フェミニズム

2015年4月 7日 (火)

「何を怖れる」

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フェミニズムを生きた女たち
編者:松井久子
岩波書店2015年

同名のドキュメンタリー映画のインタビューを活字化したもの。リブ創始期からフェミニズムの現在まで生きてきた12人の女性に話を聞いている。映画の方は都内で2週間ほど限定公開されたが、早朝のみだったので結局見に行けず(+o+)トホホ

フェミニズムというと鉄板のように皆が一つに固まって結束していると思い込んでいる人もいようが、実際にはそうではないことがこの本を読めば分かるだろう。
ここに登場する12人は各々独自の道を歩んできた。12人いれば12通りのフェミニズムが存在するのだった。

学生運動に疑問を抱き移ってきた人、グループの代表者もいれば裏方に徹する者もあり、学問から入って研究の道を続けた人もいれば政治や行政に関わる場合もある。障害者や慰安婦問題など近接分野から加わった人もいる。

冒頭の田中美津の語りははやはり強烈、かつ面白いね~。
読んでて驚いたのは米津知子という人。自らの脚に障害があり、1974年に上野でモナリザ展が開催された折に車椅子やベビーカーの人の観覧を排除したことに抗議して、「モナリザ」に向けてスプレーインクを噴射したというのであるdanger
予めガラスケースで保護されているのを承知でやった抗議活動なのだが、こんなことをした人がいたとはこれまで全く知らなかった。

などなど、人に歴史ありフェミニズムにも歴史あり、な事がよく分かる本だった。
彼女らが喋っている姿も拝見したいもんだが……もう映画はご近所での上映はしばらくないだろうなsweat01

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2014年6月 1日 (日)

「奥さまは愛国」

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著者:北原みのり、朴順梨
河出書房新社2014年

なぜ一見普通の女性がヘイトスピーチ・デモに参加するのか?
その実態にあえて踏み込んだルポ本である。共著になっているのは、それぞれに一人でやるのはしんどくて困難だったからという理由もあるようだ。

参加者たちへの直接インタビュー、愛国幼児教室、皇居の一般参賀、かと思えば朝鮮学校見学なんてのもある。いずれも、実際行ったり会ったりしなければ分からないものばかりだ。最近話題の人である竹田恒泰の講演会潜入記なんて驚かされることばかりだ。

そういう点ではためになった。ネットなんかでも、見ているサイトやフォーローしている人は自分と似たような考えや趣味に片寄っているので、わざわざ正反対のところを見に行ったりはしないので決して知ることはないのだ。

著者の二人は共感できない部分、あるいは逆に同感できる部分など正直に書いている。
意外にも朴順梨が割合屈託なく(少なくとも表面的には)描写しているのに対し、逆に北原みのりの方はいささか沈鬱な感情が伝わってくる。それは私も同じ気分だ。この問題を考えていると、ウツウツして暗くなってくる。ウツウツウツ(ーー;)

あえてこのテーマに挑戦した二人には感心した。。
北原みのりはフェミニストの一部(大半?)からは批判されてばかりだが、こういう仕事は評価してもいいのではないかねえ。


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2014年3月29日 (土)

村岡花子訳の「赤毛のアン」の秘密

しばらく前に本屋に行ったら、村岡花子に関する本が平積みになっていた。「はて、なんで今頃村岡花子なのよ(^^?)」と思ったら、4月からのNHKの朝ドラが村岡花子を主人公にしているのだという。

それで思い出したのが、『赤毛のアン』シリーズを冷酷に解剖した小倉千加子の『「赤毛のアン」の秘密』(2004年刊)である。
その最後の章に、訳者として『アン』を紹介した村岡花子について言及がある。私はこれで初めて彼女がどういう人物なのか知った。

小倉千加子は「モンゴメリとアンと村岡花子には、共通点がある」としている。

三人とも、子どものときから空想好きで、お話が好きな少女であった。つまりは、「孤独な」少女だったのである。そして三人とも、成績は抜群で、「親」には孝行で、「国家」にも忠実であった。(中略)きちんと結婚し、母となり、妻としての務めを完璧に果たし続けた。

さらに村岡花子については、

生家では封建的な家制度の影響を受け、尋常小学校では天皇を神とする教育を受け、東洋英和女学校では欧米の良妻賢母教育を受けた。「儒・神・仏」の混交した前近代の日本人の意識の上に、絶対者として天皇とキリストを置いたが、その間に彼女はなんらの矛盾も感じなかった。

ついでにこんな指摘もある。

『赤毛のアン』のテーマは結婚であると先に指摘したが、近代結婚とは、少女に「自立」をそそのかしながら、勤勉に努力した少女が「自立」したゆえに必ず陥る疎外感と孤独感を、「ロマンチック」な恋愛を媒介にして、女性が本来ある「身分」に戻す制度である。あるいは、「結婚」は女性という集団(下位身分)アイデンティティを獲得させ、社会全体の制度秩序を温存させる制度であるといってもいい。


いやー、この頃の小倉千加子はキビシイですなあ。厳しさ全開です(^^;)
もっとも、現在の彼女が丸く(?)なり過ぎたのか。

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2013年8月18日 (日)

「上野千鶴子〈おんな〉の思想」

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私たちは、あなたを忘れない
著者:上野千鶴子
集英社インターナショナル2013年

20世紀のフェミニズム思想を象徴するような著作と著者を紹介するというもの。第一部では日本編で5人、第二部は海外篇で6人を取り上げている。

日本編では森崎和江、田中美津などを、単なる紹介というより上野千鶴子自身の個人的な体験や回想と共に語っていて、やや感傷的とも感じられる部分もある。サブタイトルの「私たちは、あなたを忘れない」はこちらの方のふさわしいものだろう。

その中で興味深かったのは石牟礼道子の章だ。私もまた『苦界浄土』を聞き書きのノンフィクションだとてっきり思い込んでいたのだが、それは違った(!o!) 「聞き書き」と思われる部分は、水俣病患者に憑依した「口寄せのいたこ」のようになって、どこにもない言葉を語っていたというのである。正直ヤラレタ~dashである。
そして石牟礼の高群逸枝への傾倒から、両者に共通する資質を浮かび上がらせるのであった。
そういうことであったのかと、目からウロコがポトリと落ちた印象である。

第二部はフーコー、セジウィック、バトラーなど。こちらは「解題編」とでもいうべきものか。ジェンダー、オリエンタリズム、ホモソーシャル……転回点となる概念と著作を紹介する。
あとがきに「本書を読んだだけで、原書を読んだつもりにならないでほしい」とあるが、かつてセジウィックの『男同士の絆』の邦訳が出た時に、平積みになっていたこの本を手に取って開き、30秒後に「こりゃ、ダメだ(@_@;)」と逃走した私には、到底無理のようである。
しかし、フェミニズムの思想とはなんなのよsign02な初心者にもオススメできるのではないかと思った。

最近の上野千鶴子はツイッターで何か一言つぶやけば、非難轟々というのを繰り返しているようだ(もっとも、ご本人はその非難を全く見てないとか)。だが、その非難をした人々の他の意見を見ると結局彼女と同じような発言をしている。一体なんなのだ(?_?)

この本の中にも「フェミニズム業界」なんて言葉が無造作に書かれているではないか。これが古式ゆかしい紙メディアでよかったネ(^_^)b ツイッターの発言だったら「いつからフェミニズムは業界になったのだ。フェミニズム業界なんてことを口走る人間は他に何をしてようと絶対信じない!」などと言われたに違いないだろう。

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2013年7月15日 (月)

「醤油と薔薇の日々」

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著者:小倉千加子
いそっぷ社2013年

小倉千加子は時折、話題の書(『セックス神話解体神話』とか『松田聖子論』とか『結婚の条件』)を出してはその間、「あの人今どうなってるの?」的に消息をくらますというパターンを繰り返しているように思える。良い意味でも悪い意味でも常に話題を提供する上野千鶴子とは大違いである。

やはりここしばらく音沙汰がなかったのだけど、エッセイ集が本屋に並んでいた。
冒頭は安田成美の醤油のCMの話題から始まる。「はて、そんなCMあったかいな?」と疑問に感じて後ろの初出を見ると1993年に書かれたものだった。

収録されているのは1993年から94年に「ちくま」誌に、2005年から08年に東京新聞に連載した短いエッセイである。過激な内容はほとんどない。
むしろ著者が年取って来たせいか、しみじみというか人生指南というか晦渋というかそんな印象の文章が多い。(『結婚の才能』もそんな感じだった)

「高年期の課題」という老人問題についての文章に至っては、私の頭の老化現象のせいか何度読んでも何が言いたいのかハッキリとは分からない。ムムム(-_-;)

とはいえ
「感情の百面相を持つ妻は夫の生命の源泉となる。経済と感情の見事な社会交換が、そこにはある」
「フェルメールの作品の中でとりわけ「牛乳を注ぐ女」が好まれるのは、自分の「身分」を受け入れ、「黙々と家事をする女性」が渇仰される気分が存在するからである」
「入学式や卒業式といった「学校の儀式」は親にとって必要なのである。運動会や音楽会は「学校の祭り」である。(中略)学校が持つ強い磁場作用は、まるで既成の宗教が衰退していくのを補完するかのような勢いで、強い磁場を提供している」
--などと鋭い指摘もある。

で、今小倉千加子は何をやっているのだろう? 「執筆・講演活動」ってあるけど、ご隠居生活なのかしらんjapanesetea


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2012年10月29日 (月)

「堺市立図書館BL小説廃棄要求事件を振り返る」

講師:上野千鶴子、寺町みどり
会場:日比谷図書文化館コンベンションホール
2012年10月14日

会場は元都立図書館の地下ホール。150人定員だったが、参加申し込みは100人強だったようだ。見回すと若い人が多い。推測だが、図書館の若手職員とマンガ・同人系の表現の自由問題に関わっている人が多かったもよう。

冒頭、上野千鶴子は「4年も経っているのにこの問題について講演を頼まれたのはこれが初めて」と言っていた。講演依頼で一番多いテーマは「おひとりさま」で、理由は「無難だから」だそうだ。

タイトルになっている事件は、2008年匿名市民が市立図書館にBL本への苦情電話をかけたことにより、約5500冊の図書が書架から撤去され、さらに除籍されそうになったというもの。理由は「子どもに悪い」「過激な描写」など。最初、ネットの掲示板にこの話が投稿されたがどこの市の話か分からなかったという。

堺市だと判明してから情報公開請求をし状況を把握してから、住民監査請求を行った。これによって初めて事件が公になった。上野千鶴子がその代表者で、寺町みどりが実質な作業を担当したらしい。

問題なのは
*抗議は実際には一人の匿名市民と一人の議員によるものだった。特定の書名もあげられてない。
*図書館側の初期対応に問題があった。(他所の図書館にも幾つか同じことをしたらしいが、門前払いされた)その後も隠蔽に走った。
*実質的にBLでない本も入っている。表紙や特定の作家の作品全部とか、適当に選んだのではないか。
*背後にホモフォビアが存在する。
*図書館側は何をされているか認識しておらず、自発的に大量の本を集めて排除しようとしていた。司書は自分は被害者だと考えていた。「それでは一体誰が本を守るんですか?」と尋ねたら愕然としていた。
*その前に女性センターの資料室からジェンダー系の資料が排除されるという似たような事件があり、その時は著者たちが連帯したが、BL系ではそういうことは起こらなかった。また「非実在青少年」系もBLには熱心ではない。

基本としては、図書館にはあらかじめ「資料収集方針」と「資料除籍基準」があるのに、そのような圧力で簡単に特定図書を排除するのは市民の権利と財産を損なうということである。

図書館には様々な図書が存在するのが当然であり、自分と正反対の考えのものがあってもよい。上野千鶴子によると「図書館に『新しい歴史教科書』が入ってるのはOK。だって自分の金で買うのはヤダもん」だそうである(^O^;)

背後には一連のジェンダー系図書の排除運動と同じような動きがあったようである。(某宗教団体の影も……shadow
彼らはそれまでの市民運動の手法を学んで使っているが、対抗するこちらも同じように相手のやり口を研究しているとのこと。
住民請求というのは、請願や陳情よりも効果があるそうだ。ただ、公立図書館が指定管理になってしまうと情報公開請求できなくなってしまうという。


などなど質疑応答も含めて3時間近く続き、色々と聞きごたえあった。ただ、会場で熱心な意見が飛び交ったかというとそういうわけでもなかったのが、この問題の難しさを表わしていたのかも知れない。

エロい小説なぞこの世にゴマンとあれど、なぜか「BL小説」というと微妙な雰囲気になってしまうのは困ったもん。そういう意識も変えないとなあ……とも思ったのであった。

注-私個人の記憶による省略や間違いがあるので完全な記録ではありません。

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2011年12月11日 (日)

『上野先生、勝手に死なれちゃ困ります』刊行記念トークイベント上野千鶴子×古市憲寿「私が生きた時代 キミが生きる時代」

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会場:池袋コミュニティ・カレッジ
2011年12月1日
*内容は省略したり記憶違いの所があったりするので、そこんとこご留意下せえ。

今、売出し中&人気沸騰中upの若手社会学者の古市憲寿が上野千鶴子とタッグを組んで出した『上野先生、勝手に死なれちゃ困ります』(光文社新書)の刊行記念として、二人でトークイベントをやった。

登場した上野千鶴子は風邪を引いてるらしく、紺にベージュのドット柄というマスクdanger(そんなマスクあるんか)をしていた。一方、26歳東大院生の古市憲寿は外見も喋り方も今どきのフツーの若者風であった。

冒頭は、少し前に紀伊国屋ホールで行なわれた同様のトークイベントで古市クンが「どーしたらいいんでしょうねえ」を連発したために、質疑応答の最後に中高年の女性から「東大の学費には税金が投入されているのに、あんたみたいなのに使われるのはもったいない。税金返せ!」と爆弾発言があった--というエピソードから始まった。ということで、この日は「どーしたらいいんでしょうねえ」は使用禁止banとなった。

そして、遂に出た~~ッ「現代思想 上野千鶴子特集」がまるで「追悼集」みたいで、本当に死んだらもっと悪口を書かれまくるに違いないけど、死んじゃったらその悪口を読めないから残念とか、一方、古市君の新刊『絶望の国の幸福な若者たち』のオビの小熊英二からの推薦文がエラそうな上から目線だとか、上野女史がフリーターを自称しようとしたら政府の統計ではフリーターは35歳までで、じゃあわたしゃ一体何なんだ--という調子で話が続いた。

他には世代論、格差論、幸福観そして女と若者は共闘できるはずなのだがとか、大阪のダブル選挙の結果は若者のリセット願望かimpactなどの話題が出た。

全体的には上野女史の鋭いツッコミを古市クンがフニャフニャとかわす、みたいな印象であったが、残念ながら風邪のせいでいつもの芸術的なツッコミが見られなかったのが残念であ~る。

私は最初古市クンの頼りなさげな話を聞いていて、紀伊国屋ホールで怒った人がいたというのも頷けると思っていたのだが、質疑応答コーナーの最初の人が「甘えて猛獣を馴らしている」と指摘したのを聞いて、「なるほど、そうだったのか」と納得してしまった。「甘え」で上野千鶴子を馴らすとは悪賢いのうspa
上野女史は発言者の指摘を誉めつつ「あたしゃ猛獣か。しかしその手が使えるのは30歳までだからね」と釘ngを刺したのであった。

会場を見ると客は若い人(特に男性)が多く、どうやら古市クンの実物がどんなもんか確認しに来た人も多かったもよう。彼はネットでの発言も積極的にしているらしく、ブログやツイッターでの発言に関しての質問が結構あった。
どころか、古市政治家待望論みたいのまでネットには出現しているらしいのには驚き。彼は今どきの若いモンのヒーローだったのか(!o!)

トークは色々と興味深く笑えて、上野千鶴子が終盤で語っていたように質問者のレベルも高く、千円分の元は充分に取れた内容だった。
それにしても、この日のタイトルの「私が生きた時代」を見ながら、彼女が「私も過去の人間なのねえ」とぼやいていたのが印象的であった。


さて、肝心の『上野先生、勝手に死なれちゃ困ります』であるが、サブタイトルに「僕らの介護不安に答えてください」とあるように、団塊世代を親に持つ古市クンがいつか迫りくる「親の介護」問題について教えを乞うという内容である。当然、若者世代を中心に読まれることを念頭にしているのだろう。
介護保険の詳しい内容といった具体的な問題から、弱者同士(女、若者、高齢者など)が争うことなく共闘して、泥船に共に乗ったままにぶくぶく沈んでいかない方法を模索するのである。

読んでてオッ(・o・)と思ったのは、年金はそもそも昔の子どもから親への仕送りの代わりであるという上野千鶴子の指摘。なるほど、だから下の世代が上を支えるようになっているわけね。私も就職して独立してからは親に仕送りしたことはありませぬ。こりゃ年金のおかげだわい。
それにしても弱者同士が共闘する時代が来るのであろうか。やっぱり、古市クンに期待するしかないのかニャ>^_^< ちと頼りないけど。


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2011年10月10日 (月)

トークイベント 島崎今日子×上野千鶴子

『〈わたし〉を生きる―女たちの肖像』刊行記念
会場:池袋コミュニティ・カレッジ
2011年10月6日

女性12人のインタビュー集を出したライター島崎今日子(サキの字は環境依存文字なので変えております)と上野千鶴子のトーク・セッション……というより、普段インタビューする側とされる側を今回は逆転だーrecycleという企画である(本の12人の中には上野千鶴子も入っている)。

という訳で、上野女史が島崎今日子にインタビューでうまい話の引き出し方、対象の選び方など秘策などあれこれ聞き出そうとするのであった。従って、会場にはフェミニズム系というより編集・出版側も多かったようで。

彼女のインタビューは「アエラ」に載ったのは大体読んでいる(と思う)。萩尾望都の回は母親との関係を追及、ドトーのような気迫waveをを感じたものだ。
取材相手としては、天才・エリートよりも、規格外で家族の援助がないような状況で才能を発揮してきた女たちに惹かれるという。
ちなみに、インタビューを熱望する相手はオノ・ヨーコ、川久保玲、オリアナ・ファラチだそうだ。オリアナファラチ……何十年ぶり(マジにsign03)に耳にした名前だ。昔、吉田ルイ子の本で知って以来だろう。

驚いたのは、佐野洋子にインタビューした時のエピソード。普通、記事にする場合は周囲の家族や友人にも取材するのだが、息子に取材していいかと打診した途端に記事自体が中止になってしまったそうな。恐ろしい(>y<;)母と子の桎梏話である。

また、大阪から東京に移ってきてライターとの力が低いのに驚いたという。なぜなら、一極集中の東京では何でも揃っていて編集者などがホイホイ準備してくれるから。大阪ではすべて一人でやらなければならない。
それに、大阪人は何事にもうるさくて文句をつけてくるので、東京みたいに甘くはないのだという。
しかし、それなら元・都民としてひとこと言わせてもらえば、なんで知事を東京も大阪も似たようなのを選ぶかねー。ワシは納得できんぞ<(`^´)>


時折窓の外から音楽やゴーッという音が聞こえてきて、何事かと思ったら維新派が野外劇のリハーサルをやってたそうな。

*注―内容は要約していて、またこちらの間違いなどもあるので必ずしも正確ではありません。

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2011年9月24日 (土)

「男の絆--明治の学生からボーイズ・ラブまで」

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著者:前川直哉
筑摩書房(叢書Zero)2011年

読む前の印象では、近代文芸の批評書かしらん、なんて思いつつ読み始めてみた。がsweat01しかし、冒頭から早くも衝撃の記述が(☆o◎;)
日本は西欧社会に比べて同性愛に寛容--というのはよく言われてきたことである。

実は明治はじめの日本には、男性同士のセックスを罰するための法令があったのです。(中略)通称「鶏姦規定」と呼ばれています。

な、なんだって~~danger
そんなこと聞いたことないぞー(>y<;)
早速、脳内メモ帳に記録しておかなければ……( ..)φメモメモ

衝撃さめやらぬまま読み進めると、禁じられたということは、それすなわち実際に「事象」があったということである。いわゆる「男色」は江戸時代からの流れで明治期前半あたりまでは硬派男子学生の間ではもてはやされていたというのだ。

しかし、その後女学生の出現、精神的「恋愛」観の賛美、さらに「恋愛→結婚→家庭」という幸福イメージが一般に作られ、「男は仕事・女は家事」の性別役割分業による「近代家族」が成立する。

その背後で、「男色」は男子学生の裏街道へと追いやられ、プラトニックな「男の友情」が強調されるようになる。(旧制高校の寮歌に「友情」がどれほどの頻度で出てくるかの比較が面白い)
性別役割分業観の下では「公的世界を担う男性たちによって取り結ばれるものであるがゆえに、男女間の恋愛や女性同士の関係よりも尊いとされるのです」ということだ。これが「男の絆」の本性なのだ--。

ということで、本書はセジウィックの「男同士の絆」概念を日本近代史に当てはめて見たものである。それこそ時代劇でもネタとして扱われそうな「男の絆」が、実は近代社会形成のために生み出された屋台骨だった、というのは目ウロコであった。同時にそれは同性愛が周縁に追いやられていく過程でもある。
ついでに言えば、「家庭の団欒」とか「幸福な家族」というイメージも同時期に作られたらしい。これまた時代劇のウソ発覚か(@∀@)

扱ってる対象がエリート学生層に片寄っていて、一般庶民レベルではどうだったのかという問題はあるけど、明治以降の男女観・家庭像の変遷が明快に描かれていて面白かった。さらには現代のフ女子がなぜBL小説を読むのかについてまで言及してくれている。
文章も読みやすかったのもポイント増good

装丁はミルキィ・イソベなのねshine

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2010年11月13日 (土)

上野千鶴子×森達也×加藤陽子「「戦争の論理」が駆動する時」

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第75回紀伊國屋サザンセミナー
会場:紀伊國屋サザンシアター
2010年11月2日
注-記憶違いや省略などあるので正確な記録ではありません。

ステージ上に三人が登場して着席すると、まず加藤陽子の「皆さん、今日は東大のヨン様こと姜尚中さんの講演会が同じ日にあるのに、こちらに来ていただいてありがとうございます」という挨拶から始まった。
加藤陽子は三人の中では一番若い。最近『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』を出して評判になった東大のセンセイである。

進行の形としては、座談会とかトークセッション風に展開するのかとおもいきや、そうではなく一人が十分ずつ順番に話して行き、一回りしたら最初の話を受けてまた十分ずつ話を回していくという想定だったらしい。
で、年齢順か?加藤陽子→森達也→と自己紹介をかねて近況とかテーマについて思うところを話して行ったのだが、上野千鶴子はさすがshineというべきか(?)そのようなナアナアな展開をブチ壊し、二人に対し軽くジャブを放ったのであった。

ゴ~~ンbell かくしてゴングは鳴った。

上野千鶴子は『それでも~』と森達也の『ベトナムから来たラストエンペラー』という著書について、この二人の本には女性が登場していない、戦争とジェンダーは切り離せないのだが--と指摘した。例えば、外交問題における「弱腰」には「男らしさ」のイメージが問題とされ、ハトヤマ前首相の言う「友愛heart」は本来の意味では「同胞愛」でそこには男しか入っていない、など。

それに対して意外にも加藤陽子は大きな反応を見せた。すなわち『それでも~』は小林秀雄賞というのを取ったばかりなのだが、そこで選考委員のホリエモンに「いらだち」が潜んでいるを見抜かれたというのである。実際に、優秀な男子高校生たちの前で「女だてら」に日本軍事史を男の言葉で語ったということに、自分への「いらだち」を感じていたというのだ。
この率直な心情の吐露には正直驚いた。ベストセラーの影に著者自身の隠されたいらだちがあったのか。その代わりにというか、次の著書は天皇と女性がテーマになるとのことである。

その後、話の展開を読んでなかった森達也の発言に上野千鶴子がチクチクと針(釘というほどのものではない(^^;)を刺したり、ウッカリ社会学の用語を加藤陽子が間違えて使用したのを指摘されたり、さらに同じ東大の教授同士なのについ「上野先生」と読んでしまうのに「先生と呼ぶのは相手をおちょくる時だけですng」などと返されたり、と二人がかりで防戦状態だった。

話は天皇の戦争責任問題、それから現代において情報が過多かそれとも足りないのかというテーマに移り、森達也がドキュメンタリー作家らしく写真から動画へと情報が多過ぎる方に向かっていると発言したところ、それに対し上野千鶴子は自分たちが過去に犯した加害の情報を知らないから被害者意識ばかり高まる、というように情報は過多ではないと反論。
ようやくここで森達也にアクセルがかかって反論だ~punchというところで、あっけなく時間切れsandclockとなってしまったのである。残念よ(^o^;

全体的に加藤陽子は話が分かりにくかった。話題がウネウネtyphoonとねじくれて行って、一体何を話したいんだ(?_?)と聞き手が訳分からなくなり、話の最後でようやくああそれが言いたかったのかと分かるような話し方なのだ。
一方の森達也はとつとつとした喋り方でスロー・スターターだし、これで討論が盛り上がるのはなかなか大変だった。

最後は上野が加藤を研究者として大きくほめあげてエールを送って終わりとなり、森の立場はちょっとなかった。以後の彼の逆襲を期待したい。


帰りは一緒に行った同業者たちと高島屋の上の中国料理屋restaurantに行き(9時過ぎても順番待ち行列ができてた)紹興酒を飲んで乾杯(^O^)/□☆しながら、「上野千鶴子の前で社会学の用語なんか使って大丈夫かしらんと思ってたら案の定、言われちゃった」とか「森達也って普通の人だねえ」などと感想話に花を咲かせたのであった。

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