図書館・著作権

2006年11月10日 (金)

理想は「司書なし図書館」ってことでOK?

「葦岸堂」より「石原知事の会見記事から」に、記者会見での石原都知事の図書館に関する発言が紹介されている。
そもそも都立図書館で司書をここ数年間、新規採用していないという件についての質問への回答だったわけだが……。

まさに「都知事キターッ!」としか言いようのない内容である。
ということで、将来の都立図書館の姿は自動貸出機の隣にインターネットの端末が置いてあるだけ、となるわけか。まあ、人件費も減らせてメデタシと。

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2006年9月 2日 (土)

本のない図書館その後

最近、特定のリンク元から当ブログを見に来る人が目立ったので逆にたどってみました。
《矢祭町関連blogリンク集,のようなもの》という記事です。

過去の当ブログ記事《本のない図書館を、図書館と言えるかっつーの!(怒)》がリンクされておりました。
さらに「面白いな,と思ったのは異議を唱えているblogが,ことこの件については感情的とも思える言葉遣いで矢祭町を非難している割には,矢祭町のその後を追いかけている例が皆無に近いことですね.」というのも正しく当てはまっているではありませんか。
もっとも「感情的な」文体はこの記事に限らず当ブログ全般の傾向であり、全てにおいて口汚く罵ったりホメたりしているのだと言い訳させて頂きましょう。

ただ「賛同・反発の別が必ずしもblog主の政治的立場とは関係が無いことも,なかなか興味ぶかいことです.」というのはよく理解できませんでした。この事に関する意見に政治が何か関わってくるのでしょうか?

というわけで、指摘にお応えして矢祭町図書館について後追いをしてみました。
まず大元の矢祭町HPより《新設図書館の本、寄贈呼び掛け》および毎日新聞記事より《矢祭町:寄贈本10万冊突破 分類整理急ピッチ》です。
こちらを読みますと本当に既存の建物を町民の希望で改修したというようで、私が前回の記事で書いた「ハコモノ行政」というのには当たらないと思いました。ここは訂正したいと思います。(ただ、資料の優先度が低いという点は変わらないですが)

8月31日で寄贈冊数が14万7千冊というのは驚きです。人々の善意によって素晴らしい~ \(^o^)/と喜ぶ前に、こんなに集まって整理が大変そうとか、収蔵スペース3万6千冊分なのにどうするのか心配になってしまいます。
「大切に保存し、活用いたします」と書いてあるのだから、いくら「使えなさそう」と認定した本でもうかつに廃棄は出来ないだろうし、出来たとしても廃棄にも金がかかるし、それとも書庫代わりにずっと倉庫を借りるのか--。それにしてもボランティアでこれだけの作業をやってらっしゃる方々、ご苦労さまです。

この状態で開館後に新刊本を購入したとしても入るスペースがあるのか、なんてことまで心配ですが、余計なお世話ですね。それからいくつか他の記事を見た限りではもしかして資料のコンピューター登録もしてない? ブラウン式かカード式で貸し出すのでしょうか?
でも、なんにしろ図書館のトの時もない無図書館地域よりはまし。住民の力で作り上げる図書館を今後も注目したいと思います。


なお本筋の話題とは外れますが、リンク元のブログを読んでみて、ある種のネットにおける主張の表出の方法の典型というようなものを漠然と感じました。まあ、単なる感想ですが。

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2006年7月23日 (日)

本のない図書館を、図書館と言えるかっつーの!(怒)

「kmizusawaの日記」経由で「福島・矢祭町:新設図書館の本、寄贈呼び掛け」を知る。

「図書館」なる建物は用意したが、肝心の本がない……って、典型的ハコモノ行政ぢゃありませんか。建物建てただけで図書館作った気になってるのはどーいうことよ。
図書館の成立要件は一に資料、二に人(職員)で、建物は一番最後でしょう。
で、この寄贈を求めるというのがあたかも美談のように報道されてるのも気に入らねえ~。それからついでに「約3万6000冊分のスペース」って少なくないか? まあ、本買わなければ増えないからいいか(^○^)

これが日本の平均的な図書館についての認識ってことですかねえ( -o-) sigh...

【追記】
新たに以下の記事を追加しました。
《本のない図書館その後》

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2005年9月10日 (土)

野次馬コメント死すべし

SFファンにして精神科医がブログ主である「サイコドクターぶらり旅」はRSSリーダーに登録して読んでいるが、最近、マンガ『ブラックジャックによろしく』に精神病についての自分の文章が無断流用されたのではないか、という《「ブラックジャックによろしく」に当サイトの文章が?》が載った。
そうしたら、2ちゃんねるで話題になったせいもあるらしくてコメントが殺到。実際に見てもらえば分かるだろうけど、そのほとんどが茶化したような無責任な野次馬の一言なのだ。中にはまともな感想やアドバイスもあるが、言葉尻を捕らえてケチ付けるヤツだの偉そうに説教するヤツだのそんなんばっか。「喧嘩すると面倒だよ」って、あんたが実際に喧嘩するわけでもあるまいし、ほっとけ!と言いたくなる。
本格的に炎上したブログだとコメント数がもっとすごくてこんなものではないだろうが、それでも呆れてしまう。

しかし、このような野次馬コメントも《モーニングの件》で編集部が引用をシッカリ認めたことが明らかにされて鎮火したのだった。
もっともこの記事での後半のコメントもひどい。著作権というのは文章なら書いた瞬間に発生する。それが無料配布の冊子であろうが、他人には見せない個人の日記やノートでも同じはずである(例え「チラシの裏」であろうと)。媒体が活字でなくてネットだからいいという話でもない。それも知らずに突っかかってくるというのはどういうことか。コメントの恥は書き捨てとはよく言ったものだ(って誰も言ってないか)。

さらに後日談として《さてどうするかな》で炎上の理由を分析しているが、うーむ、私にはプロフィールがあってもあまり関係ないように思える。
結局、他人のブログのコメント欄で怒りをバクハツさせてるような奴は対象がなんであろうと構わないのさ。結局、肝心なのは自分の内部の怒りを発散させることだけなんだからね。

ところで、RSSリーダーってコメント更新は拾わないはずなんだが(他のブログはみんなそうだ)、なぜかこちらのブログだけはコメント全部拾ってくるんだよね……。だからいつもコメントに本文が埋もれてしまう。ブログの仕様がそうなっているんだろうか?

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2005年7月20日 (水)

「利益」と「権利」は違う

混同するな--ってことでしょうか。
船橋市立図書館蔵書廃棄事件最高裁判決に関する報道についてのこちらの感想を読んでみた。
確かに利益と権利では全く違う。勘違いさせる報道も困ったものだ。

それにしても、一部の作家は図書館に新刊を入れると売り上げが落ちると言い、除籍するとまた利益を侵害するというのでは、一体作家は図書館に著作が存在している事によってよって損しているのか得しているのか? こういうのをダブル・スタンダードと言うのかな。

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2005年4月16日 (土)

活字離れについて

Copy & Copyright Diaryより

「文字・活字文化振興法シンポジウム」についての記事について、

昔、パソコン通信をはじめたばかりの頃、同じフォーラムの人が「パソ通を始めて新聞や本を読む時間が(それどころかテレビを見ている時間も)減った。でも、字を読んでいる時間は増えたが」と書いていたのを思い出した。
メディアの種類が増えている時代なのだから、出版物--というか活字だけが「字」なのではない、ということを理解して法律を作ってもらいたいもんである。本を全く読まなかった若いモンがケータイの字を眺めていても、「字」から情報を得ている事には変わりない。そしてその子にとって「字」に接している時間は増加しているのだ。

元のシンポジウムでは高校生の不読者率(一か月の間に雑誌や教科書以外の本を読まなかった者の率)が60パーセント以上である話が出て来たようだが、これは何も最近の話ではない。今の三十歳代が高校生の時だって不読者率の割合は似たようなものであった。それを今さらの如く、学力低下問題と合わせて騒ぎたてている。いい加減にして欲しい。
それより情報リテラシーの教育の時間でも増やしてもらいたいもんだ。今の「情報」の時間で一体何をやっているのか。極めてアヤシイように感じる。

とはいえ、個人的に紙媒体の活字とパソコンのモニターの字は脳の違う部分で読んでいるような気がしているのだが、どうなのだろうか。声を出してモニターやケータイの画面を読み上げるといいのかな(;^^)


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2005年2月18日 (金)

本を捨てるということ

昨日(2月17日)の朝日新聞の投書欄に「本を捨てることができない」という趣旨の投書があった。新聞と一緒に廃品回収(?)に出された本を見て「せめてこれらの本が図書館や古本屋に流れてくれたらと願う」とある。
年齢が55歳というところから見ても、やはり本がもったいなくて捨てられない世代なのだろう。今時の若いモンが本をブックオフに売るのは全く違う理由だろうから。
本を消費財として考えてみれば、電気製品や家具に比べて寿命が長い。40年前の文庫本だって紙が黄色くなっているのを我慢すれば今でも立派に使用OKなのである。パソコンなんか5年ぐらいでオシャカですよ、あなた。

従って、それをまた誰かが再利用してくれるだろうと期待して、古本屋に持っていくのは当然の流れであるように思える。投書した人もそういう気持ちで書いたのだろう。
だがしかし--当の著者である作家側が「読み終わって売るぐらいだったら捨てて欲しい」などと語っていると知ったら、この人はどう思うだろうか?ムムム……

もっとも私は本を燃えるゴミとして捨ててしまう人間である。少し前に引っ越しした時はマンガも活字本も三分の二ぐらいゴミとして捨ててしまった。近くにブックオフの類いもないし、車も持っていないので大量に運ぶことはできない。それでバサバサ捨ててしまったのだが、後で森川久美や千之ナイフのマンガ(勢いで捨ててしまったのよ(^^;)はもはや入手不可ということで、複数の知人から「もったいな~い」と言われてしまった。
しかし、取っておいても読み返すことがないのなら、場所を塞いでいるだけなのだが……やはり複雑な気分になった。

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