は否めない。期待していたのはこんなもんではなかった、というのはお門違いだろうか。
もっとも、個々の作品の衝撃などそもそも映像で伝わるようなものではないのだから、アトリエ逍遥とイメージ映像に限定した監督の選択は正しいと言えるかもしれない。

とりあえず、私の脳内にあったキーファー像とはかなりズレていて釈然としないものを感じた。私は誤解していたのか、それとも単にヴェンダースと波長が合わないだけか。

G・リヒターがキーファーを全く評価してないというのは分かる気がする。対象の捉え方が異なるし、十数歳年上ということだから影響を受けたアートや戦前のドイツについての認識もズレるだろう。
今回、屋外の作品を見るとなんだかボルタンスキーにも似ているような……。同時代性ってことか。
なお3Dで見る意義はあまりなかった。林とか屋外設置作の奥行きは感じられたが。作品が生々しく見られるわけではない。


キーファーは大作が多いので投機の対象になった。美術バブルがはじけた後は日本も含めてどこかの倉庫に塩漬けになった作品が多数とか。
にもかかわらず国内の画集や研究書(雑誌や論文を除く)は未だに少ない。昔は洋書で見るしかなかった。それがまた値段が高くて手が出なかった。
今年、京都で大規模な新作展をやるそうな。はて、どうするべきか……🙄
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2025年2月 6日 (木)

美術ドキュメンタリー特集・その1「美と殺戮のすべて」

250205a 監督:ローラ・ポイトラス
出演:ナン・ゴールディン
米国2022年

ナン・ゴールディンは1970~80年代の作品がフェミニズム・アートとしてクローズ・アップされた写真家である。その文脈はあくまで自傷的なまでにさらけ出した「私」の部分にあったと思う。例えば男に殴られて目の周りにアザ作っているセルフ・ポートレートなど強烈な印象を残した。
その彼女が鎮痛剤の中毒問題について製薬会社へ抗議を行うという「公」の社会的行動は意外だった。自身も医者に処方されて中毒になってしまったそうな。

このドキュメンタリーは片方にナンの生い立ちとアート、もう片方に抗議活動(製薬会社と、その援助を受ける美術館に対する)の記録をVの字型に配置、交互に描いていくという構成を取る。そして最後に二本の線が合体するのだ。
そのVの字の根本に来るのがかつてエイズを題材にした展覧会を開こうとしたことである。過去にそのような例はなく猛反発を受け、「政治的な内容」に助成金は出せないと言われたそうな(最近の日本でも似たような事があったな)。
それに対して彼女が取った毅然とした態度こそが、後に製薬会社への忍耐強い抗議へとつながるのが描かれていた。

両親との軋轢、姉との関り、友人たち、ゲイカルチャー……彼女の写真作品にも表されてきた複雑な背景が浮かび上がる。
同時に鎮痛剤オピオイドは恐ろしすぎ💀 米国で20年間に50万人死亡って信じられないほどだ(確かプリンスの死の原因でもあったはず)。製薬会社側はそれを放置したのである。
会社オーナー一族から寄付を受ける美術館へのアクションは、同時にまた一つのアート活動のようでもあった。

背後に流れる音楽の選曲はかなり特徴的。冒頭はヘンデルの合唱曲だったかな?
邦題の「殺戮」というのがどうも今一つピンと来ない。作中の字幕では「苦痛」とか「血まみれの残酷」などと訳されていた。
アカデミー賞ドキュメンタリー長編賞候補&ヴェネチア国際映画祭金獅子賞。
監督は過去に『シチズンフォー スノーデンの暴露』を撮っている。この時にはアカデミー賞を獲得した。

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2024年9月18日 (水)

「三島喜美代 未来への記憶」

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会場:練馬区立美術館
2024年5月19日~7月7日

だいぶ時期が遅れてしまったけど紹介。
以前ETV「日曜美術館」で紹介されてたのを見て気になっていたアーティストである。番組を見るまでは全く知らなかった。
その中では、陶で空き缶や古雑誌・古新聞など役に立たないものを再現するという印象だった。しかしこの展覧会では初期の平面から近年の巨大作品まで年代順に紹介するという形になっている。

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まず最初に目につくのは夫がすった多数のハズレ馬券をコラージュした平面作品。笑えます(^.^)
その次は、日常の身近にあるものを陶で再現したもの。平らなチラシはまだしも、クチャクチャに丸めた新聞紙とか開きかけた段ボール箱など本物にしか見えない。読み古したマンガ雑誌や潰されたチューハイの缶も同様。
やがて作品は実物大から巨大化へと向かう。

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新聞やチラシの文字や図柄を作品に転写した以前の作品は情報社会の産物だったが、今はゴミ社会となり廃棄物からゴミ作品を作っているとか。
チラシにしろゴミにしろ無価値なものを作品として焼き付けていく。その強烈な相反性が面白い。
作者は91歳?とのこと。すごいエネルギーである。

240918d 情報としては使い捨てられるもの過ぎ去るものを陶作品として固定する。しかし陶は物体としては割れやすいという相反する要素。雑誌や段ボールは通常は蹴とばしても落としても壊れることはない。
移ろいゆくものを別の意味でもろいもので作り上げる。物体としての作品自体が大いなる矛盾である。

ゴミ箱に入った空き缶作品は近くで見ても本物にしか見えない。しかし缶一個の単独の作品もあって、実物にさわれるコーナーに置いてあった。持ち上げてみると当然ながらかなり重かった。
前から疑問だったんだけど、製品名とか企業名やデザインをそのまま転写して使っているのは問題ないのかな。

240621t6 ラストは一万個以上のレンガに様々な時代の新聞記事を焼き付けた「20世紀の記憶」。それを広大な部屋に敷き詰めてあり、歴史の堆積と物としての量に圧倒される。こんなパワフルな女性アーティストが日本にいたんだーと驚いてしまった。
また驚くのが、彼女の個展は前年2023年秋に開催された岐阜県現代陶芸美術館での展覧会までなかったということである。ええ~、なぜだ😑

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彼女のインタビュー動画を流しているコーナーがあって、これがめっぽう面白かった。
女学校で絵を描き始めたが家族は父親以外は皆反対。公募展に作品を出品したいが昼間は家族の眼があるので、夜中に父親と二人で丸めたカンバス担いで搬入したとか(^O^)

母親は卒業したら結婚させようと相手を決めて連れてきたが、それが三船敏郎みたいな超二枚目で人気者。しかし美男過ぎて付き合っていると疲れてきて逃走し、美術教師と結婚したそうな。
そもそも当人の語り口が飄々として飽きさせない。大阪出身でユーモアたっぷり、波乱万丈なエピソードも色々あるみたい。朝ドラの主人公にしてドラマ化をおすすめしたい。

このインタビュー動画は昨年の岐阜での展覧会に際して撮られたものだった。今回のインタビューはないのかな?とは思ったが、まあ高齢だからな……体調とか色々あるのだろうと思っていたら、なんと私がこの展覧会に行った日の前日に亡くなっていたのだった⚡ 一か月ぐらい経ってから発表あり、知らなかった。

とにかく破格のアーティストに違いない。これからも取り上げられて欲しい。
実は知らずに埼玉の桶川市の公園で彼女の作品を見ていた。完全に見過ごしていて県民として恥ずかしい(~_~;) 巨大な束ねた新聞紙(ただ、表面が黒いので遠目からは新聞に見えず)のオブジェである。
今度行く機会があったら近くでよーく観察したい。
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2024年5月 7日 (火)

「アブソリュート・チェアーズ」

240507a 会場:埼玉県立近代美術館
2024年2月17日~5月12日

県民の義務として行ってきました(^O^;
そもそも椅子の所蔵が多い近美、いろんな椅子が展示してあるのかなと予想してたら、思いのほか椅子の概念に迫る内容であった。

既存の椅子を使用した作品、椅子を描いた平面作品、新たに作った変わりダネ椅子、椅子の存在を問うもの、椅子に関する報道写真なども。車椅子を使ったプロジェクトと映像記録もあった。
240507c 椅子と権力についての考察が語られているが、それなら排除ベンチをもう少し深掘りしてほしかった。

古いものはデュシャン、草間彌生、岡本太郎など。実際に座れるものも多かった。岡本太郎は当然ながら座りにくい椅子。とりあえず座面が凸面なのは尻痛物件である。
不用品を利用して大きな缶に丸太をギッシリ詰めたヤツは、実際座ると痛そうで痛くなかった。

透明な樹脂に椅子の形にナフタリンを封じ込めたものが面白い。封入口のシールを剥がすとナフタリンが蒸発しちゃうらしい。240507e
「終の棲家」というタイトルの段ボール製ベンチあり。名前など個人データを書きこむ項目が印刷してある。そのまま棺桶になるのであろうか😑
工藤哲巳というアーティストがフランスに招かれた時に、イヨネスコにムカついて作ったインスタは怒りが爆発していてド迫力だった。

240507f 階下のコレクション展では所蔵椅子を一挙公開していた。折角だから企画展に来た人をもっと誘導するようにすればいいのに。気付かないで帰ってしまった人も多いのではないか(?_?)
こちらの展示作は座れないが上階のロビーに置いてあるものは座れる。この日も長いソファ(一応コレクションの一つ)240507b に、数人がぐたーっと休んでいた。

帰りに公園の芝生に一つ設置してあるカプセルハウスを近くでよーく眺めて帰った。


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2023年11月28日 (火)

「野又穫 Continuum 想像の語彙」

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会場:東京オペラシティアートギャラリー
2023年7月6日~9月24日

空と雲を背景にした明るく奇妙な建造物の数々を描き続ける野又穫。その作品の多くは明るいイメージだが人の姿はなく、ただ構築する意志のみが感じ取れるものだ。
以前、同じ会場の上階での展覧会を見たのだがあれから20年近く経ったとは……。私も歳を取ったのう(ーー;)などと感慨を抱いちゃう。

今回は作風の変化ごとに大体4つの時代に分けて展示している。代表的と言える1990年代の大型絵画を最初に持ってきて、次に初期のもの。珍しく人物が描きこまれている作品がある。
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そして徐々に発展変化を遂げる2000年代。ここでは堕落の象徴バベルの塔を描いてさえも明快さと澄み切った意志が感じられる。

しかしその後に東日本大震災が起こった。当時朝日新聞連載のコラムで彼のイラストを見ていた者は作風の「崩壊」に驚いただろう。
その時期を脱した後の絵画をちゃんと見たのは今回が初めてだが、似たような構造物であってももはや不安と不均衡の予感なしには見られないのだ。特に震災直後の絵画はコスタビっぽく(不条理と皮肉)感じた。231128c

とはいえ見ることの喜びが確かにそこに存在するのは変わらないのである。

結局図録を買ってしまった。重くて金が飛んでいった(・・;) しばらくぶりに行ったら隣接するアートショップが改装している。以前はゴチャゴチャしてて何があるか分からない面白さがあったのに、なんだかスッキリし過ぎになってて不満よ。


同じ会場の企画展で「Babel 2005」を見たのは2007年だった。その時の感想はこちら
下の階でのティルマンス展と共に、上階で野又穫をやったのは2004年のようだ(ブログを書き始める前のことである)。

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2023年5月19日 (金)

東京・春・音楽祭2023「憧憬の地 ブルターニュ」展記念コンサート2:異郷の音で踊り、指輪に目がくらむ

230518b 演奏:大竹奏ほか
会場:国立西洋美術館講堂
2023年4月14日

フィドルの大沢奏をリーダーとするミュージアム・コンサートである。演奏されたのはブルターニュのダンス音楽や伝統歌だ。器楽のメンバーは他にハーディガーディ&バグパイプ近藤治夫、チェロ高群輝夫である。

最初に展覧会の方の内容や、そもそも「ブルターニュといってもそりゃどこよ❗❓」みたいな人のために、美術館の研究員の人からスライドを使って事前解説があった。

コンサートの方はダンス曲では民族衣装を着けた愛好家のグループ(多分)によるダンスの実演付きだった。数人で横に手握ったり腕を組んだりして繋がってステップを踏みつつ横移動していくような形である。素朴でのんびりした印象のダンスではあるが、当地の祭りで住民みんな張り切って踊りまくるとすごい勢いになるのかもしれない。
踊ったのは女性4人男性1人で、男性は曲によってパーカッションを担当していた。

曲自体はケルト系で、ダンス曲だけでなく結婚式の定番とか国歌(ブルターニュの)も含まれていた。最近の演奏の傾向か、フィドルとチェロの組み合わせだとかなりスタイリッシュな音に聞こえる。しかし、そこに近藤治夫のバグパイプやハーディガーディが入ると俄かに「野蛮」な音になるのが面白かった。

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終演後は公演チケットでそのまま美術展に入れる。同じハルサイのミュージアム・コンサートでも都美術館だとそのような恩恵はない。さすが国立であるよ(*^^)v
正直言って19世紀から20世紀初めの画家が中心で、顔ぶれ的にあまり興味がないところなのでざっと見した。

ブルターニュというのが当時の画家たちの間に流行っていて、素朴な土地柄の人々と美しい風景というのが彼らの好みに合ったようだ。留学していた日本の画家たちも題材にしている。ゴーガンの作品群が目玉のようで……むむむ苦手よ(^▽^;)
ルドンの小さな風景画が2枚だけあった。藤田嗣治の「十字架の見える風景」がちょっと陰鬱なトーンで目立っていた。
とはいえ、国内各地の美術館の所蔵品から「ブルターニュ」しばりでこれだけ集めるのは大変だったかも。担当者の方、ご苦労さんです✨
なお美術展の企画で一番楽なのは「〇×美術館展」というヤツだそうだ。改装などの時期に合わせて丸ごと借りればいいかららしい。

230518c その後はサッと帰ろうかと思ったが、常設展の中に「指輪コレクション」展があったのでつい寄ってしまった。もちろん企画展のチケットがあれば無料で入れる。
様々な種類の指輪が美しく展示されている。数が多くて素晴らしい、ウットリしたと言いたいところだが、小さい上に薄暗い中でポイント照明を当てているので細かいところはよく見えない。それでも見ごたえはあった。
細かく石を見たければ図録を買えということなのは仕方ないか。見終わって外へ出るともはや夕方であった。

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2023年4月 4日 (火)

「戸谷成雄 彫刻」

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会場:埼玉県立近代美術館
2023年2月25日~5月14日

文化果つる地埼玉で数少ない文化施設である県立近代美術館。今期の企画展を始まってすぐの時期に行ってきた。
これまで全く知らなかった人なのだが、秩父にアトリエがあって主に木を素材にした彫刻家とのことである。
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木材をチェンソーで削ったり、作品の一部を燃やしたりした大掛かりな作品群が代表作のようだ。「木彫」というイメージを超えている。
1980年代、海岸に角材などでできた造形物を幾つも並べて一斉に火をつけるというパフォーマンスの記録映像があった。夕方から夜にかけて炎の光景が美しい。

素材は他にも色々あり、石膏を使った作品が軽さが感じられて興味を引く。ポンペイに題材を取った棺のような初期作品はなかなか迫ってくるものがある。


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⬅こちらは地下のスペースにデンとすえられた巨大な立方体。細い隙間が幾つも走っているがそこを覗いてもほとんど中を窺うことはできぬ。
しかし上から見ると全く異なるイメージが出現する--⬇230302tb



木製の巨大な象(というよりマンモスか)があってかなりの迫力だった。遠目にはワラのように見える表面は照明によってかなり印象が変わりそう。巨大すぎてスマホで撮るのをあきらめたが、一見の価値はある。
人によって好みは違うだろうけど、私は木彫の奥の奥へ達しようとする作品よりも少し外れたものの方が多彩なイメージが感じられて面白かった。

館内はほぼ貸し切り状態でしたよ💦
常設展は私が行った時期、模様替え中で休止期間(=_=) 地下ではグループ展を一つしかやってなかったのでそもそも人が少なく静かだったせいもあるだろうが……。
埼玉県民はもちろん県民でない人も見に行きましょう(^O^)/

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2022年7月21日 (木)

「ゲルハルト・リヒター展」

220720a 会場:東京国立近代美術館
2022年6月7日~10月2日

今季話題の展覧会の一つには間違いないだろう。6月末に、暑かったけど素早く行ってきた。事前学習のために買った「ユリイカ」も「BT」もろくに読んでないままという無謀さである。
地下鉄の駅から美術館まで徒歩数分しかないのだが、この日はその距離でも全身の血液が沸騰しそうな猛暑だった。

会場配布のリーフレットには「順路はない」と書いてあるが、やはり入口に近い「アブストラクト・ペインティング」か連作「ビルケナウ」から見てしまうのは仕方ないだろう。
初期(1965年)の写真を元にした「モーターボート」のような古い作品もあるが、大半は2000年代に入ってからのものである。それでもかなりの多様性があり、70歳過ぎてからも相当精力的に制作し続けていたらしいのがよく分かる。
これではすべての年代を網羅した回顧展なぞやったら大変なことになりそうだ。

220720b 他には幾何学的な面を見せる「カラーチャート」シリーズと横長に超大な縞々「ストリップ」も目を引く。ラッカー塗料とガラス板から成る偶然の産物の「アラジン」、風景写真の絵葉書(?)に異化作用のように油絵具を塗った「オイル・オン・フォト」など--ずっと見ていくと絵の色や形よりも、その画材の質感こそが一番重要だと思えてくる。
しかしそれは印刷物や他のメディアを通してではなく、実物を見てみないと分からないものなのだ。

「アブストラクト~」で、ある部分はヘラでこそぎ取られ、またある部分は照明を反映してギラリンと輝く油絵具。チラシにも220720c 使われている「エラ」の絹の表面のような質感。ツルリとしたガラス絵。
それらは表象を超えて、あたかも材質こそが本質であるかのように見る者に迫ってくる。
そういえば、リヒターが鏡やガラスにこだわりを持った作品を作り続けているのも初めて知った。

そう考えると、どうとらえていいのか分からないのはやはり「ビルケナウ」である。
ユダヤ人収容所内をとらえた恐ろしい4枚の写真--といっても、物的にはモノクロのボケたスナップなのだが、作者が長年こだわり続け作品にしようとし、遂には全てを塗りこめてしまった4つの大作だ。
外見的には「アブストラクト~」の範疇に入るだろう(色彩の傾向は若干異なる)。しかし部屋の入口に写真が展示され、それを下敷きにして描かれたと解説してあれば見る者は当然4枚の絵画を凝視し、その悲惨な光景を必死で透かし見ようとするのは当然だ。
でも、それはできるはずがない。元の絵は完璧に塗りこめられているのだから。

さらに謎なのは、反対側の壁にその4作の完全原寸大写真コピー(ただし区切り線が入っている)を対置していることなのだ。
さきほど私は「材質こそが本質」と書いたが、ここでは当然オリジナルの材質感は完全に消去されツルリンとした表面となっている。
これはどういうことなのだろうか? すべての質感を消し去った先に何があるのか。

塗りこめられた過去の恐怖と、その物体としての存在感を消し去った写真コピー。そのはざまが「見る」という行為の意味を激しく問いかけてくる。
そして部屋の奥の薄暗い巨大なガラス(鏡?)が両者の間で戸惑ってウロウロとする鑑賞者の姿をぼんやりと映し出すのだった。

なおホロコーストを題材にした大作というと、キーファーの「マイスタージンガー」を思い出してしまった。「ビルケナウ」は抽象画だが、こちらはあくまで具象画である(とはいえかなり抽象度が高い)。しかし両者とも塗り込め度の執念はかなり似ている。
「マイスタージンガー」はタイトル以外の情報がないまま見たとしても何やら怖い。歌合戦の場面だろうと思って見てもやっぱりマジに怖い。

220720d そこに抽象と具象の差異があるのだろうか。🎵抽象と具象の間には深くて暗い河がある🎶と言ってよいのか。

所要時間は意外に短くて45分ぐらいで一回りできた。おかげで行ったり来たりして、「ビルケナウ」は三回も見てしまった。土日は混んでいるだろうから分からないが。9月あたりにもう一度見たい気もする。
だが入場料2200円⚡で「ユリイカ」、「BT」、図録と揃えたら、諭吉が一枚飛んでっちゃう。文化的生活を送るには金がかかるのであるよ(+o+)

なお、コレクション展の2階にもリヒターの小コーナーがあるのでお忘れなく。
同じフロアに会田誠や村上隆の昔の作品(日韓の女子高生が旗振ってる屏風と、タミヤのシリーズ)があってもはや「懐かしい」という感じだった。光陰矢の如しとはこのことだいっ。
常設展は冷房効き過ぎて、半袖では震え上がりそうだった。


ところで昔はよく買っていた「BT」誌、隔月刊だったのがこんどは季刊になっちゃうのを編集後記で知った。やはり雑誌メディアは厳しいのだな。
「芸術新潮」みたいに年に一度ヌード特集(さもなくば春画特集)やればよかったのかも💨

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2022年4月26日 (火)

東京・春・音楽祭2022 ミュージアム・コンサートを聞く

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今年も恒例ハルサイのミュージアム・コンサートに行ってきました(^^)/
会場は3回とも東京都美術館講堂です。

「フェルメールと17世紀オランダ絵画展」記念コンサート1
演奏:名倉亜矢子&永田斉子
2022年3月20日

修復成ったフェルメール「窓辺で手紙を読む女」を見ようとする人でごった返す都美術館。到着した時には既に展覧会のチケットは当日分完売の表示が出ていた。

展示場とは反対に位置する講堂は開場時間になっても人が少なく静かなもんであった。--と思ったら、以前は自由席だったのが指定席になってたのね(^^;;;
全然気づかなかった💦 危うく適当な座席に座ってしまうところだった。

プログラムはフェルメールと同時期の作曲家の歌曲をソプラノとリュートで演奏するというもの。特にオランダ人のホイヘンスという作曲家を軸にして構成しているとのことだった。
彼は王子の秘書官にして詩人、リュート奏者、作曲家でレンブラントとは知り合いで、フェルメールとは生没年が近い人物である。

登場する作曲家たちは名前も聞いたことのない人物が多かった。ヴァレという人は当時のオランダの代表的なリュート奏者だが、フランス生まれで恐らくプロテスタントであるためにオランダへ行ったとか。なかなか聞けない曲がほとんどで貴重な機会であった。
ホイヘンスがフランス志向がありパリで楽譜を出版したということで、ランベールの歌曲でラストとなった。

空気の乾燥のせいか名倉氏の声の調子がベストではないように思えた。そうでなくとも残響のない会場で歌うのは大変だ~⚡
リュートも音は明確に聞き取れるものの、潤いのない響きになってしまい残念だった。やはり会場は重要である。

この時は上野動物園がまだ休園しているのに驚いた。フェルメールの絵の行列もパンダの行列も同じぐらいだろう。激混みの美術館はよくて、220426b
なんで動物園はダメなのさ(-_-メ)


「フェルメールと17世紀オランダ絵画展」記念コンサート3
演奏:上尾直毅
2022年3月30日

この日は上尾氏がフェルメールと同時代のオランダで演奏されたとおぼしきチェンバロ曲を演奏した。
探してみたけれど意外にもオランダの作曲家のものは少なかったという。当時の人は他国の曲を楽しんでいたらしい。

エウェーリンク、フローベルガー、ダングルベールなどの中で、ステーンウィックという作曲家はなんと本邦初演だそうだ(!o!)
オランダに留学していたこともあって、当時の音楽事情、宗教家より商人が強かったとか、アムステルダムの土地柄など解説話が尽きず、下手すると演奏時間より長くなるのではと心配するほどだった(^^)
アンコールはオランダ国歌。1500年代に印刷譜が出ていたそうな。

上野の桜はいい塩梅に咲いて、平日の昼間だったが人出が多かった。
宴会は禁止のはずだけど、美術館脇の芝生は閉鎖されてないのでシート敷いて飲食している人たちもいたり……(^▽^;)


220426c「スコットランド国立美術館 THE GREATS 美の巨匠たち展」プレ・コンサート1
演奏:松岡莉子&中藤有花
2022年4月6日

フェルメールの方は終了、今度は22日より開催予定展覧会のプレ・コンサートである。もはや温か過ぎで上野公園の桜はほとんど散ってました。
スコットランド国立美術館の収蔵品展ということで、スコットランドの伝統曲をケルティックハープとフィドルの組み合わせで聞くという内容。
古楽のアプローチと違ってPAシステムを使っていたし、衣装やステージマナーか異なるところなども興味深く観察したりして👀

曲目は古くから伝わる作者不詳のトラディショナル・ソングと、作曲家によって作られ民衆に愛されたスタンダード・ナンバーを織り交ぜて演奏された。主にダンス・メドレーと抒情的な曲である。
この組み合わせだとなんとなく「無印BGM」的ヌルさを予想してしまうが、ナマで聴くと格段に迫力あり。聞けてヨカッタ✨
ダンス曲は聞いていると踊りたくなるものもあり、足で拍子を取るだけで我慢した。
アンコールは「蛍の光」のオリジナル版。

ケルティックハープは伝統的な楽器で、普通のハープだとペダルで半音を変えるが、これは弦の上部に並んでいるレバーで調節するもの。従ってメドレー曲だと途中でイッキにレバーを上げ下げして操作が忙しい。
途中で小型アコーディオン風のコンサルティーナも登場。スコットランド美術館の創立とほぼ同じ1850年頃に作られたオリジナル楽器だそうである。

なお、フィドルについてはかねてから「バイオリンと全く変わらない」と聞いていたが、どうして違う名前なのだろうと疑問に思っていた。解説によると、貴族が使っていたヴァイオリンを庶民も弾くようになって区別(差別?)するために「あれはフィドルだ」と言うようになったとのこと。
そうだったのか(!o!)と激しく納得した。

ハープの松岡氏は以前スコットランドに留学していたそうな。で、現地では国立美術館は無料で入れるそうである。
一方、今回の展覧会は(^^?とチラシを見てみたら、一般券1900円ナリ💴

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東京文化会館周囲にある植え込みのベンチ。いわゆる排除アートの類いだろう。
「誰も寝てはならぬ!」という堅固な意思を感じさせる。

 

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2021年11月 6日 (土)

「みみをすますように 酒井駒子展 もういちど」

211106a 会場:PLAY!MUSEUM
2021年9月18日~11月14日

立川にて宿願の酒井駒子展を見てきた。春にも開催していたのだが、コロナ禍で会期が短くなったのでこの秋に再展示してくれたのである。(追加作品あり)

初めて行った会場なのでよく分からなかったのだが、シールを渡されてこれを見える所に貼っておけば1日の内に何度でも入れるようだった。会場内でも付けてなければいけないのかな。とりあえず服の上腕に張り付けてる人が多かった。

多くの作品は絵本の内容に沿って連続して原画を見せる形になっている。
ただ、壁に掲示するだけじゃなくて木製の台の横や上面に設置しているものもあった。中には低いテーブルの天板にガラスをかぶせて置いてあったり……(テーブル脇の椅子に座って眺める)。

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中には絵本の内容に合わせた展示法も。『よるくま』の原画は黒いカーテンで周囲を囲われた暗いスペース内にあった。夜の気分🌙
また巨大ディスプレイで流す作品もあり(『ゆきがやんだら』だったかな)。

原画のほとんどは小さく、その小さいところにさらに繊細に描かれている。小さい子の髪がボワッとなっているところ、子猫のヒゲやウサギの頭のフワ~としてるところ、夜の闇のボンヤリしているところなどなど、穴が開くほど眺めてしまった(^^)
段ボールに直に描いている作品が結構な数あって、保存が効くのだろうかなどと心配になったり。
駒子ワールドにじっくりと全身浸れて嬉しかった💕

211106d 酒井駒子の絵は美しくて可愛くてホワホワしていてちょっと秘密めいていて、でも芯が一本シンッと通っているのだよね✨
そして、それら全ては現在の私にはない要素ばかりなのだ..._| ̄|○ ガクッ

平日の昼間なので、客は家族連れや子どもはいなくてほとんど女性ばかりだった。男は3人ぐらい見かけた。
図録は小型だけど分厚くて国語の辞書みたい。しかもハードカバーだ。4千円以上するので、迷った挙句買うのをやめた……が、今は激しく後悔している。
買えばよかったーっ(>O<)

代わりにポスターを購入。2種類あったので両方買うべきだった。880円ナリ。
カレンダー売ってたら絶対ゲットするぞーと意気込んでたら売ってなくてガックリだい。


なお同時に、1年間展示の「ぐりとぐら しあわせの本」も併設されていた。あのぐりぐらの世界が等身大(?)に再現されてその中で遊べるというもの。小さいお子ちゃまはこちらの方が嬉しいかな(^^?

巨大片手ナベにこんもりふくらんだ黄色いカステラも、もちろんある。カステラは小さいスポンジ製のかけらが詰まってて絵本さながら取り出してみんなに配れるようになっていた。
若い女の子たちがキャーキャー言いながら自撮りしていた。
オバサン一人ではただ眺めるのみである。無念。
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