演劇

2008年5月 6日 (火)

「毛皮のマリー」:徹頭徹尾、醜悪

080506
寺山修司没後25年特別公演
演出:川村毅
会場:シアタートラム
2008年5月1日~4日

ウギャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ(>O<)

一体なぜ私はこのように叫んでいるのであろうか?
それはこの記事の中でおいおい明らかになるであろう--。

寺山修司の芝居ってどうも見た記憶がない。過去に一度ぐらい見ているんじゃないと思うのだが、どうにも思い出せん。だからこれが初めてなのかも。
とはいえこの『毛皮のマリー』、さすがにあらすじぐらいは知っている。しかもチラシの裏側にもこう書いてあるし(^O^)

花咲ける四十歳の男娼、オカマのマリーさんは、ああなつかしきストロハイム氏よろしき下男を従え、息子と称する美少年を囲い、擬古典的に装われた贅沢な一室に住まわっている。
美少年を外の世界に誘いだそうとする美少女……

ヒロイン(?)マリー役は美輪明宏が十八番にしていて、初演の1967年から数回に渡り演じているとのこと。美輪明宏ならきっと妖艶だったろうが、川村毅の方は以前『卒塔婆小町』の老女を演じてたのを観ていたので、今回も醜悪なる中年男娼に嬉々として扮するのだろうと想像していたが、まさにその通りであったkissmark

メタボが心配になりそうなたるんだ肉体に白いドレス、顔はど派手なメイク(宇野亜喜良が担当)で厚く塗りたくり、下男にわき毛スネ毛を剃らせる姿は--奇々怪々、じゃなかった毒々俗悪--とにかく面妖なのであった。
一方、部屋の舞台装置はほとんどなくコンクリむき出しみたいで極めて殺風景だ。バスタブと寝台と古めかしい蓄音機があるくらい。

さらにマリーが一旦退場すると、バラの花くわえた全裸男がいきなりゴロンと舞台中央前面に転がり出たのにはビックリ。最前列にいた観客(私が見た回では全員女性だった)の視線が一点に集中してしまったのは致し方あるまい。

さて、マリーから「息子」と呼ばれている「美少年」に扮しているのは手塚とおる。内股にしずしずと歩き、動作や喋り方はいかにも内向的で幻想の世界に生きる少年そのもの。おまけに身体の細さは川村毅の二分の一ぐらいか(←大袈裟には言っていませんよ、多分)。
で、家に帰ってネットで色々と検索していたら、手塚とおるはなんと1962年生まれと書いてあったimpact
な、なんだって~~っ(!o!)
単純計算で46歳……川村毅とほとんど変わらないじゃん。これも別の意味で「面妖」なり~。
し、信じらんねえ(@∀@) ドスン(PCのマウスを握ったまま床にパッタリ倒れる音)

だーって、半ズボン似合い過ぎ!
白タイツはいた脚は細くてキレイだし……。
サッシュまいた腰も細過ぎよーdanger

ま。参りました_(_^_)_ ペッタリ

で、それに対し彼を誘惑する「美少女」の菅野菜保之は、どー見てもガタイのよろしいオヤヂ--じゃなかったケバいオバハン。特に横じまの靴下がキョーレツです。
元々男が演じる役だそうだが、いくらなんでもこりゃあんまりだー。むくつけき「美少女」が少年の柳腰に腕を回して押し倒す所なんぞ、いかがわしさ&オソロシさの極致。正視に耐えぬとはこのことよ。
ん?誰だ?!クスクス笑っているのは。むむむ、分かったぞ、貴様らフ女子だなー。

難は中心の二人が出てない場面になると、いささか舞台への求心力を失ってしまうこと。それと、「美女の亡霊」役のおねーさまがたにはラインダンスの場面はちゃんとヒールの高い靴を履いて欲しかったわねー。(そういう問題か)
あと、マリーが拾った水夫は本来筋肉ムキムキ男という設定だと思うのだが、なぜか歌舞伎町のホストみたいな優男なのも疑問であった。これは単に川村毅の趣味か、それともわざとか?

しかも、不可解なことにバッハの受難曲が流れる中、悲劇が完遂して終幕になろうとする時、なぜかマリーと美少年は突然に地の声で嬉しそうに「フフッ」と笑うと、活人画よろしく二人でピエタのポーズを取って見せて(「天地創造」もやったというのだが私は見逃した)、続いて出演者全員で「最後の晩餐」をやって(手塚とおるがイエスの役)本当の幕となったのであった。

はて?これはいずこの悲劇も同じような繰り返しとでも言うのだろうか(?_?) それとも全ては悪ふざけに過ぎなかったのか。

いずれにしろ美しさのかけらもないその徹底した美意識--じゃなくて「醜意識」は大したモン。あまりの毒気にやられて気がつくと知らず叫んでいたのであった。
これからは川村毅は他人の作品の演出を中心にやった方がいいんじゃないの?(ご当人はイヤだろうけど)

ところでどーでもいいことだけど、亡霊のおねーさまがたのの中で一番キレイだったのは、カーテンコールで笠木誠の隣にいた人だと思いました。でも、スネ毛は剃っといて欲しかったわねboutique(余計なお世話かしらん)


さてこの芝居、青森県立美術館での寺山修司展の関連企画として10・11日にも演じられるもよう(世田谷の楽日は彼の命日だった)。県立美術館でも全裸男がゴロンと転がるのであろうか。


【関連リンク】
《UN-Blog (仮)》
手塚とおるのファンとおぼしき方の感想。「たとえ本物の18歳に美少年でも、あれほど完璧な美少年にはならなかったでしょう」というのに、激しく同感。

《ミュージアム・アクセス・とーくる のページ》より「青森県立美術館で寺山修司 」
寺山修司展の感想です。「情報の確認をするために美術館にきてるんじゃないのに」というのは、この手の回顧展の本質的なあり方の問題を突いていると思いました。

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2008年3月19日 (水)

「ワニの涙」:唯一の成果は

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〈神なき国の夜〉3
作・演出:川村毅
出演:手塚とおる、根岸季衣
会場:シアタートラム
2008年3月6日~16日

三部作の最終作--なんだが、実は私は最初の『クリオネ』を見たきりで二作目の『フクロウの賭け』は見に行かなかった。

で、今回は辛辣なコメントが売りの盲目の深夜ラジオのDJが手塚とおる……って、なんかいつか見たベケットの芝居を思い出すじゃありませんか。
で、そこへ自殺願望の娘やら死刑囚やら犯罪予備軍の若者やらがリクエスト電話をかけてくる。(声だけで姿は見せない)

後半では、死刑についてスタジオで語る弁護士が登場するが、その発言を聞くとつい最近出版された森達也の『死刑』そっくりである。

テロやら犯罪やらタレント政治家を風刺している部分もあるが、すべて中途半端。こんな半端に前向きなエンディングでは、今時の悪意に満ちた若い劇作家たちには勝てないぞ~と思うのは私だけか。
それと、クライマックス風の場面の後にさらにダラダラと話が続いてしまうのは最近の川村毅の特徴かね。なんか、盛り下がっちゃうのである。

根岸季衣は歌の場面以外は、あまりしどころのない役柄だった。自殺娘二人が床をゴロゴロした時は、彼女は横で絶対笑ってたと見たが、如何(^^?
嫌味モードのDJを演じた時の手塚とおるのみ良し。

あ、あと浅川マキの曲が劇中でかかって、久しぶりに聞いた彼女の歌は素晴らしかった。アルバムはヴィニール盤でしか持っていないので、絶対CDで買い直すぞっと固く決意した。それが成果であった。

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2008年2月11日 (月)

THE・ガジラ「新・雨月物語」:意味不明のまま終了

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脚本・構成・演出:鐘下辰男
会場:世田谷パブリックシアター
2008年1月25~2月3日

「雨月物語」と言っても上田秋成ではなく、溝口健二の映画版の方を元にした芝居だとのこと。

冒頭、完全な沈黙の中で侍が出現。山奥深い山の民の元を訪れた侍が、男の焼いた器を献上しろと迫るが逆に殺される。
そこから、男の過去へと戻っていくというストーリーだが、役者も演出も装置も文句はない。よく出来ている。

しかし、どうもそれとは別の「理屈」の部分がどうにもよくワカラン。
日本の表舞台から追い払われた一族が千年以上にも渡り、山の奥に潜んできた。そして、時の太閤秀吉から山狩りにあい、もうビンボーな山の暮らしはイヤだと逃れようとする主人公が出会う。
--のはいいんだけど、というのは幻だった、というのは幻だった、というのは幻だった、と続いて行って結局何がなんだったのか理解できなかったのは私だけか?
秀吉の山狩りと山神がイヤで逃げた主人公が結局、山神の掌の上から逃れられなかったというのなら、彼にとって真に抑圧的だったのは山神じゃなかったのか?
しかし、冒頭の場面を見ると彼はすっかり山の民の一員に戻っている。とすれば、彼は結局のところ山神の力に屈伏したのだろうか。
全くもって分からんよ。
「権力」とか「支配」とか持ち出すんだったら、そこんとこハッキリして欲しい。

若松武史はホントに××年ぶりぐらいに舞台で見た。北村有起哉はお腹にぜい肉な~し。(というどうでもいい所を見てしまう)
あと、ヒロインの(一人の)葛城が死ぬ場面が舞台の前方に立っている役者のために死角になって全く見えなかったよ(T_T) あれって、月雲との関係が明らかになる決定的瞬間なんだろうに。こちらとしては推測するしか他になかった。私と同じ角度の線上にいる客はみんな見えなかったと思う。何とかしてくれい。

久しぶりに芝居を見る度にガックリ来てしまうのはどーしたらいいんかね(?_?)

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2007年12月23日 (日)

「スーパーニュースペーパー2007!年末公演今年を笑う」:歴代首相総出演

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出演:ザ・ニュースペーパー
会場:博品館劇場
2007年12月13日~15日

恒例のザ・ニュースペーパー年末笑い納め公演である。
博品館劇場(なぜ「吐く貧寒」と変換される?)は風刺と笑いを求める人で満員状態であった。
今回は冒頭からコイズミ・アベ・フクダと歴代首相が順番にトークをやって豪華総出演。もっとも渡部又兵衛のフクダはあまり似てないが。
それどころか他の政治家のニセ者も続いて多数出現した。特にアソウは完全にソックリ(誰がやってたのか分からないぐらい)。本物と入れ替わっても全く分からないと思えるほどだった。又兵衛氏は「黄門さま」こと渡部恒三の方がよく似ていた。

他に面白かったのは「紅白ウソ合戦」で、司会がそれぞれ赤福と白い恋人の社長で、今年ウソをついた方々が次々と登場する。
さる高貴なご一家シリーズはカレンダー撮影のためにご一家が久々の集合、というエピソード。しかし、結婚してヨメに行ってしまったご長女はもうカレンダーに入れてもらえないのであった。
そして、お世継ぎ問題でどちらの孫が当主を継ぐかで言い合いになる中、思わずご長男が「次の順番は私です!」と主張。確かに論争でうっかりすると、いつも忘れられてそうな事実なのであった。

それから途中で記録ビデオが映されたのだが、偽アベが靖国神社にお参りしたのに(しかも8月16日に)誰にも気づいてもらえなかったのに対し、偽ヒガシコクバルが宮崎○庁に行ったら大人気であった。
恐ろしいことであるよ……(^^;)

さて、来年は誰がニセ総理になるのであろうか?楽しみ~(*^^*)

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2007年12月 1日 (土)

結城座「森の中の海」:今イチ感をぬぐえず

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作・演出:渡辺えり
会場:ザ・スズナリ
2007年11月19日~11月25年

今回の公演は渡辺えり(子)の新作書き下ろし&演出。さらに唐組の稲荷卓央が客演であった。
サラリーマンが突然森の中で目を覚ます。そこがどこなのかも分からず、スーツのポケットにはなぜか魚肉ソーセージとワンカップ大関が……?
そこへ突然人形芝居の団員という男が現れる。しかし、サラリーマンにはそいつの操る人形が見えない。
そこから徐々に彼の過去へとさかのぼり、某有名童話もからんで話が展開する。

で、見てて気になったのは前回の鄭義信の「ドールズタウン」とかなりかぶる部分が多かったということだ。
前作では母親だったが、今回は父親についての回想。しかも海のそばの村が舞台で戦争の記憶が出てきて、変な動物--前回はオサカナ、今回はシマネコが出てきて、しかもこれがカワユイ(^^)のも同じ。ちょっと、なんだかなーという感じだった。
個々の場面は文句ないんだけど、物語全体を見ると今ひとつな印象。
結城座の面々(&人形)の演技には文句はありませんでしたけど、ハイ。
人魚や半魚人もよかったよ。

ところで、公演終了後に新聞に竹本素京の訃報記事が出た。なんでも公演初日の前日に亡くなったとのこと。一座は精神的にも物理的にも大変だったことだろうと察する。
昔は現代物にも竹本素京が出てきて、義太夫を聞かせてくれた。私は古典公演はほとんど見ていないので、一番記憶にあるのはジャリの『ユビュ王』をやった時に、一同のゴシック・パンク風の衣装に合わせて、彼女は白髪を緑色に染めて登場した。あれはキョーレツであった。
ご冥福をお祈りします(-人-)ナムナム


さてこのチケット、一般発売の後に公演の優先予約のお知らせが郵送されてきた(-o-;) もう、ぴあでチケット買っちゃってたのよ。先に買ったのに値段は高いし、整理番号は後だし……あんまりだーっω(T_T)ω

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2007年10月 8日 (月)

「アルゴス坂の白い家 クリュタイメストラ」:悲劇、喜劇、悲喜劇?

071008
作:川村毅
演出:鵜山仁
会場:新国立劇場
2007年9月20日~10月7日

新国立劇場の10周年記念のフェスティパル公演として、ギリシャ悲劇を元にした三つの新作芝居をそれぞれ別の演出家が演出するという企画。
これはその最初のもので、川村毅と芸術監督に就任した鵜山仁が組んでいる。

クリュタイメストラはエレクトラの母親で、トロイ戦争での勝者である夫のアガメムノンを謀殺。娘と息子の恨みを買う。彼女を佐久間良子、エレクトラを小島聖を演じている。この芝居での設定はクリュタイメストラはスター女優、アガメムノンは巨匠映画監督となっている。

見る方としては当然、悲劇だと思ってみるわけだけど……これってもっと喜劇っぽく演出しないとダメなんじゃないの??
そもそも新宿のホームレスもどきのエウリピデスが出現、スランプに陥ったこの芝居の演出家と共に漫才みたいなかけ合いをするところから始まるんだから。
でもって、ヒロインが一生懸命悲劇にしようと頑張っているのに他の人間が不甲斐なくってなかなか悲劇にならない……って、つかこうへいとまでは行かなくてもやっぱり喜劇でしょう。

そう思って見ると、後半は面白くなった。
悲劇がもはや成立しない時代に抗って、あくまでも古代の悲劇を成立させようとするヒロインはまさに「最後の大女優」であろう。
ただ、「父と息子」と違って「母と娘」はそんなに簡単に和解できないもんだと思うが……。

川村毅は相変わらず「戦争」好きなようだ。しかし、戦争映画作るには戦争へ行かなければダメだなんて意見には到底賛成できません。そしたら、オリバー・ストーンの撮る戦争映画が最高だってことになっちゃうじゃないの。納得できねぇ~。

佐久間良子はさすが、余裕の貫禄でヒロインを演じていた。あと、ホントに××年ぶりぐらいに有薗芳記を見た! 全然変わってなかった(^o^;

それにしても、見たのは日曜日だったのに6割ぐらいしか客が入ってなかったのはどういうことよ? しかも二階席は最初から使ってなくて、だ。折角の10周年企画だってのにさ。立派な劇場の建物がシーンとしてた。
三番目にやる『異人の唄』はマンガ家の土田世紀が脚本書くという話題作だから、それにはさすがに客が入るだろうか。

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2007年7月15日 (日)

劇団、本谷有希子「ファイナルファンタジースーパーノーフラット」:立つのはチラシばかりなり

作・演出:本谷有希子
会場:吉祥寺シアター
2007年6月4日~24日

前作の、学校を舞台にした芝居がエラク評判だったので、どんなもんかと観に行った。平日の昼間なのに、結構幅広い年齢層で客席は満員。一体どういう人間が見に来ているのかと思っちゃう。
--なんつーと「お前自身はどうなんだ」と言われそうだが、仕事が早く終わる日だと思ってチケット取ったら実はそうじゃなくて、泣く泣く仕事を抜けて来たのだよ。文句あっか!

舞台はさびれた遊園地。そこに引きこもるヲタク青年のトシロー。死んでしまった彼の理想の女の子「ゆく」ソックリになりきろうとする女たち。そしてその指導役のシマコ。
見方を変えると昔問題になった新興宗教団体みたいに見えなくもない。

作者は二次元の娘っ子にしか萌えないヲタ男を皮肉っているようでもあるし、そのヲタ男に無条件に尽くす病んだ女たちを批判しているようにも見える。
ただ、見ていてどうにも分からないのはシマコがどうしてトシローに尽くしてやっているのか。理由が全く不明。罪悪感かしらん? ここが分からんので劇全体が何やらボヤーッとした印象になってしまった。

終わって「芝居を見たっ、もうお腹いっぱい」という気になったが、人物の対話が中心なんであまり視覚的な面の意外さはなかった。もうちょっと、女たちが「ゆく」の練習している所なんか見せてくれるとよかったかも。

それから、ヲタク少年が他人との距離を取れない(物理的な意味での)のが描かれていて、笑ってしまった。本当にああいう子がいるんだよねー(^-^;


クラシックのコンサートなんかでも相当に厚いチラシの束を貰う事があるが、ここで貰ったのは本当に分厚くてもはや垂直に立つほどだった! 本当に驚いた。昔、ボーナスをいっぱい貰う奴は月給袋が垂直に立つなんてギャグがあったのを思い出した。銀行振り込みが常識で、しかも不景気な現在ではあり得ないことだが。

で、開演前に隣席の友人の上に二階席からチラシが降ってきた。それも結構厚手の紙のチラシだ。紙で手を切ることもあるから、こりゃ凶器だね。観劇の際はご注意。

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2007年6月12日 (火)

結城座「ドールズタウン」:燃えゆく母

作・演出:鄭義信
会場:ザ・スズナリ
2007年5月31日~6月5日

結城座が鄭義信と組むのは12年ぶりだという。前回の芝居は見ていない。
舞台は戦時中の日本、海を遠く臨む架空の地方都市「ドールズタウン」。その住人たちは人形が演じ、時間的にも空間的にも外部の人物は人間が演じる。

なぜか分からないが今イチのめり込めない歯がゆさを感じた。自分でもよく分からないが、主人公の少年の感性があまりに「現代的」過ぎるせいかも知れない。

とはいえ、いじめっ子の姉弟には大いに笑ったし、オサカナの佐藤昭二はカワユイっ! 巨大象の人形がバラバラになるのは驚かされた。
それに何と言っても、母が本当に燃える場面は泣かされた。こればっかりは人形芝居でなくては見ることが無理な光景である。

次回は渡辺えり子と組むという。これもまた期待だ。
それにしても客の年齢層が高いのには驚いた。もちろん若いカップルもいたけどねえ。


ところでネットの感想に「人形と人間とが絡む芝居の必然性がわからない」というのがあった。こう思う人は結構いるんだろう。特に結城座の場合は人形をあやつっている人間が、姿を堂々と見せて直接セリフも一緒に喋っているわけだから、余計にそう思えるかも知れない。しかし、人間の身体と人形の身体は全く別のものである。そこに虚構と現実が鮮やかに転換する、目に見えぬ境界が存在するのだ。

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2007年5月29日 (火)

「藪原検校」:弱きをくじき強きをだます

作:井上ひさし
演出:蜷川幸雄
会場:シアターコクーン
2007年5月8日~31日

これまでどうも蜷川幸雄の芝居は今イチ自分と合わないなー、と思っていたがこれを観て初めて面白い!と思った。
もっとも、面白いのが演出なんだか元々の脚本だか役者の演技の部分なんだかはよく分からないが--。

親の因果が子に報い~、と盲人に生まれつき、盗む殺す犯すと悪徳の限りを尽くして社会を縦断して行く杉の市--古田新太は正にはまり役としかいいようのない演技を見せている(もっとも、恰幅良過ぎてて27歳には見えんが(^^;)。新感線みたいに当て書きしたかと思っちゃうほどだ。

堅固に築かれた江戸時代の社会の中で、さらに盲人の中にも階層が作られているという搾取的な体制を、井上ひさしの脚本はあからさまに描き出している。
主人公は悪をなすことでその体制を手玉に取る紊乱者となり頂点を極めるが、最後は葬り去られる。誠にエネルギッシュにして皮肉な物語だ。全編のめり込んで見てしまった。

音楽がいささか古めかしい感じで訴求力がないのが難(わざとそいういう曲調にしているのかも知れないが)。壌晴彦の語りは非常によかった。

《えんげきのぺーじ》の一行批評を見ていると、公演期間の初めの方はかなりキビシイ評が書かれているが、後になるほど点数が上がっているようだ。やはり尻上がりに出来が良くなっていったのかも知れない。


事前に座席をよく確かめないで行ったらバルコニー席の後ろの方だった。オペラグラス持って行くべきだったと大後悔である。
あと、途中で耳鳴りがしてきて花粉病のせいかと思って薬を飲んだがおさまらず、家へ帰ったらすごい大きな耳鳴りになっていて片耳が塞がったようになってしまった。これはもしかして「突発性難聴」というヤツかと震え上がった(>_<;)
翌朝、風呂に入ったら治ったからよかったけど、医者へ行かねばならないのかと不安になった。健康には気をつけんとイカンのう……。


【関連リンク】
1974年の公演も見た方の感想です。
《ようこそ劇場へ!》
うーむ、高橋長英、太地喜和子、財津一郎ですか。今回と正反対のメンツですなあ。これも見てみたかった。

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2007年5月21日 (月)

ザ・ニュースペーパーpart71プレ公演:コイズミ&アベ漫才は既に無敵状態

会場:博品館劇場
2007年5月19日

毎年2回本公演をやっている政治コント集団のザ・ニュースペーパーだが、今回は7月のプレ公演だということで、見に行って参りました。

冒頭、昨夜のたてこもり発砲事件を早くもネタにしてるんで驚いた。続いて、コイズミ&アベの漫才コーナー。よっ、待ってました(^O^)
出てきただけで会場内に笑いが渦巻くほど。アベ首相は初登場の前回よりもずっと完成度が高くなっていて、本人と間違えるぐらいだ。(←冗談です)

プレ公演ということで、ゲストやトークコーナーはなかった。一番残念なのは「さる高貴なご一家」コーナーがなかったこと。これは7月までガマンガマンで楽しみにしておこう。

面白かったのは、ゴミ捨て場を荒らすカラスのコント。舞台から引っ張り上げてきたお客がノリのいいオヂサンだったんでヨカッタネ。
あと、団塊世代のヲヤジに今どきの若者言葉を教えるセミナーのコントは涙が出るほど笑ってしまった。笑い過ぎてハンカチが必要だったほど。
「渋谷のニート」を引っ張ってきて若者言葉を実演させる件りも笑ったが、それに対し必ず下らないおやじギャグで返し、自分たちだけで盛り上がる団塊ヲヤヂどもはどーしようもない。爆笑の極みだった。

それにしても福本ヒデ氏は女装がハマリ過ぎです。なんだか心配になっちゃう(何が?)。
7月の本公演も必ず行くぞー。

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2007年3月 4日 (日)

ク・ナウカ「奥州安達原」:終了のゴングが打ち鳴らされる

作:近松半二ほか
台本・演出:宮城聡
会場:文化学園体育館
2007年2月19日-27日

主宰者の宮城聡が鈴木忠志の後を受けて静岡舞台芸術センターの芸術総監督になるため、事実上の最終公演と目される。
が、そこで美加理が演ずるのは美女ではなく鬼婆であったのだ!

舞台は本当にフツーの体育館に作っている。ロープを張り巡らせて壁の代わりにしているが、バスケのゴールポストなんかが向こうにそのまま通してみえる。
基となっているのは同名の平安期を舞台にした時代物の人形浄瑠璃。まず影絵と語りで前段までの粗筋を紹介。本段に入ると、明るくなった方形の舞台の床は斜めに白と黒に分けられている。黒の部分が鬼婆が住むあばら屋で、雪を表わす白の外部とは間に深い溝があってまるで異界のようだ。

辺境の地の異界に住む人々とは朝廷によって討伐されつつある蝦夷である。その姿は異形にして醜悪なものとして表現されており、その話す言葉は東北弁とアイヌ語を混ぜたような感じで、朝廷側の人物にはもちろん、観客にもほとんど理解する事ができない。まさしく彼らは異民族であるのが示されている。

鬼婆は一族の復興をもくろんで、一軒家で生贄を待つ。折しも訪れた男女、妻の方のお腹には子どもが宿っていたのだーーーーっ(>O<)

その後は血の惨劇がヒタヒタと迫ってくる。「雪」の上で格闘し転げ回る鬼婆と女。それまでじっと火鉢の横にほとんど座っているだけ美加理の「静」存在感もすごかったが、これ以降の「動」における彼女も恐ろしいほどである。
自分が殺戮した女の正体を知った鬼婆が狂乱して踊る場面で、彼女の視線が客席をソソーッとなめていき、それが自分の方をかすって通った時に私は戦慄を思わず感じた。それほどの迫力だったのである。
完全に圧倒された。ノックアウト~!(ゴングが鳴り響く)

ただ、不満がないわけではない。前段の語りはあんなにギャグ交じりで面白おかしくする必要があったのか? その時の影絵もお世辞にも出来がいいとはいえない。
女たちが死んで男たちだけの物語になった時、チャップリンの『独裁者』まがいの地球のバルーンが登場するが、ちょっと違和感あり過ぎな気もする。(コンセプト先行過ぎ?)
そこで鬼婆の息子の言葉に不明瞭な字幕が付くのがこれまた中途半端。元の物語ではバイリンガル(と言っていいんか?)なんだから、意味を観客に知らせたいんだったら、分かるような言葉を混ぜるなどした方がよかったのでは?

それにしても、中世・血・言語・身体--という点では先日見たヤン・ファーブルと共通しているはずなのだが、なんという違いだろうか!
舞台上に大量の血(とおぼしき赤い液体)があふれていたファーブルに対し、こちらではたった一度だけわずかな血が雪の上ににじむ。だが、それが描くものはあまりに大きい。これは西欧と日本の差とかではなく、身体観や歴史観の違いか。

舞台の下に陣取って十数人が生演奏する音楽もよかった(特に野蛮な感じの音の笛?がズンと響きました)。
最後の最後にこんなモンをやってくれちゃうなんてあんまりだ~(T_T)


余談だが、鬼婆の息子(安倍貞任)役の人がカーテンコールで出たり入ったりする時、舞台衣装(というより巨大なカニの脚みたいなもの)がロープに引っかからないようにカニ歩きをしているのに笑ってしまった。(失礼)
それから、通路の段差に変な所があって、入ってきた客のほとんどが引っかかってよろけるので「おおっ、魔の段差だー」なんて思わず名前を付けてしまったよ。

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2007年2月25日 (日)

ヤン・ファーブル「わたしは血」:久々の大失敗……

中世妖精物語
演出・振付・舞台美術・テキスト:ヤン・ファーブル
会場:彩の国さいたま芸術劇場大ホール
2007年2月16日-18日

小劇場ブーム盛んなりし頃は芝居通いを頻繁にしてて、よくうっかり間違いをすることは珍しくなかった。チケットを間違える(あるいは家に忘れる)、会場を間違える(シアターアップルとシアタートップスとか)、日時を間違える、さらには演目を間違える!--などなど。
以前にも曜日は同じだが一週間前に行ってしまった事があったのだが、芝居にあまり行かなくなってしまった今日この頃、久々にやってしまいました(>_<)
なんと、土曜と日曜間違えて行っちゃったのであったよ、トホホ。

恐る恐る劇場の係員に聞いてみると、当日券と取り替えてくれるとのこと。そして、ここでさらに衝撃だったのは取り替えて貰った座席の方が、最初の席よりも見やすい場所だったということだ!(ゲゲーン)

まあ、とにかくヤン・ファーブルである。アートの方では作品を目にしているが、普段ダンスなど見ないのにどうして見に行く気になったのかは、自分でも分からないけどとにかく、行ってしまったのである。
開場が非常に遅れ、開演10分前ぐらいにようやく入場する。ステージでは既にダンサーがクネクネと踊っている。赤いヒモパンをはいただけの小太りのオヂサン。頭に写本を乗せた貴婦人が周囲を歩き続ける。両サイドでは、数人が「中世」風の職人の動作をしている。

やがて、ヤン・ファーブルの「血」について語るテクストやヒルデガルド・フォン・ビンゲンの写本のラテン語が飛び交う中、銀色の鎧をまとった騎士集団が現われたかと思うと、いつの間にか脱ぎ捨てて花嫁衣裳のドレスを着てたりして、最後は集団裸の男女乱舞乱交パフォーマンスとなるのであった。

で、これが面白いかというと……(=_=;)
詰まらないとは思わないが、私には面白いとも思えなかった。

例えば、十数人の女性ダンサー達が白いドレスを着てそれぞれ寝台に見立てたテーブルの上に横たわる。で、やがて彼女たちはパンツの股間に処女喪失を現わす血のりをくっつけて、丁寧に観客席の方にそれを見せてギャーと叫び始めて走り回る。
やがて牛のように発情した全裸男が出現して女達に突進すると、白いドレスの裾をマントに見立てた闘牛もどきが始まる。倒された女は裸になって床に横たわる。
そんなこんなドタバタのうちに、最後はドレスの女達がステージの前に一列に並んで、ドレスをまくり上げてパンツの血のりを見せてギャハハハと笑うのであった。

確かにバカバカしくて私も笑ったが、「だから?」って感じ。なんだかあまりにも分かりやす過ぎて、挑発の域にも衝撃の域にも達しているようには思えなかった。
いや、「衝撃」と言えば小学校低学年くらいの女の子が両親と共に見に来ていたこと(しかもかなり前の列で)。映画だったら18歳未満ご遠慮下さいレベルですよっ(;^^)

あと、私の座席は比較的前の方だったんで、奥行きのあるステージをフル活用して繰り広げられてたパフォーマンスがほとんど見えなかったのが悪かったのかも知れない。
なにせ前の方にいるダンサーの身体の陰に重なってしまって、奥でなにが行なわれているかよく分からないのだ。

というわけで、ひさしぶりに行ったダンス公演だったが、私には色々ガックリな事が多かった。
後でネットの感想を見てみると、絶賛多数ですねー。これまたビックリ。まあ、私には理解の埒外な世界ってことでしょうか。

【関連リンク】
「パフォーマンス/ダンスには、運動に比重を置いたものと、コンセプトに傾いたものがある」……なるほど、ナットクです。
《小劇場系》

「こんなのに対抗できるのは公開解剖とか方程式ショーくらい」……公開解剖は分かりますが「方程式ショー」ってなんですかっ。な、なんかいかがわしそう~(@_@)
《緇井鶏子》

数少ない批判的な感想の一つ。
《wander-dist.》

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2007年1月31日 (水)

劇団新感線「朧の森に棲む鬼」:水もキスシーンもテンコ盛り

作:中島かずき
演出:いのうえひでのり
出演:市川染五郎、阿部サダヲ
会場:新橋演舞場
2006年1月2日~27日

3度目の挑戦にしてようやく手に入れた追加席。もっとも、ここがなんで追加席? そもそも追加席ってなんじゃ?な疑問も。

ともあれ6時開演なんで、仕事はもちろん早退きだー \(^o^)/
客席は若い女性が多い--どころか85~90%が女であった。しかも金三千円ナリのパンフ(+カレンダー)を皆さん買っていく買っていく。思わず感心。

内容は市川染五郎が完全な悪役をやるというので、前から評判になっていたもの。最底辺から舌先三寸(とそれと同じように動くという刀)で国王まで成り上がる男の栄枯盛衰を描く。シェークスピアの「リチャード三世」を下敷きにしているというが、導入などは「マクベス」にも似ている。主人公が滅ぶ理屈が今イチ判然としない所までも、だ。
時代も場所もハッキリしないのはクロサワ時代劇風でもある。

本物の水を使った舞台装置はスゴイ。あの大量の水はどこに消えていくんだろうとしげしげ見ちゃったりして。水の中の立ち回りまであったりする。照明も美しい。さらにキスシーンも大サービス。成り上がっていく度に衣装のみならずメイクまで変えていくという芸も細かい。
殺陣も見事である。特に終盤の染五郎と古田新太の対決部分はもう異常なまでの迫力。何か戦慄まで感じてしまった。
それから高田聖子はうまい役者だなーと今回つくづく感心した。

ということで¥12600の元は完全に取れた!--と、言いたいところだが、やっぱりキツイです、この値段(泣)。でもファンは4回、5回見に行く人もいるらしいからすごいもんである。

以前からの新感線ファンとしてはやはり古田新太に最低10キロぐらい減量してもらって、ぜひ堂々たる主役をやって貰いたい。
ん?次回作は古田主演で「犬顔家の一族の陰謀」だって? こ、これは……なんか見る前から内容が想像できそうな……(\_\;

ところでカメラが入っていたがどこで放映するのだろうか。WOWOWか。よもやNHKの「芸術劇場」ではないことは確かだろう。


帰りは「夜遅くまで営業」と「値段が安い」でネット検索した店へ行ってみる。だが、やはり銀座だけあってそれなりの値段だし、すごーく照明が薄暗くてテーブルの向こうに座った友人の顔が見えないくらい(いささか誇張しております)だし、近くに職場で飲みに来ている集団はいるし、さすが新宿や池袋とは違うと感心したのであった。あと、ワインがあまり冷えてなかったのはどうよ? あ、でも接客はよかったですよ。
家にたどり着いたのは1時近かった--。

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2006年12月23日 (土)

「マジックランタン 注文の多い料理店」:賢治先生も墓から起き上がって「こりゃ、満足だー」と言うはず

宮沢賢治生誕110年記念公演
出演:結城座
会場:シアタートラム
2006年12月13日~17日

長い歴史を誇る糸あやつり人形の結城座、今回の演目は賢治である。と言っても、そんじょそこらの賢治と違う。江戸時代に考案されたというマジックランタン(写し絵)も使用して、二部構成となっている。
写し絵は携帯用スライド映写機みたいなもん。昔はランプや灯芯を使って川に浮かべた屋形船の障子に投影させて見せて、喝采を受けたという。操作する者は脇に抱えてスクリーンに対して近づいたり、離れたり、自在に動かしては様々な効果を生み出す。
今回はステージの中央に幕を張って奥の方から投影し、その前で人形が芝居をするという趣向である。

第一部は「賢さんのトランク」で、一郎少年と怪しいオヂサン(実はヤマネコ?)が登場。子ども&賢治をよく知らん観客に対しての配慮か年譜を解説までしたりして、さらに「祭りの晩」などの短編をおりまぜて写し絵で演じてくれた。第一部では原画のガラス絵は児玉房子の絵を使用。
題名は忘れてしまったが、ひなげしとヒノキの物語でカエルに化けた悪魔の目がキョロキョロ動くのには笑ってしまった。

第二部は「注文の多い料理店」。ガラス絵は寺門孝之の描き下ろし。このブラックな笑いに満ちた怪しげ、かついかがわしい物語と写し絵の雰囲気がピッタリだった。暗闇の中からピカピカのレストランがモヨ~ッと出現してくる場面など忘れがたい。
客の男二人を演じる人形もいかにもブクブクした俗物風なのがユーモラスでよかった。

写し絵はかつてスペクタクル的な演目として人気を博したらしいが、レトロで妖しいイメージにお子ちゃまよりも大人の方が引きつけられて夢中で見ていたようである。私は子供の頃に縁日で買った回り灯籠を思い出した。
休日のせいもあったろうが、客席は満員御礼だった。

来年は二作品、それぞれ鄭義信、渡辺えり子と組んでやるそうでこれまた期待大である。絶対見に行くぞ!

【関連リンク】
こちらの感想はよく雰囲気が伝わってきます。
《飴色色彩日記》

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2006年10月21日 (土)

「エンドゲーム」:ベケットを見ながら考えた--ことは何もない

作:サミュエル・ベケット
演出:佐藤信
出演:手塚とおる、柄本明
会場:シアタートラム
2006年9月22日-10月1日

新作戯曲紹介『ベケットを見ながら』
舞台:とある劇場
登場人物:観客A、観客B、掃除人

劇場でベケットの芝居「エンドゲーム」が始まる。
A(Bに囁いて)「なあ、今クロヴはなんて言ったんだ?あの喋り方よく聞き取れないよ」
Bは眠りこけていて返事が無い。やがてBが目を覚ます。
B「なあ、ハムって王様なのかなあ。自分でそう言ってたっけ?」
今度はAが寝ている。Aの返事はない。
交互に目を覚まして舞台を眺めては質問するが、その度に相手は眠っている。それを繰り返しているうちに遂に芝居は終わってしまう。

終幕後、客席で感想を述べ合うが、互いに見ている場面が違うので話が通じない。
A「まるで二人の掛け合いがコントみたいだったなあ。でも、ここで笑っていいのかよく分からないのが難だけどさ」
B「核戦争による世界の終末後の茫漠たる寂寥感みたいのがよく表現されてたよ。退廃の極みだねえ」
A「始まっても客電ずっとつけっぱなしで会場がコウコウと明るかったのには驚いたよ」
B「客席が暗過ぎてコックリと舟をこいでた客が大勢いたね」
A「役者の名前は四人あるのに、二人しか出なかったのはなんでだろう」
B「え? ベテラン勢二人はゴミバケツの中から時々顔を出してたじゃないの」
A(焦って)「ゴミバケツの中?」
B「そういや、手塚とおるは明晰な演技でよかったよ。若いのに、老いた主人の役がよく合ってたなあ」
A「柄本明は愚かなんだか頑迷なんだかよく分からない正体不明さを、地だか演技だか区別がつけられない演技で、観客をケムに巻いてたなあ。見たところ、柄本がツッコミで手塚がボケだよね」
B「ええっ、柄本がトチったのを「はい、どうぞ」とフォローしてた手塚の方こそツッコミだろう」
A「むむっ、そんな場面あったっけ? 彼がトチったのは望遠鏡落とした場面だろう」
B「げげっ、そんな場面あったっけ?」
A「お前ちゃんと観てたのか?」
B「お前こそ!」
しばらく言い合いが続く。

A「なあ、おれ達同じ芝居を観てたのかなあ……」
B「さあ、どうかなあ」
A「いつかベケットの芝居をちゃんと観られる日が来るだろうか」
B「来るかなあ」
考え込む二人であったが、劇場係員の掃除のモップに容赦なく追い立てられて退場する。


【関連リンク】
ちゃんとした感想を読みたい人はこちらへ
「散策する見物」

見事「玉砕」した人の感想
「萬風堂夜話」

終演後に行なわれたポストトークの内容の紹介。客が眠ることについての言及あり。
「観劇日和」

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2006年8月 1日 (火)

ク・ナウカ「トリスタンとイゾルデ」:ああー♪ワーグナーは今日も鬱陶しかった~

作:リヒャルト・ワーグナー
演出・台本:宮城聡
会場:東京国立博物館庭園 特設舞台
2006年7月24日~30日

梅雨明けの最も雨の少ない時期を選んだらしいが、見事にあいにくの長雨。前日の夜も降っていて、どーなることかと思っていたがなんとか雨は免れた。ホッ。
代わりにムシムシして参ったけど。

ワーグナーの有名なオペラの台本だけを使い、別の音楽をつけてク・ナウカお得意の二人一役で演じたもの。再演だそうである。
--と、聞くと全編新しい音楽がつけられているのかと思ったら、そんな事はなくて効果音程度にたまにしか流されなかった。
で、音楽が取り払われたことでさらにワーグナーのテキストのうっとうしさが倍増。もう、勘弁してくれーってな感じだ。

しかも、今回は「二人一役」システムの欠陥が出てしまったような。饒舌なセリフに対して極めて押さえられた身体の動きに、妙に白けてしまった。例えば、三幕目の病に伏せるトリスタンの詠嘆場では膨大な長セリフが語られるが、役者の身体の動きとして観客に見せられるのは単に手首をピクピク動かしているだけなのである。なんだか、見ていておかしくなっちゃう。
さすがに美加理になるとちょっとした所作でも場を持たせられていたが……。

照明はとてもキレイでよかった。都市特有の雑音に満ちた舞台の雰囲気や明るい曇天の夜空もミステリアスであったよ。

会場で配られたリーフレットによると、宮城聡はこの劇を「「近代」という檻から解放しようともろんでいる」とのことらしいが、それは成功しているとは言いがたい。なぜなら、このワーグナーの「うっとうしさ」こそ近代そのもの。それを解放するには全てをぶち壊すか、無化するしかあるまい。

「トリスタンとイゾルデ」と言えば、以前ジョエル・コーエン&ボストン・カメラータによる音楽劇を見た(聴いた)ことがある。中世フランス・ドイツの恋愛詩を元に展開する野蛮にして原初的な伝説譚こそ「非近代」の名に相応しかったように思う。

【補足】
近代の「ロマンチック・ラブ・イデオロギー」とは男女が互いに唯一の存在と認め合い、さらにその間に「愛・性・結婚」の三位一体の合一を至上とするものである。しかも、その選択が両者の自由意志によって行なわれるということもキモだ。
宮城聡はこの物語に登場する媚薬が、その近代的恋愛観を壊すものと解釈している。つまり、媚薬を飲めば誰と誰であろうがどんな組み合わせでもありうる。唯一至上の相手など最初から存在しない、ということだろう。
だが、これでは解釈が逆ではないか。二人の男女間に突然浮上する強い情動--この不可思議な作用を、中世の人々はあまりにも強く不可解なので魔法(すなわち「媚薬」)として解釈したのであろう。別に媚薬があれば誰でもいいって話ではない。
伝説のイゾルデは王との初夜を嫌がって身代わりに侍女を行かせたり、策略をめぐらせたりして相当にイヤな女である。まあ、そういう所に「近代」と「前近代」の差があるんじゃないかな。


さて、家へ帰ってバッグの中身を整理してたらなぜか劇団側が受付で貸してくれた雨ガッパが出てきてビックリ。

え゛え゛ーっ!ちゃんと帰る時に返したのになんで~~(>O<)

なんと、私は持ってきてた自分の雨ガッパを間違えて返してしまったのであった!
どうしよう(;_;)グスン

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2006年7月22日 (土)

「ザ・ニュースペーパー パート69:笑いは人を救えるか?!」

会場:本多劇場
2006年7月4日~9日

政治ネタお笑いコント集団ザ・ニュースペーパーの定期公演。今回で(多分)松下アキラ扮する偽コイズミも見納めになる--ためかどうかは知らないが、補助席やら階段座り見まで出る満員ぶり。
それにしても偽コイズミは本当にクリソツ過ぎ。明日入れ替わっても誰も気がつかないほどです \(^o^)/
是非、続投を~ (-人-)タノム
あ、いや、本物の方はもう結構ですけどね。

私が観た回のゲストは精神科医だったが、テーマの「うつ病と笑い」のはずがうつ病の話だけで終わっていたのはどーしたもんか?

他には「客が入らなくなったテーマパーク」ネタなど面白かったです。

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2006年6月 4日 (日)

「メタルマクベス」:意外にも真っ当

劇団新感線
原作:W・シェイクスピア
脚色:宮藤官九郎
演出:いのうえひでのり
出演:内野聖陽、松たか子
会場:青山劇場
2006年5月16日-6月18日

新感線のチケット獲得についてはここ数年、ほとんどプレオーダーも含めて敗退していた。が、しかし!今回は奇跡的にゲットできたのである(!o!) 自分でも信じられねえ~。こりゃ、今年は当たり年か。当たるったって食あたりだったりしたらしょうもないが。

今回公演の演目は『マクベス』を売れっ子宮藤官九郎が脚色、さらにマクベス夫妻を内野聖陽、松たか子を演じるという豪華配役である--と言っても、私はこの二人が演技しているところ自体ナマどころかテレビでも見たことないんだけど(^^ゞ
さらにロックオペラ仕立てでバックにはバンド付き、というテンコ盛り状態。

本筋のストーリーは二百年後の荒廃した未来に移し、さらに1980年代日本のヘビメタバンド「マクベス」の栄光&没落話がリンクする。で、三人の魔女はそのバンドのおっかけだった「元・少女」という次第。

という設定に反して、実際見てみると結構真っ当な『マクベス』だったにはビックリ。この原作の問題な所は強気・勝気で亭主の尻をひっぱたく悪女のマクベス夫人が後半、気弱になって幽霊を恐れる--という不自然さである。かつて川村毅は彼女を「極道の妻」に設定して納得させたが(確かに強気でかつ迷信深い)、こちらでは夫婦をDQNなカップルとして設定。なるほど、これはこれで得心が行く。

ということで、かなりまともなマクベス芝居を観てしまったという気分であった。
このスタッフ・配役ならもっとブチ壊してくれるのを期待してたんだけど--というのは欲張り過ぎか。
もっとも、ラストシーンは今イチ意味不明であったが。(ヘビメタネタなのか?)

王役の上条恒彦は余裕の貫禄で、グレートです \(^o^)/
助演の若手二人もよかった。二人とも余分な肉が全然ついてなくてほとんど骨と皮ぐらいの細身なんで、内野聖陽が「贅肉がどうも気になる」などと比較されてしまうのはカワイソウであろう。(^^; (一緒に見た友人や、ネットの掲示板でそういう意見あり)

一方、逆木圭一郎はなんかあまり為所のない役で、出すために仕方なく作った役、みたいな感じ。もうちょっとキャラクターを生かして欲しかった。
それと、セリフが約50%聞き取れないのはマイッタ(=_=;) 特にバンドの音とかぶさると壊滅的。

隣の座席に明らかに芝居自体初めて、という様子の高校生の女の子がいた。結構チケット高いのに高校生じゃ大変だろう、一体誰のファンなのであろうか?と思ったが、おばさんモードで「ねえねえ誰のファンなの」などと聞くわけにもいかず、疑問のみが残ったのであった。

しかし、6時開演で途中25分休憩入って10時近く終了。ただでさえ長いシェイクスピア芝居が歌やら過去の因縁話やらでさらに長くなった。
疲れたよ(x_x)

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2006年5月 5日 (金)

蜷川版「タイタス・アンドロニカス」:すべての元凶はお前だっ!

作:W・シェイクスピア
演出:蜷川幸雄
出演:吉田鋼太郎、麻実れい
会場:彩の国さいたま芸術劇場
2006年4月21日-5月7日

以前、この作品の映画版(アンソニー・ホプキンス主演のヤツ)を見たが、残酷なだけでどーにもよく理解できなかった。で、蜷川幸雄が再演するということで友人を誘って見に行ってみた。

会場はほとんど女ばっかりで埋め尽くされていた。ビックリである。出演している若手の男優のファンらしい。

舞台美術と衣装は素晴らしい。血を赤い糸で示しているのもいい。
えーと、それ以外は……えーとえーと……出ている若い役者がみんなニナガワ好みだなーって感じ。おまけに女は三人しか出てこないし。(映画では終盤の宴会にメイドぐらい出てたぞ) いやはや、大したもんです。(何が(^^?)

この物語では、どの登場人物も他人に慈悲を乞い願うが、誰一人として自分からは他人に慈悲をかけてやろうとはしない。それが流血の連鎖を引き起こすのだけど、そもそもの大元は他ならぬ主人公のタイタスに他ならない。あんたが、最初に慈悲をかけてやって正しい「選択」をしていればこんな事にならなかったんじゃないの、どーよ?と言いたくなる。映画を見た時もそう思ったが、今回の芝居でもやはり同じだった。

芝居好きのとある人はこの戯曲を「残酷なだけの作品」と切って捨てていたが、やはりそうなのか。
主人公はリア王っぽい所もあって、今回はそれで結構泣かせてくれたけどね。そういう点では吉田鋼太郎、力演です(^^)/

休憩時間に周囲の女性客たちがパンフを広げていて、小栗旬の写真が出ているのが見えたが、イケメン若手俳優情報にうとい私たちはどの役が彼なのか観ていて分からなかった。
後半でようやく悪役エアロンだと判明。しかし、この役も『ベニスの商人』のユダヤ人どころではないアフリカ系差別なキャラクターである。海外だと、黒人の役者が演じるのかねー。もっとも、これだけの悪人だとかえって演じがいがあるのかも知れないが。

王妃役の麻実れいはすごく評判いいみたいだが、どうかな……。ベテランの中年女優ならあのぐらいは出来るんじゃないの、とも思った。というのも、割と類型的な「悪女」だから。例えば、岸田今日子あたりが二十年前にこの役をやったらどうだったか、と想像してしまった。

開演する前に、既に役者たちがステージにいてウロウロして、楽屋裏で発声練習なんかをしている様子を見せるという設定だった。(「開演5分前」とかアナウンスが入る) 面白いとは思うが、これが全く作品の内容自体には関わってこない「お遊び」に過ぎないのはどうなのか。同じニナガワの『ペール・ギュント』でも芝居全体がゲームの世界だったという設定だったが、やはり作品の根本には関わってはきてなかった。

それから、いつも彼の演出作品を見るたびに思うが、正直なところ音楽の使い方がどーにもセンスが悪い。時にガマンできないほどだ。でも、わざとやってるというほどの悪趣味ではないんだよね。
それにしても、貰ったチラシの約半数が蜷川演出の芝居のものだった。一体、一年間に何本やってるんだ(@_@)

7時開演で、終わったのは10時半過ぎていた。長いよ……。

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2006年3月18日 (土)

ロマンチカ「PORN」:おねー様、エロ過ぎです!

会場:スフィアメックス
2006年3月3日~6日

ロマンチカは美大出身の女性中心の集団。かつては公演に熱心に通った事がある。エリザベト・バートリとかジャン・ジュネとか--特にジャン・ジュネの芝居は今思い出してみても、構成・美術・演技などあらゆる面であれほど完成